関東大震災直後、政府は内務省警保局長名で、下記船橋送信所関係文書(資料2)にあるような電文を各地方長官宛てに打電した。そして、それを受けるように、埼玉県は各市町村に自警団の組織化を促す通達(資料3)を発した。それらが、朝鮮人に関わる流言蜚語を日本全国に伝搬させ、自警団員による朝鮮人虐殺を随所で発生させる導火線となったことは疑いない。
しかしながら一方で、9月1日内務省警保局は「人心に不安をあたえるごとき報道」は自粛するよう懇談書をだし、9月3日に「朝鮮人の妄動に関する風説は虚伝に亘る事極めて多く非常の災害に依り人心昂奮の際如斯虚説の伝搬は徒に社会不安を増大するものなるを以て朝鮮人に関する記事は特に慎重に御考慮の上、一切掲載せざる様御配慮相煩度尚今後如上の記事あるに於ては発売頒布を禁止せらるゝ趣に候条御注意相成度」という警告書を出して言論統制に踏み切った。以後、新聞各社は官製資料をもらって記事にしたという。「正確なる事実を民衆に知らしめんが為毎日2回(午前10時・午後1時)検閲係に於て新聞記事材料を発表する事と為し即日之を各社に告示する」という方針に基づいたのである。その記事差し止めが解除されるのは、同年10月20日である。その間、船橋送信所から発せられた電文のような流言蜚語や、下記に見られるような新聞報道(資料4)の流言蜚語は、否定されることなく放置に近い状態だったようである。そこに民衆蜂起を恐れた官憲側関係者の作為が読み取れるという。
考えてみれば、震災後の人心不安の中で、なぜ自然災害ではなく、「不逞鮮人の来襲」などというような流言蜚語が全国的に発生したのか不可解である。さらには、何故朝鮮人と社会主義者を結びつけるような流言蜚語が発生したのか。やはり、それらが一般民衆のなかから発生することは考えにくい。また、下記「流言状況」の中にも、作為を感じさせるものある。さらに、「流言者の検挙取締」の文書は発せられたが、それが現実に進められた気配がないことも気になるところである。「…流言はいづくまでも流言にして、事実の補足すべきものなかりし…」というのである。
「信濃川水力発電所虐殺事件」以降、朝鮮人の労働運動と日本人の労働運動や社会主義者の運動等が、その結びつきを深めつつあった時期であることを踏まえれば、米騒動や三・一運動、五・四運動等を経験し、民衆蜂起を恐れていた官憲側の意図が透けて見えるのではないか、というわけである。下記は全て「現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人」(みすず書房)からの抜粋である。
資料1-------------------------------
3 警視庁及び各警察署管内における流言状況
1 警視庁
一、概 記 (略)
二、流言の発生
流言蜚語の、初めて管内に流布せられしは、9月1日午後1時頃なりしものの如く、更に2日より3日に亘りては、最も甚だしく、その種類も亦多様なり。
今本庁及び各署にて偵察聞知せる、流言蜚語の大要を、日時を逐ふて列挙すれば左の如し。
(A)9月1日午後1時頃
「富士山に大爆発ありて今尚噴火中なり」
「東京湾沿岸に猛烈なる大海嘯来襲して人畜の死傷多かるべし」
「更に大地震の来襲あるべし」
同日午後3時頃
「社会主義者及び鮮人の放火多し」
(B)2日午前10時頃
「不逞鮮人の来襲あるべし」
「昨日の火災は、多く不逞鮮人の放火又は爆弾の投擲に依るものなり」
「鮮人中の暴徒某神社に潜伏せり」
「従来官憲の圧迫に不満を抱ける大本教は、其教書中に於て今回の大火災を予
言せしが、今や其実現せられしを機として、密謀を企て、教徒数千名上京の途に
あり。」
同日午後2時頃
「市ヶ谷刑務所の解放囚人は、山の手及び郡部に潜在し、夜に入るを待ちて放
火するの企てあり。」
「鮮人約200名、神奈川県寺尾山方面のに於て、殺傷、掠奪、放火等を恣
にし、漸次東京方面に来襲しつつあり」
「鮮人約3000名、既に多摩川を渉りて洗足村及び中延附近に来襲し、今や住
民と闘争中なり」
同日2時5分頃
「横浜の大火は、概ね鮮人の放火に原因せり、彼等は団結して到る所に掠奪を
行ひ、婦女子を辱しめ、残存建物を焼毀せんとするなど、暴虐甚しきを以て、全
市の青年団、在郷軍人団等は、県警察部と協力して、之が防止に努力せり」(横
浜方面よりの避難者の流言)
「横浜方面に於ける鮮人の集団は、数十名乃至数百名にして、漸次上京の途に
就けるを以て、神奈川、川崎、鶴見、各町村に於ては、全力を挙げて警戒を厳に
せり」(横浜方面よりの避難者の流言)
「横浜方面より来襲せる鮮人の数は、約2000名にして、鉄砲、刀剣等を携帯し、
既に六郷の鉄橋を渡れり」
「軍隊は六郷河畔に機関銃を備へて、鮮人の入京を遮断せんとし、在郷軍人、
青年団員等亦出動して軍隊に応援せり」
「横浜方面より東京に向へる鮮人は、六郷河畔に於て軍隊の阻止する所となりし
より、転じて矢口方面に向へり」
同日午後3時40分頃
「高田町、雑司ヶ谷なる○○○○は、向原○○○○方へ放火せしむとし現場に
於て民衆の逮捕する所となれり」
同日午後4時頃
「大塚火薬庫襲撃の目的を有する鮮人は、今や将に其附近に密集せんとす」
「鮮人、原町田に来襲して、青年団と闘争中なり」
「原町田を襲へる鮮人200名は、更に相原、片倉の両村を侵し、農家を掠め、婦
女を殺害せり」
同日午後4時30分頃
「鮮人200~300名横浜方面より神奈川県の溝ノ口に入りて放火せる後、多摩
川、二子の渡を越え、多摩河原に進撃中なり」
「鮮人、目黒火薬庫を襲へり」
「鮮人、鶴見方面に於て婦女を殺害せり」
同日午後5時頃
「鮮人百十余名、寺島署管内四ツ木橋附近に集り、海嘯来ると連呼しつゝ戎兇器
を揮ひて暴行を為し、或は放火を敢てするものあり」
同日午後5時30分頃
「戸塚方面より多数民衆に追跡せられたる鮮人某は、大塚電車終点附近の井水
に毒薬を投入せり」
同日午後6時頃
「鮮人等は予てより、或機会に乗じて、暴動を起すの計画ありしが、震火災の突
発に鑑み、予定の行動を変じ、夙に其用意せる爆弾及び毒薬を流用して、帝都
の全滅を期せんとす、井水を飲み、菓子を食するは危険なり」
「上野精養軒前の、井水の変色せるは毒薬の為なり、上野公園下の井水にも異
状あり、上野博物館の池水も亦変色して金魚悉く死せり」
「上野広小路松坂屋前へ爆弾2個を投じたる鮮人2名を逮捕せしが、其所持せる
2枚の紙幣は、社会主義者より得たるものなり」
「上野駅の焼失は、鮮人2名が麦酒瓶に容れたる石油を注ぎて放火せる結果な
り」
「鮮人約200名、品川署管内仙台坂に襲来し、白刃を翳して掠奪を行ひ、自警団と闘争中なり」
「鮮人約200名中野署管内雑色方面より代々幡に進撃中なり」
「代々木上原方面に於て鮮人約60名、暴動を為しつゝあり」
同日午後7時
「鮮人数百名、亀戸署管内に闖入し暴行を為しつゝあり」
「鮮人40名、八王子署管内七生村より大和田橋に来襲し、青年団と闘争中にて
銃声頻りに聞ゆ」
(C) 3日午前1時
「鮮人約200名、本所向島方面より、大日本紡績株式会社及び隅田駅を襲撃せ
り」
同日午前4時頃
「鮮人数百名、本郷湯島方面より上野公園に来襲の状あるを以て、速に谷中方
面に避難せよ、荷物等は持ち去るの要なし、後日富豪より分配する様取計ふべ
し」
同日午前10時
「兵士約30名、鮮人暴動鎮圧の為、月島に赴きたり」
(D) 4日午後30分頃
「鮮人、警察署より解放せられたれば、速に之を捕へて殺戮すべし」
同日午後6時30分頃
「鮮人市内の井戸に毒薬を投入せり」
同日午後9時頃
「青年団員が取押へて、警察署に同行せる鮮人は、即時釈放せられたり」
「上野公園及び焼残地域内には、警察官に変装せる鮮人あれば注意すべし」
資料2-------------------------------
2 船橋送信所関係文書
○呉鎮副官宛打電 9月3日午前8時15分了解
各 地 方 長 官 宛 内務省警保局長 出
東京附近の震災を利用し、朝鮮人は、各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火をせんとするものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於て充分周密なる視察を加へ、鮮人の行動に対しては厳格なる取締を加へられたし。
○呉鎮副官宛 9月3日午後10時10分了解
山 口 県 知 事 宛 内務省警保局長 出
東京附近震災を利用し、内地在留鮮人は不逞の行動を敢てせんとし、現に東京市内に於ては放火をなし、爆弾を投擲せんとし、頻に活動しつつあるを以て、既に東京府下に一部戒厳令を施行するに至りたるが故に、貴府に於ては内地渡来鮮人に付ては厳密なる視察を加へ、苟も容疑者たる以上は内地上陸を阻止し、殊に上海より渡来する仮装鮮人に付ては充分御警戒を加へられ、適宜の措置を採られ度。
○9月2日午後8時20分 船橋 発電
騎20名、7時半警戒の任につきつつあり、附近鮮人不穏の噂。
○9月2日午後8時28分
海 軍 大 臣 宛 横 鎮 長 官 発
本日午前11時横浜着警備艇の状況報告左の如し。
一、1日午前11時58分激震防波堤税関を破壊し全市の家屋倒壊し、爆破所々に
起り不逞鮮人の放火と相俟て全市火の海と化し、死傷数知れず。
二、(下略)
○9月3日午後4時30分
船橋発電
船橋送信所襲撃の虞あり至急応援頼む、騎兵1ヶ小隊応援に来る筈なるも未だ
来らず。
○9月4日午前8時10分 同10時電
本所爆撃の目的を以て襲来せる不逞団接近騎兵2(20ならん)青年団、消防隊にて警戒中の右の兵員にては到底防禦不可能に付約150歩兵急派方取計ひ度当方面の陸軍には右以上出兵の余力なし。
資料3-------------------------------
10 流言の流布と自警団
埼玉県通達文
東京における震災に乗じ暴行を為したる不逞鮮人多数が川口方面より或は本県に入り来るやも知れず、又其間過激思想を有する徒之に和
し以て彼等の目的を達成せんとする趣聞き及び漸次其毒手を揮はんとする虞有之候就ては此際警察力微弱であるから町村当局者は在郷軍人
分会、消防手、青年団員と一致協力して其警戒に任じ一朝有事の場合には速かに適当の方策を講ずるやう至急相当手配相成度き旨其筋の来
牒により此段移牒に及び候也。
(福岡日々新聞 大正12・10・19)
資料4-------------------------------
11 全国主要地方紙流言記事
4
約三千人の不逞鮮人
大森方面より東京へ
(別紙)3日午後5時迄大森方面に約3千人の不逞鮮人横浜より東京に入り込み隊伍を組んで東京方面に向ひたりとの情報伝はりたるより歩兵一個小隊を出したるが同小隊と衝突し彼我の間に戦闘を開始されたるも一個小隊の総勢小勢なりしを以つて敵し難く全滅の恐れあるを以つて急を大崎方面警戒中の麻布三連隊に告げたるより同隊は歩兵一個中隊を自動車にて派遣したるがその後の報道詳ならず一説には鮮人の数は400人と称せらる(新潟経由東京電話)
放火、強盗、強姦、掠奪
驚くべき不逞鮮人暴行
(3日午後1時土浦発)2日より上野附近にて不逞鮮人多数強盗強姦掠奪凄じく附近の井戸に毒を放ち各所に放火しつつあり日暮里に向ひ入京者を襲ふ為め人々は見つけ次第討殺しつつあり入京危険なり東京附近は今飢餓状態のため徴発令発せられん。
爆弾と毒薬を有持する
不逞鮮人の大集団
2日夜暗にまぎれて市内に侵入
警備隊を組織して掃蕩中
不逞鮮人多数入り込み井戸に毒薬を投じて石油を屋上に注ぎ放火をなすの恐れあれば住民は直に警備隊を組織して久堅町、大塚仲町養育院前等において約十数名の鮮人を引捕へ一々厳重なる身体検査をなして官憲の手にこれを引渡し或は昂憤したる警備隊自ら適当の膺懲を加へ専ら放火の厄を免れんと努力しつゝあるを発見したり因に警備隊は日本刀棍棒等の各武器を携へ相言葉を使用不逞鮮人を発見するや呼子の笛を以て警備隊員を召集しこれを逮捕する等その行動極めて敏活を極めつゝあり右方面には騎兵砲兵等乗馬にて出動し警戒怠りなく前日来の奮闘に困憊し居るを以つて宇都宮66聯隊高崎15の両聯隊の応援を求めている(宇都宮経由東京電話)
(河北新報 大正12・9・4)
9
不逞鮮人凶暴を極め
飲食物に毒薬や石油を注ぐ
彼等は罐詰に似た爆弾を所持しつつあり
警備隊は日本刀棍棒鉄棒等の武器を携帯
(4日午前7時宇都宮経由)
不逞鮮人の背後に主義者
暴動言語に絶し風上に
石油を注いで火を放つ
鮮人十数名をを銃殺
執れも爆弾の携帯者
(3日午後10時40分函館運輸事務所着電)
2日夜東京駅附近にて朝鮮人数十名警備隊の為せらる鮮人は爆弾携帯者ならん。
(北海道タイムス 大正12・9・5)
10
不逞鮮人の陰謀に
御盛典を期す
携帯短銃は露国式
(5日午前11時宇都宮経由)
鮮人の陰謀は今秋行はるる御盛典当時行ふ事に着々進めたるもものらしく然るに今回の変災に乗じ遽かに之を行ひたるものらしく彼等の携帯せるピストルは露国方面より手に入れたらしく爆弾は未だ不明而して彼等の系統は重に上海朝鮮より入り込みたるものならんと此の大体の目星附きたる為当局が之が捜査をなしつつありて各駅にて取り押さえたるもの多し
鮮人の暗号が判明したと全市に
伝えられ警戒の度は益々厳重になつたが
丸にAの印は爆弾を投げる箇所
ヤの字は暗殺強盗
カの字は井戸に毒薬を投入
菱形は放火だと云はれ夫々チョークで鮮人連が目標をするもので芝公園では避難民に対し貴重な水を呉れる者があつたが夫には硫酸が混
入され其為死亡したものがあつた……
殊に不逞鮮人の跋扈は言語道断で火災の半数以上は不逞鮮人の爆弾に遣られたのは事実である松阪屋前では手に爆弾を所持して居る鮮人が縛されて居たのを見受け帝大附近は火災に遣られたのより寧ろ爆弾に遣られたのが多い夫丈鮮人に対する市民の反感は頗る猛烈を極め鮮人と見ると一人も容赦せぬ気勢をみせ衝突は随所に行はれ浅草では鮮人一味が避難民の荷物を掠奪して行はれた者が多い2日夜は50人程の一隊が襲撃したが約20人程捕はれ鈴ヶ森には1500人の不逞鮮人が陣取つて居る附近の住民は在郷軍人警官等協力して警戒は物凄いと云はれて居るが真偽は判明せぬ。
鮮人の陰謀は全国に亘る
罹災の群衆は激昂して切捨御免の有様
不逞鮮人の暴動はなかなか組織的根拠があるらしい本月2日朝鮮独立運動に関する大会を開催し御盛典の日に事を起す予定で既に横浜東京に参集して居つたが1日の変に遭会して幸ひとして活動を開始したのである。
2日新宿に於て鮮人が巡査を殺して其被服帯劔を奪つて着用し自動車を操縦し群衆の間を馳駆して居たのもありました運転手を拳銃で脅迫し活動して居たものがあつたが皆群衆に捉へられ撲殺されて了つた。
彼等はまた千住の陸軍製絨所深川の被服廠の一部に爆弾を匿蔵して置き之を運ばんとする処を発見した市内各所に爆音が聞え火の手の意外に早く広がつたのは彼等の所為と分つた小石川砲兵工廠の爆発も彼等の行為であつたされば民衆は激昂し今は鮮人と見れば切捨御免の状態である。
彼等は巧みに変装して邦人間に混じ各方面に向はんとして居るが4日川口でも4人の鮮人が捕つた一人は殺され他は半殺しにされたが其一人の所持せる宣伝ビラでD上述の陰謀が判つた訳で尚ほ山形県赤湯に爆弾数百個及兇器が匿蔵して居ると自白したので直に憲兵は同道実地調査に向つた彼等の陰謀は各全国に亘り朝鮮人参其他行商人等間には脈絡相通じて居る筈で油断がならない。
不逞鮮人を利根川にて銃殺
死体今尚岸辺に横はる
6日宇都宮特派員
鮮人の警戒一層厳重となりたる為彼等は市中を逃出し遁走せんとした各所の警戒厳重の為殆んど捕へられ若しくは銃殺された然も4日の事8名の鮮人が在郷軍人青年団消防組の追撃を受け身体谷まり利根川にザンブとばかり飛込み泳いで逃げんとせし折丁度架橋中の工兵隊が之を見て直に銃殺した聞けば此地で約百名銃殺されたとのこと5日午後2時死体は未だ岸辺にあつた。
(北海道タイムス 大正12年・9・6)
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。旧字体は新字体に変えています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。
しかしながら一方で、9月1日内務省警保局は「人心に不安をあたえるごとき報道」は自粛するよう懇談書をだし、9月3日に「朝鮮人の妄動に関する風説は虚伝に亘る事極めて多く非常の災害に依り人心昂奮の際如斯虚説の伝搬は徒に社会不安を増大するものなるを以て朝鮮人に関する記事は特に慎重に御考慮の上、一切掲載せざる様御配慮相煩度尚今後如上の記事あるに於ては発売頒布を禁止せらるゝ趣に候条御注意相成度」という警告書を出して言論統制に踏み切った。以後、新聞各社は官製資料をもらって記事にしたという。「正確なる事実を民衆に知らしめんが為毎日2回(午前10時・午後1時)検閲係に於て新聞記事材料を発表する事と為し即日之を各社に告示する」という方針に基づいたのである。その記事差し止めが解除されるのは、同年10月20日である。その間、船橋送信所から発せられた電文のような流言蜚語や、下記に見られるような新聞報道(資料4)の流言蜚語は、否定されることなく放置に近い状態だったようである。そこに民衆蜂起を恐れた官憲側関係者の作為が読み取れるという。
考えてみれば、震災後の人心不安の中で、なぜ自然災害ではなく、「不逞鮮人の来襲」などというような流言蜚語が全国的に発生したのか不可解である。さらには、何故朝鮮人と社会主義者を結びつけるような流言蜚語が発生したのか。やはり、それらが一般民衆のなかから発生することは考えにくい。また、下記「流言状況」の中にも、作為を感じさせるものある。さらに、「流言者の検挙取締」の文書は発せられたが、それが現実に進められた気配がないことも気になるところである。「…流言はいづくまでも流言にして、事実の補足すべきものなかりし…」というのである。
「信濃川水力発電所虐殺事件」以降、朝鮮人の労働運動と日本人の労働運動や社会主義者の運動等が、その結びつきを深めつつあった時期であることを踏まえれば、米騒動や三・一運動、五・四運動等を経験し、民衆蜂起を恐れていた官憲側の意図が透けて見えるのではないか、というわけである。下記は全て「現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人」(みすず書房)からの抜粋である。
資料1-------------------------------
3 警視庁及び各警察署管内における流言状況
1 警視庁
一、概 記 (略)
二、流言の発生
流言蜚語の、初めて管内に流布せられしは、9月1日午後1時頃なりしものの如く、更に2日より3日に亘りては、最も甚だしく、その種類も亦多様なり。
今本庁及び各署にて偵察聞知せる、流言蜚語の大要を、日時を逐ふて列挙すれば左の如し。
(A)9月1日午後1時頃
「富士山に大爆発ありて今尚噴火中なり」
「東京湾沿岸に猛烈なる大海嘯来襲して人畜の死傷多かるべし」
「更に大地震の来襲あるべし」
同日午後3時頃
「社会主義者及び鮮人の放火多し」
(B)2日午前10時頃
「不逞鮮人の来襲あるべし」
「昨日の火災は、多く不逞鮮人の放火又は爆弾の投擲に依るものなり」
「鮮人中の暴徒某神社に潜伏せり」
「従来官憲の圧迫に不満を抱ける大本教は、其教書中に於て今回の大火災を予
言せしが、今や其実現せられしを機として、密謀を企て、教徒数千名上京の途に
あり。」
同日午後2時頃
「市ヶ谷刑務所の解放囚人は、山の手及び郡部に潜在し、夜に入るを待ちて放
火するの企てあり。」
「鮮人約200名、神奈川県寺尾山方面のに於て、殺傷、掠奪、放火等を恣
にし、漸次東京方面に来襲しつつあり」
「鮮人約3000名、既に多摩川を渉りて洗足村及び中延附近に来襲し、今や住
民と闘争中なり」
同日2時5分頃
「横浜の大火は、概ね鮮人の放火に原因せり、彼等は団結して到る所に掠奪を
行ひ、婦女子を辱しめ、残存建物を焼毀せんとするなど、暴虐甚しきを以て、全
市の青年団、在郷軍人団等は、県警察部と協力して、之が防止に努力せり」(横
浜方面よりの避難者の流言)
「横浜方面に於ける鮮人の集団は、数十名乃至数百名にして、漸次上京の途に
就けるを以て、神奈川、川崎、鶴見、各町村に於ては、全力を挙げて警戒を厳に
せり」(横浜方面よりの避難者の流言)
「横浜方面より来襲せる鮮人の数は、約2000名にして、鉄砲、刀剣等を携帯し、
既に六郷の鉄橋を渡れり」
「軍隊は六郷河畔に機関銃を備へて、鮮人の入京を遮断せんとし、在郷軍人、
青年団員等亦出動して軍隊に応援せり」
「横浜方面より東京に向へる鮮人は、六郷河畔に於て軍隊の阻止する所となりし
より、転じて矢口方面に向へり」
同日午後3時40分頃
「高田町、雑司ヶ谷なる○○○○は、向原○○○○方へ放火せしむとし現場に
於て民衆の逮捕する所となれり」
同日午後4時頃
「大塚火薬庫襲撃の目的を有する鮮人は、今や将に其附近に密集せんとす」
「鮮人、原町田に来襲して、青年団と闘争中なり」
「原町田を襲へる鮮人200名は、更に相原、片倉の両村を侵し、農家を掠め、婦
女を殺害せり」
同日午後4時30分頃
「鮮人200~300名横浜方面より神奈川県の溝ノ口に入りて放火せる後、多摩
川、二子の渡を越え、多摩河原に進撃中なり」
「鮮人、目黒火薬庫を襲へり」
「鮮人、鶴見方面に於て婦女を殺害せり」
同日午後5時頃
「鮮人百十余名、寺島署管内四ツ木橋附近に集り、海嘯来ると連呼しつゝ戎兇器
を揮ひて暴行を為し、或は放火を敢てするものあり」
同日午後5時30分頃
「戸塚方面より多数民衆に追跡せられたる鮮人某は、大塚電車終点附近の井水
に毒薬を投入せり」
同日午後6時頃
「鮮人等は予てより、或機会に乗じて、暴動を起すの計画ありしが、震火災の突
発に鑑み、予定の行動を変じ、夙に其用意せる爆弾及び毒薬を流用して、帝都
の全滅を期せんとす、井水を飲み、菓子を食するは危険なり」
「上野精養軒前の、井水の変色せるは毒薬の為なり、上野公園下の井水にも異
状あり、上野博物館の池水も亦変色して金魚悉く死せり」
「上野広小路松坂屋前へ爆弾2個を投じたる鮮人2名を逮捕せしが、其所持せる
2枚の紙幣は、社会主義者より得たるものなり」
「上野駅の焼失は、鮮人2名が麦酒瓶に容れたる石油を注ぎて放火せる結果な
り」
「鮮人約200名、品川署管内仙台坂に襲来し、白刃を翳して掠奪を行ひ、自警団と闘争中なり」
「鮮人約200名中野署管内雑色方面より代々幡に進撃中なり」
「代々木上原方面に於て鮮人約60名、暴動を為しつゝあり」
同日午後7時
「鮮人数百名、亀戸署管内に闖入し暴行を為しつゝあり」
「鮮人40名、八王子署管内七生村より大和田橋に来襲し、青年団と闘争中にて
銃声頻りに聞ゆ」
(C) 3日午前1時
「鮮人約200名、本所向島方面より、大日本紡績株式会社及び隅田駅を襲撃せ
り」
同日午前4時頃
「鮮人数百名、本郷湯島方面より上野公園に来襲の状あるを以て、速に谷中方
面に避難せよ、荷物等は持ち去るの要なし、後日富豪より分配する様取計ふべ
し」
同日午前10時
「兵士約30名、鮮人暴動鎮圧の為、月島に赴きたり」
(D) 4日午後30分頃
「鮮人、警察署より解放せられたれば、速に之を捕へて殺戮すべし」
同日午後6時30分頃
「鮮人市内の井戸に毒薬を投入せり」
同日午後9時頃
「青年団員が取押へて、警察署に同行せる鮮人は、即時釈放せられたり」
「上野公園及び焼残地域内には、警察官に変装せる鮮人あれば注意すべし」
資料2-------------------------------
2 船橋送信所関係文書
○呉鎮副官宛打電 9月3日午前8時15分了解
各 地 方 長 官 宛 内務省警保局長 出
東京附近の震災を利用し、朝鮮人は、各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火をせんとするものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於て充分周密なる視察を加へ、鮮人の行動に対しては厳格なる取締を加へられたし。
○呉鎮副官宛 9月3日午後10時10分了解
山 口 県 知 事 宛 内務省警保局長 出
東京附近震災を利用し、内地在留鮮人は不逞の行動を敢てせんとし、現に東京市内に於ては放火をなし、爆弾を投擲せんとし、頻に活動しつつあるを以て、既に東京府下に一部戒厳令を施行するに至りたるが故に、貴府に於ては内地渡来鮮人に付ては厳密なる視察を加へ、苟も容疑者たる以上は内地上陸を阻止し、殊に上海より渡来する仮装鮮人に付ては充分御警戒を加へられ、適宜の措置を採られ度。
○9月2日午後8時20分 船橋 発電
騎20名、7時半警戒の任につきつつあり、附近鮮人不穏の噂。
○9月2日午後8時28分
海 軍 大 臣 宛 横 鎮 長 官 発
本日午前11時横浜着警備艇の状況報告左の如し。
一、1日午前11時58分激震防波堤税関を破壊し全市の家屋倒壊し、爆破所々に
起り不逞鮮人の放火と相俟て全市火の海と化し、死傷数知れず。
二、(下略)
○9月3日午後4時30分
船橋発電
船橋送信所襲撃の虞あり至急応援頼む、騎兵1ヶ小隊応援に来る筈なるも未だ
来らず。
○9月4日午前8時10分 同10時電
本所爆撃の目的を以て襲来せる不逞団接近騎兵2(20ならん)青年団、消防隊にて警戒中の右の兵員にては到底防禦不可能に付約150歩兵急派方取計ひ度当方面の陸軍には右以上出兵の余力なし。
資料3-------------------------------
10 流言の流布と自警団
埼玉県通達文
東京における震災に乗じ暴行を為したる不逞鮮人多数が川口方面より或は本県に入り来るやも知れず、又其間過激思想を有する徒之に和
し以て彼等の目的を達成せんとする趣聞き及び漸次其毒手を揮はんとする虞有之候就ては此際警察力微弱であるから町村当局者は在郷軍人
分会、消防手、青年団員と一致協力して其警戒に任じ一朝有事の場合には速かに適当の方策を講ずるやう至急相当手配相成度き旨其筋の来
牒により此段移牒に及び候也。
(福岡日々新聞 大正12・10・19)
資料4-------------------------------
11 全国主要地方紙流言記事
4
約三千人の不逞鮮人
大森方面より東京へ
(別紙)3日午後5時迄大森方面に約3千人の不逞鮮人横浜より東京に入り込み隊伍を組んで東京方面に向ひたりとの情報伝はりたるより歩兵一個小隊を出したるが同小隊と衝突し彼我の間に戦闘を開始されたるも一個小隊の総勢小勢なりしを以つて敵し難く全滅の恐れあるを以つて急を大崎方面警戒中の麻布三連隊に告げたるより同隊は歩兵一個中隊を自動車にて派遣したるがその後の報道詳ならず一説には鮮人の数は400人と称せらる(新潟経由東京電話)
放火、強盗、強姦、掠奪
驚くべき不逞鮮人暴行
(3日午後1時土浦発)2日より上野附近にて不逞鮮人多数強盗強姦掠奪凄じく附近の井戸に毒を放ち各所に放火しつつあり日暮里に向ひ入京者を襲ふ為め人々は見つけ次第討殺しつつあり入京危険なり東京附近は今飢餓状態のため徴発令発せられん。
爆弾と毒薬を有持する
不逞鮮人の大集団
2日夜暗にまぎれて市内に侵入
警備隊を組織して掃蕩中
不逞鮮人多数入り込み井戸に毒薬を投じて石油を屋上に注ぎ放火をなすの恐れあれば住民は直に警備隊を組織して久堅町、大塚仲町養育院前等において約十数名の鮮人を引捕へ一々厳重なる身体検査をなして官憲の手にこれを引渡し或は昂憤したる警備隊自ら適当の膺懲を加へ専ら放火の厄を免れんと努力しつゝあるを発見したり因に警備隊は日本刀棍棒等の各武器を携へ相言葉を使用不逞鮮人を発見するや呼子の笛を以て警備隊員を召集しこれを逮捕する等その行動極めて敏活を極めつゝあり右方面には騎兵砲兵等乗馬にて出動し警戒怠りなく前日来の奮闘に困憊し居るを以つて宇都宮66聯隊高崎15の両聯隊の応援を求めている(宇都宮経由東京電話)
(河北新報 大正12・9・4)
9
不逞鮮人凶暴を極め
飲食物に毒薬や石油を注ぐ
彼等は罐詰に似た爆弾を所持しつつあり
警備隊は日本刀棍棒鉄棒等の武器を携帯
(4日午前7時宇都宮経由)
不逞鮮人の背後に主義者
暴動言語に絶し風上に
石油を注いで火を放つ
鮮人十数名をを銃殺
執れも爆弾の携帯者
(3日午後10時40分函館運輸事務所着電)
2日夜東京駅附近にて朝鮮人数十名警備隊の為せらる鮮人は爆弾携帯者ならん。
(北海道タイムス 大正12・9・5)
10
不逞鮮人の陰謀に
御盛典を期す
携帯短銃は露国式
(5日午前11時宇都宮経由)
鮮人の陰謀は今秋行はるる御盛典当時行ふ事に着々進めたるもものらしく然るに今回の変災に乗じ遽かに之を行ひたるものらしく彼等の携帯せるピストルは露国方面より手に入れたらしく爆弾は未だ不明而して彼等の系統は重に上海朝鮮より入り込みたるものならんと此の大体の目星附きたる為当局が之が捜査をなしつつありて各駅にて取り押さえたるもの多し
鮮人の暗号が判明したと全市に
伝えられ警戒の度は益々厳重になつたが
丸にAの印は爆弾を投げる箇所
ヤの字は暗殺強盗
カの字は井戸に毒薬を投入
菱形は放火だと云はれ夫々チョークで鮮人連が目標をするもので芝公園では避難民に対し貴重な水を呉れる者があつたが夫には硫酸が混
入され其為死亡したものがあつた……
殊に不逞鮮人の跋扈は言語道断で火災の半数以上は不逞鮮人の爆弾に遣られたのは事実である松阪屋前では手に爆弾を所持して居る鮮人が縛されて居たのを見受け帝大附近は火災に遣られたのより寧ろ爆弾に遣られたのが多い夫丈鮮人に対する市民の反感は頗る猛烈を極め鮮人と見ると一人も容赦せぬ気勢をみせ衝突は随所に行はれ浅草では鮮人一味が避難民の荷物を掠奪して行はれた者が多い2日夜は50人程の一隊が襲撃したが約20人程捕はれ鈴ヶ森には1500人の不逞鮮人が陣取つて居る附近の住民は在郷軍人警官等協力して警戒は物凄いと云はれて居るが真偽は判明せぬ。
鮮人の陰謀は全国に亘る
罹災の群衆は激昂して切捨御免の有様
不逞鮮人の暴動はなかなか組織的根拠があるらしい本月2日朝鮮独立運動に関する大会を開催し御盛典の日に事を起す予定で既に横浜東京に参集して居つたが1日の変に遭会して幸ひとして活動を開始したのである。
2日新宿に於て鮮人が巡査を殺して其被服帯劔を奪つて着用し自動車を操縦し群衆の間を馳駆して居たのもありました運転手を拳銃で脅迫し活動して居たものがあつたが皆群衆に捉へられ撲殺されて了つた。
彼等はまた千住の陸軍製絨所深川の被服廠の一部に爆弾を匿蔵して置き之を運ばんとする処を発見した市内各所に爆音が聞え火の手の意外に早く広がつたのは彼等の所為と分つた小石川砲兵工廠の爆発も彼等の行為であつたされば民衆は激昂し今は鮮人と見れば切捨御免の状態である。
彼等は巧みに変装して邦人間に混じ各方面に向はんとして居るが4日川口でも4人の鮮人が捕つた一人は殺され他は半殺しにされたが其一人の所持せる宣伝ビラでD上述の陰謀が判つた訳で尚ほ山形県赤湯に爆弾数百個及兇器が匿蔵して居ると自白したので直に憲兵は同道実地調査に向つた彼等の陰謀は各全国に亘り朝鮮人参其他行商人等間には脈絡相通じて居る筈で油断がならない。
不逞鮮人を利根川にて銃殺
死体今尚岸辺に横はる
6日宇都宮特派員
鮮人の警戒一層厳重となりたる為彼等は市中を逃出し遁走せんとした各所の警戒厳重の為殆んど捕へられ若しくは銃殺された然も4日の事8名の鮮人が在郷軍人青年団消防組の追撃を受け身体谷まり利根川にザンブとばかり飛込み泳いで逃げんとせし折丁度架橋中の工兵隊が之を見て直に銃殺した聞けば此地で約百名銃殺されたとのこと5日午後2時死体は未だ岸辺にあつた。
(北海道タイムス 大正12年・9・6)
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