俳句をやっていると、なんて偉そうなことは言えないのですが、俳句に興味を持つと季節感のずれが気になることがあります。それでも歳時記を見れば夏の季語だ秋の季語だと面倒なことを承認しなければなりません。
冷えたビールを飲みながら枝豆をつまめばそれは夏ですなぁ。。。。しかし枝豆は秋の季語だと。
こういったものがたくさんあるでしょう。
季節の基本となるものは二十四節気で、立春、立花、立秋、立冬で季節が変わります。立秋を過ぎたとはいえまさに暑さからすれば冷たいビールに枝豆という夏の真っ最中ですが、暦の上では秋に。そして俳句も秋の季語に。
しかし立春、立花、立秋、立冬は太陽の位置で決まるもので仕方ない。従うしかないのかもしれません。
そうすると二十四節気は受け入れなければなりませんね。しかし立春、立花、立秋、立冬あるいは春分や秋分などはなじみのある節季ですからまだよいのですが、東京育ちの僕としては農業には無関係に暮らしてきましたからその他の節季には「うん?」となってしまいます。
ましてや七十二候となるとほとんどなじみがありません。半夏生などは時々聞いたりはしますが。
しかし最近七十二候についてネットで調べてみたら、案外僕のようなものでもうなづけるものがありました。今の季節では
山茶始開(つばきはじめてさく)
朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)
東京でもこの季節感じ取れる風景です。朔風払葉・・・東京でも木枯らし一号が吹いてきた風におちばが待っています北風に落葉が舞っています。すると七十二候もまた案外身近なものとなります。
七十二候も太陽の位置で決まるに授四節季をさらに分けたものですから受け入れざるを得ませんね。
と言っても今は農業も季節がずれていますし、季節の移り変わりに無関係に生きていれば関係のないことですが、やはり日本人は季節の移り変わりがいろいろなところで感じ取るものと思います。
ふと考えたのですが、節季や候も自分の身の回りの自然を見つめて自分だけのものをつくったら面白いのではないか。。。。
でもこれは案外難しいもので、少なくとも東京に住んでいる人々誰もがうなづくものでなければならない。世代差や性別もありますからね。
昔は農業という欠かせないものが共通項としてあったのでその農業から見ることができましたが、今はどうなんでしょうか?その共通項は。。。。
冷えたビールを飲みながら枝豆をつまめばそれは夏ですなぁ。。。。しかし枝豆は秋の季語だと。
こういったものがたくさんあるでしょう。
季節の基本となるものは二十四節気で、立春、立花、立秋、立冬で季節が変わります。立秋を過ぎたとはいえまさに暑さからすれば冷たいビールに枝豆という夏の真っ最中ですが、暦の上では秋に。そして俳句も秋の季語に。
しかし立春、立花、立秋、立冬は太陽の位置で決まるもので仕方ない。従うしかないのかもしれません。
そうすると二十四節気は受け入れなければなりませんね。しかし立春、立花、立秋、立冬あるいは春分や秋分などはなじみのある節季ですからまだよいのですが、東京育ちの僕としては農業には無関係に暮らしてきましたからその他の節季には「うん?」となってしまいます。
ましてや七十二候となるとほとんどなじみがありません。半夏生などは時々聞いたりはしますが。
しかし最近七十二候についてネットで調べてみたら、案外僕のようなものでもうなづけるものがありました。今の季節では
山茶始開(つばきはじめてさく)
朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)
東京でもこの季節感じ取れる風景です。朔風払葉・・・東京でも木枯らし一号が吹いて
七十二候も太陽の位置で決まるに授四節季をさらに分けたものですから受け入れざるを得ませんね。
と言っても今は農業も季節がずれていますし、季節の移り変わりに無関係に生きていれば関係のないことですが、やはり日本人は季節の移り変わりがいろいろなところで感じ取るものと思います。
ふと考えたのですが、節季や候も自分の身の回りの自然を見つめて自分だけのものをつくったら面白いのではないか。。。。
でもこれは案外難しいもので、少なくとも東京に住んでいる人々誰もがうなづくものでなければならない。世代差や性別もありますからね。
昔は農業という欠かせないものが共通項としてあったのでその農業から見ることができましたが、今はどうなんでしょうか?その共通項は。。。。