夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2015年 1月 7日(水)「窮乏化を進めるアベノミクス」

2015年01月07日 17時57分48秒 | 「政治・経済」
ツイッターのまとめです。

15年度国債発行は36~37兆円 税収増など受け抑制 - 朝日新聞デジタル。。。「介護など社会保障や公共事業にかかる予算の伸びを抑えることに一定のめどが立ち、さらに減らせる見通し」増税も地獄、増税先送りも地獄。。。。。
しかし8%増税を見ても公共事業は別として介護や社会保障は低下する傾向でしかなかった。すでに「税と社会保障の一体改革」は反故にされてすべては成長戦略に向かい、その成長がなければ社会保障(賃金もだが)も充実しないという論理に。もちろんその成長自体が怪しくなっている。
その中で国民が置かれる位置は貧困化と格差の拡大である。国民生活の犠牲による成長を行おうとしているが、現実は国民生活の安定がなければ成長もないことを示している。アベノミクスは国民生活犠牲の成長戦略にさらに突き進む。よってさらに経済の混迷は深まる。アベノミクスは失敗に
アベノミクスが成功しているという根拠が企業利益・投資家利益そのための株価上昇。そして円安による悪性の物価高だけである。これらの根拠が経済そのものを好転させているかといえば、国民生活の安定にはもちろん結びつかずに輸出産業以外の企業の疲弊化にもつながっている。
貨幣量だけの変化による商品価格の上昇は商品価値量の上昇を示すものではない。表面的な貨幣量に利益の拡大を見ているが、現実の企業の利潤率に変化はないだろう。増大した貨幣量を企業や投資家が吸い上げているだけである。一方における国民の資産は吸い上げられる。
資本の集中とその一方における国民生活の低下、これを窮乏化法則という。アベノミクスはこの窮乏化を進める役割を担うことが唯一の役割なのである。ですから国民には耳触りの良い「期待」しか聞こえていないだろう。強い日本という空虚な「誇り」しか聞こえないだろう。
この空虚な「期待」や「誇り」での下部構造としての経済の現状は、政治という上部構造にも必ず現れてくる。これが戦後レジームからの脱却と言えるだろうか?どこにも発展性を見つけることができないだろう
コメント
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