アメリカの有名なジャーナリストにネリー・ブライと呼ばれる人がいたのを知っていますか?
正直言って私も彼女のことはよく知らなかったが、フリー百科事典Wikipediaによると、ネリー・ブライ(Nellie Bly)は、アメリカのジャーナリスト・エリザベス・ジェーン・コクラン(Elizabeth Jane Cochran)のペンネームで、彼女は最初期の調査ジャーナリストであり、暴露(ばくろ)報道の開拓者であったそうだ。
1864年5月5日、米国ペンシルベニア州・ミルズというところで生まれ、洗礼時に着ていた明るいピンク色の服から「ピンク Pink」の愛称で呼ばれていたそうだが、彼女は、ピッツバーグ・ディスパッチ紙の性差別主義のコラムに反論を投稿し、その投稿の質が高く、同紙の編集長が彼女にリポーターとして記事の執筆を依頼したところ、彼女は当時職を探していたことから、その依頼を引き受けることとなり、編集長より、スティーブン・フォスターのヒット曲中のタイトル・キャラクター、ネリー・ブライ(Nelly Bly、1850年)を彼女のペンネームとして与えたという。
ペンシルベニア州には、自由の鐘や独立記念館で有名なフィラデルフィア市と、重要な河港を持つピッツバーグ市の、2つの主要都市があるが、フォスターは1826年7月4日、ちょうどアメリカ独立記念日の50周年目にあたる記念すべき日に、ペンシルベニア州ピッツバーグの隣町ルイスヴィルで、アイルランド移民の曽祖父の家系を引く比較的裕福な家庭に生まれた。フォスターは、奴隷制をめぐる論議真っ只中でアフリカ系アメリカ人の苦悩を微妙な歌詞で描いている。
フォスターの曲「ネリー・ブライ」は彼が23才のときの歌であるが、この曲に出てくるネリーのモデルは誰なのかについては諸説あるようだが,やはり、アフリカ系アメリカ人であろう。この曲の前年にも「ネリィはレディ」(Nelly Was a Lady。「やさしいネリー」とも訳される)と言う曲がつくられている。
「ネリー・ブライ」は幸せいっぱいの恋の歌なのに対し、「ネリィはレディ」は淡々とした長調であるが、たいへん悲しい別れの歌である。「Nelly Was a Lady」のLadyというのは貴婦人ということで、奴隷身分の男の妻には使われることはない呼び方だが、ここでは妻に先立たれてしまった男の悲しみの深さを表す言葉としてフォスターがあえて使ったのだろう。フォスターの妻ジェーンの実家に仕えていた黒人の老僕ジョーを歌ったものとされている有名な「オールド・ブラック・ジョー」 (Old Black Joe。1860年作)ほど知られてはいないが、フォスターのプランテーションソング(大規模農園)ものの中でも名曲の部類ではないだろうか。(フォスターの曲は以下参考に記載の※1:「スティーヴン・フォスター/歌曲集」で聴ける。日本語訳歌詞もあり、また、※2:Nelly Bly 「ネリー・ブライ - 三宅教授とみんなでえいごうた」では、簡単な解説もある)。
しかし、英語の「Nelly」には” 女みたいな男”“めめしいやつ”といった侮辱的な意味もあるようであり、ピッツバーグ・ディスパッチ紙の性差別主義のコラムに反論を投稿してきた彼女の能力を買ったといわれる同紙の編集長が何故このようなペンネームを彼女につけたのかはについて、私は少々腑に落ちないところがあるが、逆に、“男のような女”といった皮肉を込めたものであったのかも知れないと思っている。
ブライは同紙でいくつかの調査記事を執筆したが、その後同紙を離れ、1887年にはニューヨークでジョーゼフ・ピューリツァーのニューヨーク・ワールド紙に職を得たという。
ピューリツァーが1883年にニューヨーク・ワールド紙を買収したときは、年間40,000ドルの赤字を出していたことから、彼はワールド紙の焦点を、人間の興味の物語、スキャンダルおよびセンセーショナリズムへ移していたという。
そして、1885年、彼は下院議員に選任されたそうだが、その頃、その購読者数は彼が同紙を買収した時点の15,000から600,000に達し、アメリカで最大の新聞になっていたという。
そこへブライが入社したわけだが、彼女が同紙で最初に担当した記事は、ブラックウェル島(ルーズベルト島)の女性精神病院を取り扱った記事であったそうで、彼女は自身を患者達が病院で扱われたように委ね、その事実を明らかにした・・・というから、要するに、記事を書くために患者のふりをして精神病院に潜入してのレポート記事を書いたのだろう。良く言うところの自分を犠牲にした囮(おとり)捜査的な取材ということになるだろうね~。どうも、この企画は彼女の提案によるものらしいが、このような秘密を調査し暴露するという手法は彼女のトレードマークとなったそうだ。
「暴露」とは、さらけだすこと。むきだしにする。悪事・秘密などがあらわれること。露見・・・を言い、ジャーナリスト流にいえば、このような悪事や秘密を暴く、摘発、すっぱ抜くことになるのだろう。
最近日本では、尖閣諸島中国漁船衝突事件の発生時に海上保安庁石垣海上保安部が録画し、同庁および那覇地方検察庁が保管していたと思われる映像が海上保安官によってインターネット動画共有サイトYouTubeに公開され流出した尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件(「尖閣ビデオ流出事件」とも呼ばれる)があった。
又、「WikiLeaks(ウィキリークス)」という内部告発サイト(URL:http://www.wikileaks.org/)が今話題になっている。
元ハッカーでオーストラリア人のジュリアン・アサンジュ主宰のウイキリークス(これまでアフガン戦争とイラク戦争に関する文書を公開)は米国務省公電を自らのウエブに掲載し始めるとともに、事前にニューヨーク・タイムズ紙、ガーディアン紙など特定のメディアに情報を提供したという(アメリカ外交公電ウィキリークス流出事件参照)。その量は25万件を超えるというだけに世界中に大きなショックを与えると共に、このようなインターネットの世界に突如として現れた内部告発サイトは、人々の知る権利に応える「正義のメディア」といえるのか?、それとも国家の安全保障を脅かす「危険な存在」なのか?・・・その解釈・評価は大きく分かれるところだろう。
これは、日本で起きた先の「尖閣ビデオ流出事件」についても同様である。
日本では、このような「内部告発」や「機密漏洩」行為を「卑怯」だとか「裏切り」だとする考えも多く残っているが、インターネットの発達した現代において「報道の自由と国家機密の保持」のバランスを何処に置くかは難しいところであるが、内部からの漏洩が生じるのは、機密管理の不備と犯罪を犯す人の問題であり、インターネットの発達とはほぼ無関係であり、これは切り離して考えなければいけないのだろう。
テレビで報道されているウイキリークスから漏洩した、米軍アパッチヘリコプターからのイラク人への銃撃シーンなど見ていると、非常にショックであり、そのような事実があったとしたら、尖閣ビデオ流出事件同様国民はその真実を知る権利があるだろう。しかし、ブライのようなジャーナリストが内部に潜りこんで秘密を暴くのと、その機関に所属する人が機関の内部情報を勝手に暴露するのとは、大分事情は異なり、内部情報を暴露した人の機関に対する忠実義務などは当然問われることにはなるだろう。
2007年 米軍ヘリによるロイター記者とイラク市民銃撃映像
http://www.youtube.com/watch?v=LkEuxKI9v0g
ただWikipediaにはピューリツァーのワールド紙のライバルであるニューヨーク・サン紙の編集者は、1890年に彼を「信仰心を放棄したユダヤ人」と呼んで、紙上で攻撃した・・・とあるがそれがどのようなことなのかは良くわからない。ただ、ブライの囮(おとり)捜査的な手法を使って調査し秘密を暴露するというようなやり方は当時の権力者に嫌われたであろうことは想像できる。
いずれにしても、私は彼女がそのような暴露報道のパイオニアだったということに興味を持ってこのブログを書いたが、このことは、これ以上書くことをやめるが、もう1つ、彼女が世界初の女性単独世界一周旅行者であった・・・ということにも興味を持った。
世界一周と言えば、フランスの小説家ジュール・ヴェルヌの小説『八十日間世界一周』(Le tour du monde en quatre-vingt jours。1872年発表)がある。この物語は、「80日で世界一周できるはずだ」という主人公のイギリス人資産家フィリアス・フォッグに対し、ロンドンの紳士クラブ「リフォームクラブ」のメンバーは「無理だ、できるものか」という意見が多数。「では、やってみせよう」ということで、主人公は、全財産の半分を旅費に当て、残りの半分はクラブの仲間たちとの掛け金にし、執事のパスパルトゥーを従え、後期ビクトリア朝時代の世界を80日で一周しようと試みる波瀾万丈の冒険物語であるが、このヴェルヌの描いた世界の虜になって、主人公フィリアス・フォッグを真似ようとした人々が多くいたようだ。
1888年、このヴェルヌの小説『八十日間世界一周』をモデルとして実際にリポーターを世界一周させるという企画がワールド紙で決定し、ブライがそのリポーターに決定。1889年11月14日に彼女はニューヨークを出発し、24,899マイルの旅に出た。そして、その旅を彼女は、72日と6時間11分14秒で成し遂げたという。数カ月後に、62日で世界一周を成し遂げたジョージ・フランシス・トレインによってこの記録は破られたものの、ブライの地球一周の記録は当時世界記録であったそうだ。
このヴェルヌの小説をもとに1956年に米国ハリウッドで製作された「Around the World in 80 Days(日本語題名はそのまま「八十日間世界一周」)」は、トッド・AOワイドスクリーンで撮影され、主演のフォッグ氏役には品の良い紳士的風貌の持ち主である名優デヴィッド・ニーヴンが、パスパルトゥー役には「カンティンフラス」のニックネームで知られた世界的コメディアンのマリオ・モレノ、アウダが充てられたほか、登場人物に各国有名スターを総動員して製作費も700万ドルを費やした大作である。ビクター・ヤングの格調高く優雅なテーマ曲「Around the World」にのって展開され、日本を含む世界各国の多彩な風景をカラー撮影で楽しめるこの観光映画はプロデューサーのマイケル・トッドがアカデミー賞・最優秀作品賞 を受賞したほか最優秀撮影賞、最優秀映画編集賞、最優秀脚本賞、最優秀音楽賞 ( ビクター・ヤング)を受賞している。私もわくわくしながらこの映画を観たが素晴らしい映画である。
ネリー・ブライは1895年に富豪のロバート・シーマンと結婚し、ジャーナリズムから引退し、1904年に夫が死んだ後はその会社の管理を引き継いだが、その後ジャーナリズムの世界に復帰し、第一次世界大戦のヨーロッパ東部戦線のレポートなどを行ったそうだが、1922年1月27日、肺炎により57歳で死去したという。ネリー・ブライは、やはり、“男のような女”であり、強い意志と行動力を持った根っからのジャーナリストだったのだね~。
(冒頭の画像はネリー・ブライ。Wikipediaより)
参考:
八十日間世界一周 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/p7061/
ネリー・ブライ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4
WikiLeaks
http://www.wikileaks.org/
NHKクローズアップ現代【ウイキリークス機密告発サイト】詳細情報
http://topicsnow.blog72.fc2.com/blog-entry-882.html
ウイキリークスによる米国務省公電の漏えい -国際情報センター
http://blogs.yahoo.co.jp/kokusaijoho_center/36604484.html
「告発」する勇気 -ウイキリークス事件と日本
http://agora-web.jp/archives/1150973.html
公開文書、戦争犯罪の可能性示唆=ウィキリークス創設者
http://jp.wsj.com/US/node_85798/
YouTubeー尖閣諸島 国民の疑問と内部告発情報と複数証拠 国民で海保隊員を守ろう
http://www.youtube.com/watch?v=pWp2ZEMBf2U
正直言って私も彼女のことはよく知らなかったが、フリー百科事典Wikipediaによると、ネリー・ブライ(Nellie Bly)は、アメリカのジャーナリスト・エリザベス・ジェーン・コクラン(Elizabeth Jane Cochran)のペンネームで、彼女は最初期の調査ジャーナリストであり、暴露(ばくろ)報道の開拓者であったそうだ。
1864年5月5日、米国ペンシルベニア州・ミルズというところで生まれ、洗礼時に着ていた明るいピンク色の服から「ピンク Pink」の愛称で呼ばれていたそうだが、彼女は、ピッツバーグ・ディスパッチ紙の性差別主義のコラムに反論を投稿し、その投稿の質が高く、同紙の編集長が彼女にリポーターとして記事の執筆を依頼したところ、彼女は当時職を探していたことから、その依頼を引き受けることとなり、編集長より、スティーブン・フォスターのヒット曲中のタイトル・キャラクター、ネリー・ブライ(Nelly Bly、1850年)を彼女のペンネームとして与えたという。
ペンシルベニア州には、自由の鐘や独立記念館で有名なフィラデルフィア市と、重要な河港を持つピッツバーグ市の、2つの主要都市があるが、フォスターは1826年7月4日、ちょうどアメリカ独立記念日の50周年目にあたる記念すべき日に、ペンシルベニア州ピッツバーグの隣町ルイスヴィルで、アイルランド移民の曽祖父の家系を引く比較的裕福な家庭に生まれた。フォスターは、奴隷制をめぐる論議真っ只中でアフリカ系アメリカ人の苦悩を微妙な歌詞で描いている。
フォスターの曲「ネリー・ブライ」は彼が23才のときの歌であるが、この曲に出てくるネリーのモデルは誰なのかについては諸説あるようだが,やはり、アフリカ系アメリカ人であろう。この曲の前年にも「ネリィはレディ」(Nelly Was a Lady。「やさしいネリー」とも訳される)と言う曲がつくられている。
「ネリー・ブライ」は幸せいっぱいの恋の歌なのに対し、「ネリィはレディ」は淡々とした長調であるが、たいへん悲しい別れの歌である。「Nelly Was a Lady」のLadyというのは貴婦人ということで、奴隷身分の男の妻には使われることはない呼び方だが、ここでは妻に先立たれてしまった男の悲しみの深さを表す言葉としてフォスターがあえて使ったのだろう。フォスターの妻ジェーンの実家に仕えていた黒人の老僕ジョーを歌ったものとされている有名な「オールド・ブラック・ジョー」 (Old Black Joe。1860年作)ほど知られてはいないが、フォスターのプランテーションソング(大規模農園)ものの中でも名曲の部類ではないだろうか。(フォスターの曲は以下参考に記載の※1:「スティーヴン・フォスター/歌曲集」で聴ける。日本語訳歌詞もあり、また、※2:Nelly Bly 「ネリー・ブライ - 三宅教授とみんなでえいごうた」では、簡単な解説もある)。
しかし、英語の「Nelly」には” 女みたいな男”“めめしいやつ”といった侮辱的な意味もあるようであり、ピッツバーグ・ディスパッチ紙の性差別主義のコラムに反論を投稿してきた彼女の能力を買ったといわれる同紙の編集長が何故このようなペンネームを彼女につけたのかはについて、私は少々腑に落ちないところがあるが、逆に、“男のような女”といった皮肉を込めたものであったのかも知れないと思っている。
ブライは同紙でいくつかの調査記事を執筆したが、その後同紙を離れ、1887年にはニューヨークでジョーゼフ・ピューリツァーのニューヨーク・ワールド紙に職を得たという。
ピューリツァーが1883年にニューヨーク・ワールド紙を買収したときは、年間40,000ドルの赤字を出していたことから、彼はワールド紙の焦点を、人間の興味の物語、スキャンダルおよびセンセーショナリズムへ移していたという。
そして、1885年、彼は下院議員に選任されたそうだが、その頃、その購読者数は彼が同紙を買収した時点の15,000から600,000に達し、アメリカで最大の新聞になっていたという。
そこへブライが入社したわけだが、彼女が同紙で最初に担当した記事は、ブラックウェル島(ルーズベルト島)の女性精神病院を取り扱った記事であったそうで、彼女は自身を患者達が病院で扱われたように委ね、その事実を明らかにした・・・というから、要するに、記事を書くために患者のふりをして精神病院に潜入してのレポート記事を書いたのだろう。良く言うところの自分を犠牲にした囮(おとり)捜査的な取材ということになるだろうね~。どうも、この企画は彼女の提案によるものらしいが、このような秘密を調査し暴露するという手法は彼女のトレードマークとなったそうだ。
「暴露」とは、さらけだすこと。むきだしにする。悪事・秘密などがあらわれること。露見・・・を言い、ジャーナリスト流にいえば、このような悪事や秘密を暴く、摘発、すっぱ抜くことになるのだろう。
最近日本では、尖閣諸島中国漁船衝突事件の発生時に海上保安庁石垣海上保安部が録画し、同庁および那覇地方検察庁が保管していたと思われる映像が海上保安官によってインターネット動画共有サイトYouTubeに公開され流出した尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件(「尖閣ビデオ流出事件」とも呼ばれる)があった。
又、「WikiLeaks(ウィキリークス)」という内部告発サイト(URL:http://www.wikileaks.org/)が今話題になっている。
元ハッカーでオーストラリア人のジュリアン・アサンジュ主宰のウイキリークス(これまでアフガン戦争とイラク戦争に関する文書を公開)は米国務省公電を自らのウエブに掲載し始めるとともに、事前にニューヨーク・タイムズ紙、ガーディアン紙など特定のメディアに情報を提供したという(アメリカ外交公電ウィキリークス流出事件参照)。その量は25万件を超えるというだけに世界中に大きなショックを与えると共に、このようなインターネットの世界に突如として現れた内部告発サイトは、人々の知る権利に応える「正義のメディア」といえるのか?、それとも国家の安全保障を脅かす「危険な存在」なのか?・・・その解釈・評価は大きく分かれるところだろう。
これは、日本で起きた先の「尖閣ビデオ流出事件」についても同様である。
日本では、このような「内部告発」や「機密漏洩」行為を「卑怯」だとか「裏切り」だとする考えも多く残っているが、インターネットの発達した現代において「報道の自由と国家機密の保持」のバランスを何処に置くかは難しいところであるが、内部からの漏洩が生じるのは、機密管理の不備と犯罪を犯す人の問題であり、インターネットの発達とはほぼ無関係であり、これは切り離して考えなければいけないのだろう。
テレビで報道されているウイキリークスから漏洩した、米軍アパッチヘリコプターからのイラク人への銃撃シーンなど見ていると、非常にショックであり、そのような事実があったとしたら、尖閣ビデオ流出事件同様国民はその真実を知る権利があるだろう。しかし、ブライのようなジャーナリストが内部に潜りこんで秘密を暴くのと、その機関に所属する人が機関の内部情報を勝手に暴露するのとは、大分事情は異なり、内部情報を暴露した人の機関に対する忠実義務などは当然問われることにはなるだろう。
2007年 米軍ヘリによるロイター記者とイラク市民銃撃映像
http://www.youtube.com/watch?v=LkEuxKI9v0g
ただWikipediaにはピューリツァーのワールド紙のライバルであるニューヨーク・サン紙の編集者は、1890年に彼を「信仰心を放棄したユダヤ人」と呼んで、紙上で攻撃した・・・とあるがそれがどのようなことなのかは良くわからない。ただ、ブライの囮(おとり)捜査的な手法を使って調査し秘密を暴露するというようなやり方は当時の権力者に嫌われたであろうことは想像できる。
いずれにしても、私は彼女がそのような暴露報道のパイオニアだったということに興味を持ってこのブログを書いたが、このことは、これ以上書くことをやめるが、もう1つ、彼女が世界初の女性単独世界一周旅行者であった・・・ということにも興味を持った。
世界一周と言えば、フランスの小説家ジュール・ヴェルヌの小説『八十日間世界一周』(Le tour du monde en quatre-vingt jours。1872年発表)がある。この物語は、「80日で世界一周できるはずだ」という主人公のイギリス人資産家フィリアス・フォッグに対し、ロンドンの紳士クラブ「リフォームクラブ」のメンバーは「無理だ、できるものか」という意見が多数。「では、やってみせよう」ということで、主人公は、全財産の半分を旅費に当て、残りの半分はクラブの仲間たちとの掛け金にし、執事のパスパルトゥーを従え、後期ビクトリア朝時代の世界を80日で一周しようと試みる波瀾万丈の冒険物語であるが、このヴェルヌの描いた世界の虜になって、主人公フィリアス・フォッグを真似ようとした人々が多くいたようだ。
1888年、このヴェルヌの小説『八十日間世界一周』をモデルとして実際にリポーターを世界一周させるという企画がワールド紙で決定し、ブライがそのリポーターに決定。1889年11月14日に彼女はニューヨークを出発し、24,899マイルの旅に出た。そして、その旅を彼女は、72日と6時間11分14秒で成し遂げたという。数カ月後に、62日で世界一周を成し遂げたジョージ・フランシス・トレインによってこの記録は破られたものの、ブライの地球一周の記録は当時世界記録であったそうだ。
このヴェルヌの小説をもとに1956年に米国ハリウッドで製作された「Around the World in 80 Days(日本語題名はそのまま「八十日間世界一周」)」は、トッド・AOワイドスクリーンで撮影され、主演のフォッグ氏役には品の良い紳士的風貌の持ち主である名優デヴィッド・ニーヴンが、パスパルトゥー役には「カンティンフラス」のニックネームで知られた世界的コメディアンのマリオ・モレノ、アウダが充てられたほか、登場人物に各国有名スターを総動員して製作費も700万ドルを費やした大作である。ビクター・ヤングの格調高く優雅なテーマ曲「Around the World」にのって展開され、日本を含む世界各国の多彩な風景をカラー撮影で楽しめるこの観光映画はプロデューサーのマイケル・トッドがアカデミー賞・最優秀作品賞 を受賞したほか最優秀撮影賞、最優秀映画編集賞、最優秀脚本賞、最優秀音楽賞 ( ビクター・ヤング)を受賞している。私もわくわくしながらこの映画を観たが素晴らしい映画である。
ネリー・ブライは1895年に富豪のロバート・シーマンと結婚し、ジャーナリズムから引退し、1904年に夫が死んだ後はその会社の管理を引き継いだが、その後ジャーナリズムの世界に復帰し、第一次世界大戦のヨーロッパ東部戦線のレポートなどを行ったそうだが、1922年1月27日、肺炎により57歳で死去したという。ネリー・ブライは、やはり、“男のような女”であり、強い意志と行動力を持った根っからのジャーナリストだったのだね~。
(冒頭の画像はネリー・ブライ。Wikipediaより)
参考:
八十日間世界一周 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/p7061/
ネリー・ブライ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4
WikiLeaks
http://www.wikileaks.org/
NHKクローズアップ現代【ウイキリークス機密告発サイト】詳細情報
http://topicsnow.blog72.fc2.com/blog-entry-882.html
ウイキリークスによる米国務省公電の漏えい -国際情報センター
http://blogs.yahoo.co.jp/kokusaijoho_center/36604484.html
「告発」する勇気 -ウイキリークス事件と日本
http://agora-web.jp/archives/1150973.html
公開文書、戦争犯罪の可能性示唆=ウィキリークス創設者
http://jp.wsj.com/US/node_85798/
YouTubeー尖閣諸島 国民の疑問と内部告発情報と複数証拠 国民で海保隊員を守ろう
http://www.youtube.com/watch?v=pWp2ZEMBf2U