このところ日本の主要メディアは、政府の姿勢に追随して、中国やロシアのあらゆる出来事をプーチン政権非難や習政権の体制批判に結びつけて報道しているように思います。
ウクライナ戦争の状況を解説するために登場する専門家といわれる人たちも、ほとんど、アメリカの国務省から、あるいは、アメリカに追随する日本政府の官邸から派遣されているのではないかと思うようなことばかり語っているように思います。
中国共産党大会で胡錦涛氏が途中で退席したことなども、欧米や日本の政権に追随するようなとらえ方で報道しています。いかに信頼関係を回復するか、また、どのようにすれば平和的に問題を解決できるかというような視点がほとんどないと思います。
「汚い爆弾」の使用についても、しばらく前、ロシアのショイグ国防相が、英仏中などの国防相と電話協議し、ウクライナが使用する懸念があると伝え、プーチン氏が”私が情報を伝えるように指示した”と発言しているにもかかわらず、”ロシアがウクライナの使用を口実に、自ら使うとの懸念が欧米などで浮上している”というようなことを強調して報道をしています。
そうした欧米の懸念に対して、プーチン大統領が、我々には政治的にも軍事的にも「汚い爆弾」を使う意味はないというような反論をし、”(ウクライナが)準備している場所は、ほぼ分かっている。爆発させ、ロシアが核攻撃をしたと言うつもりだ”と語ったことも、”証拠を示さず主張した”などという言葉を加えて報道し、どのように受け止め、どのように検証するかというようなことを問題として取り上げる様子はほとんどありませんでした。プーチン大統領の発言は「嘘」であり、確認や検証の必要はないといわんばかりの報道です。
でも私は、戦後のアメリカの対外政策や外交政策をふり返れば、「汚い爆弾」は、自らの覇権や利益を維持するために、中国やロシアを孤立化させ、弱体化させなければならないアメリカの戦略に基づくものであることは確定的だと思います。「汚い爆弾」の使用は、プーチン大統領の主張するように、ロシアが使用すれば一層孤立することになり、政治的にも軍事的にもその効果は期待できないだろうと思います。だからそれは、ロシアを孤立化させ、弱体化させたいアメリカの戦略だろうと思うのです。
ふり返ればアメリカは、自らの覇権や利益のために、朝鮮に38度線を設けました。そして、南北朝鮮合一の「朝鮮人民共和国」建設の取り組みを進めていた朝鮮の人たちを抑圧し、殺害さえして、独裁者李承晩を立て、南朝鮮単独政府を樹立したことを思い出すべきだと思います。
またアメリカは、ベトナムでも、共産主義の拡大を懸念して、反共主義者のゴ・ディン・ジエムを支援しました。
ゴ・ディン・ジエムは、ジュネーヴ協定に基づく南北統一総選挙を拒否し、「ベトナム民主共和国」の樹立に反対した人物です。その目的達成のために、ゴ・ディン・ジエムは弟を大統領顧問に任命して、秘密警察や軍特殊部隊を掌握させ、国内の共産主義者を始めとする反政府勢力を厳しく弾圧し、虐殺したのです。
その後、紆余曲折がありますが、アメリカは、南北の小競り合いに軍事介入し、1964年にはトンキン湾事件を起こして北爆を始めました。トンキン湾事件のでっち上げに関しては、「ペンタゴンペーパーズ」という映画にもなり、多くの人に知られていると思います。
そして、アメリカは、ベトナムでナパーム弾を使い、有毒な枯葉剤を大量にばらまくとともに、絨毯爆撃といわれる無差別爆撃をくり返しました。アメリカがベトナム戦争で使用した弾薬の量が、第二次世界大戦で使われた全ての量を上回るといわれたことも忘れてはならないことだと思います。
さらにアメリカは、イラクのインフラを破壊し尽くすような爆撃をしました。理由は、イラクには大量破壊兵器があるということでしたが、見つかりませんでした。国際組織の査察中であり、結果が出ていないにもかかわらず、爆撃を開始したことも忘れてはならないと思います。私は今も、査察の結果が判明するとイラク爆撃ができなくなるからではなかったのか、と疑っています。
イラク戦争に関し、ラムゼイ・クラーク(アメリカ合衆国の法律家で、ジョンソン大統領のもとで第66代司法長官を務めた人物)が主導して進められた「国際戦争犯罪法廷」の「最終判決」は、尊重されなければならないと思います。
以前に取り上げましたが、”被告人 ジョージ・ブッシュ、ダンフォース・クエール、ジェームズ・ベーカー、リチャード・チェイニー、ウィリアム・ウェブスター、コリン・パウエル、ノーマン・シュワルツコフ”は、”訴因、平和に対する犯罪、戦争犯罪、人道に対する犯罪または国連憲章、国際法、アメリカの憲法および関連法規に違反する犯罪行為”で有罪なのです。
19の告発の中には、”アメリカは、軍事目標と非軍事的目標の両方に対し、大量破壊が可能で、無差別殺害と不必要な苦痛を与えるために使用を禁止されている兵器を使用した。”というものもありました。ベトナムで使われたナパーム弾のほかに、気化爆弾や、集束対人炸裂爆弾(クラスター爆弾)、スーパー爆弾などの残虐な爆弾を使用したとあるのです。また、”ブッシュ大統領は、イラク全土にわたって、民間の生活や経済的生産にとって不可欠な施設を破壊することを命令した。”というような告発も見逃せません。
また、アメリカが自国を守るためではなく、反撃能力を失い、破滅か降伏しか選択肢がなくなっていた日本に、二発の原爆を投下したことも忘れてはならないと思います。
そして、日本降伏後、巧みに日本を操るために、「逆コース」といわれる政策の転換を行い、公職追放した戦犯の公職追放を解除して、反共的な戦争指導層を利用する体制をつくったことも忘れてはならないと思います。
それは、朝鮮における李承晩やベトナムにおけるゴ・ジン・ジェム、フィリピンにおけるマルコス、インドネシアにおけるスハルトなどの支援に通じるものだと思います。いずれも反共的で搾取や収奪を平然と続け、時に、抵抗する者を虐殺した独裁者だったと思います。
その公職追放が功を奏して、日本国憲法が事実上その機能を停止するような、最高裁判決がだされることになりました。それが、今回取り上げた「砂川裁判」に関わる「最高裁判決」と「日米密約」の問題です。
「伊達判決」を覆した「最高裁判決」は、戦犯の公職追放解除がなければなかった判決だと私は思います。その最高裁判決によって、日本は法治国家とはいえない国になってしまったといえるのですが、それがまさにアメリカの覇権と利益のために、アメリカが日本に対してとった政策の核心部分だろうと思います。密約による「最高裁判決」で、日本はアメリカの従属国になってしまったということです。
下記は、「検証・法治国家崩壊 砂川裁判と日米密約交渉」吉田敏浩、新原昭治、末浪靖司(創元社)の「はじめに」の部分です。アメリカの対外政策や外交政策が、いかなるものであるかを考え、ウクライナ戦争の真実を知る手掛かりを与えてくれるように思います。
アメリカに追随していては、ウクライナ戦争の停戦・和解は難しいですし、日本の平和主義に基づく自主的外交も望めないと思います。
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はじめに
吉田敏浩
本書には、驚くべき事実が書かれています。
1959年12月16日に、日本の最高裁が出したひとつの判決。それによって、日本国憲法が事実上、その機能を停止してしまったこと。米軍の事実上の治外法権を認め、さまざまな人権侵害をもたらす「法的根拠」をつくりだしてしたったこと。そしてその裁判は、実は最初から最後まで、アメリカ政府の意を受けた駐日アメリカ大使のシナリオどおり進行していたこと。
この日本の戦後史のなかでも最大といえるような「事件」が、アメリカ政府の解禁秘密文書によって、歴史の闇のなかから浮かび上がりました。困難な調査の末にそれらの文書を発見し、事件の全貌を確実な証拠によって立証したのが、本書の共著者である新原昭治と末浪靖司です。
最初の重要文書を新原が発見したのが2008年。わずか6年前のことです。ですからほとんどの日本人は、まだこの大事件の全貌を知りません。こうした入門書のかたちで読者の眼にふれるのも、これが初めてのことなのです。
くわしくは本文にゆずりますが、始まりは1959年3月30日、「砂川事件」に関して東京地裁で言いわたされた、「米軍の日本駐留は憲法第九条に違反している」という一審判決でした。この判決に強い不満を持ったアメリカ政府が、当時のマッカーサー駐日アメリカ大使を通じて、それを早急にくつがえすため、ひそかに日本政府と最高の中枢にまで政治的工作と内政干渉の手を伸ばしたのです。
マッカーサー大使は、当時の自民党・岸信介政権の藤山愛一郎外相ら外務省高官、田中耕太郎最高裁判所長官と秘密裏に連絡をとりあい、密談を重ね、最高裁で「米軍の日本駐留は違憲ではない」という逆転判決を得るためにさまざまな工作をおこないました。
そして、なんと田中最高裁長官はマッカーサー大使に、最高裁での裁判日程や判決内容の見通しなどを報告しながら裁判を進めていたということが、前述のアメリカ政府解禁秘密文書によって立証されることになったのです。「憲法の番人」と呼ばれ、公明正大であるべき最高裁の名を、実は長官自らが汚していたのです。
その後、1959年12月16日に、田中長官が裁判長をつとめる最高裁大法廷では、アメリカ政府の望みどおりの逆転判決が言いわたされることになりました。
ここで強調しておきたいのは、田中耕太郎・第二代最高裁長官がその職にあったのは、まだ占領中の1950年から、安保改定があった1960年までということ。つまり彼は日本の独立回復後、最初の最高裁長官だったのです。その田中長官がアメリカからの内政干渉を受け、その意向に沿って行動していたわけですから、日本の最高裁は憲法の定める司法権の独立が侵された大きな歴史の汚点を背負っているのです。
本書をお読みになったみなさんが、この事実を知って驚き、同時に強い怒りをお感じになることを心から望んでいます。この問題を放置し続けるかぎり、日本がまともな法治国家になることも、人びとの基本的人権が十全に保障されることもあり得ないからです。普通の国なら、おそらく問題の全容が解明されるまで、内閣がいくつつぶれてもおかしくないような話なのです。
最高裁への他国(アメリカ)政府の介入という問題に加えて、この判決はもうひとつ、きわめて重大な影響を戦後の日本社会におよぼすことになりました。それは米軍基地の存在を違憲ではないとするためのロジックとして
「〔安保条約のような〕わが国の存立の基礎にきわめて重大な関係をもつ高度な政治性を有する問題については、憲法判断しない」
という「統治行為論」が使われたことです。この結果、政治家や官僚たちが「わが国の存立の基礎きわめて重大な関係をもつ」と考える問題について、いくら市民の側が訴えても、最高裁は憲法判断をしなくてもよくなった。政府の違法な権力行使に対し、人びとの人権をまもるべき日本の憲法が、十分に機能できなくなってしまったのです。まさに「法治国家崩壊」というべき状況が生まれてしまったのです。
近年、日本政府による憲法違反の事例は、米軍基地問題だけにとどまりません。日本経済をアメリカと日本の多国籍企業のために改造しようとする密室のTPP交渉、米軍と自衛隊の合同行動のための秘密保護法制定、アメリカと共に戦争をできる国にするための集団的自衛権の行使に向けた解釈改憲など。その背後にはいずれもアメリカの利益と、それに呼応して自らの地位を維持しようとする歴代政権および官僚たちの思惑が見え隠れしています。
そこには日米両政府の一種の「共犯関係」が成立しているといっていいでしょう。アメリカ政府が日本の外務大臣や最高裁長官などとひそかに接触し、望み通りの判決をださせた1959年の最高裁での「砂川裁判」は、そのような構図のいわば原型といえるのです。
そして、自民党・安倍政権はなんとこの「砂川裁判」最高裁判決を、集団的自衛権行使の正当化のために持ち出しています。しかし、同判決は集団的自衛権を認めているわけではなく、全くのこじつけです。しかも、この判決はアメリカ側の干渉による黒い霧でおおわれているのです。
それでは、これから歴史の時計の針を55年前の1959年3月、アメリカ政府による「砂川裁判」への秘密工作が始まった時点にもどして、「法治国家崩壊」の軌跡を検証してゆくことにしましょう。