支持率急落の菅直人内閣(以下参考の※1参照)。そもそも、自分の女房からも総理大臣になるほどの能力はないと言われていた男が、ひょんなことから総理になってしまった。
そのひょんなこととは、鳩山由紀夫首相が普天間基地移設問題で、やろうと努力していたことそのものはそれ程非難されることでもないはずなのだが(以下参考の※2参照)、それを由としない勢力や政権から引きずり落したい野党、それに同調するマスコミなどから追及されたことに始まる。
生まれつきのぼんぼんなので、少々現状認識の甘さと粘り腰のないところから、マスコミや野党からの追及に対してあのようなとんちんかんで、不味い応答や対応をしたことから、結局、この問題や政治と金の問題等もからみ、その責任をとる形で、昨・2010(平成22)年6月、民主党代表及び内閣総理大臣からの職を退く決意をすると、同じく野党・マスコミから政治と金の問題を追及されていた小沢一郎にも共に幹事長辞任を促した。
小沢も、目の前に迫る7月の参院選で勝利するためには、「いったん表舞台から身を引くことが党のためになるだろうと、これを聞き入れ、共に辞任した。
しかし、これが今日の民主党没落の最大要因になったと私自身は思っているのだが、それを書くと長くなるので省略するが、なぜそう思うかについては以下参考の※3を参照されるとよい。このブログを書いている人は、あることでマスコミの話題になった人ではあるが、私が現役時代には、会社幹部を対象としたセミナーなどで会社が講師として招いていたことのある経済面では有能な人物であり、ここに書かれている話の内容などは、私も前々から感じていたことなのである。
それはさておき、鳩山内閣が総辞職したのは2010(平成22)年6月4日のことであり、同日、民主党代表選挙が行なわれたが、これは形式的なものであり、当初より、鳩山の後継として菅を繋ぎに立てて、ここ暫くは党内の総力をあげて参議院選に勝利しようと思っていたからだろう。だから、余り世間には名前も知られていない小沢派の樽床伸二が代表選候補に名乗りを上げたが、これは、無投票で代表を選ぶと、又、野党、マスコミからたたかれるので一応対抗馬を出しただけのこと。
兎に角はこの選挙に勝利し、新代表に選出された菅が内閣総理大臣に指名されたが、菅の方はまるで自分が総理大臣になることがまるで“国民の民意”であるかのような錯覚をしたのだろう。
棚ボタ式で総理になった菅は、小沢への権力集中に批判的であった議員を要職に登用し、また前回総選挙のマニフェストの見直しなど財政健全化路線に切り替え、「政治主導」の修正もし、政策に関しても小沢の路線を転換した。
鳩山、小沢の二人が表舞台から消えたことが奏して少しは民主党の人気も回復したが、それに気をよくし、調子に乗った菅の財政健全化の一貫としての消費税率引き上げへの言及が仇となり、7月に行なわれた第22回参議院議員通常選挙では、与党過半数割れの惨敗となってしまった。
この参院選での惨敗をきっかけに、民主党内では管政権に不満を持っていた小沢系議員などが、執行部を批判するようになり、9月で民主党党首の満期となる代表選への小沢の立候補を促す動きが起こり、まだ時期尚早と考えていたはずの小沢も今回は、本気で立候補を決意した。
この小沢の出馬決意を受け、選挙後に党が分裂する危険性が高まったため、鳩山や輿石東などが、菅と小沢の間を取り持ち、小沢の復権を伴った「トロイカ体制」の確立を菅が了承するのと引き換えに小沢が出馬を辞退する、などの折衷案を提案したようだが、菅がこの提案を拒否したため、交渉は決裂。結局菅は民主党党首就任後3ヶ月で代表選を小沢と争うがこととなった。
政策面では2009マニフェスト(以下参考の※5参照)の順守、地方への紐付き補助金の一括廃止、早期の消費税率アップの反対など主張する小沢に対し、陸山会事件の刑事訴追について検察審査会の審査を受けている最中の小沢が金銭問題で取りざたされている(マスコミのアンケートなどで「政治と金」にまみれた小沢が民主党代表や首相になるべきでないとする見方・・・、マスコミはこれが国民の民意だと決めつけて、必要以上に連日報道)のを利用し、同じ民主党員でありながら、ただ自分が党首になりたいだけで、現民主党政権確立への最大の功労者とも言える小沢をまるで「政治と金」にまみれた犯罪者のように非難しまくった。
このマスコミがつくり上げたともいえる「民意」を気にした党員・サポーター票を取り込み、当初の予想とは違って勝利した菅が再選を果たした。この勝利には、小沢より菅の方が政権から引き摺り下ろしやすいと見たグループ・それに加担したマスメディアの執拗な世論操作があったと私は思っている(そのことは先に述べた※3を参照されるとよい)。
この時、小沢が党首になっていれば、当然それを望まない野党・マスコミ、それに感化された人たちが、ここぞとばかり攻め立ててくるだろうが、そのようなこと百も承知の小沢ならそのような攻撃に動じることもないだろうし、適当にあしらって、公約したことの実現に向けてもう少しましに取り組んだであろう。又、もし、たいした能力もない菅が日本の国の最高責任者である首相としてやっていきたいのなら、司馬遼太郎の古代中国を舞台にした歴史小説『項羽と劉邦』に出てくる項羽ではなく、劉邦のようにもう少し謙虚に、鳩山や輿石の提案を受け入れ、小沢お呼びそのグループからも有能な人材を抜擢し、多くの人に支えられながら、総力を挙げて、当初国民と約束した選挙公約の実現に向け努力していればもう少し良い方向に局面は展開していただろうと私は思う。
しかし、所詮、人柄によって周囲に賢人を得た劉邦のような人望など菅にはなかった。菅を担いだ反小沢の面々は、菅とはまた違った目的を持って反小沢を主張していた人達である。先ずは、菅が登用した彼らが過去どれほどの実績を残しているのか冷静に見てみれば、その後がどのようなことになるか予測も出来ただろうが・・・。
現実の組閣では、前回以上に徹底して小沢派議員を排除(1人も入閣させず)した菅改造内閣(第1次)を作り上げ、同時に党内野党をも作ってしまった。ただ、選挙直後に行われたマスコミの世論調査では、彼らが望む「脱小沢」路線の継続が評価され、内閣支持率が大きく回復し、発足時を上回った。そのことで得意になった菅は、この改造内閣を、恰好よく、「有言実行内閣」と名付けはしたのだが・・・・。
彼は、この選挙中の8月には、韓国併合100年に当たる節目の年として、韓国への謝罪を盛り込んだ談話を閣議決定として発表し、既に解決済みの問題を蒸し返し国内外から批判されている他、その後、9月に起きた「尖閣諸島中国漁船衝突事件」への対応などを見ても明らかなように、重要かつ繊細な問題に対するあまりにも稚拙な取扱により、組閣時からきわめて短期間で支持率を急落させ、その下降率は鳩山内閣をも超え、その乱高下振りをしてジェットコースター内閣と称されるに至った。私には、これは、初めから、そうなるように敷かれた路線を、そうとも知らずに走らされていたお粗末劇にしか見えないのだが・・・。その他にも菅内閣の体たらく(為体)振りを取り上げるときりがないので省略する。
日本には「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もある・・・」の有名な諺もあるが、そのような謙虚さは微塵もなく、“国民の支持率が1%になっても止めない”と、権力への執着力だけは、歴代総理の中で誰よりも強いようだ。元小泉純一郎総理の得意なセリフ「自民党をぶっ壊す」じゃないけれど、その点では、彼は小泉を超えている。もう、内閣総辞職しようが、解散をしようが、民主党が生き残る道がないと言える泥沼状態に追い込み国民の夢を見事にぶっ壊してくれた。
民主党の代表をしていた小沢自身が、民主党には若手の優秀な議員が育っては来ているものの今の民主党にはまだまだ政権担当能力が備わっていないと言って、衆参のねじれ現象で、身動きのとれない福田康夫内閣の申し入れを受け入れ大連立構想を図ったことがあったが、己の力をわきまえない他の民主党幹部がこぞって反対したため構想は頓挫した。
私なども、当時、世界の中で、唯一デフレに苦しんでいるいる日本が、ねじれ国会の中で、国民の年金や医療などの社会問題、それに、財政・経済の立て直しをやっていこうと思えば、大連立しかないと思っていたのだが ・・・。
その後、福田の後の麻生内閣が沈没し、鳩山内閣が誕生したが、国民も野党であった民主党が政権についてすぐに力を発揮できるほど特別な能力があるなどとは誰も評価はしていなかっただろう。ただ、野党であった民主党に、それまでの自民党政治(「55年体制」とも言う)の変革を期待し、政権を委ねてみたのだが・・・・。こうまで口先ばかりで何も出来ないお粗末な人たちばかりの集団であったとは思わなかった。中でも幹部に人材がいない。
そして、やっと自民党に対抗する勢力に育った民主党はお粗末な菅内閣でぶっ壊しになってしまい、来年度予算の成立もままならない状況下の今年・2011(平成23)年3月11、三陸沖を震源とする未曽有の大惨事「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」が発生した。
この大地震をめぐっても、又、福島第一原発の放射能漏れや、計画停電など、国民の安全に直結する問題においてさえ、落ち目の菅には、なにか政治主導の思惑やパフォーマンス的なことばかりが目立ち、ただ、ヒステリックに東京電力への責任追及をしているだけのようで、肝心なことへの対策の遅れ(特に総合対策)や、情報発信などに不十分な面が目立ち、国民の間に大混乱と不安・不満が広がっている。又、人命救助のための自衛隊の派遣をめぐっても、国防を担う自衛隊の混乱をも招くなど菅政権の無策ぶりは次々と明らかにされていった(以下参考の※6、※7、※8.※9、※10等参照)。
思い起こせば、17年前に私も、阪神・淡路大震災に遭遇しているが、あの時も、結党以来38年間政権を維持し続けた自民党が初めて野党となり、背に腹はかえられず、新党ブームで発足した細川内閣に不満を抱き、そこから離脱した社会党とも連立し、なんと社会党党首である村山富市を推し立てて自社さ連立政権内閣を発足させた。
そして、阪神・淡路大震災が発生した時には、何か白い眉毛だけが取り柄の頼りない田舎のおっちゃんといった感じの村山が総理大臣をしていたのだが、彼は、震災のあったことを知っていながら悠々と会議を続け、自民党議員から、こんな非常時に会議をしていて良いのかと注意をされたという。又、被災地への自衛隊派遣が遅れた理由に対して村山は「なにぶんにも初めてのことですので」と答弁し、国民から強い非難を浴び、内閣支持率の急落に繋がったことはよく知られている。
今回の東北地方太平洋沖地震では、村山と良い勝負の管が総理大臣を務めているが、何かとんでもない大きな災害が発生したときには、とんでもない人が、日本の最高責任者に就いている・・・、これは、偶然なのだろうか?・・・。いや、私には、そのようなどうしようもない人間を、かりそめにも国家の最高責任者に選んだ国や国民に対して、そのようなことをすればどのような結果を招くか・・、今後のこともありよく考えておきなさい・・と、天が反省を促したのではないかとさえ思いたくなるのだが・・。
冒頭の左画象は3月23日朝日新聞朝刊に掲載のやくみつるの一コマ漫画。
タイトルー「人体に影響のない数値」-、「以前の菅直人なら率先して食べてみたろうに・・・」。
放射能漏れによる野菜の汚染を取り上げて、昔、カイワレ大臣といわれたパフォーマンス男が「人体に影響のない数値」と言いながらも、首相になると命惜しさにかパフォーマンスはせずに、あっさりと、出荷停止を命じて、産地の人や消費者に戸惑いを与えている。
最後になったが、日本には「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もある・・・」の有名なことわざがある。以下参考の※11、※12などによると、出典は、「空也上人絵詞伝」にある「山川の末(さき)に流るる橡殻(とちがら)も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ」の歌からで、山あいの川を流れてきたトチの実は、自分から川に身を投げたからこそやがては浮かび上がり、こうして広い下流に到達することができたのだ・・・といった意味になるが、「浮かむ瀬」は原歌では、仏の悟りを得る機縁、成仏の機会の意だが、これを窮地から脱して安泰を得るという、世俗一般のこととして、このことわざは使われている。要するに、自分を大事と思って、我(が)に執着していてはなかなか道は開けてこないということなるのである(『成語大辞苑』主婦と生活社)。
菅のように権力にしがみつく有様を非難している。そのようなものに執着心をもっていれば、事態は悪化するばかりだ。権力への執着心を捨てよ、とこのことわざは言っている。菅のように権力にしがみ付き、震災対策に対する野党自民党う谷垣総裁への協力依頼のしかたにしても、自分のやり方は何も変えようとせず、自分に都合のよいように協力を依頼するやり方など見ていても、ただ無能なくせに生意気さだけが目立つ。そのような人間に一体何が出来るのであろうか。
空也(くうや・こうや)は平安中期の民間浄土教の先駆者とされている。平安時代に空海や最澄が山中に築いた仏の世界は、それが多くの堂塔をもつ寺院として出現したとき、当初の願いや構想から外れた道を進み始めた。また、貴族が多面的に仏教とつながりを持つと、都の周辺には貴族の私寺が次々建てられるようになり、日本化した仏教が貴族文化を生み出すようになった。
山中の寺院も複雑な組織に発展し、その維持と管理をめぐる争いは寺院の内部を世俗化させていった、そして、僧の間でも階層の分化がはじまり、さらに、学統(学問の系列)や法流(仏教で、教えを伝える系譜。法系)などによってさまざまな流派も現れて寺内の争いは俗世間の権力争いと結びつき大寺院の動向は政治の帰趨に関わるようにさえなった。
世俗的な争いに明け暮れる僧が増える一方そうした寺院の外では、修行に努め人々を救うために活動をする僧が現れるようになる。
平安時代の寺院は国の管理下にあり、僧は現代で言う公務員であり、官僧は制約も多く、国家ために仕事に専念するしかなかった。そして、浄土思想も主に京都の貴族の信仰であった。そのような制約により、庶民の救済ができない状況に嫌気がさして官僧を辞し、個人的に教化活動する「私得僧」が現れるようになる。
良源が、比叡山興隆のため活動していた頃、庶民の間では、空也が浄土の信仰を説き続けていた。
空也は、20歳余りで尾張国分寺で出家。それ以前に在俗の仏教行者として諸国を巡暦し、交通路の整備や井戸の開掘、野に捨てられた死体を見れば念仏を唱え火葬するなど社会救済事業に力を注いだ。
948(天暦2)年天台座主・延昌について受戒し、光勝の名を与えられたが、空也の名を捨てず、あくまでも民間布教者としての立場を守ったという。そのようなことから、市の聖と呼ばれている。その行状は、のちの一遍などの思想と行動に大きな影響を与えたという(週刊朝日百科『日本の歴史』)。
一遍の法話と言われているものの中に、「むかし、空也上人へ、ある人、念佛はいかが申すべきやと問ひければ、「捨ててこそ」とばかりにて、なにとも仰せられずと、西行法師の「撰集抄」に載せられたり。是れ誠に金言なり。」・・・とある(一遍の有名な法語、和歌参照)。
空也は皇室の出(一説には醍醐天皇の落胤)という説もある(以下参考の※13参照)が、自らの出生を語ることはなかったとされ、真偽は不明。
空也の彫像も色々な姿のものがあり、六波羅蜜寺が所蔵する立像(運慶の四男 康勝の作。)が、最も有名である(同画像)が、冒頭左に掲載の空也像は、滋賀県近江八幡市の荘厳寺にあるもので、この象は六波羅蜜寺の空也像を手本として13-14世紀ころ造られたと思われる寄木造りの像である。金鼓をさげ、右手に撞木を持ち、草履をはき、遊行の念仏僧空也の風貌を忍ばせている(週間朝日百科「日本の歴史」61)。
参考:
※1:時事ドットコム:【図解・時事世論調査】内閣支持率の推移(最新)
http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_pol_cabinet-support-cgraph
※2:普天間基地移設問題での鳩山批判は正当か・・・とりつくろったただの利己主義的批判
http://iiyume.exblog.jp/12513975/
※3:鳩山総理辞意表明と政治とカネ問題への誤対応
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-0c21.html
※4:東北地方太平洋沖地震 - 北海道統一地方選挙・候補者紹介サイト
http://politomo.jp/hokkaido/2011/03/12/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87/
※5:民主党 web-site 民主党の政権政策Manifesto2009
http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2009/index.html
※6:菅政権の政治主導演出へのこだわり、混乱を増幅(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110315-OYT1T00086.htm
※7:MSN-【放射能漏れ】なぜ、首相は非常事態宣言を出さないのか 依然、パフォーマンスばかり
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110315/plc11031513410030-n1.htm
※8:asahi.com(朝日新聞社):原発情報めぐり官邸後手後手 避難指示は日暮れ3時間後
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103120582.html
※9:MSN【国内】 放射能漏れ「県民の不安、怒りは極限」福島県知事、首相に伝える
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110315-00000651-san-soci
※10:MSN 【東日本大震災】数字ありきの首相に自衛隊混乱+(1/2ページ)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110314/plc11031401430003-n1.htm
※11:慣用句辞典 みや~みん
http://www.geocities.jp/tomomi965/ko-jien07/ma07.html
※12:その他の「ことわざ」「故事成語」など
http://www2.odn.ne.jp/kotowaza/00-HP/sub26~/sub31/sub31-1-sonota.htm
※13:寺史 - 六波羅蜜寺
http://www.rokuhara.or.jp/history/
東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
http://www.google.co.jp/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011.html
MSN産経ニュース:首相、活発に党内固め 鳩山氏と会談 仙谷氏ら問責可決も「支持率1%でも辞めない」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110109/plc11010917500152-n1.htm
そのひょんなこととは、鳩山由紀夫首相が普天間基地移設問題で、やろうと努力していたことそのものはそれ程非難されることでもないはずなのだが(以下参考の※2参照)、それを由としない勢力や政権から引きずり落したい野党、それに同調するマスコミなどから追及されたことに始まる。
生まれつきのぼんぼんなので、少々現状認識の甘さと粘り腰のないところから、マスコミや野党からの追及に対してあのようなとんちんかんで、不味い応答や対応をしたことから、結局、この問題や政治と金の問題等もからみ、その責任をとる形で、昨・2010(平成22)年6月、民主党代表及び内閣総理大臣からの職を退く決意をすると、同じく野党・マスコミから政治と金の問題を追及されていた小沢一郎にも共に幹事長辞任を促した。
小沢も、目の前に迫る7月の参院選で勝利するためには、「いったん表舞台から身を引くことが党のためになるだろうと、これを聞き入れ、共に辞任した。
しかし、これが今日の民主党没落の最大要因になったと私自身は思っているのだが、それを書くと長くなるので省略するが、なぜそう思うかについては以下参考の※3を参照されるとよい。このブログを書いている人は、あることでマスコミの話題になった人ではあるが、私が現役時代には、会社幹部を対象としたセミナーなどで会社が講師として招いていたことのある経済面では有能な人物であり、ここに書かれている話の内容などは、私も前々から感じていたことなのである。
それはさておき、鳩山内閣が総辞職したのは2010(平成22)年6月4日のことであり、同日、民主党代表選挙が行なわれたが、これは形式的なものであり、当初より、鳩山の後継として菅を繋ぎに立てて、ここ暫くは党内の総力をあげて参議院選に勝利しようと思っていたからだろう。だから、余り世間には名前も知られていない小沢派の樽床伸二が代表選候補に名乗りを上げたが、これは、無投票で代表を選ぶと、又、野党、マスコミからたたかれるので一応対抗馬を出しただけのこと。
兎に角はこの選挙に勝利し、新代表に選出された菅が内閣総理大臣に指名されたが、菅の方はまるで自分が総理大臣になることがまるで“国民の民意”であるかのような錯覚をしたのだろう。
棚ボタ式で総理になった菅は、小沢への権力集中に批判的であった議員を要職に登用し、また前回総選挙のマニフェストの見直しなど財政健全化路線に切り替え、「政治主導」の修正もし、政策に関しても小沢の路線を転換した。
鳩山、小沢の二人が表舞台から消えたことが奏して少しは民主党の人気も回復したが、それに気をよくし、調子に乗った菅の財政健全化の一貫としての消費税率引き上げへの言及が仇となり、7月に行なわれた第22回参議院議員通常選挙では、与党過半数割れの惨敗となってしまった。
この参院選での惨敗をきっかけに、民主党内では管政権に不満を持っていた小沢系議員などが、執行部を批判するようになり、9月で民主党党首の満期となる代表選への小沢の立候補を促す動きが起こり、まだ時期尚早と考えていたはずの小沢も今回は、本気で立候補を決意した。
この小沢の出馬決意を受け、選挙後に党が分裂する危険性が高まったため、鳩山や輿石東などが、菅と小沢の間を取り持ち、小沢の復権を伴った「トロイカ体制」の確立を菅が了承するのと引き換えに小沢が出馬を辞退する、などの折衷案を提案したようだが、菅がこの提案を拒否したため、交渉は決裂。結局菅は民主党党首就任後3ヶ月で代表選を小沢と争うがこととなった。
政策面では2009マニフェスト(以下参考の※5参照)の順守、地方への紐付き補助金の一括廃止、早期の消費税率アップの反対など主張する小沢に対し、陸山会事件の刑事訴追について検察審査会の審査を受けている最中の小沢が金銭問題で取りざたされている(マスコミのアンケートなどで「政治と金」にまみれた小沢が民主党代表や首相になるべきでないとする見方・・・、マスコミはこれが国民の民意だと決めつけて、必要以上に連日報道)のを利用し、同じ民主党員でありながら、ただ自分が党首になりたいだけで、現民主党政権確立への最大の功労者とも言える小沢をまるで「政治と金」にまみれた犯罪者のように非難しまくった。
このマスコミがつくり上げたともいえる「民意」を気にした党員・サポーター票を取り込み、当初の予想とは違って勝利した菅が再選を果たした。この勝利には、小沢より菅の方が政権から引き摺り下ろしやすいと見たグループ・それに加担したマスメディアの執拗な世論操作があったと私は思っている(そのことは先に述べた※3を参照されるとよい)。
この時、小沢が党首になっていれば、当然それを望まない野党・マスコミ、それに感化された人たちが、ここぞとばかり攻め立ててくるだろうが、そのようなこと百も承知の小沢ならそのような攻撃に動じることもないだろうし、適当にあしらって、公約したことの実現に向けてもう少しましに取り組んだであろう。又、もし、たいした能力もない菅が日本の国の最高責任者である首相としてやっていきたいのなら、司馬遼太郎の古代中国を舞台にした歴史小説『項羽と劉邦』に出てくる項羽ではなく、劉邦のようにもう少し謙虚に、鳩山や輿石の提案を受け入れ、小沢お呼びそのグループからも有能な人材を抜擢し、多くの人に支えられながら、総力を挙げて、当初国民と約束した選挙公約の実現に向け努力していればもう少し良い方向に局面は展開していただろうと私は思う。
しかし、所詮、人柄によって周囲に賢人を得た劉邦のような人望など菅にはなかった。菅を担いだ反小沢の面々は、菅とはまた違った目的を持って反小沢を主張していた人達である。先ずは、菅が登用した彼らが過去どれほどの実績を残しているのか冷静に見てみれば、その後がどのようなことになるか予測も出来ただろうが・・・。
現実の組閣では、前回以上に徹底して小沢派議員を排除(1人も入閣させず)した菅改造内閣(第1次)を作り上げ、同時に党内野党をも作ってしまった。ただ、選挙直後に行われたマスコミの世論調査では、彼らが望む「脱小沢」路線の継続が評価され、内閣支持率が大きく回復し、発足時を上回った。そのことで得意になった菅は、この改造内閣を、恰好よく、「有言実行内閣」と名付けはしたのだが・・・・。
彼は、この選挙中の8月には、韓国併合100年に当たる節目の年として、韓国への謝罪を盛り込んだ談話を閣議決定として発表し、既に解決済みの問題を蒸し返し国内外から批判されている他、その後、9月に起きた「尖閣諸島中国漁船衝突事件」への対応などを見ても明らかなように、重要かつ繊細な問題に対するあまりにも稚拙な取扱により、組閣時からきわめて短期間で支持率を急落させ、その下降率は鳩山内閣をも超え、その乱高下振りをしてジェットコースター内閣と称されるに至った。私には、これは、初めから、そうなるように敷かれた路線を、そうとも知らずに走らされていたお粗末劇にしか見えないのだが・・・。その他にも菅内閣の体たらく(為体)振りを取り上げるときりがないので省略する。
日本には「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もある・・・」の有名な諺もあるが、そのような謙虚さは微塵もなく、“国民の支持率が1%になっても止めない”と、権力への執着力だけは、歴代総理の中で誰よりも強いようだ。元小泉純一郎総理の得意なセリフ「自民党をぶっ壊す」じゃないけれど、その点では、彼は小泉を超えている。もう、内閣総辞職しようが、解散をしようが、民主党が生き残る道がないと言える泥沼状態に追い込み国民の夢を見事にぶっ壊してくれた。
民主党の代表をしていた小沢自身が、民主党には若手の優秀な議員が育っては来ているものの今の民主党にはまだまだ政権担当能力が備わっていないと言って、衆参のねじれ現象で、身動きのとれない福田康夫内閣の申し入れを受け入れ大連立構想を図ったことがあったが、己の力をわきまえない他の民主党幹部がこぞって反対したため構想は頓挫した。
私なども、当時、世界の中で、唯一デフレに苦しんでいるいる日本が、ねじれ国会の中で、国民の年金や医療などの社会問題、それに、財政・経済の立て直しをやっていこうと思えば、大連立しかないと思っていたのだが ・・・。
その後、福田の後の麻生内閣が沈没し、鳩山内閣が誕生したが、国民も野党であった民主党が政権についてすぐに力を発揮できるほど特別な能力があるなどとは誰も評価はしていなかっただろう。ただ、野党であった民主党に、それまでの自民党政治(「55年体制」とも言う)の変革を期待し、政権を委ねてみたのだが・・・・。こうまで口先ばかりで何も出来ないお粗末な人たちばかりの集団であったとは思わなかった。中でも幹部に人材がいない。
そして、やっと自民党に対抗する勢力に育った民主党はお粗末な菅内閣でぶっ壊しになってしまい、来年度予算の成立もままならない状況下の今年・2011(平成23)年3月11、三陸沖を震源とする未曽有の大惨事「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」が発生した。
この大地震をめぐっても、又、福島第一原発の放射能漏れや、計画停電など、国民の安全に直結する問題においてさえ、落ち目の菅には、なにか政治主導の思惑やパフォーマンス的なことばかりが目立ち、ただ、ヒステリックに東京電力への責任追及をしているだけのようで、肝心なことへの対策の遅れ(特に総合対策)や、情報発信などに不十分な面が目立ち、国民の間に大混乱と不安・不満が広がっている。又、人命救助のための自衛隊の派遣をめぐっても、国防を担う自衛隊の混乱をも招くなど菅政権の無策ぶりは次々と明らかにされていった(以下参考の※6、※7、※8.※9、※10等参照)。
思い起こせば、17年前に私も、阪神・淡路大震災に遭遇しているが、あの時も、結党以来38年間政権を維持し続けた自民党が初めて野党となり、背に腹はかえられず、新党ブームで発足した細川内閣に不満を抱き、そこから離脱した社会党とも連立し、なんと社会党党首である村山富市を推し立てて自社さ連立政権内閣を発足させた。
そして、阪神・淡路大震災が発生した時には、何か白い眉毛だけが取り柄の頼りない田舎のおっちゃんといった感じの村山が総理大臣をしていたのだが、彼は、震災のあったことを知っていながら悠々と会議を続け、自民党議員から、こんな非常時に会議をしていて良いのかと注意をされたという。又、被災地への自衛隊派遣が遅れた理由に対して村山は「なにぶんにも初めてのことですので」と答弁し、国民から強い非難を浴び、内閣支持率の急落に繋がったことはよく知られている。
今回の東北地方太平洋沖地震では、村山と良い勝負の管が総理大臣を務めているが、何かとんでもない大きな災害が発生したときには、とんでもない人が、日本の最高責任者に就いている・・・、これは、偶然なのだろうか?・・・。いや、私には、そのようなどうしようもない人間を、かりそめにも国家の最高責任者に選んだ国や国民に対して、そのようなことをすればどのような結果を招くか・・、今後のこともありよく考えておきなさい・・と、天が反省を促したのではないかとさえ思いたくなるのだが・・。
冒頭の左画象は3月23日朝日新聞朝刊に掲載のやくみつるの一コマ漫画。
タイトルー「人体に影響のない数値」-、「以前の菅直人なら率先して食べてみたろうに・・・」。
放射能漏れによる野菜の汚染を取り上げて、昔、カイワレ大臣といわれたパフォーマンス男が「人体に影響のない数値」と言いながらも、首相になると命惜しさにかパフォーマンスはせずに、あっさりと、出荷停止を命じて、産地の人や消費者に戸惑いを与えている。
最後になったが、日本には「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もある・・・」の有名なことわざがある。以下参考の※11、※12などによると、出典は、「空也上人絵詞伝」にある「山川の末(さき)に流るる橡殻(とちがら)も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ」の歌からで、山あいの川を流れてきたトチの実は、自分から川に身を投げたからこそやがては浮かび上がり、こうして広い下流に到達することができたのだ・・・といった意味になるが、「浮かむ瀬」は原歌では、仏の悟りを得る機縁、成仏の機会の意だが、これを窮地から脱して安泰を得るという、世俗一般のこととして、このことわざは使われている。要するに、自分を大事と思って、我(が)に執着していてはなかなか道は開けてこないということなるのである(『成語大辞苑』主婦と生活社)。
菅のように権力にしがみつく有様を非難している。そのようなものに執着心をもっていれば、事態は悪化するばかりだ。権力への執着心を捨てよ、とこのことわざは言っている。菅のように権力にしがみ付き、震災対策に対する野党自民党う谷垣総裁への協力依頼のしかたにしても、自分のやり方は何も変えようとせず、自分に都合のよいように協力を依頼するやり方など見ていても、ただ無能なくせに生意気さだけが目立つ。そのような人間に一体何が出来るのであろうか。
空也(くうや・こうや)は平安中期の民間浄土教の先駆者とされている。平安時代に空海や最澄が山中に築いた仏の世界は、それが多くの堂塔をもつ寺院として出現したとき、当初の願いや構想から外れた道を進み始めた。また、貴族が多面的に仏教とつながりを持つと、都の周辺には貴族の私寺が次々建てられるようになり、日本化した仏教が貴族文化を生み出すようになった。
山中の寺院も複雑な組織に発展し、その維持と管理をめぐる争いは寺院の内部を世俗化させていった、そして、僧の間でも階層の分化がはじまり、さらに、学統(学問の系列)や法流(仏教で、教えを伝える系譜。法系)などによってさまざまな流派も現れて寺内の争いは俗世間の権力争いと結びつき大寺院の動向は政治の帰趨に関わるようにさえなった。
世俗的な争いに明け暮れる僧が増える一方そうした寺院の外では、修行に努め人々を救うために活動をする僧が現れるようになる。
平安時代の寺院は国の管理下にあり、僧は現代で言う公務員であり、官僧は制約も多く、国家ために仕事に専念するしかなかった。そして、浄土思想も主に京都の貴族の信仰であった。そのような制約により、庶民の救済ができない状況に嫌気がさして官僧を辞し、個人的に教化活動する「私得僧」が現れるようになる。
良源が、比叡山興隆のため活動していた頃、庶民の間では、空也が浄土の信仰を説き続けていた。
空也は、20歳余りで尾張国分寺で出家。それ以前に在俗の仏教行者として諸国を巡暦し、交通路の整備や井戸の開掘、野に捨てられた死体を見れば念仏を唱え火葬するなど社会救済事業に力を注いだ。
948(天暦2)年天台座主・延昌について受戒し、光勝の名を与えられたが、空也の名を捨てず、あくまでも民間布教者としての立場を守ったという。そのようなことから、市の聖と呼ばれている。その行状は、のちの一遍などの思想と行動に大きな影響を与えたという(週刊朝日百科『日本の歴史』)。
一遍の法話と言われているものの中に、「むかし、空也上人へ、ある人、念佛はいかが申すべきやと問ひければ、「捨ててこそ」とばかりにて、なにとも仰せられずと、西行法師の「撰集抄」に載せられたり。是れ誠に金言なり。」・・・とある(一遍の有名な法語、和歌参照)。
空也は皇室の出(一説には醍醐天皇の落胤)という説もある(以下参考の※13参照)が、自らの出生を語ることはなかったとされ、真偽は不明。
空也の彫像も色々な姿のものがあり、六波羅蜜寺が所蔵する立像(運慶の四男 康勝の作。)が、最も有名である(同画像)が、冒頭左に掲載の空也像は、滋賀県近江八幡市の荘厳寺にあるもので、この象は六波羅蜜寺の空也像を手本として13-14世紀ころ造られたと思われる寄木造りの像である。金鼓をさげ、右手に撞木を持ち、草履をはき、遊行の念仏僧空也の風貌を忍ばせている(週間朝日百科「日本の歴史」61)。
参考:
※1:時事ドットコム:【図解・時事世論調査】内閣支持率の推移(最新)
http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_pol_cabinet-support-cgraph
※2:普天間基地移設問題での鳩山批判は正当か・・・とりつくろったただの利己主義的批判
http://iiyume.exblog.jp/12513975/
※3:鳩山総理辞意表明と政治とカネ問題への誤対応
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-0c21.html
※4:東北地方太平洋沖地震 - 北海道統一地方選挙・候補者紹介サイト
http://politomo.jp/hokkaido/2011/03/12/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87/
※5:民主党 web-site 民主党の政権政策Manifesto2009
http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2009/index.html
※6:菅政権の政治主導演出へのこだわり、混乱を増幅(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110315-OYT1T00086.htm
※7:MSN-【放射能漏れ】なぜ、首相は非常事態宣言を出さないのか 依然、パフォーマンスばかり
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110315/plc11031513410030-n1.htm
※8:asahi.com(朝日新聞社):原発情報めぐり官邸後手後手 避難指示は日暮れ3時間後
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103120582.html
※9:MSN【国内】 放射能漏れ「県民の不安、怒りは極限」福島県知事、首相に伝える
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110315-00000651-san-soci
※10:MSN 【東日本大震災】数字ありきの首相に自衛隊混乱+(1/2ページ)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110314/plc11031401430003-n1.htm
※11:慣用句辞典 みや~みん
http://www.geocities.jp/tomomi965/ko-jien07/ma07.html
※12:その他の「ことわざ」「故事成語」など
http://www2.odn.ne.jp/kotowaza/00-HP/sub26~/sub31/sub31-1-sonota.htm
※13:寺史 - 六波羅蜜寺
http://www.rokuhara.or.jp/history/
東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
http://www.google.co.jp/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011.html
MSN産経ニュース:首相、活発に党内固め 鳩山氏と会談 仙谷氏ら問責可決も「支持率1%でも辞めない」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110109/plc11010917500152-n1.htm