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軍人恩給をめぐる攻防
GHQ覚書と「勅令第68号」
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敗戦間もない1945年11月24日、連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP。以下GHQ)は日本政府に対して一通の覚書を出した。「恩恵及び恵与」という。
「(前略)左の各号に該当するすべての人物に対するあらゆる公私の年金その他の給与金、補助金の支払を停止するために必要な措置を講ずること。
A退職金又はこれに類するボーナスや手当を含む軍務に服したることによる支給
金、但し労働能力を制限するような身体的廃疾者[原文のママ]に対する補償金を
除くが、この補償金は非軍事的理由から起きた同程度の身体的廃疾者[同]に
与えられる最低のものより高い率であっては成らぬ
B連合国最高司令官の命令の結果として解散又は停止された協会、団体その他
の会員であり、或いはここに就職したという理由によるもの
C連合国最高司令官の命令の結果、如何なる官職又は地位からでも追われもの
D連合国最高司令官の命令の結果として抑留又は逮捕されたもの拘禁又は逮捕
期間中の支払又はその後有罪判決を受けた場合は永久的(以下略)」(原文の
片仮名を平仮名に直した)
翻訳された原文は分かりにくいが、要するに日本政府に対して軍国主義を支えた「恩典・恵与」をことごとく除去せよ、と命じていたのだった。照準は軍人恩給の廃止である。GHQは日本占領の目的として「民主化」と並んで「非軍事化」を柱にしていたが、「覚書」はその具体的政策の一つで、翌年の1946年2月1日までにその実施を求めていた。GHQ渉外局はこれに続けて翌日、「軍人恩給廃止の件」を発表し、その目的、根拠、実態・評価、代替措置などについて細かい説明を行った。少し長いが一部を省略して紹介する。
まず覚書のねらいについてこう説明した。
「今回の命令は日本の軍国主義が他の国民に負わしめた巨大な負担を軽減する目的への新しい重要な措置である」
それではなぜ軍人恩給の停止が負担の軽減になるのか。
「1945年9月30日までに陸軍の支払った退職手当は総額10億6000万円、海軍のそれは22億4100万円に上っており、その後両者合わせて15億円の退職手当の支払が予定されていた。因みに以上の金額は、現金及び証書の双方を含むものである。軍人恩給の廃止によって復員終了後年額15億円の経費の節減が期待できる」
しかしGHQは、節減した資金を被害国への補償へ回そうとしたわけではない。ついで、軍人恩給の実態について次のようにのべている。
「軍人恩給の最低額は、退役後における俸給の3分の1で、将校は13年、下士官、兵は12年の勤務を経て恩給を受けとる資格を生ずる。然しながら、日本軍人は多くの場合、僅か1年の勤務に対して2、3年また4年勤務したと認められる。在外勤務の1年は国内勤務の4年と計算され、航空機搭乗員は1年を3年に、潜水艦乗務員は1年を2年に計算されていた。
日本側の情報によると、25歳以下の若い軍人で恩給を受けていた者が少なくなかったといわれ、また、民間の教師や官公吏が俸給の2%を恩給の基礎として払込まなければならないのに対し、軍人は僅かに1%を払込むだけでであった。更に、軍人以外の恩給が公の俸給額に基づいているのに対し、軍人の基準は俸給額よりも遙かに高いところにおかれ、例えば陸軍少尉の年給は860円であるのに対し、1400円を基準に計算されていた」
そして、こう結論を下す。
「日本における軍人恩給制度は他の諸国に類をみない程大まかなものであったが、この制度こそは世襲軍人階級の永続を計る一手段であり、その世襲軍人階級は日本の侵略政策の大きな源となったのである」
最後に、社会的な困窮者に対する社会保障の必要性を認めつつ、軍人恩給の特権的性格を批判して廃止の必要性を説いている。
「もっともわれわれは不幸なる人々に対する適当な人道上の援助に反対するものではない。養老年金や各種の社会的保障の必要は大いに認めるが、これらの利益や権利は日本人全部に属するべきであり、一部少数のものであってはならない。現在の惨憺たる窮境をもたらした最大の責任者たる軍国主義者が他の犠牲において極めて特権的な取扱いを受けるが如き制度は廃止されなければならない。われわれは、日本政府がすべての善良なる市民のための公正なる社会保障計画を提示することを心から望むものである」
軍人恩給が、他の社会保障制度に比べて特段の優位にあり、それが軍国主義を支えたという指摘は、極めて重要だった。軍人恩給はたしかに、侵略戦争を「繰り返さない」ためには、戦後政府がどうしてもメスをいれなければならない制度の一つだった。しかも、GHQは最後の部分では、日本政府に対して、軍人恩給に代わる公平な社会保障制度の創設まで示唆していたのである。日本側はさまざまな形でこの覚書の緩和を求め抵抗したが、結局、1946年2月1日付けで軍人恩給の停止・制限を含んだ「恩給法の特例に関する件」という勅令を公布した。これが末広氏の言った「勅令第68号」である。この勅令によって軍人恩給はもちろん、恩給法に基づく戦没者遺族への公務扶助料も廃止された。しかし、ここで記憶されたいのは、軍人恩給は廃止されたが、1923(大正12)年制定の恩給法本体は生き残ったという事実である。このため同法にあった「国籍条項」もそのまま存続し、それが他の援護法にも影響し、今日の戦後補償において国籍による差別をもたらしたのである。同時に恩給法本体の存続は、将来の軍人恩給の復活をにらんでいた。GHQは、軍人恩給の「廃止」を指示していたが、日本側は一時停止で抵抗し、それが奏功したのである。
・・・(以下略)
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