今日(12月31日)は「NHK紅白歌合戦」が行われる日。
日本人なら知らない人はいないほどメジャーな「NHK紅白歌合戦」であるが、この番組は、 一言で言えば、大みそかにその年を代表するアーティストが紅組と白組に分かれて対抗形式で歌や演奏を披露する音楽番組である。
この紅白歌合戦は、第二次世界大戦終結直後の1945(昭和20)年の大晦日(12月31日)に、平和になった証としての新時代にふさわしい大型音楽番組として企画され、「紅白音楽試合」というタイトルで放送された(ラジオ)。当時は「紅白歌合戦」の名で放送する予定だったが、GHQの反発のために音楽試合へと変更された。理由は、戦争を放棄した敗戦国が、”合戦” とは何ごとか・・・”ということのようだ。紅白のキャップテンは水之江滝子と古川緑波。
紅白の音楽試合ということから、歌以外の出場者も登場し、木琴、マンドリン、尺八による曲を披露した。また、童謡歌手、川田正子(かわだまさこ)の「汽車ポッポ」の中に「兵隊さん兵隊さん万々歳(バンバンザイ)」という歌詞があり、この音楽試合直前にGHQからクレームがつき現在の「鉄橋だ鉄橋だうれしいな」に変更させられた。
当初の題名は「兵隊さんの汽車」で、駅のホームで戦地に赴く兵隊さんを歓送する内容で以下のようだった。(1番)
汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュッポッポ
兵隊さんをのせて シュッポ シュッポ シュッポッポ
ぼくらも手に手に 日の丸の
旗を振り振り 送りましょう
万歳 万歳 万歳
兵隊さん 兵隊さん 万々歳
これが、後半の「ぼくらも手に手に 日の丸の・・」からを、以下のように書き直した。
僕らをのせて シュッポ シュッポ シュッポッポ
スピード スピード 窓の外
畑も とぶとぶ 家もとぶ
走れ 走れ 走れ
鉄橋だ 鉄橋だ たのしいな
川田正子は最年少出場者(11才)として、書きなおされた「汽車ポッポ」の曲を歌った。「紅白音楽試合」はGHQなどの指導により、3回で終了した。
復活したのは、1951(昭和26)年からである。タイトルも当初考えていた通りの「紅白歌合戦」の名前で、記念すべき第1回は、正月(1月3日)夜8時から1時間放送された。司会は女性軍・加藤道子。男性軍・藤倉修一。トリは、女性軍・渡辺はま子。男性軍・藤山一郎であった。新趣向の番組は大成功で、中盤、近江敏郎が、「湯の町エレジー」を歌うころには、聴取者からの応援の電話が相次いだという。「紅白」は第3回までは、スタジオ番組として、正月用(第1回~2回は1月3日、第3回は1月2日)に放送されていた。1953(昭和28)年の第3回では、テレビでの実験放送が実施された。又、この同じ年の12月31日に第4回が放送され、テレビでの本格的な放送開始を機に、以降、大晦日の放送が定着した。だから、1953(昭和28)年は、正月(3回)と年末(4回)の2回放送されたことになる。 また、この第4回から会場に観客を入れての公開放送となり、現在に至っている。
毎年、テレビ視聴率が非常に高いことで知られていたが、近年では視聴率低下やアーティストの紅白辞退も増えてきた。1962年の第13回よりビデオリサーチによる調査が開始され、最高視聴率は1963年(第14回)の81.4%。最低視聴率は昨2004年(第55回)の39.3%となっている。昨年は、人気取りの為に、松平 健 マツケン・サンバまで登場させた。あの踊りサンバは南国の楽しいリズムであり、私も好きなリズムで、昔は良く踊ったものだ。それに、我が地元の神戸祭りのパレードでも、サンバはメーンの行進となっている。しかし、あの和服姿で厚化粧した松平 健が、にやけた顔で腰をくねくねさせて踊っている様は、丁度昔の旅役者が地方の舞台などで人気取りにやっていたものに他ならない。一部の熱烈なファンが芝居小屋へ見に行くなら、それもファンサービスでよいだろう。しかし、、聴取料と言う名の税金をとって、公共番組として全国放送するようなものではないと思うのだが・・・。NHKの公共性とはどんなものなのか?真面目に音楽をやっている人たちで、能力はあるのに、日の目を見ない人たちは色んな分野に沢山いる。単に、一部の層に人気のあるものを入れて、人気取りのための番組を作るのが、NHKのようなところの使命ではないだろうと思うのだが・・・。面白く、楽しい番組作りと人気取り番組を混同されては困る。私は、去年初めて、「紅白歌合戦」は見ずじまいだった。
兎に角、そのようなことから、今年は、色々な試みが行われてはいるようだ。その一つが、今年(2005)年の「第56回NHK 紅白歌合戦」から視聴者が番組に参加できる双方向機能を強化。紅・白組の勝ち負けを決める審査において、BS hi、および地上デジタル放送のデジタル総合で、デジタルテレビの双方向機能を利用した「デジタルTV審査員」を募集。さらに、全国1万人の視聴者が携帯電話を使って審査に参加できる「ケータイ審査員」システムの導入を実施するなどである。
又、今年は、これまでの総合司会、白組司会、紅組司会の役割分担を撤廃して、紅白別の司会者は設定せず、みのもんた、山根基世、仲間由紀恵、山本耕史の4人によるグループ司会で進行する方式に変更された。紅白では、毎回小林幸子(52)と美川憲一(59)の「衣装対決」も話題になっているが、今年の衣装のテーマは小林が「冬から春へ」、美川が「エレガント」と発表しているようだ。昨年は新潟地震などもあり二人とも、ド派手衣装は自粛していたようだが、小林は今年はド派手復活を宣言したという。一方の美川は空中浮遊などのサプライズ演出が多かったが「今年はエレガントにいくのだとか。紅白も一つのショーであり、派手なのも良い。しかし、何にでも、程々と言うものがある。今年は円安株高を背景に、景気も回復基調とか、一年の最後を、思いっきり楽しく過ごせればよいが、世の中、色んな災害にあって、苦しんでいる人も多く要る・・・。冗談が過ぎておふざけだけにはならないようにしてもらいたいものだ。
今年1年、ブログを見てくれた人に、心より、感謝をします。ありがとうございました。皆さんも、嫌なことは、今日で忘れて、いい年をお迎えてくださいね。
(画像は加藤道子さん。第1回紅白歌合戦では紅組の司会を務めた。朝日クロニカル・週刊20世紀より)
参考:
第56回 NHK紅白歌合戦
http://www3.nhk.or.jp/kouhaku/
NHK紅白歌合戦 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E7%99%BD%E6%AD%8C%E5%90%88%E6%88%A6
Yahoo!ニュース - 紅白歌合戦
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/entertainment/kohaku/
シリーズ 日本のうた/『汽車ポッポ』 作詞:富原 薫 作曲:草川 信
http://www.mmjp.or.jp/MIYAJI/mts/nihonnnouta/kishapoppo.html
50・60年代・紅白歌合戦・昭和歌謡史 /1951(昭和26)年第1回紅白歌合戦
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spkmas/sub16.html
日本人なら知らない人はいないほどメジャーな「NHK紅白歌合戦」であるが、この番組は、 一言で言えば、大みそかにその年を代表するアーティストが紅組と白組に分かれて対抗形式で歌や演奏を披露する音楽番組である。
この紅白歌合戦は、第二次世界大戦終結直後の1945(昭和20)年の大晦日(12月31日)に、平和になった証としての新時代にふさわしい大型音楽番組として企画され、「紅白音楽試合」というタイトルで放送された(ラジオ)。当時は「紅白歌合戦」の名で放送する予定だったが、GHQの反発のために音楽試合へと変更された。理由は、戦争を放棄した敗戦国が、”合戦” とは何ごとか・・・”ということのようだ。紅白のキャップテンは水之江滝子と古川緑波。
紅白の音楽試合ということから、歌以外の出場者も登場し、木琴、マンドリン、尺八による曲を披露した。また、童謡歌手、川田正子(かわだまさこ)の「汽車ポッポ」の中に「兵隊さん兵隊さん万々歳(バンバンザイ)」という歌詞があり、この音楽試合直前にGHQからクレームがつき現在の「鉄橋だ鉄橋だうれしいな」に変更させられた。
当初の題名は「兵隊さんの汽車」で、駅のホームで戦地に赴く兵隊さんを歓送する内容で以下のようだった。(1番)
汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュッポッポ
兵隊さんをのせて シュッポ シュッポ シュッポッポ
ぼくらも手に手に 日の丸の
旗を振り振り 送りましょう
万歳 万歳 万歳
兵隊さん 兵隊さん 万々歳
これが、後半の「ぼくらも手に手に 日の丸の・・」からを、以下のように書き直した。
僕らをのせて シュッポ シュッポ シュッポッポ
スピード スピード 窓の外
畑も とぶとぶ 家もとぶ
走れ 走れ 走れ
鉄橋だ 鉄橋だ たのしいな
川田正子は最年少出場者(11才)として、書きなおされた「汽車ポッポ」の曲を歌った。「紅白音楽試合」はGHQなどの指導により、3回で終了した。
復活したのは、1951(昭和26)年からである。タイトルも当初考えていた通りの「紅白歌合戦」の名前で、記念すべき第1回は、正月(1月3日)夜8時から1時間放送された。司会は女性軍・加藤道子。男性軍・藤倉修一。トリは、女性軍・渡辺はま子。男性軍・藤山一郎であった。新趣向の番組は大成功で、中盤、近江敏郎が、「湯の町エレジー」を歌うころには、聴取者からの応援の電話が相次いだという。「紅白」は第3回までは、スタジオ番組として、正月用(第1回~2回は1月3日、第3回は1月2日)に放送されていた。1953(昭和28)年の第3回では、テレビでの実験放送が実施された。又、この同じ年の12月31日に第4回が放送され、テレビでの本格的な放送開始を機に、以降、大晦日の放送が定着した。だから、1953(昭和28)年は、正月(3回)と年末(4回)の2回放送されたことになる。 また、この第4回から会場に観客を入れての公開放送となり、現在に至っている。
毎年、テレビ視聴率が非常に高いことで知られていたが、近年では視聴率低下やアーティストの紅白辞退も増えてきた。1962年の第13回よりビデオリサーチによる調査が開始され、最高視聴率は1963年(第14回)の81.4%。最低視聴率は昨2004年(第55回)の39.3%となっている。昨年は、人気取りの為に、松平 健 マツケン・サンバまで登場させた。あの踊りサンバは南国の楽しいリズムであり、私も好きなリズムで、昔は良く踊ったものだ。それに、我が地元の神戸祭りのパレードでも、サンバはメーンの行進となっている。しかし、あの和服姿で厚化粧した松平 健が、にやけた顔で腰をくねくねさせて踊っている様は、丁度昔の旅役者が地方の舞台などで人気取りにやっていたものに他ならない。一部の熱烈なファンが芝居小屋へ見に行くなら、それもファンサービスでよいだろう。しかし、、聴取料と言う名の税金をとって、公共番組として全国放送するようなものではないと思うのだが・・・。NHKの公共性とはどんなものなのか?真面目に音楽をやっている人たちで、能力はあるのに、日の目を見ない人たちは色んな分野に沢山いる。単に、一部の層に人気のあるものを入れて、人気取りのための番組を作るのが、NHKのようなところの使命ではないだろうと思うのだが・・・。面白く、楽しい番組作りと人気取り番組を混同されては困る。私は、去年初めて、「紅白歌合戦」は見ずじまいだった。
兎に角、そのようなことから、今年は、色々な試みが行われてはいるようだ。その一つが、今年(2005)年の「第56回NHK 紅白歌合戦」から視聴者が番組に参加できる双方向機能を強化。紅・白組の勝ち負けを決める審査において、BS hi、および地上デジタル放送のデジタル総合で、デジタルテレビの双方向機能を利用した「デジタルTV審査員」を募集。さらに、全国1万人の視聴者が携帯電話を使って審査に参加できる「ケータイ審査員」システムの導入を実施するなどである。
又、今年は、これまでの総合司会、白組司会、紅組司会の役割分担を撤廃して、紅白別の司会者は設定せず、みのもんた、山根基世、仲間由紀恵、山本耕史の4人によるグループ司会で進行する方式に変更された。紅白では、毎回小林幸子(52)と美川憲一(59)の「衣装対決」も話題になっているが、今年の衣装のテーマは小林が「冬から春へ」、美川が「エレガント」と発表しているようだ。昨年は新潟地震などもあり二人とも、ド派手衣装は自粛していたようだが、小林は今年はド派手復活を宣言したという。一方の美川は空中浮遊などのサプライズ演出が多かったが「今年はエレガントにいくのだとか。紅白も一つのショーであり、派手なのも良い。しかし、何にでも、程々と言うものがある。今年は円安株高を背景に、景気も回復基調とか、一年の最後を、思いっきり楽しく過ごせればよいが、世の中、色んな災害にあって、苦しんでいる人も多く要る・・・。冗談が過ぎておふざけだけにはならないようにしてもらいたいものだ。
今年1年、ブログを見てくれた人に、心より、感謝をします。ありがとうございました。皆さんも、嫌なことは、今日で忘れて、いい年をお迎えてくださいね。
(画像は加藤道子さん。第1回紅白歌合戦では紅組の司会を務めた。朝日クロニカル・週刊20世紀より)
参考:
第56回 NHK紅白歌合戦
http://www3.nhk.or.jp/kouhaku/
NHK紅白歌合戦 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E7%99%BD%E6%AD%8C%E5%90%88%E6%88%A6
Yahoo!ニュース - 紅白歌合戦
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/entertainment/kohaku/
シリーズ 日本のうた/『汽車ポッポ』 作詞:富原 薫 作曲:草川 信
http://www.mmjp.or.jp/MIYAJI/mts/nihonnnouta/kishapoppo.html
50・60年代・紅白歌合戦・昭和歌謡史 /1951(昭和26)年第1回紅白歌合戦
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spkmas/sub16.html