波8604部隊
「高校生が追うネズミ村と731部隊」の著者、埼玉県立庄和高校地理歴史研究部の生徒達と遠藤光司教諭は、波8604部隊第1課細菌研究班に所属していた丸山茂さんからも大量の資料を受け取るとともに証言を得ている。丸山さんの証言は8604部隊の大量殺戮事件が中心であるが、ラット50万匹飼育の証言もあったという。下記はその一部である。下段は第4課病理班に所属し病理解剖を任務としていたが、後にノミの生産係になっという井上睦夫さんの証言である。
丸山茂さんの証言-------------------------
大量殺戮事件のあらすじはこうである。1942年、日本軍が香港攻略をしたとき、香港は中国からの難民で溢れ、人口は200万人を超えていた。日本軍はその避難民を強制的に香港から追い出し、香港の人口を半分にした。ここに膨大な香港避難民が誕生した。殺戮にあったのは、この難民のうち、水路で広州に向かった人々である。
難民は広州市に入れなかった。広州手前にある南石頭の難民収容所に強制収容される。丸山さんの同僚の的場守嘉が、東京の陸軍軍医学校からサルモネラ菌を取り寄せ、それをお粥に混ぜ難民全員に飲ませた。毎日運びきれないほどの難民が死に、その数は2000人に及んだ。サルモネラ菌という聞き慣れない細菌は、8604部隊長佐藤俊二の得意分野で、佐藤は石井四郎と連名で、この細菌が原因の中毒事件についての論文を発表している。約3年間収容所にいた馮奇さんは「あのとき香港難民がたくさん船で来た。みんな嘔吐や下痢で死んだが原因不明だった」と言う。当時収容所ではこんな歌が流行った。「篭の鳥は高く飛べない。味付け粥を食わなきゃすきっ腹。食えば食ったで腹痛み。病気になっても薬はない。死んだら最後、骨まで溶かす池に放り込まれる。」
死んだ難民は化骨池(かこついけ)に放り込まれる。収容所には横20メートル、縦と高さが5メートルのコンクリート製の池が二つ並んでいた。死体はその化骨池に運ばれ科学剤により溶かされた。多いときには毎日50人以上が処理される。化骨池は死体を効率よく処理するための8604部隊の発明だったが、このときはそれでも処理しきれず埋められるものもあった。現在は広州製紙工場となった同地から、1200体を超える人骨が出ている。
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この大量殺戮を実行したのは丸山さんの友人の的場守嘉だった。丸山さんはたまたま、的場が作った難民への細菌投与を示すグラフを覗いたのがきっかけで、的場からすべてを聞くことになる。的場は丸山さんに「部隊長に知れたら、おもえも無事にすむまい。一生口外するな」と念を押した。事実この後、的場だけがニューギニアの激戦地に送られ、死亡している。「部隊長による口封じだった」と丸山さんは語る。この部隊長の佐藤俊二は戦後ハバロフスク裁判にかけられる。佐藤は石井四郎の犯罪には言及したが、香港難民殺戮と化骨池については黙っていた。証言をして丸山さんは「的場の遺言ををみんなに伝えることができた」と語る。
丸山さんの証言を機にこの事件の調査が始まり、中国では沙東迅が『日本軍の広東における細菌戦調査報告書』をまとめた。……
井上睦夫さんの証言-------------------------
井上さんの任務は死体の病理解剖だった。軍医の助手として、毎日一,二体を解剖した。死体は一日に四,五体来た。解剖が追いつかず冷蔵庫に保管した。解剖は一体に3時間かかり、1日に三体がやっとだった。
井上さんの担当は頭部だった。軍医は内臓を取り出した。舌の根元を引っ張ると……
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1944年、井上さんはペストノミ生産の係となり、温度調節を担当した。着任するとすぐ増産命令が出され部隊は活気づいた。ペストノミ10キロ必要というなら15キロ作ってやろうという勢いだった。米軍が中国南海岸に上陸したら、このペストノミ作戦が威力を発揮するだろう、と信じていた。仕事は大きくノミとネズミに分かれる。日本人の担当は20人近くに増員、他に中国人クーリーを50人雇った。クーリーはネズミの世話だけで、ノミの飼育室には入れなかった。
中山歯科大学と東門のあいだに巨大なネズミ飼育場があった。コンクリート2階建ての、長さ30間(約50メートル)もある学校のような建物が5棟並んでいた。これがすべてラットの飼育場だった。その棟の中には棚が10段あり、すべての棚に80センチほどの金網の飼育箱がギッシリ積まれていた。飼育中のネズミはちょっとした病気でも報告し、大切にされていた。「50万匹は多すぎる。1桁違うのでは」と思っていた私は、この話を聞き「これは本当かも」と身を乗り出した。
ネズミはすべてラットで白ネズミだった。1943年井上さんが部隊に配属されたころ、ネズミは内地から送られてきた。港の近くの荷物省へ大量のラットが輸送された。それ以前からも送られていたという話だったが、1944年に制空権、制海権を失うと来なくなった。「それがなければずっと来ていただろう」と井上さんは語る。そのネズミもおそらく埼玉のネズミだろう。だがこの部隊については、埼玉のネズミがなくても、すでに自給による生産体制が確立していたようだ。
ネズミ飼育場の一角にペストノミの培養室があった。レンガ造りの培養室は、奇妙な建物だ。入るとまわりはすべて棚で、そこに100個以上の石油缶が並んでいる。そのなかでペストノミが生産された。床には一面に水が引かれ、中央のストーブで50センチ先も見えないほど、湯気が上がっている。危険な作業にもかかわらず、井上さんは雨合羽に長靴、軍手2枚をしただけで作業をした。
石油缶の中におが屑を敷く。そこに小さな篭に入れられた、身動きのできないラットを入れる。そしてラットの上にスポイトからノミを振りかける。ノミがネズミにたかるように、ネズミには乾燥血液を振りかけておく。ラットは1週間ほどでミイラ状になり、次のと取り替えた。石油缶の横には12個の大きなビンがあった。これは石油缶を洗うとき、一時的にノミを保存する容器である。ノミに刺されたら最後なので、石油缶はホルマリンをかけてから、慎重に洗った。湿気の中でノミはどんどん繁殖し、最終的には月10キログラムの生産量に達した。ここでは、ネズミにペスト菌を注射する「毒化作業」はとくになく、ペストは飼育過程で自然に伝染していくものとされている。
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岡9420部隊
この部隊はシンガポール近郊の、マレー半島南端ジョホールバルの北東約13キロのタンポイにある精神病院「プルマイ病院」にあり、ノミの養殖場を始め、ネズミの飼育施設などもほとんど当時のまま残っているという。以下9420部隊に配属され、『ノミと鼠とペスト菌を見てきた話』を自費出版したという竹花香逸氏の証言を中心とする部分を「高校生が追うネズミ村と731部隊」埼玉県立庄和高校地理歴史研究部+遠藤光司(教育史料出版会)から抜粋する。
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……9420部隊は1942年、五つの細菌戦部隊の最後に編成された。前章で紹介した『真田日記』では、各部隊のノミの分担比率 を「満州53%、南方14%、南支5%、北支3%、中支1.5%、内地12%」としてある。ここでは、50万匹のネズミを有していた南支(8604部隊)の5%より、この南方(9420部隊)の「14%」のほうが大きな数字になっている。9420部隊にも大量のネズミがいただろうと推測される。
高島氏を現地調査に踏み切らせるきっかけとなったもう1人の証言者がいる。『ノミと鼠とペスト菌を見てきた話』を自費出版した竹花香逸氏である。竹花氏は1943年6月、9420部隊に配属、敗戦までペストノミの生産に従事する。著書はその体験をまとめたものだが、9420部隊でのネズミとノミの飼育状況を語る、私たちにとっても興味深い証言だった。この本で、竹花氏はこう書いている。
「中安部隊はノミの養殖と、それらに関わる研究と仕事をする部隊である。ノミの飼育方法は、日光の直射をさけ、病棟のもとより舗装してある地面上に、どこから集めたのかと思われる細かいゴミを、農家の籾乾しの形そのままに、幅1メートル余り、長さ5メートルほどの飼育床が数条続いている。その飼育床の適当な位置に、鼠とり器に収められた鼠がノミの飼料として配置されている。(中略)簡単な用件が終わると中安中尉は『竹花、今日はめずらしいものを見せてやる、来い』と小さな頑丈な建物の中に誘った。室に入ると中尉はその中の18リットル缶のガラスの蓋をとった。と、缶の表面近くまで詰まったノミが互いに光を嫌って中へ中へともぐりこもうとしてうごめき、一つの大きな玉となっている。私は息をこらしていたと思う。中安中尉は『どうだ、驚いたか』といいたげな顔をしていた。あの大量のノミがその後どう処理されたか知る由もない。しかし実験に使用されたことはまずあり得ない。ノミの寝床の大量の細かいゴミとノミを区分する事は難儀のように思われるであろうが、ノミの光を嫌う性質を利用した器具で、比較的容易に分離する事ができた。」
「江本部隊の特徴は、細菌取扱の経歴の多い技術者が多く(中略)、部隊の仕事はペスト菌株の保持、菌の殖培、毒化作業、少量のワクチンの製造、免疫に関わる研究等広範囲のようであった。この隊の重要な作業は『毒化作業』である。鼠にペスト菌を注射し、発病した鼠にノミををたからせ、ノミの胃袋にペスト菌が吸入されておれば即ち細菌兵器となる。かかる作業を毒化作業と称していた。ちなみにペスト病は鼠と人間だけが罹病する。とにかく江本部隊は梅岡部隊の中枢的な存在である」
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表があります。
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