ツイッターからの転載です。
ネットの記事だったか?「戦い」と「闘い」は違うと書いてあった。どう違うのかは忘れましたが、思うに、たとえば「テロとの戦い」という場合は戦争などの力によってテロと戦うこととなる。正義の戦争が注目を浴びる。
しかし「テロとの闘い」という場合は戦争に限定されずに差別や貧困など様々な解決すべきものを通してテロをなくすことも含まれるようになる。ここには日本のこれまでの平和主義も役立つはずです。
犯罪は許されない。そこで刑罰を強くしたり民主主義を狭めたりするのが「犯罪との戦い」です。しかし犯罪をなくすために貧困をなくしたり金中心の社会を変えたり仕事に追い回されて仕事という時間に支配されるものを解決する中で犯罪を減らせるという考えもある。それが「犯罪との闘い」
「戦い」と「闘い」。。。。どちらに社会や人間の進歩につながるだろうか?
人間の歴史は、戦争に明け暮れていた。「戦い」に明け暮れていた。しかしこれにより人間自身や社会が進歩したのだろうか?たしかに戦争も科学を発達させたかもしれない。しかしその化学が人間社会の進歩につながったのは平和的利用だった。その平和に向かうことが「闘い」だった。
テロはもちろん「戦い」ですから否定されねばならない。同時に「テロとの戦い」という戦争ももちろん「戦い」です。どちらの「戦い」も否定されねばならないのです。すべての平和を作り出そうとする「戦い」への「闘い」があらゆる分野で動いてきている。一般市民は願っているのです。
そして少しづつですがこの市民の願いに沿って社会は発展してきました。
ネットの記事だったか?「戦い」と「闘い」は違うと書いてあった。どう違うのかは忘れましたが、思うに、たとえば「テロとの戦い」という場合は戦争などの力によってテロと戦うこととなる。正義の戦争が注目を浴びる。
しかし「テロとの闘い」という場合は戦争に限定されずに差別や貧困など様々な解決すべきものを通してテロをなくすことも含まれるようになる。ここには日本のこれまでの平和主義も役立つはずです。
犯罪は許されない。そこで刑罰を強くしたり民主主義を狭めたりするのが「犯罪との戦い」です。しかし犯罪をなくすために貧困をなくしたり金中心の社会を変えたり仕事に追い回されて仕事という時間に支配されるものを解決する中で犯罪を減らせるという考えもある。それが「犯罪との闘い」
「戦い」と「闘い」。。。。どちらに社会や人間の進歩につながるだろうか?
人間の歴史は、戦争に明け暮れていた。「戦い」に明け暮れていた。しかしこれにより人間自身や社会が進歩したのだろうか?たしかに戦争も科学を発達させたかもしれない。しかしその化学が人間社会の進歩につながったのは平和的利用だった。その平和に向かうことが「闘い」だった。
テロはもちろん「戦い」ですから否定されねばならない。同時に「テロとの戦い」という戦争ももちろん「戦い」です。どちらの「戦い」も否定されねばならないのです。すべての平和を作り出そうとする「戦い」への「闘い」があらゆる分野で動いてきている。一般市民は願っているのです。
そして少しづつですがこの市民の願いに沿って社会は発展してきました。