夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「10月10日という日」

2024年10月10日 08時12分25秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
少し前までは体育の日でしたね。なんか13日といわれてもぴんときません。
息子の部屋にテレビを置くことになりテレビ台を買ってきました。テレビは小さくて安いのを買ったのですが、もしかしたらテレビ自体よりもテレビ台のほうが高いかもしれません(笑)
ついでに部屋があまりにも片付かないので隙間家具も買いました。。何しろ安い物をと選び、現品限りの傷物というのを買いました。見た目には傷はなさそうなのですが。。。。。。
どうせ子供ですからすぐに傷ぐらいはつけてしまうだろうと思い決めてしまいました。
しかし安物をそろえたつもりでが、すぐに1万円札数枚がは飛んでいきます。。。。。ハハハ

【2004年】
乃南アサさんの「団欒」を読み終わりました。
死体を持ち帰る息子あり、子供から抜け切らないだんなあり。。。。どんよりしてしまいます。しかしこの現実からはなれたものを度外視すれば、家族というものの不思議さを考えさせられます。近いうちに感想を入れます。
いつも降りる駅に近づいたのでドアの前に立っていました。するといつもは土日といえばガラガラの駅なのにだいぶ混雑をしていました。よく見るとおばちゃん連中が群れを成して立っていました。近くで催し物でもあったようです。それにしてもやかましい(笑)
やかましいといえば、夏の時期の若い女のこのはいている細いヒール状のサンダル。。。。あれもやかましいですね。コンコースあたりを歩いていると響く足音がだいぶ個性的(笑)です。

【2005年】
体育の日。。。一年中で一番晴れる確立の高い日だそうですが東京は雨です。
昨日ハンドソープの詰め替え用を古い容器に入れました。
泡状の洗剤が出てくるタイプなのですが、どうも詰め替え用を買ってきて詰め替えると泡状にならない。ブチュっと原液そのままが出てくる。もうこれで何回目だろ?その度に詰め替え用はやめようと思うのですが古い容器がもったいないので買ってしまいます。
泡状にならないので容器を振って泡立てるのかとやってみたけどだめでした。。。。どんより
何かしらの裏業が必要なのかな?
そういえば、詰め替え用というのが多く売られていますが、中には詰め替えるときにこぼれないように工夫されているものもあり助かるのですが、ビニール袋そのままだと、時には失敗をして3分の1ほどこぼしてしまうこともありました。また、液を全部絞りきれない場合も。。。
詰め替え用は得なのかと思うときがあります。

【2006年】
風もなくて陽射しも強い一日でした。
陽射しの中を歩いていると、半袖一枚でも汗ばむような気候でした。
北朝鮮がついにやってしまいましたね。。。。核実験
許してはなりません。。。。
しかし。。。インドやパキスタンも核兵器保有国になってしまったし、これからも北朝鮮やイランも含めて核兵器を保有する国が増えるのではないかと思います。そのうちにイスラエルも?こういうものは許してはいけないのですが、この許してはいけないという論理の一部には、核兵器保有国の論理も含まれます。アメリカが平然と核兵器の先制使用もありえるなどといい、核拡散防止はおろか核兵器削減の見通しも見えない。核保有国の論理は、抑止力とはいえ、他国にとっては驚異となることもたしか。。。。核兵器がこれだけ驚異になっているということは、もう絶対に戦争(世界大戦)やテロに対する戦争もしてはならないということではないか?平和憲法を理念として国連の場にまで高めなければならないのでは?戦争が当たり前になっては怖いことになる。この怖いという僕の気持ちは日本人としてだが、怖さは世界の人々共通だろう。

【2007年】
「ニシノユキヒコの恋と冒険」
               新潮文庫
               川上 弘美  著
この作品は、ニシノユキヒコという一人の男の生涯を描く。
ニシノユキヒコは、西野さんとか西野君とかいろいろに呼ばれながらその生涯を女性との関係で生きた。井原西鶴の「好色一代男」の世之介のような男である。14歳の思春期から付き合っている男の子のいる山片に「残念だな、僕も山片のこと、ちょっと好きだったんだよな」とキスをする。これに始まりそれぞれの年齢において女性と付き合い、死ぬ間際にも10代の女の子と付き合う。死んでからも昔の女の前に現れ、墓がないから庭に埋めてよと(笑)菓子の入った木箱を切って作った西野さんの墓と書かれた墓を建ててもらう。世之介である。。。
仕事は出来るし、その意味では大人の男として立派である。しかし、どことなく笑えるような男でもあり、どことなくダメ男でもある。そして悲しい姉との思い出を胸にどこか哀愁のある男でもあり、どこか魂が浮遊をしているような男である。
人が生まれ変わったのなら
どうも僕は
肉体的着床はうまくいったが
魂の着床に失敗をしたらしい
生れ落ちたのはいいが
どうも魂が落ち着かない
現実世界から
肉体から離れて浮遊をしてしまう
こんな言葉が読み始めたときに浮かびました。
ニシノユキヒコは女性を愛することが出来ない。性的な関係は持つがそこに心はなく魂は浮遊をしているような男ではないかと思う。
だから結婚をしようとは言うがそこに心がなく、女性としてはまじめに受け取れない。結婚はおろか必ず女性から最後にはふられる。しかしその時は魂は浮遊をしているのだから他の女性との関係にいる。
しかし、女性たちはニシノユキヒコを嫌いになり憎んだりしたから別れていったわけではない。それどころかいつまでも心に残り、その後の生き方や自分の心の中にある「愛」というものを確かめられるようなそんなものを残すような男でもあるのである。
ダメ男で心がどこにあるのかわからないようどうしようもない男。。。
そして、どこか哀愁のある過去を持ち、膨張する宇宙の外側はどうなっているの?とか何を考えているのかわからない男、大人なのか子供なのかわからない男。なぜかこういう男はもてるのである。
この作品は、ニシノユキヒコという一人の男が主人公のようであるが、もちろん主人公なのだが、その主人公の男との関係による女性一人ひとりがまた主人公なのである。ニシノユキヒコは一枚の鏡のように女性たちの前に現れる。女性たちはその鏡を通して自分を見つめるというようなものではないか。
「物語が、始まる」(中公文庫)という川上さんの作品がある。短編集ですが、その表題作にもなっている作品です。
その感想に次のように書きました。
主人公ゆき子は、雛形を拾う。男の雛形である。人形ではなくて生きている雛形である。女性にとっては「愛する」対象としての男の雛形である。
ゆき子には「土曜日の本城さん」という恋人がいる。ゆき子は、本城との心のふれあいという面では話がかみ合わなくなっている。本城にもいろいろな面はあるにしても、ゆき子から見た本城はやはり「土曜日の」(性的な面での)男である。
ゆき子は、雛形を育てはじめ雛形の男の恋にだんだんと応えていく。何も雛形と大恋愛をするわけでもなく、日常の生活や言葉の交わりの中でゆき子も恋をする。雛形に恋をしたゆき子は山城と別れる。
なぜ雛形に恋をし山城を捨てるのか?
雛形との恋には、母性に似た(男に対する独特な母性的な)ものがあり、日常の生活を通した情のようなものが生まれる。ゆき子は加速度的に生長(老化)する雛形の「死」を見送りすぐに雛形のことは過去のことと忘れるが、「愛している」という言葉が心に残る。
性的なものという男の一面からだけではこの「愛している」という言葉は生まれない。男に対する母性にも似た感情や情から「愛している」という感情が生まれるということではないのか。
男も女も性的な対象としての男女関係以上のものを求める時期が来るものである。男の雛形というのは、女性の心に「愛する」という感情をもたらす神や時の使いか。。。。
しかし、性的なものから離れた「愛情」といっても、何も純愛を描いているわけではない。愛の美しさを描いているわけでもない。「愛する男」といっても離れてしまったなら忘れてしまう。これが女性の「生きながらえるということ」かぁ。。。。
「ニシノユキヒコの恋と冒険」では、「山城さん」が雛形になったようなものであるが、この雛形としての男という面では共通するものがある。ひとりの女性がニシノユキヒコと言う雛形を拾い関係を持ちそして捨てる。またその雛形を他の女性が広い関係を持つ。そしてニシノユキヒコという雛形は、「愛している」という心はどのようなこころなのかを読者に問いかけているのではないか?それはまた川上さんご自身の男性観というのか、女として愛する対象の男の不思議さを見ているのではないかと思います。
「物語が、始まる。」に見る日常性の中にいるある意味平凡な時間の中に生活する男として、「ニシノユキヒコの恋と冒険」に見る性の対象としての、生活を離れたような男の浮遊する心の男として。この男の二面性は、同時に女の男へ対する心の二面性でもあるのである。
読者の女性は、ニシノユキヒコをどうしようもない男として切り捨てることが出来るだろうか?目の前にいる恋人や夫の平凡な日常の「男の世話をする」という退屈さを切り捨てることができるだろうか?
そこにある女子の心「愛すること」とはどのようなものなのか。
若いニシノユキヒコは、出産間もないがその子を亡くし離婚をした姉のおっぱいを吸ってあげる。子は死んでしまったのにおっぱいだけは流れるように出てきて痛いからと。。。。衝撃的なシーンです。でも、ここに女性の根本的な性がありますね。ニシノユキヒコ、というよりも男すべてといってもよいのかもしれませんが、この女性の持つ母性が絶対なのかもしれません。女性もこの母性が根本なのかもしれません。女性は先に書いた男の二面性やそれに相対する女の心の二面性は、もしかしたら女性のもつ母性というものに統一されるのかもしれません。
男も女もその相手に求めているものとして。。。

商店街を歩いていたら、ご近所の方が自転車で走ってきた。
目があったので軽く会釈をしたのですが、相手はそのまま通り過ぎていった。その型は人付き合いが苦手という印象はない。仲のよい主婦どおしでは満面の笑顔で対応している。僕が男だったからかなぁ。無視されるような悪いことをご近所としてはしていないつもりなのですが。
かと言って、また違うお年よりは満面の笑顔で丁寧すぎるほどの挨拶をしてくる。挨拶をした後の真顔がすごい。その落差。。。。
少しにこっとした笑顔程度の挨拶関係が一番いい。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
拝啓 川上弘美様

日記を拝読させていただきました。
俳句は詠み手と読み手の心のふれあいですね。ある風景や出来事をスケッチして心を詠み込む。読み手はその心を感じ取り同じ気持ちで心は漂う。
しかし。。。。。(笑)
まぁ、時には、いや、大体がその心の触れあいはずれているほうが多い。
「かしこま(い)りました」と。。。。詠み手が言うなら(笑)
まぁ、そこに何か心動かすものが。。。。
夢にもこのずれていくものがそのまま出てくるのでしょうか。。。面白人名ですか?
また不思議な世界にずれ込んでいくような作品を楽しみにさせていただきます。

         敬具

昨日、吉祥寺に行きました。
東京三菱UFJ銀行前に開運のための明るいチークをされた川上さんがお立ちではと探してしまいました。
冷たい雨でしたね。

【2011年】ツイッターつぶやき
保守と革新。。。。。昔はこれがはっきりとしていた。
しかしこの革新側の崩壊、それは特に社会党と総評の解散という形になったが、それにより大きなデモというものがなくなったような気がする。メーデーは別にして。
この社会党と総評の衰退自体の裏に労働者を中心とした組織的なものに対する市民というものの台頭があった。
没階級という新たな市民社会というものが提唱されたのではないかと思う。
この新たな市民社会という視点で自民党に対抗する政党が色々な形でできては消えてきた。その集大成というのが今の民主党という一つの形になったのだが、その民主党にみる市民政党とは何かを見るとそうは自民党と変わりのない、もっと突っ込んで見るとある種の保守性を持った政党となり二大政党制は保守二大政党制になったといえる。
この現在の政治勢力の中に市民政治がどのように位置づけられるだろうか。
結局は社会党総評というものに変わってできた市民政党自体も崩壊をしたといえるのではないか?
今、脱原発という主張においてデモがまた活発さの兆しを見せ始めた。しかしこの市民の集まりに何か組織性を持ったものがあるのかというとそれが見えない状態ではないか。もちろん9月のデモは著名人や社民党・共産党も参加をしたと思うが、その中に組織性の芽生えは見えると思うが、脱原発の方法についてもいろいろなとらえ方もあるし、抽象的な市民運動という形ではその組織性は見えない。
そこでネットというものが大きな力になってきている。これは世界中で起こっていることである。
このネットでの呼びかけは強い力を持ちつつある。しかしどうだろうか?その中に組織性は生まれるだろうか?今の社会を変革をすること自体はあるがそのあとにどのような世界を描くのかとなるとそこには市民の集まりだけでは方向性が出せないだろうし、ある政治勢力の台頭に結び付かざるを得ないだろ。同時にその政治勢力も後には批判対象になることも。
ネットによる一つの政治的主張としての市民の集まり。それはリアル社会にネットの世界が出てきたということである。
リアル世界に人々の顔が出てきた。これ自体は前進である。ネットがリアル世界の変革の大きな新しい組織体ともなりえるということだろう。しかしそこにはリアル世界でのこれまでの政治や経済の動きとぶつからざるを得ないし、その意味ではリアル世界のこれまでの理論や実際の政治に学ぶ必要が出るだろう。
ネット世界は一つの文化にならなければならないと以前から書いてきたが、今まさにネットの世界がリアル世界に接点を持ったわけであるからネット世界のそれ自体の文化という形を作り上げなければならない時期になっていると思う。新しいマスコミにも発展をするだろうし、もしかしたら新たな政党を作りだすかもしれない。そんなことを念頭に持ちながらリアル世界に生きる人々もネット世界を無視はできなくなるだろう。ネット世界はどう正しい組織性を作っていくか、そこにネット世界の文化は開くだろう。

【2012年】ツイッターつぶやき
ときどきテレビで昔ながらの技法で作られた生活に密着した物が紹介をされ、それを作る職人さんや零細企業の方が「私の代で終わりです」とか「日本ではもうここしか作っていません」とか話をしているのを見る。
日本のために必要とかという物でもないし、現代の生活には必需品でもないしなくなっても気が付かないで終わってしまう物はたくさんあるでしょう。
大阪で問題化されている文楽もそうで、様々な地方での伝統芸能もそうでしょう。
上に書いたものには自然の材料とかもあるわけでこれも消えて行けば技術も消える。
このようなものは国やら自治体なりが意識して残さないと消えゆくものです。採算がどうのとなれば切り捨てるべきものなのですが、国や自治体の財政難もありますが、数兆円数千億円という金がこれまでに無駄となっているものがある。その額に比べれば微々たる金で守れるものがあるはずです。
財政難への批判として無駄なものは削れとなりますが、そこで削られるものは微々たる額の補助というようなもので、国の事業仕分けに見るように国の財政にほとんど関わらないような微々たるものから捨てられる。そして無駄は続けられる。
合掌造りの集落が世界遺産になって残さねばいけないのですが、日本で茅葺の萱を確保できるのかとか、職人さんは今後もいるのかとかという視点で守るべきものでしょう。それは日本中の世界遺産ではないような古い民家を残すことにもつながる。このような個々の問題を見ると同時に、これらの個々の問題は文化遺産をどのように保護ずるのか、民芸をどのように、子供の玩具を、昔懐かしいものをそして国民の財産である芸能をどう見るのかという国や自治体の意識性の問題でしょう。
もちろん国民の財産だ人間国宝だとそのような権威的なものが形ばかりに残されることでもない。

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
株価も円が下がり続けなければ値上がりはしない。一定の円安で株価も安定するか値上がりしなければそれは経済の回復とは言えない。
政府は株価を見て経済の状態を判断しているのでしょう。
そうすると円安は容認せざるを得ない。
日銀も円安に依拠をする。物価上昇は円安に頼る。政府も日銀も円安に依存しているといえる。
しかし円やが負の働きをしはじめている。
国内物価の値上がりは実質賃金の低下により消費を落とし、円安でも輸出は伸びない。
円安に依存しなければならないが、円安がまた経済におく影響を及ぼすという矛盾が起きている。
結局は円安を招いたアベノミクスと日銀の緩和は失敗をしているということでしょう。
しかし日銀は円安を容認する。政府は円安を警戒し始める。
政府と日銀の二人三脚も互いに相反する方向に向かう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
このブログでは貨幣の回転の重要性について何度か書いてきました。
金融緩和により貨幣量だけを増やしても庶民生活や社会保障に直結した所には貨幣はまわらずに、結局は株価や富裕層あるいは企業の内部留保に貨幣は吹き溜まってしまった事実があります。そのうえ株価の維持のために年金積立金までさらに流用されてしまいました。
経済は一定量の貨幣が国民の大衆消費財の消費として、国や自治体の税収と社会資本や社会保障して、企業の利益の設備投資などとして、この収入と支出が合理的にかみ合わなくてはならず、そのためにはここに回転速度を高めねばならないのです。
ロイターに「総選挙が素通りする日本経済「真の争点」」という記事がありますが、圧倒的に国民(富裕層ではない)の生活実態や社会保障がおろそかになっていたことを示し、個人消費や社会保障による国民生活の向上の必要性が言われていると思います。
第一次民主党では「国民の生活第一」がスローガンになっていましたが、野田政権からその民主党も様変わりをするようになりました。それが自公政権になり、向かい帰りの自民党政治に戻りました。もっともいろいろな言葉で国民生活の安定が言われたり、管制賃上げもありましたが、しかし現実は上にも書いたように富裕層や企業の利益と株価高騰でしかありませんでした。口先政治の矛盾は広がったのです。
この企業利益の増大はありましたが、企業はブラック化が進み、最近の報道でも神戸製鋼のデーター改ざんというものが出てきています。政府も消費税は社会保障にというものをご破算にしようとしています。国民生活の安定がないままでの消費増税10%はさらに貨幣の回転を鈍くさせるでしょう。
ノーベル経済学賞が決まったようですが、またアメリカ経済学で経済学を人の意識の問題だといった経済学に劣化をしています。
どの党の政権が生まれるかはわかりませんが、貨幣の回転を真剣に考えないと日本はさらにじり貧となるでしょう。そのうえ北朝鮮危機を煽って軍事費が増大すればそれもまた経済を後退させるでしょう。軍事費による支出は究極のバラマキで経済的利益は戦争特需ぐらいで最終的には国家財政も民間経済も破たんさせていくでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
60歳以上の高齢者の月収は、10万円から20万円が一番多く32%、20万から30万が26%。
これは年金と就労による収入を合わせたもので、就労の収入には配偶者の就労の収入も含まれる。
10万円以下は20%ですから高齢者の暮らしは相当苦しいものになっている。
上の数字は収入です。諸税や健康保険、介護保険などの支配後の収入かどうかは明記されていませんが、手取り収入となるとさらに低下するものと思われます。
高齢者の80%弱は就労しながらも苦しい生活をしているという事です。
高齢者はゆとりはないが生活に心配がないという人が多いようですが、たしかに20万から30万の月収があればそうは心配をしないで済むでしょう。しかしこの収入には修朗による収入も含まれるわけですから、加齢とともに、例えば夫が働けなくなったとすれば、20万から30万の月収の世帯が10万から20万に下がり、最終的には公的年金だけになります。この加齢により意識は変わってくるでしょう。
しかし、就労での収入を含めての月収ですが、年金を含めて20万として国民年金だけの場合は就労による収入は約13万前後となるでしょう。たしかに夫婦の年齢構成によってこの就労による収入の中身は変化しますが、相当低賃金で働かされていることになります。
年金支給年齢が65歳になっていますが、60歳からの雇用が保証されるにしても定年延長者は50%以下で、その他は嘱託やアルバイトなどです。60歳以上にしても賃金は半分以下という実態ではないでしょうか?65歳以上もちろん70歳以上になれば相当賃金が下がっていきます。
先日働きたい、働かざるを得ないというものを書きましたが、政府は65歳以上の高齢者は「働きたい」と分析する。一生涯働きたいという高齢者もいると。しかしこの「働きた」のいちばんの理由は経済問題です。
今年金支給年齢をさらに引き上げて68歳あるいは70歳、ひどい場合は75歳にとしようとしています。「働きたい」経済的理由を国が作り出そうとしています。高齢者にとっては働かざるを得ない社会の条件が増していくだけです。

【2019年】ツイッターつぶやき
一時毎日のようにあおり運転が報道されていましたが、最近はないですね。あおり運転がなくなったり、ドライブレコーダーなどの動画がなくなったわけではないでしょうが。
高齢者の車の事故も同じですが、あおり運転もそうは大きく取り上げる話題性のメリットがなくなったのでしょうか?
マスコミの報道というのはぱっと表れてぱっと消えていくものです。
「おしえてgoo」にあおり運転のきっかけについて書かれていました。
僕のこのブログでも高速道路の右側追い越し車線でのあおり運転が多い中、のんびりとずっと追い越し車線を走っていればあおられる危険性や少なくともイライラさせる原因になると書いてきましたが、もっと広い視点からどのような行為があおり運転のきっかけになるのではと書かれています。
もちろんこの筆者も
「もちろん、あおられる方に過失があると言うつもりはないが、誰もが安全運転を心がけることで減らせる事件・事故はあるはずだ。」と、
あおり運転を正当化するつもりはないでしょう。
いろいろなきっかけが書かれていますが、「権利や自由への主張が強い。遅い・速い・曲がる・止まるは、すべて個人の自由だと思っている。」ドライバーやドライブレコーダーで遊んでいるようなものはよくないですね。制限速度で走っているんだから追い越し車線を走っていて何がおかしいといった道交法無視から、追い抜こうとするやつが悪いといった意識はよくないですね。後ろに目がないとだめです。
もちろんきっかけとなる行為を意識的に挑発行為で行えばこれも立派なあおり運転でしょう。
もちろん誰でもが無意識のうちに後ろの車にイライラさせる行為はあるものです。その時気づいたら、このブログでも書いていましたが、ハザードをつけて「ごめん、ごめん」ぐらいは必要です。

【2020年】ツイッターつぶやき
東京の今日の新規感染者数は249人でした。
日曜日や月曜日の新規感染者数は毎週極端に少ないので、現在の検査体制というものだけを見れば200人以上というのが実態なのかもしれません。もちろん諸外国に比べればまだ少ない検査数ですからさらに多くの感染者がいると思われます。
9月のGo To連休から2週間以上過ぎましたが、これも全国的には影響が出ていると思います。
以前、このブログで感染者数はある程度減るだろうがだらだらと感染拡大が続くのではないかと語覚えがあるのですが、下げ止まりなのかあげどまりなのかどちらかわかりませんがこのペースで続いて収束にはなかなか向かわないかもしれませんね。
第二波といわれた並ではは若い人の感染が多かったのですがそれが中高年齢者も多くなっています。夜の街クラスターが言われていましたが、最近は家庭内感染や高齢者施設のクラスターも。同時に感染経路不明が多くなっています。感染拡大は新規感染者数での判断もありますが、幅広い年齢に広がることにも現れるのかと思います。それはさらに感染拡大の要因になります。
東京とも当初Go Toは行わない形をとりましたが最近は積極的ですね。今後の感染拡大が心配です。

【2021年】ツイッターつぶやき
ガソリンが高くなっています。レギュラーでも160円に近いです。都内は地方に比べてまだ安いのですが。
ガソリン税が付加されてガソリン代となりますが、その価格に消費税10%がかかります。
税金に対しても税金が取られる仕組みからもガソリンが高いという感覚も出ます。
税金には消費税を廃止すべきですね。
これは酒やたばこにも言えます。高税率にもかかわらずそこに消費税が。
煙草で言えば若葉など昔は安かったのですが今では普通の煙草と同じ500円です。
酒も同じで安い発泡酒の税が。
自動車も軽に対する増税が。。。。。。
庶民泣かせの税制度ですね。

【2022年】
四国旅行

       ≪ひょっこりひょうたん島?≫

【2023年】ツイッターつぶやき
経団連が消費増税の必要性を言っています。
少子化対策もありますが、これが現実に実施されるかどうかはわかりません。あとは防衛費ですね。
法人増税はされては困るというのが経団連でしょうが、その代わり消費増税というのも経団連が言うこと自体おかしいですね。経済対策として賃上げが言われていましたが、その賃上げが消費増税として収奪される。現在でも実質賃金は下がっているのにさらに消費増税では消費がしぼむでしょう。経済対策になりません。それでも消費増税にこだわるのは防衛費や海外へのバラマキの必要性が経団連には死活問題なのか?
悪性の物価高により消費税収が高くなっているはずで歳入は増加しています。実質的な消費増税になっています。
それでさらに消費増税。
国民生活の切り捨てがさらに進みますね。

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