![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/d5/15bb6bbdde9fcdaef31f1905b3d2688b.jpg)
今日(4月24日)は、小畑実 (歌手)の 1979年の忌日
歌手の小畑実と言っても知っている人はもう少なくなってきた。戦中戦後に活躍した歌手で、戦前の『湯島の白梅』(昭和17年)がヒットし歌手となり、ついで『勘太郎月夜歌』(昭和18年)が大流行した。
湯島通れば・思い出す
お蔦(つた)主税(ちから)の・心意気
知るや白梅・玉垣に
のこる二人の・影法師
『婦系図の唄』作詞:佐伯孝夫、作曲:清水保雄、歌:小畑実・共唱:藤原亮子)
泉鏡花の小説「婦系図」を昭和17年に、マキノ正博監督により早瀬役:長谷川一夫・お蔦役:山田五十鈴の主演により製作された東宝映画「婦系図」の主題歌・・・と言うことになっている。以下参考に記載の「『湯島の白梅』の謎(オロモルフ)」のよると、この映画を当て込んで『婦系図の唄』は作られたものの実際には、この映画の中では、1度も流されなかったので、映画の主題歌とは言えないそうだ。およそ戦時中らしからぬ主題の映画と曲であるが、売り出しが許可になり、静かにヒットしたようだが、本当に大ヒットとなって誰でもが知る歌謡曲となったのは戦後のことで、大映が「湯島の白梅」という題でこの映画を作り直したとき、曲も『湯島の白梅』として再発売したので、こちらの題名の方が有名になったのだという。昭和17年の東宝の映画は見ていないので知らないが、大映の「湯島の白梅」は見た。お蔦役の山本富士子が物凄く綺麗であった。でも、山田五十鈴も若い頃は本当に綺麗だよ。色々検索していると、何と、昭和17年の映画の動画が見つかったよ。以下にある。
YouTube - 婦系図「湯島の白梅」よりお蔦・主税
http://www.youtube.com/watch?v=lPukekrHymw
でも折角の名場面もちょっと画像が暗すぎて顔が良く見えなくって残念。『勘太郎月夜唄』(作詩:佐伯孝夫、作曲:清水保雄)も映画「伊那節仁義」(長谷川一夫、山田五十鈴主演)の主題歌 だったらしいが、どちらの映画も戦後になって何度も映画や舞台で再演されているよね~。
「勘太郎月夜歌」は戦前から非常に流行っていたが、「湯島の白梅」も親父などがよく口ずさんでいたので、子供の頃から知っているよ。
『勘太郎月夜唄』カラオケ
http://8.health-life.net/~susa26/ikoi/kantarou.html
最も活躍したのは昭和20年代で、『小判鮫の唄』(昭和23年、作詞:高橋掬太郎、作曲:大村能章)、『長崎のザボン売り』(昭和23年、石本美由起:作詞・江口夜詩:作曲)、『薔薇を召しませ』(昭和24年、作詞:石本美由起作曲:上原げん)、『アメリカ通いの白い船』(昭和24、石本:美由起、作詞:利根 一郎:作曲)、『ロンドンの街角で』(昭和27年、作詞 佐伯孝夫作曲 吉田 正編曲)『星影の小径』(矢野 亮:作詞、利根一郎:作曲)『高原の駅よさようなら』(作詞:佐伯孝夫、作曲:佐々木俊一)などで、多くの人々の記憶に残るヒットを連発している。非常に綺麗な声での甘い歌声は当時一世を風靡し、私の親父が大好きな歌手であった。勿論、私も好きである。彼の唱法は1920年代からポピュラー音楽で始まったクルーナー唱法(クルーニング"crooning"唱法)と言われるもので、これは、それまでの歌手は大きな声で朗々と歌うのが一般的だったが、マイクの発達とともにマイクの前でささやくように歌う歌い方だそうだ(以下参考に記載の「クルーナー? - 教えて!goo」参照)。先にあげた中でも特に『星影の小径』はフランスのシャンソンをベースにしたロマンチックな旋律と『アイ・ラブ・ユー』という英語を歌詞に用いた斬新さに加え、彼の歌唱の特徴が生かされた傑作だといわれている。『 ロンドンの街角』もしゃれた軽快な音楽だが以下で、この歌を歌っている小畑の動画が見れるよ本当に、今は、このような懐かしい姿がネットで見れるので嬉しいね~。
YouTube ロンドンの街角で
http://youtubech.com/watch/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3/9wtJ2-RWrho
このような、軽やかな明るい歌が聴けた時代が懐かしいよ。ただ小畑の話し方がちょっと、舌足らず的なところがあったが、今日、このブログを書くので、いつも参考にしている「フリー百科事典Wikipedia」を見ていて理由がわかった。彼は、1923(大正12)年4月30日、朝鮮平壌出身の歌手で、本名は康永(カン・ヨン・チョル)というそうだ。1937(昭和12)年、同胞のテノール歌手永田絃次郎に憧れて来日し、日本音楽学校に入学し、苦学しながら声楽を学んだそうだ。このころ秋田県大館出身の小畑イクに面倒を見てもらったのが小畑姓と秋田出身を称した理由とされる。なおイクの息子小畑達夫は共産党リンチ事件で殺害されているのだという。Wikipediaの「日本共産党査問リンチ事件」によれば、治安維持法下の1933(昭和8)年に東京府東京市(現東京都)で発生した, 日本共産党にもぐりこんだ特高警察(特別高等警察)のスパイの調査中の急死事件(非外傷性ショック死)であり、これに関連し、小畑達夫が死んだようであるが、これは、特高警察側からすれば“警察のスパイ”と疑われた者が、「査問」と称するリンチに掛けて、死に至らしめられた、「殺人」事件であるとしており、その張本人を、宮本顕治と見ているようだが、裁判では「リンチ」事件の実行者には、さすがに殺人罪の適用はできず「リンチ」そのものの罪に加え、治安維持法違反の政治犯としての罪が加算され、宮本には無期懲役 の判決が下ったという。共産党は、小畑の死因は「特異体質による内因性の急性ショック死」であり、査問時に暴力をふるったことはなく、事件はでっち上げと主張しているようだ。兎に角、当時のことだから、何がどこまでがどうなのかは、よく判らないので、このことにはこれ以上触れない。興味のある人は、以下参考に記載の「立花隆『日本共産党の研究』関係」など見られるとよい。概要については以下が判りやすそうだ。
小畑中央委員査問リンチ致死事件概要
http://www.gameou.com/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron_3_samon.htm
小畑のデビューは1941(昭和16)年2月ポリドールからで『成吉思汗』で、朝鮮半島出身を隠して出身地を秋田県とし、名前も日本名で発表したが、当時、朝鮮人として自らの出自を明かす事は歌手として難しかっただろう。歌手だけではなく色んな分野の在日の多くの人達が出自を隠し日本人名を使用していたよ。私の学生時代の友達にも1人いたが、やはり、卒業後、就職に困って、神戸で中小の会社に勤めていたが、結局母国に帰るといっていつの間にか居なくなったが、今頃は、どうしているのだろうな~。
1957(昭和32)年12月、第8回NHK紅白歌合戦出場し『高原の駅よさようなら』を歌いこれを最後に一度引退。一時期実業界に移り歌謡界から遠ざかっていたようだが、1969(昭和44)年ごろ折からの懐メロブームもあって復帰。1977(昭和52)年には『湯の町しぐれ』をヒットさせた・・・とあるが、この曲はよく覚えていない。湯の町○○と言うのは凄く沢山あるからね~。その2年後の1979(昭和54)年に千葉県野田市のゴルフ場でプレイ中に倒れ、急性心不全で突然の死となる。享年55歳の若さだった。
高原の駅よさようなら(カラオケ)
http://8.health-life.net/~susa26/ikoi/kougennoeki.htm
(画像は、CD「小畑実 全曲集」ビクターエンタテインメント )
小畑実 (歌手) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%95%91%E5%AE%9F_(%E6%AD%8C%E6%89%8B)
小畑 実
http://www2s.biglobe.ne.jp/~matu-emk/obata.htm
『湯島の白梅』の謎(オロモルフ)
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/yushima_shiraume.htm
小畑実 - goo 音楽
http://music.goo.ne.jp/artist/ARTLISD1171865/index.html
※婦系図
http://www.jmdb.ne.jp/1942/br000620.htm
泉 鏡花- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%89%E9%8F%A1%E8%8A%B1
婦系図 湯島の白梅(1955) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD24543/
佐伯孝夫- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%BC%AF%E5%AD%9D%E5%A4%AB
d-score 楽譜 - 清水保雄
http://www.d-score.com/ar/A05021009.html
二木紘三のうた物語
http://duarbo.air-nifty.com/songs/
憩いの歌集
http://8.health-life.net/~susa26/ikoi/index.html
勘太郎月夜唄
http://horiguti.hp.infoseek.co.jp/kantaro.htm
日本共産党査問リンチ事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E6%9F%BB%E5%95%8F%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6
立花隆『日本共産党の研究』関係
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/tachibana.htm
杜父魚文庫ブログ
http://blog.kajika.net/?eid=620066
クルーナー? - 教えて!goo
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa58363.html
歌手の小畑実と言っても知っている人はもう少なくなってきた。戦中戦後に活躍した歌手で、戦前の『湯島の白梅』(昭和17年)がヒットし歌手となり、ついで『勘太郎月夜歌』(昭和18年)が大流行した。
湯島通れば・思い出す
お蔦(つた)主税(ちから)の・心意気
知るや白梅・玉垣に
のこる二人の・影法師
『婦系図の唄』作詞:佐伯孝夫、作曲:清水保雄、歌:小畑実・共唱:藤原亮子)
泉鏡花の小説「婦系図」を昭和17年に、マキノ正博監督により早瀬役:長谷川一夫・お蔦役:山田五十鈴の主演により製作された東宝映画「婦系図」の主題歌・・・と言うことになっている。以下参考に記載の「『湯島の白梅』の謎(オロモルフ)」のよると、この映画を当て込んで『婦系図の唄』は作られたものの実際には、この映画の中では、1度も流されなかったので、映画の主題歌とは言えないそうだ。およそ戦時中らしからぬ主題の映画と曲であるが、売り出しが許可になり、静かにヒットしたようだが、本当に大ヒットとなって誰でもが知る歌謡曲となったのは戦後のことで、大映が「湯島の白梅」という題でこの映画を作り直したとき、曲も『湯島の白梅』として再発売したので、こちらの題名の方が有名になったのだという。昭和17年の東宝の映画は見ていないので知らないが、大映の「湯島の白梅」は見た。お蔦役の山本富士子が物凄く綺麗であった。でも、山田五十鈴も若い頃は本当に綺麗だよ。色々検索していると、何と、昭和17年の映画の動画が見つかったよ。以下にある。
YouTube - 婦系図「湯島の白梅」よりお蔦・主税
http://www.youtube.com/watch?v=lPukekrHymw
でも折角の名場面もちょっと画像が暗すぎて顔が良く見えなくって残念。『勘太郎月夜唄』(作詩:佐伯孝夫、作曲:清水保雄)も映画「伊那節仁義」(長谷川一夫、山田五十鈴主演)の主題歌 だったらしいが、どちらの映画も戦後になって何度も映画や舞台で再演されているよね~。
「勘太郎月夜歌」は戦前から非常に流行っていたが、「湯島の白梅」も親父などがよく口ずさんでいたので、子供の頃から知っているよ。
『勘太郎月夜唄』カラオケ
http://8.health-life.net/~susa26/ikoi/kantarou.html
最も活躍したのは昭和20年代で、『小判鮫の唄』(昭和23年、作詞:高橋掬太郎、作曲:大村能章)、『長崎のザボン売り』(昭和23年、石本美由起:作詞・江口夜詩:作曲)、『薔薇を召しませ』(昭和24年、作詞:石本美由起作曲:上原げん)、『アメリカ通いの白い船』(昭和24、石本:美由起、作詞:利根 一郎:作曲)、『ロンドンの街角で』(昭和27年、作詞 佐伯孝夫作曲 吉田 正編曲)『星影の小径』(矢野 亮:作詞、利根一郎:作曲)『高原の駅よさようなら』(作詞:佐伯孝夫、作曲:佐々木俊一)などで、多くの人々の記憶に残るヒットを連発している。非常に綺麗な声での甘い歌声は当時一世を風靡し、私の親父が大好きな歌手であった。勿論、私も好きである。彼の唱法は1920年代からポピュラー音楽で始まったクルーナー唱法(クルーニング"crooning"唱法)と言われるもので、これは、それまでの歌手は大きな声で朗々と歌うのが一般的だったが、マイクの発達とともにマイクの前でささやくように歌う歌い方だそうだ(以下参考に記載の「クルーナー? - 教えて!goo」参照)。先にあげた中でも特に『星影の小径』はフランスのシャンソンをベースにしたロマンチックな旋律と『アイ・ラブ・ユー』という英語を歌詞に用いた斬新さに加え、彼の歌唱の特徴が生かされた傑作だといわれている。『 ロンドンの街角』もしゃれた軽快な音楽だが以下で、この歌を歌っている小畑の動画が見れるよ本当に、今は、このような懐かしい姿がネットで見れるので嬉しいね~。
YouTube ロンドンの街角で
http://youtubech.com/watch/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3/9wtJ2-RWrho
このような、軽やかな明るい歌が聴けた時代が懐かしいよ。ただ小畑の話し方がちょっと、舌足らず的なところがあったが、今日、このブログを書くので、いつも参考にしている「フリー百科事典Wikipedia」を見ていて理由がわかった。彼は、1923(大正12)年4月30日、朝鮮平壌出身の歌手で、本名は康永(カン・ヨン・チョル)というそうだ。1937(昭和12)年、同胞のテノール歌手永田絃次郎に憧れて来日し、日本音楽学校に入学し、苦学しながら声楽を学んだそうだ。このころ秋田県大館出身の小畑イクに面倒を見てもらったのが小畑姓と秋田出身を称した理由とされる。なおイクの息子小畑達夫は共産党リンチ事件で殺害されているのだという。Wikipediaの「日本共産党査問リンチ事件」によれば、治安維持法下の1933(昭和8)年に東京府東京市(現東京都)で発生した, 日本共産党にもぐりこんだ特高警察(特別高等警察)のスパイの調査中の急死事件(非外傷性ショック死)であり、これに関連し、小畑達夫が死んだようであるが、これは、特高警察側からすれば“警察のスパイ”と疑われた者が、「査問」と称するリンチに掛けて、死に至らしめられた、「殺人」事件であるとしており、その張本人を、宮本顕治と見ているようだが、裁判では「リンチ」事件の実行者には、さすがに殺人罪の適用はできず「リンチ」そのものの罪に加え、治安維持法違反の政治犯としての罪が加算され、宮本には無期懲役 の判決が下ったという。共産党は、小畑の死因は「特異体質による内因性の急性ショック死」であり、査問時に暴力をふるったことはなく、事件はでっち上げと主張しているようだ。兎に角、当時のことだから、何がどこまでがどうなのかは、よく判らないので、このことにはこれ以上触れない。興味のある人は、以下参考に記載の「立花隆『日本共産党の研究』関係」など見られるとよい。概要については以下が判りやすそうだ。
小畑中央委員査問リンチ致死事件概要
http://www.gameou.com/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron_3_samon.htm
小畑のデビューは1941(昭和16)年2月ポリドールからで『成吉思汗』で、朝鮮半島出身を隠して出身地を秋田県とし、名前も日本名で発表したが、当時、朝鮮人として自らの出自を明かす事は歌手として難しかっただろう。歌手だけではなく色んな分野の在日の多くの人達が出自を隠し日本人名を使用していたよ。私の学生時代の友達にも1人いたが、やはり、卒業後、就職に困って、神戸で中小の会社に勤めていたが、結局母国に帰るといっていつの間にか居なくなったが、今頃は、どうしているのだろうな~。
1957(昭和32)年12月、第8回NHK紅白歌合戦出場し『高原の駅よさようなら』を歌いこれを最後に一度引退。一時期実業界に移り歌謡界から遠ざかっていたようだが、1969(昭和44)年ごろ折からの懐メロブームもあって復帰。1977(昭和52)年には『湯の町しぐれ』をヒットさせた・・・とあるが、この曲はよく覚えていない。湯の町○○と言うのは凄く沢山あるからね~。その2年後の1979(昭和54)年に千葉県野田市のゴルフ場でプレイ中に倒れ、急性心不全で突然の死となる。享年55歳の若さだった。
高原の駅よさようなら(カラオケ)
http://8.health-life.net/~susa26/ikoi/kougennoeki.htm
(画像は、CD「小畑実 全曲集」ビクターエンタテインメント )
小畑実 (歌手) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%95%91%E5%AE%9F_(%E6%AD%8C%E6%89%8B)
小畑 実
http://www2s.biglobe.ne.jp/~matu-emk/obata.htm
『湯島の白梅』の謎(オロモルフ)
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/yushima_shiraume.htm
小畑実 - goo 音楽
http://music.goo.ne.jp/artist/ARTLISD1171865/index.html
※婦系図
http://www.jmdb.ne.jp/1942/br000620.htm
泉 鏡花- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%89%E9%8F%A1%E8%8A%B1
婦系図 湯島の白梅(1955) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD24543/
佐伯孝夫- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%BC%AF%E5%AD%9D%E5%A4%AB
d-score 楽譜 - 清水保雄
http://www.d-score.com/ar/A05021009.html
二木紘三のうた物語
http://duarbo.air-nifty.com/songs/
憩いの歌集
http://8.health-life.net/~susa26/ikoi/index.html
勘太郎月夜唄
http://horiguti.hp.infoseek.co.jp/kantaro.htm
日本共産党査問リンチ事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E6%9F%BB%E5%95%8F%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6
立花隆『日本共産党の研究』関係
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/tachibana.htm
杜父魚文庫ブログ
http://blog.kajika.net/?eid=620066
クルーナー? - 教えて!goo
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa58363.html
年には勝てませんね。
言語が源吾になったり、不明瞭なでになったり、僕もあまりえらそうな事を言えませんわ。トホホ。
その上で、歌謡曲を歌っているので、声量もあり、又、マイクを上手に使い綺麗な歌を日本人にあった歌い方で歌っているから、歌詞がわかりやすく、歌いやすいのですよね。
今は思いつきの歌詞を日本語で歌いやすいように作曲もされておらず、どこかの国のリズムをそのまま真似して歌っているだけなので、何をしゃべっているのかさっぱり判りません。歌詞や曲がきっちりとした日本語で歌うようになっていないからです。
小畑実さんって声楽を勉強してはったんですね。軽~い歌い方やったので所謂声楽とは関係のない人やと思ってました。しかし、この頃の歌は今でも歌えますね。今の源吾不明瞭なで、日本語として切る部分が違っているようなメロディーじゃないからでしょうね。