今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

宝塚歌劇団出身の女優・淡島 千景を偲んで

2013-02-24 | 人物
宝塚歌劇団出身の女優・淡島 千景(あわしま ちかげ)が87年の人生を終えたのは昨・2012年(平成24年)2月16日のことであった。実に幅広い役柄を演じた名女優だった。
本当は、一周忌にあたる今年2月16日に、このブログを書たかったのだが、どうしてもこの日に間に合わなかったので、彼女の誕生の日である今日書くことにした次第。
淡島 千景、本名:中川 慶子(なかがわ けいこ)は、1924(大正13)年2月24日生まれ、東京府(現代の東京都)大田区の出身である。
東京都武蔵野市吉祥寺にある成蹊高等女学校(現・成蹊中学校)卒業後、1939(昭和14)年に、宝塚音楽舞踊学校 (現:宝塚音楽学校の前身)に入学(15歳)。
ちょっと、ここで、※1:「宝塚音楽学校」HPを元に、淡島が入学するまでの同校歴史を辿ってみよう。
わが地元である兵庫県宝塚市にある宝塚歌劇団団員養成所である宝塚音楽学校は、1913 (大正2)年に第1期、2期生として12歳から19歳の少女20人が採用され、7月に「宝塚唱歌隊」として創立し、今年・2013(平成25)年7月に創立100周年を迎える。
「宝塚唱歌隊」は創立の年の12月には宝塚少女歌劇養成会と改称。翌1914(大正8)年に宝塚少女歌劇団として宝塚新温泉(※2参照)で初演している。
初の演目は、歌劇『ドンブラコ』、喜歌劇『浮れ達磨』(※3参照)、ダンス『胡蝶の舞』(Wikipediaも参照)は、かわいらしい14、5歳の少女がオーケストラに合わせて独唱や合唱をしながら踊るという珍しさで、予想外に歓迎されたという(※2の第3章 少女歌劇と宝塚新温泉また、Wikipedia のドンブラコ』も参照)。
1918 (大正7) 年に、私立「宝塚音楽歌劇学校」(文部省認可)となり、1919(大正8)年養成会を解散し、宝塚音楽歌劇学校生徒と卒業生で宝塚少女歌劇団を組織(音楽学校と歌劇団は一体)。
1923 (大正12)1月、宝塚新温泉、宝塚音楽歌劇学校新校舎焼失。同年4月入学年齢変更、13歳~19歳とする。
1935(昭和10)年3月宝塚音楽歌劇学校新校舎落成(宝塚市宮ノ下)。1939 (昭和14)年12月宝塚少女歌劇団と学校を分離し、宝塚音楽舞踊学校と改称。
淡島はこの改称された宝塚音楽舞踊学校の第1期生徒ということになるようだ。
そして1941(昭和16)年に宝塚歌劇団に入団し、宝塚歌劇団28期生に属する。この期には彼女同様後に女優となる久慈あさみ南悠子それに、元雪組組長で後俳優の睦千賀らが入団している。
淡島千景の芸名は百人一首源兼昌の「淡路島 かよふ千鳥の なく声に いく夜ね覚めぬ 須磨の関守」(「金葉和歌集」冬288)から採ったもの。
初舞台公演演目は『大やまとの歌』だという。

上掲の画像は、1941年月組 寶塚少女歌劇 歌劇「正行出陣」舞踊「小夜ふく春風」「大やまとの歌」05月宝塚大劇場パンフレット(※4:イマヨシ書店:すみれの本棚【宝塚関係書籍】のビンテージコーナー・脚本集に掲載のものを借用)。
「大やまとの歌(佐保川の歌)」 作詞:坪井正直 作曲:長谷川良夫 歌手若竹 操作詞:坪井正直、作曲長谷川良夫による「大やまとの歌(佐保川砧【きぬた】)を若竹 操(宝塚歌劇団21期生 1932(昭和7)年入学~1942(昭和17)年に退団)歌唱のもの(昭和16年7月 コロムビア発売SP盤)が聞ける。少々ノイズが入っているが貴重なものなので以下に記しておく。

「大やまとの歌(佐保川の砧) 若竹 操 – YouTube

1941(昭和16)年から1950(昭和25)年までの太平洋戦争を挟んで戦後の占領期に宝塚歌劇団に在籍し、在団中は月組で久慈あさみ、南悠子と同期トリオを結成。2人の男役から愛される美貌の娘役として活躍。
1946(昭和21)年の戦後の月組第1回公演「ローズ・マリー」で主演し、娘役トップになり、1947(昭和22)年 ~ 1950(昭和25)年退団まで、月組公演主演は主に淡島が演じたという。
1953(昭和28)年から『少女クラブ』に連載された手塚治虫の少女漫画の代表作の一つで、日本最古のストーリー少女漫画として知られる『リボンの騎士』は、天使・チンクの勘違いによって、男の心と女の心を持つサファイア王女(王子)をヒロイン(ヒーロー)にした作品であるが、このサファイア王女は、淡島が宝塚時代に数回演じた男役をモデルにした、と大ファンだった手塚本人が生前語っていたという。

以下参考に記載の※4:「イマヨシ書店:すみれの本棚(宝塚関係書籍)」の公演パンフ>”戦後から1970までのパンフ”に掲載されている1947年月組 【脚本集】の表紙の人物(上掲のもの)は淡島ではないだろうか?上掲の画像がそれ。

淡島は、1950(昭和25)年に宝塚退団後映画界に転向し、松竹の専属俳優となる。デビュー作の獅子文六原作、渋谷実監督の風刺コメディー「てんやわんや」で社長秘書を軽妙洒脱に演じ、それまでに見られないコメディエンヌぶりを発揮し、第1回ブルー・リボン賞演技賞を受賞している。


上掲の青弓社出版の『淡島千景 女優というプリズム 』表紙の人物が、1950年松竹映画「てんやわんや」出演の淡島千景である。
今風にいえばOL役の淡島千景はセパレーツの水着姿で登場。1950(昭和25)年当時としては、実に大胆であり、何よりもまぶしく健康的であった。
それまでの耐え忍ぶ日本女性のイメージとはまるで違う。明るく自己主張し、好きな男性に好きという、戦後の新しい女性としての登場であった。宝塚ではレビューで鍛えられていたので水着姿も抵抗はなかったといっていたという。
この翌年にも獅子文六原作、渋谷実監督による「自由学校」に出演。「自由学校」とは戦後の自由化された家庭・社会のことを指す。佐分利信演じる南村五百助と高峰三枝子演じる駒子の夫婦は、五百助が辞職して家出したことを切っ掛けに、それぞれ別の道を歩み、様々な人々と交流・交際していくことになる。淡島はおしとやかとは正反対の行動的なアプレ(戦後派)だが、笑顔の可愛い愛すべき現代娘(藤村ユリ)を演じた。この映画に使われた「とんでもハップン」は流行語となり子供も真似した。
この映画化にあたっては渋谷実監督の松竹吉村公三郎監督の大映とが競作。しかも同じ週に封切られると言う異例の作品となった。また、この作品が5月初めの連休に公開され、2作品とも興行成績がよかったため、今日いわれるところの「ゴールデンウィーク」という用語が生まれた。大映ではアプレのユリ役を京マチ子が演じている(この映画の開設は※5を参照されるとよい)。

上掲の画像が映画化された自由学校のシーン写真左が吉村公三郎監督の大映作品。主人公の五百助役を一般から公募、雑誌編集者の小野文春を起用。駒子は小暮美千代、ユリーに起用京マチ子。写真右は、渋谷実監督の松竹版は五百助役に佐分利信、駒子は高峰美枝子、ユリーに淡島千景を起用した。画像は、朝日クロニクル週刊20世紀1951年号より借用。
淡島の凄いのは、現代娘に役を固定させなかったことであった。
木下惠介監督の作品で「カルメン故郷に帰る」(日本初総天然色映画)の続編「カルメン純情す」(1952年。モノクロ、※7参照)ではカルメンの恋する男のフィアンセで男癖が悪い女として描かれている(千鳥)を演じ、1953(昭和28)年の「君の名は」では、岸恵子演じるヒロイン真知子の面倒を見る気風の良い姉御肌の娘(佐渡島・ひさご家の娘で真知子の友人綾)を好演。綾の協力で、真知子は春樹を探し求めることができるが・・・。綾も何となく春樹に惹かれているのだったが、・・・。ラストシーン、淡島千景がひとり数寄屋橋でもの想う。そして「忘却とは忘れ去ることなり」と自分の心にいいきかせるように吐くのは印象的。・・・重要な役割だ。
「君の名は」は織井茂子の主題歌が大ヒットしたことで有名だが、この映画「君の名は・第三部」挿入歌「綾の歌」(作詞:菊田 一夫 作曲:古関 裕而)を淡島が歌っている。宝塚出身の映画スターが輝いていた時代。彼女も負けじと映画で歌を歌っていたのである。

淡島千景 綾の歌(追悼投稿)- YouTube

そして、樋口一葉原作、今井正監督の「にごりえ」(1953年)では明治時代の薄幸の酌婦と役柄を広げていることである。
また、小津安二郎監督による「紀子三部作」(「晩春」「麦秋」「東京物語」)の2作目『麦秋』(1951年)では、紀子(原 節子)の女学校時代の級友で築地の料亭の娘(田村アヤ)を淡島が演じ、まるっきりの深窓のお嬢さんでなく料亭の娘という感じをよく出しており、「早春」(1956年)では平凡なサラリーマン池部 良演じる杉山とは結婚後8年経って、倦怠期に入っている妻昌子を演じているなど日本を代表する監督の名作に立て続けに出演し好演、松竹の看板女優として活躍した。

その後、東宝に招かれ、織田作之助の同名小説を映画化した他社出演第1作「夫婦善哉」(1955年)では、ぐうたらなダメ男柳吉(森繁久彌)に「頼りにしてまっせ」と頼られるしっかり者の姉さん女房役を演じた。
この大阪を舞台にした森繁との名コンビで、彼女は2度目の(第6回)ブルーリボン賞主演女優賞を受賞。戦後日本映画界の全盛期を支えたトップスターの仲間入りを果たした。
しかし、それにしても、淡島が宝塚退団後映画界に転向し、「てんやわんや」で水着姿でデビューした女優は気のいい現代娘から4年経つといつの間にか悲しみを知った着物のよく似合う落ち着いた大人の女性へと変身していたのだから驚かされる。

上掲の画像は、映画「夫婦善哉」(1955年東宝)で森繁と共演の淡島。2012年2月17日朝日新聞掲載のもの借用。
この後、1956(昭和31)年にフリーとなり、以降、各社の映画に出演。
村松梢風が二代目・尾上菊之助の人生を描いた同名小説を、依田義賢が脚色し島耕二が監督した「残菊物語>」(1956年大映カラー総天然色)では、演劇の世界を背景に、一芸をきわめようとする男・二代目尾上菊之助(長谷川一夫)の辛苦と、その為に自らを犠牲とする献身的な女・お徳(淡島)を主題として、清純な愛情の悲劇を描いたものだが、徳の貞女良妻ぶりに心をうたれ泣かされた人が多いのでは・・・・。

上掲のものは、映画パンフレット『残菊物語』 (1956年大映)である。Wikipediaより。
また、古巣松竹で五所平之助監督「黄色いからす」(1957年)では、小学生のいる気のいい母親役を主演し、第15回米国ゴールデングローブ賞 外国語映画賞受賞作品となっている。
この後、特に1960年代の東宝の屋台骨を支えた大ヒットシリーズ喜劇『駅前シリーズ』、成瀬巳喜男監督による女性映画の決定版「妻として女として」(1961年)、橋本忍のオリジナル脚本を堀川弘通監督が映画化したミステリー・サスペンス「白と黒」(1963 年)など東宝の映画に出演し、東宝の看板女優として活躍する。
1963(昭和38)年にはNHK大河ドラマ第一作舟橋 聖一原作の桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の生涯を描いた同名の小説をドラマ化した「花の生涯」では、かって同名の映画(「花の生涯 彦根篇 江戸篇」1953年松竹大曾根辰夫監督、主演:松本幸四郎=初代白鸚 )でも評判となった三味線師匠村山たか女役を演じて好評を得た(花の生涯映画のことは、※9参照)。
日本映画の斜陽期にあって、いち早くテレビに進出し多数出演。そして1980年代からは商業演劇の場へと活動の場を広げ、生涯現役の大スターとして息長く活躍を続けてきた。

私のコレクションの中には淡島の舞台のチラシもいろいろあるのだが、その中の一つが上掲のものである。これは東京宝塚劇場公演の「細雪」である。1987 (昭和63)年1月の公演のものと思われる(チラシの整理が悪く年度があやふやだが、1月2日(木)からとなっているのでそうだと思う。数ある中からこのチラシを選んだのには理由がある。それは、以下に書いてある説明など読んで頂けば察しがつくだろう。
近代日本文学を代表する文豪の一人でもある谷崎純一郎関東大震災の後、震災を避けて関西に移転してきたとき、数カ月単位でわが地元兵庫県の神戸京都、神戸と点々と住居をかえるが、1929(昭和4)年に当時の武庫郡住吉村反高林1876-203に建てられた和風木造建築で、1936(昭和11)年11月から1943(昭和18)年11月まで兵庫県神戸市東灘区に建つ現在歴史的建造物となっている倚松庵(いしょうあん)に居住した。1990年(平成2年)に、倚松庵は同じ東灘区内の現在地(東灘区住吉東町1-6-50)に移築されている。

上掲の画像が倚松庵である。 Wikipediaより。

関西の地をこよなく愛した彼の代表作の多くは、京都や阪神間の生活の中から生み出された。
彼の代表昨『細雪』は第二次世界大戦中の1943(昭和18)年に倚松庵に住んでいるときに一部を発表。当局の干渉で中断後、『婦人公論』に連載され昭和21年から23年にかけて出版された。倚松庵は彼の代表作にちなんで「『細雪』の家」とも呼ばれている。庵号は夫人の名前松子に因んでのもの。
小説『細雪』は何度も映画化、舞台化された。昭和の初期大阪・船場、そして芦屋を舞台に描く文豪・谷崎純一郎の最大長編小説の傑作!それがこの舞台にもなっている「細雪」である。
当舞台で公演のものは、菊田一夫作・演出で劇化されたものを1984(昭和59)年に大劇場向きに改定されたものである。
蒔岡家は、徳川時代から続く船場の木綿問屋。かっては、豪商として大阪・船場で鳴らしたこの家も大正末期から没落の一途を辿っていたが、桜の季節には、京都嵐山平安神宮紅枝垂を楽しみ、紅葉盛りには箕面公園で楽しむというブルジョア的な余裕が残っていた。
生家の没落にもめげず、移りゆく古都の四季の中、その美しさを競う4人の姉妹。銀行員の辰夫を婿養子に迎えて本家を継ぐ長女・鶴子を淡島が演じる。次女・幸子を八千草薫が、三女・由紀子を多岐川裕美が、四女・妙子を熊谷直美が演じている。船場言葉を奏でる四人姉妹たち・・・。喜び、哀しみ、支え合うそれぞれの愛・・・人生の詩・・・。時を超えて日本人の心に生き続ける永遠の名作である。
この「細雪」が公演された東京宝塚劇場は、1934(昭和9)年に、宝塚歌劇の東京での拠点となる劇場として誕生した。
この東京宝塚劇場で宝塚歌劇は、年6ヶ月から7ヶ月公演した。他の月は、当時の名優たちの共演、競演の場となり、戦前は芸術座春秋座新国劇東宝劇団など、戦後は東宝歌舞伎や東宝ミュージカルに始まり、様々なジャンルの作品が上演されている。
日本の商業演劇の中枢として活躍した東京宝塚劇場であったが、この「細雪」の舞台公演・1997年1月の1年後の1998(平成10)年1月から老朽化による建て替えのため、64年間の幕を閉じた。そして、2年後の2001(平成113)年1月1日、21世紀の幕開けと共に現在の新東京宝塚劇場がリニューアルオープンした。旧劇場との大きな違いは、宝塚歌劇の通年公演を目的とした宝塚歌劇専用の劇場として生まれ変わったことである。
この淡島ら4名による「細雪」は1998(平成10)年4月に、大阪・梅田の劇場飛天(現:梅田芸術劇場)でも公演されており、そのチラシも持っている。そのチラシはチケット販売に力を入れているのであろう、通常サイズ(B5版)の倍のB4版のものであり、私のスキャナーではコピーが撮れないので、ここでは東京宝塚劇場のものを使った。この劇場飛天のときの四姉妹のうち1名、次女役は八千草薫に代わって池内淳子が演じている。
当劇場の前身は1956(昭和31)年、大阪に開場した「梅田コマスタジアム」である。大阪では梅田花月中座、そして近鉄劇場もなくなり、35年間劇場として西日本一の観客を集めてきた大坂・キタの「梅田コマ劇場」も亡くなってしまうのかと心配していたが、阪急不動産茶屋町ビルに移り、コマ劇場の1.5倍の広さ、東京帝国劇場の9mを越える11mの高さをもつ日本一の舞台となり、名称も「劇場飛天」と改め、大衆演劇から脱皮し、大阪の演劇のルネッサンス(復興)を目指し、こけら落としも森繁久弥らによる「孤愁の岸」(杉本 苑子の同名の直木賞受賞作品の劇化。※10、※11「私の読書感想」の中の杉本苑子「孤愁の岸」参照)の豪華な演目で、華々しく幕開け、その後も、この淡島ら四姉妹による「細雪」などの他芸術性高い演目が公演されてきたのだが、その分料金も高くなり観客数が激減。バブル崩壊や阪神・淡路大震災の直撃もあったが、目的は達成されず挫折。
1992(平成4)年に、名称も元の「梅田コマ劇場」に戻し、入場料もかってのレベルまで、引き下げ、観客の呼び戻しを図ったものの、これも、上手く行かず経営が悪化し、2005(平成17)年4月1日より新たに、「梅田芸術劇場」としてリニューアルされた。後は、クラシック、オペラ、コンサート等、多彩な公演の招聘を図っていくということだったが今はどうなっていることやら・・・。
これは、東京・新宿歌舞伎町のシンボル的存在として親しまれた「新宿コマ劇場」も同様で、再開発のために2008(平成20)年12月31日をもって閉館している。
かっては演芸で栄えた大阪から次々と劇場が消え、今では大阪ではあまり上品とは言えない吉本興業によるドタバタの新喜劇やタレントのみが幅を利かせている。
「細雪」の舞台でかわす四姉妹は船場言葉を使用しているが、かって、そう、私が大阪本町船場)に本社のある商社で仕事をしていた昭和30年代ごろまでは、仕事で使う言葉は、船場言葉が普通であった。
私などは神戸出身なので摂津弁を使っていたが播州弁の影響を受けちょっと汚い言葉も使っていたのでそれを笑われて、すぐに船場言葉を使うように改めたものだ。
俗に大阪弁と言われるものには、今のようなテレビが普及した時代には、テレビなどによく登場する吉本のタレントなどが使っているあまり品の良くない言葉などがそうだと思っている人が多いかもしれないが、「細雪」の舞台を見られた人などは、その違いに驚かされただろう。
かっては今の吉本のタレントの多くが使っているような河内弁などは品がないと笑われたものだ。同じ大阪の芸人でも大阪を代表する喜劇役者藤山寛美などが活躍していた時代の松竹新喜劇で使われていた言葉は、北摂地域の摂津弁か船場言葉といわれるものであった。なにか、芸が廃れると言葉まで悪くなってしまう。芸のともなわないダジャレだけを売り物にするには、汚い言葉での早口があっているのかもしれないが・・・。私など神戸の人間であるが長く大阪で仕事をしてきたものには、昔の言葉が懐かしい。
芸人と言えば、私が持っている、「細雪」のチラシに、1994年3月東京の帝国劇場での公演のものがある。このときの四姉妹も長女淡島、三女・多岐川、四女熊谷は同じなのだが、次女は新玉美千代が演じている。
この新玉は、2001(平成13)年3月17日に亡くなっているが、飛天で次女を演じた池内順子も2010(平成22)年9月26日に亡くなっている。
そして、去年は、芸人だけでも、淡島千景ほか淡島の宝塚時代の先輩、春日野八千代、俳優では、山田五十鈴津島恵子森光子地井武男大滝秀治馬淵晴子小沢昭一三崎千恵子二谷英明桜井せんり安岡力也、それに、歌舞伎俳優の中村雀右衛門中村勘三郎など私達には懐かしい大物俳優が数多く亡くなった。
それに今年は、先日歌舞伎界の十二代目 市川 團十郎まで亡くなってしまった。
今の時代は、俳優と言われる人達でも、舞台などでしっかりと基礎を身につけた人達が少ない。これだけ次々と本当の意味での芸人達が多くなくなってしまうと、これからの芸能界はどんな舞台をやってゆけるのだろう。
もう、映画でもテレビでも本物の時代劇を演じれる人がいなくなってしまったが、これからは、私達とは縁のないテンポの速い踊りや歌を取り入れたミュージカルのようなものが中心になるのだろうね~。さみしいものだ。
淡島千景のことを書きながら、いつもの調子で、いろいろ脱線してしまったが、最後に、戦後の映画界を背負った女優・淡島千景を以下の歌など聞きながら、偲ぶことにしよう。
以下は松竹映画「お景ちゃんと鞍馬先生」(1952年)の主題歌。作詞:サトウ・ハチロー、 作曲:万城目正「お景ちゃん」(昭和27年販売)。お景ちゃんとはは彼女の宝塚時代からの愛称だ。曲とともに当時の画像が多く紹介されており、彼女のファンには懐かしいだろう。

淡島千景 お景ちゃん(追悼投稿)-YouTube

以下は、寶塚レヴュー『再び君が胸に』(花組、1948年7月1日 ~7月30日、宝塚大劇場) 主題歌『アデューの歌』。堀正旗作詞・ハンガリー民謡・酒井協編曲によるもの。

追悼 淡島千景 宝塚時代のお景ちゃんの歌声 Part 1 「アデューの歌」-YouTube

以下は、寶塚レヴュー「リオで結婚」(月組,1949年9月1日~9月29日、宝塚大劇場)の主題歌集から『ロザリーの歌・いつも三人』。天城月江・淡島千景 久慈あさみ南悠子 。歌詞・セリフ入り。

追悼 淡島千景 久慈あさみ ロザリーの歌・いつもの三人 -YouTube

(冒頭の画像は平成8年度文化庁芸術祭参加作品。三越劇場10月公演『江戸コメディー花色の家』画像は、淡島千景と菅井きん。コレクションのちらしより。)
参考:
※1:宝塚音楽学校
http://www.tms.ac.jp/
※2:宝塚温泉
http://www.h-wakamizu.com/takarazuka/story/page01.html
※3:福田信子 浮れ達磨 - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=HN7vYiQChw4
※4:イマヨシ書店:すみれの本棚(宝塚関係書籍)
http://kobe-kosho.com/list_takara/
※5:自由学校 (1951): お楽しみはココからだ~ 映画をもっと楽しむ方法
http://otanocinema.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/1951-2e98.html
※6:善魔 : 作品情報 - 映画.com
http://eiga.com/movie/37546/
※7:カルメン純情す(1952)|日本映画ブログ
http://ameblo.jp/runupgo/entry-11093330866.html
※8:幻映画館(91)「早春」
http://blog.livedoor.jp/michikusa05/archives/51634753.html
※9:日本映画の感想文花の生涯
http://home.f05.itscom.net/kota2/jmov/2007_01/070133.html
※10:私の読書感想: 歴史小説・日本文化論と史実近世篇14
http://blog.zaq.ne.jp/mura339/category/22/
※11:私の読書感想: 歴史小説・日本文化論と史実近世篇15
http://blog.zaq.ne.jp/mura339/category/23/
谷崎潤一郎の神戸を歩く
http://www.tokyo-kurenaidan.com/tanizaki-kobe1.htm
淡島千景 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/c90594/index.html
宝塚歌劇
http://kageki.hankyu.co.jp/html/index.html
宝塚DVD特集
http://takarazukakagekidan.blog.fc2.com/blog-date-201106-86.html
Category:宝塚歌劇団
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E5%AE%9D%E5%A1%9A%E6%AD%8C%E5%8A%87%E5%9B%A3
淡島千景 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%A1%E5%B3%B6%E5%8D%83%E6%99%AF

防犯の日

2013-02-18 | 記念日
 日本記念日協会の記念日に「防犯の日」(毎月18日)があった。
日本で初めての警備保障会社として1962年に創業したセコム株式会社(※1)が制定したもの。
セキュリティのトップカンパニーとして社会の安全化に努めてきた同社の、企業や家庭、個人の防犯対策を毎月この日に見直して「安全、安心」に暮らしてもらいたいとの願いが込められているのだとか。
日付は18の1を棒に見立てて「防」、8を「ハン=犯」とする語呂合わせからだそうだ。
セコムの会社設立は、1962(昭和37)年7月7日のこと。昨2012(平成24)年に創立50周年を迎えたことを期にこの記念日を申請し、設定されたようだ。
セコムでは、ここ数年刑法犯の認知件数は減少傾向にある一方で、犯罪の凶悪化、手口の多様化などで、私たちの不安がなくなることはない。
そのような現状の中「もっと安心できる毎日を」・・・と、そんな願いを込めて、毎月18日の「防犯の日」に加えて、7月5日、6日を「セコムの日」と制定。これは、社名の「セコム」にちなみ、7月5日、6日の数字を語呂合わせで「7(セ)」「5(コ)」「6(ム)」と読むそうだ。
本当に、毎日毎日、テレビをつければ、凶悪な犯罪の報道がされない日はないというほど物騒な世の中になった。世界の中では安全な国と言われていた日本も、今では、警察だけに頼らず、それぞれがそれなりの自己防衛をしてゆかなければいけない時代になってしまったということなのだろう。
現在、日本で警備サービス業のトップ企業であるセコム株式会社(英称:SECOM Co., Ltd.)の歴史は、1962(昭和37)年7月、創業者飯田亮(まこと)らが東京都港区芝公園(現在の港区芝大門1-9-1)に日本初の民間警備保障会社として日本警備保障(株)を設立したことに始まる。
事務員数名と警備員2名で始めた初仕事は、ほぼ創業4ヵ月後の千代田区内の旅行代理店との巡回契約であったという。そして、社員も8名ほどとなり、契約数も二けたとなった翌・1963(昭和38)年4月に千代田区神田小川町に本社を移転。巡回契約の他に、初めて常駐警備の契約も取得する。
この年の暮れに東京オリンピックの組織委員会から警備の依頼をうけ、翌・1964(昭和39)年10月オリンピック開催時には、競技施設、選手村警備などの警備委託の同社単独契機となったことにより、警備契約が増大した。

1965(昭和40)4月、当時まだ発展途上だった警備保障会社をテーマとしたTV番組「ザ・ガードマン」が放映された。
「ザ・ガードマンとは、警備と保障を業務とし、大都会に渦巻く犯罪に敢然と立ち向かう勇敢な男たちの物語である。
昼は人々の生活を守り、夜は人々の眠りを安らぐ、自由と責任の名において、日々活躍する名もなき男たち。
それはザ・ガードマン。」
芥川隆行のオープニングナレーションで始まる、TVドラマ「ザ・ガードマン」。
高倉キャップ率いる東京パトロールという会社を舞台に犯罪と事件から市民を守るガードマンたちの刑事ドラマさながらの奮闘を描く。
警備員というと制服を着て特定の場所を守る仕事というイメージがあるが、この作品の主人公たち7人のチームは主に私服(スーツ)を着用。そして、警察とは違って、権限がないかわりに、隠しカメラなどのアイテムを使ったりして任務にあたる。その行動範囲も、潜入捜査を始め、地方はおろか、海外に至るまで非常に広範である。
以下では、その懐かしいテレビドラマ「ザ・ガードマン」のオープニングとエンディングを見ることができる。
ザ・ガードマン OPとED-YouYube
レギュラー出演の高倉隊長、通称キャップを演じる宇津井健他、隊員の川津祐介藤巻潤倉石功など当時の若々しい姿・・恰好良かったな~。本当に懐かしいよ・・・。
このドラマは、日本警備保障(現・セコム)をモデルにしたものだが、セコムがモデルとなったきっかけは、東京オリンピック後に始まった帝国ホテルの常駐警備の警備員が、新しい仕事としてテレビ局のプロデューサーの目に止まったことによるという。
番組制作にあたり、モデルとなった日本警備保障に提示されたタイトルは「東京用心棒」だったそうだ。
これに対し、同社創始者の飯田亮が「自分たちは『用心棒』ではない」として、逆提示したタイトルが「ザ・ガードマン」だったそうで、自社をモデルにされるにあたり、飯田は番組の脚本について「乱暴な言葉づかいをしない」、「女がらみなし」、「酒は飲ませない」の条件を出したと言われている。
そういえば、黒沢明監督の東宝映画「用心棒」が公開されたのは、1961(昭和36)年のことであり、この当時用心棒ブームだったものな~。そのため、テレビの大人気に乗じて劇場用作品も2本製作されたが、最初の作品名は「ザ・ガードマン 東京用心棒」であった。
このTVドラマ「ザ・ガードマン」は、最高視聴率40%以上を記録するなどお茶の間の人気を集めたことから、それまで馴染のなかった警備保障会社というものが世間の注目を浴びるようになり、同社(セコム)が全国ネット網の整備に着手するきっかけとなったようである。
ただ、この番組で和製英語である「ガードマン」という言葉が少しずつ世間に広まったものの、当時では、ドラマの世界とは違って、現実には依然として守衛が一般的な呼称ではあった。
以下、セコムのHPにある、会社研究・セコムの歩みセコム創業期物語木曜コラム 読み解くセコム50年の歩みなどを参考にして書かせてもらうと、
このドラマが始まった次の年である1966(昭和41)年、人手がかかる常駐警備や巡回警備にかわり、わが国初の企業向けのオンラインの監視装置で異常を発見する機械警備システム「SP(セキュリティ・パトロール)アラーム」を開発(以下セコムの防犯・防災用語は※2を参照されるとよい)。
その2年後の1968(昭和43)年10月から11月にかけて、東京都区部・京都市・函館市・名古屋市において、拳銃による連続射殺事件「警察庁広域重要指定108号事件(永山則夫連続射殺事件)」が発生した。
翌・1969(昭和44)年4月7日、手配犯が一連の犯行に使用した拳銃を持って予備校に金銭目的で侵入した所を、機械警備の警報で駆けつけた日本警備保障の警備員に発見されるが、発砲してガードマンがひるんだ隙に逃走。しかし、警視庁緊急配備を発令。数時間後に、警戒中の代々木警察署のパトカーに発見され逮捕された。
この事件の犯人逮捕を契機に、この機械警備システムが脚光を浴び一般的にも知られることとなり、従来の巡回警備、常駐警備からSPアラーム一本へと方向を転換し、以後、同社のセキュリティ事業の柱に成長した。

セコムの最大の特徴と言えば、この昭和40年代から進められた業務の機械化等があげられるだろう。
1973(昭和48)年には、米国の銀行と提携した無人銀行システム開発をもとに、日本初の金融機関CD(キャッシュディスペンサー)コーナー向け安全システムを開発。
また、都心のビルの大型化に合わせて、日本初の大型施設向け安全管理システムを開発、後の「トータックスZETA」の原点、「セコム3」を発表している。
1974(昭和49)年 防災業界トップの能美防災(株)と業務提携。両社の防犯技術と防災技術を融合した商品を開発をすることで、新しい市場の創出をめざしている。
1975(昭和50)年、コンピュータを導入した世界初の「CSS(コンピュータ・セキュリティ・システム)」が開発され、同社の契約件数は飛躍的に増大していった。
そして、会社設立の1962(昭和37)年から、16年目の1978(昭和53)年5月に東京証券取引所市場第一部に昇格(同市場第二部に株式上場は1974年6月)している。これは、驚異的な成長だ。
また、1981(昭和56)年には、わが国初の家庭用警備システム(セコムホームセキュリティー。発売当時は「マイアラーム」)を発売し、家庭市場を開拓。現在は、企業で約86万3000件、家庭で約85万3000件、合計約171万6000件(2012年9月30日現在)の契約先を有しているという。
このように、防犯及び火災報知の分野(SPアラーム、現在のDXなど)のみならず、同社の戦略においては機械警備が絶大な効果を発揮し、ライバルの綜合警備保障等との激しい競争を制するために大いに貢献したと思われる。
創業以来、革新的なサービスを次々に創造し、提供してきた「日本警備保障(株)」は、東京オリンピックや大阪万博での警備を担当し、その名を徐々に社会に浸透させていた。
1983(昭和58)年、高度情報化社会の到来を目前に控え、CATV会社の設立など情報系事業をスタートし、事業内容もこのころから警備だけではなくなったことから、社名も日本警備保障(株)からセコム(株)に社名を変更した。
もともと、「セコム(SECOM)」とは、「セキュリティ・コミュニケーション(Security Communication)」という言葉を略した造語で、情報通信ネットワークを活用して安全で便利で快適な社会を築く「社会システム産業」の構想が固まりつつあったなか、“人と科学の協力による新しいセキュリティシステム”の構築というコンセプトを持つブランドとして、1973(昭和48)年2月には制定されていたものだそうだ。
新ブランド制定後10年間は、「日本警備保障」の社名のまま「セコム」も使い、ダブルブランドで事業を展開してきたものだが、「セコム」という名前が社会に浸透したのを機会に、CATV事業に進出したこの年12月に社名を変更したもの。

このセコムの名前を世の中に広く知らしめたものに、同社のテレビCMがある。
古くから多くの人に知られているのが、元巨人軍のスターであり、監督も務めた長嶋茂雄氏の出ているCMで「セコムしていますか」・・のコマーシャルである。
この長嶋氏の「セコムしていますか」のキャッチフレーズにより、セコムの「安全・安心」の代名詞になったともいえるほど多くの人の記憶に強烈に焼き付いており、長嶋氏のセコムのCMと言うと、この「セコムしていますか」を思い浮かべるのだが、実際には、長嶋氏の同社CMへの最初の出演は、現役時代絶頂期の1971 (昭和46)年3月20日から1972(昭和47)年にかけてだという。
長嶋氏は、この1971(昭和46)年5月25日のヤクルト戦では、浅野啓司投手から史上5人目となる通算2000本安打を達成。1708試合での到達は、同じ巨人軍の先輩で“打撃の神様”と言われた川上哲治に次いで歴代2位のスピード記録であり、右打者では歴代最速記録を達成。同年シーズンは2位・広島カープの衣笠祥雄の.285を大きく引き離す打率.320を残し、6度目の首位打者となっている。34本塁打・86打点はそれぞれ王 貞治に次いでリーグ2位だった。
しかし、この時のCMは「鉄壁の守り」をテーマにしたものであったというが、長嶋は打撃だけではなく3塁守備での華麗なグラブさばきも売り物だったよな~。
長嶋は、その後1990 (平成2) 年から再度、セコムのCMキャラクターを務め、2004(平成16)年3月、脳梗塞で倒れ出演できなくるまで、長きにわたり同社のキャラクターとして活躍(2003年からは長嶋氏を象った人形アニメを使用)していたが、以下のセコムCMライブラリーでは、長嶋氏をキャラクターとして使用した「ホームセキュリティ・守り篇(1990年)」以降のものが保存されている。
当編では、CMの最後に「セコム」とは出てくるが、よく知られている「セコムしていますか」は出てこない。この次の同じく長嶋氏使用の「ホームセキュリティ・笑顔篇(1991年)」には「「セコムしていますか」の言葉が出てくる.ので、このキャッチフレーズはこの年くらいから使われ始めたのかな・・・?懐かしいCM、以下見ることが出来る。
セコムCMライブラリー  

セコムは1962年に日本初の警備保障会社として誕生して以来、オンライン・セキュリティシステム、ホームセキュリティシステムを始めとするさまざまな日本初のサービスを開発し、企業、公共施設、家庭、個人に「安全・安心」を提供してきた。
さらに、1989(平成元)年には「社会システム産業元年」を宣言。セコムグループとしては、セキュリティを中心に、防災、メディカル、保険、地理情報サービス、情報系事業などを展開。セキュリティで培った安全のネットワークをベースに、安心で便利で、快適なサービスシステムをトータルで提供する、新しい社会システムづくりに取り組んでいる。

上場企業に関する情報を、各社の有価証券報告書に基づいて収集して掲載している上場企業情報サイト「Kmonos(クモノス)」(※3)というユニークなサイトが出来ている(ここ参照)。
このサイトの情報によれば、セコムは、主に警備保障サービス業界に属し、この業界では、国内トップクラス(ここ参照)であり、警備請負サービスを中心としたセキュリティサービス事業、総合防災サービスを中心とした防災事業、在宅医療および遠隔画像診断支援サービスを柱にしたメディカル(医療・医学関連)サービス事業、損害保険業を中心とした保険事業、地理情報サービス事業、情報セキュリティサービスおよび不動産開発・販売を中心とした情報通信・その他の事業を主な内容としており子会社172社、関連会社26社でセコムグループを構成している。
そして、セコムの直近(第51期)の成績は、売上高6791.73億円。ここ最近の時価総額は1兆0359億円くらいであり、共に東証1部に上場している同警備サービス業界で、売上高第2位の綜合警備保障の約8.8倍。3位セントラル警備保障(Kmonosでは4位。以下参照)の83,5倍の規模を要しており、日本国内の他、1980年ごろから、セコム方式の安全システムの海外普及も進め、海外19カ国でも事業展開をしている。特に、セコムで働く従業員は、14911人で、セコムグループ全体で働く従業員は34063人。一万人を超える人を雇用しているということはすごいことである。
売上高ランキング!(事業別ではなく会社全体の売上高を使用)Kmonos
1位 セコム 【6791.73億円 (2012/03/31)】時価総額は1兆0359億円くらい(ここ参照)。
2位 綜合警備保障 【3047.23億円 (2012/03/31)】時価総額は1177億円くらい(ここ参照)。
3位 イオンディライト(☆1参照) 【2197.97億円 (2012/02/29)】最近の時価総額は124億円くらい(ここ参照)。
4位 セントラル警備保障 【399.44億円 (2012/02/29)】最近の時価総額は124億円くらい(ここ参照)。

日本初の警備保障会社セコムの創業者 飯田亮。
警備保障業は日本ではまったくなじみのない新しい事業であったが、同社を大きく成長させ東証一部にまで上場させた偉大な人物である。

自分たちが最高だと思ってやっていることを
真っ向から否定しないと
新しいものは生まれてこない

創造的破壊とはよく言われる言葉だが、それを確実に実行できるかどうかが成功カギだ。以下の飯田亮の名言・格言読んでみませんか。

飯田亮の名言集 - YouTube

法務省が毎年公表している『犯罪白書』は、前年の統計を中心に我が国の犯罪の現状を分析し、今後の治安対策の基礎資料にされるとともに、国民に対する情報提供も目的としている。
同白書などを見ても我が国の犯罪情勢は、平成14年に刑法犯の過半数を占める窃盗を中心に刑法犯認知件数は減少傾向にある一方で、犯罪の凶悪化や、手口の多様化などで、私たちの不安がなくなることはない。
最近の傾向として、少子高齢化の中、高齢犯罪者が急増しており、この高齢犯罪者は、高齢者人口の増加率よりもはるかに高い比率で増加しているという。
そして、この高齢者の犯罪の特徴として窃盗、それも万引きが多いことと、女性の場合、その傾向が特に顕著であるという。逆に、高齢者を狙う犯罪、つまり、高齢被害者も増加しているのである。
また、平成17年以降、一般刑法犯の検挙人員は減少を続けており、そのうち、初犯者が大きく減少している一方で、再犯者の減少はわずかに止まり、その結果、検挙人員に占める再犯者の人員の比率が上昇を続け、平成23年には再犯者率が43.8%に至っており、近年、この再犯防止が犯罪対策における最も重要な課題になっているという。
その要因には、不安定な就労や居住状況といった生活基盤に関わる課題が刑務所出所者等の再犯に共通するリスクとなっていることが確認されているというのだが、まともに、大学を出た犯罪歴のない若者でさえも就職難に喘いでいる今の時代、犯罪歴のある人の就労はさぞ困難なことであろことが察せられる。
野田民主党政権から阿部自民党政権へ政権交代し、政策路線も経済成長路線へと舵が切られたが、これにより、企業が雇用を拡大してくれるとよいのだが・・・・。
それにしても、最近の事件の報道を見聞きしていて、怖いと思うのは、今の時代の人は、普段はおとなしそうに見える普通の人たちが、一旦プツッと切れると何をするかわからない人が増えてきたことだ。
昔は、恐ろしい事件は、その筋の人の中でもちょっと狂人的な人たちが起こすことが多かったと思うが、だから、私たちもそれなりに警戒し、用心もできたのだが、この頃の恐ろしいしかも猟奇的とさえいえる事件が、身の回りにいるようなごく普通の感じの人たちによって引き起こされている。
そんなごく普通に見える人たちが、ちょとした諍(いさか)いごとがあったり、何か自分の気に入らないことが起こると、豹変して、その筋の人さえも躊躇しそうなとんでもない犯罪を犯してしまう・・・。
ここのところ、阪神・淡路大震災東日本大震災など発生以降、地域とのの大切さが言われる中、隣近所に住んでいたり、町中を歩いいるごく普通に見える人たちが、些細なことですぐ切れて、何をするかもわからない…などと考えると、一体どう接してゆけば良いのかも分からなくなってしまうのだが・・・。
私は、戦後経済成長の中で甘やかされて育ってきた人たちには、辛いことを我慢する力、いや忍耐力が欠けている・・・といった方が適切かもしれないが・・・。
苦しさ、辛さ、悲しさなどを耐え忍ぶこと。例えば、自分に不都合なことなどを人にされても、暴力的な仕返しをしたり、現実逃避したりしないなど。忍耐する力を「忍耐力」、忍耐力があることを「忍耐強い」と言う。
この「忍耐」は、四元徳のひとつとされている。
仏教においては、さまざまな苦難や他者からの迫害に耐え忍ぶことを忍辱(にんにく)という。
私たちが子供のころには、親や、学校の先生、また周囲の人たちなどからも、「我慢」「忍耐」の大切さを、しっかりと教えられてきたものなのだが・・・。
だから、敗戦後、親や家族を失い、そしてすべての財産を失い、焼け野原の中で、3度の食事もままならない貧乏生活にも耐えて、ただただ、将来に希望を求めてがむしゃらに働いて、今日の幸せを築いてきたのだが・・・。
最近、滋賀県大津市の中学生が“いじめ”を受けたことを苦に自殺した事件(※4)や、大阪市立桜宮高校バスケットボール部のキャプテンを務めていた男子生徒が顧問からの体罰を苦に自殺した事件(※5)などが話題になっている。
このような学校でのいじめ体罰は昔からあった。私自身いじめに近いことをされてきたし、逆に、いたずら半分に女生徒をからかってきたことなど、今流で言えばいじめになるのだろう。
また、やんちゃな私は学校では、先生に叩かれたり、水を入れたバケツを頭に載せて教室の後ろに立たされたり、家にあっては躾の厳しい親から言うことを聞かないと叩かれたり、押し入れに放り込まれたり、家から閉め出されたりの折檻は、しょっちであったが、そのあと、性懲りもなく同じ悪さをしては先生や親を呆れさせていた。
私の子供のころはいたずらっ子や悪がきが多くいたが、いじめや、体罰を苦にして、自殺するなどというようなことは、あまり、聞いたことがないように思うのだが・・・。
これは、いじめや体罰を受けたものの感受性や忍耐力の差によるものだろうか・・・。先にも述べた様に、今の若い人は、昔の人に比べれば忍耐力は低くなっているようだし、感受性も高そう。・・・しかし、それだけではないのだろう。
そこには、同じいじめにしても質の面において、昔よりも今のいじめは非常に陰湿になっているような気がしてならない。大津市の中学生の自殺問題を見ても、これはいじめというよりも完全な犯罪であろう。非常に性質が悪い。
また、桜宮高校で起こったバスケットボール部顧問による体罰も、30発も40発も叩いたとしたら、それはもう指導的な体罰の域を超えて、個人的感情をむき出しにした腹いせ的な暴力であるとしか言えない内容だ。暴力を振るった顧問は人格として指導者失格人間であり、まるで餓鬼のようにキレてしまっているのだ。
※6:「自殺予防総合対策センター」によれば、日本の年間の自殺死亡は、1998(平成10)年に年間死亡数が31,755人と初めて3万人を超えて以来、その水準で推移している(因みに平成23年の年間の自殺者数は3万651人と初めて3万1千人を下回る)が、この自殺死亡率は欧米の先進諸国に比べても突出して高い状態となっており、日本が自殺大国と言われる所以にもなっているようだ。
この高い自殺率の背景には、バブル崩壊後の日本社会の急激な変容があるようだ。年功序列型の終身雇用の崩壊や成果主義から、勝ち組・負け組といった言葉で表されるストレスなどの影響を強く受け、これがうつ(鬱)病など、心の健康を損なわせている。
人生を楽しめなくなり、自分が価値のない存在で、周りの人に迷惑をかけているといった考えで頭がいっぱいになると、死ぬことが苦しみから逃れる為の解決策に見えやすくなる。これは決して、健全な心で生みだされる考えではない。
これら自殺に追い込まれる人はストレス社会の中で、1つの要因だけではなく、何らかの困難な問題に直面しているなど複数の要因が重なって自殺に追い込まれていると考えられている。
最近は、自殺者の年齢が全体的に高くなる一方で、自殺が低年齢層にも広がる兆しがあり、中学や高校生ではいじめや学業不振などといった学校での問題が自殺の原因とみられている。そして、自殺予備軍ともいえるうつ状態の小学生も急増しているそうだ(※7、※8参照)。
先日、2月17日にグアム島で日本人観光客3人が死亡し、10人が負傷した無差別殺傷事件が起こっているが、同じような事件が日本にもあったのを覚えておられるだろう。
2008(平成20)年6月8日、日曜日に起きた「秋葉原、無差別殺人事件」である。この事件も、「うつ病」によって引き起こされたものだという。
なぜ、うつ病の者がこのような行動に出たかは、※9:「日本人の「うつ病」の脳の働き方」を参照されるとよい。
日本の社会で、うつ病の人が増えているようであるが、うつがひどくなると、自らの命を絶つ自殺行為だけでなく、このような大それた行動にも出るのだ。
毎日毎日報道される悲惨な事件の数々、いつ自分や大切な人の身に悲しい出来事が起こらないとも限らない。
用心に越したことはないのだが一体どうしたらよいのだろう。地震や火災などの防災対策だけではなく、今日のような「防犯の日」に、いつ遭遇するかわからない防犯対策について見直しをしておくのもよいだろう。
セコムは毎月18日に防犯に関するニュースレターやメールマガジンの配信。また、セコムの公式Webサイトに「防犯の日」特設ページを公開しているようなので、それを活用するのもよいだろう。また、以下参考の※10:「法務省:犯罪白書」、※11:「警察白書|警察庁」の他、※12:「[防犯] All About」の防犯に関する特集なども参考になるのではないか。

(画像は、「ザ・ガードマン東京警備指令」1965年版VOL.4 [DVD])
参考:
☆1:イオンディライトは、主にビルメンテナンス業界と間接業務請負・支援業界と警備保障サービス業界に属し、イオン系列の施設管理会社。商業施設内の建物設備の保守、点検、警備を行う設備管理事業、イベントの警備などを行う警備保安事業、清掃事業、修繕工事を行う建設施工事業の4事業が主力であり、中国でサービスを開始するなど、海外進出にも積極的である。)
※1;セコム株式会社HP
http://www.secom.co.jp/
※2:セコム防犯・防災用語集
http://www.secom.co.jp/bouhan/yougo/21.html
※3:上場企業情報サイトKmonos(クモノス)
https://kmonos.jp/
※4:【大津市イジメ】皇子山中学校の地元に聞く「親達の心境」と「恐ろしい噂 ..」
http://news.livedoor.com/article/detail/6818297/
※5:「桜宮高校 体罰自殺」特集:イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/feature/6629/
※6:自殺予防総合対策センター
http://ikiru.ncnp.go.jp/ikiru-hp/index.html
※7:自殺大国日本|「うつ」の心に癒しを
http://www.kokoro-iyashi.info/archives/795019.html
※8:All About 「なぜ日本は自殺大国なのか、その理由」(2006年6月6日)
http://focus.allabout.co.jp/gm/gc/303017/?from=dailynews.yahoo.co.jp
※9:日本人の「うつ病」の脳の働き方 特集・「秋葉原、無差別大量殺人事件」の原因は「うつ病」である
http://www.porsonale.co.jp/keikou72.htm
※10:法務省:犯罪白書
http://www.moj.go.jp/housouken/houso_hakusho2.html
※11:警察白書|警察庁
http://www.npa.go.jp/hakusyo/index.htm
※12:[防犯] All About|盗撮・盗聴・痴漢・詐欺・泥棒などの対策を紹介
http://allabout.co.jp/gm/gt/71/
罪と罰>刑事政策関係刊行物:犯罪白書
http://www.jcps.or.jp/publication/index.html

黄ニラ記念日

2013-02-12 | 記念日
今日の記念日「黄ニラ記念日」は、全国農業協同組合連合会岡山県本(JA全農おかやま。※1)が岡山県特産の黄ニラのPRのために制定したもの。日付は、「にっこり(2月)いいニラ(12日)」の語呂合わせと、2月が黄ニラの最盛期であり鍋物などへの需要期であることから。毎年この日の前後には「黄ニラまつり」が開催されているようだ。
ニラ(韮、韭)は、西アジアからインド東南アジア東アジアシベリヤにかけて広く分布しているが、西洋では見られず、その栽培は東洋に限られており、原産地は中国西部とする説が有力のようである。
ネギ(葱)と同じユリ科APG植物分類体系ではネギ科ネギ属の1種で、多年草緑黄色野菜である。
ニラは、葉は細長く平べったい形でやや肉厚。夏には葉の間から30 - 40cmほどの花茎を伸ばす。花期は8 - 10月頃。花は半球形の散形花序が3枚あり、花弁が6枚あるように見える。雄蕊(おしべ)は6本、子房は3室になっている。子房は熟すると割れて黒色の小さな種を散布する。(冒頭の画像はニラ。Wikipediaより)。
餃子のたねやレバニラ炒めなどでよく使われるニラは、栄養も豊富で夏のスタミナ食材としてもよく使われる。ニラにはニンニクやネギにも含まれる「アリシン(allicin)」という独特の香り成分が、味に深みを持たせてくれ、食欲増進にもなるので、今では、体力をつけたいときにうってつけの野菜として好まれている。
普通、ニラと言えば緑色の「葉ニラ」のことであり、出回っているものの大半は、葉幅が広く色も濃い”グリーンベルト”であり、主な産地は栃木、高知などで、全国の出荷量の約6割をこの両県で占めているそうだ。
ニラは、色と食用する部分によって区別され、”テンダーポール”という「花ニラ」用の品種があり、これは、葉ではなく、小さなつぼみ(蕾)と花茎を食べるニラで、中国料理では炒め物に使われる。
主な生産地は、千葉と高知。葉色が鮮やかな濃緑色でツヤがあり、柔らかく腐りやすいので、晴天の日に収穫し、即時出荷されるという。花茎やつぼみが十分に 太ったものが良い。花ニラの葉は、葉ニラより葉数が少なく細く硬いので食べない。
他に、「黄ニラ」があるが、特別に「黄ニラ」という種類があるわけではなく、「葉ニラ」の軟白種のものをいう。アスパラガスに、グリーンアスパラとホワイトアスパラがあるのと同じように、いったん収穫した後のニラの株に日光があたらないよう覆いを被せて遮断して栽培した軟化野菜で、主な生産地は、千葉と高知。葉色が鮮やかな濃緑色でツヤがあり、柔らかく腐りやすいので、晴天の日に収穫し、即時出荷されるという。ニラ特有の臭みがなく、ニラとなる。葉が緑化していないものがよい。ニラ特有の臭みが少なく、より柔らかく、甘みが有るものになるそうだ。
今日の「黄ニラ記念日」の「黄ニラ」がこれらしい。日本では岡山県が主産地で明治時代から栽培が始まったらしく、黄ニラでは日本一の生産量を誇り、全国の約7割を生産しているという。
県内での主な生産地は、赤磐市、岡山市、美咲町があり、東京を中心に、名古屋、京阪神等広く出荷しているらしい。他に、黄ニラの全国的な主産地としては、栃木県があるようだ。
柔らかさの中にもシャキシャキとした歯ごたえがあり、ほんのりとした甘みが食欲をそそる、また、淡く上品な香りと優しげな黄色が料理を引き立てくれるといっている(※2、※3参照)。
中国料理のスープや炒め物に使われるのが一般的だが、岡山ではお寿司や焼きそばの材料としても使われているようだ。

このニラ、原産地は中国西部とする説が有力らしいが、日本には弥生時代(紀元前3世紀中頃)に中国から渡来したとも云われ、 自生していたと云う説もあり定かではないようだが、古代歌謡のうち記紀神武天皇の条にある久米部(くめべ)が歌ったとされる6首の歌「久米歌」の一首に、「賀美良(かみら)」という名前が登場する。
原文:美都美都斯 久米能古良賀 阿波布爾波 賀美良比登母登 曾泥賀母登 曾泥米都那藝弖 宇知弖志夜麻牟 (※3:「古事記」中巻神武天皇参照)
讀み:みつみつし 久米(くめ)の子(こ)らが 粟生(あはふ)には 臭韮(かみら)一本(ひともと) そねが本(もと)芽繋(そねめ)つなぎて うちてし止(や)まむ
意訳:勢い盛んな久米部の兵士が作っている粟の畑には、臭い韮が一本生えている。そいつの根と芽を一緒に引き抜くように、数珠繋ぎに敵を捕えて、撃ち取ってしまうぞ。
また、万葉集(巻第14-3444)には以下の歌が一首が詠われている(※6:「たのしい万葉集」のここ参照)
原文: 伎波都久乃 乎加能久君美良 和礼都賣杼 故尓毛美多奈布 西奈等都麻佐祢
讀み:伎波都久(きはつく)の 岡の久君美良(くくみら) 我れ摘めど 籠(こ)にも満たなふ 背(せ)なと摘まさね
意訳:伎波都久(きはつく)の岡に、茎韮(くくみら)を摘みに来たけれど、籠はぜんぜん一杯になりませんよ。じゃあ、あの人(背=夫)と一緒に摘みなさいな。・・・といったところ。
「久々美良(くくみら)」は「ニラ(韮)」のこと。この歌は、東歌の一つであるが、茎韮(くくみら)を摘みに来た女の人たちが歌った歌のようである。「伎波都久(きはつく)の岡」がどこかははっきりしていないが、常陸国真壁郡ともいわれているようだ(※5参照)。
この歌(万葉集・3444)については、毎週日曜日朝5:40より毎日放送ラジオで放送されている「上野誠の万葉歌ごよみ」での解説は、以下参考の※7:「【巻】14・3444…伎波都久の丘の茎韮 (Audio) - 上野誠の万葉歌ごよみ」で聞くことができるが、概ね上記の解釈と同様である。
しかしこのような解釈が、これまでの一般的な解釈とされているのだが、これが全くのデタラメナ読解であるとする説がある。それが、以下参考に記載の※8:「野村玄良のホームページ」である。同HPの◎万葉集巻頭歌「こもよみこもち」再考では同歌について以下のようにいっている(最後段のところ)。
【巻】14・3444の歌
「伎波都久乃 乎加能久君美良 和礼都賣杼 故尓毛美《乃》多奈布 西奈等都麻佐祢」
(キハツクノ ヲカノククミラ ワレツメド コニモミタナフ セナトツマサネ)
この歌の「故尓毛美多奈布」の元暦校本(※9参照)は「故尓毛乃多奈布」であり、「乃」であるべきものが「美」に改竄されている。そして、「コ・児」を「コ・籠」の意味に取り違えて解釈したために、万葉歌をこともあろうに勝手に改竄して、デタラメな読解をしている問題歌の一つであると指摘。この筆者の読みでは以下のようになるという。

詠み:「伎波都久の 岡のくくみら 我れ(二人称のワレ=アナタ)摘めど 児にものたなふ、背なと摘まさね」

この歌で使われている語の意味や解釈は詳細に記されているが、ここでは省略する。同HPで見てください。それらを踏まえて訳すと以下のようになるという。

意訳:「伎波都久の岡のくくみら(嬥歌[かがい]。上代、東国地方で、歌垣[うたがき]をいう語。※10も参照)の場を、際突くの丘、と地名に換喩(かんゆ)し、求める相手の男性を茎で表した隠語)そのククミラ(元気な若者を)をアンタ(ワレ)は摘もうとしているけど、(青年があんたを見ると)のたって萎えてしまって見向きもされないよ、(あきらめて)あんたの父さんとなさったらどう」。・・・と。
 そして、“この歌は嬥歌・歌垣などでの、愛情のもつれ合いや、女同士の足取り、或いはしっぺ返しなどといった鞘当ての場面で歌われた歌謡と考える。
このような掛け合いの歌から、やがて相聞歌へと発展していったものと思われる。
解釈は「コ」を籠と解釈したので、「のたなふ」の説明が出来ないので、「満たなふ」に改竄。「ワレ」を「自分」と解釈したので、歌の流れが中折れし、第三者が歌の中から突如登上して、歌の作者である「我=自分」に声を掛ける、などと言った奇異な解釈が行われてきたのである。
仙覚は「こにものたなふ」と読んで「子にもの給う也」の意であると説明している。この解釈の是非はともかくとして「故」は「子」であるとの音義認識を正しく行っている点は注目すべきである。“・・と。
そして、最後に、“一音節の「素語:意義素」(※8参照)の存在を無視した日本語学は、本当の学問であるのか、いま万葉歌学のみならず、言葉の学問そのものの再考が迫られているのである。”・・・・とまで言っている。
この様な万葉学の専門家でもない私には、一般的な解釈が正しいのか、この指摘が正しいのか判断できない。しかし、前に、このブログ、「秋・萩・月」で、“万葉集に登場する花で最も多く歌に詠まれているのがハギ(萩)であり、この歌が多いのには、日本人にとって、萩がさまざまな意味で象徴性の豊かな植物であったからのようだともいわれている。
萩は牡鹿とのペアで詠まれた歌が多いが、萩の花の形から女性器を想像させ、ハギを「芽子」と見立て、牡鹿の角は男性の生殖器の象徴とも見られていたようだ(万葉集第八巻 秋の雑歌の中、1541:「我が岡に、さを鹿(来(き)鳴く、初萩の、花妻(はなつま)どひに、来(き)鳴くさを鹿 」作者: 大伴旅人)・・といったことを書いたことを思い出し、この歌も野村の解釈の方が万葉集らしくって、面白いなと思い、ここに紹介した次第。
私のいつもの癖で、ちょっと、本題からそれてしまったが、また、元のニラの話に戻る。

ニラは、『古事記』では「加美良(かみら)」、『万葉集』では「久々美良(くくみら)と呼ばれていたが、天平宝治8年(764年)に記された正倉院文書の一つには「七文毛彌良七巴」の文字があり、この毛彌良(モミラ)の彌良(ミラ)が韮(ニラ)であることは、900年頃編纂された『新撰字鏡』に解説されているそうで(日本国語大辞典)、古代においてこの「ニラ」はいずれも「ミラ」と呼ばれていたようだ。
『古事記』の賀美良(カミラ)の“カ”は香、“ミラ”は韮であることから、匂いの強いニラのことを意味していたものと考えられるが、『本草和名』(901年 - 923年)には、「韮の和名は古美良(コミラ)とある。
これはニンニク(大蒜)の古名の“オオミラ”に対してニラを“コミラ”と称していたようだ。これらの呼び名が、院政期頃から簡略され“ミラ”となり、それが転訛して“ニラ(韮)”となったものだそうだ。
その共通の“ミラ”の意味は、食べると美味しいことを“ミラ(美辣)”と云ったことから来ているようだという(※12)。
後漢時代儒学者・文字学者である許慎の著した最古の部首別漢字字典といわれる『説文解字』には、「韭は韭菜である。いちど種すると久生(キュウセイ:久しく生える、の意)するものである。故にこれを韭(キュウ)という。象形である。「一」の上に在る。「一」は地面である。この字と「耑(タン)」は同意である」として、説文では、「韭」が正字で「韮」は俗字だとしている(『説文解字』の原書は※13:「漢字データベースプロジェクト」の説文解字第七篇下を参照。その意訳は、※14:『食物本草歳時記』の韮を参照)。確かに、小篆の「韭」を見れば一目瞭然で、この字が象形文字であることがわかる。
日本における本草学は、中国・明代の・李時珍の『本草綱目』の伝来により始まるらしいが、※14:『食物本草歳時記』では同じ明代末(1643年)刊行の姚可成の『食物本草』の中から毎月ひとつの品目をテーマに選んで筆者の解釈による現代口語訳をつけ発表しているが、『食物本草』の「韭」も『説文解字』の説を踏襲しているという。
『食物本草』とは、数多くある中国の本草書(健康を保つための医薬となる自然物についての学問)の中から日常の飲食物だけを取り出して、その産地や形状、性質や薬効などを詳細に記述したもののようである。
食物本草は、食を生命の根本と見る観点から、健康を保ち不老長寿を得るための日常の食生活についての正しい取り組み方を示そうとしたものであるようだ。 
※14:『食物本草歳時記』では以下のように言っている。
「春生、夏盛、秋収、冬蔵」というのが森羅万象の一年のサイクルであり、春は万物が「生じる」季節である。冬の間に地中深く「蔵(たくわえ)」られていた地気は、春の訪れとともに冬眠状態からいっせいに目覚め、勢いよく芽を出して再生する。春になると地面から生え出るニラは、春先の野菜の代表といってよい。
冬の養生は陰を養うのが主題で、ちょうど寒風に耐えて身を固く閉じているモクレンの蕾のように、外邪(※15参照)から身を守るために蔵して防御することに重点を置かなければならない。
春の養生の主題は陽を養うことにあり、冬眠状態の身体を眼覚めさせ、肝のはたらきを向上させて代謝を活発にし、冬の間に蔵した老廃物や有害物を排除し、気を昇らせるようにしなければならない。
そのため中国では『食物本草』にも記載されているように、春季の養生として、春先に採れる五種類の香味野菜を細かく刻んで食べる風習が古くから行われてきたという。それを、「五辛菜(ごしんばん)」というらしい。
中国南朝の梁の宗懍が当時の揚子江(長江)中流域の年中行事を記した『荊楚歳時記』には「正月七日を人日(ジンジツ)と為す。七種の菜を以って羹(かん)を為る。」とある。人日とは、この日にその年の人の吉凶を占う日である。
元旦及び立春にはに韭(ニラ)、薤(ラッキョウ)、葱(ネギ)、蒜(ニンニク)、薑(ショウガ)の五辛を食べて癘気(れいき。※16を参照)を避けた。春に韭を献上し、元日に辛のものを供えるのは、その力によって再生を助けて邪気(物の怪。また、病気。)を払うためである。
余談だが、旧暦の1月7日は新暦では、2013年の今年は2月16日となる。
先日の2月10日、中国は旧暦の正月・春節祭であった。健康被害不安が広がる中国で深刻化した微粒子状物質PM2・5」による大気汚染の影響が日本にも及ぶと警戒している最中、そんなこともお構いなしに多くの市民が新年を祝う春節(旧正月)の大晦日に爆竹をして大気汚染指数が急激に悪化している。本当に迷惑なことではある。
この中国の行事人日が平安貴族の生活に取り入れられて生まれたのが”七草粥”と”若菜の賀”(源氏物語の若菜の巻に登場)で、記録によれば宇多天皇の寛平二年(890)の正月に始っている。
しかし当時の七種粥は、いわゆる”春の七草”を入れたものではなく、鎌倉時代の『拾芥抄(しゅうがいしょう)』によると、米・小豆・大角豆・黍・粟などの7種類の穀類の粥であったようだ。
 若菜の方は粥とは別に、沈という香木で作った折敷(角盆)などに盛ってだされ羹(あつもの)にされたが、菜の種類は決まっていなかった。例えば、室町時代の有職故実書『公事根源』にはハコベ・セリ・ワラビ・ナズナ・ヨモギ・タデなどの12種類があげられているという。
日本古来の”春菜摘み”が”若菜の賀”となり”七草粥”と合体して一つの行事となり、さらに草の種類が特定されようになるのは鎌倉時代以降であり、山上憶良の「秋の七草」に対する概念として「春の七草」が定着したのは江戸時代以降のことのようである(※18の万葉の植物総論>万葉の花の語源について>春の七草と七草粥について参照)。
しかし、天の配剤の不思議は、春になれば春の養生に必要な食べ物がちゃんと用意されているということであり、自然に逆らうことなく、自然の恵みを感謝しながら、季節のものを無駄なく食べることが食養生の基本だと考えられている。
中国の医食同源(薬食同源)の考えから生まれた料理の「薬膳」とは、簡単に言うと生薬((※19も参照)や食品がもっている薬効や特性、味覚などを組み合わせて調理した健康食のことであり、中国では伝統的に受け継がれ、日常的に食されてる。
この薬膳には、病気の症状に合わせて治療を目的に摂る「食療」と、健康な人が日常の食事に取り入れる「食養」があり、食療のための食事とは、病気を治療するための食事のことであり、食養のための食事とは病気を予防するための食事のことを言うそうだ。
「食養」のポイントは「旬の食物を使うこと」、「バランスよく摂ること」、「多くの種類の食物を使うこと」の3つ。つまり、普段の食事で気をつかっていることに、陰陽五行の考え方を少しプラスすれば、薬膳になるのだという(※19も参照)。
※14:『食物本草歳時記』は、食療では、ニラには次のような効能があると書かれている。
温中理気:胃腸を温め、気の巡りを改善する。
安五臓:五臓を温め、内臓のはたらきを回復させる。
固精壮陽:(種子)腎の機能を高め、生殖機能を強くし、精液漏れを防ぐ。
補肝腎:肝臓と腎臓の機能を高め、腰と膝をじょうぶにする。
そのほかに、健胃、解毒、血行促進、疲労回復、食欲増進、瘀血改善などの効能があるそうだ。ただし、ほうれん草、牛肉、はちみつと同食してはならない、肺結核のものは食べてはならない、などの禁忌もある。
ニラにはほうれん草より多くのカロチンが含まれているほか、ビタミンB群Cカルシウムカリウムなども豊富で、便秘予防にも効果があるそうだ。
また、匂い成分の硫化アリル化合物は、自律神経を刺激してエネルギー代謝を促進し、血行をよくして新陳代謝を活発にするとともに、体を温め、血液の汚れを取り除く効果があるという。その上、ニラに含まれるアリルスルフィド(ネギ属の植物にみられる有機硫黄化合物)には強い殺菌力があり、ひきはじめの風邪に効果があるのだそうだ。
そのほかにも、健胃、解毒、血行促進、疲労回復、食欲増進、瘀血(おけつ)改善などの効能があるそうだが、ほうれん草、牛肉、はちみつと同食してはならない、肺結核のものは食べてはならない、などの禁忌があるようだ。
江戸時代の農業全書の中で、「ニラは昔から有名な作物で、人々から賞味されていて、陽起草とも云って人の栄養を助け、身体を温める性質の良い野菜である」(※20「農業全書」の0402 ニラ(韭)参照)と書かれている。
なんでも、陽起とは、男性白身の勃起力を高めるという意味の中国の言葉と聞いたことがあるが、それほどに、古くから体を温めてくれ、スタミナのつく野菜として扱われてた野菜、今年の寒い冬にぴったりの食べ物で、毎日でも食べて、元気で乗り切りたいと思うのだが、歳のせいか、最近は、ニラなど多く食べると胃もたれがして仕方がない。それに、私のような、高血圧の高い者には良くないようだ。
この書が書かれた時代になると、ニラも重要な野菜の一つとなり、栽培法や利用法、効用に関する記載も多く見られるようになってきたが、依然として大量に用いるものではなかったので庭先や、畑の隅に、畑の縁の土留めを兼ねて植えられる程度で、少量ずつ栽培、利用されていたようだ。
このニラが大量に栽培され、消費されるようになったのは、食生活の変化が著しくなった1960年代(昭和35年頃)以降からのようだ。
以下参考に記載の※21や※22では、ニラのレシピが沢山紹介されている。昔から、身体に良いといわれているニラ、大いに食べましょう。
参考:
※1:全国農業協同組合連合会岡山県本部
http://home.oy.zennoh.or.jp/index.php
※2:岡山県ホームページ)農政企画課>黄にらのページ
http://www.pref.okayama.jp/page/detail-26757.html
※3:農畜産業振興機構>野菜>野菜図鑑>ニラ
http://www.alic.go.jp/vegetable/index.html
http://www.pref.okayama.jp/page/detail-26757.html
※4:古事記(原文)の全文検索
http://www.seisaku.bz/kojiki_index.html
※5:海神の国3.海人と俳優 (2) 久米舞
http://homepage2.nifty.com/amanokuni/kumeuta.htm
※6:たのしい万葉集
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/home.html
※7:【巻】14・3444…伎波都久の丘の茎韮 (Audio) - 上野誠の万葉歌ごよみ
http://www.podcast.de/episode/63468637/%25E3%2580%2590%25E5%25B7%25BB%25E3%2580%259114%25E3%2583%25BB3444%25E2%2580%25A6%25E4%25BC%258E%25E6%25B3%25A2%25E9%2583%25BD%25E4%25B9%2585%25E3%2581%25AE%25E4%25B8%2598%25E3%2581%25AE%25E8%258C%258E%25E9%259F%25AE
※8:野 村 玄 良 の ホームページ:『 素 語 ソ ゴ 』 とは 
http://www7b.biglobe.ne.jp/~gengo/newpage80.html
※9:『元暦校本万葉集』
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/genryaku.html
※10:かがい〔嬥歌〕 - 國學院デジタルミュージアム
http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?class_name=col_dsg&data_id=68386
※11:「こ(ko)甲類」の万葉仮名
http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/kana/ko_kourui.htm
※12:都立薬用植物園の妖精達 :ニラ  [韮]
http://www5f.biglobe.ne.jp/~homepagehide3/torituyakuyou/nagyou/nira.html
※13:漢字データベースプロジェクト
http://kanji-database.sourceforge.net/index.html
※14:『食物本草歳時記』
http://www.occn.zaq.ne.jp/ringo-do/syokumotu.htm
※15:漢方の病因論
http://members.jcom.home.ne.jp/1639705511/theory/byouin.htm
※16:病因病機 ~癘気~|院長^^のブログ中国医学講座
http://ameblo.jp/dojin-koudai/entry-11346574544.html
※17:生薬、薬用植物(薬草)と身近な野生植物(野草)のページ・木下武司HP
http://www2.odn.ne.jp/~had26900/index.htm
※18:万葉の植物総論>万葉の花の語源について>春の七草と七草粥について
http://www2.odn.ne.jp/~had26900/topics_&_items2/on-nanakusa.htm>http://www2.odn.ne.jp/~had26900/topics_&_items2/on-nanakusa.htm>http://www2.odn.ne.jp/~had26900/topics_&_items2/on-nanakusa.htm
※19:漢方薬で健康スローライフ入門
http://kanpo.kenko-jp.com/
※20:農業全書
http://www.i-apple.jp/nz/
※21:にら レシピ 202品 [クックパッド] 簡単おいしいみんなのレシピが139万品
http://cookpad.com/category/1280
※22:にらの人気レシピ[1,398品]|簡単作り方/料理検索の楽天レシピ
http://recipe.rakuten.co.jp/category/12-103-4/
跡見学園女子大学 > 柳上書屋 > 常務理事からの花便り > 跡見群芳譜
http://www2.mmc.atomi.ac.jp/web01/Flower%20Information%20by%20Vps/Flower%20Albumn/index.htm
巻四  農産譜 :にら (韭・韮)
古典籍総合データベース:本草和名. 上,下巻 / 深江輔仁 [著]
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ni01/ni01_00798/index.html
2012年・2013年・九星・新暦・旧暦・六曜カレンダー1月10日が旧暦の正月
http://9seicalendar2012.seesaa.net/category/11511663-1.html
花々のよもやま話:韮
http://plumkiw948.at.webry.info/201109/article_9.html
ニラ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A9

世界女性器切除根絶の日

2013-02-06 | 記念日
上掲の画像:アフリカにおけるFGMの分布と比率(Wikipediaより)
いつもこのブログを書くのに参考にさせてもらっている「今日は何の日~毎日が記念日~」(※1)に、今日(2月6日)の記念日として「世界女性器切除根絶の日(International Day of Zero Tolerance to Female Genital Mutilation)」があった。
そこには、「国連国際デーの一つ。アフリカを中心に行われている女性器切除について広く世界の人々に認識させ、その撲滅を促進するための日。
2003年にナイジェリアの大統領夫人であるステラ・オバサンジョの提案で始められ、国連人権委員会で国際的な啓発デーとすることが採択された。”・・・と記載されている。
それにしても、国連の国際デーには、凄い名前の記念日があるものだと驚き、少し調べてこのブログを書いてみようと思った。

この件に関しては、2012年12月1日付け朝日新聞デジタル(※2)には、以下のように記されていた。
「アフリカや中東の一部で続く「女性性器切除」(FGM)について、国連加盟国に禁止の法制化を強く求める決議案が12月、国連総会で採択されることになった。法的拘束力はないが、「文化伝統に根ざした慣習」としてFGMを続ける地域に対し、国際社会が根絶を後押しするものだ。
決議案では、FGMを「女性に元に戻すことができない傷を負わせる虐待」と非難。全世界で1億~1億4千万人がFGMの傷を負わされ、今も毎年推定300万人以上が犠牲になっていると警告し、根絶に向けた啓発教育に取り組むよう求めている。」・・・と。
それでは国連でどのような決議がされ、国際デー(記念日)となったのか?
国連広報センターの国際デー/国際年のページ(※3)で、記念日と記念週間(国際デー、週間)を見てみるが、「世界女性器切除根絶の日」と名のつく記念日・記念週間は見られなかった。
しかし、同ページの中にある”毎日の動き”の中に、2012年12月27日、「国連総会、女性性器切除根絶求める」として以下のように書いてある。
「国連総会はこのたび、各国に対し、女性性器切除の根絶を求めた。
潘基文事務総長は声明を発し、この決議が女性に対する暴力がない世界に向けた重要な一歩であるとして、歓迎を表明した。」…とあった。
同ページには国連事務総長の”決議・声明・報告書”も掲載されているので、そこに、どのような声明文が記載されているのかと、見てみたのだが、その中には、“女性に対する暴力撤廃の国際デー(11月25日)”や、“人権デー(12月10日)” “国際移住者デー(12月18日)”等についての事務総長メッセージ(声明文)はあるが、「各国に対し、女性性器切除の根絶を求める」といった内容の声明文は見当たらなかった。
ここに書かれている内容だけから解釈すると、「国連総会がこのたび、各国に対し、女性性器切除の根絶を求めた」・・・ことに対して、国連の事務総長としては、単に「暴力がない世界に向けた重要な一歩である」・・・として、「歓迎を表明した」だけということなのだろうか?

日本ユニセフ協会の公式サイトの“協会からのお知らせ”の【2009年2月5日】、【2011年1月13日】にも書かれているように、
女性性器切除(female genital mutilation/cutting、略称FGM/C)とは、朝日新聞デジタルでも書かれていたように、アフリカをはじめアジアや中東など世界各国において長年にわたり行われてきた女子や女性の性器の一部もしくは全部を切除してしまう慣習であるが、その慣習により、健康面で長期的な影響を及ぼすのみならず、心にも深い傷を負わせるFGM/Cは、毎年、世界中で300万人もの女の子や女性が犠牲になっているという。
そのため、FGMをはじめ、女性や子どもの健康に影響を与える様々な慣習に起因する問題に取り組むNGO(非政府組織)、インター・アフリカン・コミッティー(IAC★1参照) が、FGMの根絶に向けた国際社会と市民の連携を構築するため、2003年、エチオピアの首都アディスアベバで、「FGM根絶」世界会議を開催した。
ユニセフをはじめとする国際機関やNGO、各国政府代表や議員、学識経験者、世界の宗教指導者、若者の代表に加え、女性性器切除を処術していた人々などが参加したこの会議で、毎年2月6日を「世界FGM(女性性器切除)根絶の日」とすることを宣言した。・・とある。
そして、2008年2月27日には、10の国連機関(★2参照)が、FGM/C根絶に取り組む姿勢を示した声明を発表し、ミレニアム開発目標で目標達成期限とされている2015年までに、多くの国でこの慣習が大幅に減少し、約30年以内に廃止されるよう、各国政府や地域社会、女性と少女に対して支援を行うことを約束している・・・と、いうことである。
2008年に世界保健機関(WHO)が発行した『女性性器切除の廃絶を求める国連10機関共同声明』日本語版(※4参照)を、FGM廃絶を支援する女たちの会(=WAAF。同HPは※5参照)が発行している。本書では、新しいデータを基に様々な角度からFGM/Cについて分析し、その廃絶を訴えているというので、詳しいことはそれを見られるとよい。

世界FGM/C(女性性器切除)根絶の日(ゼロ・トレランス・デー)」で取り上げられている女性性器切除(Female Genital Mutilation、略称FGM)は、女性外性器の一部あるいは全部の切除、時には切除してから外性器を縫合してしまう慣習のことであり、これは、アフリカを中心に様々な民族の伝統的な通過儀礼として、2000年以上も続いていると言われている。
FGM廃絶を支援する女達の会HP(※5)によれば、この女性性器切除は、以前は「女子割礼」と呼ばれていたが、NGO『インター・アフリカン・コミッティ(IAC)』が1990年に開いた総会において、アフリカの女性たちがこれを「女子割礼ではなく女性性器切除(FGM)という言葉を使う」ことに決めたようである。
「女子割礼」では男子割礼(Female Circumcision)と同一視され、FGMの実態や女性の心身に与える被害を見え難くするから・・・・、というのがその理由であるという。
そして、切除者の多くは、伝統的助産婦といわれる女性や「割礼師」と呼ばれる人々であり、大抵の場合は、麻酔なしで、ガラスの破片、かみそりの刃、ナイフ、缶詰の蓋、鋭利な石、アカシアのトゲなどを使って少女の性器を切り取り、時にはカラタチのトゲなどで大陰唇を縫い合わせるのだという。止血や傷を癒すために、植物樹脂、灰、植物の溶液、ハーブなどを混ぜ合わせたものが使われることもあるそうだ。
このように、FGMの施術は、一般的に剃刀や鋭い石などを使い、麻酔も薬も用いず行なわれるため、激しい痛みや出血によるショック、感染症で死に至ることやHIV/エイズ感染の危険もあるほか、後遺症も深刻であり、尿道の閉鎖、慢性の感染症、貧血、腎障害、月経困難症、失禁、傷跡(ケロイド)による難産、膣狭窄(さく)及び陰唇裂傷、瘻孔(ろうこう)(膣と膀胱、膣と直腸の間に穴が開いてつながってしまう疾病)、性交時の激痛、性行為への恐怖、欝症状など女性の身体と人生に大きな影響を与えている・・という。・・・何ともぞっとする話だ。

しかし、、本来は、国や人種の宗教・文化・伝統など慣習に基づく行為に対しては、国連が介入すべきことではないかもしれないが、この慣習が女性にとっては虐待に近いものであり、女性と少女の基本的人権を侵しているだけでなく、彼女たちの健康を著しく損なうものでもあるとすれば、国連としても各国に有害な伝統的慣習であるFGM の廃絶のための措置を講ずるよう要請せざるをえないだろう。
しかし、当事国にとっては、長い歴史の中に根付いていた慣習を廃絶することへの抵抗も当初は強かったであろうことは推測される。
21世紀に入ってからも、10年以上経つて、ようやく、このような慣習の廃絶を「国連総会で採択」という段階となったのも、そのような理由があったからだろう
最近では、女性性器切除が行われている多くの国では、その行為を違法とする法律が既に制定されており。加えて、女性性器切除の身体的・精神的なリスクへの認識も高まっていることを反映し、その行為に反対する者も増加しているようだ。加えて、女性性器切除の身体的・精神的なリスクへの認識が高まっていることを反映し、その行為に反対する者も増加しているという。
しかし、最近の傾向として、そんなリスクへの認識が高まっていることと、医療サービスが以前より普及したことから、女性性器切除のリスクを最小限にくいとどめるべく、整った診療体制の中で医療の専門家に切除を依頼する親が増加しているという。さらに、成長すると女性性器切除を受けることを拒む可能性があるため、まだ幼いうちに受けさせるという若年齢化に対しても警告が発せられているようだ(※7)。
Wikipediaでは、現在では、アフリカの28カ国で、主に生後1週間から初潮前の少女に行われている。また、アフリカの人口増加に伴い、以前より多くの少女達が性器切除を施されている。・・・と、記されている。
そして、欧米においては、この慣習の存在する地域から移民した人々の間においてもFGMが広く行われていることが昨今の調査で明らかになり、それに対して法的な規制を制定する国も増えてきているという。
以下参考の※8:「FGM(女性性器損傷)とジェンダーに基づく迫害概念をめぐる諸課題」では、“第2 章 FGMとは何か”のところで、このFGM問題が、今問題となっているトランスナショナル (国境を越えた)な人口移動が拡大傾向にある中での、女性移民の増大(移民の女性化)や、難民女性の増加とFGM・ジェンダーとのかかわりなども触れたうえで、FGMが民族的・歴史的背景も考えると単純に虐待行為としてのみ片付けられない面があるなどこの問題の解決の難しを深く考察されている。書けば長くなるので、興味のある人は一読されるとよい。
この「女性器切除」のあらましはWikipedia(※6)を読めば分かるので、そこを詠まれるとよい。いろいろ、微妙な問題があるのでこれ以上書くのはやめておく。
ただ、気になったことを一つだけ追加しておこう。
冒頭の「世界女性器切除根絶の日」の説明の中で、「2003年にナイジェリアの大統領夫人であるステラ・オバサンジョの提案で始められ、国連人権委員会で国際的な啓発デーとすることが採択された。・・と書いたが、当時のナイジェリアの大統領はオルシェグン・オバサンジョであり、オグン州アベオクタ生まれ。ヨルバ族出身のキリスト教徒で、彼は10回以上の来日歴を有する親日家だそうである。

上掲の画像:オルシェグン・オバサンジョ元大統領(Wikipediaより)
ステラ・オバサンジョは、その後妻である。
以下参考に記載の※9:「NAIJA NEWSナイジャ(ナイジェリア)ニュース」のステラ・オバサンジョ☆死因は?・・に以下のようなことが書かれている。
“スペインの病院でナイジェリアのファーストレディ、ステラ・オバサンジョが外科手術中に死亡。
死因に関する検死報告書が提出され、外科手術を行なった医師ラモン・ロイへ医学博士の写真も含まれているという。博士はMolding Clinicの所長。報告書はまだ公表されていない“(2005/10/26)・・・と。
しかし、その後も、ステラの葬式のことや、埋葬先のことは書かれているが、ステラが何の外科手術をしていて、何故、死んだのかは何も書かれておらず謎のままである。
夫のオルシェグン・オバサンジョはオグン州のアベオクタ生まれで、ヨルバ族の出身らしいが、この、ヨルバ族について、以下参考の※10:「オンド州の州議会 - ナイジェリアの生活日記」には、以下のように書かれている。
オンド州はジェンダーセンシティブ【gender sensitive】な州で、
○ナイジェリアで初めて、女子差別撤廃条約(CEDAW)の国内法適用のための州法をパスさせた。
子供の権利条約もパスさせた(女子教育の必要とか書いてある)
○女性の政治参加がかなり進んでいる。
オンド州はナイジェリア3大民族の一つ、ヨルバ族が主流。FGMは北部ではほとんどないのだけど、ヨルバ族に限っては60%近くが実施している。・・と。
ステラが何族の出身か知らないが、オルシェグンが西アフリカ最大の民族集団のひとつであるヨルバ族とすれば、ステラも女性器切除をしていた可能性が大きいのではないか?そうすれば、2003年に女性器切除根絶の啓発デーが採択されると、自身の性器を元に戻すための外科的な治療が行われたのではないか・・・?そして、それが失敗に終わり死亡に至った・・・。また、そこには、女性器切除根絶に反対する一派も絡んでいた・・・なんて考えるのは、考えすぎだろうか。どうも、推理小説大好き人間の好奇心を掻き立てる出来事ではある。
先日アルジェリアでのアルカイダ系の武装勢力による人質拘束事件(ここ参照)が起こり、事件に巻き込まれた日本人10人の死亡が確認されたことから、日本人の中東地域への関心も深まったかと思うが、ナイジェリアはこのアルジェリアに隣接(北側)している国・ニジェール( Niger)に隣接(北西側)している国である。
ナイジェリア(. Nigeria)の国名の由来は、国内を流れるよりつけられたもの。ニジェール川の語源は、遊牧民トゥアレグ族により、この川がニエジーレン (n'egiren) 「川」、またはエジーレン (egiren) 「川」と呼ばれ、これがフランス人に伝えられ、ラテン語で「黒」を意味するニジェール (niger) と転訛した。つまり隣国の「ニジェール」( Niger)と同じ意味で、本来は同じ地域を指しているが旧宗主国を異にする両地域が別々に独立した際に、現在のように別の国を指すこととなったものである。
このナイジェリアでも、昨・2012年2月北東部の市場で無差別攻撃(※11)で30人が死亡するなど、ここ数年、主にイスラム教徒が多い北部で、ボコ・ハラムによる銃撃事件や爆弾攻撃。・・といったテロ事件が相次いで起こっている。
イスラム過激派のボコ・ハラムとは、「西洋式の非イスラム教育」「西洋の教育は罪」といった意味Dらしく、従ってそのような西欧に対する敵意が、ナイジェリアのキリスト教徒の殺害や教会の破壊につながっているのだろう。
ナイジェリアはアフリカ最大の人口をかかえる国家で、人口は1億5千8百万人以上と世界第7位の大国であるが、約250の部族、民族が住んでおり、部族間、民族間の争いが絶えず、少数民族や少数部族が、不平等な扱いを受けているようだ。
主に北部ではイスラーム教が、南部ではキリスト教が信仰され、その他土着のアニミズム宗教も勢力を保っている。その構成は、イスラム教が約半数を占め、キリスト教が4割ほど、土地固有の伝統宗教が1割くらいの割合となっているようだ。
17世紀から19世紀までは、奴隷貿易の拠点となり、アメリカ大陸へ大勢の奴隷が売られていった。この奴隷貿易の拠点売買となったことに伴い植民地化され、イギリスの植民地となった。第二次大戦後独立はするが、今に至るまで紛争は絶えない。
「じゃぁ、アフリカに民主主義を導入すればいい」という単純なものではない。
第二次世界大戦前からあった独立への動きは、同大戦後になると他のアフリカ諸国と同様に、民主主義運動が高まり、1960年夫々が自治権を有する北部州西部州及び東部州の3地域の連邦制国家として完全独立を果たした。
独立時は、イギリス女王を国家元首として頂く英連邦王国であったが、1963年に連邦共和国憲法を制定し、大統領制に移行した。それと同時に、西部州から中西部州を分割し、全4地域になる。
しかしながら、英国からの独立以降、地域間の対立が激化するとともに、選挙の不正に始まる政治の腐敗も深刻になり、第一共和制は混乱に陥って行った。
そして、それ以降、ナイジェリアの歴史の大部分は軍事支配一色となった。
始まりは 1966 年の第 1 回軍事クーデターで、複数の将軍とその支持者は国内に燻(くす)ぶる 250 の民族集団及び宗教コミュニティ間の緊張を制御できるのは自分たちだけだと豪語。その当時、北部はムスリム(「神に帰依する者」を意味するアラビア語で、イスラム教徒のこと)が多数派を占め、南部はキリスト教徒が多数派を占めていた。
このクーデターで北部人による東部のイボ人の迫害と虐殺が激化し、ナイジェリア内戦の契機となった。
民族間及び地域間の緊張によって分離独立運動が活発化し、1967 年、イボ族の ビアフラ共和国建国をきっかけに、3 年間に及ぶ血みどろの内戦(ビアフラ戦争)に突入し、壊滅的な飢餓状態が発生した。1970年にイボ族の敗北で内戦が終結。
1975年、軍の民政移行派(オルシェグン・オバサンジョ、ムルタラ・ムハンマド将軍らを含む)によるクーデターが成功し、前政権は打倒され、ムハメド将軍が最高軍事評議会の議長として執政に当った。彼の政策は民衆の支持を受け、彼の決断は伝説上の英雄に祭り上げられたようだが、彼が偽善的で汚職は続けられたとの批判もあるようだ。
1976年2月、ブカ・スカ・ディムカ中佐(後に処刑)を中心としたクーデター(未遂)で、ムハンマドは暗殺され、オバサンジョも殺害対象とされたが、これを鎮圧したオバサンジョが、最高軍事評議会議長・国家元首・国軍最高司令官を兼ねて最高指導者となり、彼による第一次軍政(1976年2月13日~1979年10月1日)。が行われた。
その後も、1990年代末迄の間、多民族国家であるが故に生じる利害関係の縺(もつ)れ、それに加え貧困や汚職の蔓延に対する国民の不満の鬱積を背景に、長期に亙って政治と社会の両面で不安定な時期が続いた。
現在のナイジェリアが出現したのは、数年間にわたるイブラヒム・ババンギダ 将軍下の軍事支配を経て、大統領選挙が行われた 1993 年である。
南部出身のヨルバ人のイスラム教徒モシュード・アビオラが勝利すると見られたが、選挙結果は軍によって無効にされた。1993年11月、1980年代の2回のクーデターにもかかわったとみられるサニ・アバチャ将軍が実権を掌握した。
新憲法が制定され、民政へ移行したのは1999年のことだ。かつてのクーデター軍人オルシェグン・オバサンジョが、初の民主的選挙で、大統領に当選。
2003年の選挙でも再選した。しかし彼は民主派の希望でもあった司法長官ボラ・イゲが2001年に暗殺された件にかかわったといわれるほか、ナイジェリアの汚職と腐敗が彼の時代になって最悪になったといわれ、国民の感情は好悪半ばしている。オバサンジョは腐敗政治家を次々逮捕しているが依然政府の腐敗は深刻で、多くの頭脳流出を招いているという。
その後、2007年の選挙では敗れているが、この選挙を含め、その後の選挙でも、民族問題も絡んだ何かどろどろとした選挙戦が行われている。

そして、以下参考の※12:「英国内務省報告:出身国情報報告書 ナイジェリア」での人権についての記載を見ると、
2009年2月25日に公表された米国務省の人権実践に関する国別報告 、2008 ナイジェリア編 (USSD 2008)によれば、「ナイジェリア政府の人権記録は依然として劣悪であり、政府高官の重大な侵害行為は引き続きあらゆるレベルで確認されたという。そして、以下のように書かれている。
「最も重大な人権問題として、政権交代に対する国民の権利剥奪、治安部隊による超法規的所り、治安部隊による致命的及び過度の武力行使、自警団の民間人殺人、治安部隊の虐待行為に対する免責特権、受刑者、被拘禁者及び犯罪被疑者に対する拷問、強姦その他の形態の残忍で非人道的かつ品位を傷つける扱い、苛酷かつ生命を脅かす刑務所及び拘禁施設の現状、未決拘禁の延長を伴う恣意的逮捕、行政府が司法府及び司法の腐敗に与える影響、プライバシーの権利侵害、言論、報道、集会、信教及び移動の自由に対する規制措置、女性に対する家庭内暴力と差別、女性の性器割礼 (FGM)、児童の性的搾取を含む児童虐待、社会的暴力、民族、地域及び宗教的差別、売春及び強制労働目的の人身売買、並びに児童就労などが挙げられた。」・・・と。そして、これらについて詳細な事例が挙げている。
勿論、女性や、子供への暴力の中で、今日のテーマーである「女性器切除(FGM)」のことも詳しく書かれている。
24. 女性 概観  では、以下のように記載れている。
 “2009年1月に公表された 2008年の出来事を扱う Freedom House 報告書 2009ナイジェリア編が述べたところによれば
「ここ数年で教育の機会を阻む壁は低くなってきたが、ナイジェリアの女性は現在も社会差別を受けている。一部の民族集団では、女性は財産の平等な相続権を与えられず、配偶者による強姦は犯罪とみなされない。正確な事例は周知でないが、女性器切除(FGM)を受けている女性は多い。 連邦政府は FGM に公然と反対するものの、この慣行を禁止する措置は講じなかった。
シャリア法(イスラム教における宗教に基づく法体系)を準拠法とする北部州では、女性の権利の深刻な後退が見られた。労働力及び売春目的の国内外の人身売買の増大が報告されている。政府は 2004 年に人身売買を非合法化し、加害者を罰する公的機関を設立したが、既存の規定は不十分である。UNICEF によれば、現在ナイジェリアの児童就労者は 1500 万人に上り、このうち 40%が人身売買の危険に瀕しているということである。
一部の組織の報告では、妊娠した 10 代の少女に堕胎を約束する違法な取引があり、出産まで拘束してその後平均 350,000 ナイ(2,400 米ドル)で売られるということである。」・・・と。
ま~、FGMどころか、いまだに、子女を所有物として人身売買までされているのには驚かされるが、「ナイジェリアでは制定法、イスラム法及び慣習法の下に女性に対する暴力が容認されており、かかる行為を支持する規定も記載されている」・・・というのだから、表面的には法整備もされているように見えても、抜け道があり、非合法なことがされていても見て見ぬふりでは助からないよね~。。・・・こんな国情を見ていると、大統領夫人のステラ・オバサンジョが外科手術で死んだ・・。しかし、その死因は発表されない・・・などというニュースを見て、私が、その死因に懐疑の念をもってもそうおかしくもない・・・とは思いませんか・・・・。
いずれにしても、平和な日本に住んでいることに感謝したい。
「英国内務省報告:出身国情報報告書 ナイジェリア」のこの章は別紙となっているので、以下参考の※13:「女性同性愛者、男性同性愛者、両性愛者及び性同一性障害者」を参照されるとよい。

用語説明
★1:IAC:The Inter-African Committee on Traditional Practices affecting the health of Women and Children(女性と子どもの健康に影響を与える慣習に取り組むアフリカ委員会)1984 設立。28カ国のNGOが参加()。
★2:女性性器切除の廃絶を求める国連10機関 (共同声明に参加した国連機関)は、国連エイズ合同計画(UNAIDS)、国連開発計画(UNDP)、国連アフリカ経済委員会(UNECA)、ユネスコ(UNESCO)、国連人口基金(UNFPA)、国連人権高等弁務官事務所(UNHCHR)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、ユニセフ(UNICEF)、国連婦人開発基金(UNIFEM)、世界保健機関(WHO)である。
参考:
※1:今日は何の日~毎日が記念日~
http://www.nnh.to/
※2:朝日新聞デジタル:女性器切除、禁止法制化求める 国連総会で決議案
http://www.asahi.com/international/update/1128/TKY201211280891.html
※3:国連広報センター|国際デー/国際年
http://unic.or.jp/unic/schedule
※4:女性性器切除の廃絶を求める国連10機関共同声明(Adobe PDF)
http://www.jca.apc.org/~waaf/pages/activity/newsletter/10-Agency%204pages.pdf#search='%E5%A5%B3%E6%80%A7%E6%80%A7%E5%99%A8%E5%88%87%E9%99%A4%E3%81%AE%E5%BB%83%E7%B5%B6%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%82%8B%E5%9B%BD%E9%80%A310%E6%A9%9F%E9%96%A2%E5%85%B1%E5%90%8C%E5%A3%B0%E6%98%8E'
※5:FGM廃絶を支援する女達の会
http://www.jca.apc.org/~waaf/pages/FGM/FGM.html
※6:女性器切除 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E5%99%A8%E5%88%87%E9%99%A4
※7:UNFPA国連人口基金東京事務所プレスリリース2007年2月
http://www.unfpa.or.jp/news/press.php?eid=00096#h2-1
※8:FGM(女性性器損傷)とジェンダーに基づく迫害概念をめぐる諸課題
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/34771/3/Honbun-5356.pdf#search='FGM%2FC%E3%81%B8%E3%81%AE%E4%B8%8D%E5%AF%9B%E5%AE%B9%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E3%83%87%E3%83%BC'
※9:NAIJA NEWSナイジャ(ナイジェリア)ニュース
http://plaza.rakuten.co.jp/bigafrika/backnumber/200510/
※10:オンド州の州議会 - ナイジェリアの生活日記
http://blogs.yahoo.co.jp/gidanaisha/60743923.html
※11:ナイジェリア北東部の市場で無差別攻撃、30人死亡か 目撃者証言(2012年02月21日 10:45 発信地:カノ/ナイジェリア)
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2859490/8514681
※12:英国内務省報告:出身国情報報告書 ナイジェリア(Adobe PDF)
http://www.moj.go.jp/content/000056494.pdf#search='%E3%83%A8%E3%83%AB%E3%83%90%E4%BA%BA+%EF%BC%A6%EF%BC%A7%EF%BC%AD'
※13: 女性同性愛者、男性同性愛者、両性愛者及び性同一性障害者
http://www.moj.go.jp/content/000056496.pdf#search='%E5%85%90%E7%AB%A5%E3%80%81%E5%A5%B3%E6%80%A7%E5%99%A8%E5%88%87%E9%99%A4+%E5%90%84%E9%A0%85%E5%8F%8A%E3%81%B3%E5%86%85%E5%8B%99%E7%9C%81%E5%9B%BD%E5%A2%83%E5%B1%80%E3%81%AEFGM%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8'
女性性器切除の廃絶を求める国連10機関共同声明-日本ユニセフ協会
http://www.unicef.or.jp/osirase/back2011/1101_05.htm
女性移民労働 - 関東社会学会
http://kantohsociologicalsociety.jp/congress/53/points_section10.html
アムネスティ日本: 世界人権宣言ってなんだろう?
http://www.amnesty.or.jp/human-rights/music-and-art/passport/universal_declaration.html