今日(4月30日)は、大佛次郎 (小説家『鞍馬天狗』) の1973(昭48)年 の 忌日。<75歳>
大佛次郎 は、1897 (明治30)年 10月9日、横浜市生まれ。本名野尻清彦。1921(大正10)年、、東京帝国大学卒業(24歳)。その後、鎌倉高等女学校(現・鎌倉女学院高等学校)教師となった。翌年外務省条約局勤務(嘱託)となり、この時代に小説を書き始め、退職して小説家の道に進む。
1924(大正13)年 (27歳)の時、 初めて大佛次郎の筆名で『隼の源次』を発表、続いて、鞍馬天狗の第一作「鬼面の老女」 をいづれも『ポケット』(博文館)より発表. 以後この名前で著述活動をおこなった。この筆名の由来は、執筆当時、鎌倉大仏の裏手に住んでいたことからだという。鎌倉をこよなく愛した大佛次郎は、1964(昭和39)年以降。古都鎌倉の聖域である鶴岡八幡宮裏山・通称御谷まで自然と歴史的環境が開発と都市化の波に次々に破壊される現実を目の当たりにしたことから、地元住民と一緒に、古都としての景観と自然を守ろう運動を起こした。そして、英国のナショナル・トラストの活動に解決の糸口を見いだし、朝日新聞に「破壊される自然」を連載し、鎌倉風致保存会の結成を推進。初めて我が国にナショナル・トラスト運動を起こしたことがきっかけになり1966(昭和41)年には、超党派の議員立法によって「古都保存法」が制定された。そのようなことから、鎌倉風致保存会は日本のナショナル・トラスト第1号といわれるようになった。
ナショナルトラスト運動は自然環境等を経済的な理由での無理な開発による環境破壊から守るため、市民活動等によって買い上げる・自治体に買い取りと保全を求める活動である。現在、知床半島(北海道斜里町)、釧路湿原(北海道釧路市)、トトロの森:狭山丘陵(埼玉県所沢市)、柿田川(静岡県清水町)、天神崎(和歌山県田辺市)など全国各地に56の団体が活動をしているようだ(以下参考に記載の「社団法人日本ナショナルトラスト協会」の全国ナショナル・トラスト団体を参照)。
余談だが、その中に、私の地元、兵庫県には、「アメニティ2000協会 」(兵庫県・西宮市 )がある。団体ホームページ →ここ
同協会では、今1934(昭和 9)年にヴォーリズ建築事務所の設計により六甲山に個人の別荘として建てられた「ヴォーリズの六甲山荘 」をナショナルトラストの第1号として購入し、保存と再生に取り組もうとしているようだ。
大佛次郎 は、1964(昭和39)年文化勲章 受賞。1968(昭43)年71歳 の時、国立ガンセンター入院。その後入退院を繰り返しながら 執筆活動を続けていたが、1973(昭48)年の今日(4月30日)、同センターにて永眠する。75歳であった。
今年・2008(平成20)年7月、G8サミットが北海道洞爺湖で開催される。主要課題としては、・世界経済の持続的成長に中で、投資、貿易、知的財産権保護、新興国の台頭、資源問題などが重要な課題。 ・大量破壊兵器などの不拡散。・テロ問題。と共に、・地球環境問題が重要なテーマーとして論じられるであろう(北海道洞爺湖テーマー参照)。
今や環境問題はそれまでの国家問題から地球温暖化の問題など地球規模の問題となっている(地球温暖化対策参照)。
1997(平成 9)年、京都にて「気候変動枠組条約第3回締結国会議」が開催され、ここで取り決められた京都議定書をもう一歩進めた段階で論じられるべきだが、福田さんに強力なリーダーシップが発揮できるだろうかね~。いや、今の福田氏の言うことなどみなさんまともに聞いてもらえるのでしょうかね~。
少々、脱線してしまったが、大佛次郎 と言えば、単に数々の小説家としてだけでなく、自然保護のリーダーとして、立派な業績を残している。
だけど、私にとっては、大佛次郎 と言えば、何と言っても、「鞍馬天狗」だよ。
先日歌手「おふくろさん」の歌詞変更問題で森進一に対し自作曲の歌唱禁止を通告し話題となっていた川内康範が亡くなったが、彼の原作「月光仮面」が1958(昭和33)年にテレビドラマ化され、子供たちのヒーローの元祖となったが、白い覆面にサングラス姿で白いオートバイに乗って颯爽と現れ、悪を懲らしめては去っていく神出鬼没のヒーロー「月光仮面」は、「鞍馬天狗」をベースにした活劇を企画化したものだといわれている。
この大佛次郎が幕末を舞台に創作した「鞍馬天狗」は、戦前から戦後にかけての子供たちのスーパーヒーローである。黒い頭巾を被り、白馬に乗って颯爽と現れる鞍馬天狗の映画・・・といえば、アラカンこと嵐寛十郎のお家芸と思うのだが、実は、アラカンは3代目で、映画版の初代鞍馬天狗は実川延笑(1924年『女人地獄』帝国キネマ)で、2 代目が尾上松之助(1925年『鞍馬天狗』 前篇(第一篇)~第五篇。日活映画)、3代目が嵐寛寿郎であり、1925年牧野省三のマキノ・プロダクション入り、牧野から与えられた嵐長三郎の芸名(初名嵐徳太郎)でシリーズ第1作「鞍馬天狗異聞・角兵衛獅子」」(1927年)で映画デビュー。1927(昭和 2)年マキノからの独立に際して長三郎の名を返上、自分の属していた歌舞伎界・葉村屋((はむらや。以下参考に記載の「歌舞伎役者の屋号一覧」参照)の最高位の名跡である璃寛からとった嵐寛壽郎を名乗り、以来生涯この名で通すようになったそうである。
白馬にまたがり、黒の、宗十郎頭巾に着流しスタイルの鞍馬天狗は国民的な人気を集め、その後、嵐のはまり役として寛プロ・東亜キネマ・新興・日活・東宝・東映とまたに駆けて40本以上もの鞍馬天狗映画に出演。しかし、1954(昭和29)年、原作者である大佛は”著作権無視、原作を書き換えて題名だけ盗んでいる、映画の鞍馬天狗は人を斬りすぎて原作者の意向を無視している等との理由を挙げて非難し、嵐が演ずる鞍馬天狗の中止を要求したという。そして大佛は自ら「天狗プロダクション」を設立してプロデューサーとなり、同年より小堀明男の主演による『新鞍馬天狗』シリーズの製作を開始。この作品にはアラカンの鞍馬天狗なら5本は撮れると言われた程の資金が毎回投入されたが、鞍馬天狗はアラカンのイメージが完全に大衆に植え付けられており、原作者自ら手がけたこの小堀版鞍馬天狗も大衆が好む時代劇の骨法や様式から完全に外れた、ある意味で大佛の自己満足に近い代物でとなり、興行面では完全に失敗。結局、又アラカンの鞍馬天狗の復活となる、経緯がゆえにもはやアラカン自身も乗り気ではなく、僅か2作品で打ち止めとなったという経緯があるようだ。なんかこの話、森進一と川内康範のもめごとみたいなところがあるね。その後、 東千代之介 や市川雷蔵 などにも演じられ、1959(昭和34)年までに、60本以上の映画が制作され、代表格の嵐寛寿郎をはじめ11人もの役者が鞍馬天狗を演じた。
わたしなどチャンバラが大好きな者は子供時代黒い頭巾を被って鞍馬天狗の真似をして遊んだが、皆が鞍馬天狗をやりたがり、何人も居たことがあるよ。(^0^)
それは、そうと、鞍馬天狗もの中でも「角兵衛獅子」ものは多く製作されているが、確か、今はベテラン俳優の風間杜夫が、子役時代に角兵衛獅子の杉作を演じていたものを見たよな~。彼は、子役の時代から演技が上手かったよ。あの美空ひばりも杉作を演じていたな~。時代劇は、余りこむづかしいことを言わずに昔のような単純なチャンバラ物が私は好きだ。冒頭の画像は、大阪・十三のテイキネゆかりの映画館・サンポード・アップルシアターで、戦前のチャンバラ大集合として「嗚呼!!花の大活動写真鑑賞会」があったときの記念テレカであり、このテレか欲しさに神戸からわざわざ大阪の映画館まで行って手に入れたものである。
(画像は、大阪・十三のテイキネゆかりの映画館・サンポード・アップルシアター発行の「嗚呼!!花の大活動写真鑑賞記念」テレカ)
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大佛次郎 は、1897 (明治30)年 10月9日、横浜市生まれ。本名野尻清彦。1921(大正10)年、、東京帝国大学卒業(24歳)。その後、鎌倉高等女学校(現・鎌倉女学院高等学校)教師となった。翌年外務省条約局勤務(嘱託)となり、この時代に小説を書き始め、退職して小説家の道に進む。
1924(大正13)年 (27歳)の時、 初めて大佛次郎の筆名で『隼の源次』を発表、続いて、鞍馬天狗の第一作「鬼面の老女」 をいづれも『ポケット』(博文館)より発表. 以後この名前で著述活動をおこなった。この筆名の由来は、執筆当時、鎌倉大仏の裏手に住んでいたことからだという。鎌倉をこよなく愛した大佛次郎は、1964(昭和39)年以降。古都鎌倉の聖域である鶴岡八幡宮裏山・通称御谷まで自然と歴史的環境が開発と都市化の波に次々に破壊される現実を目の当たりにしたことから、地元住民と一緒に、古都としての景観と自然を守ろう運動を起こした。そして、英国のナショナル・トラストの活動に解決の糸口を見いだし、朝日新聞に「破壊される自然」を連載し、鎌倉風致保存会の結成を推進。初めて我が国にナショナル・トラスト運動を起こしたことがきっかけになり1966(昭和41)年には、超党派の議員立法によって「古都保存法」が制定された。そのようなことから、鎌倉風致保存会は日本のナショナル・トラスト第1号といわれるようになった。
ナショナルトラスト運動は自然環境等を経済的な理由での無理な開発による環境破壊から守るため、市民活動等によって買い上げる・自治体に買い取りと保全を求める活動である。現在、知床半島(北海道斜里町)、釧路湿原(北海道釧路市)、トトロの森:狭山丘陵(埼玉県所沢市)、柿田川(静岡県清水町)、天神崎(和歌山県田辺市)など全国各地に56の団体が活動をしているようだ(以下参考に記載の「社団法人日本ナショナルトラスト協会」の全国ナショナル・トラスト団体を参照)。
余談だが、その中に、私の地元、兵庫県には、「アメニティ2000協会 」(兵庫県・西宮市 )がある。団体ホームページ →ここ
同協会では、今1934(昭和 9)年にヴォーリズ建築事務所の設計により六甲山に個人の別荘として建てられた「ヴォーリズの六甲山荘 」をナショナルトラストの第1号として購入し、保存と再生に取り組もうとしているようだ。
大佛次郎 は、1964(昭和39)年文化勲章 受賞。1968(昭43)年71歳 の時、国立ガンセンター入院。その後入退院を繰り返しながら 執筆活動を続けていたが、1973(昭48)年の今日(4月30日)、同センターにて永眠する。75歳であった。
今年・2008(平成20)年7月、G8サミットが北海道洞爺湖で開催される。主要課題としては、・世界経済の持続的成長に中で、投資、貿易、知的財産権保護、新興国の台頭、資源問題などが重要な課題。 ・大量破壊兵器などの不拡散。・テロ問題。と共に、・地球環境問題が重要なテーマーとして論じられるであろう(北海道洞爺湖テーマー参照)。
今や環境問題はそれまでの国家問題から地球温暖化の問題など地球規模の問題となっている(地球温暖化対策参照)。
1997(平成 9)年、京都にて「気候変動枠組条約第3回締結国会議」が開催され、ここで取り決められた京都議定書をもう一歩進めた段階で論じられるべきだが、福田さんに強力なリーダーシップが発揮できるだろうかね~。いや、今の福田氏の言うことなどみなさんまともに聞いてもらえるのでしょうかね~。
少々、脱線してしまったが、大佛次郎 と言えば、単に数々の小説家としてだけでなく、自然保護のリーダーとして、立派な業績を残している。
だけど、私にとっては、大佛次郎 と言えば、何と言っても、「鞍馬天狗」だよ。
先日歌手「おふくろさん」の歌詞変更問題で森進一に対し自作曲の歌唱禁止を通告し話題となっていた川内康範が亡くなったが、彼の原作「月光仮面」が1958(昭和33)年にテレビドラマ化され、子供たちのヒーローの元祖となったが、白い覆面にサングラス姿で白いオートバイに乗って颯爽と現れ、悪を懲らしめては去っていく神出鬼没のヒーロー「月光仮面」は、「鞍馬天狗」をベースにした活劇を企画化したものだといわれている。
この大佛次郎が幕末を舞台に創作した「鞍馬天狗」は、戦前から戦後にかけての子供たちのスーパーヒーローである。黒い頭巾を被り、白馬に乗って颯爽と現れる鞍馬天狗の映画・・・といえば、アラカンこと嵐寛十郎のお家芸と思うのだが、実は、アラカンは3代目で、映画版の初代鞍馬天狗は実川延笑(1924年『女人地獄』帝国キネマ)で、2 代目が尾上松之助(1925年『鞍馬天狗』 前篇(第一篇)~第五篇。日活映画)、3代目が嵐寛寿郎であり、1925年牧野省三のマキノ・プロダクション入り、牧野から与えられた嵐長三郎の芸名(初名嵐徳太郎)でシリーズ第1作「鞍馬天狗異聞・角兵衛獅子」」(1927年)で映画デビュー。1927(昭和 2)年マキノからの独立に際して長三郎の名を返上、自分の属していた歌舞伎界・葉村屋((はむらや。以下参考に記載の「歌舞伎役者の屋号一覧」参照)の最高位の名跡である璃寛からとった嵐寛壽郎を名乗り、以来生涯この名で通すようになったそうである。
白馬にまたがり、黒の、宗十郎頭巾に着流しスタイルの鞍馬天狗は国民的な人気を集め、その後、嵐のはまり役として寛プロ・東亜キネマ・新興・日活・東宝・東映とまたに駆けて40本以上もの鞍馬天狗映画に出演。しかし、1954(昭和29)年、原作者である大佛は”著作権無視、原作を書き換えて題名だけ盗んでいる、映画の鞍馬天狗は人を斬りすぎて原作者の意向を無視している等との理由を挙げて非難し、嵐が演ずる鞍馬天狗の中止を要求したという。そして大佛は自ら「天狗プロダクション」を設立してプロデューサーとなり、同年より小堀明男の主演による『新鞍馬天狗』シリーズの製作を開始。この作品にはアラカンの鞍馬天狗なら5本は撮れると言われた程の資金が毎回投入されたが、鞍馬天狗はアラカンのイメージが完全に大衆に植え付けられており、原作者自ら手がけたこの小堀版鞍馬天狗も大衆が好む時代劇の骨法や様式から完全に外れた、ある意味で大佛の自己満足に近い代物でとなり、興行面では完全に失敗。結局、又アラカンの鞍馬天狗の復活となる、経緯がゆえにもはやアラカン自身も乗り気ではなく、僅か2作品で打ち止めとなったという経緯があるようだ。なんかこの話、森進一と川内康範のもめごとみたいなところがあるね。その後、 東千代之介 や市川雷蔵 などにも演じられ、1959(昭和34)年までに、60本以上の映画が制作され、代表格の嵐寛寿郎をはじめ11人もの役者が鞍馬天狗を演じた。
わたしなどチャンバラが大好きな者は子供時代黒い頭巾を被って鞍馬天狗の真似をして遊んだが、皆が鞍馬天狗をやりたがり、何人も居たことがあるよ。(^0^)
それは、そうと、鞍馬天狗もの中でも「角兵衛獅子」ものは多く製作されているが、確か、今はベテラン俳優の風間杜夫が、子役時代に角兵衛獅子の杉作を演じていたものを見たよな~。彼は、子役の時代から演技が上手かったよ。あの美空ひばりも杉作を演じていたな~。時代劇は、余りこむづかしいことを言わずに昔のような単純なチャンバラ物が私は好きだ。冒頭の画像は、大阪・十三のテイキネゆかりの映画館・サンポード・アップルシアターで、戦前のチャンバラ大集合として「嗚呼!!花の大活動写真鑑賞会」があったときの記念テレカであり、このテレか欲しさに神戸からわざわざ大阪の映画館まで行って手に入れたものである。
(画像は、大阪・十三のテイキネゆかりの映画館・サンポード・アップルシアター発行の「嗚呼!!花の大活動写真鑑賞記念」テレカ)
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