夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2015年 6月19日(金)「パイの理論」

2015年06月19日 22時02分16秒 | 「政治・経済」
日本国民の豊かさは分け合うためのパイを大きくしなければならない。そのためには一時的に国民はその生活の豊かさを我慢しなければならい。
日本のパイの理論はこのように考えられてきた。「考えられてきた」というのはもちろんずっと続いていた自民党政治におけるパイの理論である。
もちろん高度成長期にパイは大きくなり国民生活も豊かになった。
しかしその中でも企業や富裕層の取り分は大きく国民の取り分は比率において小さかった。しかし比率において少なかったとはいえパイ自体が大きくなったのだから豊かさは生まれたという事です。
バブル期はどうだったか?やはり国民の取り分は小さかった。企業は資本輸出や投機的な金の使い方をした。
パイは大きくなったが上記した取り分の比率がさらに格差をつけたという事です。
パイの理論においてこの取り分の比率が大切です。
パイの大きさが変わりなくなったゼロ成長時に企業や富裕層(不労所得)の取り分を同じにするならば、国民の取り分は絶対的に小さくなるわけですから国民生活の貧困化が生じます。マイナス成長下で同じことが起きれば国民の貧困化はさらに顕著でしょう。
この国民の貧困化をパイを大きくするためなのだから今は我慢をしろ地うのがパイの理論のもう一つの顔なのです。
今の安倍政権で同じことが起きているのです。
通貨安競争の中で貨幣価値が下がり円安になっているとき、名目的には懐に入る貨幣量は大きくなるのですが、経済成長として見れば何も変わっていないのです。この中で上記した取り分の比率に変化が生じている。企業や富裕層(不労所得)には金が集まり、国民には集まらない。これは相当な貧困化を招くでしょう。
パイの理論に欠かせないのが取り分の比率においての平等さなのです。しかしこの平等さは資本主義的競争が認められないところなのです。
パイの大きさが同じならば、国民生活の豊かさを維持するには取り分を変えてはいけないはずなのです。
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