夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「10月 6日という日」

2024年10月06日 09時07分41秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
きのう本屋に寄り2冊ほど買ってきました。
1冊は村上龍の新しい本ですが、夏生さんがつれづれの中江「兄貴!」と呼ぶような好きな作家みたいですからどういう作品を書くのかと思い買ってきました。たくさんの本を出版しているのでどの本が代表作かわからないので、とりあえず近刊をと思いました。
年齢が僕とほとんど一緒ですから案外理解しやすいかとも思います。
そういえば、最近女性作家の本も楽しいので読んでいるのですが、本屋さんに行くとたくさんの女性作家の本が出ています。梨木果歩の「かたくりから草」を読むと、日本の古い家制度を女性からどのように見るかが書かれていましたが、女性特有のものの見方考え方が女性作家の中に現れているのではないかと興味を持っています。
現代女性作家に詳しいサイトを探しどんな傾向の本があるかみながら読んでみたいと思います。
とりあえずは今日から村上龍の作品を読んでみます。
久しぶりにわずかですが雨が降りました。
しっとりとして気持ちのよい朝でした。
公園の木々の葉がほんの少し紅葉の気配。

神様のボート新潮文庫江國 香織  著子供から見ると、親というものはその昔にさかのぼるほど霧の中に霞んでいく。親から聞いた昔の話をぼんやりとその景色として描いていく。
親は、自分の子供時代のように自分自身の昔にさかのぼると、やはり霧の中に霞んでいく。
この小説を読み進んでいくと、読んでいる僕自身が葉子という女性を霧の中に発見していくような気分になる。葉子の娘草子は、母とまだ見ぬ父親が愛し合っていたことと父親が必ず迎えに来るという母親の信じる確信はあるものの、どこまでが本当の話なのか、どこかに不安を感じながら霧の中にいる母親と「神様のボート」に乗っている。これと同じように、読む僕も「神さまのボート」に乗せられていくと錯覚をする。
葉子は、過去の思い出は箱の中に入れて今を生きていこうと前向きな女性である。しかし一方では別れた男を「箱」をのぞいていてはそれがすべてと生きている。2,3年に一度は娘草子と引越しをする。前向きに生きているはずだが、引越し先の人間関係が安定をしてしまい、男の存在を自分が忘れてしまうことを恐れているようにして引越しをする。葉子にとっては、男との再会が人生のすべてである。これが神さまに運命付けられたように漂うようこのボートである。
読者もこのボートに乗りながら葉子と男の過去を次第に知っていく。
娘草子は、小学生である。母親と暮らすという面では、まるで霧の中を漂ってばかりいるボーに乗せられているだけである。もちろん、どんなにすばらしい父親であるかを葉子から聞くことが楽しかった。でもやはりそのボートは霧の中である。
草子は中学生高校生へと成長をしていく。成長とともに現実を見る。その現実が草子にとってのボート。霧の中ではなくて未来という明るさがあるボート。
小説は、このような葉子と草子の思いを相互に書き進められている。ここがこの小説の面白さだと思う。葉子から見た草子への目。草子から見た葉子への目。お互いに心配をしながら、思いやりながらも時間の中で違うボートに乗っていく。その表現が面白い。
高校生になった草子は、葉子に現実の中に生きなければいけないというようなことをいい高校の寮に入る。
草子という「神さまのボート」の同乗者がいなくなったよう子は、ただ一人霧の中。現実・・・・・葉子にとっては、元の夫(愛する男は不倫相手)、両親、生まれ育った東京が現実。葉子は東京に帰る。駅に降り立った葉子の体に東京という空気が沁み込む。葉子は現実の中に戻る。でも、その中では生きていけないところまで追い込まれる。生きていても仕方がないというところまで。
最後の結末は・・・・・・・・
内緒にしておきます。

【2004年】
4日ぶりの晴れです。
洗濯物を毎日部屋に干していたのですが、生乾きで変なにおいがしはじめてどんより。。。。仕方ないので部屋干し用という洗剤を買ってきましたが、今日は良い天気で使わずじまい。また曇り空が続きそうなのでそのときにでも使います。
買い物ついでに本屋さんで立ち読みをしてきました。読みたい本も見つからず角田さんの読みたい本を注文して来ました。いつもは文庫ばかり買っているのですが、どうしても読みたい本なので単行本で買います。

【2005年】
唯川さんの「めまい」を読み終わった。
感想は読書ページに書いている最中だが、おもしろいと思うものがあった。解説を篠田節子さんが書いているのである。
篠田さんの作品に「愛逢い月」があるが、ちょうど唯川さんの「病む月」や「めまい」を感じさせる同じ短編集なのである。
同じような作品を書いた作家がその解説を書くというのは、必ずといってよいほど「解説」が書かれる文庫本の魅力だろう。その解説を同じ女性作家たちが書くところにおもしろさがあるのである。
もちろん「解説」を書くのだからほめるのである。
しかし同じ女性作家同士が「解説」書くことにどういう作用があるのだろ?
切磋琢磨しながらお互いの作品を優れたものにしていくという見合いも当然あるだろう。しかし、同時に自分と同じスタイルの作品を発表された場合は、「解説」としてはほめるだろうが火花は散らないのだろうか?または、その作品の「解説」を書いた後に、「私ならこう書くわよ」ということで同じような作品を書くとか。
「あら?この作品、私の○○という作品に似てるわ」
「文庫が出版されるの?解説書くなら私ししかいないわよね」
「ホホホ・・・・・」
なんて火花も。。。。(笑)
女性作家の世界はどんなんなんだろ。。。
それこそ女の情がホラー的に。。。。(笑)
ううう。。。。
でも、その時代時代に流行のジャンルがあるはずで、ホラーばやりならホラーも書いてみようとかもあるかもしれないし、そうすると出版社の労務管理から作家同士を同じジャンルやスタイルで競わせることもあるかもしれない。
そこにも女性作家の中の「女」もその情も出るかもしれない。作家といえども一人の人間ですかぁなぁ。。。
そういえば、余談ですが、今回の総選挙の中での女性刺客に「女」をすごく感じたのだけど、激しい女の情も。。。。?
どんな世界に棲息するにしても、ある程度は妥協しながらも自分のスタイルを守ることは難しいものです。。。。
だいぶ女性作家の作品も読み進んできたので、この辺で女性作家作品年表を考えています。書き下ろしもあるでしょうが、雑誌なのでの連載、そして単行本出版、文庫版出版と、その発表の時期が長きに渡ると思うのですが、まぁ、連載時期は調べきれないにしても、文庫には初発表の年度が書かれているのでそれを参考にしたら年表も書けるのではないか?
夏生さんの「夕方らせん」は、1996年で、夏生さんの作品も例外なく女性作家の海の中にあったわけです。その中での夏生さんのスタイルも見えるかもしれない。

【2006年】
台風の影響で秋雨前線が刺激されたそうで、一日中降っています。
幸い、雨はそうは多くなかったので助かりました。それでも10分も歩くとズボンの裾はびしょびしょでした。風が強くてビニール傘を2本お猪口にしてしまいました。傘がブワッと逆さに開いて使い物になりません。夕方帰った息子も傘がだめになってびしょぬれ。。。。そして笑いながらいうには、駅から家まで買える間にだめになった傘が10本ぐらい捨ててあったと。。。。
1度お猪口になるとビニール傘は悲惨です。もうばらばら。。。。
しかし捨てるにしても捨てにくい。焼却ゴミでないほうに出すのですが、いつだったか、テレビでこの使えなくなったビニール傘を分解して資源化しているというのを見た覚えがあります。安いし便利で使い捨て。でもちゃんと処理をしている人がいる。。。。

「デッドエンドの思い出」 よしもと ばなな  著
表題作の「デッドエンドの思い出「を含む5編からなる短編集です。
よしもとばななさんは、文庫版の「あとがき」に
「『これを書いてほんとうによかった』と思える本はなかなかないものです。そういう意味でも、やはりこの本は私にとって大切な本です。」
と、書き、単行本「あとがき」にも短編としての
「『デッドエンドの思い出』という小説が、これまで書いた自分の作品の中で、いちばん好きです。これが書けたので、小説家になってよかったと思います。」
と書いています。
それぞれの短編で描かれることはよしもとばななさんの実際の経験ではないようですが、
「私小説的な小説ばかりです。」とも書いています。
よしもとばななさんは、この短編集に書かれた物語は実際に経験したものではないが、私小説的というのがなぜなのだろう。
「出産をひかえて、過去のつらかったことを全部あわせて清算しようとしたのではないか?」
よしもとばななさんにとっては、この短編集はご自身の心の清算であると同時に「救い」ではなかったのではないか。その意味において私小説的なのではないか。
よしもとばななさんにどんな辛い過去があったかはわからないが、この短編集を読み通すとそこには温かみのある「救い」を感じるのである。一つひとつの細かな設定として書かれている事柄自体はよしもとばななさんの経験ではないが、短編集全体で描かれているものは、結婚や家庭である。もちろんその前提には恋愛がある。結婚にいたるものにはよしもとばななさんもいろいろあったようですが、結婚をし、妊娠をしたよしもとばななさんの過去の恋愛・結婚・家庭での出来事を清算する中での救いなのだろうと想像できる。
清算というのは、ある過去を自分自身で解決したりリセットするというようなものだが、救いというのは、他者の力によるものである。短編集全体から読み取れるものは、主人公が他者から救われるというものを読み取れる。不幸な過去を自身で解決して清算していくという力強さというようなものは少ない。だから作品自体としては「救い」ではないだろうか。
「ともちゃんの幸せ」(177ページ)には
「これを書いているのはともちゃんではなくて、ともちゃんの人生をかいま見た小説家なのだが、」
と、ある。
この作品自体を書いたのは、よしもとばななという小説家である。この作品を書いたことはよしもとばななという作家の自身の力であり、その意味では清算である。
しかしそのよしもとばななという作家は主人公の救いを描く。
よしもとばななという作家は、自身において清算するが、作品自体を読む読者は救いを読むこととなるのではないか。そしてゲラ刷りを読んで涙したというよしもとばななさんもその時点において救いを見たのではないか。
「幽霊の家」では、古いアパートに1室に、まだ霊として残る老夫婦が出てくる。その霊は時々現れてその部屋で平凡な一日の風景の中にいる。それを見た主人公は、夫婦というものの本質的なものを見つめることができた。
「おかあーさん!」では、母親から虐待され離婚した両親から離れておばあちゃんと暮らす主人公は、彼氏の愛や周りの人々の暖かさから、人というものを見つめなおす。見つめなおすことにより両親が自分にとってどのようなものであるのかというものを知る。「おかあーさん!」と呼べる主人公がそこに入る。
「あったかくなんかない」は、主人公が子供の頃に近所にいた少年の思い出である。裕福ではあるがその少年の生い立ちとその後は不幸である。家に灯りがともり明るいのは電灯の灯りではなくて人が放つ明るさである。家庭とは何か。。。主人公は平凡な我が家を見つめなおす。そして人の心にある明るさを見る。
「ともちゃんの幸せ」は、思春期にレイプを受けた主人公の小さな恋を描くが、その恋が成就するかはわからない。しかしともちゃんの心には暖かいものが常にある。そして終わりには、そのともちゃんの幸せを見つめる小説家が描かれる。神の存在ではない見つめてくれるものの暖かさ。
最後の「デッドエンドの思い出」は、婚約者にふられた主人公が傷心の中に居候することとなった「袋小路」という店とそこに働く男とのお話し。袋小路=デッドエンド。。。
過去に暗いものを持ちながらもやさしく包み込むような男の暖かさ。そして家族の暖かさ。世の中にはもっと不幸がある。その不幸に比べれば今の自分の不幸なんて小さなものかもしれない。今の袋小路に迷い込んだような心は開放される。
このように見てくると、どの主人公は、周りの人達の暖かさに救われているのである。
「ともちゃんの幸せ」の最後に
「いずれにしても神様は何もしてくれやしない」
と書いていますが、この人の世を見渡せば神も仏もないように写る。神は自然と同じであり、存在するとすればただの存在以上のものではない。それではなぜ人は神を見るのか?人の心の中に見るのである。しかし人の心には神と必ず一対をなすものもいる。悪魔である。人は人を傷つけるが、人はこの心の中の神を見たときに涙する。デッドエンド=袋小路に迷い込んだときに人の心に神を見るのである。
人は救われる。。。
よしもとばななさんもたくさんの人たちに救われてきたのだろうか?
よしもとばななさんの「日々の考え」というエッセイの感想に
『「日々の考え」のエッセイにある面白楽しくそしてその中にも鋭い見方をするばななさん自身の行き方でもあります。そしてどこか物悲しいような・・・・
ここにばななさんが好む人間像があるのではないかと思いますし、読んでいると自分の好む人には最大限の誉め言葉を送るというような僕から見ればどこか「身内意識」が強すぎると受け止められるのですが、ばななさんは、本物の人間を自分の主観において潔癖なのかもしれません。』
と書いたが、人に何を求めるかという意味においての「救い」は、よしもとばななさんから感じる人なつこさのようなものは、この人の心を通じた救いを求めることにあるのかもしれません。だから潔癖な人を求めるのかもしれない。
この短編集は、一番初めに引用したよしもとばななさんの言葉からしても、作家よしもとばななを動見るかということではおもしろい作品だと思います。
<追記>2006年11月8日 記
僕の読んだ文庫版にはあったかどうか覚えがないのだが、この作品は、藤子・F・不二雄に捧げられているという。
藤子・F・不二雄と言えばドラエモン。。。ううう・・・ん?
ドラエモンとのびたくん?
僕はドラエモンのテレビの漫画を見ていると、ドラエモンがのびたくんの「救い」の道具(ロボットだからねぇ。。。)に思える。
人とロボットは違うけど、「救い」の過程にある存在。。。。ばななさんにとっては、救いを与えてくれた人々は皆ドラエモンのような存在なのかな?
もう少し機会があれば考えます。。。。ううう・・・ん

【2007年】
gooのホームページを開いたら、気になるニュースが目にとまった。
珈琲を飲んでいるとすい臓がんになりにくいというのである。一日に3杯以上だったかな?珈琲にもよいところがあるんだなぁ。。。
しかし。。。。
続きを読むために下にスクロールしたら、酒を飲んで顔が赤くナウル人はすい臓がんに1.44倍と。
ううう・・・・
僕は酒を飲むとすぐに赤くなる。
ということはコーヒ好きは良いにしても体質的には酒が悪くてすい臓がんについてはプラスマイナス0に?(笑)
タバコについていろいろな説を読むときは、タバコの害ばかりを言うものについては反感を覚えるが、すい臓がんに関しての珈琲の効果は受け入れる。あんがい日和見主義なのかもしれない。
しかし、タバコに対する禁煙運動のファッショ的な言動は許せない。
同じニュースに残業手当の不払いの記事があった。
桝添大臣がホワイトカラー何とかで、早く家に帰れる法案だとか言っていたけど、実態は今でさえ残業代を未払いにしている企業が多いのにそれを合法化するような考えでは?
今の世の中、眉につばをつけてしっかり動きを見ないとだまされる。
今日は両国の江戸東京博物館に「文豪 夏目漱石展」を見に行って来ました。多くの展示物があり、しっかり2時間半かけてみてきました。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞一面に「中国の友へ・・・・一筆啓上」という記事があった。
早い話が大国(核を持ち経済においても日本を越える)となった中国の責任を問う記事であると思う。
「責任を押しつけられない大国」、東シナ海南シナ海への「海洋観」、経済制裁(報復)。。。。。
大国となった中国の暴走を牽制するような忠告的な記事でと思う。
そして今の中国のやり方は世界の中で孤立する論理であり、日本が外交的な未熟さが露呈させと同時に中国もその未熟さを持つという結論だろう。
しかしここでも読み間違えたら大変なことになるだろう。
それは「持つ者と持たざる者」の論理の温度差である。
先日世界の鉄鋼関連の企業による国際会議が開催され、世界で1位となった中国の鉄鋼業界にもCO2削減に向けた取り組みを促すといったようなものが報道されていた。このCO2削減問題は、持つ者(先進国)の論理からすれば地球環境の維持という大きな問題となっているといったもので、その裏には先進国のCO2削減技術の優位性による生産性にも関連した競争力を維持する中での対中国が見え隠れする。一方中国は今のCO2問題は先進国の問題であるというのが基本にあり、その中で「持たざる者」中国も成長を維持する中にCO2問題を考えるというのがスタンスではないか?それが「責任を押しつけられない大国」といったものに見えるのかもしれない。
そのほか、海洋における領土問題や経済制裁(報復)はこれまでの先進国が世界の中心になり行ってきたことだという論理むあるかもしれない。
この他にも中国は核保有国であるが、「持つ者と持たざる者」の論理では、核不拡散といってもそれは核保有を限定された核先進国が独占し、それも核による先制攻撃を否定しない中に持たざるものの論理とぶつかる。イスラエル問題は見て見ぬふりはする中に、当然北朝鮮やイランの核問題は出てくるのである。
そのほか経済的なぶつかりでは、先進国が自滅的な経済停滞あるいはマイナス成長を続ける中、中国をはじめとしたインド、ブラジル、そしてアジアの諸国の台頭がある。発展し始めた「持たざる者」の論理は強く作用していくだろう。
今、歴史の大きな転換点にある。
日本をはじめこれまでの先進国が「持つ者」の論理で中国批判や発展していく国々に接していくということはある意味大国の論理として反発をされる日が来るだろう。日本が世界に尊敬されたのは、戦後という焼け野原からのすばやい経済復興と発展にあった。奇跡とも言われた。その尊敬はどうなっているんだろ?まだもちろん存在するはずである。しかしそれも食いつぶしているような気がする。それに替わるのが中国となりつつあることはたしかである。
先進国は今までの「大国意識」は修正をせまられるだろう。
それは国内矛盾からもはじまっている。先進国における経済発展は望めずに、企業の潰しあいあるいは合弁といった形にしろますます独占化をしていく、その中での企業の発展は海外に依存しながら国内の国民生活を犠牲にしていく。企業の発展という「持つ者」の論理と生活を犠牲にされる国民「持たざる者」の論理はこれから激しくぶつかり合うだろう。人と人とのぶつかり合いは、経済関係にある。それは国と国とのぶつかりでもある。
歴史の転換点なのである。
早くその余力のあるうちに先進国は「資本主義らしくない資本主義国」に脱皮をしなくてはならない。個人が儲けるための市場維持ではなく、国民生活維持の中での持続的安定成長である。残念ながら日銀はまたゼロ金利をはじめるという。また株や土地バブルによるデフレ脱却を狙っているのか。。。。。「持つ者」の論理でまた日本は動く。菅総理の「雇用」政策は?ゼロ金利の狙いに雇用が入るのだろうか?もう、日本のバブル崩壊とアメリカのバブル崩壊で答えは出ているだろう。
菅総理が温首相に「会えた」と報道されている。「会ってもらえた」。。。。それは経済法則にあるのである。

【2011年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞に福島社民党党首の発言が載せられていたが、先日の朝日新聞記事にも連合(古賀会長)が民主党の政策に対して距離を置くようになってきたという。
その政策の一つに原発問題がある。
連合は今回の大会で減原発から脱原発に軸足を移すようになったようである。野田内閣による民主党原発政策(菅代表時の原発に依存しない社会への方向性)の変質も見えはじめ、連合内でも下部組合員の声も強くなっているようである。
民主党と連合との蜜月時代に良き秋風が吹いたとみてよいだろう。
この秋風は公務員賃金の引き下げを勧告した人事院勧告への批判としても現れた。公務員賃金引き下げへの勧告自体を拒否をした。人事院勧告の廃止と直接的な政府との交渉を含めた公務員改革を求めていると。
もちろん連合は、公務員組合の力が大きい組織だからと見るのは簡単で、世論の中には今の時期公務員の賃金を下げるべきといった暴言もあるわけですが、ギリシャを見ても公務員賃金の大幅な切り下げ反対を含めて市民も反対デモとストライキが行われている。ヨーロッパでは昔からストライキ迷惑論は市民の中にはないという。デモもストライキも当たり前の市民と労働者の権利と認められている。
日本ではどうか?何も考えずに感情むき出しな東電の社員のリストラや賃下げを言い公務員賃金が高すぎると批判をする。ここに日本での民主主義の脆弱性があるのである。
この日本の現状の中で連合が公務員賃金引き下げに反対することは大きな意義があるだろう。もちろん脱原発も。

【2012年】ツイッターつぶやき
この間、日銀は金融緩和を行ってきた。ゼロ金利が始まって何年たつだろうか。貨幣量も増やして市場に流してきた。
政府は消費増税を決め、その実行においてはデフレの改善を言い日銀も1%のインフレを目標にしてきた。しかしどうもこの1%目標は断念せざるを得ないようで、あわてた政府はさらなる金融緩和の日銀へのある意味圧力をかけている。
しかし金利はすでにゼロに近い状態で先の金融緩和の時もその効果は疑問視されていた。世間では日銀がたくさん紙幣をすればいいなどというばかげた政策インフレを言う者までいた。結局日銀が紙幣を刷って市場にゼロ金利でばらまいても砂漠に水を撒くようなものであったのだろう。
緩やかなインフレと景気回復は、市場において貨幣がどのように流れるかそして回転率が高まるかにある。
貨幣が銀行を通して企業にばらまかれても今は国内の設備投資に回るかと言えばそうではないだろう。すでに企業は国内よりも海外に金を回し、株価維持に金を回す。金融市場や国債に回して利鞘目的にもなる。このような貨幣の流れは国内での貨幣の流れと回転数を上げないだろう。早い話が勤労国民には回らないから市場の活性化につながらない。
国内の労働者の賃金は下がり続け、雇用は不安定化をしている。
企業の設備投資の貨幣は最終的には大衆消費材に価値移転しなければならない。しかし貨幣量が不足する勤労国民は消費を切り詰める。価格を安くしなければ売れない。これがデフレでしょう。
財界や政府はこのような状態を無視をして金融緩和を言う。金融緩和の目的が自国通貨安を誘導するのが目的化される。これは通常の経済法則ではないでしょう。これを行うことを目的にするが、政府や企業が勤労国民の生活を犠牲にして生き残りができると世界が判断すれば円は安心という事になり円高は進む。
日銀の金融政策の責任でデフレからの脱却ができないという政府の論理は、政府の責任を回避するだけの物でしょう。むしろ日銀よりも政府の責任の方が強いわけです。

【2013年】ツイッターつぶやき
消費増税が決まりましたが、残念ながらその消費増税による税収のお札には色がついていませんね。「消費増税分1万円」とも書いていない(笑)ですから何に使われたかは分かりず楽なるんです。
もちろん政府はその増税分をどのように使うかの説明はするわけですし予算も出る。しかし色がついていないのであやふやになります。例えば年金や生活保護など社会保障で受け取るお札の内消費増税分のお札が何枚入っているかはわからないわけです。もちろん年金や生活保護は減らされるのですから消費増税分のお札に色がついていてもまわってはこないでしょうが。
「消費増税分は社会保障に回すと」と言ってもたとえばお札に色がついていて社会保障費にたくさんのお札が入ってきたとしてもその分だけこれまでの予算実績のお札がなくなったとすれば、ただこれまでの予算の実績文という色のお金がどこかに消えて社会保障費に消費増税分のお金が増えたとしたら、たしかにこれも消費増税分は社会保障に回すということにされてしまうわけで、嘘ではないだろうと(笑)しかしこれではペテンですよね。年金や生活保護の支給に消費増税分の色のお札が増えたとしても他の色のお札はどこかへ消える。どこへ消えるかは企業減税かもしれないし国外にばらまかれるかもしれない。
決まってしまったも同然の消費税ですが、「消費増税分は社会保障に回すと」というこれまでの政府の約束はペテンではない形で国民生活関連に増額されねばならないのです。
増税分はこれまでの予算実績(自然増も含めた)にプアラスされねばならない。社会保障の部分での切り下げで消費増税分のお札がどこかへ消えてはならないのです。これまでの予算実績と自然増額という色のお札に消費増税の色をしたお札をプラスしなければならないのです。

【2014年】ツイッターつぶやき
「低気圧」
都心のビルの間を歩いていたら
急に黒い雲があらわれて風も出てきた
一雨来るなぁ。。。と思っているうちに
ポツポツつと大粒の雨粒が落ちてきた
みんなあわただしく走り去っていく
僕もどこかで雨宿りと思ったら
なぜかすべてのビルの入り口は閉ざされていて人もいない
仕方ないのでビルの間の細い道に入った
そこには小高い鎮守の森が。。。。
「・・・・・・」
こんなところに神社はないはずと思いながらも
古めかしい社殿の軒下に入った
すでにもう、数人の人が軒下にいた
「あなたはあちらでしょうぉ♪」
「はぁ?」
きれいな女性がニコッとしながら指をさす
そういえば、ここは女性だけで、あちらの軒下には男性たちが
あわてて雨脚の強まりつつある雨の中を移動した
恥ずかしさもあり「急な雨ですなぁ」と
にっこりしながら男たちの中に入った
「低気圧ですからなぁ。。。」
いまどき珍しく帽子をかぶった紳士が言う
「はぁ。。。」
「急な低気圧には困りますなぁ」と男はいう
「通り雨でしょう、この雨は」
「出かけ先での急な低気圧は困ります」
「はぁ。。。」
なんとなく会話がちぐはぐである
「そろそろ脱ぎますか。。。」
「そうですなぁ。。。」
それぞれの男たちは言い交わしながら服を脱ぎ始めた
「・・・・・・・」
「あなたはよろしいのですか?」
さっきの紳士が。。。。
「ハァ。。。僕は・・・・」
全裸になった男たちはうろうろしている
よく見ると、さっきより男たちは膨らんだようだ。。。
大粒の雨と風が一段と強まる
僕は軒下の奥のほうへ引っ込んだ
そして空を見上げていた
「低気圧は困りますなぁ」「そうですなぁ。。。」
「ワッハッハッハ・・・」「ハハハ。。。。」
空から男たちへと目を移すと
登山に持っていたポテトチップの袋のように
膨らんでふわりふわりとしている
「・・・・・・」
僕は湿度の高い風に吹き出た汗をぬぐった
下着はびっしょりとぬれている
そのうちに風も雨もやみ小鳥がさえずりはじめた
しぼんだ男たちは何もなかったかのように
洋服を着て立ち去った

商品の価値はどのくらいの労働力を支出したかで決まる。もちろんこれは社会的返金値を取る。
同時に労働力の消費は具体的な労働の中で行われる。この労働は不変資本を消費することでもあるからその過程にお手この不変資本が持つ価値を商品に価値移転をする。
商品の価値はどのくらいの(労働時間やその労働の密度や強度)労働力の支出において決まりそこに不変資本から移転された価値を加えて商品の価値となる。厳密に言えば、労働者の労働時間は不変資本の価値移転を越えて労働することによって新たな価値が生産されるということではあるが。
不変資本は工場の建物や機械などそして原材料やエネルギーがそこに加わる。これらすべてのもの(過去の労働によって生産された価値)がその工場で生産される商品に価値移転されなければならない。工場のように長年にわたって消費されていくものが減価償却のように少しづつ価値移転されていく。
日本は原材料やエネルギー資源に乏しい国ですから輸入に頼らざるを得ない。工場や機械などもその生産には輸入にたよっや原材料やエネルギーの消費によって生産された商品でもある。

つづく

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
希望の党の衆議院選に向けての政策に消費増税の先送りとその財源として企業の内部留保への課税を決めた。
希望の党は消費増税を見送る代わりに内部留保への課税で6兆円捻出するという。これに対して自民党の麻生さんが内部留保への課税は二重課税になるとして反対をして内部留保は給与や設備投資にまわしたらどうかと反論した。
たしかに消費増税に対する考え方の違いとして自民・希望の対立点と見えるかもしれない。そしてそれが選挙の争点であるかのように見える。
しかしどうでしょうか。。。。。この二つの意見は。
まず麻生さんの意見
二重課税だという見方は当然あります。しかし給与所得者は所得税を納めて残りの給与を使う段階で消費税をさらに納めています。企業を守るのはいいが、国民は二重課税に四苦八苦をしています。
また、内部留保は給与や設備投資に回すと言いますが、この4年間のアベノミクスにおいてこの内部留保は膨らむばかりでした。そして賃上げも設備投資も伸びなかったというのが実態です。
こう見ると麻生さんの政策はから文句ですね。
次は希望の党です。
6兆円の税収増をどのような使い方をするのでしょうか?ここを示さないと公約とはなりません。たしかにベーシックインカムという言葉も出てきますが同時に北朝鮮への危機対応も出ています。6兆円を国民生活に直結する使い方をするのでしょうか?自民党が消費増税で約5兆円の税収増があると思われるがそのうち2兆円を幼児教育の無償化という擬態的なものがあるのですからまだ自民党の方が良いという事になります。もちろん残りの3兆円はどこに消えるかは定かではありませんし、社会保障の切り下げを財源とする国民の犠牲が見え見えですが。
希望の党は耳障りの良い言葉がたくさん出てきます。脱原発やら金融緩和の出口とか。。。。
しかし脱原発は確か2030年を目指すというものですね。その間は再稼働も行うようです。
金融緩和の出口については、出口という言葉は出ているが、その中身となると「日銀の大規模緩和は当面維持したうえ」(引用)と、当面維持するという中にどの地点で出口化が見えない。これは自民党のデフレ脱却時と変わりのないものです。
希望の党の言葉の遊びはポピュリズムに近い。都民は小池さんの豊洲移転問題の対応でそれを現実に見ています。
こう見るとどうも漫才を聞いているような気がしてならない。
結局自民党と希望の党派対立しているように見せているが、実は仲良しなのでしょう。
すでに大連立はあるのかという危惧が出ている。

【2018年】ツイッターつぶやき
2019年という年は・・・・・
何も早々と来年の抱負を語るわけではない。日本社会に何が起きるかという危惧である。
・消費増税10% 
政府は日本経済は立ち直ってきているという見方をしている。すると経済が順調なのだから消費増税10%が予定通り実施されることになる。
・働き方改革の実施
労働者の自由な働き方というよりも企業に都合の良い”働かせ改革”の実施となる。年間の時間外労働に規制を加えると言っても、720時間に規制すると言ってもここには休日労働を含めると明記はしていないらしい。6か月の月平均が80時間になるとするが、半年で480時間、1年で960時間。720時間を超えることも許容される可能性が。それ以上に高度プロフェッショナル制度では年間104日休ませれば時間外労働も含めて労働時間は青天井になりかね医師、1075万という年収も引き下げる要求が出ている。
・社会保証の伸び抑制
2019年から3年間で社会保障の伸びを1.5兆円おさえると言われている。抑制の中身は多岐にわたる。
・年金制度改革
年金の支給額は伸びない中で食品やエネルギーの値上がり(これは政府や日銀の物価上昇には含まれない)という円安誘導による悪性の物価高を考えれば実質的な支給額は減少する。物価スライド制も調整率で減らされる。そして年金支給年齢の引き上げが今後検討されるでしょう。しかし年金支給も改善されない中で、年金を負担する側も2019年から2020年に向けて大幅な負担率となる懸念が出ている。パート労働者の厚生年金加入。
・参議院選挙と憲法改悪
2019年は参議院選挙がありますが、結果次第では改憲の動きが活発化して早まるでしょう。
2019年は国民にとってさらに生活苦が襲ってくるのかもしれません

【2019年】ツイッターつぶやき
オクラを買っておいて忘れていたので急いで使いました。
どうやって食おうか考えたのですが、同じく少しだけ大根が残っていたのでオクラを大根おろしで和えてみようかと思いました。
オクラは塩でさっともんでよく洗います。塩を入れた沸騰したお湯にさっとくぐらせて冷水へ。
細く輪切りにしてそこに少量の大根おろしと鰹節を入れて和えます。
器に盛り付けたら七海唐辛子を振ります。
食べるときにポン酢をかけて。。。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
「鳥貴族のメニューは基本的に298円(税込=327円)。「イート」で夕食を予約・来店すると、1000円分のポイントが付与されるから、差し引き673円分の「儲け」が出ることになる。」
ー弁護士ドットコムー
やはりバカげたことが起きましたね。
これに対して農水省は問題はないと。。。。。。
店に足を運んでもらうことが目的?
でも、金(ポイント)を稼ぐことが目的でしょう。
一方、KYODO通信によると、コロナ解雇が6万人を超えて製造・飲食で1万人が解雇されているそうです。
皆が錬金術に走っているわけではないですが、農水省公認で税金を錬金術師に分配する一方で働いている人にはGo Toの恩恵がない。
こんなバカげたコロナ対策は経済政策でもない。

【2021年】ツイッターつぶやき
岸田内閣発足によるご祝儀相場はなかった。それは内閣支持率にも現れたし、株価にも現れている。
株価を見ると9月半ばには3万円を超えたが20日程度で1万7千円ほどに急落した。
ご祝儀相場なんてものではなくて株価は急落をしている。もちろん菅内閣の延長千住(?)の急落もありますがご祝儀相場も現れなかった。
9月半ばと言えば東京との新規感染者数の減少傾向がはっきりしてきた時期でもありその後減少が続き経済活動も再開も言い出されていた時期だと思いますが、コロナの感染の縮小でも株価は下落したことになる。
自民党総裁選の中でも経済政策については新しい考え方は明確にならず、岸田総理も就任後新しい資本主義という抽象的な言葉しか発していない。結局は安倍、菅から引きつつ井田引き継いだ低迷した経済の継続にしか見えないのではないか?新しい資本主義の中にはたしか国民所得を上げるというものがあったが、具体的なものは何もないし、この所得を上げるという中身に疑心暗鬼になる投資家もいるのかもしれない。抽象的なところに期待は生まれない。

【2022年】ツイッターつぶやき
ウクライナの旧4州がロシアに併合された。
4週4州では住民投票が行われた会賛成票によって決定され、これを受けてロシアは法的な処置をすべて終わった。
宇蔵内ウクライナは4州を取り戻すために軍を派遣し一部の集落を取り戻そうとしている。
このすべてに対して反発する国もあれば批判しない国も出ている。
軍事的行動による結果だとするもNATO(アメリカ)の介入によりウクライナの極右勢力が勢いづいたことと、反ファシズムとしてもロシアの言い分とがぶつかった。ウクライナの内政についてはいろいろな角度から分析されている。
結果としては、ロシアによるウクライナへの軍事行動という批判があったが、今後は4州に進行するウクライナに対してロシアの軍事行動はロシアの防衛ということになっていくでしょう。
ウクライナへアメリカやヨーロッパ、北欧が軍事支援する国際的な見方も変わるでしょう。
ロシアの軍事行動は中身の質が変わる。そして軍事行動もこれまでと違う方向に行くのか、4州でとどまるのか。
ヨーロッパではロシアへの経済制裁が見直される変化が出はじめている。ウクライナ批判もくすぶるでしょう。
アメリカの行動が疑問視される。

【2023年】ツイッターつぶやき
埼玉県で子供に対する虐待防止の条例が改悪されそうです。
小学校3年以下の子供同士で公園で遊ばせてはいけない。
登下校もさせてはいけない。
子どもを残してゴミ出しに行くのはグレーゾーン。買い物に行ってはいけない。
家庭生活を全く無視をした条例です。方親世帯はどうすればいいのか。
学校から学童までどうするのか、帰りはどうするのか。
これは虐待防止条例ですから、当然親には重い罰則があるし、下手をすれば子供を取り上げられるかもしれない。
現在自民党内では「家庭基本法」が討議されているそうですが、母親が仮定に入り子育てを行うべきという超保守的なものが考えられていますが、今回の埼玉県の条例改悪は「家庭基本法」の先取りなのでしょう。
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