「直言! 日本よ、のびやかなれ」櫻井よしこ(世界文化社)には「従軍慰安婦」問題に関わる記述がある。その記述に5つほど疑問を感じた(関係資料は別ページ)。
まず、「直言!」には、「強制連行の事実はあったの」と題して下記のような記述がある。
強制連行だというイメージを定着させることになった発端は日本国政府のお詫びでした。政府が二度にわたり従軍慰安婦は強制的に連行されたものとの前提に立ってお詫びを表明しています。最初は、1992年1月16日、宮沢総理大臣が韓国を訪問した時です。その5日前に朝日新聞が、「日本帝国陸軍が従軍慰安婦の慰安所の設置と運営に関与していた」という内容の記事を一面で大きく取り上げました。そのことが恐らく、宮沢総理の足下を揺らがせたのでしょう。韓国で宮沢総理は、「従軍慰安婦の方々が筆舌に尽くしがたい思いをされたことは、誠に遺憾に思います」と言って、謝罪したのです。
日本の総理大臣が謝ったため、韓国のマスコミも、一応沈静化の方向に向かいました。ただ、このような問題には、燃え上がっては沈静化し、沈静化しては燃え上がるという風にいくつもの波があるようです。翌年の93年8月、今度は河野洋平官房長官が謝る事態になりました。
河野洋平官房長官は、「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については軍の要請を受けた業者が主としてこれにあたったが、その場合も、甘言、強圧によるなど、本人たちの意志に反して集められた事例が数多くあり」などと述べて、謝罪しているのです。この官房長官談話は韓国では慰安婦が強制的に連行されたことを日本政府が正式に認めたものだと解釈されました。宮沢総理つづいて政府の顔である官房長官も謝ったのですから、そうとられても仕方がありません。……
疑問1
まず、一国の総理が「朝日新聞の記事に足下が揺らいで、謝罪した」というような理解が正しいのかどうか、という疑問である。宮沢総理が、二国間の重要問題であり、日本の国益に大きく関わる「慰安婦」問題で、事実に基づくことなく、「朝日新聞の記事に足下が揺らいで、謝罪した」と主張するのであれば、何らかの根拠を示すべきではないか、と思う。個人的にそういう判断をすることが許されても、人前で講演し、著書を出版するということになれば、根拠を示さずそういう主張をすることには、問題があるのではないかと思うのである。
疑問2
河野官房長官の談話(「従軍慰安婦」問 資料NO1 日本政府の発表ーⅢ)の内容のどこが事実に反するのか、という疑問である。
櫻井氏の「慰安婦たちへの補償は民間でおこなうべき」には
……宮澤総理や河野官房長官が、従軍慰安婦が官憲による強制連行であったと認め、日本を代表して謝罪することは、今現在、強制連行が歴史の事実であったと証明する資料が、吉田氏の著書以外に見あたらないならば、日本の歴史を歪めること以外のなにものでもありません。…
とある。河野官房長官の談話には「強制連行」という言葉は出て来ない。にもかかわらず、櫻井氏は一貫して「従軍慰安婦」問題イコール「強制連行」問題であるかのように置き換えて論じ、おまけに従軍慰安婦証言については、全く触れられていない。元「従軍慰安婦」の証言には「騙されて慰安所に入れられた」というものもある。また「従軍慰安婦」問題は、たとえ強制連行でなく応募によるものであったとしても、慰安所に拘束され、自由な外出が許されず、性交渉を強制されたという事実があれば、重大な人権問題であることにかわりはない筈である。したがって奴隷狩りのような「強制連行」だけを取り上げて、「強制連行」を証明する資料が、吉田氏の著書以外に見あたらないから、河野官房長官の談話の内容は事実に反し、謝罪は必要ない、と主張できるのかという疑問である。
元「従軍慰安婦」の方々の証言については、櫻井氏は全く取り上げていないのでどのように理解されているのか分からない。少なくても、河野官房官の謝罪は、元「従軍慰安婦」の方々や関係者の方々の証言と、そうした証言に符合する様々な公文書や記録などに基づくものであることは、『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』(龍渓書舎)でも明らかにされており、疑いない。日本政府の発表した「政
府・基金公表文書」の「2 いわゆる「従軍慰安婦問題について」平成5年8月4日 内閣官房内閣外政審議会室)には
……政府は、平成3年12月より関係資料の調査を進めるかたわら、元軍人等関係者から幅広い聞き取り調査を行うとともに、去る7月26日から30日までの5日間、韓国ソウルにおいて、太平洋戦争犠牲者遺族会の協力も得て元従軍慰安婦の人たちから当時の状況を詳に聴取した。また、調査の過程において、米国に担当官を派遣し、米国の公文書につき調査した他、沖縄においても、現地調査を行った。調査の具体的態様は以下の通りであり、調査の結果発見された資料の概要は別添えのである。……
とあるのである。
しかしながら、櫻井氏は、そうした「証言」には全く触れず、文書資料だけで判断し、日本を代表する責任ある立場の人が、事実に基づくことなく、個人的見解で謝罪したというような受け止め方をされているように読み取れるのである。「従軍慰安婦」問題では、もちろん諸文書や記録との整合性も含まれるが、元「従軍慰安婦」の方々の証言の分析や検証に基づく理解が不可欠なはずである。それらを抜きに河野官房長官の謝罪を否定することはできないのではないということである。
疑問3
櫻井氏は「政府の謝罪と外務省の資料との大きなギャップ」として内務省警保局長から各庁府県長官宛通牒『支那渡航婦女の取扱に関する件』(『325「従軍慰安婦」問題 資料NO2 当時の文書』Ⅳ)を取り上げている。しかしその取り上げ方には疑問がある。この通牒が発せられたのは昭和13年2月23日付であるが、その前の昭和13年1月19日に群馬県知事から内務大臣や陸軍大臣のみならず、各庁府県長官宛に「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」という重要な文書(325「従軍慰安婦」問題 資料NO2 当時の文書ーⅠ」)が送付されている。また、同じような内容の文書が、形県(同ーⅡ)や高知県、和歌山県(同ーⅢ)、茨城県、宮城県から内務省警保局長宛てに発せられている。こうした文書に触れることなく、櫻井氏は
この書類は、「最近支那(中国大陸)に渡る女性たちが増えているが、女性たちの募集や働き口を周旋する業者が、『あたかも軍当局の了解があるかのよう』に装うケースが増えていることに困っている」という書き出しで、以下の事を指示しています。……
と言っている。困ったのは確かであろうが、「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件(和歌山県知事)」(同ーⅢ)の文書の「四、関係方面照会状況」にあるようにこれは装いではなく、現実に軍の依頼に基づくものであった。政府や軍当局は秘かに集めるようにしてほしたかったのであろうが、業者は依頼を受けて集めたのである。警察の対応からもわかるように、それが広く知れわたると、大きな社会問題
に発展する可能性があり、政府は決断を迫られた、と考えられるのである。
さらに、
役所が女性たちに身分証明書を発行するとき、彼女らに仕事の契約期間が満了したり、働かなくてもよい状態になったら、早く帰国するように勧めること、この種の仕事に就く女性は本人が警察に出向いて身分証明書をつくってもらうこと、警察はその場合、必ず女性の親か、または戸主の承認を得て身分証明書を出すことなどと書かれています。
さらに(5)として「醜業を目的とする婦女に身分証明書を発給するときは、稼業契約その他各種の事情を調査し婦女売買または略取誘拐等の事実がないよう特に留意すること」と書かれています。
売春の仕事に就かざるを得ない女性たちを、まかり間違っても本人の意志に反してそこに追い込んではならないとの思いが表れています。…
とも言っている。書かれていることは事実であるが、それを「売春の仕事に就かざるを得ない女性たちを、まかり間違っても本人の意志に反してそこに追い込んではならないとの思いが表れています」と解釈するが、正しいのかどうか、当時の状況や前後に発せられた文書を読むと、疑問なのである。
なぜなら、内務省警保局長が上記文書『支那渡航婦女の取扱に関する件』を発する前に、前述の群馬県知事から、同ーⅠ)の文書にあるように「公序良俗ニ反スルカ如キ募集ヲ公々然ト吹聴スルカ如キハ皇軍ノ威信ヲ失墜スルモ甚シキモノト認メ厳重取締方所轄前橋警察署長に対シ指揮致置候」と指摘されているのである。
また、山形県知事は(同ーⅡ)「所轄新庄警察署ニ於テ聞知シタルカ如斯ハ軍部ノ方針トシテハ俄カニ信シ難キノミナラス斯ル事案カ公然流布セラルルニ於テハ銃後ノ一般民心殊ニ応召家庭ヲ守ル婦女子ノ精神上ニ及ホス悪影響尠カラス更ニ一般婦女身売防止ノ精神ニモ反スルモノトシテ所轄警察署長ニ於テ右ノ趣旨ヲ本人ニ懇諭シタルニ…」と指摘している。
さらに和歌山県知事から内務省警保局長宛の文書(同ーⅢ)には「酌婦ヲ呼ヒ酌セシメツツ上海行キヲ薦メツツアリテ交渉方法ニ付キ無智ナル婦女子ニ対シ金儲ケ良キ点軍隊ノミヲ相手慰問シ食料ハ軍隊ヨリ支給スル等誘拐ノ容疑アリタルヲ以テ被疑ヲ同行取締ヲ開始シタリ」と報告し、現状を批判しているのである。その他の社会状況もあり、政府(内務省)はむしろ追い詰められて、「二重基準」を決断し、国内向けには『支那渡航婦女の取扱に関する件』を発したと考えるべきではないか、といことである。
同文書の「婦女ノ渡航ハ現地ニ於ケル実情ニ鑑ミルトキハ蓋シ必要已ムヲ得ザルモノアリ警察当局ニ於テモ特殊ノ考慮ヲ払ヒ、実情ニ即スル措置ヲ講ズルノ要アリト認メラルルモ…」の表現に表れているように、軍は慰安婦を求めており、それを否定するわけにはいかない状にあった。
したがって、世の批判をかわすために、日本国内から慰安婦を送る場合は、徹底して国際条約を遵守することにした、と捉えべきではないかと考える。
その根拠は、同じ年の昭和13年3月4日には、陸軍省兵務局兵務課起案の「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」という文書が「副官ヨリ北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒」(325「従軍慰安婦」問題 資料NO2 当時の文書ーⅤ)として発せられているからである。この「通牒」には「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」で定められていた、慰安婦を募集し送り出すための7つの制限項目がないことが重要である。まさに、「軍ノ威信保持上、並ニ社会問題上、遺漏ナキ様」に「関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋ヲ密ニシ」て、朝鮮などから若い女性を慰安婦として集める「二重基準」政策を取ることにしたと考えられるのである。
そして、こうした文書が発せられて以降、「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」(326「従軍慰安婦」問題 資料NO3 婦女売買関係条約)調印時に、日本が設定した「留保宣言」を利用して、現実に朝鮮を中心とする植民地や占領地から、多くの若い女性が慰安婦として集められることになった、ということである。櫻井氏のように、『支那渡航婦女の取扱に関する件』を、その前に発せられている文書や、その後に発せられた文書と切り離しては、その歴史的意味を理解することはできないのではないかと思う。資料の単なる文章理解で歴史を語ることには疑問がある。
疑問4
また、櫻井氏は「政府の謝罪と外務省の資料との大きなギャップ」の中で、
ただし、……慎重な配慮は中国に渡る日本人女性にだけ向けられたもので、朝鮮や中国、その他の国々の女性への取り扱いは全く異なっていたのではないかと疑うこともできます。
と言っておきながら、元「従軍慰安婦」の聞き取りや証言に基づくことなく、「渡支取締方ノ件」という台北州知事から警務局長などに宛てた文書を取り上げている。「渡航身分証明書並外国旅券発給状況」を表にした毎月の報告書である。確かに櫻井氏が指摘するとおり、1月の報告には「南支方面」の欄に、「内地人59、朝鮮人8、本島人8、計75」という数字が読み取れる。でも、分かるのはその数だけである。年齢も、売春婦であるかどうかも、親族や戸主の承認を得ているかも、何も分からない。内務省警保局長が発した各庁府県長官宛文書、「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」で制限した「1、醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ハ、現在内地ニ於テ娼妓其ノ他、事実上醜業ヲ営ミ、満21歳以上、且ツ花柳病其ノ他、伝染性疾患ナキ者ニシテ、北支、中支方面ニ向フ者ニ限リ、当分ノ間、之ヲ黙認スルコトトシ昭和12年8月米三機密合第3776号外務次官牒ニ依ル身分証明書ヲ発給スルコト」を含む7つの項目が、きちんと守られているかどうかは、この文書からは全く分からないのである。でも櫻井氏は
日本人女性59名と共に朝鮮人女性と台湾人女性、各々8名ずつに、中国南部に渡るための身分証明書と旅券を発行したという記述です。このことから判るのは朝鮮人女性も台湾人女性も日本人女性と同様の手続きを経て中国大陸に渡ったということです。少なくてもこのケースからは日本人女性と非日本人女性との差別は見えてきません。
と言っている。もともと身分証明書と旅券の発行数の報告書から どうして「差別が見える」と考えるのか、まったく理解できない。それでは、兵站病院の軍医、麻生徹男の軍陣医学論文集(昭14年6月26日)(316「従軍慰安婦と兵站病院の軍医麻生徹男)の
「……コノ時ノ被験者ハ半島婦人80名、内地婦人20余名ニシテ、半島人ノ内花柳病ノ疑ヒアル者ハ極メテ少数ナリシモ、内地人ノ大部分ハ現ニ急性症状コソナキモ、甚ダ如何ハシキ者ノミニシテ、年齢モ殆ド20歳ヲ過ギ中ニハ40歳ニ、ナリナントスル者アリテ既往ニ売淫稼業ヲ数年経来シ者ノミナリキ。半島人ノ若年齢且ツ初心ナル者多キト興味アル対象ヲ為セリ」
という記述は、どのように理解すべきか、説明を求めたい。私は、これは差別の一端を示すものと捉えて間違いないと思う。ここでも元「従軍慰安婦」の方々の聞き取り調査は欠かせないものであり、そうした方々の証言を抜きに「渡航身分証明書並外旅券発給状況」の報告書のみから、差別がなかった、という結論を引き出すことには、もともと無理があると言わざるを得ないのである。
したがって、櫻井氏の
それだけに、河野官房長官が慰安婦の募集等は「甘言・強圧によるなど、本人たちの意志に反して行われた」または「旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」と断言したのは資料の内容とはかなり異なると感じるのです。
との受け止め方も、当時「従軍慰安婦」がどのような状況にあったのかを理解した上での言葉とは考えられないのである。
疑問5
さらに、櫻井氏は「開設二ヶ月で閉鎖された慰安所」と題して、ジャワ島セマランの慰安所が閉鎖されたことを、日本軍が強制連行や強要を認めていなかった証拠として下記のように述べている。
これは日本が戦いに敗れたあとの1947年12月22日に下された「戦争裁判の判決」の記録です。被告は9名、陸軍軍人5名、陸軍に雇われた民間人4名です。下された刑はいずれも重く1人が死刑を執行されています。残り8名は懲役20年から7年の実刑です。
・・・
ここで、私の注意をひいたのは、女性に売春を強要するのは日本軍部の方針ではなかったという点です。たしかに1944年2月末に、オランダ人女性らを強要する形で慰安所が開設されたわけです。しかし「(女性が)自発的に慰安所で働くという軍本部の許可条件」が満たされていないために、この施設は開設2ヶ月になるかならないかで、軍本部の気付くところとなって閉鎖されているのです。
言いかえれば、この慰安所に限って言えば、軍の規律に従わなかった不心得の将校や兵隊がオランダ人女性らに慰安行為を強要して企んだものだったことが、軍本部に伝わったとき、軍本部は施設を閉めさせて、それ以上女性が強制的に働かせることをやめさせていたという事実があるということです。つまり、このケースから考えると、日本軍は強制連行や強要による慰安婦を認めていなかったということになります。
ただし、忘れてはならないのは、規律も規則も無視した悪どい兵がいたという事実です。彼等が女性を無理に働かせ売春させたことは許されません。だからこそ、彼らは戦後死刑にもなり長期間刑務所につなれたのです。ですが、彼らなりに己の罪の償いはすでにさせられているわけです。
ここでの疑問は、では、なぜ日本軍部は、国際法違反及び軍の規律違反を犯した不心得の将校や兵隊を処罰しなかったのかということである。櫻井氏が「戦争裁判の判決の記録」として取り上げたのは、日本軍部の軍法会議のものではない。注意深く読まないと、あたかも日本軍部が処罰したかのように誤読してしまうのあるが、櫻井氏は、「規律も規則も無視した悪どい兵」を、なぜ日本軍部が放置したのかについては触れていない。「だからこそ、彼らは戦後死刑にもなり長期間刑務所につながれたのです」ということが、日本軍部によるものなら、「日本軍は強制連行や、強要による慰安婦を認めていなかったということになります」は理解できる。しかし、慰安所は閉鎖したけれど、関係者を何の処罰もしなかったことから、事実は「国際世論の反発を恐れた陸軍省や軍司令部は、やむなく2ヶ月でこの慰安所を閉鎖せざるを得なかった」と理解すべきだと考えるのである。
一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。資料のアップには多少時間が必要です。