自由主義史観の提唱者、藤岡信勝氏はその著書「汚辱の近現代史 いま克服のとき」(徳間書店)で、自らの歴史観(自由主義史観)が、司馬遼太郎の作品との出合いからはじまったと書いています。
ところが、不思議なこと「汚辱の近現代史」の内容は大部分、司馬遼太郎が”あんな時代は日本ではない。”と激しく非難した「昭和ヒトケタから昭和二十年までの十数年」も含めて正当化しようとされているように、私は思います。
そして、その第一にあげられるのが、「従軍慰安婦」の問題です。
藤岡氏は、同書を「汚辱の近現代史 ー 近代日本を貶める歴史教科書の深刻な実態」というタイトルで書き始めています。その中に、”「従軍慰安婦」全社に登場”と題された文章があるのですが、第一から第五まで、五つの問題点を指摘されています(次の”教科書に「従軍慰安婦」は要らない ー 「慰安婦」の嘘を中学生に教えるな”でもほぼ同じような内容で、繰り返して五つの問題点を指摘されています)。でも、私はいずれの指摘も全く受け入れることができません。
藤岡氏は、書いています。
”第一に、七社中三社の教科書が「従軍慰安婦」という言葉を使っている。しかし、「従軍慰安婦」なる言葉は当時存在しなかった。「従軍」には、弾の飛び交う戦場にまで軍隊につき従うというニュアンスがある。従軍看護婦はいた。戦場の負傷した兵士を手当てする役目だからである。軍人・軍属という時のカテゴリーに入るのが従軍看護婦である。これと同じ意味で慰安婦が「従軍」するはずもない。かつて存在しない言葉を使い、しかも指示対象の性格について明らかに誤解を生むような通俗的な用語を用いるのは、そもそも最初から不適当である。(以下、従軍慰安婦をすべて「 」つきにするのは、用語の不当性への批判を込めてのことである)。”
また、”教科書に「従軍慰安婦」は要らない”のなかでは、
”そもそも、「従軍慰安婦」なる言葉は、戦前には存在しなかったのだ。従軍看護婦、従軍記者、従軍僧侶などは存在した。「従軍」という言葉は、軍属という正式な身分をしめす言葉であり、軍から給与を支給されていた。慰安婦はそういう存在ではなく、民間の業者が連れ歩き、兵士を顧客とした民間人である。だから、お客様としての兵士は、慰安所を訪れるごとに料金を払っていたのである。”
と書いています。でもこの記述は正確ではないと思います。「従軍」というのは、”軍属という正式な身分をしめす言葉であり、軍から給与を支給されていた。”とは言えないのではないでしょうか。ただ単に、軍命に従い、軍について歩いて、仕事をする人たちも含まれるのではないかと思います。戦地に、様々な新聞社・雑誌社・放送局・映画会社などの記者が同行したことは、よく知られていますが、それらの人たちは「従軍記者」と呼ばれました。でも、それらの「従軍記者」は、自らの会社から派遣されていたのであり、軍属として給与を軍から得ていたのではないのではないでしょうか。軍命に従うことを文書をもって約束し、軍の許しを得た外国人従軍記者などもいたと思います。それらの記者に、軍が給与を支払っていたとは思えません。
また、軍の行くところについていった、「従軍慰安婦」という存在が、それまでのいわゆる「売春婦」という存在とは異質な側面があったことを無視して、当時「従軍慰安婦」という言葉がなかったから、そういう言葉を使ってはいけないと主張することは誤りであると、私は思います。「従軍慰安婦」と呼ばれる人たちの証言にしっかり耳を傾け、どういう状況のもとにあったのかを把握すれば、「売春婦」という表現が適当ではないことがわかると思います。
次に、
”第二に、「従軍慰安婦」問題の焦点は、軍に慰安施設があったかどうかではなく、強制連行があったかどうかである。というのは、戦前の日本では売春は合法的な商売と認められていたからである。だから、内地で売春が商売として行われたのと同じく、戦地でも軍の保護と承認のもとに売春業者が男性の集団である軍隊を相手に営業したのである。日本で売春が法的に禁止されたのは、戦争が終わって十年あまりも経ってからのことである。”
と書いています。また、関連して”教科書に「従軍慰安婦」は要らない”では、さらに、教科書の「…慰安婦として従軍させ…」というような文章を引用し、
”これらはいずれも、慰安婦が日本軍によって「強制連行」されたかのように事態を描き出している。つまり、本人の自由意思に反して連行され、奴隷的に拘束され、性的サービスを強要された「セックス・スレイブ」(性奴隷)として慰安婦の女性たちを描き出している。
これははなはだしく事実を歪めるものである。実際は、慰安婦たちは業者に伴われて戦地に働きに来たのであり、彼女らは「プロスティチュート」(売春婦)とよばれるべき存在だったのである。つまり、彼女らは「人類最古の職業」に従事していたのだ。”
とも書いています。でも、根拠とした文書資料や証言はひとつも示されていません。逆に、歴史家が収集した資料や慰安婦の証言は、藤岡氏のこの文章こそが、事実に反することを明らかにしています。
戦地の慰安所に行き、日本兵を相手に毎日「性交渉」をしなければならない立場を告げられ、合意して戦地に向かった朝鮮や台湾からの「従軍慰安婦」は皆無ではないでしょうか。また、軍は戦地における日本兵による強姦を防ぎ、また、兵士の性病を防止するために戦地に慰安所を必要として要請したのであり、業者が金儲けのために、自ら戦地に慰安所を設置したかのような主張は、多くの場合事実に反すると思います。軍直営というべき慰安所があったことも明らかにされています。
元「従軍慰安婦」の証言では、様々な理由で、自由に外出することさえ許されませんでした。さらに、朝鮮や台湾から連れられていった「従軍慰安婦」の多くは、売春の経験のない処女でした。未成年の少女も少なからず含まれていました。これも、軍の要請に基づくものですが、その理由を、戦地で性病の検査等に当たった兵站病院の軍医が、その著書「上海から上海へ 戦線女人考 花柳病の積極的予防法」兵站病院の産婦人科医麻生徹男(石風社)に詳しく書いています。
結論としては、「戦地ヘ送リ込マレル娼婦ハ年若キ者ヲ必要トス」というのです。「既往花柳病ノ烙印ヲオサレシ、アバズレ女ノ類ハ敢ヘテ一考ヲ与ヘタシ。此レ皇軍将兵ヘノ贈リ物トシテ、実ニ如何(イカガ)ハシキ物」とも書いています。しかしながら、そのころすでに国内外で、戦地へ慰安婦を送ることに批判が高まっており、下記に抜粋した「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」の最初にあるように、
”1、醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ハ、現在内地ニ於テ娼妓其ノ他、事実上醜業ヲ営ミ、満21歳以上、且ツ花柳病其ノ他、伝染性疾患ナキ者ニシテ、北支、中支方面ニ向フ者ニ限リ、当分ノ間、之ヲ黙認スルコトトシ昭和12年8月米三機密合第3776号外務次官通牒ニ依ル身分証明書ヲ発給スルコト”
と通知せざるを得なかったのです。したがって、この通知によって、未成年の女性や処女の女性を戦地へ送ることはできなくなっていたということです。それで、「戦地ヘ送リ込マレル娼婦ハ年若キ者ヲ必要トス」という戦地の要求との板挟み状態を打開するために、日本の軍や政府は、差別的に植民地下にあった朝鮮や台湾から若い女性(未成年の処女を含む)を送ることにしたのだと思います。
藤岡氏がこうした文書や元「従軍慰安婦」の証言を無視して、”彼女らは金儲けのために戦地に行った売春婦だった”というのであれば、下記の文書に規定されている、身分証明書の発給記録や、戦地で売春することに同意した本人の「同意書」、さらに、それを認めた親族の承認の文書などを示す責任があると思います。
それらが提示できないのであれば、「従軍慰安婦」の証言を否定することは出来ないように思います。証拠書類を保存していない日本側に責任があることになるのではないかと思うのです。
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内務省発警第5号
秘 昭和13年2月23日
内務省警保局長 各庁府県長官宛(除東京府知事)
支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件
最近支那各地ニ於ケル秩序ノ恢復ニ伴ヒ、渡航者著シク増加シツツアルモ、是等の中ニハ同地ニ於ケル料理店、飲食店ニ類似ノ営業者ト聯繋ヲ有シ、是等営業ニ従事スルコトヲ目的トスル婦女寡ナカラザルモノアリ、更ニ亦内地ニ於テ是等婦女ノ募集周旋ヲ為ス者ニシテ、恰モ軍当局ノ諒解アルカノ如キ言辞ヲ弄スル者モ最近各地ニ頻出シツツアル状況ニ在リ、婦女ノ渡航ハ現地ニ於ケル実情ニ鑑ミルトキハ蓋シ必要已ムヲ得ザルモノアリ警察当局ニ於テモ特殊ノ考慮ヲ払ヒ、実情ニ即スル措置ヲ講ズルノ要アリト認メラルルモ、是等婦女ノ募集周旋等ノ取締リニシテ、適正ヲ欠カンカ帝国ノ威信ヲ毀ケ皇軍ノ名誉ヲ害フノミニ止マラズ、銃後国民特ニ出征兵士遺家族ニ好マシカラザル影響ヲ与フルト共ニ、婦女売買ニ関スル国際条約ノ趣旨ニモ悖ルコト無キヲ保シ難キヲ以テ、旁々現地ノ実情其ノ他各般ノ事情ヲ考慮シ爾今之ガ取扱ニ関シテハ左記各号ニ準拠スルコトト致度依命此段及通牒候
1、醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ハ、現在内地ニ於テ娼妓其ノ他、事実上醜業ヲ営ミ、満21歳以上、且ツ花柳病其ノ他、伝染性疾患ナキ者ニシテ、北支、中支方面ニ向フ者ニ限リ、当分ノ間、之ヲ黙認スルコトトシ昭和12年8月米三機密合第3776号外務次官通牒ニ依ル身分証明書ヲ発給スルコト
2、前項ノ身分証明書ヲ発給スルトキハ稼業ノ仮契約ノ期間満了シ又ハ其ノ必要ナキニ至リタル際ハ速ニ帰国スル様予メ諭旨スルコト
3、醜業ヲ目的トシテ渡航セントスル婦女ハ、必ズ本人自ラ警察署ニ出頭シ、身分証明ノ発給ヲ申請スルコト
4、醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ニ際シ身分証明書ノ発給ヲ申請スルトキハ必ズ同一戸籍内ニ在ル最近尊属親、尊属親ナキトキハ戸主ノ承認ヲ得セシムルコトトシ若シ承認ヲ与フベキ者ナキトキハ其ノ事実ヲ明ナラシムルコト
5、醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ニ際シ身分証明書ヲ発給スルトキハ稼業契約其ノ他各般ノ事項ヲ調査シ婦女売買又ハ略取誘拐等ノ事実ナキ様特ニ留意スルコト
6、醜業ヲ目的トシテ渡航スル婦女其ノ他一般風俗 関スル営業ニ従事スルコトヲ目的トシテ渡航スル婦女ノ募集周旋等ニ際シテ軍ノ諒解又ハ之ト連絡アルガ如キ言辞其ノ他軍ニ影響ヲ及ボスガ如キ言辞ヲ弄スル者ハ総テ厳重ニ之ヲ取締ルコト
7、前号ノ目的ヲ以テ渡航スル婦女ノ募集周旋等ニ際シテ、広告宣伝ヲナシ又ハ事実ヲ虚偽若ハ誇大ニ伝フルガ如キハ総テ厳重(ニ)之ヲ取締ルコト、又之ガ募集周旋等ニ従事スル者ニ付テハ厳重ナル調査ヲ行ヒ、正規ノ許可又ハ在外公館等ノ発行スル証明書等ヲ有セズ、身許ノ確実ナラザル者ニハ之ヲ認メザルコト
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未成年の「従軍慰安婦」は、どこともわからない戦地へ連れてこられ、自由な外出も許されず、毎日ほとんど言葉の通じない多数の日本兵を相手に、性交渉を強制されたことをしっかり受けとめる必要があると思います。多くの元「従軍慰安婦」の証言から、断る自由がなかったことが分かります。したがって、「強制連行」ではなくても、慰安所における性交渉が合意に基づくものでなければ、「強制売春」や「強姦」にあたり、法的に合法だったというような主張は通らないのです。
さらに言えば、当時すでに、下記のような国際法が定められていたのです。
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2、醜業婦ノ取締ニ関スル1910年5月4日国際条約
前文略
第1条 何人ニ拘ラス他人ノ情欲ヲ満足セシムル為メ売淫セシムル意思ニテ未丁年ノ婦娘ヲ傭入レ誘引若クハ誘惑シタル者ハ仮令本人ノ承諾アルモ又犯罪構成ノ要素タル各種ノ行為カ他国ニ於テ遂行セラレタルトキト雖モ処罰セラルヘキモノトス
第2条 何人ニ拘ラス、他人ノ情欲ヲ満足セシムル為メ売淫セシムル意思ニテ詐偽、暴行、強迫、権勢其他強制的手段ヲ以テ成年ノ婦娘ヲ雇入レ誘引若クハ誘惑シタル者ハ仮令犯罪構成ノ要素タル各種ノ行為カ他国ニ於テ遂行セラレタルトキト雖モ処罰セラルヘキモノトス
第3条 現ニ各締盟国ノ法規カ前2条ニ規定セラレタル犯罪ヲ処罰スルニ足ラサルトキハ締盟国ハ各自国ニ於テ其犯罪ノ軽重ニ従ヒ処罰スル為メ必要ナル処分ヲ定メ若クハ之ヲ立法府ニ建議センコトヲ約束ス
以下略
3、婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約(1921年条約)
前文略
第1条
締約国ニシテ未タ前記1904年5月18日ノ協定及1910年5月4日ノ条約ノ当事国タラサルニ於テハ右締約国ハ成ルヘク速ニ前記条約及協定中ニ定メラレタル方法ニ従ヒ之カ批准書又ハ加入書ヲ送付スルコトヲ約ス
第2条
締約国ハ児童ノ売買ニ従事シ1910年5月4日ノ条約第1条ニ該当スル罪ヲ犯スモノヲ発見シ且之ヲ処罰スル為メ一切ノ措置ヲ執ルコトヲ約ス
以下略
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藤岡氏は”戦前の日本には遊郭があり、売春は政府も公認する職業の一つだった”と言うのですが、戦地に送られた慰安婦について、「女衒の甘言にに騙されたり、親に言い含められたり、親に売られたりというケースも多かったにちがいない」とも書いています。金銭をやりとりして女性を海外に送るのは、「人身売買」にあたるうえに、上記の国際法は、
第1条 何人ニ拘ラス他人ノ情欲ヲ満足セシムル為メ売淫セシムル意思ニテ未丁年ノ婦娘ヲ傭入レ誘引若クハ誘惑シタル者ハ仮令本人ノ承諾アルモ又犯罪構成ノ要素タル各種ノ行為カ他国ニ於テ遂行セラレタルトキト雖モ処罰セラルヘキモノトス
と定めて、そうしたことをを禁じていたのです。
また、藤岡氏は
”戦地での慰安所の料金は平均して内地の三倍程度に設定されていた。いわば独占的な事業であるから、慰安婦の収入は高かった。月給に直して当時の大学新卒者の十倍、一般兵士の十倍の収入を得ていた慰安婦も多かった。お金が使いきれず、故郷に送金し、さらに二、三年も働けば、家族のために立派な家を建てることができたという。”
と書いているのですが、ほんとうでしょうか。こうした重要な内容のことを書く場合は検証ができるように、その根拠となる資料や文書や証言の出どころをきちんと示す必要があるのではないかと思います。
比島軍政監部ビサヤ支部イロイロ出張所の「慰安所(亜細亜会館 第1慰安所)規定」には、”料金ハ軍票トシテ前払トス”とあります。常州駐屯の独立攻城重砲兵第2大隊の”慰安所使用規定”には”第61 実施単価及時間”に下記のようにあります。
1 下士官、兵営業時間ヲ午前9時ヨリ午後6時迄トス
2 単価
使用時間ハ一人一時間ヲ限度トス
支那人 1円00銭
半島人 1円50銭
内地人 2円00銭
以上ハ下士官、兵トシ将校(准尉含ム)ハ倍額トス
(防毒面ヲ付ス)
時間や料金も軍が定めているのですが、朝鮮や台湾から戦地に送られ、軍票を受けとっていた「従軍慰安婦」が、二、三年働いて家を建てたというような事実はどこにあるのでしょうか。料金に差別があることも確認しておきたいと思います。
次に”史実の捏造をもとにした教育”と題して
”では、強制連行を主張している人々は何を根拠にそう言い立てているのだろうか。
その最も有力な証拠は、自分が強制連行したと称する日本人の証言である。他ならぬ実行犯の告白であり、しかも一見したところ自分に不利な事実の暴露なので信用できると思われるのがネライである。吉田清治著『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房 1983年)がその「証言」である。”
しかし、この本はすでにその虚構性が完全に暴露されており、このような資料にもとづいて強制連行があったかのように教えることは、いわば史実の捏造をもとにした教育を行うことを意味するのである。これが、教科書の慰安婦記述に反対する第三の理由である。”
と書いています。でも、吉田証言が虚構であったとしても、それで、慰安婦が戦地の慰安所に行くことに合意して行ったということにはならないと思います。吉田証言は様々な証言や資料のなかの一つに過ぎず、吉田証言だけで、慰安婦の連行に強制性がなかったと結論づけるわけにはいかないのです。
一例をあげれば、陸軍省兵務局兵務課起案の1938年3月4日の文書に下記のようなものがあります。
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軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件
副官ヨリ北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒案
支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為、内地ニ於テ之ガ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故ラ(コトサラ)ニ軍部諒解等ノ名義ヲ利用シ、為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ、且(カ)ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞(オソレ)アルモノ、或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ、或ハ募集ニ任ズル者ノ人選適切ヲ欠キ、為ニ募集方法誘拐ニ類シ、警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等、注意ヲ要スルモノ少ナカラザルニ就テハ、将来是等(コレラ)ノ募集ニ当タリテハ、派遣軍ニ於テ統制シ、之ニ任ズル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ、其ノ実施ニ当リテハ、関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋(レンケイ)ヲ密ニシ、以テ軍ノ威信保持上、並ニ社会問題上、遺漏ナキ様配慮相成度(アイナリタク)、依命(メイニヨリ)通牒ス。
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慰安所設置当初は、日本国内においてさえ、「募集方法誘拐ニ類シ、警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等…」というようなことがあったことが分かります。まして、多数の慰安婦が必要となり、朝鮮や台湾から多くの慰安婦が戦地に送られたのに、それらは合法的であったという根拠はどこにあるのでしょうか。こうした資料や元「従軍慰安婦」の証言を無視してはならないと思います。
次にダブルスタンダードの教育と題して、下記のように書いています。
”教科書の慰安婦記述に反対する第四の理由は、それが日本人だけを貶める驚くべきダブルスタンダード(二重基準)の教育を意味するからである。
軍隊であると日本国内であるとを問わず、売春そのものが許しがたい悪徳であるという観点から慰安婦問題を教科書にとり上げるべきであるという主張があるかもしれない。だが、それなら、戦後の日本でも1958年まで売春は普通に営業されていたことを教えなければならない。
そればかりではない。軍隊と性の問題は、人類の歴史に一貫してつきまとっている問題である。軍が慰安婦をかかえていたのは日本だけではない。日本の軍の慰安施設をどうしても書くというなら、同じ基準を他国の軍隊にもあてがうべきだ。そうすると、第二次大戦末期の歴史叙述は次の様になる。 ・・・
こんな瑣末な事実を書く込むのはバランスを失していると批判する人が多いだろう。私もそう思う。だとすれば、日本軍についても慰安婦のことを記述するのはバランスを失しているのだ。
また、どうしても日本軍の慰安婦を書くのであれば、同じ基準をあてがって、アメリカの日本占領についても次のように書くべきである。
マッカーサーを最高司令官とする連合国総司令部(GHQ)は、日本政府に命令して占領政策を実行した。初めに、占領軍のための慰安所を置くことを日本政府に命令した。
(教育出版、270ページに傍線部分を加筆):注加筆は藤岡氏
随分乱暴な主張だと思います。「売春そのものが許しがたい悪徳であるという観点から慰安婦問題を教科書にとり上げるべきである」などと主張している歴史家や歴史教科書執筆者等の関係者がいるのでしょうか。私は聞いたことがありません。
また、藤岡氏はダブルスタンダード(二重基準)を指摘されていますが、日本政府や軍が、植民地下の多くの未成年者を含む女性を慰安婦として国境を越えて送り込み、戦後、裁判で訴えられているような国がほかにあるのでしょうか。また、国連の関連機関や法律関係の団体から「従軍慰安婦」問題で勧告されている国がほかにあるのでしょうか。
2007年7月31日、アメリカ合衆国下院121号決議には、日本の「従軍慰安婦」の問題について、「性奴隷にされた慰安婦とされる女性達の問題は、残虐性と規模において前例のない20世紀最大規模の人身売買のひとつである」と断定し、「日本軍が強制的に若い女性を”慰安婦”と呼ばれる性の奴隷にした事実を、明確な態度で公式に認めて謝罪し、歴史的な責任を負わなければならない」とあります。また「現世代と未来世代を対象に、こうした残酷な犯罪について、教育をしなければならない」とも要求しています。
その後、アメリカにとどまらず、オーストラリア上院慰安婦問題和解提言決議、オランダ下院慰安婦問題謝罪要求決議、カナダ下院慰安婦問題謝罪要求決議などが続き、フィリピン下院外交委、韓国国会なども謝罪と賠償、歴史教科書記載などを求める決議採択をし、さらに、台湾の立法院(国会)も日本政府による公式謝罪と被害者への賠償を求める決議案を全会一致で採択したといいます。サンフランシスコ講和条約締結国が、次々にこうした日本のみを対象とする決議を出すに至ったことをどのように受け止めるのでしょうか。
さらに言えば、”連合国総司令部(GHQ)は、初めに、占領軍のための慰安所を置くことを日本政府に命令した”と書いておられますが、それは事実でしょうか。それが事実であることを示す証拠があるのでしょうか。逆に、下記の敗戦直後の資料は、それが事実に反することを物語っているのではないかと思います。連合国軍最高司令官・ダグラス・マッカーサーが神奈川県の厚木海軍飛行場に到着したのは8月30日です。下記文書には(1945年8月18日)とありますので、交渉が始まる前の文書です。日本政府は、自ら占領軍のための慰安所を設置したということだと私は思います。
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外国軍駐屯地における慰安施設に関する内務省警保局長通牒
外国軍駐屯地における慰安施設に於ては別記要領に依り之が慰安施設等設備の要あるも本件取扱に付ては極めて慎重を要するに付特に左記事項留意の上遺憾なきを期せられ度。
記
1 外国軍の駐屯地区及時季は目下全く予想し得ざるところなれば必ず貴県に駐屯するが如き感を懐き一般に動揺を来さしむ如きことなかるべきこと。
2 駐屯せる場合は急速に開設を要するものなるに付内部的には予め手筈を定め置くこととし外部には絶対に之を漏洩せざること
3 本件実施に当りて日本人の保護を趣旨とするものなることを理解せしめ地方民をして誤解を生ぜしめざること。
(別記)
外国駐屯軍慰安施設等整備要領
1 外国駐屯軍に対する営業行為は一定の区域を限定して従来の取締標準にかかわらず之を許可するものとす。
2 前項の区域は警察署長に於て之を設定するものとし日本人の施設利用は之を禁ずるものとす。
3 警察署長は左の営業に付ては積極的に指導を行い設備の急速充実を図るものとする。
性的慰安施設
飲食施設
娯楽場
4 営業に必要なる婦女は芸妓、公私娼妓、女給、酌婦、常習密売淫犯者等を優先的に之を充足するものとす
(1945年8月18日)
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”教科書の慰安婦記述に反対する第四の理由は、それが日本人だけを貶める驚くべきダブルスタンダード(二重基準)の教育を意味するからである。”
という考え方は、根本的に間違っていると、私は思います。多くの戦争体験者が「戦争は人を変える」というようなことを書いています。また、「戦争は人間から人間性を奪う」と書いている人もいたように思います。「従軍慰安婦」の記述が求められるのは”日本人だけを貶める”というようなことではなく、繰り返してはならない戦争の過ちのひとつとして、忘れてはならないことだからだと思います。下記の「村山談話」の一節をかみしめたいと思います。
”わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました”
きちんと歴史の事実に向き合えば、近隣諸国の信頼を得ることは難しいことではないのではないかと思います。”日本人だけを貶める”などとして、責任回避をしようとせず、戦争による過ちは素直に反省するべきだと思うのです。
最後に、”子どもの人格を崩壊させる教育”と題して下記の文章があります。
”慰安婦記述に反対する第五の、しかも最大の理由は、それが、子どもの人格を崩壊させる教育になるということである。
そもそも、学校教育で慰安婦をとり上げることは教育的に意味のないことである。人間の暗部を早熟的に暴いて見せても特に得るところはないからだ。暗部に目をふさぐべきではないという議論もあるが、そういう類の知識は大人になる過程で子どもは自然に身につけていくものなのだ。学校教育という限られた時間の中で、教室で、教科書にまで載せて、教師が教えなければならない事柄では断じてない。”
この考え方も、私は全く受け入れることはできません。日本軍や日本政府が主導し設置した慰安所の問題は、戦争がもたらした過ちの一つであって、平和な世の中ではあり得ないことです。”人間の暗部”などと捉えるべきではないと思います。
戦争がどれほど愚かで恐ろしいものであるかを、子どもたちに学んでほしいからこそ、「従軍慰安婦」の問題を記述するのであって、そのことによって、元「従軍慰安婦」であった人たちも、救われる面があるのではないかと思います。
「従軍慰安婦」の問題を記述することが”日本人が他国民に比べ世界でもまれな好色・淫乱・愚劣な国民であることを教える”ことになるなどということはないのです。戦争がもたらした過ちとして、きちんと向き合うことが大事であり、従軍慰安婦の問題をなかったことにするような教育をすれば、近隣諸国の理解を得て友好関係を築くことが困難になります。それこそ、将来世代に大きな負担を背負わせることになるのではないでしょうか。きちんと向き合って根本的解決を目指してほしいと思います。
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