TBS系の時代劇「水戸黄門」に忍者役でレギュラー出演していた俳優の由美かおるさん(59歳)が、2010(平成22)年6月28日放送の第41部最終話(12話)への出演を最後に降板することになった。
水戸黄門の名は、水戸藩主・徳川光圀が、徳川御三家の一統である水戸藩の藩主であり、武家官位として権中納言を名乗っていたことから、「徳川光圀」と直言することを避けるために、藩名である「水戸」と、中納言の唐名である「黄門」をとって広く用いられていた別称である。実在の水戸藩主・光圀は、国史編纂(『大日本史』)のために史局員の儒学者らを日本各地へ派遣して史料蒐集を行っているが、光圀自身は世子時代の鎌倉遊歴と藩主時代の江戸と国元の往復や領内巡検をしている程度で、漫遊したという史実はないが、光圀は、同時代から名君と評され、庶民にもその知名度が高かったようで、光圀の伝記資料として残り、それらの伝記資料が黄門様の物語を生み出すことになり、そのような中から、彼が世直しのために日本各地を漫遊したという物語として発展していった。
「水戸黄門」の物語は、かっては、「水戸黄門漫遊記」とも呼ばれ、古くから講談・歌舞伎・演劇・小説で取り上げられ、それが映画・テレビドラマ化されてきた。日本でも映画製作が始まると時代劇映画の定番として尾上松之助をはじめとして数々のスターたちによって演じられてきたが、中でも、東映映画の月形龍之介主演によるシリーズ物が興行的に大成功。水戸黄門と言えば、月形龍之介の名が出てくるほどに彼の黄門様役が有名になった。時代劇大好き人間の私など新作映画の封切りを待ちかねて見に行ったものだ。
テレビ時代になると、TBSがやはり月形を主演にブラザー劇場にてテレビドラマ化し、さらに月形と同様に悪役が多かった東野英治郎を主演に起用したナショナル劇場(現・パナソニック ドラマシアター)シリーズ『水戸黄門』が、1969(昭和44)年8月4日から放送を開始した。
同シリーズの水戸黄門役は、初代・東野英治郎が1969年8月4日-1983年4月11日の間に第1部-13部、381回を演じた。月形の水戸黄門があまりにもはまり役であり、イメージが強かったので、東野の黄門様に最初は違和感を覚えたが、流石にベテラン俳優であり、その役を自分のものにしていった。
その後、2代目、西村晃(14部-21部。1983年10月31日-1992年11月9日、 283回)、3代目 ・佐野浅夫(22部-28部。1993年5月17日-2000年11月20日 246回)、4代目・石坂浩二(29部-30部。2001年4月2日-2002年7月1日 50回) 、そして、5代目・里見浩太朗(31部-40部。2002年10月14日- 212回(2009年12月21日)と続いてきた当シリーズは実に40年に及ぶ長寿番組であった。そして、里見の41部(全12話)が4月12日から始まり、その最終回(第12話)が6月28日の今日終了したわけだ。
時代劇映画が大好きな私は、月形主演の映画・テレビは勿論、ナショナル劇場のシリーズ物も最初から、特別なことがない限り殆ど見てきた。
水戸黄門のストーリーは、水戸黄門が家臣の佐々木助三郎(助さん)、渥美格之進(格さん)らとともに諸国漫遊の旅先で世直しをする。後半、助さん格さんが悪党どもをやっつけた後、ころあいを見計らって「静まれ、静まれぃ! この紋所が目に入らぬか!」と葵の御紋の印籠を掲げて「こちらに居わす御方をどなたと心得る! 畏れ多くも前(さき)の副将軍・水戸光圀公にあらせられるぞ! 一同、御老公の御前である、頭が高い! 控え居ろう!」と一喝、悪人一味が土下座して平伏するという決まりきった「勧善懲悪」もののワンパターン物語。それに、ナショナル劇場のシリーズでは、元義賊である伊賀忍者風車の弥七が旅に出る一行に付かず離れず行動し、後方支援をするようになり、由美かおる演じる女忍者も加わるようになった。ワンパターンなドラマが、この2人の役どころが加わって、それなりの見せ場を作り、人気を維持してきたと言えるだろう。
由美かおるが、レギュラーとして女忍者(くノ一)の「かげろうお銀」とし初登場したのは2代目西村黄門による1986(昭和61)年のシリーズ第16部(1986年4月28日 - 1987年1月19日)で、“初入浴”はその第1話だった。その色っぽい入浴シーンが人気を呼び番組名物として恒例化した。
しかし、これより以前に、東野と由美が入浴シーンで共演するシーンがあった。それは、第6部第2話(1975年4月7日放映)であるが、この時点での由美は町娘役での出演でレギュラーではなかったが、事実上は、これが、本作での由美の入浴シーン初登場である。由美、まだ、24歳初々しいね~。以下で見られる。
YouTube - 水戸黄門 入浴 第6部第2回 由美かおる
http://www.youtube.com/watch?v=cjqWE22KHdU&feature=related
初代東野の後、2代目西村、3代目佐野とそれなりに個性を生かした黄門役を演じお茶の間を沸かせてきたが、この『水戸黄門』も佐野の28部が終わった2000(平成12)年11月20日時点で既に、31年間、910回も放送されている。この従来型のイメージの出来上がった『水戸黄門』に親味を加えたかったのであろう、21世紀を迎えての2001年4月2日からの29部では、レギュラーが刷新され、4代目黄門役も今まで演じてきた役者のタイプとは違った現代的・インテリの石坂浩二を選び、史実にのっとりながら、水戸光圀の人物像に迫ろうと図った。黄門役に石坂が登用されたことに伴い助さん格さん他キャストがほぼ総入れ替えとなったが、唯一由美かおるだけは役名を「疾風のお絹」(かげろうお銀参照)と変更して残った。お娟は伊賀忍でなく風魔一門の山賊に育てられた女風魔の頭領で、くノ一3名を配下とする。第29部ではお銀のイメージを払拭するためか男物の忍装束を身に付ける事や普段から男言葉を使っており、お銀のようにくの一として、色仕掛けを用いた諜報活動をすることも稀であったが、視聴者の評判が芳しくなかったためか第30部ではお銀に近い忍装束に戻り、入浴シーンを始めとする色仕掛けを用いた諜報活動の機会も再び増加した。黄門さんもトレードマークの白髭がなくなっていたが、これも、違和感があるとして論争が起こったようであり、最終回の終盤シーンからは髭をつけるようになった。
兎に角、典型的な娯楽番組として、多くの人達に焼きついているイメージの『水戸黄門』を、歴史的文学作品のように、変に史実に近い形でドラマを作ろうとしたこと事態に無理があったのではないか。娯楽作品なら娯楽作品らしく変に難しくしない方が良いだろう。非常に中途半端な作品で、面白くなく、私も途中からは見なくなってしまった。
2002(平成14)年10月14日からの第31部では、又、由美かおるの「疾風のお絹」以外のキャストを一新し、今度は時代劇の大物俳優・里見浩太朗が黄門役を演じ現在に至っている。しかし、今度は、お供の助さん格さんが如何にも貧相。第38部(2007年放映)以降では、お銀の頃には余り見られなかった他のゲスト出演者と共に入浴するシーンも増えており、これまでに磯山さやか・山口あゆみ、安達祐実らがお娟と共に入浴している。以下が、その安達との入浴シーンである。
YouTube - 入浴(由美かおる・安達祐実)
http://www.youtube.com/watch?v=tSmwj65kZm4
前作の第40部第14話(2009年11月9日放映)で由美は、レギュラー出演700回と同時に入浴シーン200回を数えた。
今年の第41回放送が開始される前の4月5日、TBSで記者会見をした由美さんは第41部への出演を最後に降板をすることを発表後、「人生たった1回きり。違うこともやってみたい」と笑顔で語っていたが、1つのドラマシリーズで、同一人物が入浴シーンを200回以上演じることは極めて異例である。石坂黄門様以降以降、時代劇好きの私も最近のテレビ時代劇は、俳優らしい俳優も少なく、何か学校の学芸会を見ているようなものが多いので、見ることは少なくなった。由美の入浴シーンが、あるとかないとかではなく正直、第41部にはいってからは、全く見ていないが、第41部(全12話)の最終話となる今日の番組だけは見ておこうと思っている。
今年11月に還暦を迎えるという彼女が、スリーサイズ86-58-86センチの抜群のプロポーションを、15歳のデビュー当時からほぼ変わらず維持してきて、お色気たっぷりの入浴シーンで、お茶の間の男性視聴者を四半世紀も楽しませてきたというのは驚くべきことであるが、幾ら、若々しさを保っているとはいっても、由美自身、若い頃の自分と今の自分では、肌の色艶など衰えを感じていないわけではないであろうし、そんな自分が番組の人気維持のために、何時までも若い女性と一緒に混浴したりしながら入浴シーンを撮り続けることには耐え切れなくなっていたであろうと同情している。
2008(平成20)年10月13日から始まった第39部第2話(10月20日放送)の『水戸黄門』の平均視聴率が9,7%(関東地区)と、1969(昭和44)年のスタート以来、初の1ケタになったことがビデオリサーチの調べで分かったと以前に報じられていた。今までの『水戸黄門』は2クール(24話)以上が当たり前であったが、41部は1クール(12話)のみで終わった。これも時代の流れであり視聴率などの影響もあってのことだろう。秋から始まる第42部は当初、代役は置かない予定だったそうだが、グラビアから女優業へシフトした雛形あきこが風車の弥七の知り合いの女の娘であるという設定の「楓」役でレギュラー出演することが決定しているらしい。彼女が由美と同じように入浴シーンを撮るのかどうかは知らないが、もうマンネリ化したこのドラマを彼女の入浴シーンなど見たさにテレビを見るほど、私は彼女のファンでもないし、もうそんな年でもない(^0^)。好きにやって・・といった感じ。
私自身は、中学生の時から「西野バレエ団」に入団し、本格的なダンスを修得し、以後、抜群のプロポーションと愛らしい風貌で人気を集め、1967(昭和42)年、音楽番組『レ・ガールズ』(日本テレビ)で、金井克子や奈美悦子らと共演し、ミニスカート姿で歌って踊るシーンで話題を呼んだ頃からの由美ファンであった。だから、彼女が何時までも入浴シーンを撮り続けることは望んでいなかったので本当に良い潮時と思っている。本当に今までご苦労さんでしたと言いたい。
これからは、彼女の得意のダンスや歌で魅了してくれると良いなと思っている。ぴちぴちした昔の彼女の姿が懐かしいので、今一度見てみようっと・・・。以下は16歳当時の彼女である。
YouTube -レ・ガールズ
http://www.youtube.com/watch?v=fUmhJpBl1-E&feature=related
(画像は、入浴シーンの由美かおる。2010年4月6日朝日新聞掲載写真より)
参考:
由美かおる - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B1%E7%BE%8E%E3%81%8B%E3%81%8A%E3%82%8B
由美かおる - プロフィール - Yahoo!人物名鑑
http://talent.yahoo.co.jp/pf/detail/pp16413
TBS「水戸黄門
http://www.tbs.co.jp/program/mito.html
雛形あきこ 水戸黄門に雛ポーツの入浴?助格はカツラ&スイーツ?
http://moresens.net/fun/2010/05/post-812.html
asahi.com(朝日新聞社):「水戸黄門」39年目で初の1ケタ視聴率
http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK200810220018.html
水戸黄門の名は、水戸藩主・徳川光圀が、徳川御三家の一統である水戸藩の藩主であり、武家官位として権中納言を名乗っていたことから、「徳川光圀」と直言することを避けるために、藩名である「水戸」と、中納言の唐名である「黄門」をとって広く用いられていた別称である。実在の水戸藩主・光圀は、国史編纂(『大日本史』)のために史局員の儒学者らを日本各地へ派遣して史料蒐集を行っているが、光圀自身は世子時代の鎌倉遊歴と藩主時代の江戸と国元の往復や領内巡検をしている程度で、漫遊したという史実はないが、光圀は、同時代から名君と評され、庶民にもその知名度が高かったようで、光圀の伝記資料として残り、それらの伝記資料が黄門様の物語を生み出すことになり、そのような中から、彼が世直しのために日本各地を漫遊したという物語として発展していった。
「水戸黄門」の物語は、かっては、「水戸黄門漫遊記」とも呼ばれ、古くから講談・歌舞伎・演劇・小説で取り上げられ、それが映画・テレビドラマ化されてきた。日本でも映画製作が始まると時代劇映画の定番として尾上松之助をはじめとして数々のスターたちによって演じられてきたが、中でも、東映映画の月形龍之介主演によるシリーズ物が興行的に大成功。水戸黄門と言えば、月形龍之介の名が出てくるほどに彼の黄門様役が有名になった。時代劇大好き人間の私など新作映画の封切りを待ちかねて見に行ったものだ。
テレビ時代になると、TBSがやはり月形を主演にブラザー劇場にてテレビドラマ化し、さらに月形と同様に悪役が多かった東野英治郎を主演に起用したナショナル劇場(現・パナソニック ドラマシアター)シリーズ『水戸黄門』が、1969(昭和44)年8月4日から放送を開始した。
同シリーズの水戸黄門役は、初代・東野英治郎が1969年8月4日-1983年4月11日の間に第1部-13部、381回を演じた。月形の水戸黄門があまりにもはまり役であり、イメージが強かったので、東野の黄門様に最初は違和感を覚えたが、流石にベテラン俳優であり、その役を自分のものにしていった。
その後、2代目、西村晃(14部-21部。1983年10月31日-1992年11月9日、 283回)、3代目 ・佐野浅夫(22部-28部。1993年5月17日-2000年11月20日 246回)、4代目・石坂浩二(29部-30部。2001年4月2日-2002年7月1日 50回) 、そして、5代目・里見浩太朗(31部-40部。2002年10月14日- 212回(2009年12月21日)と続いてきた当シリーズは実に40年に及ぶ長寿番組であった。そして、里見の41部(全12話)が4月12日から始まり、その最終回(第12話)が6月28日の今日終了したわけだ。
時代劇映画が大好きな私は、月形主演の映画・テレビは勿論、ナショナル劇場のシリーズ物も最初から、特別なことがない限り殆ど見てきた。
水戸黄門のストーリーは、水戸黄門が家臣の佐々木助三郎(助さん)、渥美格之進(格さん)らとともに諸国漫遊の旅先で世直しをする。後半、助さん格さんが悪党どもをやっつけた後、ころあいを見計らって「静まれ、静まれぃ! この紋所が目に入らぬか!」と葵の御紋の印籠を掲げて「こちらに居わす御方をどなたと心得る! 畏れ多くも前(さき)の副将軍・水戸光圀公にあらせられるぞ! 一同、御老公の御前である、頭が高い! 控え居ろう!」と一喝、悪人一味が土下座して平伏するという決まりきった「勧善懲悪」もののワンパターン物語。それに、ナショナル劇場のシリーズでは、元義賊である伊賀忍者風車の弥七が旅に出る一行に付かず離れず行動し、後方支援をするようになり、由美かおる演じる女忍者も加わるようになった。ワンパターンなドラマが、この2人の役どころが加わって、それなりの見せ場を作り、人気を維持してきたと言えるだろう。
由美かおるが、レギュラーとして女忍者(くノ一)の「かげろうお銀」とし初登場したのは2代目西村黄門による1986(昭和61)年のシリーズ第16部(1986年4月28日 - 1987年1月19日)で、“初入浴”はその第1話だった。その色っぽい入浴シーンが人気を呼び番組名物として恒例化した。
しかし、これより以前に、東野と由美が入浴シーンで共演するシーンがあった。それは、第6部第2話(1975年4月7日放映)であるが、この時点での由美は町娘役での出演でレギュラーではなかったが、事実上は、これが、本作での由美の入浴シーン初登場である。由美、まだ、24歳初々しいね~。以下で見られる。
YouTube - 水戸黄門 入浴 第6部第2回 由美かおる
http://www.youtube.com/watch?v=cjqWE22KHdU&feature=related
初代東野の後、2代目西村、3代目佐野とそれなりに個性を生かした黄門役を演じお茶の間を沸かせてきたが、この『水戸黄門』も佐野の28部が終わった2000(平成12)年11月20日時点で既に、31年間、910回も放送されている。この従来型のイメージの出来上がった『水戸黄門』に親味を加えたかったのであろう、21世紀を迎えての2001年4月2日からの29部では、レギュラーが刷新され、4代目黄門役も今まで演じてきた役者のタイプとは違った現代的・インテリの石坂浩二を選び、史実にのっとりながら、水戸光圀の人物像に迫ろうと図った。黄門役に石坂が登用されたことに伴い助さん格さん他キャストがほぼ総入れ替えとなったが、唯一由美かおるだけは役名を「疾風のお絹」(かげろうお銀参照)と変更して残った。お娟は伊賀忍でなく風魔一門の山賊に育てられた女風魔の頭領で、くノ一3名を配下とする。第29部ではお銀のイメージを払拭するためか男物の忍装束を身に付ける事や普段から男言葉を使っており、お銀のようにくの一として、色仕掛けを用いた諜報活動をすることも稀であったが、視聴者の評判が芳しくなかったためか第30部ではお銀に近い忍装束に戻り、入浴シーンを始めとする色仕掛けを用いた諜報活動の機会も再び増加した。黄門さんもトレードマークの白髭がなくなっていたが、これも、違和感があるとして論争が起こったようであり、最終回の終盤シーンからは髭をつけるようになった。
兎に角、典型的な娯楽番組として、多くの人達に焼きついているイメージの『水戸黄門』を、歴史的文学作品のように、変に史実に近い形でドラマを作ろうとしたこと事態に無理があったのではないか。娯楽作品なら娯楽作品らしく変に難しくしない方が良いだろう。非常に中途半端な作品で、面白くなく、私も途中からは見なくなってしまった。
2002(平成14)年10月14日からの第31部では、又、由美かおるの「疾風のお絹」以外のキャストを一新し、今度は時代劇の大物俳優・里見浩太朗が黄門役を演じ現在に至っている。しかし、今度は、お供の助さん格さんが如何にも貧相。第38部(2007年放映)以降では、お銀の頃には余り見られなかった他のゲスト出演者と共に入浴するシーンも増えており、これまでに磯山さやか・山口あゆみ、安達祐実らがお娟と共に入浴している。以下が、その安達との入浴シーンである。
YouTube - 入浴(由美かおる・安達祐実)
http://www.youtube.com/watch?v=tSmwj65kZm4
前作の第40部第14話(2009年11月9日放映)で由美は、レギュラー出演700回と同時に入浴シーン200回を数えた。
今年の第41回放送が開始される前の4月5日、TBSで記者会見をした由美さんは第41部への出演を最後に降板をすることを発表後、「人生たった1回きり。違うこともやってみたい」と笑顔で語っていたが、1つのドラマシリーズで、同一人物が入浴シーンを200回以上演じることは極めて異例である。石坂黄門様以降以降、時代劇好きの私も最近のテレビ時代劇は、俳優らしい俳優も少なく、何か学校の学芸会を見ているようなものが多いので、見ることは少なくなった。由美の入浴シーンが、あるとかないとかではなく正直、第41部にはいってからは、全く見ていないが、第41部(全12話)の最終話となる今日の番組だけは見ておこうと思っている。
今年11月に還暦を迎えるという彼女が、スリーサイズ86-58-86センチの抜群のプロポーションを、15歳のデビュー当時からほぼ変わらず維持してきて、お色気たっぷりの入浴シーンで、お茶の間の男性視聴者を四半世紀も楽しませてきたというのは驚くべきことであるが、幾ら、若々しさを保っているとはいっても、由美自身、若い頃の自分と今の自分では、肌の色艶など衰えを感じていないわけではないであろうし、そんな自分が番組の人気維持のために、何時までも若い女性と一緒に混浴したりしながら入浴シーンを撮り続けることには耐え切れなくなっていたであろうと同情している。
2008(平成20)年10月13日から始まった第39部第2話(10月20日放送)の『水戸黄門』の平均視聴率が9,7%(関東地区)と、1969(昭和44)年のスタート以来、初の1ケタになったことがビデオリサーチの調べで分かったと以前に報じられていた。今までの『水戸黄門』は2クール(24話)以上が当たり前であったが、41部は1クール(12話)のみで終わった。これも時代の流れであり視聴率などの影響もあってのことだろう。秋から始まる第42部は当初、代役は置かない予定だったそうだが、グラビアから女優業へシフトした雛形あきこが風車の弥七の知り合いの女の娘であるという設定の「楓」役でレギュラー出演することが決定しているらしい。彼女が由美と同じように入浴シーンを撮るのかどうかは知らないが、もうマンネリ化したこのドラマを彼女の入浴シーンなど見たさにテレビを見るほど、私は彼女のファンでもないし、もうそんな年でもない(^0^)。好きにやって・・といった感じ。
私自身は、中学生の時から「西野バレエ団」に入団し、本格的なダンスを修得し、以後、抜群のプロポーションと愛らしい風貌で人気を集め、1967(昭和42)年、音楽番組『レ・ガールズ』(日本テレビ)で、金井克子や奈美悦子らと共演し、ミニスカート姿で歌って踊るシーンで話題を呼んだ頃からの由美ファンであった。だから、彼女が何時までも入浴シーンを撮り続けることは望んでいなかったので本当に良い潮時と思っている。本当に今までご苦労さんでしたと言いたい。
これからは、彼女の得意のダンスや歌で魅了してくれると良いなと思っている。ぴちぴちした昔の彼女の姿が懐かしいので、今一度見てみようっと・・・。以下は16歳当時の彼女である。
YouTube -レ・ガールズ
http://www.youtube.com/watch?v=fUmhJpBl1-E&feature=related
(画像は、入浴シーンの由美かおる。2010年4月6日朝日新聞掲載写真より)
参考:
由美かおる - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B1%E7%BE%8E%E3%81%8B%E3%81%8A%E3%82%8B
由美かおる - プロフィール - Yahoo!人物名鑑
http://talent.yahoo.co.jp/pf/detail/pp16413
TBS「水戸黄門
http://www.tbs.co.jp/program/mito.html
雛形あきこ 水戸黄門に雛ポーツの入浴?助格はカツラ&スイーツ?
http://moresens.net/fun/2010/05/post-812.html
asahi.com(朝日新聞社):「水戸黄門」39年目で初の1ケタ視聴率
http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK200810220018.html