「万宝山事件研究」(第一書房)の著者「朴永錫(パクヨンスウ)」は、同書の中で、満州事変の導火線が万宝山事件である、と言われていることについて、間接的な導火線ではあっても、直接的な導火線とはならなかったと断定している。日本の軍部は、万宝山事件をきっかけに、中国における軍事行動を画策したが、韓中両国の冷静な対応によって、事態が予想以上に速やかに収拾され、事件が拡大発展することがなかったからである。
当初、日本領事館の情報をそのまま号外で発行した朝鮮日報などの言論機関も、その後事件の真相把握を訴え、事態収拾の必要性を繰り返し、諸団体が華僑たちの慰問や保護救済に動いたのである。中国側もそれを受け、「このたびの事件に際して、われわれに懇篤なる慰問と救恤の金品を贈られた朝鮮の諸団体と同胞各位に、一々拝眉謝礼申し上げられないので先ず、東亜日報の紙上を通じて衷心からなる感謝の意を伝達してくれることを切望します。1931年7月29日 朝鮮京城中華商会 代表 宮鶴汀 司徒紹 周慎九 東亜日報座下」なる文章を届けるなど、事態収拾に努めたのである。
「朴永錫(パクヨンスウ)」は、万宝山事件をきっかけとして韓国内で発生した華僑襲撃事件が、拡大発展して中国東北地方における韓国人襲撃事件にいたれば、日本はある意味で、合法的に軍事行動を取り得たのであり、柳条溝事件をでっち上げる必要はなかったというのである。
下記は、事件発生の経緯や事態収拾の動き、それに、当時の、日本国内における事件に関わる講演会の講演内容要旨(下段)の一部抜粋であるが、講演内容要旨は、まさに著者「朴永錫(パクヨンスウ)」の指摘が、正しいことを裏付けるような内容である。
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第3章 万宝山事件による朝鮮の中国人排斥事件
第1節 韓国人の中国人襲撃
万宝山事件がその真相とは異なり、朝鮮に間違って伝えられた経緯は次の如くである。
実際、万宝山事件は従来の中国東北地方に於いて屡々発生した韓中農民間の紛争と同じものであった。人命の被害こそなかったが、同地方への侵略の口実を求めていた日本の関東軍では、この事件を利用して、長春の領事館に指令を下して、多くの韓国農民が被害を受けたものの如く朝鮮に報道させたのである。これに従って日本領事館では、朝鮮日報の当地支局長の金利三に虚偽の情報を流したのである。金利三は日本領事館の情報をそのまま信じて、現地にも行かず、本社に送電してしまった。
当時の朝鮮日報社では、金利三が送電した内容をそのまま号外として発表してしまった訳であるが、その理由は、1930年当地に於いて金佐鎮(民族系列の武装独立運動者)が暗殺された時、金利三の情報が極めて正確、且つ迅速であったので好評を博していたからである。彼に対する信望が厚かったので、その情報をそのまま号外として発行したのである。
それに1925年頃から中国の東北地方では韓国人を日本の帝国主義的侵略の走狗と看做して、韓国人に対する追い出しが益々激しくなると共に、韓中農民間の衝突も屡々であったので、金利三の送電内容を検討する余地もなく号外として発行してしまったのである。
朝鮮日報の万宝山事件に関する号外の見出しは、
「中国官民800余名と、200同胞衝突負傷 駐在中国警官隊との交戦急報により、長春日本駐屯軍 出動準備 三姓堡に風雲漸急」
「対峙した日・中官憲1時間余交戦 中国騎馬隊600名出動 急迫した同胞の安危」
「撤退要求拒絶 機関銃隊増派」
「戦闘準備中」
即ち、中国の東北地方では中国人たちによって韓国農民が、莫大なる被害を蒙っており、相当に危急なる状況が展開されているものの如く報道されると、これを見た国内の韓国人たちは、華僑を迫害した。
かくして、韓国内に於ける華僑の襲撃事件は、7月2日の仁川をはじめとして7月10日までを絶頂に、全国的に拡大したのである。その迫害の内容は中国人の殺害、家屋の破壊、財産の奪取等で、襲撃された中国人たちは本国に帰還するか又は集団的に避難退避するしかなかった。被害が甚だしかった所は仁川とソウル、平壌等の大都市で、その中でも平壌が最も甚だしかった。又地方別に見ると南韓よりも北韓の方が甚だしかった。しかるに、このような現象は、大体に於いて北韓が、中国の東北地方と隣接していて事件を同地方に拡大させるのに有利であったので、日本帝国主義がそのように誘導した為であると言われている。
即ち、韓国で迫害を受けた中国人たちが、帰国して報復するのに、地域的に東北地方が最も有利であったからである。仁川や鎖南浦でも迫害が甚だしかったのは、やはり中国へ帰り易い所であったからと言われている。
又朝鮮総督府に於いては、華僑の襲撃事件を鎮定するよりも、中国人を帰国するように周旋したのである。
日本帝国主義が陰謀した通りに、中国の東北地方に於いて韓国人に対する報復事態が発生するようになった。即ち、奉天の教育会館で平壌から避難した華僑たちが、朝鮮での華僑襲撃事件を訴えて、これに対する報復として在満韓人をそのままにしては置けないと主張したところから、事態は極めて危急を告げることになったのである。この事態に直面した牧師の白水燁と東亜日報記者の徐範錫は、中国人の有志である遼寧国民外交協会主席の譚王伙、閻宝衡、蘇上達、王化一等を訪問して、1931年7月7日付の東亜日報に掲載された「2千万同胞に告げます。民族的な利害を考えて空虚なる宣伝にのるな」という社説を読んで聞かせながら、彼等を説得、今般の事態は日本帝国主義の陰謀によって、でっちあげられたものであることを明らかにしたのである。又彼等は奉天省長の臧式毅にこの事実を知らせて、奉天省管内の中国人たちに韓人に対する報復行為を執らないようにさせることによって、韓国人と中国人との衝突の事態を防止するのに努力したのであった。
・・・(以下略)
第2節
韓国における万宝山事件への報復として中国人排斥事件が起こり、中国人に対する殺害、家屋の破壊、財産の略奪等の騒乱状態が展開されたのであった。斯様な事態収拾の責任は朝鮮総督府にあったにも拘わらず、彼等は事態を収拾するどころか、却って助長して多くの中国人を帰国させることによって、中国東北地方での報復事態を誘発させようと努力していたのである。事実、当時の状況を見ると日本人たちが韓服に変装して竹槍を持ち、韓国の不良青少年たちを扇動して、華僑たちを襲撃したこともあった。朝鮮総督府当局の態度がこうであったから、事態の収拾は韓国人自身の手によって行うより外なく、言論機関の東亜、中外、時代日報、それから社会団体及び及び民間有志たちの努力によって収拾することになった。
先ず朝鮮日報では、7月2日と3日の号外が事態を誘発する結果を招いたことを知ると、即時に1931年7月4日の社説「心痛なる在満同胞の運命、綿密を要する呼応対策」で、在満同胞の擁護は在朝鮮中国人の安全を考慮することが、その正常化の一方便であることに留意しなければならないとし、中国人に対する襲撃は穏当でないと警告説得したのである。最初から慎重な態度を執っていた東亜日報では、万宝山事件と韓国での華僑襲撃事件を報道しながらも、事件の真相を把握して慎重に対処することを促した。
・・・
東亜日報と朝鮮日報は事態収拾の為に、事件の真相とその影響を国民に説得したのであった。それに中国の吉林では独立運動の志士たち(主に万宝山事件討究委員会の委員たち)が、万宝山事件の真相と日本帝国主義の陰謀及び朝鮮に於ける中国人排斥事件が在満韓人に及ぼす影響を知らせる為に、極秘裡に国内へ朴一波を派遣潜入させたので、事件の真相が一層明確になり、新聞等も自信を持って事態の収拾に乗り出したのである。
一方、韓国の民族指導者たち及び社会団体も事態の収拾に乗り出したが、その内容は、大体華僑襲撃の中止を訴え、避難民の救済と華僑たちの生活の安全回復、万宝山事件の真相把握と在満同胞の擁護の為の対策等を講究するものであった。
・・・
7月11日には朝鮮各界連絡協議会の名義で、今度の事件は韓国人全体の意思ではないことを、国の内外に発表すると共に、今後の韓中両民族の親善を取り戻す為の努力として、韓国人の真意を中国国民に伝える為に、声明書の全文を南京の国民党中央通信社に打電したのであった。その声明書の全文は次の如くである。
声明書
各団体に所属するわれわれ一同は、今般の万宝山事件の導火線として、仁川、京城、平壌等の地に発生した中国民に対する不祥事に対して、誠心誠意深く遺憾の意を表し併せ、この不祥事を発生せしめたものが決して朝鮮民族全体の意思ではないことを声明する。
歴史的、地理的、文化的、経済的に最も密接なる関係を持つ槿域、漢土の両民族は、現在に於いても将来に於いても最も親密なる友誼を維持して、互いに扶掖する必要がある境遇に処していることをわれわれは確信するところであり、今般の全国的なる不祥事が却って両民族の親善を意識的に増進し且つ企図する契機になることを信ずる。又中国の国民は必ずわれわれ朝鮮民族の真意を了解して、今般の不祥事の記憶までも快く忘れるのみならず、在満百万朝鮮人に対する本来の疑惑と見通し得なかった誤解までも捨てて、両民族の友誼を遮る要因を一掃する雅量と好意を抱いてくれるものと信じ、延いては満州在住朝鮮人同胞の問題を合理的に解決する契機になることを懇望する次第である。最後にわれわれはわれわれが最も好意を抱く善隣の友が1日も早く前日の如く各々斯業に安んじ、幸福で繁栄ある生活を営まれることを祝願する。
南京国民党 中央通信社 貴下
貴社を通じて全中国民衆に告げます。われわれは朝鮮各地で発生した不祥事に対し、心からなる遺憾の意を表します。この事件は決して朝鮮民族の真正なる意思を代表するものではありません。将来に於いて両民族は一層親密の度を加え、満州の朝鮮人の困境を解決するに於いて相互協力することを切望します。これを国民政府、国民党、各新聞社等に伝えて下さい。
朝鮮京城各界連合協議会
一方、京城各界連絡会は7月16日、全国で一番甚だしい被害を蒙った平壌の華僑たちを慰問している。……
・・・
---------------------------------
第5章 万宝山事件と韓国における中国人排斥事件が日本に及ぼした影響
第1節 日本帝国主義の大陸侵略に於ける前衛団体の活動
・・・
これら団体の万宝山事件と韓国に於ける中国人排斥事件に対する日本国内での講演、声明、決議文等には、彼等が侵略の推進過程に於いて国民の関心を惹く為に努力した跡が歴然と現れている。その中で幾つかの団体が主宰した講演会を先ず検討する。
東亜振興会の主催で7月18日、東京の上野公園の自治会館に於いて、満鮮問題国民大会が開かれ、講師には、菊池武夫(退役陸軍中将、男爵、対外同志会幹部)、朴春琴(親日朝鮮人、代議士、相愛会副会長)、石塚忠(日蒙貿易協会理事長)、佐竹令信(満州青年連盟代表)、遠藤寿儼(退役将官)金健中(東亜保民会理事)、佐藤清勝(退役陸軍中将)、飯野吉三郎(大日本精神団総裁)等が名を連ねた。このの時の司会者が橘富士松(振興会主幹)であり、内藤順太郎(対外同志会幹事)を主席に推戴して、西山陽造が、大会開催の経過報告を行った。即ち、中国の東北地方に於いて中国の官憲たちが韓国人を圧迫した為に万宝山事件が起きたのであり、又同事件が原因で韓国に於ける中国人の排斥事件が発生したのである。しかるに日本の政府当局はこれに対する事前の対策を講究しなかったので、日本国民が団結して東洋の平和と難局を打開する為の対策を樹立せんがために大会を開くことになった旨を報告したのである。
その趣意書は事前に管轄の上野警察署に提出すると共に、更に一通を外務省亜細亜局長の谷正之に、一通を中国公使館へもそれぞれ提出している。この日の参会者は約650名程度で、会社員が約40%、学生が約30%、その他労働者が約30%で場内の雰囲気は相当に緊張したものであった。会議の進行途中金岡淳(韓国人)の緊急動議で決議文が作成されることになり、その決議文は橘富士松が20日に外務省に提出している。その決議文の要旨は現内閣の軟弱外交(幣原外交)が日本の威信を失墜させ劣等の地位に転落させたのみならず、日本の建国以来の歴史に汚点を残したので、われわれは憂国の衷情から自決することを期すると決議したのである。講師たちの講演の要旨は、
1、菊池武夫──中国人たちは日韓併合以来韓国人が日本臣民になったことを嫉視して、中国の東北地方から韓国人を追放した結果として派生したのが、万宝山事件である。現政権が政権維持にのみ没頭した為、外務当局は中国の東北地方問題に対して何等の対策も講究しなかったし、又中国政府の外交は欺瞞外交で一貫して来た。しかるに現日本政府は中国の東北地方の問題を解決する能力のない軟弱外交である。
2、朴春琴──現在世間の人たちが朝鮮人と呼ぶのは内地(日本)人を四国人、九州人等と区別するのと同じことである。日韓併合以来朝鮮人は日本人と何等の差別もなく同等になった。そして日本人(内地人)も内鮮融和を主張してその実現を期している。現在中国の東北地方に居住する韓国人約30万が中国に帰化しようとしているのは、臨時便法としてやむを得ないものである。今度の両事件に対して外務省が賠償金を中国側に支払う用意であるという説があるが、その原因を勘案すると寧ろ中国政府から賠償を取らねばならないことである。
3、石塚忠──現在日本の内閣は自分たちの政権争奪のみを目的に外交を行って来たので、大凡に於いて軟弱であるのは事実である。又韓国人たちが中国の東北地方に於いて多くの迫害を蒙る等、日本帝国の威信が失墜していることも事実である。今日本の二大政党は勿論、政治を論ずる者は大いに反省して日本帝国の進路を図る前に、人口問題と食糧問題の二つを解決する為に、満蒙に進出して、確固たる満蒙政策の樹立に邁進しなければならない。
等というものであった。
この外に佐竹令信、遠藤寿儼、金健中、佐藤清勝、飯野吉三郎等の演説もあったが、その内容は大同小異である。……
・・・(以下略)
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/"に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に変えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。
当初、日本領事館の情報をそのまま号外で発行した朝鮮日報などの言論機関も、その後事件の真相把握を訴え、事態収拾の必要性を繰り返し、諸団体が華僑たちの慰問や保護救済に動いたのである。中国側もそれを受け、「このたびの事件に際して、われわれに懇篤なる慰問と救恤の金品を贈られた朝鮮の諸団体と同胞各位に、一々拝眉謝礼申し上げられないので先ず、東亜日報の紙上を通じて衷心からなる感謝の意を伝達してくれることを切望します。1931年7月29日 朝鮮京城中華商会 代表 宮鶴汀 司徒紹 周慎九 東亜日報座下」なる文章を届けるなど、事態収拾に努めたのである。
「朴永錫(パクヨンスウ)」は、万宝山事件をきっかけとして韓国内で発生した華僑襲撃事件が、拡大発展して中国東北地方における韓国人襲撃事件にいたれば、日本はある意味で、合法的に軍事行動を取り得たのであり、柳条溝事件をでっち上げる必要はなかったというのである。
下記は、事件発生の経緯や事態収拾の動き、それに、当時の、日本国内における事件に関わる講演会の講演内容要旨(下段)の一部抜粋であるが、講演内容要旨は、まさに著者「朴永錫(パクヨンスウ)」の指摘が、正しいことを裏付けるような内容である。
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第3章 万宝山事件による朝鮮の中国人排斥事件
第1節 韓国人の中国人襲撃
万宝山事件がその真相とは異なり、朝鮮に間違って伝えられた経緯は次の如くである。
実際、万宝山事件は従来の中国東北地方に於いて屡々発生した韓中農民間の紛争と同じものであった。人命の被害こそなかったが、同地方への侵略の口実を求めていた日本の関東軍では、この事件を利用して、長春の領事館に指令を下して、多くの韓国農民が被害を受けたものの如く朝鮮に報道させたのである。これに従って日本領事館では、朝鮮日報の当地支局長の金利三に虚偽の情報を流したのである。金利三は日本領事館の情報をそのまま信じて、現地にも行かず、本社に送電してしまった。
当時の朝鮮日報社では、金利三が送電した内容をそのまま号外として発表してしまった訳であるが、その理由は、1930年当地に於いて金佐鎮(民族系列の武装独立運動者)が暗殺された時、金利三の情報が極めて正確、且つ迅速であったので好評を博していたからである。彼に対する信望が厚かったので、その情報をそのまま号外として発行したのである。
それに1925年頃から中国の東北地方では韓国人を日本の帝国主義的侵略の走狗と看做して、韓国人に対する追い出しが益々激しくなると共に、韓中農民間の衝突も屡々であったので、金利三の送電内容を検討する余地もなく号外として発行してしまったのである。
朝鮮日報の万宝山事件に関する号外の見出しは、
「中国官民800余名と、200同胞衝突負傷 駐在中国警官隊との交戦急報により、長春日本駐屯軍 出動準備 三姓堡に風雲漸急」
「対峙した日・中官憲1時間余交戦 中国騎馬隊600名出動 急迫した同胞の安危」
「撤退要求拒絶 機関銃隊増派」
「戦闘準備中」
即ち、中国の東北地方では中国人たちによって韓国農民が、莫大なる被害を蒙っており、相当に危急なる状況が展開されているものの如く報道されると、これを見た国内の韓国人たちは、華僑を迫害した。
かくして、韓国内に於ける華僑の襲撃事件は、7月2日の仁川をはじめとして7月10日までを絶頂に、全国的に拡大したのである。その迫害の内容は中国人の殺害、家屋の破壊、財産の奪取等で、襲撃された中国人たちは本国に帰還するか又は集団的に避難退避するしかなかった。被害が甚だしかった所は仁川とソウル、平壌等の大都市で、その中でも平壌が最も甚だしかった。又地方別に見ると南韓よりも北韓の方が甚だしかった。しかるに、このような現象は、大体に於いて北韓が、中国の東北地方と隣接していて事件を同地方に拡大させるのに有利であったので、日本帝国主義がそのように誘導した為であると言われている。
即ち、韓国で迫害を受けた中国人たちが、帰国して報復するのに、地域的に東北地方が最も有利であったからである。仁川や鎖南浦でも迫害が甚だしかったのは、やはり中国へ帰り易い所であったからと言われている。
又朝鮮総督府に於いては、華僑の襲撃事件を鎮定するよりも、中国人を帰国するように周旋したのである。
日本帝国主義が陰謀した通りに、中国の東北地方に於いて韓国人に対する報復事態が発生するようになった。即ち、奉天の教育会館で平壌から避難した華僑たちが、朝鮮での華僑襲撃事件を訴えて、これに対する報復として在満韓人をそのままにしては置けないと主張したところから、事態は極めて危急を告げることになったのである。この事態に直面した牧師の白水燁と東亜日報記者の徐範錫は、中国人の有志である遼寧国民外交協会主席の譚王伙、閻宝衡、蘇上達、王化一等を訪問して、1931年7月7日付の東亜日報に掲載された「2千万同胞に告げます。民族的な利害を考えて空虚なる宣伝にのるな」という社説を読んで聞かせながら、彼等を説得、今般の事態は日本帝国主義の陰謀によって、でっちあげられたものであることを明らかにしたのである。又彼等は奉天省長の臧式毅にこの事実を知らせて、奉天省管内の中国人たちに韓人に対する報復行為を執らないようにさせることによって、韓国人と中国人との衝突の事態を防止するのに努力したのであった。
・・・(以下略)
第2節
韓国における万宝山事件への報復として中国人排斥事件が起こり、中国人に対する殺害、家屋の破壊、財産の略奪等の騒乱状態が展開されたのであった。斯様な事態収拾の責任は朝鮮総督府にあったにも拘わらず、彼等は事態を収拾するどころか、却って助長して多くの中国人を帰国させることによって、中国東北地方での報復事態を誘発させようと努力していたのである。事実、当時の状況を見ると日本人たちが韓服に変装して竹槍を持ち、韓国の不良青少年たちを扇動して、華僑たちを襲撃したこともあった。朝鮮総督府当局の態度がこうであったから、事態の収拾は韓国人自身の手によって行うより外なく、言論機関の東亜、中外、時代日報、それから社会団体及び及び民間有志たちの努力によって収拾することになった。
先ず朝鮮日報では、7月2日と3日の号外が事態を誘発する結果を招いたことを知ると、即時に1931年7月4日の社説「心痛なる在満同胞の運命、綿密を要する呼応対策」で、在満同胞の擁護は在朝鮮中国人の安全を考慮することが、その正常化の一方便であることに留意しなければならないとし、中国人に対する襲撃は穏当でないと警告説得したのである。最初から慎重な態度を執っていた東亜日報では、万宝山事件と韓国での華僑襲撃事件を報道しながらも、事件の真相を把握して慎重に対処することを促した。
・・・
東亜日報と朝鮮日報は事態収拾の為に、事件の真相とその影響を国民に説得したのであった。それに中国の吉林では独立運動の志士たち(主に万宝山事件討究委員会の委員たち)が、万宝山事件の真相と日本帝国主義の陰謀及び朝鮮に於ける中国人排斥事件が在満韓人に及ぼす影響を知らせる為に、極秘裡に国内へ朴一波を派遣潜入させたので、事件の真相が一層明確になり、新聞等も自信を持って事態の収拾に乗り出したのである。
一方、韓国の民族指導者たち及び社会団体も事態の収拾に乗り出したが、その内容は、大体華僑襲撃の中止を訴え、避難民の救済と華僑たちの生活の安全回復、万宝山事件の真相把握と在満同胞の擁護の為の対策等を講究するものであった。
・・・
7月11日には朝鮮各界連絡協議会の名義で、今度の事件は韓国人全体の意思ではないことを、国の内外に発表すると共に、今後の韓中両民族の親善を取り戻す為の努力として、韓国人の真意を中国国民に伝える為に、声明書の全文を南京の国民党中央通信社に打電したのであった。その声明書の全文は次の如くである。
声明書
各団体に所属するわれわれ一同は、今般の万宝山事件の導火線として、仁川、京城、平壌等の地に発生した中国民に対する不祥事に対して、誠心誠意深く遺憾の意を表し併せ、この不祥事を発生せしめたものが決して朝鮮民族全体の意思ではないことを声明する。
歴史的、地理的、文化的、経済的に最も密接なる関係を持つ槿域、漢土の両民族は、現在に於いても将来に於いても最も親密なる友誼を維持して、互いに扶掖する必要がある境遇に処していることをわれわれは確信するところであり、今般の全国的なる不祥事が却って両民族の親善を意識的に増進し且つ企図する契機になることを信ずる。又中国の国民は必ずわれわれ朝鮮民族の真意を了解して、今般の不祥事の記憶までも快く忘れるのみならず、在満百万朝鮮人に対する本来の疑惑と見通し得なかった誤解までも捨てて、両民族の友誼を遮る要因を一掃する雅量と好意を抱いてくれるものと信じ、延いては満州在住朝鮮人同胞の問題を合理的に解決する契機になることを懇望する次第である。最後にわれわれはわれわれが最も好意を抱く善隣の友が1日も早く前日の如く各々斯業に安んじ、幸福で繁栄ある生活を営まれることを祝願する。
南京国民党 中央通信社 貴下
貴社を通じて全中国民衆に告げます。われわれは朝鮮各地で発生した不祥事に対し、心からなる遺憾の意を表します。この事件は決して朝鮮民族の真正なる意思を代表するものではありません。将来に於いて両民族は一層親密の度を加え、満州の朝鮮人の困境を解決するに於いて相互協力することを切望します。これを国民政府、国民党、各新聞社等に伝えて下さい。
朝鮮京城各界連合協議会
一方、京城各界連絡会は7月16日、全国で一番甚だしい被害を蒙った平壌の華僑たちを慰問している。……
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第5章 万宝山事件と韓国における中国人排斥事件が日本に及ぼした影響
第1節 日本帝国主義の大陸侵略に於ける前衛団体の活動
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これら団体の万宝山事件と韓国に於ける中国人排斥事件に対する日本国内での講演、声明、決議文等には、彼等が侵略の推進過程に於いて国民の関心を惹く為に努力した跡が歴然と現れている。その中で幾つかの団体が主宰した講演会を先ず検討する。
東亜振興会の主催で7月18日、東京の上野公園の自治会館に於いて、満鮮問題国民大会が開かれ、講師には、菊池武夫(退役陸軍中将、男爵、対外同志会幹部)、朴春琴(親日朝鮮人、代議士、相愛会副会長)、石塚忠(日蒙貿易協会理事長)、佐竹令信(満州青年連盟代表)、遠藤寿儼(退役将官)金健中(東亜保民会理事)、佐藤清勝(退役陸軍中将)、飯野吉三郎(大日本精神団総裁)等が名を連ねた。このの時の司会者が橘富士松(振興会主幹)であり、内藤順太郎(対外同志会幹事)を主席に推戴して、西山陽造が、大会開催の経過報告を行った。即ち、中国の東北地方に於いて中国の官憲たちが韓国人を圧迫した為に万宝山事件が起きたのであり、又同事件が原因で韓国に於ける中国人の排斥事件が発生したのである。しかるに日本の政府当局はこれに対する事前の対策を講究しなかったので、日本国民が団結して東洋の平和と難局を打開する為の対策を樹立せんがために大会を開くことになった旨を報告したのである。
その趣意書は事前に管轄の上野警察署に提出すると共に、更に一通を外務省亜細亜局長の谷正之に、一通を中国公使館へもそれぞれ提出している。この日の参会者は約650名程度で、会社員が約40%、学生が約30%、その他労働者が約30%で場内の雰囲気は相当に緊張したものであった。会議の進行途中金岡淳(韓国人)の緊急動議で決議文が作成されることになり、その決議文は橘富士松が20日に外務省に提出している。その決議文の要旨は現内閣の軟弱外交(幣原外交)が日本の威信を失墜させ劣等の地位に転落させたのみならず、日本の建国以来の歴史に汚点を残したので、われわれは憂国の衷情から自決することを期すると決議したのである。講師たちの講演の要旨は、
1、菊池武夫──中国人たちは日韓併合以来韓国人が日本臣民になったことを嫉視して、中国の東北地方から韓国人を追放した結果として派生したのが、万宝山事件である。現政権が政権維持にのみ没頭した為、外務当局は中国の東北地方問題に対して何等の対策も講究しなかったし、又中国政府の外交は欺瞞外交で一貫して来た。しかるに現日本政府は中国の東北地方の問題を解決する能力のない軟弱外交である。
2、朴春琴──現在世間の人たちが朝鮮人と呼ぶのは内地(日本)人を四国人、九州人等と区別するのと同じことである。日韓併合以来朝鮮人は日本人と何等の差別もなく同等になった。そして日本人(内地人)も内鮮融和を主張してその実現を期している。現在中国の東北地方に居住する韓国人約30万が中国に帰化しようとしているのは、臨時便法としてやむを得ないものである。今度の両事件に対して外務省が賠償金を中国側に支払う用意であるという説があるが、その原因を勘案すると寧ろ中国政府から賠償を取らねばならないことである。
3、石塚忠──現在日本の内閣は自分たちの政権争奪のみを目的に外交を行って来たので、大凡に於いて軟弱であるのは事実である。又韓国人たちが中国の東北地方に於いて多くの迫害を蒙る等、日本帝国の威信が失墜していることも事実である。今日本の二大政党は勿論、政治を論ずる者は大いに反省して日本帝国の進路を図る前に、人口問題と食糧問題の二つを解決する為に、満蒙に進出して、確固たる満蒙政策の樹立に邁進しなければならない。
等というものであった。
この外に佐竹令信、遠藤寿儼、金健中、佐藤清勝、飯野吉三郎等の演説もあったが、その内容は大同小異である。……
・・・(以下略)
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/"に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に変えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。