真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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「従軍慰安婦」問題 秦郁彦教授の論述に対する疑問

2012年06月14日 | 国際・政治
 「直言! 日本よ、のびやかなれ」櫻井よしこ(世界文化社)の中で、櫻井氏は吉田清治氏(『わたしの戦争犯罪ー朝鮮人強制連行』の著者)を長々と批判し、「吉田氏の著書に較べて、私が秦氏らの著書や疑問提起に同感していることを読者の皆さんは気付いたと思います」と書いていた。また、「秦氏の現地で集めた情報が何より真実を告げている」と、自らの主張が秦氏に依拠していることを明らかにしつつ、「昭和史の謎を追う」秦郁彦(文藝春秋)の記述を引いていた。
 そこで、「昭和史の謎を追う」秦郁彦(文藝春秋)「従軍慰安婦たちの春秋」(上・下)を通読した後、「現代史の争点」秦郁彦(文藝春秋)を手に取った。でも、「現代史の争点」の「従軍慰安婦」問題に関する記述には、いくつか疑問を感ずるとともに、これが教授の文章なのか、と意外に思われた。政治家や運動団体の活動家のような文章に感じられたからである。

 ここでは、『Ⅰ 南京事件と慰安婦問題』の、「壮大な茶番劇」としての慰安婦論争』の中の『「奴隷」を安直に使うな』を抜粋し、疑問に思ったことをいくつ指摘したい。

 まず、秦教授は、「慰安婦」を「性奴隷」などと表現するのは間違いで、「慰安婦」は、「合法的存在だった公娼制の慣行にならったものだった」と指摘されている。そして、「慰安婦」には「相手を拒否する自由」「廃業の自由」「外出の自由」があった証拠資料として、「アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号」を挙げておられる。秦教授はこの資料について、「第3者の立場で観察した唯一の公文書であるだけに、その資料的価値は高く…」と述べておられるが、「えっ?」と驚くと共に、「従軍慰安婦」の存在を否定し、「従軍慰安婦問題など存在しない。売春婦が戦地で商行為を行っていたのだ。」などと主張する面々が、この資料を持ち出す「震源地」はここではないか、と直感せざるを得なかった。

 この資料は、多くの元「従軍慰安婦」の証言と食い違う内容の資料である。にもかかわらず、「吉見氏がいうほど慰安婦たちの生活は悲惨だったのだろうか」と言って、この資料を持ち出す秦教授は、十分検証されたのであろうか、と疑問に思われたのである。あるいは、事実を百も承知で、立場上やむを得ずこういう論述をされているのかも知れないとも考えた。この資料についてはすでに、<「従軍慰安婦」と「 日本人捕虜尋問報告 第49号」の問題点>で論じたが、少々付け加えをしながら、再確認したい。

 まず第1に、この尋問報告の大き問題は、記述されている報告の内容が「朝鮮人慰安婦」の証言に基づくものか、それとも日本の民間人(業者)の証言に基づくものかが分からないことである。報告のすべての項目が「情報源」不明なのである。したがって、その「資料的価値」が疑われる。なぜなら、「朝鮮人慰安婦」の生活や労働条件等について、日本の民間人(業者)が、詳しく正確なことを話すとは考えにくい。軍の監督下にあり従属的であったとはいえ、「朝鮮人慰安婦」の立場からみれば、民間人業者も加害者の側面を持つ。性交渉を強要された「朝鮮人慰安婦」の証言の中には、軍人はもちろん、「経営者にぶたれるのではないかといつも身をちぢこませて」いなければならなかった(李容洙)というような証言もあるのである(「従軍慰安婦」吉見義明<岩波新書>)。さらに、人身売買により、女性を「慰安婦」として拘束し、「相手を拒否する自由」「廃業の自由」「外出の自由」などを認めないことは、国際法違反で罰せられる行為である。日本の民間人(業者)が、そうした事実を自ら認めることは考えにくいのである。したがって、報告の内容が「朝鮮人慰安婦」の証言に基づくものか、それとも日本の民間人(業者)の証言に基づくものかが分からないこの資料を、「朝鮮人慰安婦」の証言に基づくものと勝手に判断し、「第3者の立場で観察した唯一の公文書であるだけに、その資料的価値は高く…」など言って利用することが許されるのかどうか、疑問なのである。

 「日本人捕虜尋問報告 第49号」の次に『従軍慰安婦資料集』に収められているアメリカ陸軍歩兵大佐アレンダー・スウィフトの「心理戦尋問報告 第2号」では「それぞれの項目に対して付された整理番号は情報提供者を示す」とある。だれが話したことか明らかにされているのである。また「正確を期すために十全の努力が払われているが、この報告のなかの情報は、他の諸情報によって確証されるまでは控え目に評価されるべきである」とも書かれている。それに比して、この第49号の報告は、そうした配慮や慎重さがまるでないのである。

 次に、「性向」の項目では、「朝鮮人慰安婦」が、「無教育、幼稚、気まぐれ、わがままで、美人ではなく、自己中心的である」と書かれている。また、「見知らぬ人の前では、もの静かでとりすました態度を見せるが、女の手練手管を心得ている」ともある。20人の「朝鮮人慰安婦」について、20日余りの尋問期間で、こんなことが尋問官に分かるとは思えない。また、見知らぬ尋問官の前で、捕虜となった「朝鮮人慰安婦」がそうした性格を丸出しにすることは考えられない。当然のことながら、そういう判断の根拠は全く示されていない。

 それに、朝鮮人「慰安婦」の尋問が、どのようなかたちで、何語でなされたのか、通訳はいたのか、なども分からない。報告者は「アレックス・ヨリチ」という日系アメリカ人のようであるが、朝鮮人「慰安婦」が日本語や英語を話せたとは考えにくい。また、報告者「アレックス・ヨリチ」氏が朝鮮語を話せたかどうかも分からない。したがって、この尋問報告書の大部分は、日本の民間人(業者)が語ったことの記録ではないか、と疑われるのである。

 さらには、「慰安婦は中国兵とインド兵を怖がっている」とあるが、なぜそのような証言をしたのか不思議である。どのような問いかけに対しての、誰の証言であるかを明らかにしないと、報告としては価値がないだろうと思う。教授は「第3者の立場で観察した唯一の公文書であるだけに、その資料的価値は高く…」と述べておられるが、理解できない。 

 「生活および労働の状況」の項目には、「教科書から慰安婦問題の記述を削除せよ」という活動を展開する人たちが、しばしば引用する文章が書かれている。秦教授も「吉見氏がいうほど慰安婦たちの生活は悲惨だったのだろうか」として引用されている部分である。「朝鮮人慰安婦」たちが、いかに厚遇されていたかということばかりが書かれている。困ったことや悔しかったこと、苦しかったこと、悲しかったこと、腹立たしかったことなどは全く書かれていない。したがって、誰に、どんな問いかけをして得た証言なのか、を明らかにしないと、「朝鮮人慰安婦」の「生活および労働の状況」の報告としては、ほとんど価値がないと言わざるを得ない。逆に日本の民間人(業者)が、自らの責任回避のために証言したと考えれば、いろいろな点で納得できる。

 「利用割り当て表」の項目には、唐突に「慰安婦は接客を断る権利を認められていた」と出てくる。「朝鮮人慰安婦」が進んでこのようなことを言い出すとは考えにくい。また、彼女たちを「売春婦」と捉えている尋問官が、そのことを問い質したとも思えない。性交渉を拒否したために暴行を受け、傷つけられたという多くの証言あることを考えると、やはり日本の民間人(業者)が、自らの責任回避のためにした証言ではないかと疑われる。

 「兵士たちの反応」の項目には慰問袋の話がでてくるが<彼らは、缶詰、雑誌、石鹸、ハンカチーフ、歯ブラシ、小さな人形、口紅、下駄などがいっぱい入った「慰問袋」を受け取ったという話もした>というのである。戦地の兵士に「小さな人形、下駄」も不思議であるが、「口紅」などあり得ない話ではないかと思う。にもかかわらず、それをそのまま報告しているのである。

 「軍事情勢に対する反応」の項目では、「ミッチナ周辺に配備されていた兵士たちは、敵が西滑走路に攻撃をかける前に別の場所に急派され、北部および西部における連合国軍の攻撃を食い止めようとした。主として第114連隊所属の約400名が取り残された。明らかに、丸山大佐は、ミッチナが攻撃されるとは思っていなかったのである」とある。しかしながら、「兵士たちの反応」の項目には「彼女たちが口を揃えて言うには、日本の軍人は、たとえどんなに酔っていても、彼女たちを相手にして軍事にかかわる事柄や秘密について話すことは決してなかった。慰安婦たちが何か軍事上の事柄についての話を始めても、将校も下士官や兵士もしゃべろうとしないどころか…」とある。したがって、これも「朝鮮人慰安婦」の証言とは考えにくい。日本の民間人(業者)の証言だろうと思われる。

 「宣伝」の項目の記述<ある将校が「日本はこの戦争に勝てない」との見解を述べた>というのも、報告書全体からを考えると「朝鮮人慰安婦」の証言ではないであろう。

 唯一、最後の「要望」の項目にある、<「慰安婦」が捕虜になったことを報じるリーフレットは使用しないでくれ、と要望した。彼女たちが捕虜になったことを軍が知ったら、たぶん他の慰安婦の生命が危険になるからである>という記述は、ほんとうにそういう証言をしたかどうかは不明であるが、「朝鮮人慰安婦」の立場を語るものとして受け取ることができる。

 また、秦教授は「慰安婦」は、当時合法的存在だった公娼制の慣行にならったものだったと指摘されているが、当時「醜業婦ノ取締ニ関スル国際条約」(1910年5月4日)がすでにあり、その第1条には

 何人ニ拘ラス他人ノ情欲ヲ満足セシムル為メ売淫セシムル意思ニテ未丁年ノ婦娘ヲ傭入レ誘引若クハ誘惑シタル者ハ仮令本人ノ承諾アルモ又犯罪構成ノ要素タル各種ノ行為カ他国ニ於テ遂行セラレタルトキト雖モ処罰セラルヘキモノトス 

 と定められていた。そしてそれは「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」の「1921年条約」第5条で

 1910年ノ条約ノ最終議定書(ロ)項ノ「満20歳」ナル語ハ之ヲ「満21歳」ニ改ムヘシ

と改められているのである。それをふまえて「日本人捕虜尋問報告 第49号」を読むと

 ”1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地??シンガポール??における新生活という将来性であった。このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡金を受け取った。
 これらの女性のうちには、「地上で最も古い職業」に以前からかかわっていた者も若干いたが、大部分は売春について無知、無教育であった。彼女たちが結んだ契約は、家族の借金返済に充てるために前渡された金額に応じて6ヵ月から1年にわたり、彼女たちを軍の規則と「慰安所の楼主」のための役務に束縛した。


とあり、満21歳に満たない慰安婦4名が記録されている事実から 教授の主張に反し、この資料からでさえ、明らかに国際法違反が認められる。にもかかわらず、教授はそういう点には触れられず、「慰安婦」は「当時合法的存在だった公娼制の慣行にならったものだった」というのである。
 したがって、私には、秦教授がこの資料を十分検証することなく、都合のよい部分だけを抜き出して利用されているように思われてならないのである。下記は、「慰安婦」にかかわる教授の文章の一部を「現 代史の争点」秦郁彦(文藝春秋)から抜粋したものであるが、”最近では欧米ばかりでなくわが国でも、売春婦は数ある職業の一種として認知される傾向があり、「オカネがたまったら普通の結婚をして……」と語るソープランドや援助交際の女性も出てきた。フェミニストたちが主張するコンプレックスやトラウマの後遺症は薄らいでいるようだ。”というような記述があることにも、正直驚いた。 
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              Ⅰ 南京事件と慰安婦問題

「壮大な茶番劇」としての慰安婦論争

 「奴隷」を安直に使うな

 文部省食堂論で、 ウェイトレスの労働条件に言及したが、それは吉見氏の言う「軍用性奴隷」なる定義と関わってくる。
 くり返すようになるが、彼女たちの労働条件は、当時は合法的存在だった公娼制の慣行にならったものだった。吉見氏は国内の公娼制も「事実上の性奴隷制度だった」(41ページ)と書いているから、必ずしも慰安婦=公娼論に異議を唱えているわけではなさそうだ。
 しかし「相手を拒否する自由」「廃業の自由」「外出の自由」などの諸点で保護条件が劣悪だったと強調している。同じ「奴隷」でも国内の公娼なら国の法的責任は問えないが、慰安婦は条件がより過酷だったから責任が生じるとの主張かともとれる

 だが、彼女たちを、一律に「性奴隷」ときめつけるのは失礼ではあるまいか。最近では欧米ばかりでなくわが国でも、売春婦は数ある職業の一種として認知される傾向があり、「オカネがたまったら普通の結婚をして……」と語るソープランドや援助交際の女性も出てきた。フェミニストたちが主張するコンプレックスやトラウマの後遺症は薄らいでいるようだ。
 それはさておき、吉見氏が言うほど慰安婦たちの生活は悲惨だったのだろうか。

 米戦時情報局心理作戦班が1944年夏、北ビルマのミチナで逃げおくれて捕虜になった20人の朝鮮人慰安婦と日本人の業者夫婦に尋問した記録がある。珍しいケースだったので、尋問は微に入り細にわたり、米本国の陸軍省などで争って廻し読みされたという。
 第3者の立場で観察した唯一の公文書であるだけに、その資料的価値は高く、吉見編『従軍慰安婦資料集』(1992)に、439ページから464ページまで26ページを使って全訳が掲載されているのも、それゆえであろうが、彼女たちが前線にしては優雅とも見える生活に満足していたようすが窺える。

 将軍よりも多い高収入で、前借金を1年間で返済して帰国した者もいたし、現在の物価に換算して一千万円以上の大金を家族に送金したり、休日には町へ買い物に出かけたりもしている。「接客を断る権利」も認められていた。

 先に吉見氏が挙げた3つの自由はすべて満たされていて、条件は国内の公娼となんら変わらない。ところが吉見論文は、「都会以外での外出は許されず。都会での外出は許可制」だったとか、この米軍記録を「尋問担当者たちの奴隷状態をつかめなかったことを示すもの」(41ページ)と強弁する。都合の悪い資料は受けつけないか、曲解する手法と言われても、しかたがないだろう。

 つでに書けば、ミチナは都会といっても人口数千の規模、周辺は虎の出るジャングルだが、そんなことより忘れてはならぬ一事がある。より悲惨だったのが、激戦場の下級兵士だったことだ。太平洋戦争で生じた200万に近い戦死者の約7割が広義の「餓死」だったとされる。
 日本国内の公娼が「事実上の性奴隷」、慰安婦が「軍用性奴隷」なら、赤紙1枚で妻子を残し動員された日本軍兵士には、どんな形容詞が適切か。「奴隷」という毒々しい用語を、安直に使うべきではあるまい。

 太平洋の戦場は、地球の三分の一に達するほど広大であった。そこへ進出した慰安婦や業者の動機は、戦場であるがゆえの高リスク、高収入であったろうが、彼らが出会った運命は兵士たちがそうであったように多種多様である。本人の証言こそ大切、とは言っても、韓国挺対協がまとめたもっとも信頼度の高い証言集でさえ、吉見氏が「一部疑問に思うところもあるが、相当信頼性の高い記録」(44ページ)と留保せざるをえないレベルだ。

 半世紀以上を経て、個別の事情を確認するすべはないが、そのうえ彼女たちの母国政府も概して冷淡で、「真相究明」に取り組む気配がない。韓国やインドネシア政府のように、個人に対する国家補償の給付はやらないでくれ、と要請するところもある。既存の社会保障体系を乱されたくないからであろう。こうした客観情勢のなかで、説得性に欠ける国家補償論にこだわり、女性基金による慰安婦への給付を妨害したり、いじめを加える支援組織や運動団体とは何なのか。
 どうやら、慰安婦狂騒曲は、戦後50年をめぐる壮大な茶番劇として終末を迎えそうな気配である。


 一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略、または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。
「……」は、文の一部省略を示します。

コメント (50)
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