今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

ゴールデン・ウィーク(Golden Week)

2009-04-29 | 行事
いよいよゴールデン・ウィーク(Golden Week)に突入だね。
ゴールデンウィーク(Golden Week)は、語尾が「ウィーク(週間)」であるように、本来は4月29日から5月5日までの7日間を指すが、直前・直後に土曜日・日曜日・振替休日がある場合、それらを含めて呼ぶことが多い。早い人にとって、2009(平成21)年の今年は25 日から既にスタートという人もいる中、各地でさまざまなイベントが行われているようだ。
祝日が日曜日と重なった時、その翌日の月曜日を休日とするための祝日法(「国民の祝日に関する法律」)改正案が参議院本会議で全会一致で可決、成立したのが、1973年(昭和48)年4月6日のことである。この法改正は、「エコノミック・アニマル、働きすぎる日本人という(以下参考に記載の「仕事中毒」参照)ー”汚名”を少しでも返上し、併せて国民福祉の向上に役立てたい」という名分だったが、政府の人気回復策という意味合いもあったようだ。直ちに施行され、この年は4月29日の天皇誕生日と9月23日の秋分の日に適用された。そして、法改正により、この年4月からゴールデン・ウイークは8日間の大型飛び石連休となった各行楽地では空前の人出を記録した。その後も祝休日を増やそうという運動が続き1988(昭和63)年には5月4日を休日(「みどりの日」)とし、その後も祝日を増やし、祝日の移転や月曜への固定化などを図り、今日の状況となっているが、その根底には、大型連休を作ることが不況打開策の1つとしての狙いであったことが見え隠れする。
1970 (昭和45)年~1973(昭和48)年頃の状況を少し、振り返ってみると、1960年代に進行したアメリカ経済の相対的地位の低下はベトナム戦争によって加速され、1971(昭和46)年8月にはニクソン大統領がドルと金の交換の停止を発表し、「通貨危機」が発生した。日本ではこれを「ニクソン・ショック」と呼んだ。1949(昭和24)年以来の1ドル360円の時代が終り、1971(昭和46)年12月のの1ドル308円の暫定レートも、1973(昭和48)年2月に崩壊、変動レートに移行した。そんな中イスラエルに対するエジプト、シリアの奇襲で始まった第4次中東戦争は日本に深刻な危機を招いた。これも経済と政治の相乗作用に誘発されて起った事件で、第4次中東戦争は、いわば米ソ代理戦争的色彩があった。アラブ産油国はアメリカとイスラエル友好国への供給削減を決めた。石油がこなくなる不安から日本国内では買いだめ騒動が全国で起り、トイレットペーパーや洗剤までもがスーパーなどの店頭から消えるというパニック状態がおきた。この時のことを日本では「オイル・ショック」と呼んだ。安定した外国為替レートと豊富な原油に依存して便利な生活を築きあげた日本を、この2つのショックが襲った。しかも2つのショックの間に相乗作用が働いた。「ニクソン・ショック」に対するつもりの金融緩和政策はインフレを誘発した。1969(昭和44)年の「新全国総合開発計画」も1972(昭和47)年の「日本列島改造論」もがそのインフレに拍車をかけ、全国的な土地投機を誘発した。そこに「オイル・ショック」がやってきて、インフレ率は以上に高くなり、「狂乱物価」と呼ばれる様相を呈した。その反動で、翌1974(昭和49)年の実質経済成長率は第2次世界大戦後初めてのマイナスを記録した。(アサヒクロニクル「週刊20世紀」)。1973年の出来事などはここを参照。
1970(昭和45)年には、日本の人口1人当たり平均所得もイギリス並みになっており(以下参考に記載の「※平成7年 国民生活白書」参照 )、環境汚染は深刻であり、日本は、これからも全てにおいて経済成長を優先する必要もなかったはずであるが、急激な経済成長によって生じた問題を経済成長の延長によって解決しようとした。この2つのショックは、日本人にとって、これからの資源・環境といったものの制約や内外の動向、特に日本の少子高齢化問題等を視野に入れて、自分達が目指す社会のあり方を考え直す好機であったが、この危機を「省エネ」によって危機を乗り越えた日本の産業は、その強さを過信し、日本の社会システムを作りかえる仕事をしなかった。当時から「日本の経済は一流だが政治は三流」とよく言われたが、経済が一流だったがゆえに政治が三流になったとも言え、1970年代、都市中心のサラリーマン型社会へと決定的に依存した時代、都市部のサラリーマンは企業への依存を強め、仕事に追いやられ、政治にはますます無関心になっていった。その結果が、今の日本の状況を作り出しているともいえるのだろう。
昨・2008(平成20)年9月半ばにリーマン・ブラザーズの破綻以降、世界経済は一気に「大恐慌の再来か」と言われるほどの大混乱に陥り、日本でも倒産企業が相次いで発生、派遣切りなどによる失業者も急増した。アメリカ新大統領オバマ氏への経済対策への期待や、G20首脳会合による各国の経済危機打開のための財政出動への協調体制合意などをうけて、今年の4月以降、株価も少しは持ち直したかに見えるが、まだまだ不安定な状況にある。そんな中迎えたGWだが、4月26日付け朝日新聞には「休めといわれても」として、今年の連休のことが掲載されていたが、厚生労働省の調査結果によると今年のGWは、平均5,5日で、昨年の5,2日より、0,3日長い。調査は1月時点でその後に休業を決めた事業者もおり、実際はもっと長そうだ。自動車業界の生産部門では、三菱扶桑トラック・バスが最長16連休、日産、三菱自動車も10連休など長いところが多いと言う。・・・受注が減って、「頼むから休んでくれ」と言われて、長期休暇にせざるを得ない企業の社員などは、「お金が無いのに」と長すぎる休みに戸惑っているという。逆に、GWが繁忙期となるサービス業など、週1回の休みももらえるかどうかといった状況の人達からすると、長期に休める人達がうらやましい反面、休みが取れないほど仕事があることを有難いと思わなきゃいけないのだろうと複雑な心境だという。
今の自民党と公明党による末期的政権は、多額の財政赤字をかかえている中で、いずれ来る衆議院選挙に勝つために「定額給付金」をばら撒き、土日祝日の「高速道路料金」を1000円に値下げし、大いに遊び、お金を使って貰おうと必死である。それでも足らないので、景気浮揚の為、経済対策の名目で色々な優遇税制をし、中止していた公共事業も復活させる。・・・、ひょっとして、政権をとって代られるかもしれない民主党などが、例え政権ととっても、その時何をしようにも出来ないほどに借金まみれにして、国民に餌をばら撒いて乗り切ろうという魂胆は、1973(昭和48)年小の祝日法改正の時よりもひどいといえる。・・・税収を上回る国債を発行してまでの人気取り・・・。その後にどれだけの付けが回ってくるのか・・・。考えただけで恐ろしいが、そんなこと、知るものか・・・って感じ・・・。
しかし、今の経済状況は深刻な状況にある事は確かだ。お金のある人には、どしどし使ってもらわないと、当面の景気は浮揚しない。もし、日本人に少しでも日本の国の将来を憂うる心があるのであれば、極力、日本の国内でお金を使って欲しいと思うのだが・・・、お金に余裕のある人は海外への旅行が多いようだ。自由主義の国だから。お金を持ってる人が自分で判断し、良いと思うことに使えばそれで良いのだが・・。三流政治家を生んだのには国民にも責任があると言うことだろう。
本当に、今の世の中、何もかもが、2極化しているようだが、GWの過ごし方も、2極化し、お金のない人、将来に不安のある人は、近場で余りお金を使わず安上がりな小旅行で我慢しようとしている人が多いのは仕方のないこと。私も、銀行よりはと、証券会社に勧められた健全な投資に少しお金を回していたが、リーマンショックのお蔭で、予想もしない大損をさせられ落ち込んでいるひとり。現役を退いた私など、幸か不幸か年中お休み状態なので、GWのような人出の多いときにはもともとどこにも出かけないが、童心に返って近場の動物園か水族館へでも行こうかと思っていたが、今年は、ここらあたりは例年以上に親子連れでごった返すかもしれないね。もう、何時もの裏山にでも登って汗かいている方が健康的で良さそうだ。
人によっては、将来のことを考えて、この連休中に開かれる講座などを受講して自分に投資をする人も結構いると聞くがそれは言いことだろう。ケセラセラを地で行っていた我が妹夫婦など、あの阪神大震災で家を潰し、やっと立ち直りかけてきた時にこの大不況で大変な状況になっている。
政治家が当てにならない日本では、すわと言うときの備えと将来への自分への投資をして供えておかないとこれからの時代どうなるか?その覚悟だけはして、このGWを楽しまなくてはいけないだろうね。今の日本の財政赤字は、世界の中でも類を見ない、取り返しがつかない状況にまでなっていることだけは再認識しておいてくださいよ。まずは以下を見られると良い。1人当たりの赤字847万円。それに貴方の家族の生まれたての赤ちゃんから死にかけの爺さんばあさんまで含めた人数を掛け算したものが、貴方の家の借金としてあることをね。
リアルタイム財政赤字カウンター 9 ⇒  http://www.kh-web.org/fin/
時間があれば以下参考に記載の「人口減少経済」の新しい公式―「縮む世界」の発想とシステム―など一度読んでおくと良いかもね。
参考:
ゴールデンウィーク - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%AF
1973年[ザ・20世紀]
http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1973.html
リチャード・ニクソン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3
仕事中毒- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%95%E4%BA%8B%E4%B8%AD%E6%AF%92
※平成7年 国民生活白書 /戦後50年の自分史 多様で豊かな生き方を求めて
http://wp.cao.go.jp/zenbun/seikatsu/wp-pl95/wp-pl95-01101.html
金融政策 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E8%9E%8D%E6%94%BF%E7%AD%96
社会システム理論 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0%E7%90%86%E8%AB%96
日本経済、09年はマイナス6.2%成長 IMF見通し(2009年4月22日23時2分asahi.com)
http://www.asahi.com/business/update/0422/TKY200904220298.html
16連休か働き詰めか 「ゴールデンウィーク」どう過ごす?
http://www.j-cast.com/kaisha/2009/04/21039759.html
大不況でGW「16連休」続出? ミクシィで「悩み告白」相次ぐ
http://www.j-cast.com/2009/04/15039521.html
「人口減少経済」の新しい公式―「縮む世界」の発想とシステム―
http://www.utobrain.co.jp/review/2005/120101/
衆議院議員 原田義昭 Blog - 「日本経済、もはや一流ではない」の衝撃
http://www.election.ne.jp/10375/37357.html
大前研一|虐げられるサラリーマン大逆襲への道 | 実践ビジネススクール
http://president.jp.reuters.com/article/2009/04/20/523DF292-2B26-11DE-9072-2F093F99CD51.php
少子化白書閣議決定 「世界でも最も少子高齢化」 (1/2ページ) - MSN
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090417/plc0904171011005-n1.htm

絆の日

2009-04-27 | 記念日
今日・4月27日は「絆の日」
人と人との「絆」を大切にと兵庫県神戸市の株式会社アートファーマーが制定。「絆」は社会を支える上での基本的なものとして、その重要性を広く社会にアピールするのが目的だとか。日付は絆を忘れないようにと勿忘草の月である4月と27を絆の「つな」と読む語呂合わせから。 詳しくは知らないが、(株)アートファーマーは、神戸の・イベントプロデュース業務やまちづくり関連事業コンサルタントを業務としている会社のようである。
"哀しみが絆を生み、愛がその絆を深め、そして、憎しみが絆を思いがけない方向に押し流す。人は誰もが運命の絆に翻弄されて、生と死の挟間を漂っている。不安定な現代の中で”絆”は人間の光と影を鮮やかに照らし出し、心を揺さぶるキーワードと言える。愛する人を守る方法は、たったひとつー、10年の時を隔てて放たれた2発の銃弾。”絆”を巡る運命のドラマが幕を開ける。・・・事件の鍵を握る男・伊勢(役所広司 )、事件を追う警部・佐古(渡辺謙 )、ふたりの男の現在が交差するとき、伊勢の悲しいまでに運命的な過去が浮かびあがる"・・・根岸吉太郎監督作品映画「絆ーきずなー」((1998年日本映画。以下参考のgoo-映画参照) パンフレットより。
「絆」と言えば、あのダークダックスの名曲「絆」と言う歌を思い出す。
♪ 糸へんに半分と書いて 絆と読みます。お互いに半分ずつの 糸を結び合うからです
糸の太さは人それぞれ 顔の違いと同じです 
かたいか ゆるいか ほどほどか その結び目が大事です。
♪ にんべんに半分と書いて 伴うと読みます。人はみな半人前が 二人道連れだからです
一人でできることといえば 互いにたかが知れてます
一人の旅より 二人旅 触れ合う肩が 語り合う
1981年(昭和56年)、ダークダックス30周年記念曲として発表された曲で、当時三井生命のCM曲としても 使用されていた。本当に、「絆」と言うものを的確に表している名曲だと思う。以下で聞けるよ。
YouTube - ダーク・ダックス 絆 2004 http://www.youtube.com/watch?v=b2D8-WDWbm8
漢字の(糸部【べきぶ】)の「糸」字は、細い絹糸を意味しており、古字は2つの丸い束が連なった形であり、よりまとめられた糸の形に象る。なお「糸」の字音はベキであり、常用漢字の「」は「絲」(音はシ、絹糸の意)の略字で。『説文解字』に「糸は細い絲」とあるようだ。
その【糸】とは、天然繊維や化学繊維を引き揃えて、撚(よ)りをかけた物のこと。【撚る】とは、糸状のものをひねる。また、ひねってからみ合わせることである。
人は成長期には学業を修め、なにかの縁あって人と人とが出会い、そこでの絆が深まり、純な気持ちで愛が結ばれると、結婚の約束を交わし、結納を納めて、一緒になるが、時には破綻することも・・。それぞれ、紆余曲折の人生を送り、最後には臨終を迎えることになるのだが、これらの中に糸偏の字がいくつ出てくるだろう。漢字の【絆(きずな)】には、家族・友人などの結びつきを、離れがたくつなぎとめているもの。動物などをつなぎとめておく綱の意味があり、ほだし【絆(ほだ)し】といった場合には、もっと強く、人情にひかされて物事を行う妨げとなるもの。自由を束縛するものとしても使われている。また、ほだされる【絆される】と言う場合には、情にひかされて自分の考えにない行動をとる。人情にからまれる。 ・・などといった意味に使われる。
人と人を緊密に結びつける糸のような存在の「絆」にも、逃げ出したくて逃げようとしても、切っても切れない糸のようなどうしようもない因縁めいた絆もあり、それも、”人間の絆”というものではないだろうか。
イギリスの小説家、劇作家・サマセット・モームの作品に『Of Human Bondage(人間の絆)』(1915年刊)がある。幼くして両親を失い,不自由な足ゆえに劣等感に苛まれ続ける主人公フィリップに、自らの精神形成を託して書かれた人生遍歴の物語であるが、同名の映画は、1934年と、1964年の2度映画化されている。1934年の映画化では、レスリー・ハワード演じる主人公のフィリップと、ベティ・デイヴィス演じる魔性の女性ミルドレッドとのラブ・ストーリーに焦点を絞ったものになっているが、映画のタイトルは、原題の「人間の絆」ではなく、「痴人の愛」(原題: Of Human Bondage)の邦題で放映されている(goo-映画参照)。これは、谷崎潤一郎の人気小説『痴人の愛』(1924年3月から大阪朝日新聞に連載。後半は「女性」に掲載されたという。同名での映画化は、1949年木村恵吾監督による。)に因んだものか・・・。又、1964年のものは、ローレンス・ハーヴェイがフィリップを、ミルドレッドはキム・ノヴァクが演じている(goo-映画1964年参照)。この映画で、フィリップは、ミルドレッドに翻弄されるが、彼女に求婚し振られた後、医者になる。そんなフィリップのもとに不治の性病に冒された彼女が運び込まれるが、彼女は頑として彼の治療に応じず、死んで行く。それを見て、フィリップはサリーとの結婚を望まれたが、彼女をも不幸にしてしまいそうな気がして、彼は汽車でほかの町へ旅立った。その車中、ふと気がつくと、サリーが傍らに立って微笑を浮べて立っていた。・・・が、前作「痴人の愛」では、同じ様に翻弄されたフィリップが大学士となり、そして豪州航路線の船長となり、赴任しようとするとき、ミルドレッドは施療病院で淋しく死ぬ。初めて彼女から開放された気持ちになったフィリップは船長を勤め、サリーと結婚し晴れやかに人生のスタートを始める。・・・といったようにどちらもミルドレッドの悲劇的な運命が強調されているが、ストーリーの展開は大分異なる。
この小説のタイトル「Of Human Bondage」の「Bondage」は「緊縛、隷属性」と言う意味であり、直訳的には「人間の絆」というより、先の漢字の説明でも書いた「人間の絆(ほだ)し」の方が近いようだ。内容的にもそう思う。この映画のような男と女の絆は別として、絆には、夫婦や、家族、そして友だとしての友情の絆などがあるが、将来結ばれるべき男女は、小指と小指を(見えない)運命の赤い糸で結ばれているという伝説がある。これは中国の『太平広記』にある「定婚店」という話に由来するものだとか・・・。由来は、以下参考に記載の中国故事街・故事成語のお話の月下老 / 赤縄を結ぶを読むと良い。
結婚した二人の男女を結びつける絆には、他の人間関係には決して見られない特別な意味があるようだ。それを維持してゆくことも解消することも個々人の自由な選択にゆだねられるべきものではないだろう。
人生は糾(あざな)える縄の如し(正しくは「禍福は糾える縄の如し」 Wiktionary参照)とよく言うが、人生にそれ程深い意味があるわけでもない。人生をいきれば辛いことや悲しいこともあるが、それはそれで、その人の人生をより深い幅のあるものに広げてゆくことだろう。一人の男と一人の女が互いに自分を与え合うことを誓ったとき、そこから新たに夫婦の絆はつくられてゆく。
今の時代、結婚をせず、1人での生活をしている人、結婚はしても子供を生もうとしない人達、結婚しても直ぐに離婚をしてしまう人達が後を絶たないと聞く。
♪なぜ めぐり逢うのかを 私たちは なにも知らない
  いつ めぐり逢うのかを 私たちは いつも知らない
・ ・・・・・・中略・・・・・・
縦の糸はあなた 横の糸は私 逢うべき糸に 出逢えることを 人は 仕合わせと呼びます♪
互いの心を結ぶことを糸に例えた 中島 みゆきの「糸」と言う歌だ。歌詞は以下を参照。
中島 みゆき「糸」 http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/ito.htm
彼女は言い歌をつくるね~。ラストにあるようにせっかくの絆で出会えたし合せを忘れないで欲しい。
そして、それぞれの人が、夫婦としての、親子としての、家族としての絆を大切にし、それぞれの家庭が金銭面ではなく精神面で豊かに、そして明るくなってゆくことが、今の世の中を明るくし、ひいては、日本の将来の繁栄にも繋がるのだろうと思うよ。
最後は、彼女の素晴らしい歌唱力での歌を聴いてみよう。以下で聞ける。
中島みゆき by 糸 (ライブ)  http://www.youtube.com/watch?v=JVt2BBiGugQ
(画像は、コレクションのチラシ「絆」
参考:
株式会社アートファーマー
http://art-farmer.com/
ダークダックス – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
5月17日、「生命・きずなの日」。生命の大切さ、生命の絆について考える日。
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/26bbddd09aea56ac4316dfb6846db7e3
4月27日ロープデー
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/740494d916415f338c8618b307430242
絆 -きずな(1998) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD31132/
糸部 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E9%83%A8
サマセット・モーム- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%A0
W. Somerset Maugham (W・サマセット・モーム) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/5219/
人間の絆 (Of Human Bondage)
http://www.asahi-net.or.jp/~hj7h-tkhs/jap_brief/jap_brief_bondage.htm
レスリー・ハワード – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89
谷崎潤一郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B4%8E%E6%BD%A4%E4%B8%80%E9%83%8E
中国故事街・故事成語のお話
http://www.katch.ne.jp/~kojigai/seigo.htm
中島みゆき - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D
Amazon.co.jp: 要約すると (新潮文庫): サマセット・モーム,
http://www.amazon.co.jp/%E8%A6%81%E7%B4%84%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%A8-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%A0/dp/4102130233

御忌会(法然上人の年忌法会)

2009-04-25 | 行事
「御忌会」は、浄土宗の開祖・法然上人の年忌の法会であり、なかでも、浄土宗の総本山と言われている京都知恩院のものが有名である。「御忌」とは、高貴な人や祖師などの年忌の法会を言うが、浄土宗では、大永4年(1524年)当時の天皇である後柏原天皇より、「知恩院は浄土宗の根本道場であり、毎年7日間、御忌を勤めよ」という「大永の御忌鳳詔」以来、法然上人の年忌法要を特に「御忌」と呼ぶようになり、知恩院では、毎年1月19日から25日までの1週間、昼夜にわたって御忌会が勤められてきたが、明治10年(1877年)からは参詣者の便などを考えて、厳寒の1月をさけ、気候のよい陽春4月に変更され、今日に至っているようである。(ここに書かれていることが正しいか否かは知らないが、以下参考に記載の「輪番御忌について基本的な知識」に「大永の御忌鳳詔」の内容が書かれているので参照)。
法然上人の忌日に行う法会「「御忌」は、俳諧などでは春の季語となっており、以下参考に記載の「季語と歳時記・御忌」には、以下の句が見られる。
なには女や京を寒がる御忌詣  蕪村 「蕪村句集」
着だをれの京を見に出よ御忌まふで 几董 「晋明集二稿」
几董は、江戸時代中期の俳諧師で、与謝 蕪村の弟子である。昔の京都の人は一年の寺参りの始めとして遊山も兼ねて着飾って詣でたため御忌小袖、衣装競べ、弁当始などといったそうだが、法然の命日は建暦2年1月25日(グレゴリオ暦:西暦1212年3月7日、ユリウス暦:西暦1212年2月29日)は、大阪の人にとっての京都は、まだまだ寒い季節だったろうね。
法然は、平安時代後期から鎌倉時代初期という歴史的な大変換期に生きた僧侶で、美作国(現岡山県)の久米郡の押領使漆間時国の長子として生まれ幼名を勢至丸と言ったが、父親が地方の政争に巻き込まれ殺され幼くして菩提寺に入り、その後、13歳の時に中央での学問と修業をめざし比叡山に上り、得度し、最初は天台法華を学ぶが、やがて「悟りの仏教」から「救いの仏教」を求めるようになる。18歳のとき黒谷慈眼房叡空に師事して法然房源空(「法然」は房号が源空)と名乗り、浄土三部経などを学び30年に及ぶ厳しい修行の後、承安5年(安元元年=1175年)の春、唐の浄土教家善導が著した『観無量寿経疏』の注釈書を読み絶対的な阿弥陀如来と、凡愚悪人でしかありえない人間とをつなぐものは、南無阿弥陀仏の六字の名号を称えること以外に無いことを確信し専修念仏に進むようになり、同年、法然、43歳のとき、比叡山を下りて東山吉水に住み、訪れる人を誰でも迎え入れ専修念仏を説き、旧仏教では往生が難しいとされた女性にも布教した。この年を浄土宗では立教開宗の年としている。
仏教が日本に伝わったのは6世紀前半のことであったが、高度な外来文化として受け入れられた仏教は、長い間日本人にとっては、学習の対象であった。当時、古代インドで書かれたものが中国に伝えられ、中国で訳経されたものを、日本の僧侶が読み解きその内容を表現するのは容易なことではなかった。そのようなことで、仏教の寺院が国家や貴族の後援で成り立ち、僧侶が特権的な身分を与えられたのもそのようなことと無関係ではない。
仏教が伝わって2世紀余りすぎ鎌倉時代になり、やっと、寺院の外に出て活動する法然のような僧侶が現れ、仏教的なものを寺院の外に広める役割を果たすようになった。また、この頃、律令制度がゆるみ、停滞を隠せなくなった平安時代中期以降の貴族社会の一部に現世に究極の価値を認めない仏教教説に対する関心が高まり、個人救済的な性格の濃い浄土教が広がったといえる。
法然はあるべき人間ではなく、あるがままの人間を凝視するところから出発して仏教をとらえなおそうとした。そして、人間をみつめることによって到達したのは、凡愚で罪深い人間が仏になったり,近づいたりすることは不可能に近いという立場であった。そこでは、仏は人間の理想や模範ではなく、人間を救う絶対的な存在である。人間の模範としての仏なら、仏はいかなるものかは、知識学問によって説明できるが人間から隔絶している絶対的な仏は信仰の対象として以外にはありえない。平安時代までの仏教が、仏は人間と連続的なものと考えられていたのにたいして、法然は、仏と人間とを無限の両極に切り離し、その仏と人間を結ぶ唯一のものが念仏とした。(週刊朝日百科「日本の歴史」)。
文治2年(1186年)、顕真の発議により、大原・勝林院で聖浄二門を論じ(大原談義又大原問答)、法然は、そういう仏教を「聖道門」(しょうどうもん)と名づけて捨てた。『平家物語』「敦盛最期」の段における平敦盛との一騎打ちで知られる熊谷直実が、法然の弟子となり出家したのも建久4年(1193年)ごろのことである。
そして、建久9年(1198年)には『選択本願念仏集』を著している。
しかし、法然のまわりに多くの念仏者が集まるようになると、次第に、法然の教義に対する解釈に微妙な違いが生じていった。そして、一部の念仏者に過激な行動を起こすものが出、仏教の秩序を乱すものとして、叡山や南都(奈良)などの旧仏教側の諸大寺から非難また敵視されるようになる。そのことが、後鳥羽院の官女と弟子の住蓮安楽の密通事件を理由に、専修念仏はついに停止され、承元元年(1207年)法然と主要な門弟が配流されることに繋がったのであろう。法然は、4年後の建暦元年(1211年)赦免になり配流先の四国・土佐より帰京、東山大谷での布教を始めるが、翌年1月25日に死去した(享年80歳)。この、法然が旧来の仏教ではなく専修念仏を選択し、配流につながっていったことなどに関しては、以下参考に記載の「松岡正剛・千夜千冊「法然 選択本願念仏集」」に興味深いことが書いてある。関心のある人は読まれると良い。
法然の没後、法然の念仏の教えは長老の信空が後継となったものの門人の間で法然の教義に対する解釈で微妙な違いが生じていった。そして、嘉禄3年(1227年)、再び専修念仏の停止が命ぜられて、浄土門では大きな被害を受け、以後、法然教団の分派が加速することとなった(嘉禄の法難)。
法然の弟子親鸞浄土真宗を開くが、法然の教と共に「浄土門」(浄土教仏教)が鎌倉仏教の中心となっていったが、鎌倉新仏教が、学問ではなく信仰の立場で仏教を見直すことであったとすれば、その先駆者が法然であったことだけは確かである。
このブログを書いていて、気になることがあった、法然が、比叡山を降りて、東山吉水の草庵で専修念仏を広めていったが、この「東山吉水」の正確な場所がよく分からない。
Wikipediaでも、“知恩院は、浄土宗の宗祖・法然房源空(法然)が東山吉水(よしみず)、現在の知恩院勢至堂付近に営んだ草庵をその起源とする。その法然の住房は現在の知恩院勢至堂付近にあり、当時の地名を取って「吉水御坊」「大谷禅坊」などと称されていた。”・・・とあり、親鸞に関するページでは、 “弟子の親鸞が叡山と決別して下山し、東山吉水(京都市東山区円山町)の法然の草庵(現在の安養寺付近)を訪ねる。そして、法然の専修念仏の教えに触れ、入門を決意。建仁元年「吉水入室」。“・・・とある。
ここに書かれている、「安養寺」について、以下参考に記載の「京都市観光情報システム・安養寺 (吉水草庵)」では、“最澄が創建。吉水坊と称し、法然が30数年間ここを本拠に称名念仏を宣揚・親鸞も入信したが、専修念仏弾圧で荒廃。1385年(至徳2)国阿が入寺、時宗(浄土教の一宗派)に改めて興隆、境内に子院六阿弥坊(中の重阿弥で赤穂浪士が円山会議を開いた。)があったが、明治後期に消失、今は本堂、書院、弁天堂と料亭「左阿弥」(以下参考に記載に「料亭 左阿彌 - 歴史・由来」参照)を残すだけ。同寺の山号慈円山が円山公園の名称のもとになった。”・・・とある。以下参考に記載の「円山公園とその周辺」には、もっと詳しく、このことが書かれている。どうも、法然が布教の場として使っていた草庵は知恩院ではなく安養寺にあったようだ。
法然の没後、門人の間で法然の教義に対する解釈で微妙な違いが生じていったことは先にも触れたが、その後、分派し、Wikipediaの浄土宗にも書かれているように、●信空の没後、京都の浄土宗の主流となった証空の西山義、●九州の草野氏の庇護を受けた弁長の鎮西義、●東国への流刑を機に却って同地で多念義を広めた隆寛の長楽寺義、●京都で証空に対抗して所業本願義を説いた長西の九品寺義の4派の浄土四流という流れが形成される(ここで義とは、他力信心の要義を言っているようだ)。もっとも当時の有力な集団の1つであった親鸞の教団は法然没後に浄土真宗として事実上独立することとなりこの4流には含まれておらず、他にも嵯峨二尊院の湛空や知恩院を再興した源智、一念義を唱えた幸西など4流に加わらずに独自の教団を構成した集団が乱立した。だが、中世を通じて残ったのは浄土真宗を別にすると西山義と鎮西義の2つであり、この両義の教団を「西山派」「鎮西派」と称することとなる。“・・とある(歴史参照)。
私は、このような宗教のことは、全く分からないので、判断できないが、法然の没後、浄土四流に含まれない知恩院がどうして浄土宗の総本山になっていったのかが、いまひとつよく理解出来ないのでこれは、またの勉強課題にしよう。続に、“歴史は作られ”ともいうが、これもその1つと思えば良いのだろうが・・・・。
(画像は、法然像。京都二尊院に伝わる足引の御影【みえい】とッ呼ばれる画像で、最も古いものとされているようだ。週刊朝日百科「日本の歴史」7より)
参考は以下をクリックしてください。別ページがこの下に表示されます。
クリック ⇒ 御忌会(法然上人の年忌法会):参考

御忌会(法然上人の年忌法会):参考

2009-04-25 | 行事
(画像は、知恩院・勢至堂。Wikipediaより)
参考:
浄土宗公式ホームページ
http://www.jodo.or.jp/
法然 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E7%84%B6
季語と歳時記
http://cgi.geocities.jp/saijiki_09/index.html
与謝蕪村 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E8%AC%9D%E8%95%AA%E6%9D%91
法然院 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E7%84%B6%E9%99%A2
親鸞 (浄土真宗の開祖)の忌日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/0878332858a75bd152ebbabfc3a5918f
日本の寺院一覧 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%AF%BA%E9%99%A2%E4%B8%80%E8%A6%A7
浄土三部経 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E4%B8%89%E9%83%A8%E7%B5%8C
輪番御忌について基本的な知識
http://syourinji.com/page015.html
松岡正剛・千夜千冊「法然 選択本願念仏集」
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1239.html
鎌倉仏教
http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/kamakurabukkyou1.html
熊谷直実 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%B0%B7%E7%9B%B4%E5%AE%9F
律令制 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8B%E4%BB%A4%E5%9B%BD%E5%AE%B6
京都市観光情報システム・安養寺 (吉水草庵)安養寺 (吉水草庵)
http://kaiwai.city.kyoto.jp/search/view_sight.php?ManageCode=1000009&InforKindCode=1
京都府 京都市東山区 円山町 の地図 - エキサイト 地図
http://www.excite.co.jp/map/m/?el=135.785535&nl=34.9996977777778&scl=6
国阿- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%98%BF
料亭 左阿彌 - 歴史・由来
http://saami.jp/history.html
円山公園とその周辺
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/anyou-ji.htm


シジミの日

2009-04-23 | 記念日
日本記念日協会の今日・23日の記念日を見ると「シジミの日」があった。
”食品として優れ、水質浄化にも役立つシジミの有用性をアピールするために、長年シジミの研究を続けてきた有限会社日本シジミ研究所が制定した日"だそうで、"日付は4と23で「シジミ」と読む語呂合わせから"だとか。日本シジミ研究所のHPを見ると同所は島根県八束郡玉湯町にあり、「シジミの日」は2007(平成19)年に設けられたようだ。
島根県と言えば“宍道湖” 宍道湖と言えば“シジミ(蜆)”が連想されるぐらいに、シジミの産地として有名。
シジミは、マルスダレガイ目 シジミ科に属する二枚貝の総称(以下参考に記載の「貝類図鑑・二枚貝 市場魚貝類図鑑」参照)で、淡水域や汽水域に生息する小型の二枚貝のこと。通常目にする二枚貝のうちでは小型なので「縮み」が転じて名づけられたとする説があるそうだ。
宍道湖は島根県東部に位置し、周辺を松江市、出雲市、斐川町に囲まれた湖で、湖面積79.1k㎡、周囲長47km、最大水深6.4mの日本で7番目に大きな湖である。
宍道湖は、西部に位置する斐伊川から淡水が注がれ、東部からは日本海より中海大橋川を通じて海水が遡上する汽水湖である。ここで獲れるシジミの種類は90%以上がヤマトシジミであり、全国のシジミ漁獲量の約39%を占めているという(農林水産省 漁業・養殖業生産統計年報 平成12年度【2000年】)。
宍道湖は、汽水湖のために魚種も豊富であるが、その中で、ヤマトシジミは、粒が大きく身が肉厚であり、宍道湖で特に自慢したい食材宍道湖七珍の1つに数えられている。
私も現役時代は仕事で、何度も松江へ行ったが、旅館で、味わうシジミ汁は格別であった。松江は、江戸時代には、「不昧公」の異名を持つ松平治郷の松江藩の城下町として盛えたところである。
そういえば、今年・2009年3月末まで放映されたNHKの連続テレビ小説「だんだん」は、島根県と京都府で育ったヒロインの双子をマナカナ(三倉茉奈・三倉佳奈)が演じていた。タイトルの「だんだん」は出雲弁で「ありがとう」の意味だとか。島根県が連続テレビ小説の主な舞台になるのは、今回が初めてだそうだが、大阪市や広島市などと並ぶ「水の都」の 松江の朝、多くのシジミ漁の小舟が浮かぶ.風景は、 宍道湖の風物詩ともなっている。宍道湖には約300名ものシジミ漁業者がいるという。宍道湖で獲れるヤマトシジミは全国一の漁獲量を誇り、松江の代表的な味覚のひとつとして全国へ出荷されている。
「だんらん」のヒロインである双子めぐみ(三倉茉奈)とのぞみ(三倉佳奈)の実の父親田島忠(吉田栄作 )は、優しいが、頑固なところもある松江市宍道湖のシジミ漁師であり、シジミの佃煮が大好物。その妻であり、めぐみの育ての親である嘉子(鈴木砂羽 )は料理が得意で、演歌好き。めぐみは、生みの親でないことを知ってからも「お母ちゃん」と呼び親しんでいる。そして、そのめぐみは、嘉子が作る料理の中で、シジミカレー(この番組オリジナル料理)が一番好き。又、めぐみの2歳下の腹違いの弟健太郎(忠と嘉子の実子)は、嘉子が作る料理の中で、「シジミコロッケ」(これも番組オリジナル料理)が大好物という設定になっている。
しかし、なんと、このめぐみの好きな「シジミカレー」、松江市大垣町の花鳥園「松江フォーゲルパーク」のレストランで商品化され、大好評なのだとか。以下参照。
「しじみカレー」好評 連ドラ「だんだん」追い風に - NetNihonkai
http://www.nnn.co.jp/news/090107/20090107003.html
又、NETで検索していると、このテレビを見て、「シジミコロッケ」も真似て、作っている人が随分といるようだが、松江の代表的な味覚のひとつなのだから、地元で、商品化すると良いだろね~。それに、北海道や青森にはジジミラーメンがあるとも聞くよ・・・。
このテレビドラマでは、めぐみ等が3人組バンド「シジミジル」を組んで路上ライブで「シジミジルのテーマ」を歌っていたよね~。
♪一日一杯のシジミジル
完全無欠の自然食
ビタミン・鉄分・カルシュウム
健康一番 シジミジル♪
この曲は、テレビドラマ「だんだん」の脚本家でもある森脇京子の作詞、原田アツシ作曲によるもので、このドラマ専用のオリジナル曲だというのだが、まるで、「しじみ汁」のCMソングのようだ。先ずは歌詞を見ると良い。
シジミジルのテーマ 茉奈佳奈 歌詞情報 - goo 音楽
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND73813/index.html
又、曲も単純で面白いから、ちょっと、聞いてみる?
シジミジルのテーマ/だんだん by KOV - 無料試聴!投稿型着メロ/J研
http://j-ken.com/category/all/data/713868/
この曲の歌詞にもあるように、みそ汁の具として人気の高いシジミは、アミノ酸をはじめ、ビタミンや鉄分・カルシュウムが多く含まれており、又、うま味成分の一種であるコハク酸を豊富に含んでおり、昔から貴重なタンパク源として、重宝されていた。
以下参考に記載の「世界傑作格言集」の中にウイリアム・ジェームスの以下の格言がある。
・人生を恐れてはいけない。人生は生きるに値するものだと信じなさい。その思いが、事実を作り出す手助けとなるであろう。(人生の格言 No.2から)
ウイリアム・ジェームスは、アメリカを代表する哲学者・心理学者で、「プラグマティスト」の代表として知られている。その「プラグマティズム」は 「 観念論」に対比する「経験論」の代表的なものであり 「問題を解くために、役にたつ知識こそ、真の知識である」 と考える(以下参考に記載の[PDF] プラグマティズムとは何か参照)思想だそうである。その上で、ウイリアム・ジェームス以下の格言を見てください。
・人生は生きるに値するか?それはひとえに肝臓にかかっている。(酒と煙草の格言から)
いいこと言うよね~。分かりやすくって良いいじゃない。生きるに値する人生を歩もうとするなら肝臓次第だって・・・。
日本産のシジミは汽水域にすむ「ヤマトシジミ」、淡水にすむ「マシジミ」、琵琶湖水系特産の「セタ(瀬田)シジミ」の3種類に大別でき、この中で最も多く獲れ、流通しているのが「ヤマトシジミ」。
日本には「土用しじみは腹薬」と言うことわざがあるが、シジミは、「土用しじみ」として夏に食べられるが、「寒しじみ」と言って冬にも食べられる。だが、冬が旬の「寒しじみ」と呼ばれるのは、マシジミ、セタシジミで、「土用しじみ」とも呼ばれているのは夏が旬のヤマトシジミのことだそうで、シジミが胃腸を整えることから、昔から夏バテ防止にも一役買っていたようだ。しかし、一番美味しい時期は、やはり、秋に栄養をたっぷりとり、身が引き締まっている冬の方だろうと思うよ。シジミに含まれる酵素肝臓のアルコールの分解を助けてくれるので昔から肝臓に良い食材とされている。食べるには汁にするのが一番。飲み過ぎたときなどもジジミの汁か味噌汁など食べて肝臓をいたわってやろう。生きるに値する人生を全うするために・・・ね。ただ、我が家人は食べ物の中で唯一食べないのが貝類ときている・・・。しかし、貝の身は食べないが汁だけは飲む。だから、シジミの汁物が好きな私の椀には何時も貝が山のように詰まれることに・・・・(^0^)。
(画像はしじみ汁)
参考:
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
山陰中央新報 - 23日はシジミ記念日で豊漁祈願
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=502414004
シジミ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%B8%E3%83%9F
貝類図鑑・二枚貝 市場魚貝類図鑑
http://www.zukan-bouz.com/zkanmein/2mai.html
しまねの豊かな川と湖
http://www2.pref.shimane.jp/naisuisi/yutakana/sinjikonakaumi.html
だんだん - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A0%E3%82%93%E3%81%A0%E3%82%93
連続テレビ小説「だんだん」
http://www9.nhk.or.jp/asadora/dandan/
しじみのはなし
http://mirabeau.cool.ne.jp/shiohigari/shinagawa/index2.html
神戸花鳥園公式ブログ/松江フォーゲルパーク出張レポート
http://kobekachoen.blog40.fc2.com/blog-entry-169.html
Yahoo!百科事典・自然科学
http://100.yahoo.co.jp/category/%E8%87%AA%E7%84%B6%E7%A7%91%E5%AD%A6/#C11
世界傑作格言集
http://kuroneko22.cool.ne.jp/
ウィリアム・ジェームズ – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA
[PDF] プラグマティズムとは何か
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/soyama/gakusyuukai/siryou/kazu-puraguma.pdf
観念論 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E5%BF%B5%E8%AB%96
経験論 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A8%93%E8%AB%96
ことわざ – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%8F%E3%81%96
食べもの暦 7月号 (土用しじみ O157) 東京都福祉保健局
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/tamafuchu/kouhou/tabemono/h19_7_1/index.html 大阪写真集・蜆川跡
http://www2.odn.ne.jp/sallie/osaka-sijimigawaato.htm