今日(9月22日)は、「孤児院の日」
1887(明治20)年、岡山の医師・石井十次が日本初の孤児院「岡山孤児院」を創設した。
私は石井十次のことを良く知らなかったので 調べてみると、石井十次は、1865(慶応元)年~1914(大3)年、宮崎県高鍋町生まれ、父は高鍋藩3万石(秋月家)の下級武士であった。十次は最初岡山で医学を学んだが、受洗後、ある貧しい母子との出会をきっかけに、23歳で本格的な児童救済事業を始め、日本初の孤児院「岡山孤児院」を創設、生涯で3000人以上の孤児救済に尽くし、「孤児の父」と呼ばれているそうだ。
今は一般的な言葉となった「ボランティア」であるが、この単語が日本に紹介されたのは、明治時代から大正時代と言われている。この頃は歴史家や学者などの専門用語として使われていたそうだ。現在の「ボランティア」という言葉が一般に普及したのは戦後、それも1970年代以降のこと。日本にも、古くから仏教や儒教に基づいた「ほどこし」や「助け合い」の心が人々の間に受け継がれてはいた。明治初期、キリスト教の宣教師たちによって、「自発性」「無償性」「自由意思」といった近代のボランティアの考え方が伝来した。この欧米からもたらされたボランティア精神の流れをくみ、日本初の孤児院「岡山孤児院」を設立したのがきっかけとなって、「ボランティア」が今のように民間社会事業として発展してきたのだそうだ。
今、児童福祉に長年功績があった全国の個人・団体に贈られる賞に「石井十次賞」というのがあって、静岡県掛川市の学校法人「ねむの木学園」の園長・宮城まり子さんも第13回「石井十次賞」に選ばれているんだとか。女優として活躍していた宮城さんは私財を投げ打ち、障害児教育に尽くした約40年間の功績が認められたものだそうだ。私は、昔、静岡の砂丘を見に行った時に一度、このねむの木学園の横を通り抜けたことがあったな~。 この偉大な石井十次の生涯を映画化した映画「石井のおとうさんありがとうー石井十次の生涯」(山田火砂子監督、主演・松平健、竹下景子、辰巳琢郎ほか、現代ぷろ)も作られていたんだよ。私は、今日まで、全然知らなかった・・・。
私には、恥ずかしながら、「孤児院」という名前を聞くと、昔見た映画、かの有名なジーン・ウェブスター(1876‐1916)の名作を映画化した「あしながおじさん」のミュージカルが思い出されますね~。孤児院の中で他の子供達の世話を一生懸命している天真爛漫な少女ジュリー(レスリー・キャロン)が、名前も知らないおじさんから奨学金をもらって大学に行けることになった。その後援者とされる人の名は「ジョン・スミス」と言う匿名でしか判らない。その人はどんな人なのか?。脊がたかくて足の長いスマートな人・・・、顔は・・・?、判らない。しかし、、確かなことは、とてもやさしくて、大切なな人だっていうこと! ジュリーは、想像上の「あしながおじさん」に、大学の生活を手紙に書いて送り続ける。楽しかったこと、悲しかったこと、そして、ある人を好きなことを! 毎日の出来事を手紙で書くのだが、返事をくれない。いくら手紙を書いても返事をくれなかったおじさんの正体は・・・?
ラストでは、ダンスの名手フレッド・アステアと天才バレリーナーレスリー・キャロンの見事なダンスが・・・・。格好良かったね~!!古き良きハリウッドのミュージカルという雰囲気がいっぱい詰め込まれていた映画だった。まだ、余り豊かではなかった時代、今の時代のようにアクションばかりじゃ~なく、こんな素敵な夢のある映画が、たくさん日本で上映され、私もよく映画を見に行ったよ。私は本を読んでいないが、このウェブスターの「このあしながおじさん」には、「続・あしながおじさん」もあったのだね~。皆さんはご存知・・?以下参考に本を紹介しておくね・・・。
この映画が、日本で上映されてから、「あしながおじさん」と名のつく色んな多くの支援団体が出来たよね~。 ネットで「あしながおじさん」を検索すると、色んな団体が出てくるよ。
でも、日本で、急速にボランティア活動が活発に行われるようになったのは、あの阪神・淡路大震災の時からだったろうね~。あの時、日本中の若者が、神戸救済の為に努力してくれ、怠惰的と思われていた今の若者を見直した。我々、神戸在住のものは、一生あの時の支援を忘れない。本当にありがたかった。
※石井十次賞は、石井十次顕彰会が児童福祉事業の先駆者である石井十次の精神と実践を継承し、発展させることを目的として、それにふさわしい業績のある個人、団体を表彰し、我が国におけるボランティア精神と、社会福祉に対する国民意識の向上を図ることを目的に制定し、平成4年に第一回の授賞を行っている。(昭和40年に石井十次生誕100年を記念して、記念事業を行うことを目的に発足とのこと)
(画像は、「岡山孤児院物語 石井十次の足跡 」【編集】山陽新聞社。)
参考:
素晴らしき宮崎人・石井十次
http://www.gurunet-miyazaki.com/
石井十次の生き方
http://ww3.tiki.ne.jp/~bocky/isii.htm
ねむの木学園: School for Handicapped Children
http://www.nemunoki.or.jp/
続・あしながおじさん
http://www.gutenberg21.co.jp/dady2.htm
1887(明治20)年、岡山の医師・石井十次が日本初の孤児院「岡山孤児院」を創設した。
私は石井十次のことを良く知らなかったので 調べてみると、石井十次は、1865(慶応元)年~1914(大3)年、宮崎県高鍋町生まれ、父は高鍋藩3万石(秋月家)の下級武士であった。十次は最初岡山で医学を学んだが、受洗後、ある貧しい母子との出会をきっかけに、23歳で本格的な児童救済事業を始め、日本初の孤児院「岡山孤児院」を創設、生涯で3000人以上の孤児救済に尽くし、「孤児の父」と呼ばれているそうだ。
今は一般的な言葉となった「ボランティア」であるが、この単語が日本に紹介されたのは、明治時代から大正時代と言われている。この頃は歴史家や学者などの専門用語として使われていたそうだ。現在の「ボランティア」という言葉が一般に普及したのは戦後、それも1970年代以降のこと。日本にも、古くから仏教や儒教に基づいた「ほどこし」や「助け合い」の心が人々の間に受け継がれてはいた。明治初期、キリスト教の宣教師たちによって、「自発性」「無償性」「自由意思」といった近代のボランティアの考え方が伝来した。この欧米からもたらされたボランティア精神の流れをくみ、日本初の孤児院「岡山孤児院」を設立したのがきっかけとなって、「ボランティア」が今のように民間社会事業として発展してきたのだそうだ。
今、児童福祉に長年功績があった全国の個人・団体に贈られる賞に「石井十次賞」というのがあって、静岡県掛川市の学校法人「ねむの木学園」の園長・宮城まり子さんも第13回「石井十次賞」に選ばれているんだとか。女優として活躍していた宮城さんは私財を投げ打ち、障害児教育に尽くした約40年間の功績が認められたものだそうだ。私は、昔、静岡の砂丘を見に行った時に一度、このねむの木学園の横を通り抜けたことがあったな~。 この偉大な石井十次の生涯を映画化した映画「石井のおとうさんありがとうー石井十次の生涯」(山田火砂子監督、主演・松平健、竹下景子、辰巳琢郎ほか、現代ぷろ)も作られていたんだよ。私は、今日まで、全然知らなかった・・・。
私には、恥ずかしながら、「孤児院」という名前を聞くと、昔見た映画、かの有名なジーン・ウェブスター(1876‐1916)の名作を映画化した「あしながおじさん」のミュージカルが思い出されますね~。孤児院の中で他の子供達の世話を一生懸命している天真爛漫な少女ジュリー(レスリー・キャロン)が、名前も知らないおじさんから奨学金をもらって大学に行けることになった。その後援者とされる人の名は「ジョン・スミス」と言う匿名でしか判らない。その人はどんな人なのか?。脊がたかくて足の長いスマートな人・・・、顔は・・・?、判らない。しかし、、確かなことは、とてもやさしくて、大切なな人だっていうこと! ジュリーは、想像上の「あしながおじさん」に、大学の生活を手紙に書いて送り続ける。楽しかったこと、悲しかったこと、そして、ある人を好きなことを! 毎日の出来事を手紙で書くのだが、返事をくれない。いくら手紙を書いても返事をくれなかったおじさんの正体は・・・?
ラストでは、ダンスの名手フレッド・アステアと天才バレリーナーレスリー・キャロンの見事なダンスが・・・・。格好良かったね~!!古き良きハリウッドのミュージカルという雰囲気がいっぱい詰め込まれていた映画だった。まだ、余り豊かではなかった時代、今の時代のようにアクションばかりじゃ~なく、こんな素敵な夢のある映画が、たくさん日本で上映され、私もよく映画を見に行ったよ。私は本を読んでいないが、このウェブスターの「このあしながおじさん」には、「続・あしながおじさん」もあったのだね~。皆さんはご存知・・?以下参考に本を紹介しておくね・・・。
この映画が、日本で上映されてから、「あしながおじさん」と名のつく色んな多くの支援団体が出来たよね~。 ネットで「あしながおじさん」を検索すると、色んな団体が出てくるよ。
でも、日本で、急速にボランティア活動が活発に行われるようになったのは、あの阪神・淡路大震災の時からだったろうね~。あの時、日本中の若者が、神戸救済の為に努力してくれ、怠惰的と思われていた今の若者を見直した。我々、神戸在住のものは、一生あの時の支援を忘れない。本当にありがたかった。
※石井十次賞は、石井十次顕彰会が児童福祉事業の先駆者である石井十次の精神と実践を継承し、発展させることを目的として、それにふさわしい業績のある個人、団体を表彰し、我が国におけるボランティア精神と、社会福祉に対する国民意識の向上を図ることを目的に制定し、平成4年に第一回の授賞を行っている。(昭和40年に石井十次生誕100年を記念して、記念事業を行うことを目的に発足とのこと)
(画像は、「岡山孤児院物語 石井十次の足跡 」【編集】山陽新聞社。)
参考:
素晴らしき宮崎人・石井十次
http://www.gurunet-miyazaki.com/
石井十次の生き方
http://ww3.tiki.ne.jp/~bocky/isii.htm
ねむの木学園: School for Handicapped Children
http://www.nemunoki.or.jp/
続・あしながおじさん
http://www.gutenberg21.co.jp/dady2.htm
「ボランティアだから其処まで出来ない」とか「ボランティアだから・・・」と言う言い訳をよく聞きます。ボランティアってそんなものでしょうか?相手が期待しているのであれば無理をしてでもそれに応えてあげるべきだと僕は思うのです。時間がある時、暇な時に思いつきでする行為はボランティアじゃないような気がします。最近、ボランティアと言う言葉を使いすぎじゃないでしょうか。ホンマモンはもっとしっかりとした気持ちでするものでしょう。辛いこと、しんどいことに直面するとボランティアを逃げ道にするような人はボランティアじゃありません。
以上、周りの似非ボランティアに腹を立てているLindaでした。
僕って一寸変ですかね。
(恥)
そしてその映画があることも・・・
ボランティア活動の礎とも言える方なんですね。
♪あ~かい夕日にガードを染めて~~~
こんなのでしたね その宮城まり子さんが「ねむのき学園」を創設された時は驚きました。
その頃 養護施設も少なかったんでしょうね 私はそれをしりませんでした。
養護学校ではない施設ですよね。 日本初の孤児院が岡山で石井十次さんがつくったというのも
初めて知りました。
など丈では出来るものではありませんよね。
きっちんさん、ブログ見てくれてありがとう!石井十次さんのことを知っている人は少ないのではないでしょうね。日本の中の色んな地域に、名前の知れていない偉い人が一杯いるんですね。
とんとんさん、宮城まり子さんの「ガード下の靴みがき」・・・懐かしい歌ですね。私たちが子供の頃、戦後は、町のあちこちに子供達が靴磨きをしている姿を見ましたね。あの当時は、子供達も生きるために、必至に働きました。今の子供達は、余りにも贅沢に慣れすぎて、d裸子なくなりましたね。
私も、宮城まり子さんが、「ねむのき学園」をつくったときには小戸rp来ました。偉い人ですね。