小泉悠氏は、ウクライナ戦争が始まって以来、毎日のようにメディアに登場し、戦況や西側がウクライナに供与した武器の性能、それがもたらであろう効果、考えられる両国の作戦などについて解説したり、分析したりしてきました。
だから、小泉氏が停戦や和解については、何も考えられていないであろうこと承知していましたが、私が気になるのは、日本において、その考え方のどこに問題があるのかを指摘する声が、どこのメディアからも聞こえてこないことです。
だから、「ウクライナ戦争と世界のゆくえ」(東京大学出版会)に掲載されている小泉氏の「古くて新しいロシア・ウクライナ戦争」の中の、「はしめに」と<「限定全面戦争」としてのロシア・ウクライナ戦争>の文章をもとに、その考え方の問題点を考えました。
まず、「はじめに」のなかに、”ロシアがなぜこのような戦争を始めたのかを現時点で正確に論じることは難しい”とあります。私は、このとらえ方がすでに歪んでいると思いました。戦争に至る経緯をきちんとふり返ることなく、ロシアがこの戦争を始めた、と断じてしまうことに問題があると思うのです。
前回、東京大学公共政策大学院・鈴木一人教授が、「戦争と相互依存」と題し、経済制裁について論じている文章を取り上げました。そのなかに、G7の国々が、”ロシアが2月24日にウクライナ侵攻を始める前から列度の高い経済制裁を行うことを宣言していたこと”とありました。その宣言は、ウクライナ戦争が、ウクライナと一体のG7(NATO諸国)の国々、特にG7を主導するアメリカとロシアの戦争であることを示唆する宣言であったと思います。
だから、それに目をつぶるとらえ方では、”ロシアがなぜこのような戦争を始めたのか”は、難しいだけではなく、永遠にわからないと思います。
ロシアが、特別軍事作戦に踏み切った理由は、それまでのアメリカやG7(NATO諸国)の動きと無関係ではあり得ないと思います。
また同じように、”ウクライナに対する支配力の回復という地政学的な(そして多分に古めかしい)動機が存在したことはおそらくたしかであるとしても、プーチン大統領がそのような野望をなぜ抱いたのか、ロシア政府内でいかなる意思決定が行われたのか、戦争のもたらす帰結がどのように想定されていたのか等は将来の歴史研究に委ねるほかあるまい。”ということも、歪んだとらえ方だと思います。
”支配力の回復”とか、”プーチンの野望”などという視点で、ウクライナ戦争を捉えていては、将来の歴史研究にそのこたえを委ねても、いろんな立場の人を説得できる社会科学的な結論を得ることなどできないと思います。
また、小泉氏は、”「限定全面戦争」としてのロシア・ウクライナ戦争”で、”2021年7月12日に発表された論文”や、開戦直前の、”2022年2月21日と2月24日に公開されたビデオ演説”を取り上げていますが、その解釈も主観的で歪んでいると思います。
ロシアが、ウクライナ政府の「非ナチ化」を目指しているから、ウクライナ戦争が、相手の完全な打倒を目指す「撃滅戦争」であるなどというのは、明らかに飛躍した主観的解釈であり、さらに、”敵国の政治・経済・国民を完全に破壊ないし支配することを目標とする「限定全面戦争」のような闘争形態は論理的には排除されない”というのも同様だと思います。飛躍していると思います。正しくないと思います。
小泉氏が、なぜこのような主観的で歪んだ解釈をされるのか、ということの答えは、かなりはっきりしていると思います。
ウクライナ戦争において、ゼレンスキー政権を支えるアメリカやG7(NATO諸国)が、ロシアに対し、どのような圧力を加えていたのかに注目すると、日本を含むG7(NATO諸国)の方針と敵対せざるを得なくなり、困るのだと思います。
プーチン大統領は、2022年2月24日の演説で、まず最初に、”きょうは、ドンバス(=ウクライナ東部のドネツク州とルガンスク州)で起きている悲劇的な事態、そしてロシアの重要な安全保障問題に、改めて立ち返る必要があると思う。”と語っているのです。
ウクライナ軍がドンバスを攻撃していた事実やその実態、”NATOの東方拡大、その軍備がロシア国境へ接近している”というロシアにとっての”根源的な脅威”を無視しては、ロシアの特別軍事作戦の意味や、プーチン大統領の主張は理解できないと思います。
NATO諸国が、ロシアの国境近くで合同軍事演習をくり返したからだと思いますが、プーチン大統領は、”NATOは、私たちのあらゆる抗議や懸念にもかかわらず、絶えず拡大している。軍事機構は動いている。繰り返すが、それはロシアの国境のすぐ近くまで迫っている。”と語っています。
そして、多数の市民が犠牲になったアメリカを中心とするNATO諸国のベオグラード爆撃や、イラク、リビア、シリアなどの国々の悲劇を踏まえ、”これは、私たちの国益に対してだけでなく、我が国家の存在、主権そのものに対する現実の脅威だ。それこそ、何度も言ってきた、レッドラインなのだ。彼らはそれを超えた。”と結論づけているのです。
だから、小泉氏は、2021年7月12日に発表された論文”や、開戦直前の、”プーチン大統領のビデオ演説”を取り上げながら、その内容の最も大事で、中心的な部分を無視されていると思います。小泉氏は、日本を代表する安全保障、特にロシアの軍事・安全保障の専門家として毎日のようにメディアに登場しているのだと思います。その小泉氏が、故意でなければ、理解力不足というしかないことを書かれているので、私は、そこに日本政府や日本政府の背後にあるアメリカの力が働いているのだろうと思わざるを得ません。
現在、ウクライナ戦争に関して、メディアに登場する大学教授や研究者は、ほとんどが、ウクライナ戦争にかかわるアメリカやG7(NTO諸国)のロシアに対する圧力を考慮せず、ウクライナ戦争を語ります。だから、プーチン大統領の野望でウクライナ戦争が始まったとか、悪魔のような独裁者プーチンの支配欲の結果であるかのように解説されるのだと思います。
ウクライナ戦争を、NATO諸国の東方拡大、ウクライナを含むNATO諸国の軍事演習、ウクライナに対するNATO諸国の武器の供与や配備、ウクライナのクーデターに対するアメリカの関与、ノルドストリーム2の関係企業に対する制裁等々を考慮せず捉えようとするから、ウクライナ戦争がプーチン大統領の野望の結果となり、プーチン大統領が独裁者でなければならなくなるのだということです。
だから、アメリカを中心とする西側諸国は、早々に、あらゆる組織からロシアを排除し、西側諸国にアメリカのプロパガンダがゆきわたるようにしたのではないか、と私は思っています。真実が知られては、ロシアを孤立させ、弱体化させることができないからだと思うのです
現在、ウクライナ戦争にかかわって、メディアに登場する専門家と称される学者や研究者は、ほとんど小泉氏と同じような捉え方で、ウクライナ戦争を解説していますが、私は、そういう人たちは、アメリカの組織とつながっており、アメリカのために働いているのだろうとも想像しています。そしてそれは、日本がいまだにアメリカの属国であるあらわれだろうと思っています。
私は、日本国憲法を尊重し、法や道義・道徳を根拠として、被爆国日本の立場で、ウクライナ戦争の停戦を主張してほしいと思っています。
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古くて新しいロシア・ウクライナ戦争
小泉 悠
東京大学先端科学技術研究センター専任講師
専門はロシアの安全保障政策
はじめに
2022年2月に開始されたロシアのウクライナ侵略は(以下、ロシア・ウクライナ戦争)は、世界に大きなショックを与えた。その一因は、第二次世界大戦後の欧州で発生した最大規模の国家観戦争であったという点に求められよう。後述するように、ロシアは15万人にも及ぶとされる兵力を動員し、ウクライナに対する公然たる侵略に及んだ。ロシアが国際安全保障の番人であるべき国連安全保障常任理事国の一つであったことも、ショックを増幅する要因であったように思われる。
ロシアがなぜこのような戦争を始めたのかを現時点で正確に論じることは難しい。ウクライナに対する支配力の回復という地政学的な(そして多分に古めかしい)動機が存在したことはおそらくたしかであるとしても、プーチン大統領がそのような野望をなぜ抱いたのか、ロシア政府内でいかなる意思決定が行われたのか、戦争のもたらす帰結がどのように想定されていたのか等は将来の歴史研究に委ねるほかあるまい。
そこで本稿では、異なった角度からの接近を試みることにした。すなわち、ロシア・ウクライナ戦争とはどのような戦争であるのか、ということである。
戦争を形容・分類する方法はいくつかある。例えば、それが正当な戦争なのか、不当な戦争なのかといった規範的判断はその一つであろうし、あるいは規模や烈度で分けることもできる。ハイテク兵器が中心になるのか、ローテクの旧式兵器で戦われるのか、といった技術的な分類もできよう。
こうした中で、本稿では、ロシア・ウクライナ戦争の性質(nature)に着目した。ここで問題になるのは、戦闘態様(戦争の特徴=character)というよりも、戦争がどんな目的で、誰によって戦われ、社会全体との関係性においていかに位置付けられるか、といった戦争のパラダイムである。ロシア・ウクライナ戦争について言えば、その基礎は近代の欧州で成立した「古い戦争」パラダイムでありながら、冷戦後に唱えられた「新しい戦争」としての性質を有するということを本稿では主張した。
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2 「限定全面戦争」としてのロシア・ウクライナ戦争
以上を踏まえた上で今回のロシア・ウクライナ戦争を眺めてみると、全体的に「古い戦争」としての色彩が非常に濃厚であると言えよう。
まず指摘されるべきは、ロシアの戦争目的が政治的なものであったということである。これは、非政治的な目的で組織的な暴力が行使される点を特徴とする「新しい戦争」とは明らかに異なっていた。
今回の戦争に先立つプーチン大統領の言説に着目して考えてみよう。2021年7月12日に発表された同人の論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」、開戦直前の2022年2月21日と2月24日に公開されたビデオ演説などは、いずれも一つの主張で貫かれている。ロシア人とウクライナ人は本来、歴史を共有してきた不可分の存在であること、にもかかわらず現在のウクライナ政府が西側の手先になり下がっている状態は受け入れ難いこと、さらには「ネオナチ思想に毒されたウクライナ政府」がロシア系住民を迫害したり核兵器の開発を目論んでおり、存在自体が認め難い脅威であるということなどである。したがって、ウクライナは「ロシアとのパートナーシップ」を通じて「真の主権」を取り戻すべきであるというのが「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」におけるプーチンの結論であり、2月のビデオ演説では①ウクライナの非ナチ化、②中立化 ③非武装化、④ロシアによるクリミア半島の強制併合や親露派武装勢力によって樹立された「人民共和国」の承認といった要求が掲げられた。また、この間の2021年12月、ロシア外務省は欧州の新しい安全保障秩序に関する条約を米国及びNATOに送付し、NATOの東方拡大、冷戦後の新規NATO加盟国からの部隊撤退、ロシア周辺での軍事活動の禁止を要求した。
これらの中でも、特に注目されるのは、ウクライナ政府の「非ナチ化」という目標である。その意味するところは明確ではないが、プーチンが現在のゼレンスキー政権を「ナチス」と位置付ける以上、政体の顚覆を示唆しているように見える。とするならば、今回の戦争でロシアが目指したのは、クラウゼヴィッツが言う二つの戦争──相手の完全な打倒を目指す「撃滅戦争」と、領土獲得などの限られた目的達成を目指す戦争(本稿では「限定戦争」と呼ぶ)のうち前者であったということになろう。
こうした理解は現代のロシアにおいても見られる。歴史家、安全保障専門家、実務家であるアンドレイ・ココーシンが、2005年の著書『軍事戦略の政治・社会学』で、戦争を「制限戦争」と「全面戦争」に分類して論じているのはその一例である。ココーシンによれば、前者は①敵の侵略に対する原状回復、②限られた領土の奪取、③特定の利益を守る決意を示すための軍事力の誇示、④交戦相手国の体制転換といった限定された政治的目的の達成のためにおこなわれるものであるのに対し、後者はドイツの対ソ戦争のように敵国の政治・経済・国民を完全に破壊ないし支配することを目標とする。
このような区別に基づくならば、限られた地理的範囲、投入兵力、烈度の下で遂行される「限定全面戦争」のような闘争形態は論理的には排除されないのであって、ウクライナへの侵攻はまさにその実例ということになろう。ロシアが目指したのは、単にウクライナの政体を転換するのみならず、これを自国の強い政治的影響下に置くこと(プーチンやメドヴェージェフの言う「ロシアとのパートナーシップ」の強要)であったと考えられるからである。