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今日(6月10日)は、「ミルクキャラメルの日」
森永製菓が2000(平成12)年3月に制定。
1913(大正2)年、森永製菓が「森永ミルクキャラメル」を発売した。
森永のホームページを見ると、今ではミルクキャラメル」という名前に何の不思議も感じないが、1899年創業当時の商品名は単に「キャラメル」。古い資料によれば「1913(大正2)年6月10日ミルクキャラメル10斤缶発売、従来のキャラメルの名称に初めてミルクの冠詞を付ける」とあり、「キャラメル」から「ミルクキャラメル」になった6月10日を「ミルクキャラメルの日」と命名したとある。国民アンケートをもとに郵政省が発行した「20世紀デザイン切手」に、「ミルクキャラメル発売」が選ばれている。(平成11年)その解説文には、”1913(大正2)年、ミルクキャラメルが発売された。当時はバラ売りで、1粒5厘。大人向けのタバコの代用品として作られ、一粒ずつワックスペーパーに包まれた菓子が珍しく、また、衛生的であるとして、好調な売れ行きを示した。キャラメルは約300年前、ポルトガル人により、日本に伝えられたといわれる”・・・とある。
goo国語辞書にもあるように、キャラメル(Caramel)は、牛乳・バター・水飴(みずあめ)・小麦粉などにバニラなどの香料を加えて煮固めた飴菓子。小さく切って一粒ずつ包装したものをいう。又、キャラメルは、カラメル 0 [(フランス) caramel] という呼び方をされる場合、ショ糖・ブドウ糖などの糖類を加熱して得る黒褐色の粘度の高い物質。又、食品の着色剤・風味料として用いる。・・とある。
そういえば、私が子どもの頃、キャラメルなどなかなか買えなかったので、家で母親が、砂糖で茶色っぽい「カラメル」を作ってくれていたのを思いだす。確かに、このときは、「キャラメル」とは言わず、「カラメル」と言っていたよな~。甘いものに飢えていたからかも知れないが、今の「キャラメル」のように、甘ったるくなく、さっぱりとした軽い甘さの美味しいお菓子だったよな~。
森永製菓のマーク が「エンゼルマーク」なのは創業当時、日本ではまだ珍しかったマシュマロを主力商品にしていたためで、このお菓子のマシュマロはヨーロッパで「エンジェル・フード」と呼ばれていたため。森永の創業者がアメリカに留学した時に味わい感激して帰国後製造を開始したのがキャラメルでこれが、日本で最初のものだという。このとき、日本は湿度が高くべたつく為にワックスペーパーで1個づつ包むようになった。そのバラ売りだったキャラメルを箱入りで売る試みはされていたが、1914年東京・上野公園で開催された大正博覧会の特設売り場で初めて、ポケットサイズの紙サック入りキャラメル(20粒入り)10銭を「土産用」として販売したところ、爆発的な人気を呼び、この日が「黄色い箱に入っている森永ミルクキャラメル」の輝かしい誕生日となったそうだ。
キャラメルと言えば、森永製菓や、江崎グリコが思い出されるが、両者の創業者は、どちらも佐賀県出身。佐賀県は、砂糖の消費量は日本一だとか、佐賀の中心を通る長崎街道は、鎖国時代、国内唯一の貿易港であった長崎から高度な医療技術、南蛮文化、更には砂糖文化をもたらした街道で、別名シュガーロードとも呼ばれるらしいが、この街道沿いには、お馴染みのカステラ、丸ぼうろ、逸口香など、佐賀を代表するお菓子の老舗が数多くあり、昔から、甘い物の消費が高いところらしい。
「20世紀デザイン切手」の説明に、”大人向けのタバコの代用品として作られ”・・・とあったので、森永のキャラメルの歴史を見ると、大正3年の”たばこ代用を提唱し、斬新なコピーで評判になった最初の車内ポスター”・・・てのがあった。そのポスターには、「タバコ代用。いよいよミルクキャラメルの時代来たれり!!!、天二物を与えずんば、僕はキャラメルを取るよ。」とある。なかなか面白い広告である。しかし、この件については、以下参考の「20世紀B級ニュース」を、見ると、以下のような現実があったようである。
”当時の広告には、「滋養豊富ミルクキャラメル・一粒五厘なり。本品は夏期の衛生に適応すべき、最新式製法を応用し、製造したる風味佳良・滋養豊富の新菓なり。粗製偽品あり」とある。しかし、当時の人はミルクやバターの味になじんでいなかったため、キャラメルは意外にも不人気だった。あまりの売れ行き不振に、森永の社員は外出時には必ず、キャラメルを持ち歩き、わざわざ電車の中で食べてみせたりしたという。しかし、森永は「煙草代用」のキャッチフレーズを思いつき、そこからキャラメルは一気に需要を伸ばし、キャラメルは大衆の間に浸透していった。”・・・と。
ところで、今の時代、タバコの健康に及ぼす害が叫ばれて久しく、禁煙運動が行われているが、それでも禁煙を止められず、白い目で見られている人は、この機会に、タバコの代わりに、キャラメルでも食べてはどうですか・・・。
森永のエンジェルマークは形を変えてきて、1986(昭和61)年に、現在のものに変更。 現在、森永製菓の製品で昔のエンゼルマークを使用しているのはミルクキャラメルのみである。
森永ミルクキャラメルの復刻版→森永ミルクキャラメル
このエンジェルマーク、そういえば、1957(昭和32)年、「エンゼルは男の子?女の子?」といった広告があったよね。巷では、ローマ字のM(男)をエンジェルが操縦しているから、女の子だ・・・なんていっていたが・・・、結局、あれどっちだったのだろう?
以下参考の「ニッポンのエンゼル」では、その中で、森永のエンジェルの考察もしている。面白いので興味のある人は見られるとよい。
(画像は、「20世紀デザイン切手」第2集のなかの、「ミルクキャラメル発売」切手のデザインは、大正3年のチラシ広告に描かれたもの。)
参考:
ミルクキャラメル・森永製菓 HP
http://www.morinaga.co.jp/caramel/index.html
キャラメル - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%83%AB
「20世紀B級ニュース」
http://www.c20.jp/text/ok_bkyun.html
森永製菓が2000(平成12)年3月に制定。
1913(大正2)年、森永製菓が「森永ミルクキャラメル」を発売した。
森永のホームページを見ると、今ではミルクキャラメル」という名前に何の不思議も感じないが、1899年創業当時の商品名は単に「キャラメル」。古い資料によれば「1913(大正2)年6月10日ミルクキャラメル10斤缶発売、従来のキャラメルの名称に初めてミルクの冠詞を付ける」とあり、「キャラメル」から「ミルクキャラメル」になった6月10日を「ミルクキャラメルの日」と命名したとある。国民アンケートをもとに郵政省が発行した「20世紀デザイン切手」に、「ミルクキャラメル発売」が選ばれている。(平成11年)その解説文には、”1913(大正2)年、ミルクキャラメルが発売された。当時はバラ売りで、1粒5厘。大人向けのタバコの代用品として作られ、一粒ずつワックスペーパーに包まれた菓子が珍しく、また、衛生的であるとして、好調な売れ行きを示した。キャラメルは約300年前、ポルトガル人により、日本に伝えられたといわれる”・・・とある。
goo国語辞書にもあるように、キャラメル(Caramel)は、牛乳・バター・水飴(みずあめ)・小麦粉などにバニラなどの香料を加えて煮固めた飴菓子。小さく切って一粒ずつ包装したものをいう。又、キャラメルは、カラメル 0 [(フランス) caramel] という呼び方をされる場合、ショ糖・ブドウ糖などの糖類を加熱して得る黒褐色の粘度の高い物質。又、食品の着色剤・風味料として用いる。・・とある。
そういえば、私が子どもの頃、キャラメルなどなかなか買えなかったので、家で母親が、砂糖で茶色っぽい「カラメル」を作ってくれていたのを思いだす。確かに、このときは、「キャラメル」とは言わず、「カラメル」と言っていたよな~。甘いものに飢えていたからかも知れないが、今の「キャラメル」のように、甘ったるくなく、さっぱりとした軽い甘さの美味しいお菓子だったよな~。
森永製菓のマーク が「エンゼルマーク」なのは創業当時、日本ではまだ珍しかったマシュマロを主力商品にしていたためで、このお菓子のマシュマロはヨーロッパで「エンジェル・フード」と呼ばれていたため。森永の創業者がアメリカに留学した時に味わい感激して帰国後製造を開始したのがキャラメルでこれが、日本で最初のものだという。このとき、日本は湿度が高くべたつく為にワックスペーパーで1個づつ包むようになった。そのバラ売りだったキャラメルを箱入りで売る試みはされていたが、1914年東京・上野公園で開催された大正博覧会の特設売り場で初めて、ポケットサイズの紙サック入りキャラメル(20粒入り)10銭を「土産用」として販売したところ、爆発的な人気を呼び、この日が「黄色い箱に入っている森永ミルクキャラメル」の輝かしい誕生日となったそうだ。
キャラメルと言えば、森永製菓や、江崎グリコが思い出されるが、両者の創業者は、どちらも佐賀県出身。佐賀県は、砂糖の消費量は日本一だとか、佐賀の中心を通る長崎街道は、鎖国時代、国内唯一の貿易港であった長崎から高度な医療技術、南蛮文化、更には砂糖文化をもたらした街道で、別名シュガーロードとも呼ばれるらしいが、この街道沿いには、お馴染みのカステラ、丸ぼうろ、逸口香など、佐賀を代表するお菓子の老舗が数多くあり、昔から、甘い物の消費が高いところらしい。
「20世紀デザイン切手」の説明に、”大人向けのタバコの代用品として作られ”・・・とあったので、森永のキャラメルの歴史を見ると、大正3年の”たばこ代用を提唱し、斬新なコピーで評判になった最初の車内ポスター”・・・てのがあった。そのポスターには、「タバコ代用。いよいよミルクキャラメルの時代来たれり!!!、天二物を与えずんば、僕はキャラメルを取るよ。」とある。なかなか面白い広告である。しかし、この件については、以下参考の「20世紀B級ニュース」を、見ると、以下のような現実があったようである。
”当時の広告には、「滋養豊富ミルクキャラメル・一粒五厘なり。本品は夏期の衛生に適応すべき、最新式製法を応用し、製造したる風味佳良・滋養豊富の新菓なり。粗製偽品あり」とある。しかし、当時の人はミルクやバターの味になじんでいなかったため、キャラメルは意外にも不人気だった。あまりの売れ行き不振に、森永の社員は外出時には必ず、キャラメルを持ち歩き、わざわざ電車の中で食べてみせたりしたという。しかし、森永は「煙草代用」のキャッチフレーズを思いつき、そこからキャラメルは一気に需要を伸ばし、キャラメルは大衆の間に浸透していった。”・・・と。
ところで、今の時代、タバコの健康に及ぼす害が叫ばれて久しく、禁煙運動が行われているが、それでも禁煙を止められず、白い目で見られている人は、この機会に、タバコの代わりに、キャラメルでも食べてはどうですか・・・。
森永のエンジェルマークは形を変えてきて、1986(昭和61)年に、現在のものに変更。 現在、森永製菓の製品で昔のエンゼルマークを使用しているのはミルクキャラメルのみである。
森永ミルクキャラメルの復刻版→森永ミルクキャラメル
このエンジェルマーク、そういえば、1957(昭和32)年、「エンゼルは男の子?女の子?」といった広告があったよね。巷では、ローマ字のM(男)をエンジェルが操縦しているから、女の子だ・・・なんていっていたが・・・、結局、あれどっちだったのだろう?
以下参考の「ニッポンのエンゼル」では、その中で、森永のエンジェルの考察もしている。面白いので興味のある人は見られるとよい。
(画像は、「20世紀デザイン切手」第2集のなかの、「ミルクキャラメル発売」切手のデザインは、大正3年のチラシ広告に描かれたもの。)
参考:
ミルクキャラメル・森永製菓 HP
http://www.morinaga.co.jp/caramel/index.html
キャラメル - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%83%AB
「20世紀B級ニュース」
http://www.c20.jp/text/ok_bkyun.html
僕の子供の頃は森永ミルクキャラメルは20円だったのではないかと思います。半分サイズの物もありました。森永は今のような四角い形でしたが、グリコは歪な碁石のような形で両側を捻って包んでありましたね。
家では火鉢の上で、お玉にざら目と重曹を入れてかき回してタイミングを見てフットかき回した棒を持ち上げるとプクッと膨れてカルメラを作ってもらっていました。ところがなかなかこれが上手く膨れないんですよ。
今でも懐かしく思いますよ。
Lindaさんのいわれるようにグリコは四角でなかったですね。
今では歯にくっつくのであまり食べませんが。。。(笑)
先日山田詠美の「風味絶佳」という本を読みました。
その中にミルクキャラメルが出てくるんですよ!
本の表紙もキャラメルなのですが、洒落てましたよ~
きっちんさんご紹介の本、どんな本か、ネットで調べてみた。
「甘くとろけるもんは女の子だけじゃないんだから」70を超えてもグランマは現役ぶりを発揮する・・。
山田詠美 の「風味絶佳」面白そうな本だね。「料理は性欲以上に愛の証」とばかりに、彼に食べさせる料理に心血を注ぐ元主婦など、・・・なんてなんとなく、きっちんさんの好みだとわかります。(^0^)