性的少数者の差別禁止の法案が与党案で可決するらしい。立憲、共産、社民の野党案も出ており、それとは別に維新の案も。
この性的少数者の差別禁止は、2面性がある。
政治の法案として差別を禁止する場合は、社会的差別の禁止を求めるべきで、国民生活や社会的ルールからの差別禁止とは何かを別の麺で求めるべきでしょう。
今の日本は性差別がまだ大きく残っている。賃金格差も大きい。この意味で性的少数者雇用や賃金で差別をされてはならないというのが政治的差別の禁止でしょう。ですから政治は今現在の性差別をなくし、その中に性的少数者の差別もなくすことをしなければならない。これは同性の婚姻を認める中での男女間の婚姻での権利をそのまま同性婚にも認めねばならない。
一方国民生活や社会的な差別禁止とは何か?
心が女性だとして女性トイレや風呂に入ってよいとするのが平等だろうか?心が女性だとしてスポーツの中で女性の競技で1位になってしまうのが平等だろうか?これを平等だとしてしまうと、女性が拒否をした場合、その女性が差別者とされてしまう。女性の風呂に心が女性だとして男性器をぶら下げて入ってきたときの女性の拒否権はないだろうか?特に未成年や子供もいるわけですから。この拒否できることも、女性が我慢しなくてはいけないという性的差別の禁止となる。
そういえば、心が男性の方についてはあまり問題視されていませんね。体が女性で心が男性という方は、男風呂には来ないだろうという考えでしょうか。これもまた差別でしょう。
ですから社会生活を送る上での法的差別と、国民生活の中での差別を分けて考えるべきでしょう。
それには公衆トイレの改善など社会的費用が必要でしょう。その財源を出すことが政治の性的少数者差別禁止となる。
この性的少数者の差別禁止は、2面性がある。
政治の法案として差別を禁止する場合は、社会的差別の禁止を求めるべきで、国民生活や社会的ルールからの差別禁止とは何かを別の麺で求めるべきでしょう。
今の日本は性差別がまだ大きく残っている。賃金格差も大きい。この意味で性的少数者雇用や賃金で差別をされてはならないというのが政治的差別の禁止でしょう。ですから政治は今現在の性差別をなくし、その中に性的少数者の差別もなくすことをしなければならない。これは同性の婚姻を認める中での男女間の婚姻での権利をそのまま同性婚にも認めねばならない。
一方国民生活や社会的な差別禁止とは何か?
心が女性だとして女性トイレや風呂に入ってよいとするのが平等だろうか?心が女性だとしてスポーツの中で女性の競技で1位になってしまうのが平等だろうか?これを平等だとしてしまうと、女性が拒否をした場合、その女性が差別者とされてしまう。女性の風呂に心が女性だとして男性器をぶら下げて入ってきたときの女性の拒否権はないだろうか?特に未成年や子供もいるわけですから。この拒否できることも、女性が我慢しなくてはいけないという性的差別の禁止となる。
そういえば、心が男性の方についてはあまり問題視されていませんね。体が女性で心が男性という方は、男風呂には来ないだろうという考えでしょうか。これもまた差別でしょう。
ですから社会生活を送る上での法的差別と、国民生活の中での差別を分けて考えるべきでしょう。
それには公衆トイレの改善など社会的費用が必要でしょう。その財源を出すことが政治の性的少数者差別禁止となる。