真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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ゼレンスキー氏のミンスク合意否定

2024年09月30日 | 国際・政治

 「ウクライナ動乱 ソ連解体から露ウ戦争まで」松里公孝(ちくま新書1739には、「ミンスク合意」に関わって、見逃すことのできない記述が多々あります。そのなかから、いくつかピックアップしますが、ウウライナ戦争が始まったとき、こうした合意について取り上げる主要メディアはなかったと思います。

 逆に、メディアに登場した専門家といわれる学者や研究者、ロシアに関わりのある人たちは、ウクライナ戦争は、プーチンが大ロシアやソビエト連邦に固執し、ウクライナを征服・占領する目的で始めたというような言説を広めたと思います。そうした話を、私は何度も聞きました。

 でも、”2015年に締結された内容の「ミンスク合意」は実施する気がない”、とゼレンスキー大統領は明言していたのです。ウクライナ側にも、それなりの言い分があったのでしょうが、一方的なその発言は、ウウライナ戦争につながる重大な発言だったと思います。また、ゼレンスキー大統領のこの言葉は、アメリカとの合意がなければ考えられない言葉だったと思います。だから、ゼレンスキー大統領による「ミンスク合意」の否定も、ウクライナ戦争は、プーチン政権を転覆するために、アメリカを中心とする西側諸国が仕組んだ戦争だ、と私が考える理由のひとつなのです。 

〇 ミンスク合意1は、201495日にウクライナ、ロシア、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国の間で調印されました。この合意は即時停戦、捕虜の交換、ウクライナとロシアの国境地帯にセキュリティゾーンを設置することなどを含んでいましたが、停戦は長続きしませんでした。

〇 ミンスク合意2は、2015211日にドイツとフランスの仲介で調印されました。この合意では、停戦の再確認、重火器の撤退、ウクライナの東部地域に特別な自治権を付与することなどが含まれていました。しかし、この合意も完全には履行されず、紛争は続きました。

〇 プーチン政権が露ウ戦争を正当化した論拠は主に二点あった。ひとつはウウライナとNATOの協力関係の深化がロシアの安全保障にとって脅威であること、もうひとつは、ミンスク合意が実施されず、ドンバスでの「ジェノサイド」が続いているということであった。

〇 露ウ戦争開始後であったが、ペトロ・ポロシェンコ前ウクライナ大統領は、「ミンスク合意は強力なウクライナ軍を育てるための時間稼ぎだった」と公言した。メルケル前ドイツ首相も、同様の回想をした。

 この件に関して、Wikipedia には、下記のようにあります。

2022127日、ドイツの『ツァイト』誌に掲載されたインタビューのなかで、ドイツのアンゲラ・メルケル前首相が、「2014年のミンスク合意は、ウクライナに時間を与えるための試みだった。また、ウクライナはより強くなるためにその時間を利用した」と述べた。そして、ミンスク合意やミンスク2によって時間を稼いだことにより、ロシア側からの侵略は度々あったものの、アメリカを始めとする西側諸国からの様々な軍事的支援を受け取ったり、ウクライナ軍やウクライナ国家親衛隊に対し軍事訓練を施したりすることが可能となった。”

〇 ゼレンスキーはドンバス和平問題について、大統領選挙(20193月)の時の公約を守らなかったとよく言われるが、ミンスク合意についてはそうではない。彼は大統領選挙前からミンスク合意には懐疑的であり、むしろ、ミンスク合意に効果がないことは明白なのにポロシェンコ政権がこれといった新手を打っていない事を批判したのである。選挙に勝つと彼は直ちに「ミンスク合意のリセット」を提唱した。

 秋頃までにはリセットの全貌が明らかになるが、ウ露国境管理の回復を先に行ってから人民共和国内の地方選挙を行う(シュタインマイヤー定式の逆)、ドンバスに特別な地位を与えるための憲法改正はせず、ウクライナ内地で行っている分離改革で十分、人民共和国の指導者ほかの恩赦はしないというものだった。

 要するに、ウクライナ右翼の主張を受け入れてミンスク合意を全面否定したもので、内容上の新味はない。ここでもまた、国内党派政治の延長で外交をやっているのである。

 こうした「ミンスク合意の否定と並行して、ゼレンスキーは、ロシアの傀儡に過ぎない人民共和国指導者とは会わない。人民共和国指導部は相手にしないという姿勢を鮮明にした。この点では、人民共和国と矛を交え、みずから停戦協定(ミンスク合意)に調印したポロシェンコよりも徹底していた。

〇 ゼレンスキーの大統領就任後も、人民共和国の民間家屋や施設に対する砲撃は続き、死者が途切れることはなかった。この頃のゼレンスキーは、軍への指導権を確立しておらず、人民共和国への「反撃」については現地司令官の判断に任せていた。

 ゼレンスキーはミンスク合意への懐疑を表明すると同時に、ノルマンディー・フォーマット(四首脳会談)に引き継ぎつつ、それを米英土の参加で拡大することを要求した。当面は四首脳会談を実現することに全力をあげ、捕虜交換や、境界線三地点での兵力引き離しなどの実績を積み、201912月のパリ首脳会談に漕ぎつけた。

 ここでゼレンスキーは、2015年に締結された内容のミンスク合意は実施する気がないことを明言した。生真面目に原稿を読み上げるプーチンの横で、ゼレンスキーがにやにや笑っている姿が全世界に放映された。

 202041日付けの『ウォール・ストリート・ジャーナル』の記事は、このパリ首脳会談でのゼレンスキーの態度表明が、プーチンが対ウクライナ戦争に舵を切ったきっかけになったとしている。

 下記は、その「ミンスク合意2」(2015212日)の英文と機械翻訳です。

Full text of the Minsk agreement

Translation of Russian document produced after 16 hours of talks

After 16 hours of talks in the Belarusian capital Minsk the leaders of Germany, France, Ukraine and Russia agreed to a ceasefire. The ‘following is the official English version of the agreement.

Package of Measures for the Implementation of the Minsk Agreements

ミンスク合意の全文

16時間の会談を経て作成されたロシア語文書の翻訳

ベラルーシの首都ミンスクでの16時間の会談の後、ドイツ、フランス、ウクライナ、ロシアの首脳は停戦に合意した。

以下は、契約の公式英語版です。

ミンスク合意の実施のための措置パッケージ

 

1. Immediate and comprehensive ceasefire in certain areas of the Donetsk and Luhansk regions of Ukraine and its strict implementation as of 15 February 2015, 12am local time.

1. ウクライナのドネツク州とルハンスク州の特定の地域における即時かつ包括的な停戦と、2015215日現地時間午前12時時点の厳格な実施。

 

2. Withdrawal of all heavy weapons by both sides by equal distances in order to create a security zone of at least 50km wide from each other for the artillery systems of caliber of 100 and more, a security zone of 70km wide for MLRS and 140km wide for MLRS Tornado-S, Uragan, Smerch and Tactical Missile Systems (Tochka, Tochka U):

-for the Ukrainian troops: from the de facto line of contact;

-for the armed formations from certain areas of the Donetsk and Luhansk regions of Ukraine: from the line of contact according to the Minsk Memorandum of Sept. 19th, 2014;

The withdrawal of the heavy weapons as specified above is to start on day 2 of the ceasefire at the latest and be completed within 14 days.

The process shall be facilitated by the OSCE and supported by the Trilateral Contact Group.

2  口径100以上の大砲については、互いに少なくとも50km幅の安全地帯を設け、多連装ロケット発射装置(MLRS70kmMLRSトーネード-S、ウラガン、スメルチ、戦術ミサイルシステムは14okmの安全地帯を設ける。

-ウクライナ軍の場合は事実上の接触線から。

-ウクライナのドネツクおよびルハンスク地域の特定の地域の武装フォーメーションについては、2014919日のミンスク覚書に従って接触線から。

上記の重火器の撤退は、遅くとも停戦の2日目に開始され、14日以内に完了する。

このプロセスは、OSCEが推進し、三極コンタクト・グループが支援する。

 

3. Ensure effective monitoring and verification of the ceasefire regime and the withdrawal of heavy weapons by the OSCE from day 1 of the withdrawal, using all technical equipment necessary, including satellites, drones, radar equipment, etc.

3. OSCEによる停戦体制と重火器の撤退に関する効果的な監視と検証は、衛星、無人機、無線測位システムなどの必要な技術的手段を用いて、撤退の初日からおこなわれます。

 

4. Launch a dialogue, on day 1 of the withdrawal, on modalities of local elections in accordance with Ukrainian legislation and the Law of Ukraine “On interim local self-government order in certain areas of the Donetsk and Luhansk regions” as well as on the future regime of these areas based on this law.

Adopt promptly, by no later than 30 days after the date of signing of this document a Resolution of the Parliament of Ukraine specifying the area enjoying a special regime, under the Law of Ukraine “On interim self-government order in certain areas of the Donetsk and Luhansk regions”, based on the line of the Minsk Memorandum of September 19, 2014.

4. 撤退後初日には、ウクライナの法律とウクライナ法「ドネツク州とルハンスク州の特定の地区における地方自治の暫定的な秩序について」に則った地方選挙の実施方法や、上記の法律に基づくこれらの地区の将来についての対話を開始する。

 この文書の署名日から30日以内に、決議は、法律に従って特別政権の下に該当する領土を示すウクライナの最高議会によって承認される。"ドネツク州とルハンスク州の特定の地区における地方自治の暫定自治命令について”に従って、2014919日付けのミンスク覚書によって設定されたラインに基づくものとする。

 

5. Ensure pardon and amnesty by enacting the law prohibiting the prosecution and punishment of persons in connection with the events that took place in certain areas of the Donetsk and Luhansk regions of Ukraine.

5. ウクライナのドネツク州とルハンスク州の特定の地域で起こった事件に関連して、人の訴追と処罰を禁じる法律を制定することにより、恩赦と特赦を確保すること。

 

6. Ensure release and exchange of all hostages and unlawfully detained persons, based on the principle “all for all”. This process is to be finished on the day 5 after the withdrawal at the latest.

6. 「みんながみんなのために」の原則に基づき、すべての人質と不法に拘束された人の解放と交換を行うこと。このプロセスは、遅くとも(武器の)撤退後5日目に終了しなければならない。

 

7. Ensure safe access, delivery, storage, and distribution of humanitarian assistance to those in need, on the basis of an international mechanism.

7.国際的なメカニズムに基づき、人道支援を必要とする人々への安全なアクセス、提供、保管、配布を確保すること。

 

8. Definition of modalities of full resumption of socio-economic ties, including social transfers such as pension payments and other payments (incomes and revenues, timely payments of all utility bills, reinstating taxation within the legal framework of Ukraine).

8.年金の支払いやその他の支払い(収入と収益、すべての公共料金のタイムリーな支払い、ウクライナの法的枠組み内での課税の復活)などの社会的移転を含む、社会経済的結びつきの完全な再開のモダリティの定義。

この目的のため、ウクライナは、紛争の影響を受けた地域における自国の銀行システムの部分の管理を回復し、場合によってはそのような移転を促進するための国際的なメカニズムを設立する。

 

9. Reinstatement of full control of the state border by the government of Ukraine throughout the conflict area, starting on day 1 after the local elections and ending after the comprehensive political settlement (local elections in certain areas of the Donetsk and Luhansk regions on the basis of the Law of Ukraine and constitutional reform) to be finalized by the end of 2015, provided that paragraph 11 has been implemented in consultation with and upon agreement by representatives of certain areas of the Donetsk and Luhansk regions in the framework of the Trilateral Contact Group.

9. 地方選挙の翌日から始まり、2015年末までに完了する予定の包括的な政治解決(ウクライナ法と憲法改正に基づくドネツク地域とルハンスク地域の特定の地域での地方選挙)の後に終了する、紛争地域全体にわたるウクライナ政府による国境の完全管理の回復。 ただし、第11項は、三極コンタクト・グループの枠組みにおいて、ドネツク地域及びルハンスク地域の特定の地域の代表者と協議し、かつ、その合意に基づいて実施されたものである。

 

10. Withdrawal of all foreign armed formations, military equipment, as well as mercenaries from the territory of Ukraine under monitoring of the OSCE. Disarmament of all illegal groups.

10. OSCEの監視下にあるウクライナの領土からのすべての外国の武装組織、軍事装備、および傭兵の撤退。すべての違法集団の武装解除。

 

11. Carrying out constitutional reform in Ukraine with a new constitution entering into force by the end of 2015 providing for decentralization as a key element (including a reference to the specificities of certain areas in the Donetsk and Luhansk regions, agreed with the representatives of these areas), as well as adopting permanent legislation on the special status of certain areas of the Donetsk and Luhansk regions in line with measures as set out in the footnote until the end of 2015.

11.ウクライナにおける憲法改正を実施し、2015年末までに新憲法が発効し、地方分権化を主要な要素として規定し(ドネツク地域及びルハンスク地域の特定の地域の特異性への言及を含み、これらの地域の代表者と合意)、ドネツク及びルハンスク地域の特定の地域の特別な地位に関する恒久的な法律を採択するとともに、以下の措置に沿って脚注は2015年末まで。

 

12. Based on the Law of Ukraine “On interim local self-government order in certain areas of the Donetsk and Luhansk regions”, questions related to local elections will be discussed and agreed upon with representatives of certain areas of the Donetsk and Luhansk regions in the framework of the Trilateral Contact Group. Elections will be held in accordance with relevant OSCE standards and monitored by OSCE/ODIHR.

12.ウクライナ法「ドネツク州及びルハンスク州の特定地区における地方自治の暫定的な命令について」に基づき、地方選挙に関する事項については、三者コンタクトグループの枠組みの中で、ドネツク州及びルハンスク州の特定の地区の代表者と協議し、合意する。選挙は、関連するOSCE基準に従って実施され、OSCE/ODIHRによって監視されます。

 

13. Intensify the work of the Trilateral Contact Group including through the establishment of working groups on the implementation of relevant aspects of the Minsk agreements. They will reflect the composition of the Trilateral Contact Group.

Participants of the Trilateral Contact Group:

Ambassador Heidi Tagliavini___________________

Second President of Ukraine, L. D. Kuchma___________________

Ambassador of the Russian Federation

to Ukraine, M. Yu. Zurabov___________________

A.W. Zakharchenko___________________

I.W. Plotnitski___________________

13.ミンスク合意の関連側面の実施に関する作業部会の設立等を通じて、三者コンタクト・グループの作業を強化する。これらは、三極コンタクトグループの構成を反映する。

三者コンタクトグループの参加者:

ハイディ・Tagliavini___________________大使

ウクライナ第2代大統領、L.D.Kuchma___________________

ロシア連邦大使

ウクライナへ、M.ユー。Zurabov___________________

A.W.Zakharchenko___________________

I.W.Plotnitski___________________

 

 

 

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ヤヌコビッチ政権転覆の謀略 ユーロマイダン革命

2024年09月26日 | 国際・政治

 私は毎日、朝日新聞を読んでいるのですが、国際政治に関する記事に辟易しています。「DS」は陰謀論だといわれますが、私は、朝日新聞が、完全に「DS」の影響下に入ってしまったように感じるのです。

 戦争や国家間の紛争、諍いに関しては、必ず両方の主張を聴き、主要メディアの報道だけではなく、いろいろなところから情報を得て、考え、判断を下すことが大事だと思います。それは、傷害事件などの裁判で、被害者の主張だけで判決が下されることがないのと同じだと思います。

 でも、主要メディアに登場する学者や研究者が、そういう当たり前の手続きを踏まずに、自らの主張を展開しているようなので、主要メディアや主要メディアに登場する学者や研究者が、みな「DS」の影響下に入ってしまったように、私には思えるのです。

 例えば、kla.tv の下記の動画は、フェイクだと断定できるのでしょうか。警察官を射殺し、労働組合会館に火を放ち、行政府や警察署を襲撃した「マイダン革命」が「尊厳の革命」と言われるのはなぜでしょうか。


 朝日新聞は、924日、「百年 未来への歴史 序章 瀬戸際の時代」と題し、ジョンズ・ポプキンス大学のハル・ブランズ教授遠藤乾東京大学教授篠原初枝早稲田大学教授という三人の国際情勢に関する分析や考察を掲載しました。

  ハル・ブランズ教授の考察は、「衰退懸念、攻撃的になる修正主義国家」と題されていましたが、既存の国際秩序に挑戦する修正主義勢力が武力行使をするのは、”将来に自信がある時ではなく、自国の力に限界に達し、衰退し始めていると懸念し始めたときだ”ということで、”中国のこの先10年間の行動を懸念する”というのです。

 そして、こうした状況を乗り切るには『決意』と『自制』の両方が必要で、”『決意』とは、侵略には非常に厳しい制裁を加え、迅速に行動し、台湾侵攻や台湾への海上封鎖は成功しないと習近平氏を説得することだ”というのです。

 私は、 中国が”既存の国際秩序に挑戦する修正主義勢力”で、”武力行使”をする可能性があるのは、”将来に自信がある時ではなく、自国の力に限界に達し、衰退し始めていると懸念し始めたときだ”というのは、現在のアメリカにこそ当てはまることだと思います。

 既存の国際秩序を維持すると、世界中でアメリカ離れがどんどん進み、アメリカの衰退を止めることができないことは、国際情勢を見れば、専門家でなくとも分かることではないかと思います。

 藤乾東京大学教の考察は、「中間層の焦燥 極右になびく穏健保守」と題されていましたが、今の情勢と戦間期の類似点は何ですか”との佐藤武嗣氏の問いに、”一つはロシアのウクライナ侵攻のように、現状変更を求める勢力が武力を使って、実力行使を始めていること”と答えています。

 もし、ロシアのウクライナ侵攻にアメリカが何の関わりもなく、ロシアの領土拡張が目的であったら、遠藤教授の考察が高く評価されるのはわかる気がします。でも、下記の抜粋文にあるような事実を踏まえれば、現状変更必要としている勢力は、むしろアメリカで、アメリカのロシアに対する経済制裁や軍事的圧力をきちんと考慮しない考察は、国際社会を欺瞞するものだと思います。

 篠原初枝早稲田大学教授の考察は、「連盟の教訓 国連は大国の離脱回避を」と題されていましたが、

ロシアによるウクライナ侵攻が始まった時、私はすぐに満州事変(1931年)を思い浮かべた。国際秩序に責任を持つ大国が武力行使によって国境線を変えようとした”とありました。やはり、下記の抜粋文にあるような事実やロシアに対するアメリカの圧力を考慮されていないように思いました。ロシアのウクライナ侵攻は、満州事変と同一視できるような単なる領土の拡張が目的ではないと思います。事実に基づかない考察は、意味がなく、読者を欺瞞するものだと思いました。

 大事なのは事実だと思います。でも、現実は、多くの学者や研究者が、西側諸国の主要メディアの報道に基づき、虚偽をベースとする「作り話」をもとにして、国際情勢を語っているように思うのです。そして、主要メディアは、そうした学者や研究者の主張ばかりを取り上げているように思うのです。

 

 下記は、前回に続いて「ウクライナ動乱 ソ連解体から露ウ戦争まで」松里公孝(ちくま新書1739)から抜萃したものですが、ユーロマイダン革命が、ヤヌコビッチ政権転覆の謀略だったと受け止めざるを得ない事実の数々を見逃すことができません。こうした事実に対する上記学者の意見を聞いてみたいものだと思います。

 例えば、

”虐殺の翌日、最高会議は恩赦法を採択した。この法は、革命参加者の刑事捜査を禁止し、それまでの捜査で得られた個人情報を破棄する事を命じた。”

 とありますが、なぜですか、と。

 また、

ユーロマイダン政権は、多くの犠牲者を出した研究所通りの街路樹を伐採させ、幼木に植替えた。

 とありますが、なぜですか、と。不都合な証拠を消すためではないのですかと。

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                第二章 ユーロマイダン革命とその後

   3 ユーロマイダン革命

 218日「平和攻勢」

 ユーロマイダン革命が始まると、マイダン派は「2004年憲法への回帰」を唐突に政府への要求に含めた。218日、議会内野党が2004年憲法への回帰を最高会議で提案する予定だった。これを支援するために、マイダン派は最高会議「平和攻勢」と称するデモを行った。この日だけで、デモ隊と警察隊双方に合わせて20名以上の死者が出たとされる。マイダン派も銃器を用い、警察官五名が射殺された。そのうち三名がクリミアから派遣された警察官だったことが、クリミアの政情に大きく影響することになる。

 翌19日は、労働組合会館が火災に見舞われたことを除けば、マイダン周辺で大きな事件はなかった。しかし、リヴィウ州などでマイダン派が州行政府、特務機関、警察署などを襲撃、多数の武器を入手したこの事件が、翌日、警察隊が小銃を支給されて使用を許可される原因になった。



220日、スナイパー虐殺_

 220日、朝9時頃から、マイダン派約3000人が隊列を組み、研究所通りに向けて警察隊を押し戻した。ここで警察隊がマイダン派を銃撃し、多数の死者が出たとされる。まさにこの銃撃が、ヤヌコビッチ政権を崩壊させ、ユーロマイダン政権を生んだのである。

 マイダン派の犠牲は何人であったか。当初、77人と発表されたが、やがて約百人へと上方修正された。ゼレンスキー政権の成立後、ヤヌコビッチ政権において法務大臣だったエレナ・ルカシュは、マイダン政権が革命犠牲者の数を多く見せるために、衝突とは関係ない同時期の事故死者や病死者を加算したことを指摘した。ゼレンスキー政権も再調査の結果として、220日の犠牲者を47名と発表した(2023年)。

 ルカシュの証言後、野党系テレビ局が、水増し犠牲者の一人とされた女性の出身村を取材した。革命英雄ということで、国から手厚い死後手当をもらっているため、親は、娘の死因は220日の事件ではなかったとは認めない。手当で家を改修したため、村民からは白い目で見られている。

 撃ったのは誰だったのか。これには二説があり、①警察隊の銃撃によりデモ隊から死者・負傷者が出たという説、②ウクライナ・ホテルなどマイダン側が管理していた建物から、第三者部隊が、デモ参加者、警官を無差別に撃ったという説がある。

 ①は、当然ながら、革命後のウクライナの政府、検察、司法の説である(ただし、検察は当初は第三者部隊の介入を認めていた)。②は、イワン・カチャノフスキ・オタワ大学教授が2014年以来一貫して主張している説である。

 ②が正しいとすると、ユーロマイダン革命中最大の悲劇・英雄劇とされているものは、実はマイダン側の自作自演だったということになる。ユーロマイダン革命に好意を持つ研究者はカチャノフスキの研究を批判するよりも黙殺している。前出の左派系のイシチェンコは肯定的な評価である。カチャノフスキの研究に対する優れた学術的論標として、アルバータ大学のデデイヴィド・マーブルスの文章を参照されたい(https://euromaidanpress.com/2014/10/23/the-snipers-massacre-in-kyiv-katchanovski-marples/)。虐殺の翌日、最高会議は恩赦法を採択した。この法は、革命参加者の刑事捜査を禁止し、それまでの捜査で得られた個人情報を破棄する事を命じた。のち、野党は、衝突の片方だけを恩赦するのは不当ではないか、恩赦するのであれば、警察官も恩赦すべきではないかと批判した。

 カチャノフスキによれば、この恩赦法に基づいて、事件当初はインターネット上に溢れていた事件現場のビデオ映像が消去され、弾道分析に有益な、弾を受けた盾やヘルメット、犠牲者の司法解剖結果の一部などが破棄された。そもそも弾丸が保存されていれば、警察隊が使用を許可されていたカラシニコフ小銃の弾かどうかはすぐにわかり、また線条痕を調べれば誰が撃ったかもわかるはずである。



 ユーロマイダン政権は、多くの犠牲者を出した研究所通りの街路樹を伐採させ、幼木に植え替えた。20198月、私は研究所通りで、2014年の伐採を免れた老木(五本に一本くらいである)をつぶさに観察したが、弾痕を見つけることができなかった。弾を受けた木だけを選んで伐採したと推察するのは行きすぎだろうか。

 実際、弾道分析は重要である。デモ参加者が研究所通りにバリケードを築いていた警察隊から撃たれたのであれば、弾は正面から地面に平行に体に入るはずである。ウクライナ・ホテルなどマイダン側が管理していた建物から狙撃されたのなら、背面または側面、しかも斜め上から体に入るはずである。カチャノフスキは後者の例が支配的と主張する。これは、幸いにして消去を免れたユーチューブ上の事件映像と合致している。そもそも被害者たちはウクライナ・ホテルをさして「あそこから撃っている」と叫んでいたのである。

 2017年、スナイパー虐殺の実行者を自認するグルジアの元軍人、特務機関員がイタリアのインターネットメディアに出演して証言した。そのビデオはいま(20234月)でもユーチューブ上で見ることができる(https://www.youtube.com/watch?v=wRINF16TBHO)。内容のセンシティブさに鑑みて、機械的に要約すれば次の通り

 ①自分たちは2003年薔薇革命に参加した。統一国民運動(サーカシヴィリ党)のオフィスに約25人の元軍人・特務機関員が呼ばれ、マムカ・マムラシヴィリ(サーカシヴィリ政権下の国防大臣顧問、のちグルジア人部隊の司令官としてドンバス戦争に参戦)から、ウクライナで薔薇革命と同じことが起こっているから、助けに行かなければならないと説得された。

 ②偽造パスポートを使って入国した。ウクライナ側の指導者はセルヒーパシンスキー(オレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行下で大統領府長官、そののち最高会議員)だった。指揮者の中には元アメリカ軍人もいた。実行者の中にはリトアニア人もいた。

 ③最初、自分たちの任務は、警察隊を撃って彼らがデモ隊を撃つよう仕向けることだと思っていたが、ウクライナ・ホテルの現場では、カオスを起こすために誰でも無差別に撃てと命じられた。

 ④報酬は前金が1000ドル、実行後に5000ドルであった。

 言うまでもないことだが、こうした暴露情報はすぐに信じてはならない。むしろウクライナ政府に近いメディアがどう反論したかが重要である。しかし、管見では反論は「証言者たちの身分証明書の英語のスペルに間違いがある」、「サーカシヴィリ政権は2013から14年にはすでに倒れていたのに、命令などできるはずがない」「番組製作者は親露的な人物である」といった優れないものであった。

 虐殺から間もなく、当時のエストニア外相とEU外務上級代表の電話会話がリークされた。エストニア外相は、デモ隊の犠牲者と警官の犠牲者から摘出された弾丸が同一であると検視官から聞いた。だから新政権は調査を真面目にしないのではないか、やったのはヤヌコビッチではなくて、いま新政権を構成している人々ではないかと話したのである。

 

 もし220日虐殺が自作自演であるとすれば、それは革命参加者にとって最大の屈辱であるから、220日虐殺の疑惑徹底究明というのは、当時は(真面目な)革命参加者の要求であった。ロイターが報道したように、犠牲者の遺族の中には、警官を冤罪で罰してもも犠牲者浮かばれないので、真犯人を捕まえて欲しいという声もあった。

 もし、220日虐殺が革命側の自作自演だったと証明されていれば、マイダン政権がその後存続できたどうか疑問である。なぜ真相解明の声が国の内外で下火になったかというと、ロシアがクリミアを併合したせいだと思う。「ウクライナの政権の言い分を疑うことは、プーチンの擁護である」という、今日まで続くマスコミや知識人の自主規制が始まったのである。

 2019年の大統領選挙において、ユーロマイダン革命に付随する諸事件の見直しは、ゼレンスキー候補の政策の一部であった。前述の、ルカシェンコ元法相の暴露にも示されるように、ゼレンスキー政権発足当初には、マイダン革命を見直そうとする清新な雰囲気があった。たとえば、2014218日の地域党オフィスにおける職員殺人事件の捜査が始まった。

 しかし、このような新しい流れは、ゼレンスキー政権がポロシェンコ踏襲に立場を変えるにつれ、立ち消えてしまったのである。

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ユーロマイダン革命

2024年09月24日 | 国際・政治

 現在アメリカでは、トランプ氏とハリス氏が大統領選挙で競っており、その支持率は拮抗しているといいます。でも、日本の主要メディアの報道は、ほぼ同じで、トランプ氏を支持する報道はほとんどありません。アメリカのメディアには、FOXニュースやブライトバートのようなトランプ寄りのメディアも存在するようですが、日本では、なぜか、みな同じで対立がないのです。

 トランプ氏は、バイデン政権のウクライナに対する巨額支援を批判し、”自分であれば戦争を24時間以内に終わらせる”と断言しているのに、日本のメディアはみなトランプ氏に対し批判的であり、否定的です。私は、戦争を終わらせることを本気で考えれば、トランプ氏を支持するメディアがあってしかるべきだと思います。停戦すべきだと主張しているロシアと関わりの深い鈴木宗男氏も、主要メディアはほとんど相手にしません。おかしいと思います。

 

 先日(918日)朝日新聞の「時事小言」の欄に、「討論会 自滅したトランプ氏前大統領 人種偏見 これが実像」と題する順天堂大学特任教授(国際政治)藤原帰一氏の記事が掲載されました。その結びに

米大統領選は、追い詰められたと思い込んだ白人と男性を代弁するトランプと、人種民族性別の差異を問わない連帯を訴えるハリスとの間の選択であり、他者の排除による政治と、自己と他者を含む市民社会の選択である。トランプの「正常化」に与してはならない。

 とありました。他国の大統領選に関し、ここまではっきりハリス支持の立場を明らかにして、日本の読者に訴えるのはなぜでしょうか。停戦することなくロシアを軍事的に潰すことは、”他者の排除”ではないのでしょうか。

 

 だから私は、プーチン大統領を、ウクライナ侵略を命令した悪魔のような独裁者として、よってたかって、プーチン政権を転覆しようとするウクライナ戦争には、必ずいろいろな欺瞞があると思うのです。

 今回は、「ウクライナ動乱 ソ連解体から露ウ戦争まで」松里公孝(ちくま新書1739)から「第二章 ユーロマイダン革命とその後」の「3 ユーロマイダン革命」の一部を抜萃しました。

 一つか二つの事実であれば、バイアスによる思い込みであると言われても仕方がないと思いますが、私は、数々の事実が、ユーロマイダン革命が、ヤヌコビッチ政権転覆の謀略の結果であり、また、2014年のユーロマイダン革命当初からすでに、アメリカが関わるプーチン政権転覆の意図を持った作戦であったことを物語っていると思うのです。

 例えば、下記のような記述が、あります。見逃すことのできない記述だと思います。

ここまでならウクライナ政治の日常風景である。政府のEU政策の変更に抗議することだけが目的だったら、厳寒の中でどれだけの人が座り込みを続けただろうか。

奇妙なことに、朝4時に始まった作戦なのに、インテル(フィルタシュ)、ウクライナ24(アフメトフ)、「1+1」(コロモイスキー)などオリガーク系のテレビ局のクルーが待ち構えており、警察の暴行や流血沙汰を全国放送した。大統領府か内務省から誰かが情報を流したのであろう。オリガークたちは、ユーロマイダン運動を応援することで、ヤヌコヴィチ政権を追い詰めるか打倒しようとしたのである

なお服部は、この方針転換は、アメリカ大使が富豪のアフメトフを通じて政権に圧力をかけた結果だったという説を紹介する。

 

 特に、「アフメトフ」という人物が、”SCM持株会社の創設者兼社長で(その配下にアゾフスタリ製鉄所も所有するメトインヴェストがある)、ウクライナで最も裕福な男の1人にランクされている(Wikipedia )”ということであり、また、ロシアに狙い撃ちされるような軍のための機器を生産している会社を所有しているということなので、見逃せないのです。


 そして、アメリカを中心とする西側諸国が、ヤヌコビッチ政権を転覆し、ウクライナを西側諸国と一体化させることによって、ロシアのプーチン政権をも転覆しようと意図したと考えざるを得ないことが、ほかにもいろいろあるのです。

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                   第二章 ユーロマイダン革命とその後

   3 ユーロマイダン革命

 EUアソシエイション条約調印の延期

 多くの人が誤解しているが、欧米への経済統合はウクライナの(共産党除く)政治家とオリガークの一致点・基本戦略であり、ここにおいて親欧・親露の対立などない。

 EUとウクライナの接近は、1994年にウクライナが自発的に核兵器を放棄してから始まった。この年、両者の間でパートナー合意が締結された。これをアソシエイション合意に格上げすることが、クチマ ユシチェンコ、ヤヌコヴィチ三代を通じて、ウクライナの基本外交であった。2013年、EUのヴィルニュス・サミットにおいて「深化し包括的な自由貿易協定(DC FTA)」を含むアソシエイション合意が調印される手はずになった。

 しかし、その内容は、①ウクライナの市場開放が性急に求められている。②ウクライナ経済適応のための負担に見合ったEUからの援助が約束されていない。③ウクライナでは石油ガスの国際価格に見合った公共料金を国民が払えないため、国庫から逆ザヤで援助していたが、これが「二重価格」として排除される──など、ウクライナに不利なものになっていた。

 経済的に劣位にある国が優位にある国と自由貿易協定を結ぶ際には、自国の国民経済に大きな打撃を与えないように注意すべきである。特に③を遵守すると、2015年に予定された大統領選挙の前年にヤヌコヴィチ政権は公共料金を大幅に値上げしなければならなくなる(公共料金の大幅値上げは、ポロシェンコ政権下で実際になされた)。

 私のウクライナの知人は、アザロフ首相は役人任せで、調印直前までDCFTAやアソシエイション合意の案文に目を通していなかったのではないかと疑っていた。

 当初、ヤヌコヴィチ政権は、EUとアソシエーション条約を結び、ユーラシア関税同盟にも入るという虫のいい政策を追求していたが、そのようなことになれば、ウクライナを中継点としてEUの製品がロシア、カザフスタン等にほぼ無関税で流入することになる。プーチン政権は飴と鞭を駆使して、ウクライナを翻意させようとした。

 アソシエーション合意への調印延期がその後のウクライナにもたらした災禍に鑑みて、私のウクライナ人の友人は調印だけして履行しなければよかったのに」と言っていた。たしかに、ウクライナがそのように行動したとしても誰も驚かなかっただろうし、革命も戦争も起こらなかっただろう。

 しかし、アザロフ首相は正直に行動した。1121日、EUアソシエーション合意の調印を延期することを発表したのである。

 内政の地政学化の結果として、ウクライナでは貧困、貧富格差などの社会問題を社会問題として解決しようとする政治勢力は弱体化していた。そのかわり、「EUに入れさえすれば経済は繁栄し、国家は効率化し、汚職もなくなる」と固く信じる一定の階層が形成されていた。その人々は独立広場(マイダン)で座り込みを始めた。

 

 1130日未明の暴力

 ここまでならウクライナ政治の日常風景である。政府のEU政策の変更に抗議することだけが目的だったら、厳寒の中でどれだけの人が座り込みを続けただろうか。

 事態を一変させたのは、1130日未明の警察によるピケ参加者への暴行であった。午前4時、警察隊はピケ参加者に、新年のクリスマスツリーを広場に立てるため退去することを要求した。これに従った者もいたが、数百名が拒否した。警察は実力で排除し、79人の負傷者を出した(うち7人は警官)。約30名の運動参加者が拘束された。

 奇妙なことに、朝4時に始まった作戦なのに、インテル(フィルタシュ)、ウクライナ24(アフメトフ)、「1+1」(コロモイスキー)などオリガーク系のテレビ局のクルーが待ち構えており、警察の暴行や流血沙汰を全国放送した。大統領府か内務省から誰かが情報を流したのであろう。オリガークたちは、ユーロマイダン運動を応援することで、ヤヌコヴィチ政権を追い詰めるか打倒しようとしたのである。

 なお、フィルタシュ盟友であるリョヴォチキンは「警察の暴行に抗議して」、大統領府長官を辞任した。

 ウクライナでは、独立後四半世紀、政治的対立があっても非暴力で解決してきた。それに慣れた市民にとって、1130日の事件はショックであった。EU云々は吹っ飛び、弾圧抗議、不当逮捕者釈放、責任者処罰がスローガンとなり、いわば抗議が自己目的化した。親欧運動だった頃はキエフとリヴィウでしか盛り上がっていなかったのに、「学生を流血するまで殴った」ことへの抗議に変わると同時に、ウクライナ全土、社会各層に火がついた。

 しかし、運動の広がりに反比例するように、121日には、「右翼セクター」などがキエフ市庁舎を占拠した。祖国党、「自由」など議会内右派もこれに合流してマイダン脇の労働組合会館を占拠した。

 この後、議会内野党三党の党首──ヤツェニュク(祖国党)、クリチコ(改革民主連合)、チャフヌィボク(「自由」)が、政権と街頭運動体の間を結ぶパイプになる。しかし、彼らには、次第に暴力性を増す街頭運動体を指導・統制する力はなかった。

 この後、2014218日─20日にピークを迎えるエスカレーションの経過は本書では割愛する。その特徴だけ列挙すると次の通り。

 ①ヤヌコヴィチ大統領は「抗議者の暴力はよくないが、警察の暴力にも反対」などとたびたび発言して、まるで第三者のような態度であった。暴力を放置して自然鎮静を待つにしても、天安門事件の鄧小平、10月事件(議会砲撃)時のエリツィンのように暴力的に鎮圧するにしても、国家指導者なのだから責任を負うべきではなかったか。

 ②警察幹部は、大統領の意図を測りかね、また強く鎮圧すると自分が解任されるため、次第に暴徒化する抗議行動に対し、中途半端な対応であった。

 ③どっちつかずは警察に限らなかった。例えば最高会議は2014116日に一連の弾圧法を採択したが、抗議を受けると、131日には大統領が撤回した。運動参加者は、「決然と行動すれば目標は達成できる」と再度感じただろう。なお服部は、この方針転換は、アメリカ大使が富豪のアフメトフを通じて政権に圧力をかけた結果だったという説を紹介する。

④警察隊が「ぶたれっ子」(日本語比喩では「サンドバッグ」と化す反面では、特務機関が著名活動家を誘拐してリンチにかけるなど、陰湿な弾圧が続いた。抗議者はヤヌコヴィチ指導下の国家を私的なギャングのように感じただろう。

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G7諸国にイランを非難する資格があるか?

2024年09月20日 | 国際・政治

  先日、朝日新聞は、”G7外相、イランを非難 「ロシアにミサイル提供」”と題する下記のような記事を掲載しました。

日本など主要7カ国(G7)の外相は14日、イランがウクライナに侵攻中のロシアに弾道ミサイルを提供したとして、「可能な限り最も強い言葉で非難する」との共同声明を発表した。イランに対し、ロシアのウクライナ侵攻への支援を「即時に停止」するよう求めている。一方、イランは提供を否定している。

 いつものことですが、この記事もロシアは「悪」ということを前提にしていると思います。

 G7諸国が、ウクライナに戦車、ミサイル、ドローン、戦闘機などを提供しておきながら、イランのロシアに対する武器の提供を非難するのは、ロシアが「悪」ということを前提しなければ、成り立たない話だからです。

 でもウクライナ戦争の現実は、ロシアが「悪」で、ウクライナが「善」というような単純な戦争でないことは、くり返しとり上げてきました。

ウクライナ戦争が、長い年月を費やして周到に準備されたアメリカの戦争であることは、プーチン大統領の2014年2月19日の演説でわかると思います。

 

 また、この記事は、”イランは提供を否定している”とイラン側の主張も報じてはいますが、その真偽を確かめることなく、イランを非難する国々に同調するかたちで書かれていることも見逃すことができません。

 イランの主張が事実であることが判明したときには、”イラン側の主張も取り上げた”、と言い逃れるつもりかも知れませんが、その言い逃れは通用しないと思います。

 別のところで、”ヒシャブ着用 監視ハイテク化 イラン22歳女性急死から2”と、イランもロシアと同じ「悪」の仲間とするような記事を掲載しているからです。

 こうした、反米の国の扱いは平和的ではなく、国際社会の対立を深め、戦争をもたらすものだと思います。

 

 アメリカの海軍は18日に、「中国の習近平国家主席は2027年まで戦争への備えを軍に指示している」として、それに備えた「新作戦指針」を公開したと言います。

 こちらも、根拠不明の”習近平国家主席の軍に対する指示”に基づく戦争の準備です。

 それは、世界中から利益を吸い上げ、吸い上げた利益によって圧倒的な経済力と軍事力を保持し、その経済力と軍事力を利用して国際社会を動かしてきたアメリカが、ロシアや中国の影響力の拡大で、苦境に陥っているあらわれだろうと思います。

 ウクライナ戦争や心配される「台湾有事」さらには、「南シナ海における軍事衝突」は、その苦境を脱するためのアメリカの戦いなのだと思います。

 だから、「対中包囲網」の構築や「新作戦指針」によって、平和が維持されるということはないのだと思います。

 『「イスラーム国」の脅威とイラク』吉岡明子・山内大編(岩波書店)には、下記のような記述があります。 

イラク戦争がイラクの政治にどのような影響を与え、その戦後の政治運営の失敗が「イスラーム国」の出現、進撃を許したかについては、本書第一~三章で詳細に触れられている。また「イスラーム国」の前身組織がイラク戦争後の米軍の駐留に反発して成立したことは上でも述べた。その意味で、「イスラーム国」はまさしく、イラク戦争の落とし子である。”

 当時のブッシュ大統領の主張に反し、イラク戦争が、中東や国際社会に平和をもたらさなかったことを忘れてはならないと思います。世界を震撼させた「イスラーム国」は、イラク戦争の結果生まれたのです。

 G7を率いるアメリカの武力行使は、いつも、反米的な国の政権を転覆し、覇権の維持や利益の拡大を目的するものであって、平和をもたらしたり、真に民主的な国が生まれたリしたことはないと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

            序「イスラーム国」はイラク戦争とシリア内戦で生まれた

                                                  酒井啓子

    一 「イスラーム国」登場

「イスラーム国」の異質性

 ではなぜ「イスラーム国」はここまで世界を揺るがせる存在になったのか。世界が「イスラームtお国」を前に戸惑う原因のひとつには、「イスラーム国」が従来の武闘派イスラーム主義勢力と様々な点で異質であり、これをどう捉えていいのか、国際社会が困惑していることがある。

 過去の武装組織との相違点として、まず指摘できるのが、「国」を名乗りながらも「イスラーム国」の徹底した非国家性である。アフガニスタンに拠点をおいていた時期のアルカイーダは、ターリバーン政権という、すでに存在する国家主体担う政権母体と寄り添うことで、活動の自由を確保していた。しかし、「イスラーム国」は、その前身組織を含めて、一貫して既存の国家主体に依存しない、非国家主体としての活動を貫いてきた。シリア内戦に乗じて湾岸諸国から流入するシリア反体制派に対する支援金など、外部からの資金に依存する側面はあるが、特定の国家主体の指導を仰いだり、庇護を求めたりすることはない。この点でブッシュ前アメリカ政権が展開してきた「テロリストかくまう国はテロリスト」という「対テロ戦争」の論理は通用しない。テロリストをかくまう国に圧力をかける、あるいは地元政権と協力すればテロリストを放逐できる、と考える「対テロ戦争」の手法は、少なくともシリアでの「イスラーム国」相手には当てはめられない。

 第二に指摘できるのが「イスラーム国」が敵とする対象の違いである。彼らが真っ先に攻撃対象にするのはアメリカそのものではなく、シーア派のような(彼らから見た)「不信仰者」やヤズィード派などの「異教徒」である。アルカイーダはアメリカという「遠くの敵」を攻撃対象とした。「遠くの敵」を本国まで追いかけて起こした最大の出来事が、911アメリカ同時多発テロ事件だろう。だが、「イスラーム国」は制圧した地域の中に存在する内なる敵を攻撃排除することにもっぱらの関心を寄せている。上記にあげたような英米人人質の処刑など、欧米諸国への対抗姿勢を全面に打ち出されたのは、アメリカ政府などが「イスラーム国」に対する空爆を決定して以降、それの反撃手段としてのことだ。

 イスラエルに対する攻撃姿勢を示さないのも、アラブ、イスラームの武装組織としては珍しい。ビン・ラディーンですら、パレスチナ問題に関してイスラエルの非道な行動を糾弾し、そのイスラエルを支援するアメリカ、という位置づけでアメリカを「敵」としていた。パレスチナ問題に無関心のように見える点が従来からすれば異質である。

 そして最後に指摘できるのが、その扱う財力の大きさだ。国家主体の支援を受けない非国家主体である以上、その組織や制圧地域を運営していく資金はさほど持ち得ないと考えられがち

である。だが、シリアとイラクという豊かな土地を制圧することで、石油資源や制圧した都市の財源を接収することができた。石油資源との関連については第四章で詳しく述べるが、すでに「イスラーム国」はその支出の半分以上は、石油の闇輸出や誘拐金、接収財産などによって、自前でまかなうことができているといわれる。こうした資金力が「イスラーム国」を、そのほかの地域でみられるような地方の一ゲリラ組織にとどまらず、既存の国家領域を超えるまでの存在にしているのである。



 「イスラム国」に身を寄せる多様な人々

 「イスラム国」に欧米諸国を含む海外からの参加者が多いことも、異様さを放っている。報道されたさまざまな例を見る限りは、チェチェンなど自国で反政府闘争に加わっていのた者もいれば、シリア内戦のニュースを見てシリア軍の非道な行動に憤慨し、加わった者もいる。中東地域に住む者であれ、欧米に住む者であれ、自らが置かれた現状に満足できず、将来の展望を夢見ることのできない環境に置かれた若者たちにとってみれば、「残虐非道なシリアの独裁政権」との戦いに自らの命を捧げることは、唯一「死に甲斐」のあることなのかもしれない。

 シリアに流れこんだ外国人戦闘員が最も多いのはチェニジア(前述のソウファン・グループによれば約3000人)だが、そのチュニジア人のなかには「イスラーム国」では給与も妻帯もできるから、という経済的な理由を挙げた者もいる(20141021日付け『ニューヨーク・タイムズ』紙による)。「イスラム国」を、腐敗した政権への抵抗運動と見て加わろうとする者もいれば、イスラームの理想像の具現化として憧れて来る者もいる。経済的な理由で参加する者もいれば、ただ、現状に対する不満からくる破壊衝動を発揮するために来る者もいるというわけだ。

 「イスラーム国」が掲げる「カリフ国」という理念が一部のイスラーム教徒の心を動かすことは、事実だろう。カリフ制については、第六章で詳しく説明されるが、古くは1920年、西欧列強の支配からの独立を目指した英領インドのヒラーファト運動の指導者アーザードが、『カリフ問題』という著書を残している。また、同じ時期、イギリス、フランスの帝国主義的進出にさらされて祖国再生の必要性を実感していたアラブ地域の知識人の間でも、カリフ制をどう立て直すべきか、という議論が展開されていた。しかしその一方で、現実には最後の「カリフ制」国家であったオスマン帝国は解体され、1924年、「カリフ制」は廃止されてしまったのである。以降、多くのイスラーム思想家が、廃止されたカリフ制をどうとらえるべきか、再興すべきなのか、だとすればどのようなものであるべきか、さまざまな議論を交わして来た。

 だからといって、カリフ制再興のための具体的な実現方法について、近年イスラーム知識界のなかで議論が進んだわけではない。むしろ、既存の宗教界やイスラーム法学者からの反応を見る限りでは、「イスラーム国」のカリフ制宣言を全面的に礼賛する声はあまり聞かない。とはいえ、一般民衆レベルで「カリフ制復興」に夢を駆り立てられる者は、少なくない。建国以来、西欧型の近代国家建設に邁進してきた結果、はたして自分たちの社会は繁栄と成功を手にできたのだろうか? 西欧にならった近代化の結果が独裁や弾圧や貧富格差の拡大であれば、自分たちに合った別の道を目指した方がいいのではないか? それこそがカリフ制ではないのか──

 「イスラーム国」は、国際社会に残虐で非人道的な顔を見せると同時に、一部の人々に対しては彼らの多様な「ニーズ」に応えるかのような顔を見せている。



         二 イラク戦争とシリア内戦の「ツケ」

 

 「イスラーム国」台頭という現象を説明するためには、その内実の分析もさることながら、なぜ台頭を許す環境がこの地域に生まれたのかを見る必要がある。なぜならば、シリアとイラクで「イスラーム国」の活動を促すような要因がなければ「イスラーム国」は一介の反政府武装組織の域を超えることはなかっただろうからである。結論から言えば、澱のように溜まったイラク戦争とシリア内戦のツケが、「イスラーム国」拡大の栄養分になったということだ。本書が主として、イラクにおける政治経済的情勢を分析することに焦点を絞ったのは、そのような理由がある。



イラク戦争が生んだ「反シーア」意識

 イラク戦争がイラクの政治にどのような影響を与え、その戦後の政治運営の失敗が「イスラーム国」の出現、進撃を許したかについては、本書第一~三章で詳細に触れられている。また「イスラーム国」の前身組織がイラク戦争後の米軍の駐留に反発して成立したことは上でも述べた。その意味で、「イスラム国」はまさしく、イラク戦争の落とし子である。

 だがイラク戦争が残した遺恨は、イラク国内のみにとどまらなかった。イラク戦争は、湾岸地域を中心に中東全域のパワーバランスを大きく変質させた。その最大の変化が、宗派対立軸の浮上である。イラクの人口の半数以上がイスラーム教のシーア派で占められていることはよく知られているが、イラク戦争によってフセイン政権が打倒され、自由で民主的な選挙が実施されて初めて、イラクでシーア派のイスラーム主義政党が政権与党となった。重要なのは、単にシーア派という出自ではない。この時政権をとった政党が、思想的にイランのイスラーム体制と類似したイスラーム主義を掲げる政党だったことだ。そのことに、周辺アラブ諸国は不安を隠せなかった。

 戦後のイラク政権は、アラブ諸国でシーア派イスラーム主義政党が政権を担う初めての事例となった。「指導者の出自がシーア派」という点だけを見れば、アラウィー派であるシリアのアサド政権という前例がある。しかし、2011年までアサド政権に関してその「シーア派」性が問題にされることがなかったことを考えれば、戦後のイラク政権に投げかけられた懸念は「シーア派」という出自よりも、「イランと類似した政治思想を掲げるイスラーム主義」の政策内容にあった、と言えよう。2004年、そうしたムードを如実に反映して、ヨルダンのアブドゥッラー国王は、イランからイラク、レバノンへとシーア派が勢力を拡大している、と警戒感を表した。

 特に「シーア派勢力拡大」への危機感をあらわにしたのが、サラフィー主義の伝統が強いスンナ派の一部のイスラーム法学者(ウラマー)である。ワッハーブ派を軸とするサウジアラビアでは、イラク戦争後、特に2006年からイラク内戦が始まって以降、一部のウラマーが積極的に宗派対立に関与して、スンナ派擁護の姿勢を見せた(Wehrey 2013)。そのなかには、1980年代末からサウジアラビアで台頭してきたムスリム同胞団系のサフワ運動などがある。

 こうしたスンナ派の、特にサラフィー主義のウラマーの反シーア派的発言に対して、イラクのシーア派イスラーム主義政党は、イラクでの宗派対立を煽っているとして激しく反論した。2006年~7年のイラク内戦では、シーア派住民に「異教徒」「背教徒」などの侮蔑用語を浴びせて、退去を強要するような脅迫状が届く事件が相次いだのである。

 また。2011年、バハレーンのシーア派住民が王制批判を掲げて民衆デモを行ったとき、サウジアラビアを中心としたGCC(湾岸協力会議)合同軍がバハレーン政府の要請を受けて介入したが、このときもイラクのシーア派宗教界は、サウジアラビアの反シーア派姿勢を非難した。同じ年、イラクは戦後初めてのアラブ・サミットの主催を準備しており、関係の冷え切った湾岸諸国も招待して、関係改善をはかっていた。だが、バハレーン情勢をめぐる両者の関係はさらに緊張したものとなり、アラブ・サミットのイラクでの開催は一年延期を余儀なくされたのである。

 従来イラクでは、宗派間の共存は当たり前であった。スンナ派とシーア派の間での通婚は頻繁にあったし、同じ部族でも居住地によって宗派がわかれることもあった。しかしながら、そういったイラクの国内状況などはお構いなしに、国外のスンナ派ウラマーのなかから激しい「反シーア派」論が生まれてくる。それによって、シーア派を不信仰者として排除する「タクフィール主義」が正当化される。その宗派間不信がイラク国内に逆輸入されて、イラクの宗派対立を激化させる──。 イラク戦争後のこのような潮流が、「イスラーム国」の「反シーア派」性に賛同してシーア派との戦いに「参戦」しようと考える、アラブ諸国のスンナ派戦闘員の背中を押しているといえよう。2014721日に大手アラビア語紙『ハヤート』が報じた世論調査によれば、サウジアラビアでは調査回答の9割以上が、「「イスラーム国」はイスラーム法的に合法」と回答したという。

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軍備で平和は守れない

2024年09月16日 | 国際・政治

 先月(827日)、「僕の答え 軍備で平和は守れない」という中学生の投稿が、朝日新聞の声の欄に掲載されました。私は、「平和」について深く考えている中学生だと感心しました。

 でも先日、岡山県・無職男性(73)の、中学生の投稿に対する反論が掲載されました。下記です。

中学生の投稿「僕の答え 軍備で平和は守れない」を拝読しました。自分の考えをしっかり持たれていて感心しました。

 軍備といえば日本では自衛隊、在日米軍になるのだと思いますが、これらをなくせば日本は平和を守れるのでしょうか。ロシアに侵略されたウウライナは、プーチン大統領に軽く見られたのだと思います。NATOに加盟してないし、そう強い軍事力もない。国民の抵抗心も弱いだろうと見られ、「すぐに降伏する」と思われたのではないでしょうか。

 もしウクライナがNATOの一員ならロシアは侵攻したでしょうか。長年中立を標榜していたスウェーデンとフィンランドが、最近NATOに加盟しました。軍事同盟によってロシアの脅威から自国を守ろうとする動きと思います。太平洋戦争の一事例から「軍備で平和を守れない」と結論づけられるほど、国際社会は単純ではないと思います。”

 この男性は、良心的な日本の国民の一人に違いないとは思います。

 しかしながら、戦争に至った経緯や、両国の言い分をしっかり踏まえて判断されているとは思えませんでした。プーチン大統領が相手とするのは、ゼレンスキー政権を支えるアメリカであり、NATO諸国であることは、侵攻前の演説でわかりますが、そういうことはほとんど考慮されていないように思います。

 ウクライナ側の立場に立つ朝日新聞をはじめとする日本の主要メディアの報道を信じ、マイダン革命に対するアメリカの関与、また、マイダン革命以降のウクライナに対するアメリカの軍事支援などは考慮されていないので、”ロシアに侵略されたウウライナは、プーチン大統領に軽く見られたのだと思います。”という判断になったように思います。さらに言えば、ヨーロッパに対する米ロの確執、すなわちノルドストリーム2を巡るロシアに対する経済戦争ともいえるアメリカの対ロ制裁なども、ほとんど考慮されていないのではないかと思います。

 さらに、”長年中立を標榜していたスウェーデンとフィンランドが、最近NATOに加盟”したという事実も、「軍備で平和を守れない」という考え方を否定できるようなことではないと思います。

 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を受けて、テロとのグローバル戦争(Global War on Terrorism)を宣言した当時のブッシュ大統領は、「世界各地の全ての国々は、今、決断しなければならない。アメリカ側につくのか、テロ側につくかのいずれかだ」と各国に決断を迫りました。グローバル戦争では、敵か味方か、はっきりさせるために、中立は認めないということだと思います。

 したがって、ウクライナ戦争についても、アメリカは中立を認めないという姿勢で、NATOに加盟していない国々に働きかけをしたのではないかと思います。スウェーデンやフィンランドは、決断しなければならなかったのではないかと思うのです。

 

 第二次世界大戦後も、戦争をくり返し、現在も、ウクライナやイスラエルに軍事支援をしているアメリカの外交政策や対外政策をしっかり捉えれば、中学生の主張する「軍備で平和は守れない」が正しいことは、明らかだと思います。

 下記の動画で、アメリカのクリントン大統領は、平和を取り戻すためにベイルート爆撃すると語り、ブッシュ大統領は、イラクの国民を解放するために、また、世界の安全を確保するためにイラクを爆撃すると語ってします。 オバマ大統領も、リビアの国民を保護するためにリビアを爆撃すると語っています。なぜ、話し合いでなく「爆撃」なのでしょうか。アメリカは、圧倒的な軍事力を持っているが故に、話し合いで解決することなく、軍事力を行使し、アメリカの都合の良いように解決するということではないでしょうか。

 

 中学生の投稿に反論した男性は、ハマスがイスラエルを軽く見て襲撃したとでも言うのでしょうか。あり得ない話だと思います。

 イスラエルも、圧倒的な軍事力を背景に、パレスチナで入植活動(事実上、領土占領活動)を続け、抵抗するパレスチナ人を痛めつけたり、殺害したりしてきたから、パレスチナの若者を中心に抵抗する組織が生まれ、ジハード(聖戦)の思想が拡大・深化していったのではないでしょうか。


 また、『「イスラーム国」の脅威とイラク』吉岡明子・山内大編(岩波書店)には、下記のような記述があります。

イラク戦争は、アラブ、イスラーム世界のみならず世界各地の「反米」意識を駆り立てていたので、イラクに駐留する米軍を攻撃対象として、シリア、サウジアラビアなどから多くの戦闘員が入り込んだのである。

 こうしてイラクで反米抵抗運動として生まれた「イスラーム国」の前身組織は、しかし、2008年には多くが掃討された。その結果、彼らの多くはイラクを離れ、周辺国に逃げ込んだ。それが再びイラクに舞い戻るまでに「成長」したのは、第五章で見るように、逃げのびた先のシリアで「内戦」が起きたからである。

 イラク戦争がなければ、「イスラーム国」は生まれなかったと言えるのではないでしょうか。イスラエルやアメリカを中心とする西側諸国が、圧倒的な軍事力を背景に、人権侵害や不法行為をくり返したから、抵抗する組織が生れ、残虐な事件が起きたのではないでしょうか。

 ハマスのイスラエル襲撃に関し、 国連のグテーレス事務総長は、中東に関する安保理の会合で、イスラム組織ハマスがイスラエルに対して実施した攻撃について、「ハマスによる攻撃は他と無関係で起こったのではないことを認識することも重要だ。パレスチナの人々は56年にわたり、息の詰まるような占領を受けてきた」と語り、また、「パレスチナの人々が、自分たちの土地が入植によって着実に侵食され、暴力に苦しめられるのを見てきた」とも語りました。

 原因と結果を逆様にしてはいけないと思います。

 だから、「軍備で平和を守れない」と私は思います。

 ユネスコ憲章に「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」とありますが、”人の心の中に平和のとりでを築”くのに、「軍備」は邪魔であると思います。核兵器廃絶を実現し、「軍縮」を進めることが、国際社会の平和のために最も大事な課題だと思います。 

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            序「イスラーム国」はイラク戦争とシリア内戦で生まれた

                                                  酒井啓子

    一 「イスラーム国」登場

 2014610日、イラクで第二とも第三とも言われる北部の古都、モスルが、「イラクとシャームのイスラーム国」と称する武装勢力によって、制圧された。のちに「イスラーム国」と改名してカリフ制を宣言した稀代の存在に、世界が震撼した瞬間であった。

 おりしもイラクでは4月に第3回国会選挙が実施され、当時のヌーリー・マーリキー首相が三選か、と新政府の組閣が待ち望まれているときだった。石油生産量も順調に伸び、日本企業も含めて外国企業のイラク進出に弾みがかかっていた。そのさなかの晴天の霹靂である。

 モスルを制圧した武力勢力は一気に南下、1週間のうちに、北部最大の製油所があるベイジや、2006年に処刑されたフセイン元大統領の生地であるティクリートを支配下におさめ、シーア派の聖地のひとつであるサーマッラーに迫る勢いを見せた。

 その一方で、モスル陥落の一日後には、「イスラーム国」はイラク西部にも進撃を開始した。ヨルダン国境に面した西部のアンバール県では2013年から反政府暴動が再燃、激しい掃討作戦が本格化し、戦闘状態が続いていた。もともと反政府活動が盛んだったファッルージャをはじめとして、国境の町カーイムヤ県庁所在地のラマーディーなどの主要都市を、一週間もたたないうちに手中におさめた。また東部のディヤーラー県でも、6月半ばには激しい戦闘が繰り広げられた。

 「イスラーム国」はさらに首都バグダードへと進撃を続け、イラク全土が「イスラーム国」下に落ちるのも時間の問題かと、世界に危機感が駆けめぐった。モスルの北に位置するモスル・ダムを一時的に「イスラーム国」が占拠したことも、イラク崩壊を予見させるものだった。チグリス川の水量を管理モスル・ダムが決壊すると、イラクの主要都市はいっせいに水没の危機にさらされる。

 イラクは世界で五本の指に入る潤沢な石油埋蔵量を持つ国である。2003年にブッシュ政権下のアメリカが、国の多大な軍事力と経済力を費やしてイラク戦争を敢行し、国の威信をかけて戦後のイラクに「民主的な」国づくりを推進してきた国である。そのイラクが、やすやすと「イスラーム国」に乗っ取られることは、アメリカにとってはあり得ないこと、見たくない結末だった。



 残虐性に集まる人々

 さらに「イスラーム国」は、その残虐性で世界を驚愕させる。進撃直後から、捕まえたイラク治安部隊の兵士を集団で射殺処刑したり、斬首したりする映像を、「イスラム国」が自らインターネットなどで配信し、シーア派住民やイラク政府に対して、あからさまな敵対姿勢を示してきた。しかし、7月後半から「イスラーム国」が制圧地域下に住むキリスト教徒に対して弾圧を開始、多くのキリスト教住民がそれを逃れて難民化したり、世界遺産にも値する古来からある教会が破壊されたりしたことは、欧米メディアによって激しい不快感を持って報じられた。

 国際社会の「イスラーム国」に対する危機感がピークに達したのは、少数宗教であるヤズィード派信者が殲滅の危機に陥ったことであろう。83日、「イスラーム国」はモスル北西部のスィンジャールを包囲したが、その町は、ヤズィード派が多く居住する町であった。キリスト教徒以上に異教徒視された彼らは、「イスラーム国」により殺害されたり、女子は強姦・誘拐され奴隷として売却されたりといった生命の危機にさらされた。包囲中餓死した者も少なくない。こうした状況に対して、米軍は88日、初めてイラク領内で「イスラーム国」への空爆を実行した。

 国際社会の反発、「イスラーム国」に対する軍事行動の必要性が叫ばれるのに並行して、「イスラーム国」はその攻撃の矛先をアメリカ人、イギリス人に向け始めた。8月後半から9月前半にかけては「イスラーム国」に拉致されていたアメリカ人ジャーナリスト2人、イギリス人の人道支援活動家かひとりが斬首され、その映像が公開された。特に処刑シーンでは「イスラーム国」の戦闘員が流暢なイギリス英語を話しながら、刑を執行する姿が映し出され、その頃から「イスラーム国」に参加する欧米出身者の存在が問題視されていった。

 治安・諜報関係を専門とする民間調査機関のソーファン・グループが20176月に発表した報告書によれば、同年3から5月時点でシリアで活動する欧米出身の戦闘員は、ロシアからが最多で800人強、次いでフランス、イギリスがそれぞれ700人強、400人程度だという。ロシアからはチェチェン独立紛争の戦士が多いものと推察できるが、フランス、イギリスからは、移民出身者に限らず新たな改宗者も少なくないと言われる。日本でも、10月半ばに「イスラーム国」への渡航計画していた若者が、「私戦予備および陰謀」の疑いで家宅捜査を受けた。



 「イスラーム国」の起源

 このように、突然姿を現すなり国際社会を恐怖の淵に陥れた「イスラーム国」とは何なのだろうか。シリアやイラクの一部で、反政府勢力の一つとして小規模なゲリラ活動をしていたに過ぎないと見過ごされていた「イスラーム国」が、なぜ、世界を震えあがらせるようなモンスターへと成長してしまったのだろうか。

 「イスラーム国」の前身は、本書六章で詳しく述べられているように、イラク西部で反米・反政府活動を繰り広げてきた、ジハード主義(武力による聖戦)を掲げるイスラーム主義武装組織であった。そもそもイラクでこういった組織が出現した背景には、この地域に住むイラクのスンナ派住民がイラク戦争後、政治中枢から排除され、不利益を被ったことがある。当時イラクの戦後復興を担っていた駐留米軍や、アメリカに任命された亡命イラク人を中心とする政治家たちは、前政権の影響力を根絶やしにするために、前政権を支えていたのはスンナ派社会だと見なして徹底的な掃討作戦を展開した。西部のアンバール県では、こうした措置に抵抗するための反政府組織が次々につくられたが、慣れないゲリラ活動に、外国からの戦闘員に協力を仰いだ。イラク戦争は、アラブ、イスラーム世界のみならず世界各地の「反米」意識を駆り立てていたので、イラクに駐留する米軍を攻撃対象として、シリア、サウジアラビアなどから多くの戦闘員が入り込んだのである。

 こうしてイラクで反米抵抗運動として生まれた「イスラーム国」の前身組織は、しかし、2008年には多くが掃討された。その結果、彼らの多くはイラクを離れ、周辺国に逃げ込んだ。それが再びイラクに舞い戻るまでに「成長」したのは、第五章で見るように、逃げのびた先のシリアで「内戦」が起きたからである。

 2010年末から11年にかけて、多くのアラブ諸国では「アラブの春」と呼ばれた一連の民衆による反政府運動が起きた。最初にチュニジアで、大規模な民衆デモの繰り返しが当時のベン・アリー政権の崩壊をもたらすと、その勢いは瞬く間に他のアラブ諸国にも波及した。エジプトでは20111月末から首都カイロで100万を超える民衆が集まり、ムバーラク大統領退陣を呼びかけた結果、30年間にわたるムバーラク政権は終焉を余儀なくされた。リビア、イエメン、バハレーンなどでも同様の大規模民衆でもが発生し、前者二ヵ国では一応の政権交代が実現した。

 長期独裁政権に終止符を打つ「アラブの春」の勢いはシリアにも及び、20113月、ヨルダンとの国境にあるダラアという町で、反政府デモが発生した。最初は平和裏のデモ行動だったが、シリア軍による容赦ない鎮圧行動や内外のさまざまなな勢力が介入したことによって、シリアでの反政府活動は錯綜し、政府との対決は内戦と化して、シリア全土が混乱に陥った。「イラクとシャームのイスラーム国」が成立したのはこのような環境の下でのことであり、内戦で発生した権力の空白につけ込むような形で、「イスラーム国」は拠点を築いていったのである。

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「日韓関係改善の歩み」と言えるのか

2024年09月13日 | 国際・政治

 先日、朝日新聞は社説に「日韓の首脳外交 改善の歩みを止めるな」と題する下記のような記事を掲載しました。

日韓関係は、岸田首相と尹錫悦大統領の間で大きく改善した。これを首脳同士の個人的な関係に終わらせてはならない。改善の歩みを揺るぎないものに定着、深化させる努力が両国に求められる。

 岸田首相が先週、ソウルを訪問し、尹大統領と会談した。日韓の協力と交流の持続的強化を確認。第三国に滞在する日韓両国民の保護のための相互協力の覚書も結んだ。

 歴史問題などで戦後最悪とも呼ばれるまでに悪化した日韓関係は、一昨年に大統領に就任した尹氏が対日重視を鮮明にし、改善に向け大きく動き出した。岸田首相もそれに呼応し、両氏の対面での首脳会談は計12回に及ぶ

 ・・・

 改善の流れが後戻りしないよう、首脳が交代しても往来を絶やしてはならない。緊密な首脳外交により、双方の国民が関係改善の利益を実感できる合意や発信を積み重ねていく取り組みが必要だ。”

 この、「日韓関係改善」の動きの背景には、後述するようなアメリカの方針転換が背景にあると思います。親日的な尹錫悦氏が大統領になったことと併せて、アメリカの二国間主義から多国間主義への転換が影響していることを見逃してはならないと思うのです。

 

 歴史問題で戦後最悪と呼ばれるまでに悪化した日韓関係が、その歴史問題を不問に付すようなかたちで改善されることは、基本的にはあり得ない話だと思います。

 日本を「反共の砦」にすることを意図したアメリカ(GHQ)の方針転換によって、公職追放を解除された戦争指導層が関わった「日韓条約」は、植民地支配の謝罪や反省を欠き、日韓の間にさまざまな問題を残したと思います。

 徴用工の問題のみならず、いわゆる「従軍慰安婦」の問題も、それぞれの実態調査や当事者に対する聞き取り、日本側の謝罪などがないまま、1965年の日韓請求権協定に、交渉当時の関係者が、かなり強引に「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、……完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」と盛り込み、すべて解決済みの問題にしてしまったと思います。

 でも、被害者の立場に立てば、被害者を代表していない政治家の締結したそうした協定は受け入れ難いものであり、協定締結時には、知られていなかった問題もあるといいます。

 だから、日本の差別的な植民地支配に苦しんだ人たちとの関係改善は、きちんとした個々の問題の反省や謝罪抜きにはあり得ないと思います。日本の35年間にわたる過酷な植民地支配の問題は、日韓請求権協定ですべて解決済みとしたり、”岸田首相と尹錫悦大統領の間で大きく改善”できるというような簡単な問題ではないということです。

 また、歴史の修正を見直すことなく、日韓関係を、”岸田首相と尹錫悦大統領の間で大きく改善”させることによって、南北朝鮮の統一がなくなると同時に、日本と北朝鮮との平和条約の締結もなくなるということを忘れてはならないと思います。

 にもかかわらず、現実には、さまざまな面で新たな日韓関係が構築されているようです。そして、それが、アメリカの方針転換、すなわち 二国間主義から多国間主義への転換に基づいていると思われるのです。

 

 かつて、日本の安全保障は、日米安全保障条約だけでした。しかし、最近、「日米韓」や「日米比」、「日米壕印(QUAD」など多国間の防衛協力体制が次々に構築され、関係強化が進められています。

 それがアメリカの方針転換に基づくものであることは、先日、シンガポールで3日間にわたって開かれた、アジア安全保障会議(シャングリラダイアローグ)」で、オースティン米国防長官が、「インド太平洋地域の新たな結集(The New Convergence in the Indo-Piacifc」と題する講演をおこなった内容でわかります。

 オースティン国防長官は、二国間主義(Hub-and-Spokes Alliance System )から多国間主義(Multilateral Alliance System) への転換の重要性を訴えたのです。

 したがって、最近の自衛隊の防衛力強化や近隣諸国との軍事的協力関係の強化、共同訓練などは、主として中国を敵とするこの多国間主義(Multilateral Alliance Systemの構築なのだと思います。

 さらに、海上保安庁が、太平洋島しょ国との関係を強化し、パラオ幹部候補の「日本留学」を受け入れるなどの対応始めていることも、この多国間主義(Multilateral Alliance System)の構築の一つだと思います。

 でも、こうした多国間主義(Multilateral Alliance System)の構築は、私は、中国との戦争の準備体制の強化であり、平和に役立つものではないと思います。

 また、こうした多国間主義(Multilateral Alliance System)の構築が、関係国の国民の議論に基づくことなく進められていることも、重大な問題だと思います。

 

 アメリカの国防総省は、先日、フィリピン軍の近代化のために5億ドル(約768億円)の軍事援助を行うと明らかにしましたが、そのフィリピンのマルコス大統領が、アジア安全保障会議(シャングリラダイアローグ)で発言した内容も見逃せません。

 マルコス大統領は「南シナ海問題の平和的解決を訴える」と題する基講演を行ったといいますが、講演後『ファイナンシャル・タイムズ』記者から「もし中国海警の放水砲がフィリピンの船員を殺害した場合、それはレッドラインを越えたことになるのか、またいかなる行動によってフィリピンは米国に対し相互防衛条約の適用を求めることになるのか」と問われた際、「当局者か一般市民を問わず、意図的な行為によってフィリピン国民が殺害された場合、それは我々が戦争行為と定義するものに極めて近くなり、その定義に従い我々は対応することになる。同盟国も同じ基準を有するであろう。それはほとんど確実にレッドラインとなるであろう」とかなり踏み込んで発言したと報道されています。

 フィリピンがこうした考え方で、中国との武力衝突に突入場合、関係国がすべてそれに関わることになるのが多国間主義(Multilateral Alliance System)ではないかと思います。

 多国間主義の関係を構築すれば、それぞれの国の立場で動くことが許されなくなるのだと思います。だから私は、多国間主義の関係構築は、アメリカによる軍事的締め付けの強化であるともいえるように思います。

 こうした国の基本姿勢や、国家関係などかかわる重大問題が、合意を前提にして、国民のあずかり知らないところで語られ、進められていることに、もっと注意を払うべきだと思います。各国の主権や外交権に関わる問題だからです。また、メディアがこうした主張に反応しないことも見逃すことができません。

 

 私は、朝・昼・晩の食事時にニュースを見るのですが、どの局も、事件・事故のニュースが多く、事件・事故の専用チャンネルか、と思うことがあります。

 アメリカの戦略で、対中戦争の準備が着々と進められ、逃れることができない体制が構築されつつなるのに、日本の国民が知っておくべきことがほとんど報道されず、日本の未来を、第二次世界大戦後も戦争や武力行使をくり返してきたアメリカに委ねるような現状は、変える必要があると思います。

 今、戦争を必要としているのは、アメリカであり、アメリカによって、戦端を開く準備が進められているように思います。

 

 下記は、オースティン国防長官が、”The New Convergence in the Indo-Pacificと題する講演で語った、二国間主義(Hub-and-Spokes Alliance System )から多国間主義(Multilateral Alliance System)への転換に関する内容の一部です。An official website of the United States Government に講演内容全文があります。

ーーー

'The New Convergence in the Indo-Pacific': Remarks by Secretary of Defense Lloyd J. Austin III at the 2024 Shangri-La Dialogue (As Delivered)  June 1, 2024  As Delivered by Secretary of Defense Lloyd J. Austin III  SINGAPORE

And this new convergence is producing a stronger, more resilient, and more capable network of partnerships. And that is defining a new era of security in the Indo-Pacific. 

You know, in the past, our experts would talk about a "hub-and-spokes" model for Indo-Pacific security. Today we're seeing something quite different. This new convergence is not a single alliance or coalition, but instead something unique to the Indo-Pacific—a set of overlapping and complementary initiatives and institutions, propelled by a shared vision and a shared sense of mutual obligation. 

This new convergence is about coming together, and not splitting apart. It isn't about imposing one country's will; it's about summoning our sense of common purpose. It isn't about bullying or coercion; it's about the free choices of sovereign states. And it's about nations of goodwill uniting around the interests that we share and the values that we cherish. 

そして、この新しいコンバージェンスにより、より強力で、より回復力があり、より有能なパートナーシップのネットワークが生まれています。そして、それがインド太平洋地域における安全保障の新時代を決定づけている。

ご存知のように、過去には、私たちの専門家はインド太平洋の安全保障の「ハブ・アンド・スポーク」モデルについて話していました。今日、私たちは全く異なるものを目の当たりにしています。この新たな収束は、単一の同盟や連合ではなく、インド太平洋地域に固有のものであり、共通のビジョンと共通の義務感によって推進される、重複する補完的な一連のイニシアチブと制度である。

この新しい収束は、バラバラにするのではなく、団結することです。それは一国の意志を押し付けることではありません。それは、私たちの共通の目的意識を呼び起こすことです。いじめや強制ではありません。それは主権国家の自由な選択についてです。そして、それは、私たちが共有する利益と私たちが大切にしている価値観を中心に団結する善意の国々についてです。

さて、この共有ビジョンの中心にあるのは、一連の共通の原則です。米国を含むインド太平洋全域の国々は、主権の尊重と国際法の尊重という不変の信念を中心に収束しつつある。商取引とアイデアの自由な流れ。海と空の自由。そして、開放性、透明性、説明責任。すべての人に平等な尊厳を。そして、紛争の平和的解決は、強制や紛争ではなく、対話を通じて行われることです。そして、いわゆる罰によってではないことは確かです。(機械翻訳)

 

 

 

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習近平政権の権力的締め付けと対中包囲網

2024年09月09日 | 国際・政治

 95日の朝日新聞、オピニオン&フォーラムの欄に、香港元区議、葉錦龍(サム・イップ)氏の 「雨傘運動から10年」と題する寄稿文が掲載されました。 

 下記のように、中国、習近平政権の権力的締め付けの強化について、自らの悲劇的現実と合わせて書き連ねられていました。

 

香港の民主化を求め若者が立ち上がった2014年雨傘運動の始まりから9月で10年となる。香港人の容疑者を中国本土に引き渡せるようにする「逃亡犯条例」改正案に抗議した19年大規模デモの開始からは、5年半だ。自由だった社会がその間、いかにあっという間に変化したかと思う。多くの人の暮しや仕事が犠牲になった”

 デモに参加し、逮捕、拘束され、その過程で負傷もし、民主派の区議となった私もその一人だ

 

そんなさなか、1991日のことだ。警察署近くで横断しようとしたところ、私服警官にいきなり押えられた。公務執行妨害罪などの容疑で36時間拘束された

 

中国政府はさらに反中国的な言動を取り締まる「香港国家安全維持法(国安法)の施行を宣告。20年の立法議会選挙に向けて民主派が行った予備選挙は違法とされた

 

香港の政治状況はますます厳しくなっていった。立法会の選挙制度も変えられ、議員は政府に忠誠を誓わなければならなくなった。「宣誓しなければ逮捕、議員歳費などを返上させられる」といった話も地元メディアで流れた”

 

中国は日本など世界各地に「海外警察」を設け、国外の活動からを監視し、接触しているとれる

 

この夏、東京の街のあちこちで、都知事選などのポスターが掲げられていた。方法はともあれ、候補者たちがそれぞれの考えを持って立候補し、国や町のあり方を自由に訴えるのを見て、この社会がいかに幸せかと感じた。雨傘運動に関わった私たちが最終的に成し遂げたかったのは、まさしく日本の人には当たり前に思える民主政治や自由だ。香港からそれが失われてしまった

 

日本は今、アジアの民主主義のとりでの一つだ。だからこそ、日本が主導権を持って、人権と自由、民主社会を守るために行動をしてほしいと思う

 

 このように、中国がいかに権力主義的な国家であるかということを、あれこれ書き連ねているのですが、葉錦龍の文章の決定的な問題は、そうした中国の政策決定の重要な要素、迫り来るアメリカの対中戦略を全く考慮していないということです。 

 しばらく前には、香港で「学民の女神」などと呼ばれていたという「周庭」氏の記事もくり返し掲載されました。権力主義的な中国の厳しい取り締まりで、自分の国で暮らすことのできない、気の毒な民主派の活動家という印象を読者に与えるような記事だったように思います。

 

 日本を含め西側諸国のメディアは、いつも自らの戦略を隠して、反米的な国の政治や政策を権力主義だ、専制主義だ、独裁だと批判的に論じます。でも民主主義は、少数意見も尊重することによって成り立つものだと思います。少数意見を潰すことは、民主主義ではないと思います。

 先日 「CRIChina Radio International)時評」が、”中国周辺で「対中包囲網」形成、米国の恥ずべき哀れなたくらみ」”と題し、下記のように報じました。

      

米高官による中国および中国周辺への「グループ訪問」がこのほど終了した。シャーマン国務副長官が日本、韓国、モンゴル、中国を訪問し、ブリンケン国務長官がインドを訪れ、オースティン国防長官が東南アジア3カ国を歴訪した。米国の複数の高官は太平洋を渡って中国の家の前で「離間の計」を仕掛け、「インド太平洋戦略」を強引に推し進め、「対中包囲網」を形成しようとしている。そのようなたくらみは誰の目にも明らかだ。

 米国が、中国周辺の大国であるインドと日本だけでなく、相対的に中間的立場をとる東南アジア諸国に対しても、軍事的・政治的資源の投入を増やしていることが分かる。東南アジアの国々は、米国が中国周辺で大々的に勢いや流れを作ろうとしている理由をよく理解しており、それに興味を示していない。

 中国とその周辺国との関係は目下、概ね良好であり、「平和を求め、発展を図る」ことが地域の国々の共通の要望だ。中国は、東南アジア諸国連合(ASEAN)が提唱した世界最大級の貿易協定の一つである、地域的な包括的経済連携(RCEP)協定の批准で先頭に立ち、ASEAN諸国への新型コロナウイルスワクチン提供で最善を尽くし、東南アジア諸国による地域のワクチン生産・分配センターの構築を支持している。「遠くの親戚より近くの他人」ということわざにもあるように、中国は米国よりもはるかに周辺国が何を考えているのか、何を求めているのかをよく理解している。中国と周辺国を仲たがいさせようとする米国のたくらみが奏功することはないだろう。

 米国の政策決定者は、中国の関心事と主張を真剣に検討し、その極めて誤った対中認識と極めて危険な対中政策を変えるべきであり、中国を「仮想敵」にすることを二度としてはならず、協力に言及する裏で対抗するようなことをしてはならず、全世界での「対中包囲網」形成を放棄すべきだ。健全で安定した中米関係は、双方の利益に合致するだけでなく、国際社会の共通の期待でもあることを、知っておく必要がある。(CRI論説員)

 

 同じように、ウクライナ戦争に関しても、アメリカを中心とするNATO諸国の戦略や取り組みはほとんど報じられず、ロシア側の攻撃の問題ばかりが報じられたと思います。だから、プーチン大統領は、「悪魔のような独裁者」として受け止められてきたと思います。

 プーチン大統領がウクライナ領土に軍を進める前に演説した内容は、全く報じられませんでしたが、アメリカを中心とするNATO諸国が、レッドラインを超えて、迫ってきたと語っていたのです。

 だから私は、イラン政府報道官ジャフロミー氏の、「アメリカは善悪を逆さに見せることにおいて先端を走っている」という指摘が、頭から離れないのです。

 

 香港元区議、葉錦龍が、” アジアの民主主義のとりでの一つだ”という日本の岸田首相が、アメリカのバイデン大統領と会談し、帰国するや否や、日本では何の議論もせずに、財務大臣と防衛大臣に、防衛費の大増額を一方的に指示しました。それが、民主主義国アメリカと日本の現実であることも、見逃さないでほしいと思うのです。

 だから、葉錦龍の文章は、現実の一面をとり上げて、日本には選挙制度があり、自由に投票できるから民主的なすばらしい国だ、と決めつけるものであり、まさにアメリカの戦略に則った文章だと思います。

 アメリカが、さまざまな経済制裁や軍事的圧力をかけている現実や、中国包囲を構築し、中国の習近平政権の転覆、弱体化を狙っていることを無視して、 「国安法」や「海外警察」の問題を論じるから、習近平政主席も、プーチン大統領同様「悪魔のような独裁者」となるのだと思います。

 習近平政権の権力的締め付けの強化は、その背景に、アメリカの対中包囲網による締め付けの強化があることを見逃してはならないと思います。

 先日、「ロシアを敵とする戦争で利用される選手」で引用したように、アメリカは、下記のような 、政権転覆を、世界中でくり返してきたのです。

モサッデク政権は、”それまでイラン国内の石油産業を独占的に支配し膨大な利益をあげてきた英国資本のAIOC(アングロ・イラニアン・オイル会社、現:BP)のイラン国内の資産国有化を断行した。イラン国民は熱狂的にモサッデクを支持した。しかし、1953年、アメリカのCIAや英国の情報機関、イラン軍の一部、カーシャーニーなどがシャーを担いクーデターを決行、モサッデクは失脚させられてしまった。

  

 「香港国家安全維持法(国安法)」に関していえば、日本にも「外患誘致罪」が、刑法 第81条で定められていることを忘れてはならないと思います。”外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者は,死刑に処する”とあるのです。

 でも、日本はアメリカの同盟国であり、事実上属国のような国です。だから、政権転覆の心配はなく、取り締まる必要性がないだけの話だと思います。

 反米的な国が 圧倒的な軍事力と経済力、また、それを背景とした組織力や情報操作力を駆使するアメリカの内政干渉、搾取や収奪、政権転覆に対処することは、簡単なことではないのだと思います。

 

 下記は、「全米民主主義基金(NED」に関するアジア記者クラブ(APCの情報ですが、NEDは、民主主義を促進するという口実のもとに、他国の国家権力の転覆を主導し、他国の内政に干渉し、分裂と対立を扇動し、世論を誤解させ、イデオロギーの浸透を行ってきたというのです。

 そのNEDは、2002年に、下部組織の一つである「全米民主国際研究所(NDI」の香港事務所を設立しています。20164月にそのNDIの支援を受けて、「香港衆志」という政党(英語ではDemosistō、日本語では「デモシスト」)が組織されたということですが、そのデモシスト創設者の一人が、周庭(Agnes Chow Ting、アグネス・チョウ)だというのです。

 だから、私は、アメリカを中心とする西側諸国が「民主派」として高く評価する葉錦龍周庭のような活動家は、多くの場合、反米的な政権を転覆する工作員に思えます。

 

 

  

 

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1948年のナクバが霞むようなナクバ?

2024年09月06日 | 国際・政治

 ガザでの戦闘が始まった当初、イスラエル軍は、ハマスに連帯するレバノンのヒズボラに対応するため、北部のパレスチナ人を南部ラファに避難するように指示しました。だから、ガザ地区南部のラファでは、イスラエル軍の指示に従って北部などから避難したおよそ140万人ものパレスチナ人がテント暮しをしていました。でもイスラエル軍は、そのラファにイスラム組織ハマスの「最後の拠点」があるとして、地上作戦の構えを見せました。すぐに、WHOをはじめ、いろいろなところから、懸念の声があがりました。EUのボレル上級代表も、その時、”パレスチナの人々を月にでも避難させるのか”などと、強く非難しました。

 でも、イスラエル軍は、ラファに対する攻撃を思いとどまることはありませんでした。激しい空爆が続き、多くのパレスチナ人がなくなりました。だから、私は計画的だったのではないかと疑います。

 なぜなら、以前にも取り上げましたが、イスラエルの立法府、クネセトの元議員である、モシェ・フェイグリン氏は、中東のメディア、アルジャリーラのインタビューで、この問題の唯一の解決は、ガザの完全な破壊(complete destruction of Gazaであると言っているからです。核兵器なしで、ドレスデンや広島のように破壊すること(Destruction like Dresden and Hiroshima, without a nuclear weapon )だと言っているのです(https://twitter.com/i/status/1717574138200572310)。

 また、ネタニヤフ首相率いるリクード党の国会議員のアリエル・カルナー氏は、ガザ侵攻の背景にあるイスラエルの目的を、”現在の目標はひとつ、ナクバです。1948年のナクバが霞むようなナクバです”と述べているのです。

 また、イスラエルの政治権力のトップの1人が107日の事件は、パレスチナ人全員に集団的責任があると宣言しているといいます。

 

 イスラエルのハマス攻撃の戦端をひらいた責任者であるガラント防衛大臣も「我々が戦っている相手は野蛮人たちであり、相手に合わせた行動を取ります」と述べており、その「相手に合わせた」行動とは、「電気、食料、燃料を断ちます。すべてを遮断します」ということだというのです。戦闘員と民間人を区別しないということではないかと思います。

 過去をふり返れば、いままでもイスラエルの政治家や軍人は、パレスチナ人に対しいろいろな言葉を発してきました。例えば、ゴルダ・メイア首相は、パレスチナ人は「存在しない」と、パレスチナ人のナショナル・アイデンティティを完全否定し、メナヘム・ベギン首相は、パレスチナ人は「2本脚で歩く獣だ」と語っています。さらに、イーライ・ベン・ダハン氏は、パレスチナ人は「動物のようなものだ。彼らは人間ではない」と言い切っています。こうした人種差別的で相手を非人間的に扱う発言が繰り返されてきたのです。

 イスラエルを支援するアメリカ人のなかにも、リンゼー・グラム上院議員のように、米国の保守派と宗教支持者を集めて「我々は宗教戦争の只中にいます。なすべきことをしてください。あの場所を跡形もなく消し去るのです」と言うような政治家が存在するのです。

 そして、それらの言葉が単なる言葉ではなく、イスラエル軍によって現実に実行されているのだと思います。

 だから、「アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図」(講談社現代新書)の著者、 高橋和彦氏が指摘したように、「シオニズムを裏返すとナチズムになる」ということなのだと思います。イスラエルのシオニストはナチストと同じだということです。

 

 国連安保理決議24219671122日採択、抜萃)には、下記のようにあります。

”安全保障理事会は,中東における重大な状況に関して継続的な関心を表明し,戦争によって領土を獲得することは承認しがたいこと,およびこの地域のいかなる国家も安全に存続できるような公正で永続する平和のために取り組む必要性を強調し,国連憲章の原則を達成するためには,中東における公正で永続する平和を確立することが必要であり,それには以下の諸原則が適用されなければならない。・・・

(a) イスラエル軍が最近の戦闘によって占領した諸領域からの撤退

(b) この地域のあらゆる国家の主権,領土の保全と政治的独立性,安全で武力による威嚇や武力行使を受けることなく安全に,かつ承認された国境内で平和に暮らす権利の尊重と承認

(c) 難民問題の正当な解決

(d) 非武装地帯の設定を含む諸手段による,この地域のあらゆる国家の領土の不可侵性と政治的独立の保障

 国連安保理は、何度もこのような決議をくり返してきましたが、イスラエルが応じることはありませんでした。だから、今回のような戦争状態に発展したのだと思います。

 そして、今まさに、”ガザの完全な破壊” が進められており、”ガザを跡形もなく消し去る” ために、”1948年のナクバが霞むようなナクバ” が実行されていると言ってもよいのではないかと思います。

 

パレスチナ合意  背景、そしてこれから」」芝生瑞和(岩波ブックレットNO.322)のなかに、”パレスチナ人に恐怖状態のパニックをおこさせ、逃亡させる方針がとられ”たので、”ユダヤ人武装組織イルグンは村民254人を虐殺した。イルグン軍の指導者はのちの首相ベギンである”とありました。

 しばらく前、エジプトが、ガザのパレスチナ人をシナイに押し出そうとするイスラエルのプランに対し、法的措置を取ると圧力をかけたとTHENEWARABが、下記のように伝えました。イスラエルのガザ地域猛攻撃によって、エジプトに押しよせる200万を超える民間人を受け入れることを、カイロは拒否するというような内容でした。

Egypt threatens legal action against Israel for plan to push Gaza Palestinians to Sinai.

Egyptian Prime Minister Mostafa Madbouly reiterated Cairo's refusal to take in Gaza's more than two million strong civilian population as Israel's onslaught on the territory persists.

 

 また、イスラエル軍は先月28日、ヨルダン川西岸地区に対する大規模作戦を開始し、ジェニン、トゥルカルム、ナブルス、トゥバスなどの都市に同時に侵入、攻撃を拡大しました。だから、同日にジェニンに入ったパレスチナ赤新月社のトップが、イスラエル軍の攻撃が「新たな段階に入ったようだ」述べ、民間人の避難や難民キャンプへの空爆がガザ地区を想起させると、語ったことをBBC NEWS JAPANがつたえています。イスラエル軍はテロを阻止するための対テロ作戦だ主張しているようですが、パレスチナの地から、パレスチナ人を殲滅・排除する方針のあらわれだと思います。

 だから、このヨルダン川西岸地区に対するイスラエル軍の攻撃に対応して、ヨルダンも国境の不安定化につながると、下記のように非難の声をあげたとAl-Monitor が伝えています。日本ではほとんど報道されていませんが、見逃せないことだと思います。 

Jordan sounds alarm over Israeli incursion into West Bank

Israeli military operations in the occupied West Bank have heightened concerns among Jordanian officials of increasing instability on their border.

The Jordanian government expressed on Wednesday its deep concern over the Israeli military campaign in the occupied West Bank, calling it "barbaric aggression."

In a statement posted on X (formerly Twitter) by the Jordanian Ministry of Foreign Affairs and Expatriates, the kingdom condemned Israel's ongoing operations in Jenin, Tulkarem, Tubas, and other northern regions.

At least 16 Palestinians have been killed in Israeli military operations in the West Bank this week, the Associated Press reported.”

 

 また、現在、世界中で停戦やネタニヤフ首相の退陣を要求するデモが行われているのに、日本では、ほとんど報道されません。

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ロシアを敵とする戦争に利用される選手

2024年09月03日 | 国際・政治

 オリンピック選手に続いて、パラリンピック選手も、ロシアに対する憎しみを拡大させ、ウクライナ戦争を勝利に導くための戦意高揚に利用されていると思います。

 国定教科書に記述されたいわゆる「軍国美談」は、政府や軍関係者のみならず、報道機関や一般国民も一緒になって広め、深めた、自分の持ち場で戦う「英雄」の物語だと思います。

 現在、ウクライナのオリンピックやパラリンピックのメダリストが、主に西側諸国の報道によって、クーベルタンの主張した「平和の使者」としてではなく、競技を通してロシアと戦うウクライナの「英雄」として、利用されているように思います。

 下記は、朝日新聞831日夕刊に掲載された記事の全文です。



”「栄冠 ウクライナに届けた」初の金 コマロフ「勝つ 絶対」(競泳)

 表彰台の真ん中で、メダルをかけられほほ笑んだ。「このメダルはウクライナの人たちにとって大切なものだ」。男子100m自由形(運動機能障害S5)で、オレクサンドル・コマロフが今大会のウクライナ勢で初の金メダルに輝いた。

 レースは「肉体的にも精神的にも難しかった」と振り返る。

 筋力の低下につながる筋ジストロフィーの影響で、一度消耗すると回復までに時間がかかる。午前の予選と夕の決勝でペース配分が必要だった。

 さらに決勝では、左隣に個人資格で出場したロシア出身の選手がいた。心中は穏やかでなかった。

 だが、そこは4度目のパラリンピックという経験でカバーした。前半は抑えめで入り、2位で折り返すと、後半勝負に出た。予選よりも349も早い1777で大会新記録を打ち立てた。

 ロシアによるウクライナ侵攻で、大規模な攻撃を受けたマリオポリ出身。実家は空襲を受け、過去のメダルはすべて燃えた。国外に逃れ、ポーランドなどで練習を再開したものの、コーチは不在だった。

 そうした逆境をはねのけての頂点。レース後、報道陣にコメントを求められると、「私たちは勝つ」と言った。それから、スマートフォンで英単語で調べ、こう強調した。

Definitely(絶対に)」                                       (藤野隆明晃)”



 しばらく前には、”「スポーツは必要とされているか」自問経て挑むパリ  競泳 ダニーロ・チュファロウ(ウクライナ)”と題する記事も掲載されました。(キーウ 杉山正)

 チュファロウ選手は、ウクライナ南東部の港湾都市マリウポリで生まれ育ち、パラリンピック競泳で視覚障害クラスの代表だといいます。08年の北京から21年の東京まで、4大会連続の出場を果たし、数々のメダルを手にしてきたということです。そのチュファロウ選手の下記のような言葉を取り上げているのです。

戦争によって、自分が強くなったのかどうかはわからない。ただ、確実に前とは違う。「世界に私たちの強さ、勝つ準備ができていることを見せる」

 チュファロウ選手の言葉も、「平和の使者」の言葉ではないと思います。競泳を通してロシアと戦うウクライナの「英雄」として、利用されているように思うのです。



 各国が覇権を争う帝国主義の時代に、クーベルタンが提唱したオリンピズムは、”スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する”ということで、当時としては画期的なものだったといいます。

 だから、オリンピックは「平和の祭典」といわれ、以来、オリンピック・ムーブメント(Olympic Movement)は、スポーツを通じて、友情、連帯、フェアプレーの精神を培い相互に理解し合うことにより世界の人々が手をつなぎ、世界平和を目指す運動と捉えられてきたのだと思います。

 紀元前の昔に行われていた「古代オリンピック」も、戦争を中断して開催されたといわれていますが、それを復活させたといわれるクーベルタンの近代オリンピックの考え方も、オリンピックによって平和な世界づくりに貢献することだったのだと思います。それは、クーベルタンが、下記のような言葉を残していることでもわかります。



「休戦」という考えもオリンピズムの本質的要素です。だからこそ、その周期は厳格に守られなければなりません。オリンピックは人間の春を祝い、世代の継承にたたえる4年に1度の祭典なのです。

オリンピックを復興し、世界中の若者たちに幸福と友好に満ちた出会いの場を提供しなければならないのです。みなさん、漕手たちを、走者たちを、そして剣士たちを海の向こうに送り出しましょう。彼らは平和の使者になるのです。

ピエール・ド・クーベルタン、L'Athlétisme, son rōle et son histoire. La Revue Athletique. 2e année. no 4 1891

 でも、ロシアを敵とするウクライナのコマロフ選手の「私たちは勝つ、絶対に」という言葉や、チュファロウ選手の「世界に私たちの強さ、勝つ準備ができていることを見せる」” という言葉は、「平和の使者」の言葉ではなく、自分の出場競技で、ロシアと戦う「英雄」の言葉として、取り上げられていると思います。

 だから、私は”「栄冠 ウクライナに届けた」初の金 コマロフ「勝つ 絶対」”の記事も、”「スポーツは必要とされているか」自問経て挑むパリ 競泳 ダニーロ・チュファロウ”の記事も、戦時中の日本の「軍国美談」を想起させるもので、クーベルタンが提唱したオリンピズムの精神に反する記事だと思うのです。

 

 さらに朝日新聞は、同じようなかたちで、アフガニスタンのテコンドー代表、ザキア・フダダティ選手をとり上げています。「いかに女性が強くなれるか 示す」と題するその記事の「」は、もちろん女性抑圧で知られたイスラム主義の「タリバン」です。

 別の日に、「女性たちのため、私は戦い続ける、フダダティ「銅」難民選手初メダル」という記事も、掲載されました。

 でも、米軍は3年前にアフガニスタンから完全撤退しており、現在は、かつて敵とした「タリバン」とは戦争状態にはありません。だから、気になります。

 日々、パレスチナの女性や子どもが殺されているのに、現実的に放置状態にしている西側諸国が、アフガニスタンの女性抑圧問題に、本気で心を寄せ、女性解放に取り組む気があるとは思えません。

 だから、ザキア・フダダティ選手に関する報道はタリバン」を敵とする何らかの武力行使の予兆ではないかと心配しています。

 

 それにしても、かつて大本営発表をそのまま流し続け、国民に真実を伝えなかったことを猛省したはずの朝日新聞が、なぜ、莫大な日本の利益が失われ、日本国民が困窮することがわかっていながら、欧米と歩調を合わせ、ウクライナ戦争に加担する日本政府の立場で報道するのか、と苛立ちを感じます。そして、やはり、日本政府のみならず、日本のメディアをも影響下においた、アメリカの「」を感じるのです。その影の正体は、トランプ氏いうところの「DS」なのかも知れません。



 昨年107日以来、再びイランの対応が注目されていますが、「イラン 世界の火薬庫」(光文社新書303)の著者、宮田律氏は、同書を、現在に通じる次の文章で締めくくっています。

イランは、、近現代においてはロシアやイギリスの帝国主義の侵出を受けて領土を喪失したものの、200年以上にわたって他国を侵略した経験はもっていない。イランの軍事的脅威は、たぶんに政府高官の発言や従来のアメリカ・イラン関係によって生まれた相互不信から発生しているものだ。

 1953年のモサッデク政権打倒クーデターにアメリカが関与したことをイラン人がいまだに指摘するように、アメリカによってイラン攻撃が行われれば、アメリカはイラン人の怨念を長期にわたって引きずってかなければならなくなるだろう。”

 

 このクーデターに関して、Wikipedia には下記のようにあります。

 モサッデク政権は、”それまでイラン国内の石油産業を独占的に支配し膨大な利益をあげてきた英国資本のAIOC(アングロ・イラニアン・オイル会社、現:BP)のイラン国内の資産国有化を断行した。イラン国民は熱狂的にモサッデクを支持した。しかし、1953年、アメリカのCIAや英国の情報機関、イラン軍の一部、カーシャーニーなどがシャーを担いクーデターを決行、モサッデクは失脚させられてしまった。”(注:カーシャーニーとは宗教指導者で、シャーは王と理解してよいかと思います)

 西側諸国は、このような政権転覆や内政干渉をくり返してきたことを見逃してはならないと思います。そして、それは現在も変わらないことを踏まえて、世界情勢を理解する必要があると思います。


















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