古い画像ファイルを見ていて、いつか上げようと思いつつそのままになっていたものを拾ってみました。
2011年1月8日、父と連れ立って鹿児島市上町五社の南方神社に行きました。
ここを訪ねたのは初めてだったと思いますが、その際に撮っていたのが
「島津山城 忠教(ただゆき)」の名が刻まれた石塔でした。
撮った当時は何となく「島津久光のことじゃないかなぁ‥‥?」と思った程度でしたが。
左に並んだ「島津〇〇」については読めませんし、わかりません。。
案内板に書かれているものを以下に書き起こしてみます。
『ー 最も古い島津氏の城下町 ー』
島津氏が本拠を鹿児島に移したのは南北朝時代のことです。島津家第5代貞久は、東福寺城を攻め、鹿児島郡司 矢上一族を追い、鹿児島へ入りました。島津氏の城下町はこの城を中心に南へ南へと広がっていったのです。また、この時、出水山門院から移され、この地に建立されたのが南方(みなかた)神社です。南方神社は諏訪神社ともいい、建御名方命(たてみなかたのみこと)と事代主命(ことしろぬしのみこと)を祭り、上町五社の第一社として歴代藩主の信仰が特に厚く、諏訪市(8月28日)と呼ばれた市は、西田市(にしだいち)と並んで最近まで盛んでした。
五社には他に、オギオンサァの八坂神社や流鏑馬(やぶさめ)の奉納で賑わった稲荷神社、藤原氏の氏神 春日神社、大隅正八幡の分社 若宮神社があり、いずれも島津氏に縁故が深く、正月、5月、9月は五社詣(もうで)と称して多くの人々がお参りして賑わいました。
神社の少し手前の清水町終点から電車に乗って大学に通いました。帰りは天文館に寄ることが多く、60円のラーメンを食べて40円の再映館で映画を見ることができた佳き時代でした。
池之上には父の叔父家族が住んでいたので、小さい頃はお正月の挨拶などに家族で出かけた思い出があります。
https://blog.goo.ne.jp/yuki_bins35/e/1c0efc0a46612d6a6761fc5e199ab643
近くのお祭りにも行ったような記憶がうっすらとあるのですが、若宮神社だったのかどうかはわかりません‥‥‥。
https://blog.goo.ne.jp/yuki_bins35/e/05d05965251be12969bffd9a11c451a3