今日(7月31日)は挿絵画家・高畠華宵の1966年の忌日。<78歳>[1888年4月6日生]
高畠 華宵(たかばたけ かしょう)は、愛媛県宇和島市裡町(うらまち)生まれの大正から昭和初期に活躍した、挿絵画家である。本名は、高畠幸吉。京都市立美術工芸学校日本画科卒業後上京して、おとぎ芝居(児童劇の一つ)、立ちんぼうなどの下積みの生活苦の中、絵の修業に励み、1910(明治43)年に、山田傘店や小西六カメラ(コニカ )、中規模商店 などの図案意匠の仕事を得るようになり翌1911(明治44)年 23歳のとき、「華宵」の名で、津村順天堂(現ツムラ)の婦人薬「中将湯」の広告絵を手掛け、モダンでロマンチックな婦人画で注目を浴びる。(昭和初期ころまで「中将湯」広告を描く)。
1913(大正2)年には 講談社の雑誌の挿絵を描くようにもなり同誌4月号から「華宵」の名前が活字で表に出るようになり、1914(大正3)年には、「少年倶楽部」(講談社)に執筆開始。 その後、少年雑誌、婦人雑誌などに挿絵として描いた独特の美少年・美少女の絵や美人画は一世を風靡するが、1923(大正12)年 35歳の時、関東大震災のため、一時千葉県飯岡海岸に移転。
震災の翌・1924(大正13) 年、講談社に高い画量を請求してこじれ、その後、実業之日本社(「日本少年」)に移るいわゆる「華宵事件」を起こす。その結果、「少年倶楽部」はたちまち売り上げが激減し、一時的に苦境に立たされたといわれる。
1926(大正15)年には、華宵便箋・封筒が発売され、より反響が大きくなり「銀座行進曲」で「華宵好みの君も行く」と歌われるほどになった。
♪扨(さ)ても銀座は プラタン並木 夏の葉がくれ あの人ゆけば 白いパラソル 花がちる
国貞ゑがくの 乙女もゆけば 華宵ごのみの 君もゆく 宵の銀座の 音匡(おるごうる) ♪
(歌詞に興味のある人は以下参考に記載の「安形氏日記帳〔2002年01月〕」参照)
「銀座行進曲」作詞 :正岡蓉作曲:塩尻精八
この歌は、もともと、関西の最大手レーベル、ニットーが1928(昭和3)年に発売し全国的なヒットを記録していた「道頓堀行進曲」の替え歌だそうである。この「道頓堀行進曲」は、1928(昭和3)年1月、神戸・京都・大阪の各松竹座で、映画の幕間劇として岡田嘉子一座の寸劇「道頓堀行進曲」が上演され、そのなかで歌われたのが、同名の大ヒット曲だそうであるが、そのヒットに目を付けて映画化されたのは、道頓堀を浅草に置き換えた「浅草行進曲」(松竹 野村芳亭 原作・脚本・監督・撮影 昭和3年4月封切)が先であったという。そして、「道頓堀行進曲」は色々なところからさまざまなバージョンのものが発売されているそうだ。ややこしくてよく判らないが詳しいことは、以下参考に記載の「道頓堀行進曲」「ニットー 浅草行進曲」「玉 聽 茶 話」などを見られると良い。また、「道頓堀行進曲」「浅草行進曲」がどんな歌かは以下で聞ける。歌詞は違っても曲は同じ様だ。これは、「銀座行進曲」も同じだろう。曲を聴くと年配の人なら、ああ!!この歌か・・と思い出す人も多いのでは・・。
MIDI:道頓堀行進曲(浅草行進曲) 内海一郎
http://www.fukuchan.ac/music/j-senzen/doutonbori.html
「銀座行進曲」の歌に出てくる「華宵好み」は、モガ(モダンガールの略)の代名詞でもあった。大正末期から昭和初期にかけての銀座は、ファッショナブルな洋服に身を包んだモダンガールが溢れる最先端の街であった。実業之日本社の「婦人世界」などの雑誌口絵などにも「華宵好みの〇〇スタイル」等のように衣服が紹介されることもあったようだ。
異様に大きな目、定型化した線だけで描かれる鼻、極端に小さな口で、戦前の少女雑誌を飾り、戦後の少女マンガにも通じる「乙女」を描いて人気のある、中原淳一の絵とは異なり、華宵の描く少女は”無力な乙女”ではなくその凛とした視線は見る者の側と対峙するかのようであり、妖しく、かつ、気高い。また、姿態、服装は少女とも少年ともつかぬ不思議な性の臭いを漂わせている。現実の男性との接触を禁じられていた当時の読者たちはその両性を併せ持った登場人物を憧れの対象とする一方で、女の役割に束縛されない少女像に密かな眺望を託してみていたのかもしれない。大正期に入ると女性のライフコース(就学・結婚・出産などの人生の過程)が、あきらかに異なってきた。学校は、尋常小学校を卒業後も、高等女学校や女子師範学校だけでなく、高等小学校、実業学校、裁縫学校、看護婦やタイピスト養成等々の各種学校で学生生活を送る者が激増し、実生活から相対的に独立した世界をもつ層が生まれてきた。次にこの層は同性の同年齢集団から成っていたので「女性であることは、どういうことか」と模索しつつある少女たちにとってお互いに問題を深める場となった。さらに、少女たちの性に多様性をもたらすのに大きな意味を持ったのが、従来の良妻賢母主義を主軸としてきた高等女学校教育などが変容し、理科の実験や自然科学、英語の必須などとともにレベルアップが図られ、外国の文化の摂取に積極的になってきた。こうした現象は、大正デモクラシーと呼ばれる社会風潮とは無関係ではなかった。この時代に急速に拡大し多様化した娯楽や出版のメディア、特に宝塚歌劇、少女雑誌などに少女文化の形成は顕著であり、市民権を得てゆく。宝塚歌劇の男役、高橋華宵の描くアンドロジニアス(両性具有)的な少女・・・これらは何故彼女たちを夢中にさせたのか?。それは、結婚して妻、母という受身の性となることに抗う、拒む性としての少女たちの美意識であったからではないだろうかとも・・・。(アサヒクロニクル「週刊20世紀」)
華宵の作品の中でも人気があるのが少女以上に少年の絵である。彼らは少女たちよりも艶やかな肌と赤い唇を持っている。上記に貼付の右端の「高畠華宵・美少年図鑑」の表紙を飾る「馬賊の唄」の絵・・白い馬によりそった凛々しい軍服姿の美少年などは、宝塚の男優よろしく美少女が男装しているといってもいいほどで、白くつややかな肌と色気のある流し目は、なんともエロティシズム(eroticism)に溢れて妖艶である。華宵は生涯を独身で通したそうであり、男色趣味があったという噂もあるそうだが、何となくうなずける気がする。
私の今見ている本・週間朝日百貨「日本の歴史」(129)には、「移り行く姿」と題した華宵の「六曲一双屏風」が掲載されている。幕末維新期からこの作品の製作された昭和10年までの女性風俗が春夏秋冬の風物を背景に美しく展開されている。中流以上の女性が多いものの朝鮮民族服の女性や断髪・ハイヒール姿で颯爽としたモダンガール、事務服を着た職業婦人、バスの車掌など時代相を巧みに描きこんでいる(個人蔵)。華宵の絵は著作権の関係から、なかなかアップできないようなのでお見せ出来ないのが残念である。以下参考に記載の「弥生美術館・竹久夢二美術館」や「高畠華宵大正ロマン館」を覗くと見れるので、一度覗いてゾクゾクしてみてはいかがかな・・・。
(画像は、正面左は、津村順天堂から昭和5年発売された「バスクリン」。中央は、「東亜薬報」という新聞に載った広告。アサヒクロニクル「週刊20世紀」より右は、「高畠華宵・美少年図鑑」コロナブックス編集部 / 平凡社。表紙の絵は「馬賊の唄」)
参考:
高畠華宵 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%95%A0%E8%8F%AF%E5%AE%B5
安形氏日記帳(2002年01月)
http://hydro.iis.u-tokyo.ac.jp/~agata/diary/Diary200201.html
玉 聽 茶 話
http://navy.ap.teacup.com/applet/zero/msgcate7/archive
大衆少年雑誌の成立と展開
http://nob.internet.ne.jp/note/note_19.html
ニットータイムスの世界
http://www.h4.dion.ne.jp/~kishi_k/nitto.htm
内海一郎
http://www.h4.dion.ne.jp/~kishi_k/utumi.htm
大阪の歌SPレコード戦前 ニットー・タイヘイ・マイナー編
http://www.geocities.jp/a1894m2632/osakanoutaspz.html
道頓堀行進曲
http://www.h4.dion.ne.jp/~kishi_k/doutonbori.htm
岡田嘉子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E5%98%89%E5%AD%90
ニットー 浅草行進曲
http://www.geocities.jp/nipp17734/nitto02.htm
野村芳亭 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E6%9D%91%E8%8A%B3%E4%BA%AD
実業之日本社 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E6%A5%AD%E4%B9%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A4%BE
MIDI:道頓堀行進曲(浅草行進曲) 内海一郎
http://www.fukuchan.ac/music/j-senzen/doutonbori.html
高畠華宵・美少年図鑑コロナブックス編集部 / 平凡社(2001/02Amazon
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582633889/artgrey-22
弥生美術館・竹久夢二美術館
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/about/yayoi/artist.html
高畠華宵大正ロマン館
http://www.kasho.org/
高畠 華宵(たかばたけ かしょう)は、愛媛県宇和島市裡町(うらまち)生まれの大正から昭和初期に活躍した、挿絵画家である。本名は、高畠幸吉。京都市立美術工芸学校日本画科卒業後上京して、おとぎ芝居(児童劇の一つ)、立ちんぼうなどの下積みの生活苦の中、絵の修業に励み、1910(明治43)年に、山田傘店や小西六カメラ(コニカ )、中規模商店 などの図案意匠の仕事を得るようになり翌1911(明治44)年 23歳のとき、「華宵」の名で、津村順天堂(現ツムラ)の婦人薬「中将湯」の広告絵を手掛け、モダンでロマンチックな婦人画で注目を浴びる。(昭和初期ころまで「中将湯」広告を描く)。
1913(大正2)年には 講談社の雑誌の挿絵を描くようにもなり同誌4月号から「華宵」の名前が活字で表に出るようになり、1914(大正3)年には、「少年倶楽部」(講談社)に執筆開始。 その後、少年雑誌、婦人雑誌などに挿絵として描いた独特の美少年・美少女の絵や美人画は一世を風靡するが、1923(大正12)年 35歳の時、関東大震災のため、一時千葉県飯岡海岸に移転。
震災の翌・1924(大正13) 年、講談社に高い画量を請求してこじれ、その後、実業之日本社(「日本少年」)に移るいわゆる「華宵事件」を起こす。その結果、「少年倶楽部」はたちまち売り上げが激減し、一時的に苦境に立たされたといわれる。
1926(大正15)年には、華宵便箋・封筒が発売され、より反響が大きくなり「銀座行進曲」で「華宵好みの君も行く」と歌われるほどになった。
♪扨(さ)ても銀座は プラタン並木 夏の葉がくれ あの人ゆけば 白いパラソル 花がちる
国貞ゑがくの 乙女もゆけば 華宵ごのみの 君もゆく 宵の銀座の 音匡(おるごうる) ♪
(歌詞に興味のある人は以下参考に記載の「安形氏日記帳〔2002年01月〕」参照)
「銀座行進曲」作詞 :正岡蓉作曲:塩尻精八
この歌は、もともと、関西の最大手レーベル、ニットーが1928(昭和3)年に発売し全国的なヒットを記録していた「道頓堀行進曲」の替え歌だそうである。この「道頓堀行進曲」は、1928(昭和3)年1月、神戸・京都・大阪の各松竹座で、映画の幕間劇として岡田嘉子一座の寸劇「道頓堀行進曲」が上演され、そのなかで歌われたのが、同名の大ヒット曲だそうであるが、そのヒットに目を付けて映画化されたのは、道頓堀を浅草に置き換えた「浅草行進曲」(松竹 野村芳亭 原作・脚本・監督・撮影 昭和3年4月封切)が先であったという。そして、「道頓堀行進曲」は色々なところからさまざまなバージョンのものが発売されているそうだ。ややこしくてよく判らないが詳しいことは、以下参考に記載の「道頓堀行進曲」「ニットー 浅草行進曲」「玉 聽 茶 話」などを見られると良い。また、「道頓堀行進曲」「浅草行進曲」がどんな歌かは以下で聞ける。歌詞は違っても曲は同じ様だ。これは、「銀座行進曲」も同じだろう。曲を聴くと年配の人なら、ああ!!この歌か・・と思い出す人も多いのでは・・。
MIDI:道頓堀行進曲(浅草行進曲) 内海一郎
http://www.fukuchan.ac/music/j-senzen/doutonbori.html
「銀座行進曲」の歌に出てくる「華宵好み」は、モガ(モダンガールの略)の代名詞でもあった。大正末期から昭和初期にかけての銀座は、ファッショナブルな洋服に身を包んだモダンガールが溢れる最先端の街であった。実業之日本社の「婦人世界」などの雑誌口絵などにも「華宵好みの〇〇スタイル」等のように衣服が紹介されることもあったようだ。
異様に大きな目、定型化した線だけで描かれる鼻、極端に小さな口で、戦前の少女雑誌を飾り、戦後の少女マンガにも通じる「乙女」を描いて人気のある、中原淳一の絵とは異なり、華宵の描く少女は”無力な乙女”ではなくその凛とした視線は見る者の側と対峙するかのようであり、妖しく、かつ、気高い。また、姿態、服装は少女とも少年ともつかぬ不思議な性の臭いを漂わせている。現実の男性との接触を禁じられていた当時の読者たちはその両性を併せ持った登場人物を憧れの対象とする一方で、女の役割に束縛されない少女像に密かな眺望を託してみていたのかもしれない。大正期に入ると女性のライフコース(就学・結婚・出産などの人生の過程)が、あきらかに異なってきた。学校は、尋常小学校を卒業後も、高等女学校や女子師範学校だけでなく、高等小学校、実業学校、裁縫学校、看護婦やタイピスト養成等々の各種学校で学生生活を送る者が激増し、実生活から相対的に独立した世界をもつ層が生まれてきた。次にこの層は同性の同年齢集団から成っていたので「女性であることは、どういうことか」と模索しつつある少女たちにとってお互いに問題を深める場となった。さらに、少女たちの性に多様性をもたらすのに大きな意味を持ったのが、従来の良妻賢母主義を主軸としてきた高等女学校教育などが変容し、理科の実験や自然科学、英語の必須などとともにレベルアップが図られ、外国の文化の摂取に積極的になってきた。こうした現象は、大正デモクラシーと呼ばれる社会風潮とは無関係ではなかった。この時代に急速に拡大し多様化した娯楽や出版のメディア、特に宝塚歌劇、少女雑誌などに少女文化の形成は顕著であり、市民権を得てゆく。宝塚歌劇の男役、高橋華宵の描くアンドロジニアス(両性具有)的な少女・・・これらは何故彼女たちを夢中にさせたのか?。それは、結婚して妻、母という受身の性となることに抗う、拒む性としての少女たちの美意識であったからではないだろうかとも・・・。(アサヒクロニクル「週刊20世紀」)
華宵の作品の中でも人気があるのが少女以上に少年の絵である。彼らは少女たちよりも艶やかな肌と赤い唇を持っている。上記に貼付の右端の「高畠華宵・美少年図鑑」の表紙を飾る「馬賊の唄」の絵・・白い馬によりそった凛々しい軍服姿の美少年などは、宝塚の男優よろしく美少女が男装しているといってもいいほどで、白くつややかな肌と色気のある流し目は、なんともエロティシズム(eroticism)に溢れて妖艶である。華宵は生涯を独身で通したそうであり、男色趣味があったという噂もあるそうだが、何となくうなずける気がする。
私の今見ている本・週間朝日百貨「日本の歴史」(129)には、「移り行く姿」と題した華宵の「六曲一双屏風」が掲載されている。幕末維新期からこの作品の製作された昭和10年までの女性風俗が春夏秋冬の風物を背景に美しく展開されている。中流以上の女性が多いものの朝鮮民族服の女性や断髪・ハイヒール姿で颯爽としたモダンガール、事務服を着た職業婦人、バスの車掌など時代相を巧みに描きこんでいる(個人蔵)。華宵の絵は著作権の関係から、なかなかアップできないようなのでお見せ出来ないのが残念である。以下参考に記載の「弥生美術館・竹久夢二美術館」や「高畠華宵大正ロマン館」を覗くと見れるので、一度覗いてゾクゾクしてみてはいかがかな・・・。
(画像は、正面左は、津村順天堂から昭和5年発売された「バスクリン」。中央は、「東亜薬報」という新聞に載った広告。アサヒクロニクル「週刊20世紀」より右は、「高畠華宵・美少年図鑑」コロナブックス編集部 / 平凡社。表紙の絵は「馬賊の唄」)
参考:
高畠華宵 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%95%A0%E8%8F%AF%E5%AE%B5
安形氏日記帳(2002年01月)
http://hydro.iis.u-tokyo.ac.jp/~agata/diary/Diary200201.html
玉 聽 茶 話
http://navy.ap.teacup.com/applet/zero/msgcate7/archive
大衆少年雑誌の成立と展開
http://nob.internet.ne.jp/note/note_19.html
ニットータイムスの世界
http://www.h4.dion.ne.jp/~kishi_k/nitto.htm
内海一郎
http://www.h4.dion.ne.jp/~kishi_k/utumi.htm
大阪の歌SPレコード戦前 ニットー・タイヘイ・マイナー編
http://www.geocities.jp/a1894m2632/osakanoutaspz.html
道頓堀行進曲
http://www.h4.dion.ne.jp/~kishi_k/doutonbori.htm
岡田嘉子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E5%98%89%E5%AD%90
ニットー 浅草行進曲
http://www.geocities.jp/nipp17734/nitto02.htm
野村芳亭 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E6%9D%91%E8%8A%B3%E4%BA%AD
実業之日本社 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E6%A5%AD%E4%B9%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A4%BE
MIDI:道頓堀行進曲(浅草行進曲) 内海一郎
http://www.fukuchan.ac/music/j-senzen/doutonbori.html
高畠華宵・美少年図鑑コロナブックス編集部 / 平凡社(2001/02Amazon
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582633889/artgrey-22
弥生美術館・竹久夢二美術館
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/about/yayoi/artist.html
高畠華宵大正ロマン館
http://www.kasho.org/