鳥海山の麓に暮らす人々にとっては、水の確保は重要な問題でした。
麓の国道7号から見た鳥海山、左側が鉾立、右側が観音森。いくつもの沢が刻まれています。もちろん、ここに降った雪も溶け、川に流れ込み、あるいは伏流し山麓の集落を潤していきます。
1960年頃の旧象潟町の地図には、今は藪の中に埋もれてしまった各集落から鳥海山へと向かう道が何本か記されています。水源の確保、伐採、あるいは参詣のための道かはわかりませんが、現在のブルーライン沿いの旧道以外は、ほとんどが山道だったと思います。県境を越えて賽の河原方面へと最終的には向かっています。この道、もっと沢沿いに作られてるのかとずっと思ってましたが、意外と尾根筋をたどってるような感じですね。
水源など境界をめぐっては、昔から集落間で争い、裁定もあり、その結果が現在の集落の境となっているようです。
いずれにしても、「宝の山」ではありませんが、県境にも村境にも関係なく、この鳥海山の恵みを受け山の周辺の人たちが生活してきたことだけは確かですね。
最新の画像[もっと見る]