真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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米軍の韓国占領行政と右翼

2025年02月14日 | 国際・政治

 下記は、「ニッポン日記」マークゲイン:井本威夫訳(筑摩書房)から「第三章 決裁の時期」の「1948年 53日 ニューヨーク」を抜萃した文章です。

 70年以上前のことですが、現在につながっている重要な問題です。

 

 ふり返れば、「カイロ宣言」は、日本の降伏を見通して、1943年12月1日、アメリカ大統領・ローズヴェルト、イギリス首相・チャーチル、中国主席・蔣介石の三人が署名した宣言ですが、下記のように内容でした。

各軍事使節は、日本国に対する将来の軍事行動を協定した。

 三大同盟国は、海路、陸路及び空路によつて野蛮な敵国に仮借のない圧力を加える決意を表明した。この圧力は、既に増大しつつある。

 三大同盟国は、日本国の侵略を制止し罰するため、今次の戦争を行つている。

 同盟国は、自国のためには利得も求めず、また領土拡張の念も有しない。

 同盟国の目的は、1914年の第一次世界戦争の開始以後に日本国が奪取し又は占領した太平洋におけるすべての島を日本国からはく奪すること、並びに満洲、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還することにある。

 日本国は、また、暴力及び強慾により日本国が略取した他のすべての地域から駆逐される。

 前記の三大国は、朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする決意を有する。

 以上の目的で、三同盟国は、同盟諸国中の日本国と交戦中の諸国と協調し、日本国の無条件降伏をもたらすのに必要な重大で長期間の行動を続行する。”

 

 そして、1945726日のポツダム宣言(日本降伏のため確定条項宣言)で、下記のような内容をつけ加えました。

(6)日本の人民を欺きかつ誤らせ世界征服に赴かせた、 全ての時期における 影響勢力及び権威・権力は永久に排除されなければならない。従ってわれわれは、世界から無責任な軍国主義が駆逐されるまでは、平和、安全、正義の新秩序は実現不可能であると主張するものである。

(7) そのような新秩序が確立せらるまで、また日本における好戦勢力が壊滅したと明確に証明できるまで、連合国軍が指定する日本領土内の諸地点は、当初の基本的目的の達成を担保するため、連合国軍がこれを占領するものとする。

(8) カイロ宣言の条項は履行さるべきものとし、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとする。

 

 連合国軍が占領するのは、「日本領土内の諸地点」であって、南朝鮮に米軍を派遣する規定はありません。でもアメリカは「連合国軍」の名目で軍を派遣し、南朝鮮で必要のない「軍政」を敷きました。そして、アメリカ単独の占領行政を開始しました。それは、アメリカのための占領行政で、カイロ宣言やポツダム宣言に反する占領行政だったと思います。

 なぜなら、朝鮮ではすでに「朝鮮人民共和国」が建国されていたからです。

 でも、アメリカは、アメリカの「利得を求め」、「朝鮮人民共和国」を受け入れなかったばかりでなく、その関係者を排除して、植民地下の朝鮮で日本に協力した戦時中の朝鮮支配層と手を結び、また、日本ではレッドパージで組合関係者を中心とする左派的な人物やその指導者を排除したばかりでなく、戦犯の追放を解除して、戦争指導層と手を結ぶという反共的占領行政を行ったのです。

 アメリカが「駆逐」したのは、「人民を欺きかつ誤らせ世界征服に赴かせた軍国主義者」ではなく、「朝鮮人民共和国」の建国に尽くした民主主義者や、日本の民主化を実現しようとした人たち及びその指導者たちだったのです。

 それは、下記のような記述でわかります。

 

 例えば、

中国人や日本人や朝鮮人を裨益(ヒエキ)する進歩的政策を促進するよりは、むしろわれわれはソ連の影響を「牽制」することに日増しに多大の関心を払うようになっていった。

 とか、

われわれは、われわれが支持した政治家たちは腐敗し、かつ非民主的だったということを素直に容認した。またわれわれは、これらの男たちは進歩的革新を行おうともせず、また行いえないということも認め、さらにかかる進歩的革新なしには国内の不安は増大をつづけるだろうということも、すすんで容認した

 とか、

メリカの新しい塑像は、反動と手を握り、共産主義であれ、社会主義であれ、はたまた不正義、腐敗、抑圧に対する単純な抗議の運動であれ、中央から少しでも左によった大衆運動はことごとく鎮圧する決意を固めた強力な、富裕な、そして貪欲な国家の塑像である。

 というような記述です。

 

 そして朝鮮戦争停戦後、ソ連軍は1950年代に順次撤退したのに、米軍は駐留を続け、現在にいたっているのです。アメリカは、自ら署名したカイロ宣言ポツダム宣言を守らず、”同盟国は、自国のためには利得も求めず、また領土拡張の念も有しない。”と約束したのに、現在も朝鮮や日本に広大な軍事基地をいくつも設置して、現実的に「反共の防壁」として機能させていると思います。

 だから、そんなアメリカと、”「力強く、揺るぎない日米同盟」のさらなる強化を行っていく”などという石破政権は、法や道義・道徳を尊重しない政権であることは否定できないと思います。  

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                        第三章 決裁の時期

 1948

 53日  ニューヨーク

 1945年晩秋の一日、サンフランシスコから西へ飛び立ってから、私はアジアの三主要国でわが外交政策が実地に展開されるのを注視する機会を持った。日本、中国、そして朝鮮、この三国におけるわが政策の型(パターン)は何ら異なるところがなかった。

 たとえば、三国のいずれの国においても、われわれは消極的政策を追従した。中国人や日本人や朝鮮人を裨益(ヒエキ)する進歩的政策を促進するよりは、むしろわれわれはソ連の影響を「牽制」することに日増しに多大の関心を払うようになっていった。

「牽制」という名の下に、われわれはこの三国で極右派と手を握った。右翼とその親疎の程度は、もちろん国によって異なりはする。日本ではわれわれは最上の記録を持っている。なぜならわれわれは進歩的な政策で出発したし、1947年─8年のある期間には、比較的進歩的な内閣を通じて働きかけたからである。しかし、この差異は、わが政策の型(パターン)を変えるものではなかった。われわれは、日本では吉田というような男、朝鮮では李承晩というような男、そして中国では国民党の極右翼と同盟した。

 これは自ら破産を招く政策だった。われわれは、われわれが支持した政治家たちは腐敗し、かつ非民主的だったということを素直に容認した。またわれわれは、これらの男たちは進歩的革新を行おうともせず、また行いえないということも認め、さらにかかる進歩的革新なしには国内の不安は増大をつづけるだろうということも、すすんで容認した。下院外交問題小委員会の報告はおそらくこの典型的な容認を示すにいたるであろう。

中国では、たとえ不道徳でも自由な政策を持つことのほうが、どんなに純血で道徳的であっても共産勢力の支配下にある敵対的な政府をもつよりも、米国にとってははるかに望ましい……」 

 それは無益なそして高価な政策だった。なぜなら、われわれが保護すると声明した国民の福祉を無視した政策だったからである。それは封建的な観念と体制を通じて共産主義と戦おうと企てたのだから、二重にも無益な政策だった。中国、朝鮮における社会的不満は、封建的な土地所有制度によってはぐくまれる。中共軍の兵や南鮮の無数の暴徒は、生きるに万策つきた小作人の群れなのだ。日本ではわれわれは農民を解放しようとこころみた。しかし実際は、天皇を頂点とする封建的上部構造はまったく手を触れられずに残された。

 いずれの三国においても、共産主義者たちは反抗運動と連盟した。しかし、もし共産主義者がいなかったなら、朝鮮や中国に農民の暴力蜂起が起らなかったと考えるのは無邪気すぎる。

 一世紀半のあいだ、米国は自由と進歩思想の象徴であった。アジアにおいては、今度の戦争中ほどこの象徴が燦然と輝いていたことはかつてなかった。ところが、わずか三年たらずして、われわれはこの善意の宝物をつまらなく使い果たしてしまった。アメリカの新しい塑像は、反動と手を握り、共産主義であれ、社会主義であれ、はたまた不正義、腐敗、抑圧に対する単純な抗議の運動であれ、中央から少しでも左によった大衆運動はことごとく鎮圧する決意を固めた強力な、富裕な、そして貪欲な国家の塑像である。

 

 力と鎮圧は不安状態への解答たりえない。その解答は進歩せる社会革新である。もしわれわれがこれを提供したのだったら、われわれはなにも共産主義もソ連もおそれる必要はなかったであろう。「降伏日本に対する第一次政策」を書いた人々は、この事実を理解していた。ワシントンで引き継いだ人々や実施にうつした人々は、この事実を理解しなかった。

 その結果、われわれは中国でも朝鮮でも失敗したように、日本でも失敗した。

 中国や朝鮮でわれわれが成功したのは、単に憎悪の予備軍を製造したことだけだった。今日盲人だけが、中国や朝鮮における共産主義の勝利の可能性を否定しうる。

 大審院判事ウイリアム・ダグラスは、最近こう言った。

「われわれの最大の過誤は、わが交政策を反共主義という限度においてのみ形成せんとすることであろう。もしこの条件をみたす以上のものをわれわれが何もしないとすれば、われわれは悲惨な失敗をするであろう。けだしわれわれは、共産主義の怪物を罵り騒ぐにとどまり、共産主義を繁茂せしめる条件を除去する何ものをもなさぬからである。この進歩をたどれば、われわれのえらびうる唯一の結果として、ただちに戦争状態が出現するであろう」

「牽制」政策や「強硬」政策が、それ自身破産政策であることはすでに立証されている。かかる政策は、自らの国民から反対され、わずかにわれわれの尻押しで生存をつづける封建的な非民主的な男たちや党派と、われわれを同盟せしめてしまった。こうした同盟に基礎をおく軍事的、もしくは、政治的体系は腐朽した支柱に依存するものに他ならない。それはとうてい共産党の政策やスローガンの動態に拮抗しうるものではない。

 われわれは過去においてもいくたびか重大な危機を経験した。しかしその都度われわれアメリカの国民は、国家政策の方向を掌握し直して誤らなかった。この過去のいくたびかの危機のうち、現在わが外交関係を惑乱せしめているこの危機にまさる重大さをもった危機はほとんどないでだろう。これは行動を要求する時期である。それはまた偉大さを要求する時期である。けだし、機を失せずして政策を転換しうるならば、われわれはいまなお平和を救いうるであろうからである。

 

 

 

 

 

 

 

 


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