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いつもお読みいただきありがとうございます
今日は「關山 糺」という人物について記しておこうと思います。
実は先月、以前デジカメで撮った写真を探していたのですが、PCを変える前、10年くらい前の分を焼いたCDがどうしても見つからず、仕方ないのでmixiアルバムに上げていた写真をチェックしていたところ、今和泉島津家墓地の献灯の一つに刻まれた「關山 糺」の文字に目が止まりました。
何となく気になって、藤民 央 さんの『道之島遠島記』をめくってみたら、第1章の2ページ目にその名前が出ているのです!(同著のp.6)
そこには「‥‥先頭の馬に叔母婿の関山 糺(せきやま ただし)が乗っている。」とあります。
そこで今度は『鹿児島県史料 名越時敏史料 七』をパラパラめくってみたところ、p.297にも名前を見つけました。
永井亀彦先生が昭和9年に出された『高崎崩の志士 名越左源太翁』を見ると
「去りし嘉永の今は昔 戌の年三月四日予の親類御用にて 關山糺(筆者註、翁の叔母婿)なる人……」とあるので、藤民氏もこれをもとに小説に著されたのだと思われます。
実のところはまだ確かめる事が出来ていませんが、これから『名越時敏史料』一〜七をじっくり追ってみたいと思っています。