真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

HPは hide20.web.fc2.com
ツイッターは HAYASHISYUNREI

世界の犯罪首都、ヨハネスブルグの格差と暴力

2025年01月10日 | 国際・政治

 下記は、毎日新聞社ヨハネスブルグ特派員・白戸圭一氏が、駐在当時のヨハネスブルグの驚くべき状況について綴った文章です。

 驚くべき状況の一つは、”我々は敷地面積600坪はあろうかという支局兼住宅に住むことになった”という、まさに「セレブ」の仲間入りといえるような生活環境と地元民との歴然とした「格差」です。

 驚くべき状況のもう一つは、”特にヨハネスブルグは「世界の犯罪首都」と呼ばれるほど治安が悪化し、手の施しようがない状態であった。”という日本では考えられないような犯罪多発の問題です。

 

 大事なことは、白戸氏が、セレブの生活を謳歌しつつ、”私の心には、常に一つの問題が影を落としていた。”として、”経済成長と異様な格差の拡大が進行する南アは、治安の崩壊という深刻な問題に直面しているのだ”という問題意識を持ったことです。

 欧米の人たちの多くは、そういう捉え方をしないのだろうと思います。

 大航海時代以来、世界中で植民地を広げ、国際社会をリードしてきた欧米人の多くは、文化的に遅れている人種や民族は、欧米人の支配に服して当然だという意識を持っているのではないかと思います。だから、先住民と欧米人の生活レベルの違いを「格差」とは受け止めないのではないかと思います。

 また、白戸氏は、「格差」と「暴力」も関連付けて考えています。それも重要な視点だと思います。

 私は、南アのアパルトヘイト政権下で非暴力の抵抗運動を貫いたネルソン・マンデラ率いるアフリカ民族会議(ANCが、その後も政権を維持してきているのに、暴力がなくならない理由は、南アだけを見ていてはわからないと思います。

 マンデラは、暴力は新たな憎しみを生み出し、問題解決には繋がらないと主張し、アパルトヘイトという不正義な制度に対して、平和的な手段で対抗することを求めました。対話を重視し、 法の支配や民主主義を追求していたのです。

 でも、マンデラ大統領誕生後、20年以上経過しているのに、暴力がなくなりません。それは、外部勢力がその「暴力」に関わっているからだと思います。

 私は、「格差」と「暴力」と「欧米の関わり」を追及すれば アフリカや中南米、中東やアジアにおける国々の諸問題が見えてくるのではないかと思うのです。

 

 先日アメリカのバイデン大統領は、日本製鉄による米鉄鋼大手USスチールの買収を阻止する命令を出しました。私は、暴力的な命令ではないかと思います。バイデン大統領は買収を禁止した理由について、国家安全保障への脅威を挙げ、”アメリカの鉄鋼業界とそのサプライチェーンを強化するためには、国内での所有が重要だ” と述べたということです。でもそれは同盟国日本に対する差別であり、自由貿易の考え方にも反する、不当な政治介入だと思います。

 アメリカ企業による日本企業の買収を、同じようなかたちで、日本の総理が阻止できるかどうかを考えれば、その差別性は明らかではないかと思います。

 日本を信用しないアメリカに、日本は基地を与え、特権を与えて、命を預けているという状態であることを忘れてはならないと思います。”国家安全保障への脅威”などというのは、現実を無視した差別的な言いがかりだと思います。でも、バイデン大統領はその差別性を意識してはいないのではないかと思います。

 日本には、北海道から沖縄まで、全国各地に130か所の米軍基地1024平方キロメートル)があるといいます。そのうち米軍専用基地は81か所で、他は自衛隊との共用だということです。

 安保破棄中央実行委員会によると、

日本の主な米軍基地は、三沢空軍基地(青森県三沢市)、横田空軍基地(東京都福生市など)、横須賀海軍基地(神奈川県横須賀市)、岩国海兵隊基地(山口県岩国市)、佐世保海軍基地(長崎県佐世保市)と沖縄の米軍基地群があります。

 また基地以外に、訓練空域、訓練水域が米軍に提供されています(公海、公空を含む)。面積は、九州よりも広大なものです。”

 ということです。自らの利益を顧みず、日本はアメリカに尽くしていると思います。でも、アメリカは、そんな日本の企業、日本製鉄による米鉄鋼大手USスチールの買収を政治的に阻止するのです。

 だから私は、日本の米軍基地の存在が、日本の外交関係一般を規制し、また、ロシアや中国、北朝鮮との関係改善を不可能にしているばかりでなく、緊張をもたらいることを踏まえて、日米関係を捉え直すことが必要ではないかと思います。

 

 アメリカを中心とする欧米の政治家は、現実に存在する差別を差別と意識しないで、当然のこととして対応してきていると思います。アフリカや中南米、中東やアジアの国々に対しさまざまな差別をしていると思います。

 ヨハネスブルグにおけるような極端な「格差」、他民族を蔑視する姿勢、また、それにも増して、南アのような非米や反米の政権に対するアメリカを中心とする欧米諸国の関与、特に、反政府勢力に対する武器供与を中心とする支援が、治安の悪化にいろいろな影響を与えているのではないかと思うのです。

 

 下記は、「ルポ 資源大陸アフリカ 暴力は結ぶ貧困と繁栄」白戸圭一(朝日文庫)から、「序章 資源大陸で吹き上がる暴力」の一部を抜萃しました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

                      序章 資源大陸で吹き上がる暴力

 

 20081月初め。毎日新聞社ヨハネスブルグ特派員の私は、大統領選挙を取材するためにケニアに出張していた。首都ナイロビのホテルで原稿を書いていると、南アフリカ共和国のヨハネスブルクの自宅で留守を預かる妻から電話がかかってきた。

「精神的なショックが心配なの。事件の後、とても怖がっていて、夕方になると家中の戸締りを確認して回ったりするのよ。仕事は大変だと思うけど、できるだけ早く帰って来て欲しい」

 ヨハネスブルグの地元の小学校に通う二年生の長女が、一人で同級生宅に遊びに行ってたところ、銃を持った黒人の男五人が塀を乗り越えて、その家に押し入った強盗事件の発生を報せる電話だった。事件の発生は午後一時ごろ。5人組は家の中にいた娘、同級生、同級生の家族3人の計五人を銃で脅し、現金や車を奪って逃走したという。

 この時点で私たち家族のアフリカ暮らしは三年十ヶ月に及んでいた。東京の本社からは3月末には帰宅してもらう方向で調整中との話が聞こえてきており、我が家は住み慣れたヨハネスブルクの家を引き払う準備を始めていた。

 身辺で日常的に凶悪犯罪が起きるヨハネスブルグではほぼ四年間、私を除く家族のだれも犯罪被害に遭わずにいたことの方が奇跡的とも言えたが、任期の最後の最後に、よりによって娘が被害に遭うとは──。電話を切った私は天を仰ぎ、その場に居合わせた誰にも怪我のなかったことに胸をなで下ろした。

 我が家を含む日本企業の駐在員は、ほとんどがヨハネスブルグ北部のサントンと呼ばれる高級住宅街に住んでいる。初めて南アを訪れた人は、サントンの景観に「ここがアフリカ?」と目を疑うに違いない。ハリウッド映画に登場するロスアンジェルス郊外のビバリーヒルズの豪邸。サントンの住宅街ではあれが普通だ。南アの「本当の豪邸」は、森にたたず欧州の古城とても形容するほかない。

 東京でマンションを借りるのとさして変わらぬ家賃を払った結果、我々は敷地面積600坪はあろうかという支局兼住宅に住むことになった。庭は一面の芝生で、片隅には澄んだ水をたたえたプールがあった。私たち夫婦は長女と長男が通う地元の私立校の保護者達と親しくなり、彼らを呼んでパーティーに興じたこともあった。邸宅の片隅にはメイドが住み込んでおり、室内の掃除、洗濯、皿洗いなどをやってくれる。広大な庭に群生する木々の手入れは素人の手に余り、週に一度は大家宅に住込んででいるマラウィ人男性の庭師がやって来て、手入れに勤しんでくれた。

 だが、そんな暮らしを謳歌する私の心には、常に一つの問題が影を落としていた。

 家族団欒の時、レストランでの食事中、車の運転中、子供を学校へ送り出した後、そして就寝時も、決して心の底からリラックスすることはできない。経済成長と異様な格差の拡大が進行する南アは、治安の崩壊という深刻な問題に直面しているのだ。娘が巻き込まれた事件など、南ア国内で起きている天文学的な数の犯罪の氷山の一角に過ぎないが、それでも個々の被害者と家族にとっては深刻な話である。

 経済成長が続けば雇用機会や所得の増加で犯罪は減少していく、というのが一般的な理解であろう。だが、南アでは成長が持続していたにもかかわらず、治安情勢に改善の傾向はないのだ。1994年の民主化後には、凶悪犯罪の発生率が世界最悪の状態となり、今に至っている。特にヨハネスブルグは「世界の犯罪首都」と呼ばれるほど治安が悪化し、手の施しようがない状態であった。

南ア政府が毎年発表する犯罪統計が、絶望的な治安状況を何よりも雄弁に物語る。2005年度の殺人事件の認知件数は18,545件、06年度は19,202件、07年度は18487件とほとんど横ばい状態であった。この殺人認知件数がどれほど凄まじい値なのかは、発生率を諸外国と比較して見れば分かる。例えば、南アの2016年の人口10万人当たりの殺人発生率は40.5 件。これは日本の約40倍。英国の約28倍都市部を中心とした凶悪犯罪発生率が高い米国に比べても約7倍の高率なのだ。サッカーワールドカップ開催を控えた国のイメージに気をつかう南ア政府は「治安の改善」を強調するのに躍起だ、その結果、時には情勢操作すれすれの発表も行なわれている。

 一例を挙げると、捜査当局によって認知された殺人事件の発生率の問題がある。

先述した通り、2006年度の南アの人口十万人当たりの殺人発生率は40.5件。一方、南米のコロンビアでは2000年に十万人当たりの殺人発生率が61.78件に達したことがあり、この両方の数字を比較する限り、南の殺人発生率はコロンビアよりも低いとの印象を持つ。だが、ヨハネスブルグの民間シンクタンク「南ア人種関係研究所」のカーウィン・リボーン氏は、この数字の出し方に巧妙なトリックが隠されていることを見抜いた。

 同氏によると、殺人事件の件数を発表する際、国際的には殺人未遂事件の件数も含めて「殺人認知事件数」と発表するのが常識となっているのだが、南政府は意図的に殺人未遂事件の検証を除外して発生件数を発表しているのだ。国際的な常識に従って、「未遂」を含めて殺人発生率を計算し直すと、2006年度の南家の殺人発生率は十万人当たり82.9件。2000年のコロンビアをはるかに上回る脅威的な発生率になるのだ。

 強盗事件はどうか。日本では近年、年間5000件超程度の強盗事件の発生が報告されている。これに対して南アの場合、年間20万件前後が発生している。南アの人口は日本のおよそ三分の一だから、発生率はおよそ120倍だ。ちなみに南アでは、よほど社会的に注目される事件でもない限り、日常発生する強盗事件では捜査自体が行われない。私の娘が巻き込まれた事件でも、警察官は一応現場に来てくれたが、被害者から簡単な聞き取りをして終わり。犯行現場で指紋や足跡を採取する鑑識捜査が行われることもまずない。ショッピングセンターで激しい銃撃戦が行われ、警察への緊急通報が相次いでも、警察官の現場到着が一時間後だというケースもざらだ。こうして私は日本で生涯に見聞するであろう犯罪被害の何百倍もの犯罪被害を、わずか4年の南ア駐在のうちに見聞することになった。

 私達家族がヨハネスグループで最も親しくしていた日本人家族の場合、奥さんと小学生の娘さんが日曜日の朝、教会で礼拝中に強盗団に襲われた。強盗団は、信仰の場だからといって容赦しない。銃もった数人が教会に押し入り、その場にいた数十人を床に腹ばいに寝かせ、この奥さんは結婚指輪を奪われてしまった。

 英文書類の翻訳のアルバイトを頼んでいたヨハネスブルグ在住の日本人青年は、自宅にいたところを侵入してきた4人組に襲われた。拳銃を口に突っ込まれた状態で室内を案内させられ、現金や貴金属を奪われた挙句、最期は粘着テープで全身を縛られた。

 私の仕事を手伝ってくれる黒人男性、我が家の大家、近所の住人たち、親しくしていた南ア人と日本人双方の家族。4年間の駐在の間に、こうした身近な人々の大半が、なにがしかの形で強盗被害に遭っていた。我が家の玄関前では白昼に拳銃強盗があり、子供達の通う学校に警察に追われた武装強盗が逃げ込んだこともあった。身の回りの犯罪被害を詳しく書いていけば、それだけでこの本は間違いなく終わってしまう。

 私自身は一度、車を低速で運転中に運転席の窓を叩き割られたことがあったが、これは南アでは犯罪被害とも言えない体験である。

 「芝生の庭」や「プール」のある暮しと書けば、大方の日本人は南アの人々羨望の眼差しを向けるかもしれない。一介のサラリーマン記者の私も、ヨハネスブルグで「にわかセレブ」のごとき暮らしを実際に始める前はそうであった。

 だが、この暮らしは、半ば要塞化された警備体制の上に、かろうじて成り立っているのが実情であった。

 拙宅の通りに面した塀の上には、電流フェンスが張り巡らされ、塀を乗り越えることができないようになっていた。玄関と勝手口にはいずれもドアが二枚あり、外側は鋼鉄製の格子状のドア、内側は分厚い木製ドアだった。全部で24ある家の窓はすべて頑丈な鉄格子で覆われていた。

 室内には赤外線センサーが張り巡らされ、就寝時には寝室を除いてセンターのスイッチを入れる。室内で何かの「動き」を感知すれば、100m離れていても聞こえる警報が鳴り響き、契約している民間警備会社から銃を持った警備員が駆け付ける仕組みであった。家の中では全部で七つの非常通報ボタンがあり、これを押しても警備員が駆け付けるようになっていた。

 ここまで警備体制を固めれば、賊の侵入は不可能と思われるかもしれないが、こんな警備体制を突破することなど、南アのプロの強盗団にとっては赤子の手を捻るようなものであった。最後の頼みは、犬の放し飼いであったが、いずれ帰国する外国企業の駐在委員にとって、犬の飼育は容易ではない。そこで南アには、訓練された犬を貸し出すビジネスがあり、我が家も三頭のシェパードを借りて放し飼いにした。とはいえ、なにせ広大な庭である。雨の夜などシェパードの耳と鼻をもってしても侵入を感知することは難しく、三頭でも充分とは言えなかった。何よりも、毒を混ぜた肉やチョコレートを庭に投げ込まれれば、番犬の効果も無きに等しかった。自宅を鉄壁の要塞にしてみたところで、犯罪被害から逃れることはできない。外出先で襲われれば手も足も出ない。

 外出先から車で自宅に戻り、入り口の電動式ゲートが開くのを待つ数秒間は、最も襲われやすい瞬間だった。ほんの数秒だが、ゲートが開き終わるまで路上で停車しなければならない。すると、木陰などに隠れていた男たちがガラス越しに銃を突きつけ、財布や携帯電話、そして車を奪う。外出先から戻る際には車で追尾され、ゲート前で停車したところを襲われる事件も後を絶たなかった。私の前々任者の家族やヨハネスブルグに支局をを置く他の日本メディアの特派員も、自宅に戻ったところを強盗に襲われていた。

 ・・・

 

 

 




 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする