沖ノ鳥島(おきのとりしま)は、北緯20度25分、東経136度05分に位置し、東京から約1,700km、小笠原諸島父島からでも約900km離れた我が国最南端の島である。
太平洋の絶海に孤立して形成された約東西5 km、南北1.8kmほどのサンゴ礁で出来た島(環礁)で、海面上に姿を見せるのは東小島(かっては東露岩と呼ばれていた)と北小島(北露岩と呼ばれていた)の2つの島(岩の様、ともに干潮時、高さ約1,5m)だけ。1987(昭和62)年9月、海上保安庁が行った調査では、2つの島は浸食が激しく、満潮時にはわずか70センチほどが海面上に姿を現すのみであることがわかった。このままでは、この2つの島が侵食により、水没して領土ではなくなってしまう恐れがあった。島が消滅すると200カイリ(海里)漁業水域(排他的経済水域(EEZ)参照)などの広大な経済水域が失われてしまうため、時の政府は、同年11月26日、海岸災害復旧事業の名目で、コンクリートによる「領土保全工事」を行なうことに決定した。冒頭向かって左の画像は、1987(昭和62)年9月21日に撮影した干潮時の沖の鳥島北露岩。そして、建設省(現:国土交通省)が翌1988(昭和63)年5月より、岩の周りを鉄製消波ブロックで2重に囲み、その中を特殊コンクリートで固める緊急対策工事を実施し、10月末までにほぼ完了した。それが冒頭右の画像:出来上がった目玉焼きのように見えるコンクリートの領土であり、これは同年9月4日撮影のものである(画像はいずれも、アサヒクロニクル「週間20世紀」1987年号、1988年号より借用)。
日本では小笠原諸島の一部として、東京都小笠原村に属し、住所は郵便番号「100-2100」、東京都小笠原村沖ノ鳥島1番地(北小島)及び、2番地(東小島)となっている。
しかしながら、施工後約10年が経過し、厳しい自然条件のもと護岸の破損などの劣化が急速に進行。東京都だけでは保守費用を負担しきれないことから、1999(平成11)年度以降は島の保全に万全を期するため、海岸法を改正し、全額国費により国土交通省(当時建設省)が直接海岸の維持管理を行うことになった。
現在では北小島と東小島の2つのみであるが、第二次世界大戦の前の調査では北小島を含め6つの島があったようだが、この島が何時日本の領土となったかについて、以下参考に記載の※1の国土交通省HP:「沖の鳥島の保全」によれば、「第一次大戦後の1931(昭和6)年南洋群島・委任統治とともに日本領となる。」・・とある。この時、初めてこの島が日本の領土となり、それまでパレセヴェラあるいはダグラス礁と呼ばれていたこの珊瑚礁が、内務省告示第163号により初めて沖ノ鳥島と命名された由。
又、国土交通省HPには1939(昭和14)年から1941(昭和16)年までに気象観測所並びに灯台の建設工事を行い、前後7回に分けて基台ブロック工事を行なう。・・とあるが、これは、第一次大戦の緊迫した国際情勢の中、水上航空基地や対空監視哨など軍事施設の建設が主目的であったようである(以下参考に記載の※2、※3を参照)。実際に沖の鳥島には太平洋戦争時の米空軍の攻撃跡があるそうだ。
第二次世界大戦後沖ノ鳥島は「サンフランシスコ平和条約」により、アメリカの統治下にあったが、1964(昭和39)年に日本はアメリカと小笠原返還協定を締結。1968(昭和43 )年に小笠原と共に返還された。
海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約)による海洋(海)は自由航行の認められた公海と、領海(12海里〔一部3海里〕)、接続海域(領海から12海里以内の排他的経済水域内)、排他的経済水域(EEZ)の4つに分けられている。排他的経済水域(EEZ。以後EEZとする)とは、国連海洋法条約に基づいて設定される経済的な主権がおよぶ水域を指し、沿岸国は国連海洋法条約に基づいた国内法を制定することで自国の沿岸から200海里(約370km<1海里=1,852m>)の範囲内の水産資源および鉱物資源などの非生物資源の探査と開発に関する権利を得られる。
先にも述べたように、沖ノ鳥島は、我が国の国土面積(約38万km²)を上回る約40万km²のEEZを有する国土保全上きわめて重要な島であるが、この沖ノ鳥島が「島」といえるかどうか・・・?
国連海洋法条約では、「島とは自然に形成された陸地であり、水に囲まれ、満潮時においても水面上にあるものをいう」(第121条第1項)と規定されており、この定義に従えば、あくまで満潮時でも水面上に出ている部分がごくわずかでもあるのだから、沖ノ鳥島はれっきとした「島」ということになる。日本政府はこの国際法を根拠に沖ノ鳥島は「島」であるとして、島を中心にした半径200海里について「EEZ」と設定している。
しかし、この日本のEEZ設定に対して、2001(平成13)年頃から水域内で中国の海洋調査船が調査をしていることが判明。日本の抗議に対し中国側は「沖ノ鳥島は島ではなく岩だ」として、日本のEEZの設定を認めない姿勢をとっているようだ。こうした動きもあって、東京都は沖ノ鳥島での経済活動を実践するため、深層水と表層水の温度差を利用した発電の実験や漁業活動の計画を公表し、2005(平成17)年5月20日には「東京都小笠原村沖ノ鳥島1番地」と記したチタン製の看板を設置。経済活動実証のために同年8月に建設が決まった灯台の運用を開始しているという(以下参考に記載の※4:「日本財団」のここ)参照。)ただ、この「島」とする主張には、若干苦しい言い訳の面もあり、今後の火種になることが心配はされる(その理由等は以下参考に記載の※3のここ、又、※5などを参照)。
我が国は、四方を海に囲まれた海洋国家であり、古来より、豊かな海の幸を始めとして、人や物の往来など、海の恵みを享受しながら発展してきた。資源の乏しい我が国にとって、海は海上交易により多くの富をもたらす場でもあるだけでなく、海は国民の重要な食料である水産物を安定的に供給する場であり、今後、海底に眠る鉱物などの海洋資源に対する大きな期待もある。
日本の領土面積は約38万km²で、世界第61位に過ぎないが、日本の領海(領土から約22kmは約43万平方km)、EEZ(同約370km)は約405万平方km。領海とEEZの合計は世界第6位の広さを誇っている。しかし、このEEZの設定に関して、複数国家の水域が重複する地域を中心として国家間の対立が発生しており、海洋国家日本にとっては、沿岸域を含む「領海」ならびに「EEZ」とEEZの外側に国連海洋法条約の許す範囲で拡張が可能な「大陸棚」等の海洋管理は、国策としての最重要課題の1つである。
海洋管理のうえで重要な役割を果たすのが、わが国の領土であってEEZの起点を構成する遠隔離島の存在である。とりわけ、領有権問題を抱える北方四島(歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉島=北方領土)、竹島、尖閣諸島、東シナ海と太平洋の境界に位置する南西諸島(北から南へ、大隅諸島、トカラ列島、奄美群島、沖縄諸島、宮古列島、八重山列島、尖閣諸島と連なる。)、太平洋のはるか沖合に点在する大東諸島、小笠原諸島・沖ノ鳥島・南鳥島の存在が大きい。これら日本の領海がどのようになっているか地図で確認した人は少ないのではないかと思うが、その概略図を以下で見てください。遠隔地にある離島の重要性が改めて理解できるのではないだろうか。
日本の島へ行こう《日本の領海》 こちら参照 ⇒ http://imagic.qee.jp/eez.html
これらの遠隔離島は、基本的に行政区画としてはそれぞれ地方自治体のもとにあり、前述の領土、領海ならびに沿岸域管理の関係がでてくる。しかし、EEZならびに大陸棚の管理の上では、その周辺360度がEEZおよび大陸棚を構成するという特異な条件下にあるので、これら遠隔離島およびその周辺のEEZおよび大陸棚は、都道府県ではなく国が管理すべき性質のものであろう。事実、沖ノ鳥島については、海岸法の改正により海岸の直轄管理制度が導入されている。
EEZの場合は、領海の基線から200海里までの海洋空間、すなわち海面・海中・海底ならびに海底下のすべてが管理の対象範囲であり、EEZの範囲内にある生物資源、海底鉱物資源やエネルギーなどの非生物資源のすべて、現在利用されているものはもちろん将来利用されることになるものや、科学的調査活動を含むこれらの空間・領域の利用そのもの全てが管理の対象である。ただし、船舶航行の自由や上空飛行の自由などが適用され、「公海」と同様の法的地位をも併せ持った性格を有する海域である。
これらを管理するのは国にしか出来ない。
このような広大な日本の海の海上の安全および治安の確保を図ることを任務としているのが国土交通省の外局である海上保安庁である。この海上保安庁は海上保安庁法第25条により、軍隊ではない事が規定されている。世界的に見た場合、一般的に主権を行使できる国境警備隊・沿岸警備隊は「準軍事組織」と認知されているため、海外の報道や資料では海上保安庁を「準軍事組織」として扱っている場合もあるらしいが、巡視船などに海上自衛官を同乗させることはほとんどなく、日本の法律もそれを定めていない。
竹島の場合、1952(昭和27)年に大韓民国大統領李承晩が自国の支配下にあると一方的に宣言し占領。現在も韓国側が武力によって占有している.。以来、韓国は現在も、軍に準ずる装備を持つ韓国の武装警察官(独島警備隊)約40名を常駐させているが、武力による占拠に加え、この島に守備隊を常駐させ日本側の接近を警戒している。そのため、日本の海上保安庁の船舶や漁船はこの島の領海内には入れない状態が続いており、日本政府の再三の抗議にもかかわらず、灯台、ヘリポート、船舶の接岸場などを設置、島の断崖絶壁には宿泊施設を建設し、実効支配をしているようだ。
今年・2010(平成22)年9月7日、中国漁船が日本の領海である沖縄県尖閣諸島付近で操業し、その後日本の海上保安庁の巡視船に衝突してきた事件いわゆる「尖閣諸島中国漁船衝突事件」と、海上保安庁がこのときの様子をビデオに撮影したものがインターネットのYouTubeに流れ今、マスコミを騒がせている。
そもそも、ことの発端は、領海を侵犯した中国の漁船が停船命令を無視し、逃げるどころか海上保安庁の巡視船に体当たりしてきた。海上保安庁は8日にこの中国漁船を停船させ、同漁船の船長を公務執行妨害で逮捕。この船の船長は、外国人漁業規制法違反等の容疑で石垣島へ連行された。船長を除く船員も同漁船にて石垣港へ回航、事情聴取が行われた。
そして、船長らを日本の法に基づいて粛々と裁けばよいのに、中国政府の「釣魚島(尖閣諸島)は中国固有の領土」であるという根拠を元に、事件発生の日から5回にわたって北京駐在の丹羽宇一郎大使を呼び出し、日本側の措置に強硬に抗議、船長・船員の即時釈放を要求してきた。これに屈したかのように、船員14人は13日釈放。那覇地方検察庁鈴木亨・次席検事は船長の行為に計画性が認められないとし、また日中関係を考慮したとして、1人残っていた中国人船長をも処分保留で釈放すると突如発表。本決定を仙石由人官房長官が容認し、25日未明、中国側が用意したチャーター機で、中国人船長は石垣空港から中国へと送還された。中国に到着した船長は畿内より降り立つときVサインをし、英雄の如く迎え入れられている姿をテレビで見たときには、日本人として情けなくて見ていられなかった 。
この取調べ途中に日中関係を考慮するなどとして、政治的配慮から中国人船長を釈放するなどと言ったことをする権限は検察庁に無く、検察庁の者が自分の意思であのような発言をして船長を釈放などするわけは常識的にないだろうから、これは恐らく仙石官房長官など政府からの圧力によるものだろうということは見え透いている。
日本の海上の安全と治安を命を懸けて守っている海上保安庁など現場の多くの者は、はらわたが煮えくり返るほど憤り、悔しい思いをしたことだろう。それは、我々日本国民の多くもも同様である。
そんな民主党菅政権の弱腰外交を見透かしたように、2010(平成22)年 11月1日、ロシア連邦のメドヴェージェフ大統領が、北方領土の国後島を訪問し、「ロシアの領土を訪問」しただけだと発言している。
こんなことで、日本の国、領土が守れるのか・・・。野党マスコミなどからも海上保安庁が中国漁船が追突してきた時の一部始終を撮った証拠のビデオを公開せよとの求めにも何故か頑として応じなかった民主党左派政府であるが、11月に入ると予算委員会所属の一部の議員に対してのみ那覇地検によって数分間に編集されたものが限定公開された。
しかし、その後、ユーチューブ上に海上保安庁が撮影したと思われる44分間にわたる動画が何者かによって公開された(ビデオの公開)。
インターネット動画サイト・YouTube への投稿者名「SENGOKU38」のSENGOKUは仙石38はサンパ-中国でアホと云う意味だそうだ。ビデオの内容は以下で見ることが出来る。
YouTube-尖閣諸島中国漁船衝突事件 流出ビデオ コピー転載 1/6
http://www.youtube.com/watch?v=7t1Z7CuFWxI
このビデオの公開後、我地元神戸にある第5管区海上保安本部所属の男性海上保安官が自分が投稿したと名乗り出てきた。この保安官に対しては、内部情報を外部に流出した公務員としての規律上の責任問題は別として、日本国民が知りたいと思ったビデオを見ることが出来るようにしてくれたことに対して、「よくやった」とする意見が多い。
しかし、もし、これが機密文書であればこれが簡単に流出してしまう管理体制はまったくの杜撰と言うほか無く、所管の大臣の責任は当然追及されるべきだろう。それに、日本人として国を守らないといけないとの気持ちが少しでもあるなら今のなんとも頼りない菅政権は、1日でも早く政権交代をしてもらわないと、日本の島が、そして、領土が守れなくなってしまうだろう。それが、一番の心配事である。
兎に角、今、日本は、島・領土を守るために、早急に、国防問題を考えなおさなければならない時期に来ている。
(冒頭の画像向かって左は、1987年9月21日に撮影した干潮時の沖の鳥島北露岩。右は、コンクリートで固める緊急対策工事を実施した後の翌年9月4日撮影のものである。いずれもアサヒクロニクル「週間20世紀」より借用)
※1:国土交通省HP:沖の鳥島の保全(国土交通省HP)
http://www.mlit.go.jp/river/pamphlet_jirei/kaigan/gaiyou/panf/okinotori/index.html
※2:沖の鳥島問題
http://www.tanaka-kunitaka.net/okino-torishima/
※3:幻想諸島航海記/[特別篇]沖ノ鳥島の謎
http://homepage3.nifty.com/boumurou/island/sp01/
※4:日本財団
http://www.nippon-foundation.or.jp/ships/topics_dtl/2007956/20079561.html
※5:領有権問題の地域における戸籍・住民票登録等に関する質問主意書と答弁書
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/ryouyuukennsitumonn.htm
小笠原諸島地名事典 Place Names
http://homepage1.nifty.com/Bonin-Islands/sakusaku/4_1.htm
沖ノ鳥島 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E3%83%8E%E9%B3%A5%E5%B3%B6
国土交通省関東地方整備局・京浜河川事務所|ホームページ
http://www.ktr.mlit.go.jp/keihin/
海岸保全区域の指定(東京都知事)
http://www.tanaka-kunitaka.net/okino-torishima/3news.html
海上保安庁HP
http://www.kaiho.mlit.go.jp/
九州・パラオ海嶺南部の地殻構造(PDF)
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jepsjmo/cd-rom/2005cd-rom/pdf/j078/j078p-001.pdf#search='パラオ海嶺'
【イチから分かる】「海猿」海上保安庁の全貌 (1/3ページ) - MSN
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101020/crm1010201428020-n1.htm
尖閣諸島に関するニュース- Yahoo!ニュース
http://news.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&p=%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6&ei=UTF-8
太平洋の絶海に孤立して形成された約東西5 km、南北1.8kmほどのサンゴ礁で出来た島(環礁)で、海面上に姿を見せるのは東小島(かっては東露岩と呼ばれていた)と北小島(北露岩と呼ばれていた)の2つの島(岩の様、ともに干潮時、高さ約1,5m)だけ。1987(昭和62)年9月、海上保安庁が行った調査では、2つの島は浸食が激しく、満潮時にはわずか70センチほどが海面上に姿を現すのみであることがわかった。このままでは、この2つの島が侵食により、水没して領土ではなくなってしまう恐れがあった。島が消滅すると200カイリ(海里)漁業水域(排他的経済水域(EEZ)参照)などの広大な経済水域が失われてしまうため、時の政府は、同年11月26日、海岸災害復旧事業の名目で、コンクリートによる「領土保全工事」を行なうことに決定した。冒頭向かって左の画像は、1987(昭和62)年9月21日に撮影した干潮時の沖の鳥島北露岩。そして、建設省(現:国土交通省)が翌1988(昭和63)年5月より、岩の周りを鉄製消波ブロックで2重に囲み、その中を特殊コンクリートで固める緊急対策工事を実施し、10月末までにほぼ完了した。それが冒頭右の画像:出来上がった目玉焼きのように見えるコンクリートの領土であり、これは同年9月4日撮影のものである(画像はいずれも、アサヒクロニクル「週間20世紀」1987年号、1988年号より借用)。
日本では小笠原諸島の一部として、東京都小笠原村に属し、住所は郵便番号「100-2100」、東京都小笠原村沖ノ鳥島1番地(北小島)及び、2番地(東小島)となっている。
しかしながら、施工後約10年が経過し、厳しい自然条件のもと護岸の破損などの劣化が急速に進行。東京都だけでは保守費用を負担しきれないことから、1999(平成11)年度以降は島の保全に万全を期するため、海岸法を改正し、全額国費により国土交通省(当時建設省)が直接海岸の維持管理を行うことになった。
現在では北小島と東小島の2つのみであるが、第二次世界大戦の前の調査では北小島を含め6つの島があったようだが、この島が何時日本の領土となったかについて、以下参考に記載の※1の国土交通省HP:「沖の鳥島の保全」によれば、「第一次大戦後の1931(昭和6)年南洋群島・委任統治とともに日本領となる。」・・とある。この時、初めてこの島が日本の領土となり、それまでパレセヴェラあるいはダグラス礁と呼ばれていたこの珊瑚礁が、内務省告示第163号により初めて沖ノ鳥島と命名された由。
又、国土交通省HPには1939(昭和14)年から1941(昭和16)年までに気象観測所並びに灯台の建設工事を行い、前後7回に分けて基台ブロック工事を行なう。・・とあるが、これは、第一次大戦の緊迫した国際情勢の中、水上航空基地や対空監視哨など軍事施設の建設が主目的であったようである(以下参考に記載の※2、※3を参照)。実際に沖の鳥島には太平洋戦争時の米空軍の攻撃跡があるそうだ。
第二次世界大戦後沖ノ鳥島は「サンフランシスコ平和条約」により、アメリカの統治下にあったが、1964(昭和39)年に日本はアメリカと小笠原返還協定を締結。1968(昭和43 )年に小笠原と共に返還された。
海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約)による海洋(海)は自由航行の認められた公海と、領海(12海里〔一部3海里〕)、接続海域(領海から12海里以内の排他的経済水域内)、排他的経済水域(EEZ)の4つに分けられている。排他的経済水域(EEZ。以後EEZとする)とは、国連海洋法条約に基づいて設定される経済的な主権がおよぶ水域を指し、沿岸国は国連海洋法条約に基づいた国内法を制定することで自国の沿岸から200海里(約370km<1海里=1,852m>)の範囲内の水産資源および鉱物資源などの非生物資源の探査と開発に関する権利を得られる。
先にも述べたように、沖ノ鳥島は、我が国の国土面積(約38万km²)を上回る約40万km²のEEZを有する国土保全上きわめて重要な島であるが、この沖ノ鳥島が「島」といえるかどうか・・・?
国連海洋法条約では、「島とは自然に形成された陸地であり、水に囲まれ、満潮時においても水面上にあるものをいう」(第121条第1項)と規定されており、この定義に従えば、あくまで満潮時でも水面上に出ている部分がごくわずかでもあるのだから、沖ノ鳥島はれっきとした「島」ということになる。日本政府はこの国際法を根拠に沖ノ鳥島は「島」であるとして、島を中心にした半径200海里について「EEZ」と設定している。
しかし、この日本のEEZ設定に対して、2001(平成13)年頃から水域内で中国の海洋調査船が調査をしていることが判明。日本の抗議に対し中国側は「沖ノ鳥島は島ではなく岩だ」として、日本のEEZの設定を認めない姿勢をとっているようだ。こうした動きもあって、東京都は沖ノ鳥島での経済活動を実践するため、深層水と表層水の温度差を利用した発電の実験や漁業活動の計画を公表し、2005(平成17)年5月20日には「東京都小笠原村沖ノ鳥島1番地」と記したチタン製の看板を設置。経済活動実証のために同年8月に建設が決まった灯台の運用を開始しているという(以下参考に記載の※4:「日本財団」のここ)参照。)ただ、この「島」とする主張には、若干苦しい言い訳の面もあり、今後の火種になることが心配はされる(その理由等は以下参考に記載の※3のここ、又、※5などを参照)。
我が国は、四方を海に囲まれた海洋国家であり、古来より、豊かな海の幸を始めとして、人や物の往来など、海の恵みを享受しながら発展してきた。資源の乏しい我が国にとって、海は海上交易により多くの富をもたらす場でもあるだけでなく、海は国民の重要な食料である水産物を安定的に供給する場であり、今後、海底に眠る鉱物などの海洋資源に対する大きな期待もある。
日本の領土面積は約38万km²で、世界第61位に過ぎないが、日本の領海(領土から約22kmは約43万平方km)、EEZ(同約370km)は約405万平方km。領海とEEZの合計は世界第6位の広さを誇っている。しかし、このEEZの設定に関して、複数国家の水域が重複する地域を中心として国家間の対立が発生しており、海洋国家日本にとっては、沿岸域を含む「領海」ならびに「EEZ」とEEZの外側に国連海洋法条約の許す範囲で拡張が可能な「大陸棚」等の海洋管理は、国策としての最重要課題の1つである。
海洋管理のうえで重要な役割を果たすのが、わが国の領土であってEEZの起点を構成する遠隔離島の存在である。とりわけ、領有権問題を抱える北方四島(歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉島=北方領土)、竹島、尖閣諸島、東シナ海と太平洋の境界に位置する南西諸島(北から南へ、大隅諸島、トカラ列島、奄美群島、沖縄諸島、宮古列島、八重山列島、尖閣諸島と連なる。)、太平洋のはるか沖合に点在する大東諸島、小笠原諸島・沖ノ鳥島・南鳥島の存在が大きい。これら日本の領海がどのようになっているか地図で確認した人は少ないのではないかと思うが、その概略図を以下で見てください。遠隔地にある離島の重要性が改めて理解できるのではないだろうか。
日本の島へ行こう《日本の領海》 こちら参照 ⇒ http://imagic.qee.jp/eez.html
これらの遠隔離島は、基本的に行政区画としてはそれぞれ地方自治体のもとにあり、前述の領土、領海ならびに沿岸域管理の関係がでてくる。しかし、EEZならびに大陸棚の管理の上では、その周辺360度がEEZおよび大陸棚を構成するという特異な条件下にあるので、これら遠隔離島およびその周辺のEEZおよび大陸棚は、都道府県ではなく国が管理すべき性質のものであろう。事実、沖ノ鳥島については、海岸法の改正により海岸の直轄管理制度が導入されている。
EEZの場合は、領海の基線から200海里までの海洋空間、すなわち海面・海中・海底ならびに海底下のすべてが管理の対象範囲であり、EEZの範囲内にある生物資源、海底鉱物資源やエネルギーなどの非生物資源のすべて、現在利用されているものはもちろん将来利用されることになるものや、科学的調査活動を含むこれらの空間・領域の利用そのもの全てが管理の対象である。ただし、船舶航行の自由や上空飛行の自由などが適用され、「公海」と同様の法的地位をも併せ持った性格を有する海域である。
これらを管理するのは国にしか出来ない。
このような広大な日本の海の海上の安全および治安の確保を図ることを任務としているのが国土交通省の外局である海上保安庁である。この海上保安庁は海上保安庁法第25条により、軍隊ではない事が規定されている。世界的に見た場合、一般的に主権を行使できる国境警備隊・沿岸警備隊は「準軍事組織」と認知されているため、海外の報道や資料では海上保安庁を「準軍事組織」として扱っている場合もあるらしいが、巡視船などに海上自衛官を同乗させることはほとんどなく、日本の法律もそれを定めていない。
竹島の場合、1952(昭和27)年に大韓民国大統領李承晩が自国の支配下にあると一方的に宣言し占領。現在も韓国側が武力によって占有している.。以来、韓国は現在も、軍に準ずる装備を持つ韓国の武装警察官(独島警備隊)約40名を常駐させているが、武力による占拠に加え、この島に守備隊を常駐させ日本側の接近を警戒している。そのため、日本の海上保安庁の船舶や漁船はこの島の領海内には入れない状態が続いており、日本政府の再三の抗議にもかかわらず、灯台、ヘリポート、船舶の接岸場などを設置、島の断崖絶壁には宿泊施設を建設し、実効支配をしているようだ。
今年・2010(平成22)年9月7日、中国漁船が日本の領海である沖縄県尖閣諸島付近で操業し、その後日本の海上保安庁の巡視船に衝突してきた事件いわゆる「尖閣諸島中国漁船衝突事件」と、海上保安庁がこのときの様子をビデオに撮影したものがインターネットのYouTubeに流れ今、マスコミを騒がせている。
そもそも、ことの発端は、領海を侵犯した中国の漁船が停船命令を無視し、逃げるどころか海上保安庁の巡視船に体当たりしてきた。海上保安庁は8日にこの中国漁船を停船させ、同漁船の船長を公務執行妨害で逮捕。この船の船長は、外国人漁業規制法違反等の容疑で石垣島へ連行された。船長を除く船員も同漁船にて石垣港へ回航、事情聴取が行われた。
そして、船長らを日本の法に基づいて粛々と裁けばよいのに、中国政府の「釣魚島(尖閣諸島)は中国固有の領土」であるという根拠を元に、事件発生の日から5回にわたって北京駐在の丹羽宇一郎大使を呼び出し、日本側の措置に強硬に抗議、船長・船員の即時釈放を要求してきた。これに屈したかのように、船員14人は13日釈放。那覇地方検察庁鈴木亨・次席検事は船長の行為に計画性が認められないとし、また日中関係を考慮したとして、1人残っていた中国人船長をも処分保留で釈放すると突如発表。本決定を仙石由人官房長官が容認し、25日未明、中国側が用意したチャーター機で、中国人船長は石垣空港から中国へと送還された。中国に到着した船長は畿内より降り立つときVサインをし、英雄の如く迎え入れられている姿をテレビで見たときには、日本人として情けなくて見ていられなかった 。
この取調べ途中に日中関係を考慮するなどとして、政治的配慮から中国人船長を釈放するなどと言ったことをする権限は検察庁に無く、検察庁の者が自分の意思であのような発言をして船長を釈放などするわけは常識的にないだろうから、これは恐らく仙石官房長官など政府からの圧力によるものだろうということは見え透いている。
日本の海上の安全と治安を命を懸けて守っている海上保安庁など現場の多くの者は、はらわたが煮えくり返るほど憤り、悔しい思いをしたことだろう。それは、我々日本国民の多くもも同様である。
そんな民主党菅政権の弱腰外交を見透かしたように、2010(平成22)年 11月1日、ロシア連邦のメドヴェージェフ大統領が、北方領土の国後島を訪問し、「ロシアの領土を訪問」しただけだと発言している。
こんなことで、日本の国、領土が守れるのか・・・。野党マスコミなどからも海上保安庁が中国漁船が追突してきた時の一部始終を撮った証拠のビデオを公開せよとの求めにも何故か頑として応じなかった民主党左派政府であるが、11月に入ると予算委員会所属の一部の議員に対してのみ那覇地検によって数分間に編集されたものが限定公開された。
しかし、その後、ユーチューブ上に海上保安庁が撮影したと思われる44分間にわたる動画が何者かによって公開された(ビデオの公開)。
インターネット動画サイト・YouTube への投稿者名「SENGOKU38」のSENGOKUは仙石38はサンパ-中国でアホと云う意味だそうだ。ビデオの内容は以下で見ることが出来る。
YouTube-尖閣諸島中国漁船衝突事件 流出ビデオ コピー転載 1/6
http://www.youtube.com/watch?v=7t1Z7CuFWxI
このビデオの公開後、我地元神戸にある第5管区海上保安本部所属の男性海上保安官が自分が投稿したと名乗り出てきた。この保安官に対しては、内部情報を外部に流出した公務員としての規律上の責任問題は別として、日本国民が知りたいと思ったビデオを見ることが出来るようにしてくれたことに対して、「よくやった」とする意見が多い。
しかし、もし、これが機密文書であればこれが簡単に流出してしまう管理体制はまったくの杜撰と言うほか無く、所管の大臣の責任は当然追及されるべきだろう。それに、日本人として国を守らないといけないとの気持ちが少しでもあるなら今のなんとも頼りない菅政権は、1日でも早く政権交代をしてもらわないと、日本の島が、そして、領土が守れなくなってしまうだろう。それが、一番の心配事である。
兎に角、今、日本は、島・領土を守るために、早急に、国防問題を考えなおさなければならない時期に来ている。
(冒頭の画像向かって左は、1987年9月21日に撮影した干潮時の沖の鳥島北露岩。右は、コンクリートで固める緊急対策工事を実施した後の翌年9月4日撮影のものである。いずれもアサヒクロニクル「週間20世紀」より借用)
※1:国土交通省HP:沖の鳥島の保全(国土交通省HP)
http://www.mlit.go.jp/river/pamphlet_jirei/kaigan/gaiyou/panf/okinotori/index.html
※2:沖の鳥島問題
http://www.tanaka-kunitaka.net/okino-torishima/
※3:幻想諸島航海記/[特別篇]沖ノ鳥島の謎
http://homepage3.nifty.com/boumurou/island/sp01/
※4:日本財団
http://www.nippon-foundation.or.jp/ships/topics_dtl/2007956/20079561.html
※5:領有権問題の地域における戸籍・住民票登録等に関する質問主意書と答弁書
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/ryouyuukennsitumonn.htm
小笠原諸島地名事典 Place Names
http://homepage1.nifty.com/Bonin-Islands/sakusaku/4_1.htm
沖ノ鳥島 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E3%83%8E%E9%B3%A5%E5%B3%B6
国土交通省関東地方整備局・京浜河川事務所|ホームページ
http://www.ktr.mlit.go.jp/keihin/
海岸保全区域の指定(東京都知事)
http://www.tanaka-kunitaka.net/okino-torishima/3news.html
海上保安庁HP
http://www.kaiho.mlit.go.jp/
九州・パラオ海嶺南部の地殻構造(PDF)
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jepsjmo/cd-rom/2005cd-rom/pdf/j078/j078p-001.pdf#search='パラオ海嶺'
【イチから分かる】「海猿」海上保安庁の全貌 (1/3ページ) - MSN
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101020/crm1010201428020-n1.htm
尖閣諸島に関するニュース- Yahoo!ニュース
http://news.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&p=%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6&ei=UTF-8