今日(11月30日)は、「カメラの日」
1977(昭和52)年の今日(11月30日)、小西六写真工業(現在のコニカミノルタホールディングス)が世界初の自動焦点(オートフォーカス)カメラ「コニカC35AF」を発売した。「ジャスピンコニカ」という愛称で呼ばれ、誰でもピンぼけせずに撮れるということで、それまでカメラに縁のなかった女性や中高年層の市場を開拓した。
カメラ (camera) とは、写真を撮影する為の道具であり、被写体の像を感光材料(写真フィルムなど)の上に投影し、適正な露光を与える為の装置を備えている。
カメラのはじまりは、壁に穴が開いただけの暗い部屋からであった。窓のない暗黒の部屋の壁面に小さな穴を空けると、反対側の壁面に外の景色が映し出される。これを応用して、日食の観察を行ったり、絵画の下絵を描く目的に使われた道具で、それは、カメラ・オブスキュラ と呼ばれたもので、「カメラ(camera)」は「部屋」、「オブスキュラ(obscura)」は「暗い」つまり、ラテン語で「暗い部屋」という意味だそうだ。6世紀には小穴の代わりにレンズを用いてより鮮明な像が得られるようになり、反射鏡によって箱の上面に像を結ばせるようにした小型のカメラ・オブスキュラが作られた。これは絵画に於ける遠近画法の確立に寄与したと言われている。その箱はさらに改良され、箱の中に映った景色を人間が写し取るのではなく、科学的な方法で写し取るための研究が重ねられ、そして1826年にフランスのニエプスが8 時間もかけて1枚の写真をとったのが、写真の始まりとされている。そして、1839年、フランスのL・J・M・ダゲールがダゲレオタイプ(Daguerreotype。銀板写真と呼ばれるもの)について発表し、発売された「ジルー・ダゲレオタイプ・カメラ」が世界で初めて発売されたカメラなのだそうである。
現在私たちが使っているカメラは、ほとんど自動化されていて、シャッターボタンを押すだけで、手軽に鮮明な写真を撮ることが出来る。カメラの原理そのものは古く紀元前から判っていたわけだが、その光をつかまえる”という人類の長い間の夢が、やっと、このタゲレオタイプで実現し、その後も、カメラの光をコントロールするための、技術開発が行われ、19世紀後半に発明された乾板によって、シャッターが生まれ、レンズの性能が大幅に向上した。そしてロールフィルムの出現は、写真の普及を早めただけでなく1枚の写真から連続写真へ、さらに映画の発明をもたらし、映像文化をより豊かなものにしてきた。そして、小型で扱いやすくなったカメラは、工場生産による商品化を促進させ専門家だけのものから一般市民へと広がり、急速にアマチュア写真家層を形成させた。
これらのカメラの歴史的なことは以下参考のカメラの歴史① 「カメラのはじまり ~カメラって何?~」が子どもでも分かるように簡単に分かりやすく解説しているよ。
日本に写真が伝わったのは、1848(嘉永元)年とされているが、明治に入ると、「指物師」 達が作ったボディ(カメラ本体)に輸入品のレンズを組み合わせたカメラが作られ始めた。この日本で最初にアマチュア向けに発売されたカメラが、1903(明治36)年に、小西六写真工業(現在のコニカミノルタホールディングス。(以下、文章上は略して単ににコニカと書く)から発売された、「チェリー手提暗函(てさげあんばこ)」というカメラだそうである。そして、この年には、国産初の印画紙も発売している。1940(昭和15)年には国産初のカラーフィルムであるさくら天然色フィルム(後のサクラカラーフィルム)を販売。日本の写真用カメラフィルムのトップブランドの1つとして成長。1987(昭和62)年に海外のブランド名であるコニカに統一。
同社は、もともと薬種商小西六右衛門として、江戸の文化年間に始まった薬品店であったが、19世紀の末になると写真機の輸入はこの店の重要な部門となっていたそうだ。その関係から、私が前に書いたブログ1899(明治32)年の今日(6月20日)は初の日本製映画が歌舞伎座で公開 された日 でも触れたが、同社の店員の浅野四郎がその時の日本人映画カメラマン第1号でもあるのだよ。
カメラの製造販売にも力を注ぎ、1903年の「チェリー手提暗函」を発売そして、戦前から「ミニマムアイデア」、「パール」シリーズや「パーレット」シリーズ、「リリー」シリーズなどの大衆~上級者向けの高品質カメラを数多く作り名を馳せた。戦後は「コニカI」から出発し、シャッターを押すだけで誰でも簡単に写真が撮れる「ピッカリコニカ(フラッシュ内蔵)」、「ジャスピンコニカ(世界初のオートフォーカス機構採用)」、「現場監督(防塵、防水機構採用)」で知られるコンパクトカメラ、ワインダーを内蔵した一眼レフカメラFS-1、FT-1など、後に主流となる機能・機構を盛り込んだ数多くの名機を世に送り出した。私は、写真機のことは余り知らないので、写真機のことはフリー百科事典Wikipediaの記載を引用しているが、写真愛好家の中では「ヘキサー」「ヘキサノン」レンズのブランド名で馴染みがあるそうだ。
3年前の2003(平成15)年4月に事業子会社を設立し持株会社化した。同年8月に写真機・複写機大手のミノルタを完全子会社化し、コニカミノルタホールディングスを発足させた。同年10月1日、ミノルタ株式会社をコニカミノルタホールディングスに合併させて、その事業をコニカミノルタホールディングスの事業子会社に分割した。
しかし、今やデジタル化が著しく、カメラ界の名門コニカミノルタも、加速した優勝劣敗の世界に生き残れず、不振のカメラ・フォト事業から完全撤退することとなった。そして、「αマウント」はソニーが継承し、同マウント準拠のデジタル一眼レフカメラが近く発売する計画だという。
コニカミノルタ、カメラから撤退 ソニーが「α」を継承↓
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0601/19/news047.html
ソニー、レンズ交換式デジタル一眼レフに参入 - αマウントで
http://journal.mycom.co.jp/news/2005/07/19/008.html
思えば、1951(昭和26)年9月7日、ラジオ放送で日本初の歌を使ったCM ソングがオンエアされたが、それは、灰田勝彦 が歌う「僕はアマチュアカメラマン」。提供は、小西六写真工業(現在のコニカ)の「さくらフイルム」の宣伝のためにつくられたCMだった。
日本のカメラ界を絶えずリードしてきたカメラメーカーが次々と消えていくがコニカも例外ではなかった。(倒産、カメラ事業から撤退、等で消滅 した主なカメラブランドはここを参照。)このような現状は、アマチュアカメラマンにとっては、さぞ、寂しい事だろうと思う。・・・しかし、私のような、バカチョンカメラしか扱えないものにとっては、今使っている、ミニの「デジカメ」は非常に重宝していま~す。
(画像は、日本で最初の35mm判一眼レフカメラ。フリー百科事典Wikipediaより)
参考:
コニカミノルタホールディングス
http://ca.konicaminolta.jp/
カメラ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%A9
ダゲレオタイプ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B2%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97
カメラの歴史① 「カメラのはじまり ~カメラって何?~」
http://www.jcii-cameramuseum.jp/kids/rekishi/rekishi01.html
レンズマウント - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%88
NOWEST カメラの歴史
http://www.nowest.com/photo/history.html
人とカメラと写真の歴史(1)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~outfocus/tyyle-camera/history(1)/history-(1).htm
国立科学博物館-産業技術の歴史
http://sts.kahaku.go.jp/sts/set_brws_01.php?id=1033
コニカミノルタ、カメラから撤退 ソニーが「α」を継承
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0601/19/news047.html
コニカミノルタ「Old and New」
http://ca.konicaminolta.jp/oldnew/
ソニー
http://www.sony.co.jp/
1977(昭和52)年の今日(11月30日)、小西六写真工業(現在のコニカミノルタホールディングス)が世界初の自動焦点(オートフォーカス)カメラ「コニカC35AF」を発売した。「ジャスピンコニカ」という愛称で呼ばれ、誰でもピンぼけせずに撮れるということで、それまでカメラに縁のなかった女性や中高年層の市場を開拓した。
カメラ (camera) とは、写真を撮影する為の道具であり、被写体の像を感光材料(写真フィルムなど)の上に投影し、適正な露光を与える為の装置を備えている。
カメラのはじまりは、壁に穴が開いただけの暗い部屋からであった。窓のない暗黒の部屋の壁面に小さな穴を空けると、反対側の壁面に外の景色が映し出される。これを応用して、日食の観察を行ったり、絵画の下絵を描く目的に使われた道具で、それは、カメラ・オブスキュラ と呼ばれたもので、「カメラ(camera)」は「部屋」、「オブスキュラ(obscura)」は「暗い」つまり、ラテン語で「暗い部屋」という意味だそうだ。6世紀には小穴の代わりにレンズを用いてより鮮明な像が得られるようになり、反射鏡によって箱の上面に像を結ばせるようにした小型のカメラ・オブスキュラが作られた。これは絵画に於ける遠近画法の確立に寄与したと言われている。その箱はさらに改良され、箱の中に映った景色を人間が写し取るのではなく、科学的な方法で写し取るための研究が重ねられ、そして1826年にフランスのニエプスが8 時間もかけて1枚の写真をとったのが、写真の始まりとされている。そして、1839年、フランスのL・J・M・ダゲールがダゲレオタイプ(Daguerreotype。銀板写真と呼ばれるもの)について発表し、発売された「ジルー・ダゲレオタイプ・カメラ」が世界で初めて発売されたカメラなのだそうである。
現在私たちが使っているカメラは、ほとんど自動化されていて、シャッターボタンを押すだけで、手軽に鮮明な写真を撮ることが出来る。カメラの原理そのものは古く紀元前から判っていたわけだが、その光をつかまえる”という人類の長い間の夢が、やっと、このタゲレオタイプで実現し、その後も、カメラの光をコントロールするための、技術開発が行われ、19世紀後半に発明された乾板によって、シャッターが生まれ、レンズの性能が大幅に向上した。そしてロールフィルムの出現は、写真の普及を早めただけでなく1枚の写真から連続写真へ、さらに映画の発明をもたらし、映像文化をより豊かなものにしてきた。そして、小型で扱いやすくなったカメラは、工場生産による商品化を促進させ専門家だけのものから一般市民へと広がり、急速にアマチュア写真家層を形成させた。
これらのカメラの歴史的なことは以下参考のカメラの歴史① 「カメラのはじまり ~カメラって何?~」が子どもでも分かるように簡単に分かりやすく解説しているよ。
日本に写真が伝わったのは、1848(嘉永元)年とされているが、明治に入ると、「指物師」 達が作ったボディ(カメラ本体)に輸入品のレンズを組み合わせたカメラが作られ始めた。この日本で最初にアマチュア向けに発売されたカメラが、1903(明治36)年に、小西六写真工業(現在のコニカミノルタホールディングス。(以下、文章上は略して単ににコニカと書く)から発売された、「チェリー手提暗函(てさげあんばこ)」というカメラだそうである。そして、この年には、国産初の印画紙も発売している。1940(昭和15)年には国産初のカラーフィルムであるさくら天然色フィルム(後のサクラカラーフィルム)を販売。日本の写真用カメラフィルムのトップブランドの1つとして成長。1987(昭和62)年に海外のブランド名であるコニカに統一。
同社は、もともと薬種商小西六右衛門として、江戸の文化年間に始まった薬品店であったが、19世紀の末になると写真機の輸入はこの店の重要な部門となっていたそうだ。その関係から、私が前に書いたブログ1899(明治32)年の今日(6月20日)は初の日本製映画が歌舞伎座で公開 された日 でも触れたが、同社の店員の浅野四郎がその時の日本人映画カメラマン第1号でもあるのだよ。
カメラの製造販売にも力を注ぎ、1903年の「チェリー手提暗函」を発売そして、戦前から「ミニマムアイデア」、「パール」シリーズや「パーレット」シリーズ、「リリー」シリーズなどの大衆~上級者向けの高品質カメラを数多く作り名を馳せた。戦後は「コニカI」から出発し、シャッターを押すだけで誰でも簡単に写真が撮れる「ピッカリコニカ(フラッシュ内蔵)」、「ジャスピンコニカ(世界初のオートフォーカス機構採用)」、「現場監督(防塵、防水機構採用)」で知られるコンパクトカメラ、ワインダーを内蔵した一眼レフカメラFS-1、FT-1など、後に主流となる機能・機構を盛り込んだ数多くの名機を世に送り出した。私は、写真機のことは余り知らないので、写真機のことはフリー百科事典Wikipediaの記載を引用しているが、写真愛好家の中では「ヘキサー」「ヘキサノン」レンズのブランド名で馴染みがあるそうだ。
3年前の2003(平成15)年4月に事業子会社を設立し持株会社化した。同年8月に写真機・複写機大手のミノルタを完全子会社化し、コニカミノルタホールディングスを発足させた。同年10月1日、ミノルタ株式会社をコニカミノルタホールディングスに合併させて、その事業をコニカミノルタホールディングスの事業子会社に分割した。
しかし、今やデジタル化が著しく、カメラ界の名門コニカミノルタも、加速した優勝劣敗の世界に生き残れず、不振のカメラ・フォト事業から完全撤退することとなった。そして、「αマウント」はソニーが継承し、同マウント準拠のデジタル一眼レフカメラが近く発売する計画だという。
コニカミノルタ、カメラから撤退 ソニーが「α」を継承↓
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0601/19/news047.html
ソニー、レンズ交換式デジタル一眼レフに参入 - αマウントで
http://journal.mycom.co.jp/news/2005/07/19/008.html
思えば、1951(昭和26)年9月7日、ラジオ放送で日本初の歌を使ったCM ソングがオンエアされたが、それは、灰田勝彦 が歌う「僕はアマチュアカメラマン」。提供は、小西六写真工業(現在のコニカ)の「さくらフイルム」の宣伝のためにつくられたCMだった。
日本のカメラ界を絶えずリードしてきたカメラメーカーが次々と消えていくがコニカも例外ではなかった。(倒産、カメラ事業から撤退、等で消滅 した主なカメラブランドはここを参照。)このような現状は、アマチュアカメラマンにとっては、さぞ、寂しい事だろうと思う。・・・しかし、私のような、バカチョンカメラしか扱えないものにとっては、今使っている、ミニの「デジカメ」は非常に重宝していま~す。
(画像は、日本で最初の35mm判一眼レフカメラ。フリー百科事典Wikipediaより)
参考:
コニカミノルタホールディングス
http://ca.konicaminolta.jp/
カメラ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%A9
ダゲレオタイプ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B2%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97
カメラの歴史① 「カメラのはじまり ~カメラって何?~」
http://www.jcii-cameramuseum.jp/kids/rekishi/rekishi01.html
レンズマウント - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%88
NOWEST カメラの歴史
http://www.nowest.com/photo/history.html
人とカメラと写真の歴史(1)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~outfocus/tyyle-camera/history(1)/history-(1).htm
国立科学博物館-産業技術の歴史
http://sts.kahaku.go.jp/sts/set_brws_01.php?id=1033
コニカミノルタ、カメラから撤退 ソニーが「α」を継承
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0601/19/news047.html
コニカミノルタ「Old and New」
http://ca.konicaminolta.jp/oldnew/
ソニー
http://www.sony.co.jp/