戦後の日本の価値観で受け止めると、二・二六事件の蹶起将校は、野蛮なテロリストであり、人殺しです。しかしながら、二・二六事件当時の日本は、記紀神話に由来する「万世一系の天皇」が統治する「神国」であり「神州」でした。だから、「忠君愛国」や「七生報国」が重視され、人命や人権は二の次の国だったのです。
その日本が、二・二六事件当時、未曽有の経済的不況にあり、蹶起将校たちの多くが、何もしないで傍観していることができない心境であったことを語っています。また、昭和五年の倫敦条約、同十年の天皇機関説事件、さらには、真崎教育総監更迭問題など、皇軍の権威や権限の源である統帥権が犯され続けていることに危機感を募らせていました。だから、「元老、重臣、官僚、軍閥、政党、財閥」などの、いわゆる「特権階級」の失政・失態を打破し、昭和維新を断行しなければ、皇国日本は滅びると考えて蹶起したのです。
蹶起将校の一人、村中孝次大尉は、 下記「丹心録」にあるように
”純乎として純なる殉国の赤誠至情に駆られて、国体を冒す奸賊を誅戮せんとして蹶起せるものなり”
と書いています。この「皇国本然ノ真姿ヲ顕現セシムガ為」の蹶起を、一旦、大臣告示で「諸子ノ行動ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム」と評価しておきながら、軍上層部は、鎮圧の見通しが立ったからか、その後、突然対応を変化させました。そして、奉勅命令下達の事実をうやむやにしたまま「大命に抗したり」として、彼等を処刑してしまうのです。軍上層部を含む「特権階級」は、狡猾であり、野蛮であり、恐ろしいと思います。
また、彼は「丹心録」に
”藤田東湖の回天史詩に曰く「苟も大義を明かにして民心を正さば皇道奚(イズク)んぞ興起せざるを」と。国体の大義を正し、国民精神の興起を計るはこれ維新の基調、而して維新の端は茲に発するものにあらずや。吾人は昭和維新の達成を熱願す、而して吾人の担当し得る任は、敍上精神革命の先駆たるにあるのみ、豈微々たる吾曹の士が廟堂に立ち改造の衝に当たらんと企図せるものならんや。”
と書いています。私利私欲で蹶起するのでないことはもちろん、自分たちが権力を奪取して、自分たちの思い通りの政治をしようとするものでもないということを強調しているのです。「一死挺身の犠牲を覚悟せる同志の集団」は、ただひたすら、皇国日本の「義」のために「奸」を討ち、国民精神の興起を促して「昭和維新の端緒を開かん」としたということです。したがって、彼等は「皇国日本」にとっては、誇るべき人たちであり、処刑されるような人たちではないはずなのです。
村中孝次大尉は、裁判官が「国体を護持せんとせし真精神」を認めておきながら、「建軍の本義を破壊せる罪悪むべし」として、「最大限度の極刑を以てせる」判決を下したことに対して
”日本の青年将校、日本の武学生は国体破壊を未然に防止する為、敢死して戦ふなり、軍秩序の破壊の如き微々たる些事、これを恢復するは多少の努力を以てすれば足る、国体の破壊は神州の崩壊なり、真日本の滅亡なり、故に他の一切を犠牲にして国体護持の為に戦はざるべからず。”
と主張し、反論しています。
自ら命を投げ出して「昭和維新の端緒を開かん」とした蹶起の覚悟や、「蹶起趣意書」に書かれた内容を考慮せず、彼等の行動を、一部将校の単なる反乱、あるいはクーデターとすること、また、内大臣斎藤実や蔵相高橋是清、陸軍教育総監渡辺錠太郎らを殺害したという事実や、殺害の状況だけを語り、彼らの処刑の正当性を問わないことは、彼等が「奸賊」と見なした人たちの事件処理を追認することになるように思います。
私は、薩長を中心とする政権がつくった「皇国日本」では、その精神を重んじる若者が、「元老、重臣、官僚、軍閥、政党、財閥」などの、いわゆる「特権階級」の行う私利私欲がらみの政治や経済活動を受け入れることができず、蹶起することが避けられなかったように思います。だから、二・二六事件は、「皇国日本」の抱えた矛盾が生んだ事件だと思うのです。
下記は、「二・二六事件 獄中手記・遺書」河野司編(河出書房新社)から、「丹心録」全文と「続丹心録」の一部を抜粋したものです。<丹心(タンシン)=真心・赤心>
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丹心録
贈 妻 静子
昭和十一年七月六日
吾等は護国救世の念願抑止し難く、捨身奉公の忠魂噴騰して今次の挙を敢てせり。而して一度蹶起するや、群少の妬心、反感を抱ける者、吾人の志を成さざらんとして中傷毀貶至らざるなきが如し。余や憂国慨世日夜奔馳すること四周星、歴さに辛苦艱難す。君盡く是れを知る。即今論難嘲罵集り臻(キタル)るとも些かも心頭の動揺なきを信ず。然りと雖も挙世非とする時、独り操守して動ぜざるは大丈夫と雖も難しとする所なり。故に世上に論難非議する所の失当なる所以を事実に即して釈明し、白眼冷視に対して君を護らんとす。
自ら慰め自ら安じ得れば以つて足れり、決して喋々する勿れ、人に捜見せしむる勿れ。
第一、今回の決行目的はクーデターを敢行し、戒厳令を宣布し軍政権を樹立して昭和維新を断行し、以つて北一輝著「日本改造法案大綱」を実現するに在りとなすは是れ悉く誤れり。群盲象を評するに非ざれば、自家の曲れる尺度を以つて他を忖度量定するの類なり。
一、吾人は「クーデーター」を企図するものに非ず、武力を以つて政権を奪取せんとする野心私慾に基いて此挙を為せるものに非ず、吾人の念願する所は一昭和維新招来の為に大義を宣明にするに在り。昭和維新の端緒を開かんとせしにあり。
従来企図せられたる三月事件、十月事件、十月ファッショ事件、神兵隊事件、大本教事件は悉く自ら政権を掌握して改新を断行せんとせしに非ざるはなし。吾曹(ゴソウ)盡く是れを非とし来れり。
抑々(ソモソモ)維新とは国民の精神覚醒を基本とする組織機構の改廃ならざるべからず。然るに多くは制度機構のみの改新を云為する結果、自らの理想とする建設案を以つて是れを世に行はんとして、遂に武力を擁して権を専らにせんと企図するに至る。而して斯くの如くして成立せる国家の改造は、其輪奐の美瑤瓊なりと雖も遂に是れ砂上の楼閣に過ぎず、国民を頣使(イシ)し、国民を抑圧して築きたるものは国民自身の城郭なりと思惟する能はず、民心の微妙なる意の変を激成し高楼空しく潰へんのみ。
一、之に反し国民の精神飛躍により、挙世的一大覚醒を以つて改造の実現に進むときう、茲に初めて堅実不退転の建設を見るべく、外形は学者の机上に於ける空想図には及ばずと雖も、其の実質的価値の遥かに是れを凌駕すべきは万々なり、吾人は維新とは国民の精神革命を第一義とし、物質的改造は之に次いで来るべきものなるの精神主義を堅持せんと欲す。而して今や昭和維新に於ける精神革命の根本基調たるべきは、実に国体に対する覚醒に在り、明治維新は各藩志士の間に欝勃(ウツボツ)として興起せる尊王心によつて成り、建武の中興は当時の武士の国体観なく尊王の大義に昏(クラ)く滔々私慾に趨りし為、梟雄(キョウユウ)尊氏の乗ずる所となり敗衂(ハイジク)せり。
一、而して明治末期以降、人心の荒怠(コウタイ)と外国思想の無批判的流入とにより、三千年一貫の尊厳秀絶なるこの皇国体に、社会理想を発見し得ざるの徒、相率いて自由主義に奔り、「デモクラシー」を謳歌し、再転して社会主義、共産主義に狂奔し、茲に天皇機関説思想者流の乗じて以て議会中心主義、憲政常道なる国体背反の主張を公然高唱強調して、隠然幕府再現の事態を醸せり。之れ一に明治大帝により確立復古せられたる国体理想に対する国民的信認なきによる、茲に於てか倫敦条約当時に於ける統帥権干犯事実を捉へ来つて、佐郷屋留雄先づ慨然奮起し、次で血盟団、五・一五両事件の憂国の士の蹶起を庶幾せりと雖も未だ決河の大勢をなすに至らず、吾等即ち全国民の魂の奥底より覚醒せしむる為、一大衝撃を以て警世の乱鐘とすることを避く可からざる方策なりと信じ、頃来期する所あり、機縁至つて今回の挙を決行せしなり。
藤田東湖の回天史詩に曰く「苟も大義を明かにして民心を正さば皇道奚(イズク)んぞ興起せざるを」と。国体の大義を正し、国民精神の興起を計るはこれ維新の基調、而して維新の端は茲に発するものにあらずや。吾人は昭和維新の達成を熱願す、而して吾人の担当し得る任は、敍上精神革命の先駆たるにあるのみ、豈微々たる吾曹の士が廟堂に立ち改造の衝に当たらんと企図せるものならんや。
第二、吾人は三月事件、十月事件等の如き「クーデター」は国体破壊なることを強調し、諤々として今日迄諫論し来れり。苟も兵力を用ひて大権の発動を強要し奉るが如き結果を招来せば、至尊の尊厳、国体の権威を奈何(イカン)せん、故に吾人の行動は飽く迄も一死挺身の犠牲を覚悟せる同志の集団ならざるべからず。一兵に至る迄不義奸害に天誅を下さんとする決意の同志ならざるべからずと主唱し来れり。国体護持の為に天剣を揮ひたる相沢中佐の多くが集団せるもの、即ち相沢大尉より相沢中、少尉、相沢一等兵、二等兵が集団せるものならざるべからずと懇望し来れり。此数年来、余の深く心を用ひし所は実に茲に在り。故に吾人同志間には兵力を以て至尊を強要し奉らんとするが如き不敵なる意図は極微と雖もあらず、純乎として純なる殉国の赤誠至情に駆られて、国体を冒す奸賊を誅戮せんとして蹶起せるものなり。吾曹の同志、豈に政治的野望を抱き、乃至は自己の胸中に描く形而下の制度機構の実現を妄想して此挙をなせるものならんや。吾人は身を以て大義を宣明せしなり。国体を護持せるものなり。而してこれやがて維新の振基たり、維新の第一歩なることは今後に於ける国民精神の変移が如実にこれを実証すべし、今、百万言を費すも物質論的頭脳の者に理解せしめ能わざるを悲しむ。
一、吾人の蹶起の目的は蹶起趣意書に明記せるが如し。本趣意書は二月二十四日、北一輝氏宅の仏間、明治大帝御尊像の御前に於て神仏照覧の下に、余の起草せるもの、或は不文にして意を盡さずと雖も、一貫せる大精神に於ては天地神冥を欺かざる同志一同の至誠衷情の流露なるを信ず。真に皇国の為に憂ひて諫死奉公を期したる一千士の純忠至情の赤誠を否認せんとする各種の言動多きは、日本人の権威の為に悲しまざるを得ず。
一、軍政府樹立を企図せりと謂ひ、或は組閣名簿の準備ありしと言ふ、皇族殿下を奉じて軍政府を樹立し、改新を断行せんとする陸軍一部幕僚の思想にして、吾人は是に反対するものなり。軍政府樹立、而して戒厳宣布、是れ正に武家政治への逆進なり、国体観上吾人の到底同意し能はざる所なりとす。又今日果して政治的経綸を有する軍人存するや否や、軍政府なる武人政治が国政を燮理(ショウリ)して過誤なきを得るや否や。国民は軍部の傀儡となり其頣使(イシ)を甘受するものに非ず、軍権と戒厳令とが万事を決すべしとは、中世封建時代の思想なり、今の国民は往時の町人に非ず、一路平等に大政を翼賛せんとする自負と欲求とを有す。剣を以て満州を解決せしが如く、国内改造を断行し得べしとする思想の愚劣にして危険なるを痛感しあり、従つて吾人は軍政権に反対し、国民の一大覚醒運動による国家の飛躍を期待し、これを維新の根本基調と考ふるものなり。吾人は国民運動の前衛戦敢行したるに留まる、今後全国的、全国民的維新運動が展開せらるべく、茲に不世出の英傑簇出、地涌し、大業輔翼の任に当たるべく、これを真の維新と言ふべし。
国民のこの覚醒運動なくしては、区々たる軍政府とか或は真崎の内閣、柳川内閣と言ふが如き出現によつて現在の国難を打開し得べけんや。
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続丹心録
一、昭和十一年七月五日午前九時より判決の宣告ありて十七士死刑を宣せられる。
一、判決文に於て不肖等の国体を護持せんとせし真精神を認め、而して建軍の本義を破壊せる罪悪むべしとなして、臨むに最大限度の極刑を以てせることを示されたり、果して然らば国体破壊の事実を眼前に見ながら、袖手傍観すべしとなすか、帝政露西亜の崩壊するや最後迄宮廷を守護し戦つて殉じたるは士官学校幼年学校の生徒なりき。斯る最期の場面に立至らざる為に、帝政露西亜の純情なる「カデット」(士官候補生)が皇室に殉ぜしと異りて、日本の青年将校、日本の武学生は国体破壊を未然に防止する為、敢死して戦ふなり、軍秩序の破壊の如き微々たる些事、これを恢復するは多少の努力を以てすれば足る、国体の破壊は神州の崩壊なり、真日本の滅亡なり、故に他の一切を犠牲にして国体護持の為に戦はざるべからず。我国体は万国冠絶唯一独在のものなり、而して三千年一貫連綿せる所以のものは、上に神霊の加護冥助あると、歴代聖徳相承けしとによるは勿論と雖も、又此の皇国体を護持発展せしめんとせし国民的努力を無視すべからず、上下この努力を以て万国冠絶を致せるもの豈一日偶然に生じたるものならんや、千丈の堤も一蟻穴より崩る、三千年努力の結晶も天皇機関説、共産思想の如き目に見えざる浸潤によりて崩壊せらる、万国冠絶なるが故にこれを保持し、更に理想化する為、今後国民の絶対翼賛を要することを全国民とその後昆に宣言せんと欲するものなり、国体の為には一切を放擲し、一切を犠牲にせざるべからず。
一、我国体は上に万世一系連綿不変の天皇を奉戴し、この万世一神の天皇を中心とせる全国民の生命的結合なることに於て、万邦無比と謂はざるべからず、我国体の真髄は実に茲に存す。
一、天子を中心とする全国民の渾一的生命体なるが故に、躍々として統一ある生命発展生成化育を遂ぐるなり、これを人類発展の軌範的体系といふべく、之を措いて他に社会理想あるべからず。
一、我国体の最大弱点は又此絶対長所と、表裏の関係に於て存す、天皇絶対神聖なるに乗じ、天皇を擁して天下に号令し、私利私慾を逞ふせんとするものの現出により、日本国体は又最悪の作用を生ず。蘇我、藤原氏の専横、武家政治の出現、近くは閥族政治、政党政治等比々皆然り。
天皇と国民と直通一体なるとき、日本は隆々発展し、権臣武門両者を分断して専横を極むるや、皇道陵夷して国民は塗炭す、歴史を繙けば瞭然指摘し得べし。全日本国民は国体に対する大自覚、大覚醒を以て其の官民たると職の貴賤、社会的国家的階級の高下なるを問はず、一路平等に天皇に直通直参し、天皇の赤子として奉公翼賛に当り、真に天皇を中心生命とする渾一的生命体の完成に進まざるべからず。故に不肖は、日本全国民に須らく眼を国家の大局に注ぎ、国家百年の為に「自主的活動をなす自主的人格国民ならざるべからざることを主張するものなり。国民は断じて一部の官僚、軍閥、政党、財閥、重臣等の頤使に甘んずる無自覚、卑屈なる奴隷なるべからず、又国体を無視し国家を離れたる利己主義の徒なるべからず、生命体の生命的発展は自治と統一とにあり、日本国家の生々躍々たる生命的発展は、自主的自覚国民の自治(修身斉家治国)と、然り而してこの自覚国民が一路平等に(精神的にこれを言ふなり、形式の問題にあらず)至尊に直通直参する精神的結合によりて発揮せらるる真の統一性によりてのみ期待し得べし、天皇と国民とを分断する一切は断乎排除せざれば日本の不幸なり、国体危し。
・・・ 以下略
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