真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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G7諸国にイランを非難する資格があるか?

2024年09月20日 | 国際・政治

  先日、朝日新聞は、”G7外相、イランを非難 「ロシアにミサイル提供」”と題する下記のような記事を掲載しました。

日本など主要7カ国(G7)の外相は14日、イランがウクライナに侵攻中のロシアに弾道ミサイルを提供したとして、「可能な限り最も強い言葉で非難する」との共同声明を発表した。イランに対し、ロシアのウクライナ侵攻への支援を「即時に停止」するよう求めている。一方、イランは提供を否定している。

 いつものことですが、この記事もロシアは「悪」ということを前提にしていると思います。

 G7諸国が、ウクライナに戦車、ミサイル、ドローン、戦闘機などを提供しておきながら、イランのロシアに対する武器の提供を非難するのは、ロシアが「悪」ということを前提しなければ、成り立たない話だからです。

 でもウクライナ戦争の現実は、ロシアが「悪」で、ウクライナが「善」というような単純な戦争でないことは、くり返しとり上げてきました。

ウクライナ戦争が、長い年月を費やして周到に準備されたアメリカの戦争であることは、プーチン大統領の2014年2月19日の演説でわかると思います。

 

 また、この記事は、”イランは提供を否定している”とイラン側の主張も報じてはいますが、その真偽を確かめることなく、イランを非難する国々に同調するかたちで書かれていることも見逃すことができません。

 イランの主張が事実であることが判明したときには、”イラン側の主張も取り上げた”、と言い逃れるつもりかも知れませんが、その言い逃れは通用しないと思います。

 別のところで、”ヒシャブ着用 監視ハイテク化 イラン22歳女性急死から2”と、イランもロシアと同じ「悪」の仲間とするような記事を掲載しているからです。

 こうした、反米の国の扱いは平和的ではなく、国際社会の対立を深め、戦争をもたらすものだと思います。

 

 アメリカの海軍は18日に、「中国の習近平国家主席は2027年まで戦争への備えを軍に指示している」として、それに備えた「新作戦指針」を公開したと言います。

 こちらも、根拠不明の”習近平国家主席の軍に対する指示”に基づく戦争の準備です。

 それは、世界中から利益を吸い上げ、吸い上げた利益によって圧倒的な経済力と軍事力を保持し、その経済力と軍事力を利用して国際社会を動かしてきたアメリカが、ロシアや中国の影響力の拡大で、苦境に陥っているあらわれだろうと思います。

 ウクライナ戦争や心配される「台湾有事」さらには、「南シナ海における軍事衝突」は、その苦境を脱するためのアメリカの戦いなのだと思います。

 だから、「対中包囲網」の構築や「新作戦指針」によって、平和が維持されるということはないのだと思います。

 『「イスラーム国」の脅威とイラク』吉岡明子・山内大編(岩波書店)には、下記のような記述があります。 

イラク戦争がイラクの政治にどのような影響を与え、その戦後の政治運営の失敗が「イスラーム国」の出現、進撃を許したかについては、本書第一~三章で詳細に触れられている。また「イスラーム国」の前身組織がイラク戦争後の米軍の駐留に反発して成立したことは上でも述べた。その意味で、「イスラーム国」はまさしく、イラク戦争の落とし子である。”

 当時のブッシュ大統領の主張に反し、イラク戦争が、中東や国際社会に平和をもたらさなかったことを忘れてはならないと思います。世界を震撼させた「イスラーム国」は、イラク戦争の結果生まれたのです。

 G7を率いるアメリカの武力行使は、いつも、反米的な国の政権を転覆し、覇権の維持や利益の拡大を目的するものであって、平和をもたらしたり、真に民主的な国が生まれたリしたことはないと思います。

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            序「イスラーム国」はイラク戦争とシリア内戦で生まれた

                                                  酒井啓子

    一 「イスラーム国」登場

「イスラーム国」の異質性

 ではなぜ「イスラーム国」はここまで世界を揺るがせる存在になったのか。世界が「イスラームtお国」を前に戸惑う原因のひとつには、「イスラーム国」が従来の武闘派イスラーム主義勢力と様々な点で異質であり、これをどう捉えていいのか、国際社会が困惑していることがある。

 過去の武装組織との相違点として、まず指摘できるのが、「国」を名乗りながらも「イスラーム国」の徹底した非国家性である。アフガニスタンに拠点をおいていた時期のアルカイーダは、ターリバーン政権という、すでに存在する国家主体担う政権母体と寄り添うことで、活動の自由を確保していた。しかし、「イスラーム国」は、その前身組織を含めて、一貫して既存の国家主体に依存しない、非国家主体としての活動を貫いてきた。シリア内戦に乗じて湾岸諸国から流入するシリア反体制派に対する支援金など、外部からの資金に依存する側面はあるが、特定の国家主体の指導を仰いだり、庇護を求めたりすることはない。この点でブッシュ前アメリカ政権が展開してきた「テロリストかくまう国はテロリスト」という「対テロ戦争」の論理は通用しない。テロリストをかくまう国に圧力をかける、あるいは地元政権と協力すればテロリストを放逐できる、と考える「対テロ戦争」の手法は、少なくともシリアでの「イスラーム国」相手には当てはめられない。

 第二に指摘できるのが「イスラーム国」が敵とする対象の違いである。彼らが真っ先に攻撃対象にするのはアメリカそのものではなく、シーア派のような(彼らから見た)「不信仰者」やヤズィード派などの「異教徒」である。アルカイーダはアメリカという「遠くの敵」を攻撃対象とした。「遠くの敵」を本国まで追いかけて起こした最大の出来事が、911アメリカ同時多発テロ事件だろう。だが、「イスラーム国」は制圧した地域の中に存在する内なる敵を攻撃排除することにもっぱらの関心を寄せている。上記にあげたような英米人人質の処刑など、欧米諸国への対抗姿勢を全面に打ち出されたのは、アメリカ政府などが「イスラーム国」に対する空爆を決定して以降、それの反撃手段としてのことだ。

 イスラエルに対する攻撃姿勢を示さないのも、アラブ、イスラームの武装組織としては珍しい。ビン・ラディーンですら、パレスチナ問題に関してイスラエルの非道な行動を糾弾し、そのイスラエルを支援するアメリカ、という位置づけでアメリカを「敵」としていた。パレスチナ問題に無関心のように見える点が従来からすれば異質である。

 そして最後に指摘できるのが、その扱う財力の大きさだ。国家主体の支援を受けない非国家主体である以上、その組織や制圧地域を運営していく資金はさほど持ち得ないと考えられがち

である。だが、シリアとイラクという豊かな土地を制圧することで、石油資源や制圧した都市の財源を接収することができた。石油資源との関連については第四章で詳しく述べるが、すでに「イスラーム国」はその支出の半分以上は、石油の闇輸出や誘拐金、接収財産などによって、自前でまかなうことができているといわれる。こうした資金力が「イスラーム国」を、そのほかの地域でみられるような地方の一ゲリラ組織にとどまらず、既存の国家領域を超えるまでの存在にしているのである。



 「イスラム国」に身を寄せる多様な人々

 「イスラム国」に欧米諸国を含む海外からの参加者が多いことも、異様さを放っている。報道されたさまざまな例を見る限りは、チェチェンなど自国で反政府闘争に加わっていのた者もいれば、シリア内戦のニュースを見てシリア軍の非道な行動に憤慨し、加わった者もいる。中東地域に住む者であれ、欧米に住む者であれ、自らが置かれた現状に満足できず、将来の展望を夢見ることのできない環境に置かれた若者たちにとってみれば、「残虐非道なシリアの独裁政権」との戦いに自らの命を捧げることは、唯一「死に甲斐」のあることなのかもしれない。

 シリアに流れこんだ外国人戦闘員が最も多いのはチェニジア(前述のソウファン・グループによれば約3000人)だが、そのチュニジア人のなかには「イスラーム国」では給与も妻帯もできるから、という経済的な理由を挙げた者もいる(20141021日付け『ニューヨーク・タイムズ』紙による)。「イスラム国」を、腐敗した政権への抵抗運動と見て加わろうとする者もいれば、イスラームの理想像の具現化として憧れて来る者もいる。経済的な理由で参加する者もいれば、ただ、現状に対する不満からくる破壊衝動を発揮するために来る者もいるというわけだ。

 「イスラーム国」が掲げる「カリフ国」という理念が一部のイスラーム教徒の心を動かすことは、事実だろう。カリフ制については、第六章で詳しく説明されるが、古くは1920年、西欧列強の支配からの独立を目指した英領インドのヒラーファト運動の指導者アーザードが、『カリフ問題』という著書を残している。また、同じ時期、イギリス、フランスの帝国主義的進出にさらされて祖国再生の必要性を実感していたアラブ地域の知識人の間でも、カリフ制をどう立て直すべきか、という議論が展開されていた。しかしその一方で、現実には最後の「カリフ制」国家であったオスマン帝国は解体され、1924年、「カリフ制」は廃止されてしまったのである。以降、多くのイスラーム思想家が、廃止されたカリフ制をどうとらえるべきか、再興すべきなのか、だとすればどのようなものであるべきか、さまざまな議論を交わして来た。

 だからといって、カリフ制再興のための具体的な実現方法について、近年イスラーム知識界のなかで議論が進んだわけではない。むしろ、既存の宗教界やイスラーム法学者からの反応を見る限りでは、「イスラーム国」のカリフ制宣言を全面的に礼賛する声はあまり聞かない。とはいえ、一般民衆レベルで「カリフ制復興」に夢を駆り立てられる者は、少なくない。建国以来、西欧型の近代国家建設に邁進してきた結果、はたして自分たちの社会は繁栄と成功を手にできたのだろうか? 西欧にならった近代化の結果が独裁や弾圧や貧富格差の拡大であれば、自分たちに合った別の道を目指した方がいいのではないか? それこそがカリフ制ではないのか──

 「イスラーム国」は、国際社会に残虐で非人道的な顔を見せると同時に、一部の人々に対しては彼らの多様な「ニーズ」に応えるかのような顔を見せている。



         二 イラク戦争とシリア内戦の「ツケ」

 

 「イスラーム国」台頭という現象を説明するためには、その内実の分析もさることながら、なぜ台頭を許す環境がこの地域に生まれたのかを見る必要がある。なぜならば、シリアとイラクで「イスラーム国」の活動を促すような要因がなければ「イスラーム国」は一介の反政府武装組織の域を超えることはなかっただろうからである。結論から言えば、澱のように溜まったイラク戦争とシリア内戦のツケが、「イスラーム国」拡大の栄養分になったということだ。本書が主として、イラクにおける政治経済的情勢を分析することに焦点を絞ったのは、そのような理由がある。



イラク戦争が生んだ「反シーア」意識

 イラク戦争がイラクの政治にどのような影響を与え、その戦後の政治運営の失敗が「イスラーム国」の出現、進撃を許したかについては、本書第一~三章で詳細に触れられている。また「イスラーム国」の前身組織がイラク戦争後の米軍の駐留に反発して成立したことは上でも述べた。その意味で、「イスラム国」はまさしく、イラク戦争の落とし子である。

 だがイラク戦争が残した遺恨は、イラク国内のみにとどまらなかった。イラク戦争は、湾岸地域を中心に中東全域のパワーバランスを大きく変質させた。その最大の変化が、宗派対立軸の浮上である。イラクの人口の半数以上がイスラーム教のシーア派で占められていることはよく知られているが、イラク戦争によってフセイン政権が打倒され、自由で民主的な選挙が実施されて初めて、イラクでシーア派のイスラーム主義政党が政権与党となった。重要なのは、単にシーア派という出自ではない。この時政権をとった政党が、思想的にイランのイスラーム体制と類似したイスラーム主義を掲げる政党だったことだ。そのことに、周辺アラブ諸国は不安を隠せなかった。

 戦後のイラク政権は、アラブ諸国でシーア派イスラーム主義政党が政権を担う初めての事例となった。「指導者の出自がシーア派」という点だけを見れば、アラウィー派であるシリアのアサド政権という前例がある。しかし、2011年までアサド政権に関してその「シーア派」性が問題にされることがなかったことを考えれば、戦後のイラク政権に投げかけられた懸念は「シーア派」という出自よりも、「イランと類似した政治思想を掲げるイスラーム主義」の政策内容にあった、と言えよう。2004年、そうしたムードを如実に反映して、ヨルダンのアブドゥッラー国王は、イランからイラク、レバノンへとシーア派が勢力を拡大している、と警戒感を表した。

 特に「シーア派勢力拡大」への危機感をあらわにしたのが、サラフィー主義の伝統が強いスンナ派の一部のイスラーム法学者(ウラマー)である。ワッハーブ派を軸とするサウジアラビアでは、イラク戦争後、特に2006年からイラク内戦が始まって以降、一部のウラマーが積極的に宗派対立に関与して、スンナ派擁護の姿勢を見せた(Wehrey 2013)。そのなかには、1980年代末からサウジアラビアで台頭してきたムスリム同胞団系のサフワ運動などがある。

 こうしたスンナ派の、特にサラフィー主義のウラマーの反シーア派的発言に対して、イラクのシーア派イスラーム主義政党は、イラクでの宗派対立を煽っているとして激しく反論した。2006年~7年のイラク内戦では、シーア派住民に「異教徒」「背教徒」などの侮蔑用語を浴びせて、退去を強要するような脅迫状が届く事件が相次いだのである。

 また。2011年、バハレーンのシーア派住民が王制批判を掲げて民衆デモを行ったとき、サウジアラビアを中心としたGCC(湾岸協力会議)合同軍がバハレーン政府の要請を受けて介入したが、このときもイラクのシーア派宗教界は、サウジアラビアの反シーア派姿勢を非難した。同じ年、イラクは戦後初めてのアラブ・サミットの主催を準備しており、関係の冷え切った湾岸諸国も招待して、関係改善をはかっていた。だが、バハレーン情勢をめぐる両者の関係はさらに緊張したものとなり、アラブ・サミットのイラクでの開催は一年延期を余儀なくされたのである。

 従来イラクでは、宗派間の共存は当たり前であった。スンナ派とシーア派の間での通婚は頻繁にあったし、同じ部族でも居住地によって宗派がわかれることもあった。しかしながら、そういったイラクの国内状況などはお構いなしに、国外のスンナ派ウラマーのなかから激しい「反シーア派」論が生まれてくる。それによって、シーア派を不信仰者として排除する「タクフィール主義」が正当化される。その宗派間不信がイラク国内に逆輸入されて、イラクの宗派対立を激化させる──。 イラク戦争後のこのような潮流が、「イスラーム国」の「反シーア派」性に賛同してシーア派との戦いに「参戦」しようと考える、アラブ諸国のスンナ派戦闘員の背中を押しているといえよう。2014721日に大手アラビア語紙『ハヤート』が報じた世論調査によれば、サウジアラビアでは調査回答の9割以上が、「「イスラーム国」はイスラーム法的に合法」と回答したという。

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