戦後、司馬遼太郎は「ノモンハン事件」を書こうと関係者を訪ね歩き、資料を集めたのであるが、謎めいた言葉を残して断筆する。下記は、「ノモンハン 隠された戦争」NHK出版( 鎌倉英也)からの抜粋である。
上記著者が、司馬遼太郎の死を悼む特集番組編成の関係で、司馬遼太郎の書斎を訪れた際、蒐集資料整理を長年担当してきた伊藤久美子さんと交わした会話である。
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「なんですか?それ」
「『ノモンハン事件』っていうのがあったでしょ。あれを書きたかったんですって。それでずいぶん資料も集めたし、聞き取り調査もしたんだけど、全部ここに押し込んであるのよ。もう書かないから目に見えないところにしまっといてくれって言われてね。そのくせ、何でもとっておくと手狭になっちゃうでしょう。私が『あれはもう処分していいですか?』って聞くと、決まって『捨てちゃ困るんだ。とっといてくれ』」って言ってね。それが、このダンボール箱なんだけど……」
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次は、著者が妻の福田みどりさんにインタビューした際のことばである。
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「取材から帰ってくるでしょう。『面白かった?』って聞くのね。すると『ふん』とか言うだけでね。あとから日をおいて『つまらなかった』とか『あんなやつ』とか、いろいろいってましたよ」
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「出版社の方なんかに書くってお約束もしていたんですけれど、だんだんもういつ書くかわからないってことになってしまって…… それで、今でもはっきり覚えていますけれど、編集の方が『ノモンハン、よろしくお願いします』って言ったときに、こう言ったんです。『ノモンハン書いたら、俺、死んじゃうよ』。皆、ハッとして黙ってしまいました」
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「ノモンハンの夏」の著者半藤一利氏が、文藝春秋の専務取締役であったときに、司馬遼太郎に「ノモンハン事件」の執筆を迫ったのであるが、司馬遼太郎が半藤一利氏に語った断筆の理由が下記である。
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調べていけばいくほど空しくなってきましてね。世界に冠たる帝国といい気になって、夜郎自大となった昭和の軍人を、つまりは日本そのものを、きちんと描くには莫大なエネルギーを要します。昭和12年に日中戦争が起こって、どろ沼化し、その間にノモンハンの大敗北があり、そしてノモンハンの敗戦からわずか2年で太平洋戦争をやる国です。合理的なきちんと統治能力をもった国なら、そんな愚かなことをやるはずがない。これもまたこの国のかたちのひとつと言えますが、上手に焚きつけられたからって、よし承知したという具合にはいきません(笑)淋しい話になりましたね。 (『プレジデント』96年9月号半藤一利「司馬遼太郎とノモンハン事件」)
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司馬遼太郎が書かなかったから、「それなら自分で…」と半藤一利氏が思ったかどうかは分からないが、彼が「ノモンハンの夏」の「あとがき」に書いている文が、何か司馬遼太郎の思いを引き継いでいるようで印象に残ったので抜粋する。「ノモンハンの夏」半藤一利(文春文庫)
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戦後少したって元陸軍大佐の辻政信氏とはじめて面談したとき、この『微笑』の青年が二重写しとなって頭に浮かんだ。眼光炯々,荒法師をおもわせる相貌と本文中に書いたが、笑うとその笑顔は驚くほど無邪気な、なんの疑いをも抱きたくなくなるようなそれとなった。
横光の小説のけがれのない微笑をもつ青年は発狂死した。まともな日常のおのれに帰れば、殺人兵器を完成させようとしていたことは神経的に耐えられない。精神を平衡に保とうにも保たれない。ふつうの人間とはおそらくそういうものであろう。戦後の辻参謀は狂いもしなければ死にもしなかった。いや、戦犯から逃れるための逃亡生活が終わると『潜行三千里』ほかのベストセラーをつぎつぎとものし、立
候補して国家の選良となっていた。議員会館の一室ではじめて対面したとき、およそ現実の人の世には存在することはないとずっと考えていた「絶対悪」が、背広姿で、ふわふわとしたソファに坐っているのを眼前に見るの想いを抱いたものであった。
大袈裟なことをいうと「ノモンハン事件」をいつの日にかまとめてみようと思ったのは、その日のことである。この凄惨な戦闘をとおして、日本人離れした「悪」が思うように支配した事実をきちんと書き残しておかねばならないと。
それからもう何十年もたった。この間、多くの書を読みつぎながらぽつぽつと調べてきた。そうしているうちに、いまさらの如くに、もっと底が深くて幅のある、けた外れに大きい「絶対悪」が二十世紀前半を動かしていることに、いやでも気づかせられた。かれらにあっては、正義はおのれだけにあり、自分たちと同じ精神をもっているものが人間であり、他を犠牲にする資格があり、この精神をもっていないものは獣にひとしく、他の犠牲にならねばならないのである。それほど見事な「悪」をかれらは歴史に刻印している。おぞけをふるうほかのないような日本陸軍の作戦参謀たちも、かれらからみると赤子のように可愛い連中ということになろうか。およそ何のために戦ったのかわからないノモンハン事件は、これら非人間的な悪の巨人たちの政治的な都合によって拡大し、敵味方にわかれ多くの人びとが死に、あっさりと収束した。そのことを書かなければいまさら筆をとることの意味はない。ただしそれがうまくいったかどうか。
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