2008年3月6日「皷川タンタドの名越左源太別邸跡」を探し当てたことなど 2018-05-14 11:38:38 | 歴史探索 「皷川タンタドの名越左源太別邸跡」2008年3月9日のmixiフォトアルバム日記より3月6日に撮影した「皷川タンタドの名越左源太別邸跡」を過去日記にアップしました。☆ 写真多めです。その前日のmixi日......>続きを読む 以上は昨年5月8日の記事です。 当時撮った写真の誤字、現在「Magoya」は「Nagoya」に訂正されています。 #歴史 « 仙巌園 曲水の宴 2018 | トップ | 舞台は奄美大島へ »
12 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 たんたど… (しんいち) 2018-12-20 20:40:15 はじめまして。実は私の母方の実家がたんたどバス停の少し下にあります。この2~3年母方の実家の先祖についていろいろと調べていますが行き詰まっているところです。半年程に、更にたんたどの坂を下ったところのある方に「ゆきのおと」の存在を教えてもらいました。自分と同じように先祖について調べ、先祖に思いを馳せている方がいることを知り、大変嬉しく思っています。 返信する しんいちさんへ (ゆき) 2018-12-21 18:54:15 コメントありがとうございます。しんいちさんもご先祖様について調べていらっしゃるんですね。私も個人で調べることの難しさを感じることもありました。で、このブログのことを教えて下さった方が居られたとは!有り難いことです〜♪その方、今もご覧になってらっしゃるでしょうか? ありがとうございます♪もし宜しければ、気ままにコメントいただけると嬉しいです(^-^)名越左源太別邸跡は「たんたど」バス停より更に上にあり、左カーブの道路の右側にスペースがあって案内板が立てられていますが、バス停より下の方なんですね。「たんたど」の下だと、「お茶の水」〜「皷川」とバス停が続きますね。時間はかかっても続けてみられたら、また何かの形でヒントがつかめるかもしれませんので、しんいちさんも根を詰めずに気長に頑張って下さいね!またその後の状況など、コメントをお待ちしています。 返信する Unknown (しんいち) 2018-12-21 23:36:12 ありがとうございます。昨日初めて登録したばかりでこのシステムがよくわかっていませんが…(笑)母の実家はたんたどバス停とお茶の水バス停の間にあります。皷川に行くときは佐源太さん邸跡の前もよく通るのですが、駐車スペースがなくて…通過してしまいます。ゆきのおとを拝見する前から、なんか歴史に関する案内表示があるな…と思っていました。母の旧姓は町田です。島津家の分家である町田家と先祖がどこかで繋がっているのではないかと叔父から聞かされたのがきっかけでした。県立図書館で江戸時代の地図をコピーしたり、法務局で旧土地台帳を確認したりと、いろいろと調べているところですが…。ゆきのおとのことを教えてくださったのは、島津家の分家であるたんだど町田家のご子孫様です。母の実家との関係はまだわかりませんが、母は幼少期から武士の家系だと聞かされていたようです。また、曾祖父は石工だったとも。たんだど石を切ったり運んだりしていたのかもしれません。旧土地台帳を確認したときに母の実家前の土地の所有者は名には名越泰蔵、時成さんのお名前が記載されていました。またいろいろと教えていただいたり、情報共有させていただけるとありがたいです!長文になり申し訳ありません… 返信する たんたど石! (ゆき) 2018-12-22 10:23:41 ブラタモリで初めて知りましたが、今や全国に名前が知られることになりましたねぇ(^-^)♪慣れない中で、再度のコメント頂きありがとうございます。町田姓だったんですね、御先祖様は(°▽°)!まずは当ブログをご紹介下さったたんたど町田家の方、ありがとうございました♪しんいちさん、今後もし公開を希望されない場合は、コメント書き込みの際に一言「私信」とお書き添え頂ければ安心です。メール替わりとして使えますので(^_-)旧土地台帳を法務局で確認されたとの事。考えが及びませんでした!私は我が家の今とは地番表記が違う本籍地を市役所で訊いたりしてました(^-^;泰蔵・時成の名前が書かれた旧土地台帳、一度見に行ってみようと思います♡お教え下さってありがとうございました。またコメントお待ちしています(^-^) 返信する しんいちさんへ (ゆき) 2019-01-15 18:10:26 12月23日のコメントありがとうございました ^-^法務局の旧土地台帳、まだ見に行けていませんが、近いうちに行ってみようと思っています。タンタドの町田家の方にはお会いしたことはありませんが、曾祖父の兄・名越時成さんの子孫の内村氏の史料にお名前があったのを記憶しています。もとを辿れば繋がりあると思います。今度お会いになる時にはよろしくお伝え下さいませ。^-^ 返信する Unknown (しんいち) 2019-06-21 22:01:12 こんばんは。ゆきさんの昔のブログを読んでいました。福昌寺跡から坂元墓地に移設された遺骨の骨壺に町田の名前が書いてあるのを見つけたんですね。下の名前まではわからないような状態でしたか?私も先日坂元墓地の管理人さんにお聞きしたときに、95%は誰の遺骨かわからないと言われていました。残りの5%が町田家の?と思いまして… 返信する しんいちさん、こんにちは (ゆき) 2019-06-22 18:20:47 昔の記事というと、「これまでの経緯ー2」https://blog.goo.ne.jp/yuki_bins35/e/87f8148e7b487e957fd3becf51e54eea「名越左源太のお墓は?」https://blog.goo.ne.jp/yuki_bins35/e/8b47cca0dd05b467b12f1841acb24b9a?fm=entry_awpあたりですね。お読み頂きありがとうございます。残念ながら「町田氏」とだけで下の名前は書いてなかったと記憶しております。話は変わりますが、「鹿児島城下絵図散歩―新たな発見に出会う-」(編集/塩満 郁夫, 友野 春久)を見てみると、しんいちさんのお母様のご実家の「安政6年の住人」が「町田誓之助」とありました。お心当たりございますでしょうか?ご参考までに。https://www.amazon.co.jp/鹿児島城下絵図散歩―新たな発見に出会う-塩満-郁夫/dp/4887770634/ref=asc_df_4887770634/?tag=jpgo-22&linkCode=df0&hvadid=309945730227&hvpos=1o1&hvnetw=g&hvrand=4125035797762890634&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=&hvdev=c&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=1009783&hvtargid=pla-644856829186&psc=1&th=1&psc=1 返信する Unknown (しんいち) 2019-06-23 08:00:31 ゆきさんへこんにちは。坂元墓地の件、ありがとうございます。また、町田誓之助さんのことを教えてくださりありがとうございます。当初、町田誓之助さんは、直系の先祖であろうと考えていたのですが、、地図上では母の実家のお隣になります。・曾祖父は町田藤次郎(1876年生)・高祖父は町田次郎(1844年生)・藤次郎は五男で兄(長男)の嘉太郎(皷川町22番戸)から明治36年に分家し、今の母の実家の場所に住んでいた。以上のことは戸籍からわかっています。また、嘉太郎の墓の隣に「清仙院壽屋妙光大姉」「町田孫太夫藤原俊智妻向井氏名阿貞」「文久元年五月十四日没年六十八」と刻まれている墓があり、嘉太郎さんの子孫が管理しています。町田孫太夫さんという人物が先祖の一人だと思い、現在調査しているところです。そこで、先日黎明館の学芸員さんに相談しにいった際に親切に対応してくださったのが、内倉さんという方でした。ゆきさんの昔のブログに内倉さんのことが書かれていましたので、おそらく、ゆきさんもご存知の方ではないでしょうか?いろんな繋がりがあるんだな~と思っています。 返信する しんいちさん、今晩は (ゆき) 2019-06-23 19:54:01 そうですね、いろんな繋がりがあるものですね。^-^内倉さんは今は黎明館学芸課長さんですが、以前は調査史料室長でした。別ブログにアクセス下さったのが最初でした。http://yukinooto2009.chesuto.jp/e556779.html#comments内倉さんに相談されたんですね。よかったですね♪ 返信する Unknown (しんいち) 2019-10-15 22:35:58 こんばんは。名越彦太夫高房の次男さんのお墓が南林寺町の南洲寺にあるんですね。月照さんと同じ場所ですね。たまたま自分の先祖関係を調べていたら、南洲寺の墓地に眠っている方の名簿に出くわしました。ゆきさんに教えようと思ったらすでにアップされていました(笑)実は僕は南林寺町で生まれ育ち、今も住んでいるんです。南洲寺は昔から夏祭りがあったりとても身近なお寺、墓地でしたよ。 返信する 南洲寺 (ゆき) 2019-11-01 00:32:36 しんいちさん、コメントありがとうございます。そうでしたか、南林寺町の方なのですね。我が家は神道であまりお寺にはご縁がないのですが、身近にお寺さんがあるとまた違うのでしょうね。南洲寺はまだ行ったことがないので、折を見て行ってみたいと思っています。 返信する Unknown (Unknown) 2019-11-04 21:42:23 ゆきさん、こんばんは。6月23日のコメントにも記載していますが、先祖だと思われる町田孫太夫さんの名前が今日の南日本新聞8面の鹿児島風土記に載っていました。孫太夫さんの奥さんのお墓は親戚が管理しているんですけど…。以前内倉課長さんから、慶応2年に孫太夫さんが藩に出した手紙と、明治9年に玉里島津家で仕えていた人から孫太夫さんに出された手紙が残っていたという情報は教えていただきました。ゆきさんがいろんなことを調査する中で、もし、町田孫太夫って名前が出てきたら教えてくださいね。今後ともよろしくお願いします!僕も地道に頑張ります! 返信する コメントをもっと見る 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
半年程に、更にたんたどの坂を下ったところのある方に「ゆきのおと」の存在を教えてもらいました。自分と同じように先祖について調べ、先祖に思いを馳せている方がいることを知り、大変嬉しく思っています。
しんいちさんもご先祖様について調べていらっしゃるんですね。私も個人で調べることの難しさを感じることもありました。
で、このブログのことを教えて下さった方が居られたとは!有り難いことです〜♪
その方、今もご覧になってらっしゃるでしょうか? ありがとうございます♪
もし宜しければ、気ままにコメントいただけると嬉しいです(^-^)
名越左源太別邸跡は「たんたど」バス停より更に上にあり、左カーブの道路の右側にスペースがあって案内板が立てられていますが、バス停より下の方なんですね。
「たんたど」の下だと、「お茶の水」〜「皷川」とバス停が続きますね。
時間はかかっても続けてみられたら、また何かの形でヒントがつかめるかもしれませんので、しんいちさんも根を詰めずに気長に頑張って下さいね!
またその後の状況など、コメントをお待ちしています。
昨日初めて登録したばかりでこのシステムがよくわかっていませんが…(笑)
母の実家はたんたどバス停とお茶の水バス停の間にあります。皷川に行くときは佐源太さん邸跡の前もよく通るのですが、駐車スペースがなくて…通過してしまいます。ゆきのおとを拝見する前から、なんか歴史に関する案内表示があるな…と思っていました。
母の旧姓は町田です。島津家の分家である町田家と先祖がどこかで繋がっているのではないかと叔父から聞かされたのがきっかけでした。県立図書館で江戸時代の地図をコピーしたり、法務局で旧土地台帳を確認したりと、いろいろと調べているところですが…。ゆきのおとのことを教えてくださったのは、島津家の分家であるたんだど町田家のご子孫様です。
母の実家との関係はまだわかりませんが、母は幼少期から武士の家系だと聞かされていたようです。また、曾祖父は石工だったとも。たんだど石を切ったり運んだりしていたのかもしれません。
旧土地台帳を確認したときに母の実家前の土地の所有者は名には名越泰蔵、時成さんのお名前が記載されていました。
またいろいろと教えていただいたり、情報共有させていただけるとありがたいです!
長文になり申し訳ありません…
慣れない中で、再度のコメント頂きありがとうございます。町田姓だったんですね、御先祖様は(°▽°)!
まずは当ブログをご紹介下さったたんたど町田家の方、ありがとうございました♪
しんいちさん、今後もし公開を希望されない場合は、コメント書き込みの際に一言「私信」とお書き添え頂ければ安心です。メール替わりとして使えますので(^_-)
旧土地台帳を法務局で確認されたとの事。考えが及びませんでした!
私は我が家の今とは地番表記が違う本籍地を市役所で訊いたりしてました(^-^;
泰蔵・時成の名前が書かれた旧土地台帳、一度見に行ってみようと思います♡
お教え下さってありがとうございました。
またコメントお待ちしています(^-^)
法務局の旧土地台帳、まだ見に行けていませんが、近いうちに行ってみようと思っています。
タンタドの町田家の方にはお会いしたことはありませんが、曾祖父の兄・名越時成さんの子孫の内村氏の史料にお名前があったのを記憶しています。もとを辿れば繋がりあると思います。今度お会いになる時にはよろしくお伝え下さいませ。^-^
下の名前まではわからないような状態でしたか?
私も先日坂元墓地の管理人さんにお聞きしたときに、95%は誰の遺骨かわからないと言われていました。残りの5%が町田家の?と思いまして…
「これまでの経緯ー2」
https://blog.goo.ne.jp/yuki_bins35/e/87f8148e7b487e957fd3becf51e54eea
「名越左源太のお墓は?」
https://blog.goo.ne.jp/yuki_bins35/e/8b47cca0dd05b467b12f1841acb24b9a?fm=entry_awp
あたりですね。お読み頂きありがとうございます。
残念ながら「町田氏」とだけで下の名前は書いてなかったと記憶しております。
話は変わりますが、「鹿児島城下絵図散歩―新たな発見に出会う-」(編集/塩満 郁夫, 友野 春久)を見てみると、しんいちさんのお母様のご実家の「安政6年の住人」が「町田誓之助」とありました。お心当たりございますでしょうか?
ご参考までに。
https://www.amazon.co.jp/鹿児島城下絵図散歩―新たな発見に出会う-塩満-郁夫/dp/4887770634/ref=asc_df_4887770634/?tag=jpgo-22&linkCode=df0&hvadid=309945730227&hvpos=1o1&hvnetw=g&hvrand=4125035797762890634&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=&hvdev=c&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=1009783&hvtargid=pla-644856829186&psc=1&th=1&psc=1
こんにちは。坂元墓地の件、ありがとうございます。
また、町田誓之助さんのことを教えてくださりありがとうございます。
当初、町田誓之助さんは、直系の先祖であろうと考えていたのですが、、地図上では母の実家のお隣になります。
・曾祖父は町田藤次郎(1876年生)
・高祖父は町田次郎(1844年生)
・藤次郎は五男で兄(長男)の嘉太郎(皷川町22番戸)から明治36年に分家し、今の母の実家の場所に住んでいた。
以上のことは戸籍からわかっています。
また、嘉太郎の墓の隣に「清仙院壽屋妙光大姉」「町田孫太夫藤原俊智妻向井氏名阿貞」「文久元年五月十四日没年六十八」と刻まれている墓があり、嘉太郎さんの子孫が管理しています。
町田孫太夫さんという人物が先祖の一人だと思い、現在調査しているところです。
そこで、先日黎明館の学芸員さんに相談しにいった際に親切に対応してくださったのが、内倉さんという方でした。
ゆきさんの昔のブログに内倉さんのことが書かれていましたので、おそらく、ゆきさんもご存知の方ではないでしょうか?
いろんな繋がりがあるんだな~と思っています。
内倉さんは今は黎明館学芸課長さんですが、以前は調査史料室長でした。
別ブログにアクセス下さったのが最初でした。
http://yukinooto2009.chesuto.jp/e556779.html#comments
内倉さんに相談されたんですね。よかったですね♪
たまたま自分の先祖関係を調べていたら、南洲寺の墓地に眠っている方の名簿に出くわしました。ゆきさんに教えようと思ったらすでにアップされていました(笑)
実は僕は南林寺町で生まれ育ち、今も住んでいるんです。南洲寺は昔から夏祭りがあったりとても身近なお寺、墓地でしたよ。