今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

トランジスタの日

2007-06-30 | 記念日
6月30日「トランジスタの日」
1948(昭和23)年の今日(6月30日)、アメリカ・AT&Tベル研究所のウォルター・ブラッテンジョン・バーディンウィリアム・ショックレイらのグループにより発明されたトランジスタが初めて公開された。
トランジスタは、半導体を用いて電気信号を増幅またはスイッチ動作することができる半導体素子で、近代の電子工学における主力素子である。「変化する抵抗を通じての信号変換器(transfer of a signal through a varister または transit resistor)」からの造語である。
俗に、トランジスタや集積回路(IC)のことを「石」と呼ぶ。これは、真空管を「球」と呼んだことに呼応するものである。たとえばトランジスタラジオなどでは、使用しているトランジスタの数を数えて、6石ラジオ(6つのトランジスタを使ったラジオ)のように言う場合がある。真空管と同じ働きをしながら小型・軽量・長寿命で消費電力が小さい等の利点があり、急速に普及して行った。
デジタル回路では、トランジスタが電子的なスイッチとして使われ、半導体メモリマイクロプロセッサ・その他の論理回路で利用されているそうだ。ただ、ICの普及に伴い、単体のトランジスタがデジタル回路における論理素子として利用されることはほとんどなくなったという。一方、アナログ回路中では、トランジスタは基本的に増幅器として使われているそうだ。ウォルター等3名は、この半導体の研究およびトランジスタ効果の発見により、1956(昭和31)年にノーベル物理学賞を受賞している。ただ、ウォルター等3名がトランジスタを発明した年の前年・1947(昭和30)年に、日本においてNHK技術研究所の内田秀男氏がすでにトランジスタに相当する増幅回路の発明を報告していたが、GHQの検閲に合い発表が取り消された経緯があるとする説もあるそうだが、否定する説もある・・・。以下参照。
ショックレーの前年にトランジスタを発明 内田秀男/世界に誇る日本一の話。
http://www.nipponnosekaiichi.com/technology/transistor/71.html
私は科学の知識もないし、このような分野の情報にもうといので、何がどこまで本当かはわからないが、上記のことが本当ならちょっとショックだよね。
それに専門的な難しいことは良くわからないが、以下のページでは、トランジスタの動きを模式的に表している。興味のある人は覗いて見るとよい。
トランジスタ
http://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/semi_cnd/transistor.html
私など、トランジスタと聞けば、先ず、出てくるのが、トランジスター・ラジオである。トランジスター・ラジオは、当初真空管などを利用していたラジオ放送の受信機を、半導体素子であるトランジスタを使用して小型・軽量化した製品である。昔の真空管ラジオのときは、球のフィラメントがよく切れて、しょっちゅう鳴らなくなったのを思い出す。終戦の時、天皇陛下の玉音放送を家族揃って聞いたのはそんなラジオの前であった。トランジスター・ラジオは日本では、1954(昭和29)年頃に東京通信工業(現ソニー)で日本初の国産化がされ、翌1955(昭和30)年に同社が商品化したといわれている。同社は、 高い創造性と技術力で目新しい商品を次々と発表し、今やエレクトロニクス系企業でのブランドイメージは世界でトップレベルといわれている。
日本人は、兎に角、小さなものを作る技術は世界一だね。コンピューターの世界でも、昭和30年代末は超大型のコンピューターを備えた情報システム室へ書類を送りそこで、パンチャーといわれる大勢の女性が、入力作業をしていたが、今や、各事業所などで、手軽なノートパソコンなどで処理したものがそのまま送信され、情報処理されるようになったものね。ただ、この分野では、日本は、アメリカに遅れをとっているが、早く日本の力を発揮して欲しいものだ。
(画像は、トランジスタラジオ【ソニー・TR-52】。Wikipediaより)
トランジスタ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%82%BF
トランジスタ技術 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%82%BF%E6%8A%80%E8%A1%93
ウォークマン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%B3
ラジオ工房
http://www31.ocn.ne.jp/~radiokobo/
トランジスターラジオ型番データSONY編
http://www5b.biglobe.ne.jp/~AA676/radio/RADIO_SONY_TOP.htm
音の信号がどのようにして電気信号に変わるの?
http://www.oitda.or.jp/yh/com/answer/a_com1.htm
真空管 ラジオ のページ
http://www.asahi-net.or.jp/~hp6y-isym/
ショックレーの前年にトランジスタを発明 内田秀男/世界に誇る日本一の話。
http://www.nipponnosekaiichi.com/technology/transistor/71.html
盛田昭夫 トランジスタで世界を制す
http://www.ifsa.jp/kiji-sekai-morita.htm


ビートルズ記念日

2007-06-29 | 記念日
今日(6月29日)は、「ビートルズ記念日」
1966(昭和41)年6月29日、午前3時過ぎ人気絶頂のイギリスのロックグループ・ビートルズが初めて東京・羽田空港に降り立った。
翌・6月30日から7月2日にかけて、東京・日本武道館で3日間5回の公演が行われた。初日は夜のみ、2・3日目は昼および夜の各2回公演であった。この公演では述べ5500人もの機動隊と警官が動員される一大騒動となった。1日昼の公演はテレビ放送され、視聴者は関東59,8%、関西46,1%だった。学校をさぼってかけつけた高校生ら6520人が警察に補導されたという。
来日の予定は、6月28日であったが、台風4号が来て1日送れとなった。空港のファンは警官に排除され、ビートルズを迎えたのは、250人の取材陣と、多数の警官だった。パトカーの先導で東京・赤坂のヒルトンホテルに入ると、帰国までの103時間、ビートルズは、ホテルに半ば軟禁状態となった。コンサート自体は、音響もマイクのセッティングも悪く、不評だったが、当時は、ビートルズ自体がライブへの意欲を失っていた時期でもあったという。
ビートルズは、世界中で最も広く知られ、成功したロックバンドのひとつ。1960(昭和35)年、イギリスの港町リヴァプールで、ジョン・レノンリズムギター)、ポール・マッカートニーベース) 、ジョージ・ハリスンリードギター) 、ピート・ベストドラムス) の4人で結成。5人目のビートルズといわれたのが、1961(昭和36)年12月からマネージャーとなった、ブライアン・エプスタインで、「ビートルズはライブを見てこそその良さがわかる」と、彼は、テレビ出演とコンサートを中心に、仲間を世界に売り込んだ。
そして、1962(昭和37)年7月、EMIレコードと契約後、ピートに代わって、リンゴ・スタードラムス)が加わり、その年の10月最初のシングル「ラヴ・ミー・ドゥ(Love Me Do)」でレコードデビューした。そして、1963(昭和38)年2月、2枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー(Please Please Me)」がイギリスのヒットチャートで初めて1位になる。そして、レコードデビューからわずか2年後には、ビートルズはアメリカに進出した。
この1964(昭和39)年は、ビートルズが世界制覇に成功した記念すべき年である。1月から「抱きしめたい」で、全米ヒットチャート第1位となっていたビートルズは1月に、フランスで公演後、2月7日、初めてアメリカに乗り込んだ。アメリカでは、2週間の滞在中に、テレビ出演2回、コンサート3回。ビートルズは行く先々で、前例を見ないほどの騒ぎと混乱を巻き起こし、ポップスのメッカ、アメリカをたちまちビートルズ1色にした。そして、この2月のアメリカ公演後、6月デンマーク、香港、オランダ、オーストラリア、ニュージーランド、そして、7月スエーデン、8月再度アメリカ、カナダとワールドツアーを成功させた。そして第1作の映画『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』 (A Hard Day's Night)が上映され、ビートルズ・フィーバーは、全世界で上昇の一途をたどった。この映画は、8月に日本でも公開され、ファンクラブが誕生した。この、ビートルズの記念すべきアメリカ進出成功の影には、ビートルズが音楽ビジネスのプロモーションを確立した立役者であるブライアンのメディア戦略があったといわれており、1967(昭和42)年に、彼が32歳という若さで急逝したことが、ビートルズ解散の遠因になったとも言われている。日本に、初めてビートルズがやってきたのが先に書いた通り、ビートルズが世界制覇に成功した2年後の1966(昭和41)年の今日(6月29日)のことであった。日本公演は、読売新聞社と中部日本放送の主催によって1966年(昭和41)6月30日から7月2日にかけて5公演、東京・日本武道館において行われた。初日は夜のみ、2・3日目は昼および夜の各2回公演であった。
その時の入場料金は、 A席:2100円、B席:1800円、C席:1500円 ※警備の都合上アリーナ席はなし。主催者側はもっと料金を上げたかったそうだが、ビートルズ側から多くの人に観てもらえるようにとの要望があり、契約で「料金は10ドル以下にすること」と決められたという。
また、当初、初日のステージの様子が録画されテレビ放送されることになっていたが、ビートルズ側の言い分(マイク・スタンドの不備等)によりその映像は放送されず、急遽、翌7月1日昼の部のステージが収録されて、その日の夜9時から日本テレビ系列にて放送された本放送に使われた (番組の詳細はザ・ビートルズ日本公演 (テレビ番組)を参照)。
しかし、アメリカでの公演などに比べると、この日本公演は、ライブとしては決して良い出来とは言えなかったようだ。7月1日公演も演奏された全11曲のほとんどが実に散漫な歌い回しだったため、失望した熱狂的ファンも多かったという。マイク等の機材も品質の良い物ではなかったようだが、当時ビートルズはコンサート活動に嫌気を指していた時期に入っていたこともあってか、ライブ前の記者会見でジョンが「ビートルズを聞きたい人はレコードを聞いてください。ビートルズを見たい人はコンサートへ来てください。」と言っていたことを考えると、始めからまともに演奏する気がなかったことが伺えるともいわれている。(初日の演奏で日本のファンが演奏を聴いてくれていると知ったメンバーが翌日のステージでは恥ずかしい演奏は見せられないと本気の演奏をしたという証言もあるそうだが)
実際、この日本公演が終わった直後の1966(昭和41)年のアメリカツアー、8月29日のサンフランシスコ・キャンドルスティック・パークのステージを最後に、ビートルズはライブ活動を停止する。
そして、1967(昭和42)年8月、マネージャーのブライアン・エプスタインが死去したころからグループとしてのバランスが微妙に崩れはじめ、ポールがメンバーを束ねようとするがうまくいかず、結局、1970(昭和45)年に解散した。ビートルズは解散後も世界中に多大な影響を与え続けている。ビートルズに触発されて生まれたアーティストは数知れない。21世紀の今日でも、彼らの人気やその影響力は 衰えることを知らない。しかし、今でこそ東京ドーム同様、武道館でのロックコンサートは頻繁に行われているが、初来日当時は佐藤栄作首相や、元朝日新聞記者で政治評論家の細川隆元らが、「神聖なる日本武道館でロックバンドが演奏することなどけしからん」という意見が多数を占めていたように、この当時は、まだ、ビートルズの曲に対しては、批判的な見方も多かったのである。
(画像は、1966年6月29日午前3時過ぎ、初めて東京・羽田空港に降り立ったビートルズは、JALの仕立てた半被姿であった。アサヒクロニクル「週刊20世紀」より)
ビートルズ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA
ザ・ビートルズ 公式サイト
http://www.toshiba-emi.co.jp/beatles/index_j.htm
The BEATLES Website / ザ・ビートルズ・ウェブサイト
http://beatles.at.infoseek.co.jp/
ビートルズ・オフィシャル・ファン・クラブ・サイト:Bネット
http://www.thebeatles.co.jp/contents/cover/cover.shtml
THE BEATLES
http://www.tcct.zaq.ne.jp/bpaei505/beatles/beatles_mokuji.html


雨の特異日

2007-06-28 | 記念日
今日(6月28日)は「雨の特異日」。雨の降る確率の高い日とされている。
6月25日頃~7月2日頃は1年のうちで最も雨の降る確率が高い時期で、その中でも6月28日の確率は東京で53%と大変高くなっている。
特異日とは、気象学的な理由は不明だが統計的に毎年その日には特定の天気が現われる傾向が強い日のこと。「特異日」は日本だけでなく外国でも認められており、英語では「Singularity(シンギュラリティ)」と言うそうだ。
因みに、東京の晴れの特異日は、今は11月3日であるが、かつては10月10日であったそうだ。1964(syouwa44)年の東京オリンピックの開会日が夏季オリンピック開催日としては異例に遅い10月10日となったのは、秋雨前線が去った後の東京地方の「晴れの特異日」だった事によるそうだ。10月10日が国民の祝日「体育の日」となった1966年から1999年までの34年間に東京地方でこの日に1ミリ以上の雨が降ったのはわずか5回だったという。ところが、上記のような特異日は長らく固定されたものではなく、長周期の変動が見られるものも多いようだ。1989(平成 1)年~2003(平成15)年の日本8都市の特異日の天気の情況は以下を見られると良い。
特異日の部屋→http://members.jcom.home.ne.jp/yasu.k/tenki7.htm
天気は、ある場所における、ある時刻もしくは一定の期間の大気の状態であり、現在、天気の種類は15種類が定められている。普通に「晴れ」といった場合は、空全体に対して、雲の占める面積が2割以上9割未満の状態を言うそうであり、雲の占める面積が2割未満の状態を「快晴」、雲の占める面積が9割以上で、巻雲、巻積雲または巻層雲が多い状態を「薄曇」そうだ。また、直径0.5mm以上の水滴が降っている状態を「雨」と言い 、直径0.5mm未満の細かい水滴だけが降っている状態を「霧雨」、 雨と雪が混ざった降水の状態は「「みぞれ」」と言うことになるそうだ。 しかし、今日(6月28日)が「雨の特異日」だといっても、何を冗談言っているの?だって、もう梅雨でしょう!・・なんて、云って、笑われるかもしれないね~。(^0^)日本各地の地方気象台・気象庁では毎年梅雨入り・梅雨明けの発表をする。例えば、例年 近畿地方の入梅は6月6日ごろ で梅雨明け7月19日ごろとなるが、今年の梅雨入りは8日ほど遅れているものの、「雨の特異日」である6月28日は、例年当然入梅してるんだから雨が多いのは当たり前。それを、敢えて雨の特異日なんて話しなんて・・・て思われるだろうし、その上、今日は梅雨だというのに良い天気。明日ぐらいからは雨模様になるらしいので家人は一生懸命電卓をしている。それに、梅雨や雨のことは前の6月11日「雨漏りの点検の日」で書いたし、ダブって書いてもしようがないので、こうなれば、仕方がない、雨で少し遊んじゃうしかないあな~。
雨の多い季節に、「鬱陶しいね~」・・・とそんな話ばかりしていたら、余計に鬱陶しくなるので、雨を楽しんじゃえば良いのだが、映画『雨に唄えば』 のジーン・ケリー よろしく、雨の中でステップを踏んでもおれない。「雨が降ったら濡れればいいさ」は、雪山賛歌かもしれないが、そんなこともういやなら、せめて、洒落た雨靴でも履いて明るい色の傘差して、小さな子供と同じ様に「雨雨降れ降れ・・」と「あめふり」( 北原白秋作詞)の歌でも口ずさみながら雨の中を陽気にチャプチャプと歩きたいものだね~。(^0^)
しかし、最近の若者は雨靴なんて持っているのだろうか・・・?私現役時代、仕事で沖縄へ云って、現地のものの車に載せてもらって、事業所を見て回ったことがあるが、その間に、出るときは晴れていたのだが雨が何度か降った。私は年中傘を持ち歩いているので、傘を差していたが、現地に人は傘を指さず濡れたまま歩いている。マア~、自動車からの移動だからそんなになに距離を歩くわけでもないが、周りを見渡すと誰も傘を指していない。現地に穂とに聞くと、沖縄のヒットは、傘を持ち歩かないんですという。さ~と降って直ぐやむかららしい。天候もカラッとした土地柄だからだろうね。
松下幸之助の「一日一話」(PHP研究所)に「雨が降れば傘をさす」の明言がある。
「降り出した雨に濡れたくないと思えば、人は誰でも傘をさします。傘がなければ雨やどりをします。それは誰もが知っている、ごくあたり前のことで、そのあたり前のことを私たちはいつも自然に行なっています。商売を繁昌させるためにも、このあたり前のことをあたり前に行なうということが、きわめて大切なのではないでしょうか。(中略)何かの理由をつけて、約束を守らなかったり、集金をすることを怠ったりしてはいないでしょうか。雨が降れば傘をさす、あたり前のことをあたり前にキッチリ行なっているかどうか。毎日の仕事、商売のあり方をあらためて振り返ってみたいものです。」・・・いい言葉だね~。流石は、経営の神様。何でも無理しない方がよい。梅雨になったら雨が降るのは当たり前。雨が降れば傘を差せばよい。梅雨には梅雨の良さがある。雨の日であれば、晴れた日とは違って、家の中で、普段出来ていない片づけごとをするも良し、じっくりと読書をするのもよいであろう。又、夫婦・子供揃ってファミリーゲームを楽しむのも良いだろう。梅雨が明ければ、嫌でも暑い厚い夏が来る。その時は、海やプールへ行って、思いっきり楽しめばよい。今、雨の時期に、しておいた方が良いことも多くあるであろう。
雨季がある土地は世界中に多くあるが、梅雨はそれほど雨足の強くない雨が長期に亘って続く点に特徴がある。このため、カビ食中毒などに注意が必要な季節とされている。しかし、近年は温暖化のせいもあるのか天候も異常で、地域的には渇水状態、その反面局地的には 豪雨で被害も発生している。今年は雨が少ないらしいからと言って、安心しないで、十分に注意しておこうね。せっかくだから、松下幸之助の、「一日一話」見ておく・・・?
松下幸之助[一日一話]
http://www.php.co.jp/fun/matsushita/06-09.html
(画像は、梅雨。Wikipediaより)
梅雨 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E9%9B%A8
特異日 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E7%95%B0%E6%97%A5
気象庁(Japan Meteorological Agency)
http://www.jma.go.jp/jma/index.html
神戸海洋気象台
http://www.kobe-jma.go.jp/
フジテレビ(三井良浩のお天気ウラ話)
http://www.fujitv.co.jp/weatherman/index2.html
ウェザーマップ
http://www.weathermap.co.jp/
バイオウェザー・お天気豆知識
http://www.bioweather.net/column/weather/contents/mame005.htm
雪山賛歌
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tico/tico/gs/clementain.html
松下幸之助[一日一話]
http://www.php.co.jp/fun/matsushita/06-09.html
松下幸之助語録(其の壱)
http://www.dcom-web.co.jp/2006/Yoshinaga/hobby_human.htm
名言から学ぶ幸せのヒント
http://meigen.shiawasehp.net/index.html
6月11日「雨漏りの点検の日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/d/20070611

日照権の日

2007-06-27 | 記念日
今日(6月27日)は、「日照権の日」
サラリーマンなどにとって、その一生の中でも重要な問題の一つに住居選びがあるだろう。殆どは、長い年月、その多額の購入資金返済の為にローンを組み大きな経済的負担となっている人が多いことであろう。そんな生活の為の絶対に不可欠な住宅選びに際しては、色々な条件があるであろう。返済などに関する金銭的な問題は別として、立地については、仕事や子供の学校、買物、病院の有無など交通の利便性また安全性など。それに風紀上の問題など居住地域の環境問題もある。そして、実際に自分達が住む住居に関して、日本の場合であれは、」「明るい」、「風通しが良い」、「静か」であるといったところが3大条件になるのではないだろうか。そのほかにも快適な生活の条件としては出来tれば「窓からの景観」や「プライバシーの保護」といったことも挙げられるだろう。
1972(昭和47)年の今日(6月27日)、違法建築の隣家によって日照を奪われた問題で、最高裁が「日照権と通風権が法的に保護するのに値する」という初めての判決を下し、日照権・通風権が確立した。これ以来、日照権が確立し、法的な保護が与えられるようになった。昭和40年代に中高層マンションが増加したことが裁判の原因であった。
以下参照。
大原社研_大原クロニカ『社会・労働運動大年表』解説編
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/khronika/1972/1972_24.html
日照権とは、建築物の日当たりを確保する権利のこと。近隣に、マンションなど高層の建築物が立てられ、日当たりが阻害されることが予想される場合に、仮処分申請や損害賠償訴訟を起こす根拠となる。
憲法は国家の基本的な秩序を定めた最高規範であるということから、国のあり方つまり理念を表したものでもある。
日本国憲法では、この理念の中心に「個人として尊重」(13条)、「個人の尊厳」(24条)という個人の尊厳の原理(個人主義ともいう)を置く見解が一般的である(異説もある)。
第13条は、日本国憲法第3章になる条文の1つであり、個人の尊重(尊厳)、幸福追求権及び公共の福祉について規定している。
この中の「幸福追求権」は、新しい人権を導き出す論拠とされ、憲法制定以後の社会情勢の変化に伴い、この権利を根拠に様々な権利が主張されるようになったため、「ドラえもんのポケット」との比喩もあるそうだ。
初期の学説は、13条は14条以下の人権の総称規定であり、具体的権利性を否定するものであった。しかし、1960年代以降の経済・社会の変容は新たな権利を求めるようになり、また学説も次第に13条に具体的権利性を認める説が主流となってきた。第14条以下の各規定に具体的な根拠を求めにくいが憲法上の保護が認められるべき権利については、本条を根拠として憲法上保護された権利であると認められることがある。この権利を基にプライバシーの権利、肖像権環境権など色々な権利が導き出されるが、これらの権利は、比較的その権利性が重視されるようになったのが最近であることから、「新しい権利」と呼ばれるものが多い。(新しい人権参照)。
この新しい人権の中の1つに「日照権」がある。日本では法政大学法学部の五十嵐敬喜教授が提唱し定着させた。
「環境権」は、公害防止・環境保全の立場から主張され、健康や福祉を侵す要因にわざわいされず、安全で快適な生活環境を確保しようとする視点から出てきた権利である。
大気・水・海水・日照・通風・景観等我々をとりまく自然(環境)は、公害や開発によって破壊が進んだ今日、人が健康にして文化的な生活、つまり人間らしい生活をする上で欠くことのできない貴重な環境資源ともいうべきものとなってきた。それゆえ自然の環境資源は、すべての人の共有財産で、良い環境を享受する権利は国民すべてに与えられるべきであり、それは、憲法13条や第25条にいう、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」によって保障されているものであるということになるのであろう。
人が人として幸福追求の権利として、あるいは健康にして文化的な生活を営む権利を有することは当然であるが、昨今は「人権のインフレ化」という現象が懸念されてもいる。
この日照について面白い落語があるらしい。私は聞いたことがないので知らないが、2003(平成15)年6月になくなられた五代目春風亭柳昇作の新作落語「日照権」だそうだ。
”高層マンション建設の計画が浮上し町内会が開かれる。町会長が「日照権が侵害されます。」と説明して意見を尋ねるが、「どうせ私は夜勤なので、昼暗いほうがありがたい。」と自分勝手な事を言う者、「太陽が南から照るから日照権が起るのでしょ。どうです。太陽を北から照らせては。」と馬鹿馬鹿しい意見を言う者。「そんなら、こっちもマンション建てりゃあいいんですよ。丁度100万円あるんだから。」と無責任な者ばかりで話がまとまらない。魚屋が地主に抗議に言っても逆に丸め込まれ入居してしまい、弁が立つと見えた者は憲法や民事訴訟法など振りかざすがチンプンカンプンの意見でみんな呆れてしまう。”・・・といった話だそうで、1970~80年代にさかんに言われだした環境権をテーマとしている。
この落語にも出てくるように、日照権は太陽日照阻害つまり、簡単に言えば日陰がもたらす環境悪化現象である。日陰は、太陽の高度によって異なり、太陽の位置によって地上に投げかけられる陰の方向と長さは異なってくる。つまり、1日の間にどれだけの時間太陽の光を受けられるか、言い換えると1日に何時間日陰になるかという問題であるが、言い換えれば、太陽が高ければ、日陰は少ないし、太陽が低くなればなるほど影の長さは長くなってくる。これは、季節によっても、住んでいる地域によっても異なるものである。季節的には、冬至の日であり、太陰太陽暦では、冬至を含む月を11月と定義しているが一定しているわけではない。昭和40年代の建築基準法には、このような日陰に関するような取り決めがなかった。今でも、建築基準法では日照権を定めた記述はないようだが、「日影規制(建築基準法第56条の2:日影による高さの制限)」を設け、その建築物が周囲に生じさせる日影を一定時間以内に抑えるように規制を設けている。そこで、建物の高さ、形状と日影が最大となる冬至日の太陽の方位角と影の倍率(建築物の位置する緯度、経度により異なる)を要素に求めて作られた日影図(ひかげず、にちえいず)などが、建築に際の参考資料に加えられることになっているようだ。
我が家は、普通の一戸建て住宅であるが、前に住んでいた時の家は、鰻の寝床のように東西に長い家であった。しかも、南側が解放されていなかったので、普通は暗くなる家であるが、戦後に大工の棟梁が自分たちが住むために建てた家を買ったと親から聞いたが、よく出来ていて、東西の間に広く中庭を作り、表の玄関から中庭まで土足でそのまま行けるよう土間になっていた。中央のそこは、温室のように天上をガラス張りにしていたので明るかった。そこには、井戸もあり厨(台所)になっていた。玄関側の部屋からはそこを迂回して渡り廊下を通し奥の方の部屋に行くようになっていた。それだけの敷地が有ったから出来たことだが、本当に住みやすくつくられていた。また、今の家を私が新築したときには、まだ周りに家が建っておらず、しかも北側の道路が広く、日照権の問題となる北側斜線のことなどは考えずに、家を建てることができた。そして、周りに家が建っていなかったため、東西南北すべての部屋に隣近所の気兼ねをせず自由に大きな窓を付けられたので、明るいことこの上ない。小さな家では有るが、静かなところで、明るく、風通しの良い家を建てることが出来たのは、何より幸せと喜んでいる。しかし、なかなか、そのように自分の思うような立地で、住みよい家を作るのは、現実的にはなかなか難しい問題だよね。私などは、ついていたというか、非常に恵まれていたと思う。
(画像は、あるマンション。マンションの上層階などの北側が斜めにカットされているのは日照上の問題もある)
参考:
日照 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%85%A7
日本国憲法 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95
日本国憲法(条文)
http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM
主題別 判決一覧
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/hanrei-top.html#kouhukutsuikyu
春風亭柳昇とは
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BD%D5%C9%F7%C4%E2%CC%F8%BE%BA
横浜市 まちづくり調整局 建築・宅地指導センター 建築環境課 日影規制
http://www.city.yokohama.jp/me/machi/center/kankyo/shigaichi/56no2.html
天文セミナー第113 『朔旦冬至』『日照権』
http://www.saji.city.tottori.tottori.jp/saji103/tayori/tayori146/seminar.htm
一般的にはこう考えます(京都市HP)
http://www.city.kyoto.jp/tokei/sinsa/13_soudan/0-5-7.html
[PDF] 日影の科学
http://sylph.fbc.hc.keio.ac.jp/itp/pukiwiki/index.php?plugin=attach&refer=%A5%AB%A5%EA%A5%AD%A5%E5%A5%E9%A5%E0&openfile=%C6%FC%B1%C6%A4%CE%B2%CA%B3%D8%A3%B1.pdf

オリエンテーリングの日

2007-06-26 | 記念日
今日(6月26日)は「オリエンテーリングの日」だそうだ。
オリエンテーリングとは、地図コンパスをたよりにチェックポイントを順番にたどってゴールするまでの所要時間を競う野外スポーツの一種ある。日本ではしばしばOLと略されが、これは、オリエンテーリングの語源であるドイツ語の「Orienterungs Lauf(方向を定めて走る)」を略したものだそうである。
19世紀中頃にスカンジナビア軍事訓練の一つとして行われていたもの。競技スポーツとしてはノルウェーで始まり、Tjalve Sports Club主催によりオスロ近郊で開催された1897(明治30)年10月31日の大会が最初のものだそうである。この時のコースは現在の競技基準からすれば相当長いもので、19.5kmもあり、コントロール(コントロール標識参照)はたった3つだけ置かれたものであったという。最初の大規模なオリエンテーリング大会は1918(大正7)年にスエーデンストックホルム南部で、ボーイスカウト運動の指導者であるエルンスト・キランダーにより開催され220名が参加したという。
後に、単に軍事的な訓練から、青少年に陸上競技を学ばせる機会としてのスポーツに傾倒、キランダーはルールの制定とスポーツとしての位置付けの開発に腐心し、今日の北欧諸国では「オリエンテーリングの父」として広く知られているそうだ。その後、方位磁針の改良と共に、1930年代には一般への普及が進んだ。最初の国際大会は1932(昭和7)年にスウェーデンとノルウェーのオリエンティア(オリエンテーリング競技者)に集めて開催されたという。その後次第に広がり、第二次世界大戦後、オリエンテーリングはヨーロッパ、アジア、北米、オーストラリア、ニュージーランドに広がっていった。北米における最初のオリエンテーリング大会は1941(昭和16)年11月になってからのことである。
日本での初の大会は、1966(昭和41)年の今日、高尾山(東京都八王子市)で開催され、1969(昭和44)年、日本はIOF(国際オリエンテーリング連盟)に加盟し、オリエンテーリングを普及することになったそうだ。
オリエンテーリングで重要なのは、「走る競技」ということであり、レクリエーションのイメージではなく、クロスカントリー走のイメージで捉えた方が実際に近いという。クロスカントリーとの違いは、走るコースがすべて決められているわけではないところ。また1990年代以降、スキーや自転車によるオリエンテーリング(それぞれスキー・オリエンテーリング、MTBオリエンテーリングという)の普及も図られ、これらと区別するために、従来からのクロスカントリー走に基づくオリエンテーリングをフット・オリエンテーリング(Foot Orienteering)、フット-O(Foot-O)と呼称する場合もあるそうだ。
しかし、現在、日本で競技として楽しむ人(オリエンティア)の数は数千人、その多くが大学のサークルで始める人々というのが現状だそうである。
遠足等で広く一般に認知されている「徒歩オリエンテーリング」との関係であるが、日本におけるオリエンテーリング普及の歴史と関わりがある。OLが日本に輸入されたときに、国民体力づくり運動の一環としてレクリエーション手段としてのPRを強化し、1966 (昭和41)年に実施された日本での初の大会は、国民の健康・体力づくりのプログラムとして開発された「徒歩オリエンテーリング」実施規定によって実施された。その結果、オリエンテーリングの一種目としての「グループクラス」が一般に浸透してしまい、本来の競技スポーツとしての理解が得られにくくなった経緯があるようだ。また、日本でオリエンテーリングが行われる環境は人里近くの山野であり、多くの競技者が山に入った場合、ほかの野外活動以上に自然環境が荒廃する問題や競技者のマナーの問題から地権者や地域社会との関係が悪化する場合もある。地域社会の理解を得て良好な関係を継続して築いていくことが重要なことである。
私が現役時代にいた会社では、毎年春の新入社員のオリエンテーション時に、このオリエンテーリング的なことをやらせていた。オリエンテーションにオリエンテーリング、よく似た言葉であるが、元々「オリエント」は「東方」という意味であり、本来は「昇る太陽」という意味だったらしい。そこから、「基準となる方角」という意味が派生し、「地図とコンパスで正しい経路をたどる競技」=「オリエンテーリング」や、「新入者のための案内」=「オリエンテーション」となった。オリエンテーリングでは、オリエンテーション会場として借りた敷地内の自然の中に身をおき、グループで協力し合いながら一つの目標を達成してゆく過程において、「計画」から「実行」、そして、チームワーク、信頼関係、リーダーシップ、人に対する思いやり等々を学ばせている。
私的に言えば、若者の体力づくりを目的に、「走る競技」をするのもよいが、もともと、スポーツは余暇に身体を動かして楽しむものである。先に書いた説明では、OLが日本に輸入されたときにレクリエーション手段としてのPRを強化したため、「徒歩オリエンテーリング」になってしまったことが、何か、誤りのように聞こえるが、もともとのスポーツの趣旨からすれば、むしろ、「徒歩オリエンテーリング」の方が本来のスポーツに近いものと思う。スポーツと言うものに対して、日本では、野球でも何でも、楽しむことよりも体力づくりや競技での勝ち負けを競うことに主眼が置かれているように感じられる。ルールも難しいことを言わずに自由に出来る日本的な「徒歩オリエンテーリング」・・・誰にでも出来ていいものだと思う。
何でも、日本オリエンテーリング協会の以下参考に記載の「フィットネス・オリエンテーリング実施規程」を見ると、平成16年11月30日から、日本オリエンテーリング委員会が決めた従来の「徒歩オリエンテーリング」実施規定」は廃止され、「フィットネス・オリエンテーリング実施規程」がそれに、変わることとなったようだ。
私等のようなもう体力のないものには、なんだかかんだと難しいルールで行われるものよりも、気ままに出来る裏山登山や気ままな神戸の街をウオーキングしている方が健康には良さそうだ。
(画像は、コース上におかれたコントロール。 Wikipediaより)
オリエンテーリング - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0
東京都オリエンテーリング協会
http://www.orienteering.com/~tokyo/
社団法人 日本オリエンテーリング協会
http://www.orienteering.or.jp/
森を走ろう! - (オリエンテーリング情報サイト)
http://www.asobox.com/o/
クロスカントリー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC
高尾山公式ページへようこそ! 高尾登山電鉄株式会社 公式サイト
http://www.takaotozan.co.jp/
[PDF]フィットネス・オリエンテーリング実施規程・社団法人日本オリエンテーリング協会
http://www.orienteering.or.jp/newbb+download.url+on_%A5%D5%A5%A3%A5%C3%A5%C8%A5%CD%A5%B9%A3%CF%BC%C2%BB%DC%B5%AC%C4%F8__1126667205000.PDF