真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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南北朝鮮の統一は可能・・・

2025年02月04日 | 国際・政治

 朝日新聞は22日、「地下鉄サリン事件30」ということで、オウム真理教に関するドキュメンタリー映画や著書のある映画監督、森達也氏の主張を掲載しました。そこに、見逃すことのできない重要な指摘がありました。

オウムを取材した「A」は当初、民放テレビ局で放送するために始めた撮影でした。教団施設に潜入して驚いたのは、出会った信者たちが穏やかで善良だったこと。邪悪で凶暴な集団、あるいは洗脳されて理性や感情を失った集団。どちらでもない姿は、社会のイメージではなかった。結局、テレビでは流せず、映画として発表しました。本来はなぜ普通の人があれほど残虐な犯罪を起こしたのか。その煩悶を検証すべきでした。

 今回、お会いした永岡さん夫妻は被害者ですが「自分たちも加害者の側になり得る」という視点を持っていた。メビウスの輪のように、加害者は被害者に入れ替わることもあるかもしれないと感じました。

 社会は何か問題が起きると、一つの見方に染まりがちです。戦時中の日本やナチスなど群れることで失敗した例はいくらでもあります。そうならないためには、まず、歴史をしること。そして、集団で共有されている見方を疑い、自分なりの視点を持つことが必要なのでしょう。僕自身、オウムへの取材を通じて学んだことです。”

  私は、現在の日韓関係の問題も、政府や主要メディアが、過去の事実をを無視するかたちで、国民を「一つの見方」に誘導していると思います。文在寅前大統領が、あたかも日本を憎む「反日」大統領で、尹大統領こそ、日本との根本的な関係改善に前向きな大統領であるとする主張は、両国の一般国民が本来求めている思いや利益に反する主張であると思います。

 なぜなら、韓国も日本も、多くの国民の思いを圧殺するようなかたちで、米軍政庁GHQによって、アメリカのために無理矢理つくられた「反共国家」であり、戦後80年を経過しているのに、いまだに数多くの米軍基地をかかえ、影響下に置かれ続けているからです。韓国と北朝鮮は一日も早く統一されるべきだと思うのですが、尹大統領を相手に関係改善を進めると、それが不可能になるばかりでなく、北朝鮮との軍事的衝突の危険が大きくなると思います。

 1948年、ロイヤル・アメリカ陸軍長官は「日本を反共の防壁に」と演説したということですが、韓国も同様で、38度線で朝鮮を分断し、南朝鮮で軍政を敷いたのは、「反共の防壁」にするためであったと思います。

 下記の「韓国政府の反共対策」の他の抜粋文は、その戦略がどのように展開されたのかをよく示していると思います。  

 すでに建国されていた朝鮮の人たちの悲願、独立「朝鮮人民共和国」を解体し、米軍の支援のもとに、南朝鮮の左翼勢力を一網打尽にするような数々の政策が、連続的に実行されたのです。済州島における政府軍、警察及び反共団体による大弾圧は、「済州島事件(済州島虐殺事件)」として知られています。日本の「治安維持法」と同じような「国家保安法」に基づく強引な検挙や取調べは民主主義を踏みにじる不当な弾圧であったと思います。だから、ロイヤル陸軍長官の「日本を反共の防壁に」というのは、単なる構想ではなく、左翼一掃の過酷な弾圧によって韓国や日本で実行され、現在に至っていることを忘れてはならないと思います。

 日本も、GHQによるゼネストの中止命令のみならず、レッド・パージで左翼勢力を一掃し、戦争指導層の公職追放を解除して、事実上政権を担わせました。そういう意味で戦後の韓国や日本は、韓国人や日本人が、自らの意志で作った国ではないといえるように思います。そして、韓国や日本は、「反共の防壁」国家として、アメリカに尽くしていると思います。圧倒的な軍事力と経済力を有するアメリカの搾取・収奪体制を維持するために、日本や韓国は、ロシア、中国、北朝鮮を敵視し、挑発する「反共国家」でなければならないのだと思います。

 文在寅前大統領は、アメリカの関与がなければ、南北朝鮮の統一が可能であることを示したと思います。

 だから、下記に記されているような事実を無かったことにしてはならず、自らの考えを持つ必要があると思うのです。下記は「朝鮮戦争 38度線の誕生と米ソ冷戦」孫栄健(総和社)からの抜萃です。

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                      第四章 南北政権の樹立と一般情勢

                       五節 朝鮮戦争直前の韓国情勢

  (七)韓国政府の反共対策

 また韓国においては、すでに米軍政庁時代以来、共産党は事実上非合法化されていた。韓国政府の成立後には、その反共政策が一層徹底していた。韓国の各地では、反政府分子の逮捕が行われ、また北朝鮮を賛美し、韓国政府に批判的な新聞数紙も発行を停止させられた。

 とくに麗水・順天事件以後には、反体制派を粛清しようとする政府の対応は極めて強化した。李承晩大統領は194811月初め、この反乱事件を受けて、政府はまず各学校、中央や地方の政府機関、社会団体の指導者以下男女児童に至るまで残らず思想調査を行ない、反逆思想の蔓延を防ぐ旨の談話を発表した。

 一方、ソウルの人首都警察庁は同年48115日、非常警戒を行うとともに、社会民主党党首呂運弘、韓国独立党宣伝部長、厳恆變、合同通信社主筆を含む約500名を検挙した。これは117日のソビエト革命記念日に前後して、暴動を企てているのを探知したためと称されたが、尹致暎内務部長官は1500名の逮捕が予定されていたと語り、取り締まり、弾圧の大規模なことを示唆した。

 

 また、麗水、順天の軍隊反乱事件を直接の契機として制定され、共産党を完全に非合法化した思想犯弾圧法である「国家保安法」が施行された48121日以降は、反政府分子の処分はもっぱら同法によって相次いで行われた。

 ソウルでは123日朝、反体制派700名が一斉に警察に逮捕された。また、韓国政府は4日には、政府管轄下の一切の政府機関、団体、銀行、会社から、忠誠ではない左翼分子を一掃することを決定した。李範爽国務総理はこれに基づき、全政府機関が全職員の忠誠調査を行うよう命令を発した。さらに127日には、政府は共産分子及び反政府追放の手を学校にものばし、反政府的な政治的信念を抱く教師の罷免を命令した。また、韓国軍参謀長崔秉徳が4933日に発表したところによれば、軍当局者は反乱事件後思想不穏分子を軍隊内ら一掃するため、将校170名、兵1026名を粛清したとされた。

 こ、のような韓国政府の反政府分子に対する取り締まりは1949年にはいっても引き続き行われた。

 その主なものとしてはまず、ソウルの首都警察庁は4913日過去数日間に右派の指導者の暗殺を計画中であったと称して、400名の共産分子を逮捕したと発表した。ついで、ソウルおよび仁川の主要建物に放火し、政府要人を暗殺することにより、韓国の撹乱を謀ろうとした左翼勢力の3月攻勢が発覚したとして、南朝鮮労働党、人民共和党、民主愛国青年同盟等の非合法組織に属する指導者40名がソウル市警察局に逮捕された。また、左翼系の地下新聞二紙が没収された。330日、ソウル市警察局長は、ソウル市内で南朝鮮労働党員を始め190名の共産分子を検挙し、目下取り調べ中であると発表した。さらに、メーデーをひかえてソウル市警察局は、426日から28日までの間に、朝鮮労働組合全国協議会系の労働者100名を検挙した。83日には、ソウルの新聞記者グループが検挙された。これらは南朝鮮労働党に入党していたといわれ、国会、政府、政党、言論界等各方面の情報を出入り記者として収集していたといわれた。

 

 同49815日の韓国独立一周年記念日に前後して逮捕された左翼分子は京畿道だけで478名にのぼった。南朝鮮労働党ソウル市支部執行委員会の副委員長以下5名は916日、逮捕された。そして、警察内で南朝鮮労働党脱退宣言を発表するとともに、南朝鮮労働党は920日の全朝鮮選挙ということで武装蜂起の開始を指令していたが、最近の検挙旋風で、この計画は実行不可能になったと警察で転向表明をした。

 韓国政府の法務部が発表したところによれば、韓国の491月から9月末までの起訴裁判件数は32329件で、その8割までが国家保安法違反事件であった。

 

 (八)祖国戦線と金九暗殺

 だが一方、1949512日、韓国内の政党及び社会団体の8団体は、北朝鮮の民主主義民族戦線中央委員会にたいし、祖国統一民主主義戦線の結成を提唱した。中央委員会は16日に回答して8団体の提唱に応じた。625日、祖国統一民主主義戦線結成大会が平壌で開かれ、南北から71政党および社会団体を代表する704名が集まった。大会は、祖国戦線の綱領を決定したが、それは平和の方法で祖国統一を解決することを述べていたが、李承晩政権の打倒も明確に打ち出していたものだった。

 だが、この大会に民族主義者の立場から参加していた、かつての中国重慶亡命臨時政府の主席であり、帰国後は右派の有力指導者として南北協商路線を進んでいた韓国独立党首の金九は、1949626日、平壌での祖国統一民主主義戦線結成大会からソウルに帰ったところを、陸軍少尉安斗煕によって暗殺された。これは一般に李承晩派によるライバルの抹殺と考えられており、この事件には国防長官申性模、憲兵司令官田奉徳が関わっていたとも当時噂されたが、暗殺者安斗煕は短期の拘束のち釈放されて、政府当局と軍の保護のもとに、やがて全羅道有数の資産家となることになった。だが、金九暗殺により、祖国戦線の活動は、早くも大きな打撃を受けた。この祖国戦線による平和統一との宣伝活動は、以後も強力にすすめられ、韓国社会あるいは50530日の韓国総選挙にも、ある程度の影響(李承晩派72・野党137の逆転)を与えたとみられた。

  (九)保導連盟と社会取締

   すでにみたように、韓国政府の左翼、反体制側勢力に対する処置は過酷を極めたが、その4910月に至って新たに緩和政策が取られるようになった。それは、国民保導連盟という団体の主催の下に、同年1024日から30日まで行われた南朝鮮労働党員自首運動である。

 これは、この週間に自首したものは無罪釈放し、更正の道を開くというものであった。権承烈法務部長官の発表によれば、週間中に1835名の自首者があり、優秀な成績を収めたので、この運動は1110日まで期限を延期することになったとされた。これはさらに11月末までに延期され、117日には転向者の示威行進と自首者歓迎、南朝鮮労働党根絶大会が開かれ、李大統領に送る感謝文と金日成に対する声明書が採択された。結局、保導連盟は11月末までに、転向者39986名の多数加盟させるのに成功したとされた。ソウル市内だけでも12196名が転向を申し出たとされた。このうちには、国会議員3名、学生2418名が含まれていた。政府はこの運動の完了をまって、自首しなかった分子の徹底的な一掃に乗りだした。同4912月の初頭の間に1000名以上の容疑者を大量検挙した。

 その結果、そのうち300名を危険分子として拘束し、他は保導連盟に引き渡してその監視と指導を受けさせることにした。このような自首運動は、同年11月末に韓国軍内部においても試みられた。

 

 また、50215日には、31独立運動記念日を期して一斉蜂起を企てていたとして、南朝鮮労働党員の196名が検挙された。さらに、23月はじめには、11名の記者を含む30名の新聞関係者が検挙された。韓国の警察は同50326日に李舟河、28日には金三竜を逮捕し、その他南朝鮮労働党執行委員13名を3月下旬の間に検挙した。これによって、南朝鮮における共産主義運動に大打撃を与えた。李舟河は南朝鮮労働党中央執行委員会の副委員長で、委員長の朴憲永が47年に北朝鮮に移って以来、南朝鮮における地下組織の首脳であった。金三竜は南朝鮮労働党の組織部長で、李舟河に次ぐ地下幹部であった。

 このように党幹部が逮捕されたことは、ゲリラ活動の閉塞状態と相まって、南朝鮮の共産勢力を解放後最低の状態に追い込んだ。韓国警察当局の推定によれば、南朝鮮労働党員はその活動の活発なものを2000名、不活発なもの5000名という僅かな数になったという。

 

 なお、4811月以来国家保安法により共産系活動のかどで逮捕され、裁判を受け、判決を下されたものは13000名にのぼったが、503月末現在、なお刑務所には14000名近くが裁判を待機しており、その司法処理にはは少なくとも後一年は要するとされた。裁判所も刑務所もその能力の限界点に達したという状況であった。

 

   (十) 韓国政府のゲリラ掃討作戦

 また、韓国に対する北朝鮮政権からの秘かな破壊活動、あるいは南朝鮮左派による反体制運動は、韓国政府樹立以後も続いていたが、その後、韓国軍、警察が掃討に努力したにもかかわらず、武装ゲリラ活動は49年の春から夏にかけて各地に蔓延するようになった。

 また、麗水の軍反乱参加者1000人に以上が智異山の山岳地帯に逃れ、そこのゲリラ隊に合流したが、その後間もなく4811月、韓国各地で大規模なゲリラ戦が始まった。

 その地域、江原道、慶尚南北道、全羅南北道の各道にわたった。ゲリラ部隊は、太白山脈、小白山脈の山間地帯によって、軍、警察と交戦し、北朝鮮の旗をかかげ、交通、通信網を破壊、切断し、右翼の指導者、青年団員、対日協力者、官吏の暗殺を行ない、反政府宣伝ビラを散布してきた。特に496月末、北朝鮮で祖国統一民主主義戦線が結成されてのちには、ゲリラは襲撃した部落で民衆大会を開き、北朝鮮が唱える平和統一方針の宣伝を行ない、全朝鮮統一選挙を実施すると呼びかけるようになった。同時に、永続して占拠していた山岳地帯においては、農地を没収してこれを農民に再分配し、人民委員会を設置するなどの行政的措置を講じたと伝えられた。

 この当時活動したゲリラの勢力は、一万から二万にわたる程度と推定された。そのうち武装された組織部隊は2500から3500とみられて比較的少なく、ただ挑発、運搬に加わるため、攻撃部隊に従って時々ゲリラとなるものがその二倍前後、最も多数にのぼるのは、これらに隠れ家を提供し、便宜を供与している共産系シンパであるとみられていた。

 1949年のはじめに2人のアメリカ副領事が全羅道、京畿道を視察したが、例えば全羅道では「政府が掌握しているのが都市と大きな町に限られている状況だった。一般に「昼は大韓民国、夜は人民共和国」と言われていた。

 

 これに対して、韓国政府はゲリラの跳梁が政情不安の要因の主な一つをなしているため、治安問題の根本解決をはかるため、19503月までにゲリラを掃討する計画を立てた。そして、499月から米軍事顧問の指導の下に、大規模な作戦を開始した。これは冬期に入り、山中の樹木が落葉するととに一層進捗し、多数のゲリラが殺傷、逮捕され、弾薬も捕獲された。捕らえられたゲリラ、関係者はほとんど射殺され、地区は焼き払われた。1950年にはいって、ゲリラの活動はとみに衰え、治安の回復は著しかった。智異山、太白山地区を除き、掃討はほとんど完了した。同503月末に至り、政府軍は太白山脈を北上中のゲリラの集団を撃破し、その指導者を倒すのに成功した。こうしてゲリラは残存する者数百名いう閉塞状態に陥り、組織を失い、山中の各所に取り残されることになった。

 

 だが、その後、再びゲリラ部隊が江原道に南下してきていたとみられた。また、のちに505月上旬以来、江原道春川地区。慶尚北道地区のゲリラも再び活発な活動を示し、智異山の部隊も活動しているようになった。

 韓国政府当局者は505月中旬、江原道地区で北朝鮮からの挑戦が頻発している事実を認め、北朝鮮軍が38度線付近に集結していることを警告した。だが、これは一般には505月末の選挙に対する北朝鮮側の牽制であるとみられ、南朝鮮のゲリラ組織とは関係なく、また、それは殆ど勢力を失ってしまったとみられた。事実、50530日に行われることになる韓国国会の総選挙にあたっても、その前日、智異山のゲリラ部隊30名が慶尚北道の山清を襲ったにとどまった。北朝鮮からの選挙妨害を扇動する宣伝が繰り返えされたにもかかわらず、ゲリラや民衆の蜂起は、ついに起らなかった。

 

 

 

 

  

 

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日韓関係改善の本質は、

2025年01月31日 | 国際・政治

 昨年の韓国総選挙では、革新系最大野党が、保守系の尹錫悦政権や与党側を「親日」と攻撃する主張を展開し、与党は野党側を北朝鮮に追従する「従北勢力」と主張して、互いに非難し合う選挙戦でした。

 日本やアメリカの政権は、尹錫悦政権が親日的であり、親米的なので、いろいろなかたちで支援したのではないかと想像します。

 だから、日本の報道も、尹政権が日韓関係の改善に強い意欲を持ち、「自由、人権、法の支配といった普遍的価値を共有する国」ということで、関係を深めるべきであるというような内容のものばかりだったと思います。特に尹政権が、北朝鮮による核・ミサイルの脅威に対抗するため、アメリカや日本との連携強化を重視していることを評価する姿勢が鮮明だったと思います。

 だから先日、尹大統領が、国会の議決を尊重せず「非常戒厳」を宣布し、軍を動員するという民主主義の破壊ともいえる挙に出たのに日本政府は非難せず、「今後の状況を注視する」とか、「事態の推移を見守りたい」とか言って、事実上、黙認する姿勢を見せているのは、アメリカの反共的な戦略からくるものだろう、と私は思います。それは、下記の「朝鮮戦争 38度線の誕生と米ソ冷戦」孫栄健(総和社)の抜粋文で、明らかだろうと思います。

 

 ふり返れば、韓国では、植民地支配時代の親日派の排斥の動きは、アメリカ軍政庁統治下の時代に既に始まっていました。1948510日、総選挙が実施され、その後、「制憲国会」が開会されました。そして、「大韓民国憲法」とともに「反民族行為処罰法」が制定されているのです。

 でも、アメリカ軍政庁やアメリカと手を結んでいた李承晩大統領は それを受け入れず、ソウル市警を動員し、特警隊を強制的に解散させているのです。米軍の後押しがなければできないことだったと思います。

 国民の支持が得られない少数与党の保守系、尹大統領が、「非常戒厳」を宣布し、軍を動員するということは、李大統領と同じように、尹大統領も、アメリカを中心とする西側諸国の支えがあるからできたことだろうと思うのです。

 だから日本人は、日本政府が、尹政権の韓国が、「自由、人権、法の支配といった普遍的価値を共有する国」などと言って、同盟関係を強化していることを、そのまま受け入れてしまってはならないと思います。現実は、尹政権の韓国が、「自由、人権、法の支配といった普遍的価値」を尊重しない国だといってもよいと思います。

 

 自民党政権も、戦後、アメリカによって戦犯としての公職解放を解除され、一線に復帰させてもらった戦争指導層の流れをくんでいる政権です。戦時中、国民に「鬼畜米英」を強要しておきながら、戦後は、手の平を返したようにそのアメリカと「日米安全保障条約」を締結し、アメリカに基地を提供し、アメリカの言い成りになる政権をつくりあげた思います。

 極論すれば、戦後間もないころの日本の自民党の政治家の多くも、一線に復帰するために、アメリカと手を結んだ売国的政治家で、韓国の「反民族行為処罰法」の対象になるような政治家だったといってもよいと思います。

 だから、自民党政権の主張する日韓関係の改善や同盟関係の強化は、アメリカの手下となった売国的政権の関係改善や強化だと思います。両国の一般国民の利益に反するものだと思います。

 

 そして、今や自民党政権のみならず、日本の主要メディアも、アメリカの手下のような報道をしていることを見逃すことができないのです。

 29日、朝日新聞は、”「反ワクチン」派ケネディ氏、政権入りの衝撃 科学への不信 陰謀論の入口” と題する神里達博・千葉大学大学院教授の記事を掲載しました。普段、学ぶことの多い学者なのですが、やっぱりアメリカの影響下にあると思いました。「陰謀論」などという言葉を使って、ケネディ氏を貶める記事を書いているからです。

 先日、取り上げましたが、世界中で「mRNAワクチン」に反対する声が上がり、日本でも「mRNAワクチン」接種後に亡くなった被害者が声を上げ、「副反応などのマイナス情報を広報せずに被害を広げた」として、国に賠償を求める訴えを起こしました。でも、メディアはそうした声にきちんと向き合い報道することはありませんでした。

 「mRNAワクチン」で、薬物のデリバリーシステムとして使用さる脂質ナノ粒子と組合せて使われるという酸化グラフェンは、血栓症が生じやすくする成分で、接種後早期の血栓症(心筋梗塞や脳卒中など)やショックなどは、酸化グラフェンという磁性体が入っているからだと言われています。国を訴えた被害者が言うように、そういう副反応などのマイナス情報は、ほとんど報道されなかったと思います。

 ケネディ氏はそういうことを指摘しているのに、神里教授は、”歴史をふり返れば、米国の大企業がさまざまな環境問題や薬害などの原因を生みだしてきたケースはいくつも見つかる”といいながら、なぜ、ケネディ氏を「陰謀論者」にしてしまうのかと思います。

 

 また、中国は、従来の製造方法で、コロナの不活化ワクチンなどを製造し、ロシアも不活化ワクチンや「スプートニクV」という生ワクチンを製造して対応し、トルコも不活化ワクチンを製造したというのに、なぜ、アメリカの影響下にある日本や韓国は不活化ワクチンや生ワクチンを製造できなかったのか、なぜ、輸入し続けたのか、も疑問です。

 日本は、ファイザー社やモデルナ社、アストラゼネカ社から、それぞれ、1億回を超えるワクチンを輸入したというのですから、大変なお金が、英米に流れたと思います。

 だから、多少時間がかかっても、従来の方法でワクチンを製造するべきだったように思います。それをせず、リスクの伴うmRNAワクチン」の輸入を続けたのはなぜなのか、と疑問に思うのです。

 下記は、「朝鮮戦争 38度線の誕生と米ソ冷戦」孫栄健(総和社)からの抜萃ですが、尹政権と国会の対立は、戦後間もない頃の、李政権と国会の対立以来続いていることがわかると思います。

 アメリカとの同盟関係が続いている限り、こうした対立は終わることはないと思います。

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                  第四章 南北政権の樹立と一般情勢

                   五節 朝鮮戦争直前の韓国情勢

 

 (四)少壮派議員団の逮捕

 そこで、反民法(反民族行為処断法)が政府部内、警察、軍隊内の該当者に及ぼす不安と、それによる行政の混乱、左翼勢力の台頭を考慮すれば、まず、その適用を緩和することによって現政府の組織維持がまず優先されたようだ。

 また、対日協力者の処罰よりも、当面緊急の課題である共産主義者取り締まりと、現秩序と体制の安定を維持することの方が重要であるということであった。しかし、特別調査委員会は同4937日までの2ヶ月間に、54名を逮捕し、その後も引き続き該当者追求の手を緩めなかった。

 

 また、韓国国会にはその発足からことごとくに政府の政策を批判する先鋒に立ち、議事を操縦してきた少数のグループがあった。この、19481210日、締結の米韓経済援助協定に反対し、米占領軍の撤退要請決議案を提出し、国家保安法の制定に反対し、憲法改正運動を行ない、反民族行為特別調査委員会を動かしてきたこれらの議員は、在野独立運動家の金九(1949626日、李承晩派陸軍少尉安斗煕により暗殺)の流れを汲むといわれ、とくに少壮派と呼ばれていた。そのうち李文源および李泰奎同518日に、李亀洙は同20日に、いずれも国家保安法違反のかどで警察に検挙された。これは、政府内にあったは反民法対象となる旧親日派の反撃とみられた。

 国会では同524日、88名の議員の署名をもってこれら三名の釈放要求が提出された。また、それをめぐってはげしい論戦が行われたが、結局否決されてしまった。だが、ソウル市では31日、これら88名の議員を共産党と非難する弾劾民衆大会が開かれ、弁明に立った議員柳聖甲が群衆に殴打されるという事件が起った。これを右翼の国会圧迫工作と見る国会側は。政府のこれまでの責任を追及し、両者間の対立は一層深まった。

 

 (五)大統領と議会の対立

 国会と政府間の軋轢の要因となったものは、それだけにとどまらなかった。道知事以下の地方行政機関を公選によろうとする国会の態度にもかかわらず、李大統領はすでに2回にわたり、次期尚早を理由としてこれに拒否権を行使した。また、農地改革法、帰属財産臨時措置法も国会の前会期で通過したにもかかわらず、大統領はこれに異議を付して国会に送り返し、再審を要求した。国会が夏季穀物の強制収集を否決したのに対し、政府側それを強行する構えを示した。これよりさき、曺奉岩農林部長官はどう同49221日、糧穀収買資金の不正流用を監察委員会から指摘されて、罷免を要求されて辞職した。さらに、任永信商工部長官も、その財政上の不法行為を監察委員会から指摘されて、罷免を要求された。李大統領は、任長官の事件について、監査委員会の越権行為を非難し、その間の斡旋に努力した。だが、任長官その他の関係者は遂に528日、背任、横領のかどで正式に起訴されるに至った。これらはいずれも、政府に対する国会の批判の材料となったものである。

 

 このような政府不信の気運は、ついに62日の国会で内閣総辞職要求決議案を可決させるに至った。

 決議の直接の動機となったのは、国会がかねてから一般大衆からの寄附金募集を絶対に行わないように政府に要求していたにもかかわらず、地方において警察費の負担が民間に割り当てられている事実が明らかにされたことである。これが各道知事の罷免、内閣総辞職の要求にまで広がったのだった。少壮派の代表盧鎰煥議員が提出した国務総理以下全閣僚の引責辞任要求決議案は、出席議員144名中、8261、棄権1で可決された。韓国憲法では、国会が内閣の総辞職を行う権限を認めていなかった。実際にも、国会が政府不信を正面から決議したのはこれが最初のことであった。李大統領はこの決議に応ぜず、一部閣僚の更迭を行っただけであった。

 

 ところが、政府と国会の対立はこれにとどまらなかった。従来から両者の不和の一因となってきた反民族行為特別調査委員会所属の特別警察隊に対し、ソウル市警察局が66日に非常捜査を行ない、その武装解除するに至ったことから、さらに激しい軋轢を生じるに至ったのである。

 つまり、特別調査委員会がソウル市警察局査察課長を民族反逆者として逮捕したのに対し。市警察側は大統領に対し、特別警察隊の総退陣、特別警察隊の解散、警察官の身体の安全保障の三項目を要求した。さらに、これがいれられるぬときは総辞職することを決議するとともに、この挙に出たのである。

 この事件は同日直ちに国会で取り上げられ、特別警察隊の武装解除、解散が大統領の直接命令であることが明らかにされた結果、内閣の総辞職、特別調査委員会の現状復帰、政府責任者の処罰を要求し、政府がこの要求をいれるまで、国会は政府の提出する一切の法案および予算を拒否する決議案が8959で採決された。しかし、大統領は従来の態度を緩和しなかった。逆に、特別警察隊解散の正式声明を611日公表するとともに、同13日、再開された国会に出席し、内閣総辞職の要求は受け入れられないと述べた。また、政府、国会を超えた挙国協力の必要性を説き、責任内閣制への憲法改正工作は不可である旨を強調した。

 

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アメリカ、ソ連の同時撤兵提案を拒否

2025年01月27日 | 国際・政治

 第二次世界大戦末期におけるソ連軍の急速な南下に焦ったアメリカは、朝鮮半島を38度線で分断し、北をソ連が、南をアメリカが戦後処理するという名目で軍を進出させました。そして、すでに建国されていた朝鮮民族悲願の「朝鮮人民共和国」を解体し、軍政を敷いて、南朝鮮に李承晩・反共政権を樹立させました。

 アメリカは、南朝鮮を、対ソ連の戦略的前線として位置付け、李承晩政権の下、朝鮮人民にとって怨嗟の的であった日本人官吏や旧朝鮮総督府関係者、既存組織、既存社会体制の継続活用を進め、「朝鮮人民共和国」関係者や共産主義者的な組織、団体、指導者の排除に乗り出したのです。そして、李承晩政権を利用して、アメリカの軍政に強く抵抗する人たちを大勢殺しました。その数10万ともいわれるようですが、朝鮮戦争前のことです。

 

 また、アメリカは、南北朝鮮の戦後処理を名目に、軍を進出させたにもかかわらず、ソ連の同時撤兵提案を拒否しています。それは、アメリカが永続的に南朝鮮を影響下に置くことを意図していたからだと思います。

 ソ連がワルシャワ条約機構を解散した時も、アメリカは、ヨーロッパ諸国を影響下に置き続けるために、北大西洋条約機構(NATOを解散しませんでした。同じだろうと思います。

 戦後、ヨーロッパ諸国を中心とする権力的な植民地支配体制は、急速に姿を消しましたが、それは、搾取・収奪体制が姿を消したということではなく、新しいかたちに姿を変えたということだと思います。搾取・収奪はより巧妙になり、見えにくくなっていると言ってもよいと思います。米軍の南朝鮮駐留も、そうした側面があることを見逃してはならないと思います。

 その搾取・収奪体制は、富裕層と一般労働者の格差の拡大や、国家間の不平等の拡大にあらわれていると思います。

 

 先日、朝日新聞のオピニオン&フォーラムの欄に、政治哲学者・マイケル・サンデル教授に対するインタビュー記事が「新自由主義の欠陥 尊敬や承認の欠如 暗黙の侮蔑へ憤り」と題して掲載されていました。そこに下記のような一節がありました。

 ”── トランプ氏は総得票数でも勝ちました。「トランプ現象」は一時的・局所的な逸脱ではありませんでした。

「それどころか、トランプは米国政治を根本から再編するのに成功しました。(1930年代の)ニューディール政策にさかのぼる民主党の伝統は、労働者の代表であり、権力者に対抗する人民の代表であり、経済権力の集中に対する牽制の代表であることでした。これが2016年以降は逆転しました。共和党は富裕層を支える政策を手掛けてきたにもかかわらず、大学を教育を受けていない人々や労働者がトランプに投票しました」

「中道左派が労働者の支持を失い、権威主義的なポピュリストがそうした層へのアピールに成功しているのは、英独仏など多くの民主主義国家で見られる現象です。金融主導で市場寄りのグローバル化を、中道左派が受け入れたからです」

 

 この主張は、”民主党は変ってしまった”と言って、大統領の選挙戦から撤退し、民主党と対立する共和党の大統領候補トランプ支持を表明したケネディ候補の演説内容が、でたらめではないことを示していると思います。極論すれば、民主党バイデン政権が、トランプ氏の指摘する、いわゆる「ディープステート(DS」と一体化し、巧みに搾取・収奪をする側についてしまったというこだと思います。

 ”ケネディ家は、民主党が年来奉じてきた伝説的な偶像だ”と言われています。でも、その跡継ぎであるケネディ氏は、”私は、この大統領選において、勝利への道は現実としてもうないと信じるに至った。民主党からの絶え間のない妨害がその主要な理由なのだ”と語って、選挙戦から撤退し、トランプ支持に回ったことは、民主主義を掲げる政党にとって、重大な問題だと思います。

 でも、主要メディアは、そうしたケネディ氏の主張をきちんと取り上げることなく、くり返し、彼を「陰謀論者」として排除する報道を続けたように思います。そして、大統領選挙にはほとんど影響がないかのように装いました。

 さらに言えば、トランプ氏が、「MAHAMake America Healthy Again」を掲げるケネディ氏を厚生長官に指名した際の声明で、

アメリカはあまりに長い間、公衆衛生について、ごまかしや誤った情報、偽の情報を流してきた食品業界と製薬会社に苦しめられてきた。ケネディ氏は慢性疾患がはびこる状況を終わらせて、アメリカを再び偉大で健康な国にするだろう

 と語ったことも見逃すことができません。

 

 新型コロナに対応する「mRNAワクチン」については、世界中にその危険性を指摘する声があります。日本でも、「mRNAワクチン」接種後に亡くなった被害者が声をあげ、「副反応などのマイナス情報を広報せずに被害を広げた」として、国に賠償を求める訴えを起こしましたが、ほとんど報道されることはありませんでした。

 ”これだけ人が死んでもなおこのワクチンを勧めるのはなぜか”と厚生省職員に抗議する福島雅典・京都大学名誉教授の主張も、主要メディアで目にすることはありませんでした。人命に関わる訴えなのに、取り上げられない理由は何なのか、と思います。

 また、デンマークが、接種後の血栓症を懸念し、英オックスフォード大学・アストラゼネカ製の新型コロナウイルスワクチンの使用を完全に中止すると発表しましたが、それも報道されることはなかったように思います。

 それが、”医療制度の乱用を終わらせ過剰な企業権力を抑制する”というケネディ氏の主張の正当性を示しているように思います。

 だから、ケネディ氏の主張を、「陰謀論」で排除しようとする姿勢にこそ、問題があると思います。そして、それが、アメリカの隠然たる力の支配の結果に思われるのです。 

 

 下記は、「朝鮮戦争 38度線の誕生と米ソ冷戦」孫栄健(総和社)から、「3章 冷戦激化と分断国家への道」の「(八)ソ連の同時撤兵提案と国連審議帰結」を抜萃しましたが、アメリカの反共戦略がどういうものであるかを知ることができると思います。

 尹大統領の「非常戒厳」宣布後、すぐに抗議する市民が国会前に集まったのは、「光州事件」で勝ち取った民主主義を、市民が共有していたからだとする論評がありましたが、間違ってはいないと思います。また、韓国は日本のような官僚支配の社会とは異なり、「王の間違った判断を正すことができるのは自分たちしかいない」と考える士大夫=「市民」のように、市民が現実的に権力をもつ国であるという論評も理解できるような気がします。でも、一番大事なのは、朝鮮民族の自主独立を妨げたアメリカ軍政庁の支配に対する怒りではないかと思います。

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                    3章 冷戦激化と分断国家への道

                     第二節 国連を舞台の東西衝突

 (八)ソ連の同時撤兵提案と国連審議帰結

 一方、1947926日、すなわち、国連総会において朝鮮問題付託採決がなされた923日の3日後、ソウルにおける共同委員会の席上でソ連代表シュチコフ中将は、突如、米ソ両軍が3カ月以内に同時に朝鮮から撤退しようとの提案を行った。

 この衝撃的な提案は、直ちに内外に大きな波紋を巻き起こした。

 同代表は、まず①モスクワ協定が連合国の朝鮮に対する好意ある政策を表明した基礎的文書であること、②北朝鮮においては民主的改革が進捗していること、③これに反して南朝鮮にあっては、米軍当局が人民委員会の合法性を認めておらず何ら民主的改革が行われていないこと、④ソ連は朝鮮の併合を希望しているとの噂は事実でないこと、および、⑤朝鮮に10年間の信託統治を主張したのはソ連ではなくアメリカであったこと、等をあげた。そののち、ソ連側の意見として、連合国の援助並びに参加なしに朝鮮人民に自主的に独立政府を樹立する機会を賦与するため、1948年初頭において、米ソ両軍が同時撤兵することを提案したのである。

 だが、現地米軍当局は、このソ連提案は、アメリカが国連に提訴した朝鮮問題の国連審議の回避を意図したものか、あるいは、北朝鮮労働党が全朝鮮に共産主義政府を樹立できる国力的準備を完了するに至った自信を物語るものだと見なしたようである。

 しかし、これは表面的には朝鮮からの外国軍隊撤退に直ちにつながる提案でもあり、南北朝鮮の各政党団体は直ちに反応を示した。まず北朝鮮においては労働党をはじめ各政党団体はこの同時撤兵提案に、全面的支持を表明した。また、アメリカがこれを拒絶べき理由がないとの談話も発表された。 

 これ反して、南朝鮮においては、軍政庁、警察、テロ青年団などの苛酷な弾圧下で地下に潜行している左翼系を除き、多数の右翼系政党団体がソ連の出した米ソ同時撤兵案に反対の態度をとった。すなわち、それまでの右翼の主張の一つでもあった全外国軍隊撤退のスローガンを撤去し、アメリカ軍の駐留継続を主張するようになった。もしアメリカ軍が撤退すれば、これら右翼勢力は直ちにその後ろだてを喪失し、また、アメリカ軍政庁政策と軍政庁警察の左翼弾圧の結果封殺されていた1945年以来の南朝鮮の左派の社会改革運動が再開され、その場合、朝鮮は第二のソ連占領下の満州のようになり、赤化の累を招くというのが理由であったようだ。

 

 さらに109日、モロトフ外相はマーシャル国務長官に対して、この米ソ同時撤兵案を繰り返して、即答を求めてきた。だが、マーシャル長官を首席とする国連アメリカ代表部は1012日の声明で、アメリカは近く朝鮮に関する提案を国連総会に提出してその態度を明らかにすると述べた。そして、ロベット国務次官は1018日、モロトフ外相に書簡を送り、撤兵問題もまた朝鮮問題全体との関連において国連総会の討議に取り上げられるべきだとして、ソ連側の米ソ両軍同時朝鮮撤兵案を正式に拒否した。他方、同18日ソウルでの米ソ共同委員会において、アメリカ代表ブラウン少将は、国連総会での朝鮮問題の審議中はソウルでの共同委員会を休会することを提案した。

 これに対して、ソ連代表・シュチコフ中将は翌々日の1020日の委員会本会議おいて、ソ連代表部は本国政府の命令によりソウルを引き揚げる旨を声明した。そして1022日、平壌に帰還して行った。

 

 こうして、194512月のモスクワ協定に基づき、2年にもわたる長い日時を費やしたソウルでの米ソ共同委員会による朝鮮問題処理討議は、結局、わずかの進捗も見ることはなかった。

 そして、東西対立の軋轢を南北朝鮮対立に転化させて残したまま、完全な失敗に帰したのである。マーシャル・プランあるいはコミンフォルム設立に象徴される米ソ冷戦の全面化の1947年の情勢下で、米ソ両軍当局間による交渉が、たとえどのような問題にせよ結実する可能性はすでに無かったのである。その結果、この朝鮮問題を政治的草刈場とする米ソの東西対立は、そのまま国連総会の場に移されることになった。だが、この国連自体がその加盟国の構成など自体が、アメリカ外交の主導する組織機構であったというのが当時の実態でもあった。すなわち、ソ連からみれば、アメリカは米ソの交渉を拒否してアメリカの縄張りである国連において、自己に有利な情況で朝鮮問題を処分しようとしたという解釈となり、朝鮮問題の国連移管も、その本質的解決の手段としては疑問になると当時みられていたようである。

 

 

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韓国、与野党対立の源 NO2

2025年01月23日 | 国際・政治

  アメリカの力は、世界のすみずみまで及んでいると思います。

 ハリス候補に大差をつけて大統領に返り咲いたトランプ氏を支持する主張は、日本ではほとんど表に出てきません。そして、トランプ氏の大統領に就任後も、いろいろなかたちで非難や批判が続いています。それは、日本が、トランプ大統領が指摘するいわゆるディープステート(DS)の影響下にあるからだといってもよいと思います。

 好戦的だったバイデン政権と異なり、ウクライナ戦争を終わらせると宣言したり、イスラエルによるガザの攻撃についても「あれはわれわれの戦争ではなく、彼らの戦争だ」と突き放す発言をし、さらに、北大西洋条約機構(NATO)からの離脱さえほのめかして、同盟関係を背景とした武力行使を否定する姿勢を見せ、アメリカで再び大統領に返り咲いたのに、トランプ氏を支持し、擁護する主張が出てこないのは、その証左だと思います。

 確かに、トランプ大統領には看過できない発言が多々あります。でも、世界を分断し、軍事的な同盟関係の強化や武力主義的な戦略を進めるバイデン民主党政権の欺瞞的戦略に比べたら、戦争をしないトランプ大統領の単独主義、孤立主義、保護主義は、それほど悪いものではないと思います。ベストではなくても、ベターであり、支持する主張や擁護する主張が出てこない日本は、異常だと思います。

 日本では相変わらず、トランプ大統領は、民主主義を破壊する大統領だとか、人権や環境への配慮が欠けているとか批判され、非難され続けています。バイデン民主党政権が民主的で、人権や環境への配慮できていたかどうかを不問に付して。

 

 ふり返れば、第二次世界大戦後の世界が、アメリカの圧倒的な軍事力と経済力を背景にした覇権によって支配されてきたことは、日本や韓国の現状を見ても、否定できるものではないと思います。

 それは、第二次世界大戦前のイギリスやフランスを中心とするヨーロッパ諸国の植民地支配とはちがって、直接権力を行使する支配ではありませんが、戦前の植民地支配を上回る絶大な権力に基づく欺瞞的な支配がなされてきたと思います。

 だから、アメリカの覇権放棄は、アメリカが他国と同じ立場に近づくことであり、歓迎されてよいのではないかと思います。トランプ氏の問題発言にばかりこだわって、そういう大きな流れを見失ってはいけないと思います。

 トランプ氏は大統領就任と前後して、ロシアや中国と連絡をとっているようですが、敵対するのではなく、平和的関係を深める方向へ、日本も方針転換するべきだと思います。軍事的同盟関係など強化すべきではないと思うのです。

 

 米兵による少女に対する性的暴行事件が続いても、沖縄の基地に関する県民の意志がくり返し示されても、日米地位協定見直しの声が上がっても、日本政府が対応できないのは、日本政府が、アメリカの政権に隷属しているからだとしか考えられません。

 韓国で混乱状態が続いていますが、私は、尹大統領の強引な姿勢は、緊密な関係が構築されているアメリカの支援がなければ、考えられないことだと思います。

 尹大統領は、「非情戒厳」の宣布は、「統治行為」であって、司法判断の対象ではないなどと主張しているようですが、私は、砂川事件で、当時の田中耕太郎最高裁判所長官が、アメリカとの裏取引を背景に、米軍駐留は違憲であるという「伊達判決」を覆したことを思い出します。

 現在韓国には、プサン、テグ、インチョンその他に、90をこえる米軍基地が存在するといいます。  

そして、京畿道南部の平沢市彭城地区にある「ハンフリーズ米軍基地」は、世界最大の基地だというのです。

 だから、アメリカは、韓国の人たちには、自由に政策決定をさせない力を持っているのではないかと思います。

 

 日本にも、嘉手納基地や普天間基地、三沢基地、横田基地、横須賀基地、岩国基地、佐世保基地など100をこえる基地があります。

 北朝鮮に、ロシアや中国の軍事基地があるわけではないのに、どうしてこんなに多くの米軍基地があるのかを考えれば、アメリカが、韓国や日本を、アメリカの戦略に合わせて利用するためであることは、否定できないと思います。

 

 アメリカの中央情報局(Central Intelligence Agencyには

アメリカ合衆国に友好的な政権樹立の援助

アメリカ合衆国に敵対する政権打倒の援助

 という任務があるといわれていますが(Wikipedia)、「朝鮮戦争 38度線の誕生と米ソ冷戦」孫栄健(総和社)の下記抜粋文を読めば、そのことがよくわかります。

 大戦後、38度線で朝鮮を分断したアメリカは、朝鮮の人たちが強く望んだ朝鮮民族の独立を阻止し、「朝鮮人民共和国」を解体して、南朝鮮に強引に李承晩を中心とする反共右翼政権を樹立させたのです。

 朝鮮民族の悲願である「朝鮮人民共和国」がすでに建国されていたにもかかわらず、それを解体したアメリカ軍政庁の方針は、朝鮮の人たちの主権の行使を認めなかったということだと思います。

 

 日本でもアメリカは、日本人自身による重要な国策決定を封じ、レッド・パージや戦犯の公職追放を解除して、反共右翼政権を樹立させました。アメリカの介入がなければ、日本も組合労働者の支持した政権が日本の政治を動かしたのではないかと思います。でもアメリカは、それを許しませんでした。GHQの民主化政策を批判し、「逆コース」と呼ばれる占領政策の転換をもたらしたという当時のロイヤル陸軍長官の、「日本を極東における全体主義(共産主義)に対する防壁にする」という演説は、日本人の主権行使を認めないということだったと思います。

 

 以来、韓国や日本は、事実上アメリカの属国状態にあるといってもよいと思います。だから、アメリカとの同盟関係の強化など、すべきではないと思うのです。

 トランプ政権で、アメリカの属国状態を脱することができれば、日本や韓国は、もう少しまともな国になるのではないかと思います。   

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                 第一章。戦後、米ソ対立と南北体制の起源

                  第四節 分割占領下における政情の混乱

  (四)朝鮮人民共和国の解体

 だが、一方でアメリカ軍政庁とホッジ中将は、この呂運亨の軍政協力への拒否に激怒したとされ、朝鮮人民共和国勢力の政府的機能を禁圧する方針を固めたとされた。軍政庁は、きわめて強硬な人民共和国勢力への圧迫政策をとることになった。まず、109日に、アーノルド軍政長官は人民共和国指導者は幼稚であるばかりか、「自分らが朝鮮の合法政府としての機能を果たしうると考えるほど愚劣な詐欺師どもである」との露骨な悪悪罵と人民共和国の合法性を一切否定する軍政長官声明文を起草した。さらに、それを1010日付のソウルの全新聞に掲載せよとの占領軍命令を行った。

 だが、南朝鮮のどの新聞もその声明を批判した。とくに人民共和国に同情的な毎日新報は声明の掲載を拒否した。そのため、この毎日新報は、翌月に停刊処分を下されることになった。さらに、アメリカ軍政庁より、人民共和国の政府機能の停止と傘下保安部隊の解散が厳命された。ホッジ米軍司令官も1016日、南朝鮮における唯一の政府は軍政庁である旨を声明して、アメリカ占領軍の権力を宣明するとともに、人民共和国のような左派的勢力が「政府」を呼称し、行政類似行為を依然遂行していることに対する強硬態度を示した。

 

 人民共和国側は、このようなアメリカ軍政庁の態度に反発した。だが、軍政庁の人民共和国抑圧政策がつづき、その結果、人民共和国内部的にも、このような政情を睨んで、解体につながる動きが現れてきた。また、人民共和国の指導者である呂運亨が、1111日に新しい人民党を結成したことにより、それまで政府機能を維持し、議会や不安部隊をも構成、地方自治すら行っていた人民共和国は、一政党集団の位置にまで、みずから降りる方向にむかった。

 そのソウルにおけるアメリカ軍政庁と人民共和国の、せめぎ合いの山場である人民共和国の全国人民委員会代表大会が、1120日から22日までの3日間、南朝鮮全国の人民共和国参加諸団体の代表、およそ600名を集めて開かれた。その開催の注目的は、人民共和国はその名称から「共和国」という表現を取り去り、一政治団体として再編せよというアメリカ占領軍の指令に、どう対応するかにあった。

 だが、参加諸団体代表の、この3日間にわたる討議の結果、占領軍に対する支持を表明し38度線以南におけるアメリカ占領軍の権力は認めたが、「共和国」の呼称あるいは「政府」であるとの主張を禁止するとのアメリカ占領軍の要求は拒否することになった。しかし、一般的には、現状に対応して、アメリカ占領軍による具体に協力することが確認された。こうして、解放直後の一時期、南北朝鮮の国民自治政府としての萌芽をみせて広範な影響力を発揮したろ呂運亨指導下の「朝鮮人民共和国」は、その政権樹立の初期段階で終息にむかうことになった。

 それとは逆に、アメリカ軍政方針の支持のもとに、保守派の韓国民主党系などの右派的勢力がやがて南朝鮮政情の前面に出現して、徐々にその勢力を拡大するとともに、軍政下での南朝鮮行政機構の内部に浸透して行った。

 

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韓国、深刻な与野党対立の源

2025年01月19日 | 国際・政治

 尹錫悦大統領の支持者の集会では、いつも太極旗だけでなく、星条旗が見えます。香港の雨傘運動のデモでも、たびたび星条旗を目にしました。

 それは、尹大統領や大統領の支持者が、アメリカの影響下にあることを示しているのではないかと思います。だから、尹大統領の「非情戒厳」宣布の問題は、簡単に解決することはないように思います。アメリカが絡んでいるのではないかと思うからです。

 

 共同通信は、19日、「尹氏の支持者激高、地裁を破壊 ガラス割れ、崩れる外壁」と題して、下記のようなことをつたえました。

窓ガラスが割れ、建物の外壁が崩れ落ちる音が断続的に響き渡った。韓国の尹錫悦大統領の逮捕状を発付したソウル西部地裁では19日未明(日本時間同)、激高した尹氏の支持者が敷地内に侵入し、破壊行為に及んだ。何者かが噴射した消火器の煙が漂い、地面には粉々になったガラスが散乱した。一帯は不穏な空気に包まれた。

地裁の裏門が開け放たれ、なぎ倒された「ソウル西部地裁」の看板に男性が立ち足を踏みならす。「防犯カメラを切った。みんな入ってこい」。誰かが声を上げると、敷地外にいた一部が門からなだれ込んだ。

”保守系の尹政権と対立する革新陣営を敵視する群衆は、最大野党「共に民主党」の李在明代表を「逮捕しろ」「国籍を剥奪しろ」などと叫んだ。徐々に殺気立つ現場。男性の一人は止めてあった報道陣の車に殴りかかった。居合わせた人を「左派がいるぞ」と指さし小突き回す集団も出た。

 韓国メディアによると、逮捕状を発付した裁判官の名前を叫び、どこにいるのか捜す支持者らもいたという。”

 

 こうした尹大統領支持勢力の暴力的な対応は、韓国の民主主義を破壊しても、自らの利益を守ろうとする尹政権の体質のあらわれであり、その源は、戦後の対ソ戦略に基づくアメリカ軍政にあるのではないかと、私は、思います。

 だから、「朝鮮戦争 38度線の誕生と米ソ冷戦」孫栄健(総和社)から、そう考える根拠ともいえる部分を抜萃しました、

 戦後、南朝鮮に軍政を敷いたアメリカは、対ソ連の戦略的前線として南朝鮮を位置付け、朝鮮人民にとって怨嗟の的であった日本人官吏などの旧朝鮮総督府体制の温存、既存組織や既存社会体制の継続活用を進めたのです。当時の朝鮮一般市民の感情は、旧植民地時代の痕跡を一掃することであり、朝鮮社会の抜本的改革でした。そして、民族自決原則に基づく独立朝鮮国家の樹立を強くもとめていたのです。

 でも、アメリカは当時の朝鮮一般市民の感情を蔑ろにし、対ソ戦略で、旧時代の対日協力者である朝鮮人、いわゆる「民族反逆者」と当時呼ばれていた人物や彼らの組織を復活させ、反共的な親米政権をつくりあげるために利用したのです。以後、アメリカは、尹政権に至るまで、反共親米政権を支援しているのだと思います。

 また、第四節の(二)には、

これは、日本占領統治の遂行にあたって、日本の戦争責任を処断するよりも、米ソ対立状況の戦後世界において、天皇制度を含む日本の既存体制を温存し、それをアメリカ指導下で再編することによって、対日占領統治と以後の極東政策のために活用しようとした戦略傾向と共通するともみられた。”

 と、アメリカが、日本に対しても同じような対ソ戦略に基づく政策をとったことに触れています。

 それは具体的には、戦犯の公職追放解除や、レッド・パージによって進められたということだと思います。

 戦後、アメリカが日本と韓国で進めた対ソ戦略に基づく軍政は、日本や韓国のためではなく、アメリカのためであり、「カイロ宣言」の「同盟国は、自国のためには利得も求めず、また領土拡張の念も有しない」という内容に反すると思います。

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                 第一章。戦後、米ソ対立と南北体制の起源

                   第三節 米ソ両軍の南北朝鮮占領

 (八)米ソ軍事占領初期政策の相違

 だが、これは、解放者としてアメリカ軍を迎えようとしていた南朝鮮市民にとって、まったく予想外の展開として衝撃を与えた。とくに、朝鮮人民にとって怨嗟の的であった日本人官吏などの旧朝鮮総督府体制の温存と、アメリカ軍政での既存組織と既存社会体制の継続活用は実質上外国勢力による朝鮮支配体制の延長であり、また、直接的には、日本敗戦以後も 総督府の日本人官吏が、依然、朝鮮行政の中心となる形の意外なものであった。

 また、アメリカ軍の南朝鮮進駐最初の布告とソ連軍の北朝鮮進駐最初の布告を比較してみると、少なくとも、この19458月、9月における米ソ両軍の対朝鮮方針の、その内包する精神の落差は大きかったようだ。一方のソ連は、少なくとも表面的には慈愛的な解放者のポーズをとった。だが、もう一方のアメリカは厳罰主義を前面に出して、露骨な戦勝支配者としての軍政統治を表明した。さらに、この1945年夏から秋の米ソ両軍の南北朝鮮分割占領の当初の時点では、アメリカ軍とソウルのアメリカ軍政庁が行った占領支配政策、それも日本人役人・警官の継続雇用等の旧植民地統治機構をそっくり温存しての南朝鮮に対する直接軍政よりも、北朝鮮各道の人民委員会に自治を委ねて、その後方に退いて間接統治をしていたソ連軍の政策のほうが、解放と新時代への変革を求める朝鮮人民の願望に遥かにそったものであったことは、これは間違いなかったとされた。また、ソ連軍は、その軍内に多数の朝鮮系ソ連人を帯同しており、それもソ連の占領軍政を希薄化する効果を果たしたとみられた。

 

 すなわち、ソ連軍は北朝鮮における人民委員会を北朝鮮の自治行政組織として公式に受け入れて活用しようとした。これとは逆に、南朝鮮におけるアメリカ軍政は、対ソ連の戦略的前線として南朝鮮を位置づけ、そこに旧朝鮮総督府などの既存体制を維持利用したまま、直接軍政を施行しようとした。こうして、南朝鮮は「太平洋地域において本格的な軍政が実施された唯一の国」となり、日本占領のために用意されていた軍政班、民政班が南朝鮮に配転されて送り込まれることになった。

 

 だが、このような南朝鮮におけるアメリカ軍政庁の設置と、旧総督府日本人官吏の継続登用、旧植民地時代の朝鮮人官吏の継続登用などの方針は、ほとんどの朝鮮市民に失望と反発の感情を生じさせた。

 815日の解放以後の一般市民感情の趨勢は、旧植民地時代の痕跡を一掃する朝鮮社会の抜本的改革と旧体制の積悪の清算 民族自決原則に基づく独立朝鮮国家の樹立などをもとめていたのであった。また、その感情とエネルギーは各地の建国準備委員会・地方人民委員会に結集され、その夏から秋の時期では、それらの上部組織である朝鮮人民共和国が事実上の国民政府として全土の隅々まで影響力を持ち始めていた。

 しかし、この人民共和国勢力は、アメリカ軍政庁ホッジ中将とその幕僚たちからは左翼勢力、あるいは親ソ的な共産主義革命勢力とみなされていた。そのため、この系統の政治勢力は、ソ連勢力の南下を阻止するために南朝鮮に緊急展開したアメリカ軍の根本方針と、アメリカの国益にそうものではなかった。

 したがって、ホッジ中将とその指揮下の軍政班にとっては、南朝鮮占領統治開始にあたって、利用できる現地政治勢力が存在しなかった。そこでカイロ宣言などの国際公約を踏まえながらも、既存の旧朝鮮統治体制(朝鮮総督府)を維持継続させて運用しながら、その間に、朝鮮人に、しい親米的社会体制を育成することにしたとみられた。これは当然に反共反ソ的な性格のものである必要があった。そのため、当時の南朝鮮政情での最大の政治勢力であった人民共和国系や各地方人民委員会と、アメリカ軍政方針との衝突は避けられないことになった。

 このような1945年夏が過ぎて秋から冬にかけての数ヶ月の、以後の南北朝鮮の決定的な枠組みが形成される時期に、アメリカ軍の取った戦勝国軍としての占領軍政統治政策、すなわち既存組織(旧朝鮮総督府機構)と人員を流用しての直接軍政方針と、ソ連軍のとった人民共和国・人民委員会の立場と機能を認めて、それに表面的な自治行政の実権を与えての間接統治政策とでは、大きな差異があった。

 そして、より後者の方が、解放後の政治の季節での、一般朝鮮市民大衆の感情にそうものであったことは間違いないとされた。この米ソ両軍の分割占領政策における南北朝鮮管理方針の差が、以後の、1945年から46年にかけての、南北の新体制建設と政治的安定におけるポイントとなった。

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                     第四節 分割占領下における政情の混乱。

 (一) アメリカ軍政の人共否認と韓民党登用

 一方、米ソ両軍による38度線を境界とする南北朝鮮分割占領の、その当初の時期での朝鮮政情においては、すでに呂運亨率いる建国準備会とその後身である「朝鮮人民共和国」勢力が事実上の初期国民自治行政組織として、すでに目覚しい活動を展開していた。

 すなわち、815日以降の朝鮮全土を政治の嵐が吹きつづけた時期に、ほとんどすべての朝鮮大衆がもとめていたのは、過去の植民地時代の社会的不正の是正、旧体制の清算と新しい抜本的な社会改革であり、民族自決の原則にもとづく国民政府の創建であったからであった。その結果、南朝鮮での圧倒的大衆、すなわち圧倒的な比率を占める貧困な無産階級、旧日本統治時代に犠牲を強いられていた多数派は、解放後社会の抜本的改革をもとめて、結果として左派の指導する朝鮮人民共和国、その傘下の地方人民会を支持する形となった。

 しかし、このような人民共和国勢力と地方人民委員会の革命的、容共的な性格は、明らかにアメリカ政府の極東政策にそぐわないものであった。また、きわめて強固な反共主義者であるマッカーサー司令部の意向にも反するものであった。さらに、人民共和国勢力の主張する「朝鮮人民共和国」としての自治「政府」としての機能は、ルーズベルト構想にもとづく戦勝四大国による朝鮮への国際信託統治プランと相反する部分もあった。

 その結果、南朝鮮占領米軍は、この上級司令部など意図にそって、以後、「朝鮮人民共和国」なる朝鮮人民からの発生した自主的政府機能を否認するとともに、親米的朝鮮政権の養成に進もうとしたとみられた。こうして、南朝鮮を占領したアメリカ軍政の方針が、この系統の左派的な革命勢力より、既存の旧統治体制、すなわち旧植民地統治機構である朝鮮総督府組織維持利用にあることが、明確になって来る情勢となった。それは、旧時代における日本人総督官吏・警官をも継続利用する方向のものであった。また、旧時代においての対日協力者である朝鮮人、いわゆる民族反逆者と当時呼ばれていた人物集団、階級をも吸収しながら、反共的な親米政権をつくりあげるために利用するものとの印象を一般に与えたような方向の政策であった。

 

  (二) 派遣米軍の長期的占領政策の欠如 ・・・ 略

  (三) アメリカ反共軍政の開始

 そこで、ソウルに設置されたアメリカ軍政庁は、南朝鮮諸政党を軍政の便宜のために活用するに当たって、当然のごとく左派の、彼等から見てソ連勢力指導下にあると認識されていた呂運亨指導下の朝鮮人民共和国系を排除しようとした。逆に、右派の保守系であり、旧体制・既存体制の受益者でもある宗鎮禹、金性洙などの韓国民主党勢力を、左派への対抗勢力として育成、活用としようとした。 

 これは、日本占領統治の遂行にあたって、日本の戦争責任を処断するよりも、米ソ対立状況の戦後世界において、天皇制度を含む日本の既存体制を温存し、それをアメリカ指導下で再編することによって、対日占領統治と以後の極東政策のために活用しようとした戦略傾向と共通するともみられた。そのようなアメリカ極東政策の南朝鮮における結果として、解放直後の一時期逼迫していた旧植民地時代の対日協力者、買弁資本家、植民地官吏、職員、警官などが以後のアメリカ軍政時代において、結果として。保護温存されて、行政の全面に返り咲き、解放後社会において新受益層・権力者集団として復活して行くことになった。

 ・・・以下略

 

 

 

 

 

 

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尹錫悦大統領は自ら「出頭」したのか?

2025年01月17日 | 国際・政治

 混乱が続く韓国で、とうとう尹錫悦大統領は、官邸で捜査官に捕らえられて高位公職者犯罪捜査処(公捜処)に護送されました。

 でも、尹大統領は、大統領室と弁護団が公開した映像では、「望ましくない流血事態を防ぐため、ひとまず違法捜査ではあるものの、公捜処の出頭(要求)に応じることにした」と述べています。「出頭」したのではなく、官邸に入った捜査官に捕らえらにもかかわらず、「出頭」という言葉を使っています。公捜処の捜査員は、大型車によるバリケードや鉄条網などをはしごを使って乗り越え、公邸に入って拘束令状を執行したのです。「出頭」というのは、自ら出向くことだと思います。

 韓国が収拾できない混乱状態にあったわけでもないのに、「非常戒厳」を宣布し、権力を行使したのみならず、「出頭」することを拒否していたのに、拘束されたら「流血事態を防ぐため、公捜処の出頭(要求)に応じることにした」などと誤魔化す尹大統領を日本は高く評価し、「関係改善」とやらを進めていたこと、私は、きちんと反省する必要があると思います。

 野党が自らの政策を受け入れないからといって「非常戒厳」を宣布するのは、相手が言うことを聞かないからということで暴力を振るうのとかわらないと思います。

 

 裁判所が発付した逮捕状の執行については「銃器を用いてでも防げ」と指示していたという話もあるようですが、「出頭」という言葉遣いにも、尹大統領や、彼を支える側近・支持者などの非民主的な姿勢が読みとれるのではないかと思います。

 また、公捜処の出頭通知に応じなかったために、逮捕状が発付され、官邸に入った捜査官に捕らえられた事実を、日本のメディアも正しく伝える必要があると思います。

 

 また、見逃せないのは、こうした混乱状態が続く韓国を、岩屋外務大臣が訪れ、趙兌烈(チョ・ヨテル)外相と会談していることです。

 日本では、

 岩屋外務大臣とチョ外相は会談のあと、共同記者会見に臨んだということで次のようなことを伝えられています。

岩屋外務大臣は「日韓関係の重要性は変わらないどころか増してきている。日韓関係の改善の基調を維持・発展させるべく、引き続き、外相間でも緊密に意思疎通をしていきたい。状況が許せば、首脳間のシャトル外交もぜひ復活させていきたい」と述べました。

 また、アメリカのトランプ次期政権との連携について「諸般の事情が許せば、トランプ大統領の就任式に出席する方向で調整しており、その際に日韓米の戦略的連携がこれまでになく重要だということを、アメリカの新政権側にしっかりと伝えてきたい。これはチョ外相とも認識をしっかり一致させた」と述べました。

 

 また、岩屋外相は、韓国国会の禹元植(ウ・ウォンシク)議長とも面会し

日本と韓国は価値や原則を共有するパートナーで、国際社会のさまざまな課題にともに協力していける関係だ。現在の韓国国内の状況は重大な関心を持って注視しているが、私は韓国の民主主義の強じん性を信頼している

 と述べたといいます。

 さらに、岩屋大臣は14日には、大統領の職務を代行する崔相穆(チェ・サンモク)副首相兼企画財政相との面会もするというのです。

 

 また、「ソウル聯合ニュース」は

韓国国防部は15日、チョ・チャンレ国防政策室長が同日、北大西洋条約機構(NATO)のルーゲ事務総長補と面会したと発表した。

 両氏は北朝鮮とロシアによる実質上の軍事同盟・包括的戦略パートナーシップ条約の批准やウクライナに侵攻するロシアを支援するための北朝鮮軍派遣などの違法な軍事協力が朝鮮半島と欧州の安全保障に及ぼす否定的影響に深刻な憂慮を表明し、即時中止を求めた。

 また、韓国とNATO間の安保・国防協力の重要性を再確認し、「国別適合パートナーシップ計画(ITPP)」の国防分野履行のために努力することで一致した。

 ITPPは協議体の運営、サイバー防衛、軍備管理と不拡散、相互運用性、対テロ協力、気候変動と安保、新興技術、女性と平和など11分野における韓国とNATO間の協力の枠組みを規定した文書だ。

 チョ氏は韓国とNATOが防衛産業分野で協力を拡大できるよう、関心と協力を呼びかけた。”

 と伝えています。

 混乱さなかの韓国、尹政権高官に対するこうした西側諸国の要人の接触は、表向きの内容とは別に、尹政権支援のありかたを詰める意図があるのではないかと疑います。

 

 偶然か、意図的かはわかりませんが、朝日新聞15日、”根深い「女嫌」、見えた韓国社会の溝、「非常戒厳」と抗議 ジェンダーの視点で読み解く”と題する崔誠姫・大阪産業大准教授の記事を掲載しました。そこには

植民地期からの影響」ということで下記のように記されていました。

「女嫌」の背後にある軍隊文化、男尊女卑には、日本植民地からの影響も読み取れる。

 45年に大日本帝国が解体した後成立した韓国では、急ごしらえで軍隊を整える必要があった。朝鮮戦争では、旧満州国軍出身の朴正煕(パク・チョンヒ)ら、旧日本軍にルーツを持つ若手軍人が軍の主力として活躍し、朴が率いた軍事政権では国家の中枢を担った。教育でも植民地期の教員経験者が多く採用され、戦時下を背景に植民地期の制度が引き継がれることが黙認された。軍政下の学校では植民地期を思わせる軍事教練も行われた。今も多くある男子校や女子校は、植民地期の男女別学制度の名残りでもある。

 

 また、”にじいろの議”という欄に、”非常戒厳招いた韓国の権威主義、支えた思想 日本に源流” と題する郭旻錫・京都大学大学院講師の記事も掲載されていたのです。そこには、次のようにありました。

今回の戒厳が戦後韓国の権威主義的な政治体制の遺産であることは間違いない。この点からも戦後民主主義を謳歌してきた日本と明らかに違う。しかし、韓国の権威主義を象徴している朴正煕元大統領(191779)が帝国日本の体制下で満州国陸軍軍官学校を首席で卒業し、関東軍の将校として務めた歴史的な事実を想起すると、ただのひとごとではなくなる。しかも朴正煕が独裁色を強めた政権後期の「維新体制」を思想面から支えようとした哲学者朴鍾鴻(パク・チョンホン:190876)が、戦前日本哲学の有力な潮流だった京都学派にその根を持っていたとすればどうか。”

 

 いずれも、今回の尹大統領の「非常戒厳」宣布の背景に、植民地期の日本の影響があることを指摘しているのです。

 でも私は、その日本の影響の具体的な経緯や歴史が、そういうこと以上に重要だと思います。

 なぜ、日本の植民地期の制度が、民主化される筈だった戦後の韓国に引き継がれたのか、ということがこそが重要であり、そこに焦点を合わせなければ、問題は克服できないのではないかと思います。

 尹錫悦大統領は暴力的に「非常戒厳」を宣布し、権力を行使したのみならず、「出頭」することを拒否して、法の支配に背きました。

 また、先だって日本では、岸田首相が、突然、浜田防衛相と鈴木財務相に対し、来年度から5年間の防衛費の総額について、およそ43兆円を確保するよう指示しました(その後、バイデン米大統領は、ABCテレビのインタビューで、自身の功績として「日本に予算を増額させた」と述べました)。

 この防衛費増額の指示は、国会はもちろん、閣議でも議論されていない独裁的決定でした。自衛隊からの要求さえなかったのです。でも、メディアが追及したのは、財源の問題であり、手続きの問題ではありませんでした。それが常々、中国やロシアに対しては、「法の支配」や「民主主義」を要求する日本の実態です。

 こうした韓国や日本の「法の支配」や「民主主義」に反する政治は、戦後、アメリカが韓国や日本に軍政を敷き、反共政権を誕生させたことに端を発するのだと思います。それが、現在もなお続いているのだと思います。

 以前取り上げたことがありますが、朝鮮半島の38度線がいつどのように、なぜ設けられたのか、また、すでに建国委員会が建国を宣言していた「朝鮮人民共和国」が、まったく支援されることなく潰され、38度線を国境とするようなかたちで、韓国が独立したのはなぜなのか、というようなことを調べれば、それが、アメリカの対ソ戦略からきていることがわかると思います。

 言ってしまえば、韓国や日本におけるアメリカの軍政は、韓国や日本の民主化のためではなく、実は、アメリカの対ソ戦略に基づき、反共右翼政権を育てることにあったということだと思います。

 

 

 

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搾取・収奪による格差拡大がもたらす悲劇

2025年01月13日 | 国際・政治

 下記は、再び「ルポ 資源大陸アフリカ 暴力は結ぶ貧困と繁栄」白戸圭一(朝日文庫)から、「終章 命の価値を問う ~南アフリカの病院から~」の一部を抜萃しました。南アの「経済格差」が、医療現場における深刻な差別につながっているという現実がよくわかると思います。

 問題は、同じ人間なのに、なぜ、こんな差別・選別が行われているのか、ということだと思います。

 前回取り上げた白戸氏の、”私の心には、常に一つの問題が影を落としていた。”という言葉も、”経済成長と異様な格差の拡大が進行する南ア” は、今のままではいけないのではないかということだと思います。

 そして、私はそれが搾取や収奪を伴う資本の論理の必然的な帰結である側面を見逃してはならないと思います。

 

 21世紀の資本』 で知られる トマ・ピケティは、国際社会は富の再分配や資本への課税など、制度的な改革が必要であると主張しています。真剣に受け止めるべきだと思います。

 バブル経済崩壊後、日本経済は長期のデフレに陥り、企業はコスト削減のため、賃上げを抑制し続けました。また、非正規労働者を増やしました。だから、実質賃金はずっと減少傾向にあります。でも最近の日本は、企業の収益が向上し、内部留保が増加しているにもかかわらず、なお実質賃金の低下が続いています。それを乗り越える改革はなされていません。だから、富の集中や格差の拡大が、不平等拡大につながり、南アのように差別や選別などの道徳的頽廃をもたらして、さまざまな問題を生みだしていくと思います。

 搾取や収奪を放置せず、富を分け合う制度をしっかり確立しないと人間性は失われていくように思うのです。奪い合ってばかりでは、戦争もさけられないと思います。

 だから、高所得者や大企業への累進課税の強化、不動産や金融資産などに対する財産税の導入などを制度化し、富の極端な集中を止め、格差の解消ができるかどうか、人類は問われていると思います。

 富の偏在や極端な格差は、資本家や経営者の人間性も蝕み、社会不安が深刻化する原因にもなると思います。イスラエルの戦争犯罪やイスラエルを擁護するアメリカの政治姿勢、また、南アの格差は、そうした資本主義の矛盾と無縁ではないと思うのです。

 だから、富の集中を止め、格差を解消する制度改革が国際的レベルできなけれれば、ふたたび戦争への道を歩むことにもなるように思います。

 労働者は賃金に注目し、資本家や経営者は剰余価値に注目するのは、資本の論理の当然の帰結ですが、最近の日本では、資本家や経営者が労組を抑え込み、労働者の組織も自らの影響下に置くようになっているように思います。内部留保にさえ課税できず、労組が資本家や経営者の手先として働くようでは、富の集中が一層進み、格差がさらに拡大し、南アやガザにおけるような不道徳がまかり通ってしまうことになると思います。

French economist Thomas Piketty caused a sensation in early 2014 with his book on a simple, brutal formula explaining economic inequality: r is greater than g (meaning that return on capital is generally higher than economic growth). Here, he talks through the massive data set that led him to conclude: Economic inequality is not new, but it is getting worse, with radical possible impacts. "

フランスの経済学者トマ・ピケティは、2014年初頭に、経済の不平等を説明する単純で残酷な公式に関する著書でセンセーションを巻き起こしました:rgより大きい(つまり、資本利益率は一般的に経済成長よりも高いことを意味します)。ここでは、彼は「経済的不平等は新しいものではなく、深刻化しており、根本的な影響をもたらしている」という結論に至った膨大なデータセットを通じて語っています。(機械翻訳)。

 

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                 終章 命の価値を問う ~南アフリカの病院から~

 

 四年に及んだヨハネスブルグの暮しの間、我が家にはずっと住み込みのメイドがいた。黒人の女性で名前をリリアン・モガレという。私が着任した2004年に55歳を迎えた彼女は、16歳のときからいくつかの白人家庭でメイドとして働いてきたメイド歴40年の大ベテランだった。アバルトヘイトが終わった今でも南アの白人家庭や我々外国人の家ではメイドを雇用することが普通で、私は前任の特派員から彼女を引き継いだ。

 サラリーマン記者の家に「メイドがいる」などと書くと、日本では贅沢だと批判を浴びそうだが、解雇すれば困るのは私の方ではなく彼女の方だという問題があった。南アの失業率は常時40%前後の高率で推移しており、道端でタバコなどを売るインフォーマルセクターの労働者を「雇用あり」とみなした場合でも25%前後に達していた。十代前半までの教育しか受けてない50歳を超えた彼女が一度職を失ったら再雇用は絶望的だろう。

 リリアンは我が家の片隅にある台所、トイレ、風呂を備えたメイド用の部屋で暮らしており、毎月最後の週末にヨハネスブルグの西約300キロのメフケンという町の弟一家が住む実家へ帰省していた。彼女には4人の子供がおり、その内の一人は不幸にも殺人事件の被害者となって他界していた。他の3人の子供はいずれも成人していた。その中にグラッドネス(29歳)という娘がおり、ヨハネスブルグ近郊の旧黒人居住地区ディーエップに建つ8畳一間ほどのバラック小屋で娘のタバン(6歳)と暮らしていた。リリアンは普段の週末はグラッドネス宅へ顔を出し、気分転換しているようだった。

 私の南アの暮らしが始まったばかりの20045月のことだった。夕食の皿洗いを終えたリリアンが「クラッドネスの具合が悪いので様子を見にいきたい」と言った。ディーエップスルートまで乗り合いタクシーを乗り継いで行くので片道一時間半はかかる。

 メイドが個人的な窮状を訴えたからといって、いちいち取り合わないのが南アの白人家庭の一般的な対処法である。普通なら「行っておいで」と送り出すだけだろうが、南アに着任して間もない私はリリアンに同行して夜の旧黒人居住区の様子を見てみたくなった。治安の悪い黒人居住区に非黒人の私が夜間出向くのは危険だったが、リリアンを車の乗せてディーエップスルートへ向かった。夜のヨハネスブルグの道は交通量が少なく、幅の広い直接道路を時速100キロで前後で走ることができる。北西に30分ほど走ると人家が途絶え、さらに草原の真っ暗な一本道を5分ほど走ると左手の平原にディーエップスルートの明かりが見えてきた。

 アパルトヘイト時代に造られた旧黒人居住区は、街全体が緑に覆われた白人の居住地域とは対照的に、砂埃の立つ乾燥した荒れ地にある。

 ほとんどが街の中心から離れた場所に立地しており、街と居住区を結ぶ道路は大抵、一本しかない。アパルトヘイトという単語はオランダ語系白人の言葉アフリカーンス語で「隔離」という意味なのだが、あの悪名高い人種差別政策が文字通り黒人を「隔離」して搾取するものだった事を実感する。平原のただ中にマッチ箱のような小さな民家が立ち並ぶ光景は、アパルトヘイト時代を今に伝える象徴的な光景である。

 グラッドネスが住むトタン造りの小屋に着くと、彼女は薄暗い裸電球の下のベッドで唸り声をあげていた。のぞき込むと、顔全体が試合に負けたボクサーのように腫れ上がっている。瞼の腫れで目を開けることができないほどだ。「夕方仕事を終えて家に帰ったら急に気分が悪くなって顔が腫れ上がり、熱も40度くらいありそうだ」と言う。

 グラッドネスは「公立の診療所は閉まっている。朝まで我慢する」と言ってきかない。車でヨハネスブルグまで戻れば、我々在留邦人が利用する私立の総合病院サントンクリニックがある。私が「朝までに、もしものことがあったらどうするんだ。サントンクリニックへ連れて行ってやる」と言うと、今度はリリアンが「そんな金を誰が払うんですか」と肩をすくめた。6歳の一人娘タバンが目に涙を浮かべながら大人たちのやり取りを聞いている。

 南アには日本のような国民皆保険制度はない。正確に調べ上げたわけではないので断定はできないが、サハラ砂漠以南のアフリカに皆保険制度の国があるとは到底思えない。保健の恩恵に与るためには、自分で民間の保険会社に毎月保険料を払わなければならない。低所得者層は保険料を払う余裕がなく、南ア保健省の統計では、総人口(約4800万人)のおよそ7割にあたる3300万人が無保険状態という。こうして少数派の中間層以上の国民は医療水準の高い私立病院へ、多数を占める低所得者層は無料診療が原則の公立病院へという一種のすみ分けができていた。

 

 リリアンの月給は、前特派員の時には1300ランド(約23千円)。ヨハネスブルグで働くメイドの平均的な金額だったが、私はこれを月給2000ランド(約36千円)にまで引き上げた。南アのメイドとしては誰が聞いても驚く最高水準だが、彼女が南アにおける典型的な低所得者であることは変わりなかった。白人が経営する文房具店の店員だったグラッドネスの月給は3000ランド(約54000円)。都市部の黒人労働者階層の平均的な金額だが、こちらも低所得者であることに変わりはない。

 当然ながら、そんな2人が保険に加入しているはずがない。私立病院のサントンクリニック行けば治療の内容によっては月給の何倍もの金を請求される可能性があり、リリアンが肩をすくめるのも無理はなかった。

 風船のように腫れた顔を見かねた私はグラッドネスとリリアンを車に押し込み、サントンクリニックへ向かった。夜間の急患窓口では10人ほどが診察を待っていたが、私たち以外は全員白人だった。私立病院ではまず、診療申込書の「支払い責任者」の欄に署名しなければならない。高額の出費が予想される時には、前金で支払いを要求され、私がマラリアで入院した際は入院前に日本円にして20万円ほどを前金で支払った。診療後や退院時に金を払えずトラブルになるのを防ぐためで、逆に言えばそれだけ払えない人が多いということでもある。

 この日は私が支払い責任者となり、実際に全額を支払った。医師によるとグラッドネスの顔の腫れと高熱は、埃に混じって吸入した何かよって生じた急性アレルギーショックの疑いがあるとのことだった。注射してショック状態を鎮め、一晩入院することになった。

 支払いは400ランド(約7000円)だった。思いのほか低料金だった、と言いたいところだが。それは私にとっての話だ。400ラッドはグラッドネスの月給のおよそ七分の一、リリアンの月給の五分の一に相当する。ちなみに、この年の4月に発表された国連の推計では、南アの総人口の48.5%は毎月350ランド(約6300円)の所得で暮らしていた。国民の半分は、一か月の所得がこの日の診療代にも満たないのだ。

 グラッドネスのアレルギー騒ぎ以来、私は黒人低所得者が頼りする南アの公立病院の実態に関心を持った。我々在留邦人は「病気になっても怪我をしても、必ず私立病院に行くように」と前任者などから助言されてはいるが、公立病院の内情を知ってる人となると実はほとんどいない。そこで他の仕事の合間を縫って取材しようと考えていたところ、思いがけないことでその実態を垣間見ることになった。きっかけは、今度リリアンの親族であった。

 アレルギー騒動から三か月後の8月末のことだった。リリアが険しい顔をしているので声をかけると、「入院中の姪の具合が悪いので見舞いに行きたい」と言う。ヨハネスブルグ市内のヘレン・ジョセフ公立病院に、ヘリエットという名の32歳の姪が交通事故による怪我で入院しているという。

 公立病院の内情に興味を抱いていた私はリリアンを車に乗せて病院へ向かった。車中でリリアンに聞いたところによると、ヘリエットはヨハネスブルグの南西側に位置する南ア最大の旧黒人居住区ソウェトに14歳の娘と2人で暮らしていたという。「高等専門学校を卒業して、そこそこ大きな会社で働いていた」というから、低所得者ばかりのリリアンの親族の中ではやや例外的な存在だ。

 超格差社会の南アでは、学歴と職種による給与の差が日本と比較にならないほど大きい。メイドや工場現場の作業員は月収千数百ランドもらえれば御の字だ。スーパーマーケットの店員が3000ランド(約54千円)を超えることはまずない。一方、例えばトヨタのような自動車会社の工場の製造ラインで働く労働者の場合職種や経験によって違いはあがるが、6000ランド(約108千円)から1万ランド(約18万円)ぐらいの人が多いようだ。これが大企業に就職した大卒者になると、月給1万ランド前後からスタートし、四十代では日本の大企業に勤める大卒サラリーマンとほぼ同じ給与水準に達する。

 ヘリエットは黒人女性では珍しく自家用車を運転していたので、1万ランド近い月収があったのではないだろうか。高度成長期の日本で自動車、クーラー、カラーテレビの「3C」が庶民の憧れだったように、経済成長著しい南アの新黒人中間層もローンを組んではこぞってマイカーを購入し始めていた。国内自動車販売台数はうなぎ上りで、2004年の年間約48万台は06年には70万台を超えるまでになった。新車購入者の四分の一、中古車購入者の約4割が黒人だという統計を見たこともあった。

 だが、現在は年間6000台まで下がった日本の年間交通事故死者数が高度成長期には15000人を超えていたように、急激な自動車社会の到来は往々にして莫大な犠牲を伴う。歩道の未整備、歩行者保護やシートベルト着用などの安全意識が未熟なこと、事故の際の救命体制の整備が追いつかないことなどが相俟って、南アの2005年の交通事故死者は14,316人に達した。人口十万人当たりの死亡率30.5人は統計が存在する世界の44カ国でワーストワンである。

 ヘリエットは7月下旬、ヨハネスブルグ市内の幹線道路で購入したばかりのマイカーを運転中に正面衝突し、シートベルトを締めてなかったためにフロントガラスで頭部を強打していた。

 この時、彼女が医療保険に加入していなかったことが運命の分かれ目になったと言えるかもしれない。保険に加入していることが何らかの方法で確認されれば、救急車は保険会社と提携している近くの私立病院へ自動的に向かう。だが、現場に到着した救急車は公立病院へ向かった。発送先では頭部のレントゲン写真が撮影され、医師は「異常なし」と判断。なんと彼女を帰宅させた。交通事故で頭部を強打している状態でCTスキャンによる検査もしないなど、日本の読者には信じられない話かもしれない。だが、これが南アの公立病院の実態であった。

 帰宅後、ヘリエットは吐き気と目眩(メマイ)を訴えて床に倒れ、今度は自宅から比較的近いヘレン・ジョセフ病院(公立)へ救急搬送された。病院の検査についての知識を持たないリリアンは、ヘリエットがどのような検査を受けたのか正確には知らないが、親族の話を総合すると、彼女はここで初めてCTスキャンの検査を受けたようだ。検査の結果、脳に重大な損傷があることが判明し、緊急手術が行われたが、状態は悪化の一途で危険な状態に陥った。

 私とリリアンが病院に着いたのは夕方6時頃だった。冬の南アは日暮れ早く、外はすでに真っ暗だ。レンガ造りの古い病棟は、昭和2030年代の建物のようだった。先に到着していた親族の案内で薄暗い廊下を歩いて行くと、短い蛍光灯が一本あるだけの暗い病室のベッドにヘリエットが横たわっていた。酸素吸入器をつけ顔はむくみ、紫色に変色している。マラソンを終えた後のような荒い呼吸を続け、静かな部屋に「ゼーゼー」という呼吸音だけが響いた。医学に詳しくない私にも、彼女は危険な状態にあることは即座に分かった。だが、病室には医師も看護師もいない。点滴一本を施されておらず、それどころか病棟全体ががらんとしていて、我々以外に人の気配がないのだ。

 ヘリエットの様子を見るなり、リリアンは手で顔を覆って泣き出した。我々より一足先に病院に来ていた娘のタバホ(14歳)は、変わり果てた母親の姿を見て号泣し、親族の男性に抱きかかえられてようやく立っていた。

 病棟の看護師詰め所をのぞきに行くと、太った黒人の女性看護師が2人でケラケラと笑いながら、おしゃべりの真っ最中だった。無性に腹が立った私は「ドクターを呼べ」と2人に詰め寄った。妙なアジア人の登場に、2人は一瞬、キツネつままれたような顔をしたが、一人が椅子に座ったまま机に肘をつき、ふてくされた表情で「ドクターはいない。夜は緊急の時しか呼ばない」と言った。「素人の俺が見ても患者は危ないと思うが、あれは緊急じゃないのか?」と言うと、同じ看護師が「うるさいわね。あたしの仕事じゃないわよ。あっちへ行きなさいよ」 と逆上して声を張りあ上げた。

 彼女たちの名誉のために言えば、南アの公的機関では、彼女たちの対応は特別でもなんでもない。警察署、入国管理事務所、自動車車両登録のオフィスまで、こんな対応はザラにある。

 私はリリアンを連れて家帰った。翌朝8時ごろ、ヘリエットが息を引き取ったとの電話がリリアンのところにあった。その日の夕方、再びリリアンを乗せて病院へ向かい、前日と同じ病室へ入った。亡くなってから半日近く経つというのに、遺体は同じベッドに寝かされたままだった。

 

 

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世界の犯罪首都、ヨハネスブルグの格差と暴力

2025年01月10日 | 国際・政治

 下記は、毎日新聞社ヨハネスブルグ特派員・白戸圭一氏が、駐在当時のヨハネスブルグの驚くべき状況について綴った文章です。

 驚くべき状況の一つは、”我々は敷地面積600坪はあろうかという支局兼住宅に住むことになった”という、まさに「セレブ」の仲間入りといえるような生活環境と地元民との歴然とした「格差」です。

 驚くべき状況のもう一つは、”特にヨハネスブルグは「世界の犯罪首都」と呼ばれるほど治安が悪化し、手の施しようがない状態であった。”という日本では考えられないような犯罪多発の問題です。

 

 大事なことは、白戸氏が、セレブの生活を謳歌しつつ、”私の心には、常に一つの問題が影を落としていた。”として、”経済成長と異様な格差の拡大が進行する南アは、治安の崩壊という深刻な問題に直面しているのだ”という問題意識を持ったことです。

 欧米の人たちの多くは、そういう捉え方をしないのだろうと思います。

 大航海時代以来、世界中で植民地を広げ、国際社会をリードしてきた欧米人の多くは、文化的に遅れている人種や民族は、欧米人の支配に服して当然だという意識を持っているのではないかと思います。だから、先住民と欧米人の生活レベルの違いを「格差」とは受け止めないのではないかと思います。

 また、白戸氏は、「格差」と「暴力」も関連付けて考えています。それも重要な視点だと思います。

 私は、南アのアパルトヘイト政権下で非暴力の抵抗運動を貫いたネルソン・マンデラ率いるアフリカ民族会議(ANCが、その後も政権を維持してきているのに、暴力がなくならない理由は、南アだけを見ていてはわからないと思います。

 マンデラは、暴力は新たな憎しみを生み出し、問題解決には繋がらないと主張し、アパルトヘイトという不正義な制度に対して、平和的な手段で対抗することを求めました。対話を重視し、 法の支配や民主主義を追求していたのです。

 でも、マンデラ大統領誕生後、20年以上経過しているのに、暴力がなくなりません。それは、外部勢力がその「暴力」に関わっているからだと思います。

 私は、「格差」と「暴力」と「欧米の関わり」を追及すれば アフリカや中南米、中東やアジアにおける国々の諸問題が見えてくるのではないかと思うのです。

 

 先日アメリカのバイデン大統領は、日本製鉄による米鉄鋼大手USスチールの買収を阻止する命令を出しました。私は、暴力的な命令ではないかと思います。バイデン大統領は買収を禁止した理由について、国家安全保障への脅威を挙げ、”アメリカの鉄鋼業界とそのサプライチェーンを強化するためには、国内での所有が重要だ” と述べたということです。でもそれは同盟国日本に対する差別であり、自由貿易の考え方にも反する、不当な政治介入だと思います。

 アメリカ企業による日本企業の買収を、同じようなかたちで、日本の総理が阻止できるかどうかを考えれば、その差別性は明らかではないかと思います。

 日本を信用しないアメリカに、日本は基地を与え、特権を与えて、命を預けているという状態であることを忘れてはならないと思います。”国家安全保障への脅威”などというのは、現実を無視した差別的な言いがかりだと思います。でも、バイデン大統領はその差別性を意識してはいないのではないかと思います。

 日本には、北海道から沖縄まで、全国各地に130か所の米軍基地1024平方キロメートル)があるといいます。そのうち米軍専用基地は81か所で、他は自衛隊との共用だということです。

 安保破棄中央実行委員会によると、

日本の主な米軍基地は、三沢空軍基地(青森県三沢市)、横田空軍基地(東京都福生市など)、横須賀海軍基地(神奈川県横須賀市)、岩国海兵隊基地(山口県岩国市)、佐世保海軍基地(長崎県佐世保市)と沖縄の米軍基地群があります。

 また基地以外に、訓練空域、訓練水域が米軍に提供されています(公海、公空を含む)。面積は、九州よりも広大なものです。”

 ということです。自らの利益を顧みず、日本はアメリカに尽くしていると思います。でも、アメリカは、そんな日本の企業、日本製鉄による米鉄鋼大手USスチールの買収を政治的に阻止するのです。

 だから私は、日本の米軍基地の存在が、日本の外交関係一般を規制し、また、ロシアや中国、北朝鮮との関係改善を不可能にしているばかりでなく、緊張をもたらいることを踏まえて、日米関係を捉え直すことが必要ではないかと思います。

 

 アメリカを中心とする欧米の政治家は、現実に存在する差別を差別と意識しないで、当然のこととして対応してきていると思います。アフリカや中南米、中東やアジアの国々に対しさまざまな差別をしていると思います。

 ヨハネスブルグにおけるような極端な「格差」、他民族を蔑視する姿勢、また、それにも増して、南アのような非米や反米の政権に対するアメリカを中心とする欧米諸国の関与、特に、反政府勢力に対する武器供与を中心とする支援が、治安の悪化にいろいろな影響を与えているのではないかと思うのです。

 

 下記は、「ルポ 資源大陸アフリカ 暴力は結ぶ貧困と繁栄」白戸圭一(朝日文庫)から、「序章 資源大陸で吹き上がる暴力」の一部を抜萃しました。

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                      序章 資源大陸で吹き上がる暴力

 

 20081月初め。毎日新聞社ヨハネスブルグ特派員の私は、大統領選挙を取材するためにケニアに出張していた。首都ナイロビのホテルで原稿を書いていると、南アフリカ共和国のヨハネスブルクの自宅で留守を預かる妻から電話がかかってきた。

「精神的なショックが心配なの。事件の後、とても怖がっていて、夕方になると家中の戸締りを確認して回ったりするのよ。仕事は大変だと思うけど、できるだけ早く帰って来て欲しい」

 ヨハネスブルグの地元の小学校に通う二年生の長女が、一人で同級生宅に遊びに行ってたところ、銃を持った黒人の男五人が塀を乗り越えて、その家に押し入った強盗事件の発生を報せる電話だった。事件の発生は午後一時ごろ。5人組は家の中にいた娘、同級生、同級生の家族3人の計五人を銃で脅し、現金や車を奪って逃走したという。

 この時点で私たち家族のアフリカ暮らしは三年十ヶ月に及んでいた。東京の本社からは3月末には帰宅してもらう方向で調整中との話が聞こえてきており、我が家は住み慣れたヨハネスブルクの家を引き払う準備を始めていた。

 身辺で日常的に凶悪犯罪が起きるヨハネスブルグではほぼ四年間、私を除く家族のだれも犯罪被害に遭わずにいたことの方が奇跡的とも言えたが、任期の最後の最後に、よりによって娘が被害に遭うとは──。電話を切った私は天を仰ぎ、その場に居合わせた誰にも怪我のなかったことに胸をなで下ろした。

 我が家を含む日本企業の駐在員は、ほとんどがヨハネスブルグ北部のサントンと呼ばれる高級住宅街に住んでいる。初めて南アを訪れた人は、サントンの景観に「ここがアフリカ?」と目を疑うに違いない。ハリウッド映画に登場するロスアンジェルス郊外のビバリーヒルズの豪邸。サントンの住宅街ではあれが普通だ。南アの「本当の豪邸」は、森にたたず欧州の古城とても形容するほかない。

 東京でマンションを借りるのとさして変わらぬ家賃を払った結果、我々は敷地面積600坪はあろうかという支局兼住宅に住むことになった。庭は一面の芝生で、片隅には澄んだ水をたたえたプールがあった。私たち夫婦は長女と長男が通う地元の私立校の保護者達と親しくなり、彼らを呼んでパーティーに興じたこともあった。邸宅の片隅にはメイドが住み込んでおり、室内の掃除、洗濯、皿洗いなどをやってくれる。広大な庭に群生する木々の手入れは素人の手に余り、週に一度は大家宅に住込んででいるマラウィ人男性の庭師がやって来て、手入れに勤しんでくれた。

 だが、そんな暮らしを謳歌する私の心には、常に一つの問題が影を落としていた。

 家族団欒の時、レストランでの食事中、車の運転中、子供を学校へ送り出した後、そして就寝時も、決して心の底からリラックスすることはできない。経済成長と異様な格差の拡大が進行する南アは、治安の崩壊という深刻な問題に直面しているのだ。娘が巻き込まれた事件など、南ア国内で起きている天文学的な数の犯罪の氷山の一角に過ぎないが、それでも個々の被害者と家族にとっては深刻な話である。

 経済成長が続けば雇用機会や所得の増加で犯罪は減少していく、というのが一般的な理解であろう。だが、南アでは成長が持続していたにもかかわらず、治安情勢に改善の傾向はないのだ。1994年の民主化後には、凶悪犯罪の発生率が世界最悪の状態となり、今に至っている。特にヨハネスブルグは「世界の犯罪首都」と呼ばれるほど治安が悪化し、手の施しようがない状態であった。

南ア政府が毎年発表する犯罪統計が、絶望的な治安状況を何よりも雄弁に物語る。2005年度の殺人事件の認知件数は18,545件、06年度は19,202件、07年度は18487件とほとんど横ばい状態であった。この殺人認知件数がどれほど凄まじい値なのかは、発生率を諸外国と比較して見れば分かる。例えば、南アの2016年の人口10万人当たりの殺人発生率は40.5 件。これは日本の約40倍。英国の約28倍都市部を中心とした凶悪犯罪発生率が高い米国に比べても約7倍の高率なのだ。サッカーワールドカップ開催を控えた国のイメージに気をつかう南ア政府は「治安の改善」を強調するのに躍起だ、その結果、時には情勢操作すれすれの発表も行なわれている。

 一例を挙げると、捜査当局によって認知された殺人事件の発生率の問題がある。

先述した通り、2006年度の南アの人口十万人当たりの殺人発生率は40.5件。一方、南米のコロンビアでは2000年に十万人当たりの殺人発生率が61.78件に達したことがあり、この両方の数字を比較する限り、南の殺人発生率はコロンビアよりも低いとの印象を持つ。だが、ヨハネスブルグの民間シンクタンク「南ア人種関係研究所」のカーウィン・リボーン氏は、この数字の出し方に巧妙なトリックが隠されていることを見抜いた。

 同氏によると、殺人事件の件数を発表する際、国際的には殺人未遂事件の件数も含めて「殺人認知事件数」と発表するのが常識となっているのだが、南政府は意図的に殺人未遂事件の検証を除外して発生件数を発表しているのだ。国際的な常識に従って、「未遂」を含めて殺人発生率を計算し直すと、2006年度の南家の殺人発生率は十万人当たり82.9件。2000年のコロンビアをはるかに上回る脅威的な発生率になるのだ。

 強盗事件はどうか。日本では近年、年間5000件超程度の強盗事件の発生が報告されている。これに対して南アの場合、年間20万件前後が発生している。南アの人口は日本のおよそ三分の一だから、発生率はおよそ120倍だ。ちなみに南アでは、よほど社会的に注目される事件でもない限り、日常発生する強盗事件では捜査自体が行われない。私の娘が巻き込まれた事件でも、警察官は一応現場に来てくれたが、被害者から簡単な聞き取りをして終わり。犯行現場で指紋や足跡を採取する鑑識捜査が行われることもまずない。ショッピングセンターで激しい銃撃戦が行われ、警察への緊急通報が相次いでも、警察官の現場到着が一時間後だというケースもざらだ。こうして私は日本で生涯に見聞するであろう犯罪被害の何百倍もの犯罪被害を、わずか4年の南ア駐在のうちに見聞することになった。

 私達家族がヨハネスグループで最も親しくしていた日本人家族の場合、奥さんと小学生の娘さんが日曜日の朝、教会で礼拝中に強盗団に襲われた。強盗団は、信仰の場だからといって容赦しない。銃もった数人が教会に押し入り、その場にいた数十人を床に腹ばいに寝かせ、この奥さんは結婚指輪を奪われてしまった。

 英文書類の翻訳のアルバイトを頼んでいたヨハネスブルグ在住の日本人青年は、自宅にいたところを侵入してきた4人組に襲われた。拳銃を口に突っ込まれた状態で室内を案内させられ、現金や貴金属を奪われた挙句、最期は粘着テープで全身を縛られた。

 私の仕事を手伝ってくれる黒人男性、我が家の大家、近所の住人たち、親しくしていた南ア人と日本人双方の家族。4年間の駐在の間に、こうした身近な人々の大半が、なにがしかの形で強盗被害に遭っていた。我が家の玄関前では白昼に拳銃強盗があり、子供達の通う学校に警察に追われた武装強盗が逃げ込んだこともあった。身の回りの犯罪被害を詳しく書いていけば、それだけでこの本は間違いなく終わってしまう。

 私自身は一度、車を低速で運転中に運転席の窓を叩き割られたことがあったが、これは南アでは犯罪被害とも言えない体験である。

 「芝生の庭」や「プール」のある暮しと書けば、大方の日本人は南アの人々羨望の眼差しを向けるかもしれない。一介のサラリーマン記者の私も、ヨハネスブルグで「にわかセレブ」のごとき暮らしを実際に始める前はそうであった。

 だが、この暮らしは、半ば要塞化された警備体制の上に、かろうじて成り立っているのが実情であった。

 拙宅の通りに面した塀の上には、電流フェンスが張り巡らされ、塀を乗り越えることができないようになっていた。玄関と勝手口にはいずれもドアが二枚あり、外側は鋼鉄製の格子状のドア、内側は分厚い木製ドアだった。全部で24ある家の窓はすべて頑丈な鉄格子で覆われていた。

 室内には赤外線センサーが張り巡らされ、就寝時には寝室を除いてセンターのスイッチを入れる。室内で何かの「動き」を感知すれば、100m離れていても聞こえる警報が鳴り響き、契約している民間警備会社から銃を持った警備員が駆け付ける仕組みであった。家の中では全部で七つの非常通報ボタンがあり、これを押しても警備員が駆け付けるようになっていた。

 ここまで警備体制を固めれば、賊の侵入は不可能と思われるかもしれないが、こんな警備体制を突破することなど、南アのプロの強盗団にとっては赤子の手を捻るようなものであった。最後の頼みは、犬の放し飼いであったが、いずれ帰国する外国企業の駐在委員にとって、犬の飼育は容易ではない。そこで南アには、訓練された犬を貸し出すビジネスがあり、我が家も三頭のシェパードを借りて放し飼いにした。とはいえ、なにせ広大な庭である。雨の夜などシェパードの耳と鼻をもってしても侵入を感知することは難しく、三頭でも充分とは言えなかった。何よりも、毒を混ぜた肉やチョコレートを庭に投げ込まれれば、番犬の効果も無きに等しかった。自宅を鉄壁の要塞にしてみたところで、犯罪被害から逃れることはできない。外出先で襲われれば手も足も出ない。

 外出先から車で自宅に戻り、入り口の電動式ゲートが開くのを待つ数秒間は、最も襲われやすい瞬間だった。ほんの数秒だが、ゲートが開き終わるまで路上で停車しなければならない。すると、木陰などに隠れていた男たちがガラス越しに銃を突きつけ、財布や携帯電話、そして車を奪う。外出先から戻る際には車で追尾され、ゲート前で停車したところを襲われる事件も後を絶たなかった。私の前々任者の家族やヨハネスブルグに支局をを置く他の日本メディアの特派員も、自宅に戻ったところを強盗に襲われていた。

 ・・・

 

 

 




 

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「力の支配」、阿諛追従(アユツイショウ)の国際社会

2025年01月05日 | 国際・政治

 下記は、「報道されない中東の真実」国枝昌樹(朝日新聞出版) の「あとがき」の一部ですが、シリアを知る人の「本音」が書かれていると思います。注目すべきことは、10年以上前に書かれた文章なのに、ガザに関することも、シリアに関することも、現在の状況を伝えているかような内容であることです。ガザの人たちが、”イスラエル軍のなすがままに殺され続けている”とか、”平和だったシリアがなぜ今これほどの破壊と絶望に襲われなければならないのか、無数の「なぜ」が心の底から噴出してくる? ”とか、そこここに、心に刺さる文章や言葉があります。

 

 それは、国際社会が、アメリカやイスラエル、また、西側諸国の「権力」の戦略で動いきたことを示していると思います。多くの国や国際組織が、「阿諛追従」しているような状態にあり、「力の支配」が続いてきたことを物語っているように思います。

 西側諸国の権力は、ロシアや中国を批判するとき、しばしば「法の支配」という言葉を使いますが、自らの「力の支配」をまず改めるべきだと思います。

 

 イラク戦争に反対して設立されたというアメリカの非営利団体「Win Without War(戦争なしに勝つ)」から、次のようなメールが届きました。

Win Without War

You know the story, Syunrei: For well over a year now, Israeli PM Netanyahu has used U.S. weapons to hold on to power, drive incomprehensible levels of human suffering, and push an entire region toward all-out war — all while failing to bring the remaining hostages home safely.

 But undeniable momentum is building against that blank-check approach. Late last year, 19 senators sent a clear message to President Biden and the incoming Trump administration: It’s time to use U.S. leverage to end the horrific war in Gaza, protect innocent people across the Middle East, and get the hostages back to their families.”

1年以上もの間、イスラエルのネタニヤフ首相は、権力にしがみつき、理解しがたいレベルの人間の苦しみを引き起こし、地域全体を全面戦争に追いやるために、アメリカの兵器を使用してきました。

 しかし、その白紙委任のアプローチ(無制限の資金提供や条件なしの支援)に反対する勢いが高まっていることは否定できません。昨年末、19人の上院議員がバイデン大統領と次期トランプ政権に明確なメッセージを送りました。ガザでの恐ろしい戦争を終わらせ、中東全域の無辜の人々を保護し、人質を家族に戻すために米国の影響力を行使する時が来ました。(一部機械翻訳)”


 日本のメディアも こうした声を伝え、国際社会の「法の支配」を実現するべく、努めるべきだと思います。ウクライナの人たちばかりでなく、ガザやシリアの民間人にも寄り添ってほしいと思います。

 また、私は、アメリカ主導の密室の「停戦協議」ではなく、多くの国が関わる国際組織主導の「開かれた停戦協議」を進めるべきだと思っています。

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                           あとがき

 

 イスラエルはふたたびガザに対して空爆を行った上で地上軍を送り、激しい戦闘を行っている。200812月から翌年1月にかけて行った軍事行動を繰り返している。

 ガザ170万人余りの人々は東と北をイスラエルにアリが出入るする穴さえ閉ざされて、南はエジプトに抑えられ、西を地中海に閉ざされ、東京都23区の6割の地域に閉じ込められて窒息しそうになりながら必死に生きてきていたら、ふたたびイスラエルから逃げ場のない場所でいいがかりをつけられ、イスラエル軍のなすがままに殺され続けている。ただ、イスラエル側の死者は前回に比しかなり増えている。

 国際社会は黙り、手をこまねいている。ハマスの狭隘(キョウアイ)な考えとその行動が友人を失い孤立化を招いたとはいえ、国際社会の反応の鈍さは尋常でない。

 現在アラブ連盟が毒気を抜かれている。カタールのハマド・ビン・ジャセム首相兼外相(当時)が手続きも何も無視してかき回した後遺症が出ているのか。イスラエルが軍を送ってガザの人々を虐殺しているとき、そしてアルカーイダ流の過激な保守イスラムの動きと対決なければならないときに、アラブ連盟は毅然と元気に活躍する必要があるのに、これでは非常に困る。

 シリアの国外避難民は4家族のうち1家族の割合で生活費を稼ぐ男手はなく、女性一人で家族を養っているのが現状だと国連難民高等弁務官事務所関係者が叫ぶ。異郷の地で仕事とてない彼女たちは家族を養うために、自らの命を絶つに等しい決断をして恥辱を堪え忍ぶ。生きるため、生き残るために涙を枯らして彼女たちはSuvival Sex(生きるために行う性行為)に向かう。誰が彼女たちを咎められよう。ヨルダンに避難した家族の主婦が得たのは1人を相手にして7ドル。トルコではトルコ人男性たちから襲われ、娘たちは家族の窮状を救うためだけに言葉もわからない相手と結婚する。サウジアラビアにはシリア人女性に対する憧れで、わざわざ男が女性を求めにくる。

 シリア情勢を含めて、アラブ世界の情勢は軍事政治面だけではなく社会のあり方も含めて、これからも神経を研ぎ澄まして注視していかなければならない。

 このほどシリアに17年間定期的に通いシリア砂漠のあるベドウィン家族を撮りつづけた写真家吉竹めぐみさんが「ARAB」という写真集を出版した。216枚の写真を見ていると、平和だったシリアがなぜ今これほどの破壊と絶望に襲われなければならないのか、無数の「なぜ」が心の底から噴出してくる?

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覇権大国による国際刑事裁判所に対する制裁と力の支配

2025年01月03日 | 国際・政治

 先月末、朝日新聞は「ガザの乳児3人が寒さで死亡」と伝えました。また、しばらく前には、「ガザ全域を飢餓が覆い、子どもが次々に餓死している」と伝えていました。いずれも緊急の対応が必要なのに、停戦の話は一向に実現せず、私は最近、停戦の話がでるたびに、それが国際世論を惑わすためのイスラエルとアメリカによる引き伸ばし作戦のような気がしています。停戦、停戦と言って多くの人々に期待を持たせ、その間に、ガザやヨルダン川西岸地区のパレスチナ人殲滅・追い出しを進めようとしているように思います。ほんとうは、停戦する気がないのではないかと疑っているのです。

 それは、イスラエルの国会が、国連パレスチナ難民救済事業機関 (UNRWA)の国内活動・接触禁止法案を可決していることに示されているように思います。

 また、見逃せないのは、国際刑事裁判所(ICCが、イスラエルのネタニヤフ首相やガラント前国防相らに、ガザにおける戦争犯罪などで逮捕状を発行したことに、イスラエルはもちろんですが、イスラエルを支援するアメリカも反発して、アメリカ下院がICCへの制裁法案を可決し、上院でも超党派で制裁法案を可決する動きが本格化しつつあるという事実にもあらわれているように思います。

 

 先日、朝日新聞でも、その件が取り上げられていました。こうしたイスラエルやアメリカの動きに関し、ICC赤根所長は、”制裁の対象が、ICCの限定された職員だけでなく、複数の検察官や裁判官、赤根所長に拡大されたり、ICCそのものが対象になれば、アメリカの銀行だけでなく、欧州にある銀行もでICCとの取引が停止される可能性があり、そうなれば、職員への給与も払えず、ICCの活動の機能停止に追い込まれる”と懸念を示したといいます。

 国際刑事裁判所(ICCは、国際連合全権外交使節会議において採択された国際刑事裁判所ローマ規程(ローマ規程または、ICC規程)に基づき、オランダのハーグに設置された国際裁判所です。そのICCの判断を無視したり、自らの方針と異なるからということで制裁を科したりすることは、民主主義の否定だと思います。

 だから私は、イスラエルやアメリカは武力主義の国であり、法や道義・道徳ではなく、力で自らの主張を通そうとする国だと思うのです。

 赤根所長は、イスラエルやアメリカの対応を踏まえ、”国際社会で『法の支配』がないがしろにされ、『力による支配』が横行すれば、戦争犯罪の被害者たちは報われない”と訴えたことが伝えられています。

 その通りだと思いますが、「力による支配」は、今に始まったことではなく、欧米諸国による植民地支配以来、途絶えることなく続いてきたように思います。覇権大国アメリカが、有志連合などを組織して、戦争をくり返してきたことも、「力による支配」を意味していると思います。

 

 下記は、「報道されない中東の真実」国枝昌樹(朝日新聞出版)から、「第一章 シリア問題の過去・現在・未来」の「少年は拷問死か銃弾の犠牲か」と「政府側要員120人の殺害」と題する記事を抜萃したのですが、敵対するアサド政権を転覆するために、アメリカが、反政府勢力支援の一環で大量の武器を与えたこと、また、アサド政権側の情報を排除し、虚偽情報を国際社会に広めたことなどが、明らかにされていると思います。

 こうした虚偽情報の拡散や反政府勢力に対する武器をはじめとする様々な支援で、今回、とうとうアサド政権が崩壊に至ったのではないかと思います 

 だから私は、先日、CNNが、”Palestinian Authority freezes Al Jazeera operations in the West Bank.(パレスチナ自治政府がヨルダン川西岸地区でのアルジャジーラの業務を凍結)”と報道したことも気になっています。まだ詳細はわかりませんが、アルジャジーラが、パレスチナにとって不利な情報を拡散したのではないかと思うのです。

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                    第一章 シリア問題の過去・現在・未来

 

 少年は拷問死か銃弾の犠牲か

 民衆蜂起を押し込めよう、デモ隊を規制しようとする治安警察軍と民衆側との衝突で犠牲者は増えるばかりだった。レバノンの日刊紙「デイリー・ニュース」は201159日付でレバノンの武器市場が異常な過熱状態であるという調査記事を報道した。同紙はシリア政府に対して批判的立場にある。

 

 ベイルートの武器取扱業者によれば、シリア向けは異常だ。在庫武器を全部売っても注文が残り、いくつも仕入先に当たったが、どこでも在庫に余裕がない状態にある。2006年には一丁500600ドルだったカラシニコフA-4720114月には1200ドルに急騰し、5月に入ると1600ドルに達した。短銃身型A-474月以来20%値上がりして3750ドルなった。米軍が使用したM-16攻撃ライフル銃は15000ドルする。政府関係者と治安当局の情報ではレバノン北部の都市トリポリでは大量の武器が市場に搬入されているという。

 その後も同紙はときどき同じような調査報道を行ない、シリアからの法外な注文で武器価格が継続的に高騰し続ける状態を報道した。トリポリは、シリアの反体制派グループのレバノンにおける拠点に発展して行く。

 政府はデモ隊に紛れる武装集団と治安警察部隊との衝突で犠牲者が増えているとする姿勢をとり、5月に入ると武装集団と国民を分断するために、国民に向けて無許可の集会やデモの自粛を訴えて、本来ならば処罰されるべき行為を働いた者でも自首すれば放免されるとして懸命に広報するのだった。さらに、シリア国営TV局は英国のBBCアラビア語衛星放送局の番組に、現場から70キロ離れた自宅にいながら現場報告者と偽って電話でホムス市内での騒擾を治安当局が弾圧する模様を「実況報告」した若者の告白を詳細に放映した。

 そのような中でハムザ・ハティーブ少年(13)の死亡事件が発生した。シリア政府に批判的なアルジャジーラなどの衛生TV局はこの事件を積極的に取り上げ、少年の拷問虐待死として大キャンペーンを張った。

 2011429日、ダラアの各所では金曜日のモスクでの祈りを終えると民衆はスローガンを叫びながら街路に出た。少年たちも加わっていた。デモ隊は治安当局と衝突した。その日少年は帰宅しなかった。それから3週間後の521日(当局側発表)、少年は死体となって帰宅した。少年の死体は動画に撮られユーチューブに掲載された。

 アルジャジーラは言う。少年はひと月近く治安当局に捕らわれた揚げ句、524日(アルジャジーラ)になって帰宅した。その死体には激しい拷問の跡が残されていた。切り裂かれた跡、火傷。これらは電気ショックやむち打ちの跡だ。目は黒ずんでくぼみ、いくつかの弾痕があった。胸部も黒ずんで火傷の痕がある。首の骨は折れ、ペニスは切断されていた。従兄弟は言う。

429日には皆が抗議に立ち上がるようだったので、皆と一緒に12キロの道のりを歩いて町まで行った。混乱が生じて、何がなんだかわからない状況の中でハムザが見えなくなってしまった」。現地の活動家は言う。「ハムザは悪名高い空軍情報局によって51人が捕まった中にいた。捕まったときには皆生きていたのに、今週になって13人が遺体で返却された。数日中には他の12人ほどが死体で返されるはずだ」。ハムザの従兄弟によれば、死体の返却後、治安当局はハムザの両親を外部には話さないように脅迫したという。

 2011531日、アサド大統領は死亡したハムザ少年の家族をダマスカスに招待して会見し、直接哀悼の意を表した。同日、国営TV放送はハムザ少年死亡事件解明委員会の発表を報道してこう述べた。

 

 429日、守備隊施設を襲った群衆の中に武装グループが紛れ、双方の間での発砲により犠牲者が出た。犠牲者は病院に運ばれて検死が行われた。ハムザ少年の遺体もその中にあり、早速検死が行われたが、死体には何の拷問の跡も見られず、衝突の際に受けた3発の銃撃によって現場で死亡したものと断定された。それ以外に死体の損傷はなく、検死当局が所有する死体写真は、死体が病院に到着した際に撮影された。死体には身元を示すものが何もなかったために身元特定に時間を要し、死体の返却が遅れた。

 

 この事件は政府による象徴的な拷問死事件として、国際社会で繰り返して取り上げられた。国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)の報告書なども拷問致死事件として大きく取り扱う。だが、それらの文書は政府側の検死報告にはまったく言及しない。同年12月には米国ABCTV局の著名なキャスターであったバーバラ・ウォルターズがアサド大統領にインタビューし、その中で政権による子どもの虐殺事例としてハムザ少年に事件に言及した。大統領が直ちに、少年の遺族に直接自分から哀悼の意を表したと応答すると、ウォルターズは意外だとの反応を示して、この問題には深入りすることなく次の話題にさっと移行してしまった。彼女には大統領の応答が予想外で、深入りすることの不利を悟ったのだろう。彼女は事件に対する政府側の対応について事前にスタッフから説明を受けていなかったようだ。

  米国のファッション雑誌として有名なヴォーグ誌は20113月付紙面で「砂漠に咲くバラの花」と題するアスマ・アサド大統領夫人の記事を掲載した。まったく予期しなかったシリア情勢の展開で、ヴォーグ誌にはまことに悪いタイミングでの掲載になってしまった。記事を書いた記者はアラブの春を抑圧する独裁者の妻を美化することは何ごとかと批判されると、失地回復とばかり翌1286日付のニューズウィーク誌で「シリアのいかさま大統領家庭──悪評嘖々(サクサク)の私のインタビュー:地獄のファースト・レディー、アサド夫人──」と題してヴォーグ紙で書いた記事とは正反対の内容を書いて自己弁護している。同じ対象について昨日はなめらかな筆致で称賛記事を書き、都合が悪くなると今日は力強く能弁に罵倒記事を書いて、物書きとしてまことに類まれな能力を披露している。その記事の中でハムザ少年事件にも言及してシリア政府の残虐さに言及するのだが、もとよりそんな記者は政府の検証報告があったことなど知らない、知ろうともしないで記事を書く。

 

 政府側要員120人の殺害

 201166日、トルコ国境に近いジスル・アッシュグ-ル町で1日のうち120人もの治安軍関係者が一方的に殺されるという政府にとっては驚愕の事件が起きた。トルコとの密輸で知る人ぞ知るこの町は19803月にも政府側によるムスリム同胞団取り締まりの際に、激しい戦闘が起きている。

 今回の事件を政府側は深刻な事態と認識して態勢を十分に整えた上で反体制派武装グループの掃討に乗り出した。多くの町民は、政府の治安警察が来る前にこぞって町を去り、近隣の国境を越えてトルコ領内に避難した。

 実はこの事件が起きる直前からトルコ領内ではシリア人難民を受け入れるキャンプが国境近くに開設され、トルコ側の動きは事件発生のタイミングと合いすぎるとして、一部シリア人関係者の間では事件とトルコ側との関係に疑念が持たれている。シリア政府は反体制派武装グループによる周到な計画の上での治安警察軍への攻撃であったと断定して、同町の平定作戦が終了すると外国メディアとダマスカスの外交団を現場に招待した。

 これに対して反体制派側は、事件は軍離脱兵と政府軍との衝突であると主張するのだったが、20122月に筆者の照会に対し米国系メディアのシリア人記者は現場を視察した後、そこで撮影した何枚もの写真を示しながら、この事件はどう見てもかなり高度の組織的攻撃的だったと理解せざるを得ないと断定するのだった。この事件については、ごく短期間話題にされただけで、その後は反体制派も欧米諸国も忘れてしまったようだ。反体制派と欧米諸国の理解によれば、この時期、民衆蜂起はまだ平和的に行われていて、こんな事件は政府側の自作自演以外に起こるはずがない。

 このころ、すでにアルジャジーラの報道姿勢が反体制派に極端に傾斜し、アルジャジーラが、どの町のどこそこでデモが行われていると報道すると、その時点ではそこには民衆の動きは何も見られなかったが1時間後にデモが起きるというような事例が何件も発生し、シリア政府は抗議を繰り返した。アルジャジーラ本部ではユーチューブやフェイスブックなどをモニターして、そこに掲載される画像とニュースを、その信憑性を確かめることなく定時ニュースで流し、またシリア国内にばらまいた携帯電話などを使って「現場目撃者」と称する市民からの怪しげな「現場報告」をそのまま取り上げるのだった。

 20114月、アルジャジーラの一連の報道姿勢に抗議してベイルート支局長バッサン・ベン・ジャッドが辞職した。その後任となったアリ・ハシェム支局長は着任直後の4月にはカラシニコフ銃や旧ソ連製の携帯式対戦車砲で武装したレバノン人グループがシリア国内で武力活動をするために国境を越えてシリア国内に出入りしている事実を取材し、5月には映像とともに報道したが、アルジャジーラ本部では映像をすり替えたりして放映しなかった。その後も同支局長はレバノンの武装グループがシリアで活動している様子を報告するのだったが、本部の幹部は取材を不必要と指示する。アラブ世界で真のジャーナリズムが生まれたとして期待をもってBBCからアルジャジーラに移籍した同支局長であったが、やがてアルジャジーラは結局資金提供元のカタール首長の影響下にあり、報道の独立性はまったく確保されていないとして抗議の辞職をした。2011年と2012年にかけて、アルジャジーラの報道姿勢のあり方に幻滅して同TV局から辞職した有力な記者は13人余りに上った。

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シリアのクルド人問題と、佐伯氏のSNS論

2024年12月30日 | 国際・政治

 先日(1225日)、朝日新聞の「オピニオン&フォーラム」の欄に「SNSが壊したもの」と題する、見逃すことのできない長文の記事が掲載されました。筆者は、佐伯 啓思・京都大学名誉教授で、著書は数え切れないほどあり、日本を代表する思想家といわれている学者です。

 でも私は、佐伯氏の主張を受け入れることは出来ません。

 記事の内容は、朝日新聞をはじめとする日本の主要メディアの考え方と、基本的に変わらないからです。 

 

 まず、佐伯氏は、SNSで発信される西側諸国にとって不都合な情報を、「陰謀論」と受け止めているようです。だからSNSにおける「虚偽情報」と「客観的事実に基づく情報」を寄り分ける努力や工夫については何も語られていません。そして、トランプ氏が「権力をもつ既存のメディア」対「真実を語るSNS」という構図を利用したと指摘しています。

 でも現実は、佐伯氏が主張するほど単純ではないと思います。自らに不都合な情報をすべて「陰謀論」として退け、SNSで自らの主張を発信したトランプ氏を支持する動きを「トランプ現象」などとして簡単に否定できるほど、SNSの情報は、根拠のない、でたらめな情報ばかりではないと思うのです。 

 確かに、SNSがいままでになく大きな力を持つようになりました。兵庫県知事選挙における斎藤元彦氏の再選やトランプ氏の大統領選勝利、また、ルーマニアの大統領選におけるカリン・ジョルジェスク氏の勝利は、SNSの情報なしにはあり得なかったかも知れないと思います。

 だから、どうしてSNSがそれほど大きな力をもつようになったのか、というこをきちんとした調査や分析に基づいて考察しなければいけないと思います。それをしないで、”SNS情報の多くは、当初よりその真偽や客観性など問題としていないのである。「効果」だけが大事なのだ。これでは少なくとも民主的な政治ががうまく機能するはずがないであろう。” などと結論づけるのは、まさに既得権益層を代表するような議論だと思うのです。

 

 多くの人たちが、日常的に感じている不信感や疎外感が、既存のメディアではなく、SNSによって、掬い取られている現実を知るべきだと思います。

 自由や民主主義、人権や多様性を掲げつつ、西側諸国が悲惨な戦争を支援し、停戦や和解の取り組みを放棄している現実、景気の回復が語られても、貧困問題が一層深刻になり、格差が拡大していく現実、資源に恵まれた中南米やアフリカの国々がいつまでも貧しく、西側諸国に移民が押しよせる現実、そうした現実から、現在の政治が、何かおかしいということを感じ取った人々が、SNSで、その答えを得るような情報に接して、既存メディアに頼らず、物事を考えることは、自然なことであり、否定されるべきことではないと思います。また、既存のメディアで取り上げられない重要な情報を発信しようとしている人物や組織があることも、無視してはいけないと思います。

 だから、長文ですが、下記に、佐伯氏の文章の一部を抜萃しておきます。

 

SNSが政治に与える影響は、日本でも先ごろの兵庫県知事選挙において大きなな話題になった。知事としての適格性が問われた斎藤元彦氏の再選は、SNS上の情報がなければありえなかったであろう。SNS情報が選挙結果を左右しかねないのである。

 興味深いのは、ここで「既存のマスメディア」対「SNS」という構図ができたことである。新聞テレビなどの既存のマスメディアは公式的で表面的な報道しかしないのに対し、SNS上ではマスメディアが語らない隠された真実、本音が語られるとみなされた。

 もちろんSNS情報は玉石混交であり、言葉は悪いが味噌もくそも一緒に詰め込まれているのだが、その中には「隠された真実」が含まれているというのである。

 いうまでもなく、このような行動を最大限に利用したのはトランプ次期大統領であり、トランプ氏は、既存のマスメディアに対し、真実を報道しないフェイク・メディアと罵声をあびせ、自身の言葉をSNSで発信して拡散した。トランプ氏は「権力をもつ既存メディア」対「真実を語るSNS」という構図を利用したわけである。

 この「トランプ現象」の特徴は次のようなものだ。「既存メディア」は民主党のエリートに代表される「リベラルな思想や信条をもつ高学歴・高収入の人々」と結託しており、彼らは口先では自由・民主主義・人権・多様性などというが、実際は「リベラル派のエリート層」の利益を代弁するだけだ、とトランプ支持者はいう。SNS流される一見むちゃくちゃなトランプ氏の独断の方が「真実」をついている、と支持者を見る。したがって、トランプ氏の言説を虚言と断定し、様々なトラブルでトランプ氏の法的責任を追及する既存メディアの裏には、何か反トランプの「陰謀」が張りめぐらされている、ということにもなる。トランプが戦っているのは、「リベラルな仮面」の背後にある陰謀である。こういう図式が「トランプ現象」を成立させている。もちろん陰謀があるかどうかなど誰にもわからないし、そもそもこれは陰謀だと言ったとたんにすでに陰謀ではなくなるので、陰謀のあるなしを閉じても意味はない。ただここで気になるのは次のことである。欧米においても、日本においても「既存のメディア」は、基本的に近代社会の「リベラルな価値」を掲げ、報道はあくまで客観的な事実にもとづくという建前を取ってきた。そして、リベラルな価値と「客観的な事実」こそが欧米や日本のような民主主義社会の前提であった。この前提のもとではじめて個人の判断と議論にもとづく「公共的空間」が生まれる。これが経済社会の筋書きであった。

 SNSのもつ革新性と脅威は、まさにその前提をすっかり崩してしまった点にある。それは「リベラルな価値」と「客観的な事実」を至上のものとする近代社会の大原則をひっくり返してしまった。

 民主政治が成りたつこもの大原則が、実は「タテマエ」に過ぎず、「真実」や「ホンネ」はその背後に隠されているというのである。「ホンネ」からすると、既存のメディアが掲げる「リベラルな価値」は欺瞞的かつ偽善的に映り、それは決して中立的で客観的な報道をしているわけではない、とみえる。

 一方SNSはしばしば、個人の私的な感情むきだしのままに流通させる。その多くは、社会にたいする憤懣、他者へのゆがんだ誹謗中傷、真偽など問わない情報の書き込み、炎上目当ての投稿などがはけ口になっている。SNSは万人に公開されているという意味で高度な「公共的空間」を構成しているにもかかわらず、そもそも公共性が成立する前提を最初から破壊しているのである。

 今日公共性を成り立たせているさまざまな線引きが不可能になってしまった。「公的なもの」と「私的なもの」、「理性的なもの」と「感情的なもの」、「客観的な事実」と「個人的な憶測」「真理」と「虚偽」「説得」と「恫喝」など、社会秩序を支えてきた線引きが見えなくなり。両者がすっかり融合してしまった。

「私的な気分」が堂々と「公共的空間」へ侵入し、「事実」と「憶測」の区別も、「真理」と「虚偽」の区別も簡単にはつかない。SNS情報の多くは、当初よりその真偽や客観性など問題としていないのである。「効果」だけが大事なのだ。これでは少なくとも民主的な政治ががうまく機能するはずがないであろう。”

 

 そして西側諸国には、きわめて重要な事実が報道されなかったり、歪曲されて報道されている現実があるということを、私は、SNSを通じてではなく、「報道されない中東の真実」国枝昌樹(朝日新聞出版)から情報を得て、発信したいと思います。

 自由や民主主義、人権や多様性を掲げる西側諸国の主要メディアが、「客観的な事実」の報道をしているわけではないという現実を、佐伯氏はどう説明するでしょうか。アサド政権に関して、西側諸国の主要メディアは、人権抑圧や拷問、化学兵器疑惑など、憎しみを掻き立てるような否定的な情報ばかりを流し、下記のようなクルド人に対する政策などはほとんど報道してこなかったと思います。

 また、佐伯氏は、マルクス研究者の斎藤幸平東大准教授との対談の中で、”現代の資本主義は資本と経営の分離もあるし、株を持っていればみんな資本家になってしまう。資本家が労働者を搾取するというそんな簡単な話ではない”と語り、”さらに複雑なシステムがグローバルに絡み合う現代社会では、誰が誰を搾取しているのかが明瞭ではないと指摘。「僕はある人が得をして、ある人がとんでもない目にあっていると考えるのではなく、みんなが同じ価値観で同じシステムの中に入り、個人的な怒りはあってもなんとかやりすごそうとしている、そこに問題があると考える”と語ったことを毎日新聞が伝えています。でも、マルクスが資本論で展開した資本主義の骨格は、そんな時代の変化で簡単に崩れるようなものではないと思います。それは、一部の人間に富が集中し、格差が広がっている現実が示していると思います。「世界不平等研究所」(本部・パリ)の発表では、世界の富裕層と貧困層の格差が広がり、世界の上位1%の超富裕層の資産は2021年、世界全体の個人資産の37.8%を占め、下位50%の資産は全体の2%にとどまったといいます。”誰が誰を搾取しているのかが明瞭ではない”、などというのは、明らかなごまかしだと思います。さらに言えば、リベラルな価値」と「客観的な事実」を至上のものとする西側諸国における近代社会の大原則など、現実には存在しなかったといってもよいと思います。かつての植民地主義による権力的な搾取や収奪は、新植民地主義にかたちを変えて続いていると思います。

 下記を読めば、佐伯氏が、「リベラルな仮面」の背後にある陰謀を完全否定することで、既得権益層を守ろうとする議論をされていることは否定できないと思います。

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                       第一章 シリア問題の過去・現在・未来

 

 シリアのクルド人問題

 訓示で言及したクルド人問題とは、カミシュリやハッサケに多く住む無国籍のクルド人問題である。クルド民族はイラン、イラク、トルコ、そしてシリアにまたがって住み、その総人口は2500万から3000万人といわれる。これだけの人口があり、独自の言語と文化を持った民族でありながら、クルド人としての独立国家を持たない。歴史的にも1920年代にごく短い期間国家を形成したにとどまる。各国におけるクルド人の問題は微妙な扱いであり続けている。イラクでは現在クルド地域に自治権を与えているが、中央政府との間で緊張関係があり、独立を画策しているようだ。トルコでは「クリディスタン労働者党(PKK)」の取り扱いが大きな国内問題となっている。
 シリアルにおけるクルド人の人口は200万人余り、イラク、イラン、トルコ、そしてシリアは近接しあっているので、クルド人たちは当局の目をかいくぐって国境にとらわれずにお互いの間を行き来している。1962年当時のシリア政府は、シリアに居住するクルド人の一部がこうした不法入国居住者であると疑い、同年にハッサケ県内で国勢調査を実施した。独立以前における電気や水道料金の支払いを証明する書類など、何らかの物証によって1946年の独立以前からシリアに居住していたと証明できればよく、できないクルド人は1946年以降にイラクやトルコから移入した居住者と認定してシリア国籍を拒否した。当時の政府は、シリア国籍を拒否されたクルド人はイラクやトルコから移住してきたはずなので元の国に戻って法的手続きを尽くした上で、改めてシリアに入国するべきであるとした。

 こうしてシリア国籍を剥奪されたクルド人は10万人ほどにも上ったが、元の国に戻るという選択肢はまったく現実的でなく、彼らは無国籍者あるいはシリアに居住する外国人となった。彼らはシリア国内で国民が享受する無償教育も無償医療も享受できない。医療は有償である。不動産取得の資格もない。パスポートも所持できない。時代が経つにつれて彼らの人口は増加する。無国籍クルド人問題は、パーフェズ・アサド大統領時代には省みられることはなかった。2010年ごろにはその数は30万人に上るという見方も語られていた。

 

 バシャール・アサド大統領になると変化が現れる。2002年春、大統領は東北地帯を訪問し、無国籍クルド人問題への対応を表明した。20043月、ラッカ市で行われたサッカー試合判定をめぐり、アラブ系市民とクルド人たちが衝突し、そこに治安部隊が介入して死亡者を出すと、2005年、バアス党第10回党大会決議で無国籍くるど人問題の解決に言及。それ以降政府には表だった動きがなかったが、20109月に大統領はある会談の際に問われて、この問題は人道問題であってクルド人たちの権利保護をあまり先延ばしすることはよくない、その一方で統治上の問題でもあって、国籍を付与する範囲をどこに設定するのかバランスの問題がある、自分はその数を10万とする方針をすでに固め、公表、・実施のタイミングを図っていると述べるのだった。

 20113月に民衆蜂起が起きると政府は47日、無国籍クルド人にシリア国籍を付与する決定を公表して直ちに手続きを開始した。政府は広報に努めるとともに、国営通信はそれ以降随時申請状況を報道した。同年125日には内務省次官の発言として、それまでに約65,800件、105,215人の申請を受け付け、すでに64,300人に対して身分証明書を発給済み、あるいは発給の用意が整っていると報道した。2012年に入ると関連報道は消えた。

 この措置の結果、最終的にどれほどの無国籍黒クルド人が国籍を得たのかは明らかではない。政府批判派はこの措置で国籍を付与されたのはせいぜい数千人どまりだったという。その一方で、ダマスカスに居住し、政府には是々非々の立場をとるクルド人は筆者に対して、政府の措置で対象となったクルド人は国籍を得て半世紀来の懸案が解消したと評価するのだった。

 2011421日、大統領が訓示した通り、政府は非常事態令と国家治安裁判を撤廃し、デモの自由に関する法令を導入した。国内の政府批判派はこれらの措置について一定の評価を示す一方で、改革を求める国民の息吹に応えるためには一層の措置が必要であると指摘した。米国務省報道官は国民の要求に対するシリア政府の行動は不十分で、政府で措置できなければ国民がより多くのことをする自由を与えなければならないと批判し、シリア政府の措置を評価しなかった。29日には米国政府としてアサド大統領の弟で共和国軍第四軍団司令官のマーサル・アサド准将、大統領の従兄弟でダラアの前治安機関責任者ナジーム大佐、総合諜報機関のアリ・マムカータ長官らを制裁リストに加えた。

 

 

 

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アサド政権崩壊の次は・・・

2024年12月27日 | 国際・政治

 アサド政権の恐ろしさや惨酷さを印象づけるような報道が、朝日新聞でまだ続いています。私は、日本とシリアの一般の人々の交流がほとんどなかった国に関し、これほど熱心にその恐ろしさや惨酷さを伝える報道が続く理由は何なのか、と考えてしまいます。

 

 恐ろしい強権政治や抑圧政治の実態、目を背けたくなるような惨酷な拷問や収容所の様子、強制失踪、麻薬密造、こんなことをする独裁国家が本当に存在するのか、と思うような報道が朝日新聞で続いていましたが、さらに、その後「化学兵器疑惑」の報道がなされたのです。

 化学兵器で妻子を亡くした住民の証言が、その悲惨さや惨酷さを伝えています。でも、朝日新聞の記事には、アサド政権が化学兵器を使用したとする文章はありません。断定はしていないのです。ただ、記事全文を読むと、アサド政権が化学兵器を使用して多くの住民を殺害し、苦しめたとしか思えない構成になっているのです。

 それは、化学兵器の使用に関してだけではありません。拷問麻薬密造も、アサド政権がやったという確定的な証拠は示されていないのです。

 またそれらがすべてアサド政権の仕業だとしても、恐ろしい拷問や惨酷な化学兵器使用の対象はどういう組織や人物で、なぜそういう酷いことを続けてきたのかは示されていません。それは、仲裁や和解を想定していないということだろう、と私は思います。だから私は、シリアに関する日本のメディアの報道目的は、アメリカの戦略にしたがって、アサド大統領を悪魔のような人物として、読者や視聴者に印象づけることなのではないかと思うのです。アサド政権は叩き潰すべき対象であり、仲裁や和解を働きかける対象ではなかったということです。アサド大統領がロシアに亡命したこととも、そうした記事が続く一因ではないかと思います。

 

 そして、それがアメリカの戦略に基づくものであることは、イランの最高指導者・ハメネイ氏が、アメリカ合州国とイスラエルが、シリアのアサド元大統領の打倒を画策したと、下記のように非難したことと関連するのです。 

There should be no doubt that what happened in Syria was the result of a joint American-Zionist plot,” said Khamenei, addressing the fall of al-Assad for the first time in a speech delivered in Tehran on Wednesday.

シリアで起こったことは、アメリカとシオニストの共同陰謀の結果であったことに疑いの余地はない」とハメネイは述べ、水曜日にテヘランで行われた演説で初めてアル・アサドの崩壊に言及した。

  また、アサド政権打倒に大きな影響力を発揮したというクルドの武装組織(YPG)をアメリカが支援してきたことや、シリア北東部のクルド人支配地域に米軍基地を置き、支援部隊のみならず、特殊部隊も駐留させていたいう事実が、アサド政権崩壊にアメリカが関わったということを示していると思います。だから私は、アメリカの支援が、単なる支援ではなく、「謀略」を含む支援であったことを疑うのです。

 そして、「謀略」を裏づけるかのような事実の数々が、国枝昌樹氏によって、「報道されない中東の真実」(朝日新聞出版)のなかで明らかにされているのです。下記は、その一部です。アサド政権

 20113月から4月にかけてシリアのダラアでの民衆蜂起で、多数の政府側要員が殺されているというのです。だから西側諸国での「平和的民衆蜂起説」は、再検討が必要だといいます。

 社会主義政権や反米政権の転覆・崩壊には、いつもアメリカが関わっており、時に「謀略」を含む支援をしてきたことは、中南米やアフリカの歴史をふり返ればわかるのではないかと思います。

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             第一章 シリア問題の過去・現在・未来

 

 平和的民衆蜂起説の再検討

 201457日、オックスフォード大学セント・アンソニー・カレッジの上級研究者シャルミヌ・ナルワーニは「シリア:隠された虐殺」とする記事を発表し、その中で20113月から4月にかけてダラアでの民衆蜂起で多数の政府側要員が殺されていた事実を詳細に報じている。

 シリアの社会は部族社会であり、特に国境地帯では1916年にイギリスとフランスの間で締結されたサイクス・ピコ秘密協定で一方的にひかれた人為的な国境線をまたいで部族が存在しており、現在も部族内の結束を軸とした密輸活動が幅を利かせていることは周知の事実であり、しかも多くの場合、彼らが武器を所持する武装密輸団であることも知られている。また、ムスリム同胞団と密接な関係を有し、エジプトやリビアでの騒動に深く関与してきているカタールのカラダウィ導師による扇動的な言動と活動はよく知られ、同導師とカタール首長との深く緊密な関係から、アサド政権に敵対姿勢を鮮明にするカタール首相グループと同導師との間で意見調整が行われていたことは充分に予想できる。 一方、アサド大統領の側近であるミグダード外務副大臣はシリアの治安当局に対しても影響力を行使できている人物で、治安分野の情報に精通し、単なる憶測で話す人物ではない。最後に、ダラアの少年たちと親たちが反体制派のメディアに登場していないことは、前述の政府関係者が指摘する通りである。

 他方、ダラアで民衆蜂起があった当時に国際メディアが報道した際の情報源は、いずれもが外国から電話取材を受けたダラアの「住民」、匿名を希望する「活動家」、あるいは現場にいたと説明される「人権活動家」などであり、彼らはいずれも人物が特定されず、情報源としての信憑性を吟味しようにも吟味できない中で、彼らの発言をもとに危機感あふれる大量の記事が生まれ、世界に配布された。

 さらに、当時おびただしい量の動画がユーチューブ、フェイスブック、あるいはツイッターに載り、メディアが積極的に利用して報道したが、ほとんどはその信憑性を吟味されることなく利用された。写真も同様である。アルジャジーラ衛星TV放送局の本部にはシリアに関する動画や写真、それにニュースをモニターする部署が設けられ、未経験の若年職員が四六時中詰めて関心を引く動画や写真があれば信憑性を検討することなく即座に報道部に持ち込み報道されていた。これはしばらく経過してからのことであるが、報道される動画や写真にあまりにも操作が加えられているので、シリアでは「写真と動画、ただしシリアにあらず」というサイトができて数多くの事例が報告されている。

 こうした結果描きだされる2011318日以来の事態については民衆の平和的蜂起に対して政府側が治安軍を動員して実力行使に出て、その際の発泡で犠牲者が生まれたというシナリオが描かれた。だが、政府側関係者の証言を加味して描き直せば落書きをとがめられた子どもたちの事件は深刻なものではなく、少なくともデモを煽ろうとする外部からの働きかけは行われ、ダラアの部族で昔から継続的に行われてきていた密輸活動と部族社会における根強い武器所有の伝統を考えれば、ダラアでの民衆蜂起が完全に自然発生的で平和的なデモであったという従来の理解は新たな視点から徹底的に検証し見直される必要がある。

 アサド政権はダラアでの民衆蜂起についてカタールのカラダウィ導師の動きなどから、早いうちに民衆蜂起の裏にムスリム同胞団の存在を嗅ぎ取れるとして警戒していた。

 

 過熱する民衆とメディア

 ダラアでの民衆蜂起は収まる気配を見せない。民衆蜂起の動きは全国に拡散した。同時に、混乱を利用して犯罪者たの動きも活発化した。

  政府では事態の収拾策として逮捕者たちの釈放を重ねるとともに、民衆の要求には正当なものがあるとして、2011320日に大統領が人民議会で演説するに先立ち324日、大統領が2000年に就任して以来懸案となっていた非常事態令の再検討、政党の自由化法と報道の自由に関する新法の導入、さらに腐敗撲滅策の導入や法の支配の徹底化など政府のガバナンス改善を目指すことを明らかにし、加えてデモ隊に向けて治安部隊が実弾を発砲することを禁旨発表した。329日なージ・オトリ内閣は辞職した。翌日、アサド大統領は人民議会で演説し、現在シリアで起きている事態はイスラエルと対決するシリアの骨抜きを狙うイスラエルを頂点とし、これに協力する諸国、そして一部のシリア国民を手先として使って宗教宗派対立を起こそうとする謀略の一環であるとの理解を表明した。

 この演説が終わると、米国政府はさっそく、陰謀説をかざすのは安易な責任逃れに過ぎず演説には内容がなかった。シリア国民はきっと落胆するに違いないとする談話を発表するのだった。アラブ世界では米国政府の声明は関心を持って報じられ、必ず反応がある。2日後の金曜日、ダマスカス市内では富裕層が住むかフル・スーサ地区に隣接する低所得層地区で数百人がデモを行って気勢を上げた。ホムス、ハマー、ダラア、バニヤス、ラタキア、カミシュリの各市、そしてダマスカス近郊のドゥーマ地区でも民衆が街路に出た。民衆、治安部隊双方に死者が出た。

 衛星TV放送局アルジャジーラは43日、ラタキアではスンニー派とアラアウィ派の市民が民主化を求めてデモを行い、それを政府側が弾圧し、さらにハーフェズ・アサド大統領が権力を握った1970年代から不法に富を得ていたアサド一族に関係するシャッピーHとよばれる私兵グループがデモに襲いかかっているとする大がかりな報道を流した。

 

 海港の町ラタキア市の住民の多くはスンニー派市民だが、周辺の山岳地帯には昔からアラウィ派の人々が多数住み、アサド家の出身地でもある。同市は歴史的にアラウィ派の影響が強い。シャッピーハは外国貿易に不法に携わって富を蓄積し、隠然とした影響力を振るう暴力的なグループで、背後にはハーフェズ・アサド大統領の弟ジャーミルとその関係者が存在すると広く言われてきた。シャッパーハ・グループはもっぱらラタキア市でその存在が語られ、騒動が長引くにつれて全国各地でシャッピーハの活動が悪評とともに語られていいたが、従来シャッピーハは他の地方で話題になっていなかった。

 2011410日にはバニヤス近郊で治安当局幹部2人を含む9人が移動中に急襲を受けて殺され、バニヤス市内と近郊で治安当局による大規模な捜査活動が行われた。13日、アルジャジーラは10日に治安当局に犠牲者が出ていたことによってはまったく言及することなく、治安当局がバニヤス市と近郊を強制捜査をして200人を逮捕したと大きく報道した。情報源は、現場と連絡があると称する、名前を報道されることを拒否する人権活動家であるとした。バニヤス事態はその後も不安定な状況で推移する。19日には民衆が街路に出て大規模なデモが行われた。

 413日、シリア国営TVは逮捕されたテロ・グループ関係者たちの自白内容を放送した。その中でレバノンのサアド・ハリーリ首相派の国民会議議員との結びつきとムスリム同胞団との関係が詳細に語られた。レバノンのハリーリ派グループはこのニュースを事実無根であると否定した。415日にはダマスカスで初めてかなりの規模のデモが行われ、治安当局が催涙ガスなどを使って解散させた。また、このころユーチューブ上ではバニヤス近郊での取り締まりの際に、広場でうつ伏せにさせられた市民たちの頭や背中の上を治安軍兵士が踏みつけながら歩く様子が流れた。

 2011329日に総辞職したオトリ内閣の後継内閣が。416日に発足し、アサド大統領が閣議を主宰して次のように訓示した。

 国民各階層、各グループとの対話の重視、腐敗の撲滅と安定した経済の維持発展、クルド人問題の解決、非常事態令の廃止と国際標準に応じた代替法令の緊急導入、改革を真摯に要求するデモと混乱をもたらすためのデモを区別するデモの原則自由に関する法令整備、新政党法の制定、地方自治体法、近代的なメディア法の導入、加えて新規法令を着実に実施できるだけの制度改革、腐敗汚職と戦う一環として公務員の財産公表制度の導入、入札過程における透明性の確保、行政改革の一環としてのコンピューター導入促進、税制改革、歳出の見直しと無駄の削減、政策決定過程の透明性強化とより広い関係者の意見反映制度導入、大臣の責任逃れ、隠れ蓑としての委員会設置の禁止、各省内における稟議制度の見直し、公共の利益と法制度が衝突する際の懸案解決に向けた非常措置として担当者レベルによる閣議への直接問題提起の許可制度導入、政策執行における短期集中的取り組みの推奨そして市民社会との協働が必要である。

 

 そして最後にこう付け加えた。

 

 大統領として自分が各閣僚の仕事ぶりに関心を払い、支援し、責任を求める立場であるが、今はとにかく閣僚の皆さんの支援に力を注ぐ。政府メンバーは国民に対するに、すべからくつつましく謙虚であってほしい。傲慢は許されない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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アサド政権報道、メディアは権力の道具?

2024年12月24日 | 国際・政治

 私は、ウクライナ戦争に関し、日本の主要メディアが、読者や視聴者に、客観的事実をつた伝えていないと何度も書いてきました。ロシア側の主張やウクライナの親ロ派と言われる人たちの主張は、ほとんど取り上げられなかったからです。

 両方の主張をきちんと受け止め、客観的事実を確かめて戦争を止める努力が必要なのに、はじめからロシアを敵視するアメリカの戦略に従って、ロシアに制裁を科し、ウクライナ側の戦争支援の報道を続けてきたと思います。日本政府がそうした姿勢だからといって、メディアもそれに同調するのは間違いだと思います。メディアには、国際社会全体の利益のために、すべての人々に客観的事実を伝える責任があるのです。客観的事実を伝えることが、権力を監視することにもなるのだと思います。それをしないのは、平和主義の否定であり、民主主義の否定だと思います。そういう意味で、日本の主要メディアは、「権力の監視」ができていないだけではなく、すっかり「権力の道具」になってしまっていると思いました。

 

 そして今、中東のアサド政権に関し、ふたたび同じような偏った報道していると思います。

 朝日新聞は、このところ毎日のようにシリアに関する記事をデカデカと掲載しています。それらの記事で、読者はアサド政権がどれほど酷く、恐ろしい政権であったかということを深く思い知るのだろうと思います。でも、私は、それらの記事をそのまま信じてはいけないと思います。やはり、アサド政権側の主張もきちんと聞くべきだと思うのです。

 

 朝日新聞の記事の見出しを書き出します。

 16日「強権統治に幕 シリアの首都は今」「抑圧の象徴 破られたアサド氏の写真」「金曜礼拝に熱気『生まれ変わったよう』」

 20日「シリア 絶望の収容所」「むち打ち・逆さづり・看守に『私を撃って』」この見出しの記事には、下記のような文書がありました。

 

様子を見にきていたサレハ・ヤヒヤさんは20133月中旬に拘束されてから、4カ月半をここで過ごしたという。換気の悪い不潔な房内では、みんなの頭にシラミがわき、皮膚病にも悩まされた。当時、狭い房に百人以上が収容され、立ったまま眠る事を強いられた者もいた。収容者のうち20人が拷問で死亡したという。ヤヒヤさんもこの上の階に連行されるとむちで打たれたり、天井から逆さづりにされたりする拷問を受け、尋問された。ヤヒヤさんは「死ぬほどつらかった。鉄の扉に開いた小窓越しに、『私のことを銃で撃ってください』と毎日のように看守に頼んだ」と振り返った

 

 22日「アサド政権下の『強制失踪』 数万人不明のまま」「貧者のコカインがここで」「アサド政権資金源 麻薬密造の現場」

 22日別の紙面には「ここで自由語れる幸せが」「シリア解放 統治の行方はまだ見えず」とありました。

 

 私は こうした朝日新聞の記事が、客観的事実を伝えていないだけでなく、アメリカを中心とする西側諸国の権力に都合の良い内容に変えられてているのではないかと疑うのです。

 下記の「報道されない中東の真実」国枝昌樹(朝日新聞出版)からの抜粋文は、それを示していると思います。シリアは反米の国であったがゆえに、客観的事実の報道がなされなかった現実があるのです。

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                  第一章 シリア問題の過去・現在・未来

 

 きっかけはインターネット解禁

 20112月、米国の働きかけにも応えるため、シリア政府はインターネットに対する制裁を撤廃した。すると、国外に居住する反体制派シリア人たちはインターネットを通じて国内のシリア人に対し政権への蜂起を呼びかける動きを起こした。

 シリアでは政権党であるバアス党とムスリム同胞団との間で深刻な抗争が長年続いており、1963年にバアス党が政権を奪取すると政権対同胞団の抗争になった。世俗主義のバアス党に対し、スンニー派保守イスラム主義政党としてのムスリム同胞団は互いに水と油である。70年代後半以降、同胞団は組織的テロ活動を行って政権に挑戦した。

 

 さかのぼること1982年、シリア国内のハマー市でムスリム同胞団が政府に対して武装決起すると政府軍が徹底的に弾圧した。その際国外に逃れた知識人を父とするスウェーデン在住のあるシリア人は、直ちに「2011年、シリア革命」というサイトを立ち上げると、国内外のおおく多くのシリア人がアクセスし、蜂起を呼びかける数多くのメッセージで瞬く間に注目を引くサイトになった。

 3月に入り、中旬になるとこのサイトに呼応する形でダマスカスでも百人余りのデモ集会が当局の制止を振り切って敢行されては解散させられ、南部ヨルダンとの国境付近の町ダラアでもでもデモが発生した。ダラアではチュニジアやエジプトなどでの模様をテレビで見ていた中学生たち13人が軽い気持ちで学校の壁に政権打倒の落書きをすると、直ちに治安当局は彼らを捕まえてどこかに連れ去った。何日も子どもたちの行方は知れず安否を心配する親たちに同情した数千人の市民は同月18日、金曜日の祈りをモスクで終える街路に出てデモを始めた。彼らは「アッラ、シリア、自由、それだけで十分だ!」と叫んで子どもたちの釈放を訴え、傲慢な県知事と治安機関責任者でバシャール・アサド大統領の母方の従兄弟であり、威張るだけの嫌われ者アーティフ・ナジーム大佐の解任を要求した。治安当局がデモを阻止し始めると、混乱の中で市民の間に4人の死者が出た。このニュースは直ちに全国に伝わった。

 この事件は、シリアを血で血を洗う抗争に一気に向かわせた。シリア国内で最大の都市首都ダマスカスと第二のアレッポを除く全国の主要都市で多くの市民が街路に出て政府に要求を突きつけ、政権打倒の叫びを上げることになった。

 

 ダラア事件の陰謀

 ダラアでの死亡事件を懸念したアサド大統領は、翌日の葬儀に大統領名代の弔問使を急遽派遣した。イスラム世界では人が死ねば死んだその日にあるいは翌日には葬儀を行ない、直ちに土葬する。ターメル・アルハッジャ地方自治大臣とファイサル・ミグアード外務副大臣が弔問使として派遣され、葬儀の場で大統領の哀悼の意を伝えた。

 地方自治体人は所轄大臣である。ファイサル・ミグアード外務副大臣がもう一人の弔問使とされたのは、ミグダード家がダラアの名家であって、ファイサル・ミグダードは大統領の側近として地元ではよく知られた存在だったからだ。葬儀ではダラア市を代表するアリ・オマーリ・モスクのアハマド・サヤスナ首席導師が「今は非常に微妙な時期にあり、ダラア市民は一致団結してこの難局を乗り越えよう」と冷静に訴えた。

 その後、子供たちは釈放され、内務省内に事件の調査委員会が設置され、県知事は解任、大統領の従兄弟の治安当局責任者は更迭された。

 そのころ、事件を報道する国内外のメディアは、シリア国営通信を除きすべてが、数千人の市民が平和的にデモを挙行しているところに治安当局が一方的に介入し、発砲して死者を出したと繰り返して報道し、いよいよシリアでも「アラブの春」の動きが始まったとして国際社会の関心を引いた。23日になると政府系報道機関は武装グループが治安部隊と医療部隊を襲い、医師、運転手そして治安部隊が殺されたと伝えたが、このニュースは国際社会の中で関心を引くことなく埋没した。

 シリアでの民衆の蜂起と政府治安組織、軍事による弾圧について、欧米諸国を中心とする国際社会とメディア報道はこぞってこう説明する。

 

”シリア民衆は長年アサド氏による独裁政権の下で抑圧状態に置かれていたが、「アラブの春」に呼応してついに彼らは立ち上がった。それは自由と民主主義を求める市民による平和的な行動だった。この動きに対し独裁政権側は始めからかたくなな姿勢をとり軍事力をもって弾圧したために、時間が経つにつれて市民側では自己防衛を図るために武装化のやむなきに至り、事態はやがて政権側と平和的に蜂起した民衆側との間の武装抗争に発展した。一方、国内における統治権力の空白に乗じてアルカーイダ系の過激派武装組織がイラクから侵入し、自己増殖を続けてその勢力を拡大し、シリア国内行政は混乱の極みに陥っている。”

 

 ダラア市民が子どもたちの釈放を求めてデモ行進をしたところに治安部隊が介入して4人が殺されたという事件は何だったのか。318日に市民が殺され、その葬儀に大統領が弔使を派遣したことは、政府が死亡事件に責任を認めたことを意味しているではないか。20144月にそう問う筆者に対して、弔問使だったミグダード外務副大臣は次のように語った。

 

”それは違う。当時、政府部内では4人の死亡事件について事態の解明ができていなかった。だが、とにかく市民の生命が失われた痛ましい事実について大統領の弔意を伝えるために派遣されたものだ。事件に政府として責任を取ったものではない。”

 

 同副大臣は生粋の外交官である。ダマスカス大学英語科を卒業して留学後に入省し、国連代表部に一等書記官として赴任し、そのうちに参事官に昇任し、そのまま国連代表部大使になった。帰国して副大臣になり8年になる。同人ははっきりと物事を言い、言えないことは決して口にしない代わり、適当なことを言ってその場を取り繕い相手を誤導することを絶対にしない。治安機関長官たちと日常的事務のやり取りをして国内治安情勢にもよく通じている。大統領の信任が厚く、ダラア出身であるためにファルーク・シャラアエ前副大統領(元外相)と近い。

 一方、ウムラン。ズアビ情報大臣は、同じ問いに対してこう述べる。

 

”自分がまさにダラアに在住していた時に起きた事件だが、死亡したのはダラア市民で、しかも地方政府職員だった。

 民衆が子供たちの釈放を求めてデモに出たと報道されたが、それはデモの表向きの口実にすぎない。当時、彼らの背後にはすでに外国からの働きかけがあったことを指摘しなければならない。具体的には、デモに先立ってカタールに在住するムスリム同胞団のカラダウィ導師がダラア市内の導師に電話をよこし、ダラア市内で民衆をデモに駆り立てるためには、どれほどの資金があればできるかと紹介してきた事実がある。この電話を受けたダラア市内の導師は自分の知人で、自分は彼から直接この事実を聞いた。カラダウィ導師のこのような動きは、氷山の一角であって、当時のデモは外国からの働きかけがあった上でのものに違いない。加えて、ダラアはヨルダンとの国境に近く、同じ部族が国境を跨いでヨルダン側との間で密輸に携わっているが、自分は当時ヨルダン側から武器がい密輸入されていたことを知っている。一連の事態にはアフガニスタン帰りのシリア人たちが絡んでおり、自分はダラアでの民衆蜂起は決して平和的なものではなかったと確信している。”

ーーー

ウムラン・ズアビ情報大臣は1988年から20003月まで首相を務め、首相解任後汚職を追求されて自殺したマハムード・ズビアの姻戚にあたる。アサド政権とは微妙な立場にあった人物だ。当時、彼はまだ政府内で要職にはついておらず、ダラア市内で刑事事件を取り扱って活動する弁護士だった。閣僚起用は翌年のことだ。

 前出のミクダード外相はこうもを語る。

 政権打倒の落書きをした子どもたちが逮捕取り調べを受けたのは事実だ。その取り調べは隣接県のスウェイダで行われた。だが、当時報道されたように治安当局が子ども達を何日間にもわたって拘束した事実はない。親たちが子どもたちの釈放を願ってデモに出たというのも事実ではない。自分は巷間にいわれる陰謀節には決して与しないが、シリアでの武力闘争の先駆けとなったダラアの出来事は、自分には事前に外国から介入があってのものとしか考えられない。最初の事件が起きてから間もなくダラアでは24人の警察官が殺され、この事件は当時政府では緊迫した社会情勢の中で事態を煽る結果とならないように報道することを控えたのだったが、当時の判断は妥当ではなく、悔やまれる。欧米諸国は民衆蜂起の初期から武装グループが活動していたという事実を知っていたと、自分は強くそう思っている。彼らが口をつぐんでいるだけだ。その後自分の妹の11歳の息子が誘拐されて42日間監禁され、さらに80歳余りの父が18日間誘拐される事件が発生した。

シリア政府の関係者ではあるが、ある人物はこう語る。

 

”反体制派は宣伝にたけており、何でも直ちにユーチューブやフェイスブックに掲載して宣伝するが、ダラアの民衆蜂起のきっかけにされた落書きをして捕まったという子どもちは騒動が長引いても誰一人としてその種の宣伝画面に出てこず、また釈放を訴えたという親たちも同様だ。これがどのような意味をもっているのか考えてほしい。”

 

 こう言って、彼は当時の報道に対して疑問を提示した。

 これらの証言は皆、政府関係者のものである。だからと言って、彼らの証言が政権を代弁する偏向した内容だとして一蹴することは適当ではない。201148日シリア国営通信は、同日ダラアのオマリ・モスク近辺で武器を携行せず警備をしていた治安警察車を武装集団が襲い、治安兵士と警察官19人が殺され75人が負傷し、多数の市民に犠牲者が出たことを報じた。アルアラビーヤビ衛星TV局もシリア国営通信のこのニュースを報道した。同日、内務省は今後このような武装集団に対して毅然と対処する旨の声明を出した。

 201110月になるとアルジャジーラ衛星TV放送がシリアのスンニー派最高位の導師であるバドルエッディーン・ハンスーン大法官の発言を報じた。大法官はいくつか語った中で、「民衆蜂起の最初の月には反対派の死者よりも政府側兵士の死者のほうが多かった」とも述べた。反体制派側に強く傾斜するアルジャジーラがこの発言をそのまま報道したことは興味深い。

 同放送局のベイルート支局長アリ・ハシュムは同僚とともに同地に着任直後の20114月に武装レバノン人グループがシリア国境を越えてシリアに入国し活動している事実を確認したが、アルジャジーラ本部ではこのニュースに関心をもたず、5月には映像とともに報道したが本部では別の映像とすり替え、同支局長はやがて抗議の辞職をしている。さらに、筆者の知人で国外に長らく居住するアラウィ派の人物は「治安軍兵士だった従兄弟がダラアでの民主蜂起が始まって間もない時期に同地で戦死した。ダラアの民衆蜂起が平和裏に行われていたというのはまったく事実ではない」と語っている。

 

 

 

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ウクライナ モルドバ グルジアへの内政干渉

2024年12月15日 | 国際・政治

 先だって、欧州連合(EU)加盟候補国の旧ソ連構成国グルジア(ジョージア)で行われた議会選で、ロシア寄りの与党「グルジアの夢」が、約54%の票を獲得し勝利したとの報道がありました。2012年から続く与党の政権継続が確実になったということです。

 でも、与党と異なる政策を進めようとするサロメ・ズラビシュヴィリ大統領や大統領を支える野党側は結果を認めず、激しい抗議行動を続いているということです。

 そして、1216日に退陣しなければならない親欧米派のスラビシュヴィリ大統領(フランス生まれのグルジア系移民で二重国籍)のもとに、激しい抗議行動には、ウクライナ危機に関与した傭兵が参加しているとの情報が多く寄せられているといいます(大統領は、うした情報に信憑性はないと主張している)。でも、与党側のコバヒゼ首相が、多極主義を掲げ、ロシアとの連携を支持しているということですので、グルジアの抗議行動が、欧米の支援を受けていることは間違いないと思います。

 なぜなら、しばらく前に、プラウダが、下記のように、”グルジアにおける抵抗が、ウクライナのマイダン暴動にそっくりで、それは、グルジアの人たちの利益に反し、国家を不安定化させようとする試みである”と報道していたからです。それは、抵抗運動が暴力的であるとともに、欧米の支援を受けているということです。

 ウクライナでマイダン革命のあった2014年に、グルジアの親欧米派は「グルジア軍団」を結成し、ウクライナのドンバス戦争やその後のウクライナ危機に関与し暗躍してきたといわれていますのですので、そうした組織が、欧米側の支援を受け動いているということだと思います。

 だから私は、ウクライナと同じように、グルジアでも、アメリカが政権転覆を意図して動いているのでだろうと思いました。アメリカは、反米的な国の政権転覆をくり返してきたからです。

Protests in Georgia look very much like Maidan riots in Ukraine

Those who are trying to destabilize the situation in the country do not care about the interests of the people of Georgia” https://english.pravda.ru/world/161295-georgia-ukraine-maidan-riots/

 グルジア与党の勝利は、EUが事実上凍結した加盟交渉が再開する見通しは遠のき、ロシアの地域での影響力低下を狙ってグルジアを強力に支援してきた欧米には大きな打撃となるといわれています。

 そして、そうした情報を裏づけるかのようにUS Just Security が、バイデン政権に下記のような提言をしているのです。

註:US Just Security というのは、非営利の政策研究機関があり、国際法、国家安全保障法、人権法といった分野で、法律が現代の国際的な課題にどのように応用されるのか研究している機関です

 そのUS Just Security

”グルジアは、暴力的な一党独裁政権に陥るリスクがある。バイデン政権は、その下落を止めるために今すぐ行動を起こさなければなりません。”(Georgia Risks Plunge Into a One-Party State. The Biden Administration Must Act Now )。

https://www.justsecurity.org/105640/georgia-protests-us-sanctions/

 その提言には、下記のようにあります。

”小さいながらも重要な国であるジョージアは、バイデン政権が任期の残り数日間で世界的な危機を解決するために大きな変化をもたらすことができる場所の1つです。その国の何十万人もの人々、大半が若者が、ロシアではなく、欧米との民主的な未来を望んでいることを実証するため、自由と命を危険にさらしている。

 しかし、アメリカ政権は、グルジア与党による平和的な抗議行動参加者に対するほぼ2週間にわたる毎晩の残虐行為に、力強く対応できていない。400人以上が逮捕されたと報じられており、ロイター通信は「多数のデモ参加者と数十人の警官が負傷した」と報じている。同国のオンブズマンは、すでに1週間前に、警察が市民の反対意見に対して「市民を罰するために暴力的な方法」を行使したと断定した。

 グルジアに混乱を引き起こし、国を独裁的で親ロシア的な道に引きずり込んだ責任者の一人がいる:ロシアで財を成し、その後、2012年以来与党であるグルジアの夢党を結成したグルジアのオリガルヒ、ビジナ・イワニシビリだ。アメリカ政府は、彼と、1128日、間違いなくイワニシビリの命令で、グルジアが欧州連合との交渉を中断すると発表したイラクリ・コバヒゼ首相に対して、即時かつ公的制裁を課すべきだ。グルジア国民の約80パーセントがEU加盟を望んでいることを考えると、コバヒゼの発表が大規模で持続的な抗議行動を引き起こしたことは驚くに値しない、特に1026日の議会選挙後には、グルジア国内や国際監視団から深刻な問題だらけだと広く見られている。

 これらの抗議行動に対する弾圧を受けて、アントニー・ブリンケン国務長官は124日、国務省がグルジアの「民主的プロセスを損なう者」に対する制裁を検討していることをほのめかした。彼は「グルジアの夢党による、グルジア国民、抗議者、マスコミ、野党関係者に対する残忍で不当な暴力」を引用した。 ・・・以下略(機械翻訳)

”The small but important country of Georgia is one place where the Biden administration can make a huge difference in resolving a global crisis during its few remaining days in office. Hundreds of thousands of people of that country, mostly young, are risking their freedom and lives to demonstrate that they want a democratic future with the West, not with Russia.

 

But the U.S. administration is failing to forcefully respond to almost two weeks of nightly brutality against peaceful protesters by the Georgian ruling party. More than 400 people reportedly have been arrested and Reuters reports that “scores of demonstrators and dozens of police officers have been injured.” The country’s ombudsman determined already a week ago that police had wielded “violent methods against citizens in order to punish them” for their dissent.

 

There is one man responsible for creating chaos in Georgia and taking the country down an authoritarian and pro-Russian path: Bidzina Ivanishvili, the Georgian oligarch who made his fortune in Russia and then formed the Georgian Dream party, which has been the ruling party since 2012. The U.S. government should impose immediate and public sanctions on him and on Prime Minister Irakli Kobakhidze, who announced Nov. 28, undoubtedly at Ivanishvili’s bidding, that Georgia would suspend its negotiations with the European Union. Given that some 80 percent of Georgians want to join the EU, it should be no surprise that Kobakhidze’s announcement triggered massive, sustained protests, especially coming after the Oct. 26 parliamentary election that has been widely seen within the country and by international monitors as riddled with serious problems.

 

In response to the crackdown on those protests, Secretary of State Antony Blinken hinted on Dec. 4 that the department was considering sanctions “against those who undermine democratic processes” in Georgia. He cited “the Georgian Dream party’s brutal and unjustified violence against Georgian citizens, protesters, members of the media, and opposition figures.”・・・以下略

 

 そして、アメリカはこういう提言に基づくように、グルジアに制裁を科すのです。だから、制裁を避けたい人たちが抵抗運動に参加するようになり、抵抗運動を煽る役割を担う人たちや組織の活動によって、マイダン暴動のように暴力的になるのだと思います。プラウダやタス通信は、そういう状況を伝えているのです。

 タス通信には、下記のような記事もありました。

”現米政権は20211月の連邦議会議事堂襲撃の参加者を投獄したが、グルジア国会議事堂への攻撃には対応しなかったとパプアシビリ氏は強調した。「どうやら、神々は人々がやらないことをするかもしれない」と彼は結論付けた。”

”The current US administration jailed the participants of the Capitol storming in January 2021, but did not respond to the attack on the Georgian parliament building, Papuashvili emphasized. "Apparently, the gods may do what the people may not," he concluded.”

 

 まったく同じように、US Just Security  は国際法、国家安全保障法、人権法といった分野で、法律が現代の国際的な課題にどのように応用されるのか研究しているというのに、イスラエルのガザにおける戦争犯罪や国際法違反、イスラエルのシリア侵略や一方的な爆撃に対する、提言はしないのです。

 しばらく前、グルジアと 同じような状況にあった選挙前の旧ソ連構成国「モルドバ」を、EUのフォンデアライエン委員長アメリカのブリンケン国務長官らが相次いで訪れ、連帯を表明するとともに、EUは18億ユーロ、日本円にしておよそ3000億円という大規模な支援を発表し、リンケン米国務長官は、1億3500万ドル(約210億円)の支援を打ち出したと報道されたばかりでした。
 モルドバは、人口およそ250万で面積が日本の九州よりやや小さい国だというのに、選挙前にこのような莫大な支援を約束することは、
一種の買収行為であり、内政干渉ではないか、と私は思いました。

 そして、Wikipediaに、アメリカ合衆国の対外情報機関、中央情報局(Central Intelligence Agency, 略称:CIA)の活動内容として、”アメリカ合衆国に友好的な政権樹立の援助”、と、”アメリカ合衆国に敵対する政権打倒の援助”、があることを思い出すのです。

 

 

 

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アサド政権崩壊の報道を考える

2024年12月12日 | 国際・政治

 シリアのアサド政権が崩壊し、アサド大統領はロシアに逃れたといいます。そして、日本の主要メディアは、アサド政権の圧政から解放されたという市民の喜びをいろいろなかたちで伝えました。

 でも私は、またしても、アメリカを中心とする西側諸国の武力による政権転覆だと思いました。

 反米的な国や組織に対して、アメリカは反政府勢力を支援し、政権の転覆をくり返してしたからです。逆に、親米的な国や組織に対しては、アメリカは、たとえそれが独裁政権であっても支援し、反政府勢力を潰してきたのです。

 だから、シリアの場合もアサド政権に批判的な報道をする情報源だけではなく、アサド政権を支援する側の情報源の情報も知る必要があると思います。

 特に、今回のアサド政権崩壊が、シリア内部の戦いだけではなく、外部勢力によってもたらされたとする情報を見逃してはならないと思います。

 イランの最高指導者ハメネイ氏は、シリアの出来事は、アメリカ合州国とイスラエル政権が首謀したとして、下記のように述べてたことを「国営イラン通信( Islamic Republic News Agency)」が伝えています。

 そして、それが虚言でないことは、実際にイスラエルが、その後もシリアを爆撃していることや下段のCNNが伝える、ネタニヤフ首相や政治家の発言でわかります。

 

国営イラン通信( Islamic Republic News Agency

水曜日、様々な階層の何千人もの人々を前にして、アヤトラ・ハメネイは、「シリアで起こったことは、アメリカとシオニストの共同陰謀の結果であったことに疑いの余地はないはずだ」と述べた。

最高指導者は、近隣諸国が開発において目に見える役割を果たした一方で、主要な共謀者と戦略家は米国とイスラエルに拠点を置いていることを強調した。

「はい、シリアの隣国がこの問題で明らかに役割を果たしており、現在もそうしています。誰もがそれを見ることができます」と彼は言った。「しかし、主要な陰謀者、主要な計画者、そして司令部は、アメリカとシオニスト政権にある」。

アヤトラ・ハメネイは、「この結論について疑いの余地を残さない兆候がある」と付け加えた。

彼はまた、「神の恵みにより、レジスタンスの範囲はこれまで以上に全地域を包含するだろう」と述べ、レジスタンス戦線の未来について聴衆を安心させた。

「これがレジスタンス戦線というものだ」と彼は主張し、「圧力をかければかけるほど、それは強くなる。犯罪を犯せば犯すほど、その動機は高まります。彼らと戦えば戦うほど、それはより拡大していく」

アヤトラ・ハメネイは、最近の進展の結果としてイラン・イスラム共和国が弱体化すると主張するアナリストたちを「無知」として退けた。

「神の恵みにより、イランは強く、強力であり、さらに強力になるだろう」と彼は付け加えた。

最高指導者はさらに、シリアの将来について楽観的な見方を表明し、「神の恵みにより、シリアの占領地は勇敢なシリアの若者によって解放されるだろう。これが起こることを疑ってはいけません。アメリカもレジスタンス戦線によって、この地域から追放されるだろう。

彼は、シリア紛争に関与した人々の異なる目的を強調し、「シリア北部や南部に領土占領を求める者もいるが、アメリカは、この地域での足場を確保することを目指している。これらは彼らの目標ですが、神が望まれるなら、これらの目標はどれも達成されないことを時が証明するでしょう。

彼は続けて、アメリカは、この地域に足場を築くことができず、レジスタンス戦線によって、この地域から追放されるだろうと述べた。水曜日、様々な階層の何千人もの人々を前にして、アヤトラ・ハ ハメネイは、「この結論について疑いの余地を残さない兆候がある」と付け加えた。・・・”(機械翻訳)

Supreme Leader: What happened in Syria was result of joint US-Israeli plot - IRNA English

Supreme Leader: What happened in Syria was result of joint US-Israeli plot

Tehran, IRNA - Supreme Leader of the Islamic Revolution Ayatollah Seyyed Ali Khamenei has said that the events unfolding in Syria had been masterminded by the United States and the Israeli regime.

Speaking to thousands of people from various walks of life on Wednesday, Ayatollah Khamenei stated, “There should be no doubt that what happened in Syria was the result of a joint American-Zionist plot.”

The Supreme Leader underlined that while a neighboring country played a visible role in the developments, the primary conspirators and strategists are based in the US and Israel.

Yes, a neighboring state of Syria clearly played a role in this matter and continues to do so — everyone can see that,” he said. “But the main conspirator, the main planner, and the command center lie in America and the Zionist regime.”

Ayatollah Khamenei added, “We have indications that leave no room for doubt about this conclusion.”

He also reassured the audience of the future of the Resistance Front, saying, “By God’s grace, the scope of the Resistance will encompass the entire region more than ever.”

This is what the Resistance Front is,” he asserted, adding, “The more pressure you apply, the stronger it becomes; the more crimes you commit, the more motivated it becomes; the more you fight them, the more expanded it becomes.”

Ayatollah Khamenei dismissed as “ignorant” those analysts who argue that the Islamic Republic of Iran will become weaker as a result of the recent developments.

I tell you that By God’s grace, Iran is strong and powerful and will become more powerful,” he added.

The Supreme Leader further expressed optimism about Syria’s future, stating, “By God’s grace, the occupied territories in Syria will be liberated by the brave Syrian youth. Do not doubt that this will happen. The US will also be expelled from the region by the Resistance Front.”

He highlighted the differing objectives of those involved in the Syrian conflict, noting, “Some seek territorial occupation in northern or southern Syria, while the US aims to secure its foothold in the region. These are their goals, but time will prove that God willing, none of these objectives will be achieved.”

The US, he went on to say, will not be able to establish a foothold in the region and will be expelled from the region by the Resistance Front. ・・・”

 それを裏づけるような情報を、CNNが伝えています。Israel strikes Syria 480 times and seizes territory as Netanyahu pledges to change face of the Middle East | CNN

 「イスラエルはシリアを480回攻撃し、ネタニヤフが中東の顔を変えると誓ったように領土を奪取」

”アサド政権の崩壊は、イスラエルによる懲罰的な軍事的対応を促し、イスラエルはシリア全土の軍事目標への空爆を開始し、50年ぶりに非武装の緩衝地帯内外に地上部隊を配備した。

火曜日、イスラエル軍は、過去二日間でシリア全土で約480回の攻撃を行い、シリアの戦略兵器備蓄の大半を攻撃したと述べ、イスラエル・カッツ国防相は、イスラエル海軍がシリア艦隊を一晩で撃破したと述べ、作戦を「大成功」と称賛した。

ちょうどその前日、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、バッシャール・アル・アサド政権の崩壊を「新しく劇的な章」と称賛していた。

「シリア政権の崩壊は、我々がハマス、ヒズボラ、イランを襲った深刻な打撃の直接的な結果だ」と彼は月曜日の珍しい記者会見で述べた。「枢軸はまだ消えてはいないが、私が約束した通り、我々は中東の様相を変えつつある」

イスラエル当局は、イランの忠実な同盟国であり、彼の国がレバノンのヒズボラの補給ルートとして使用されることを許したアサドの失脚を大いに祝った。しかし、彼らはまた、占領されたゴラン高原でイスラエルと国境を接するシリアを支配する過激なイスラム主義者から何が来るかも恐れている。

ギデオン・サール外務大臣は月曜日、ジャーナリストたちに、イスラエルは化学兵器備蓄と長距離ミサイルを収容するシリアの軍事施設を爆撃し、「過激派の手に落ちる」のを防いでいると語った。

「将来どうなるかについては、私は預言者ではありません」と彼は言った。「イスラエルの安全保障の文脈で、必要なすべての措置を取ることが今重要です」”機械翻訳)

 

The collapse of the Assad regime has prompted a punishing military response from Israel, which has launched airstrikes at military targets across Syria and deployed ground troops both into and beyond a demilitarized buffer zone for the first time in 50 years.

 

The Israeli military on Tuesday said it had carried out about 480 strikes across the country over the past two days, hitting most of Syria’s strategic weapon stockpiles, while Defense Minister Israel Katz said the Israeli navy had destroyed the Syrian fleet overnight, hailing the operation as “a great success.”

 

Just a day earlier, Israeli Prime Minister Benjamin Netanyahu had hailed the collapse of Bashar al-Assad’s regime as “a new and dramatic chapter.”

 

The collapse of the Syrian regime is a direct result of the severe blows with which we have struck Hamas, Hezbollah and Iran,” he said during a rare press conference Monday. “The axis has not yet disappeared but as I promised – we are changing the face of the Middle East.”

 

Israeli officials have reveled in the downfall of Assad, a staunch ally of Iran who allowed his country to be used as a resupply route for Hezbollah in Lebanon. But they also fear what could come from radical Islamists governing Syria, which borders Israel in the occupied Golan Heights.

 

Foreign Minister Gideon Sa’ar told journalists on Monday that Israel was bombing Syrian military facilities housing chemical weapons stocks and long-range missiles to prevent them from falling “into the hands of extremists.”

 

With regard to what will be in the future, I’m not a prophet,” he said. “It is important right now to take all necessary steps in the context of the security of Israel.”

 

 だから、アサド政権の崩壊が、民主化を求める一般市民の抗議行動の結果とは、とても言えないと思います。でも、メディアは、シリア市民の喜びの声を、くり返し伝えているのです。アサド政権の圧政の背景を無視し、善悪を逆様に見せる報道ではないかと思います。

 イスラエルが、イスラエルの安全のためだということで、ゴラン高原地域を奪取しても、黙認するということでしょか。

 

 

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