【2023年】ツイッターつぶやき
以前にもこのブログでラーメン1000円時代になったと書きましたが、ラーメン屋さんにとってはこの1000円が壁になっているそうです。僕が時々行くラーメン屋さんはチェーン店ですから少しは安いですが、トッピングを贅沢すれば1000円以上です。行列ができるラーメン屋さんも強気で1000円のようですが、普通の街中のラーメン屋さんには1000円が壁になっている。食材が値上がりしていますから値上げして1000円にしたいところですが、客からすれば1000円は高い。ラーメン屋さんにとっても客にとっても1000円は壁です。気楽な食べ物というラーメンの存在がなくなっていきますから客も離れていく。ラーメン店も店じまいの時代に。この現象はラーメンに限ったことではなく、あらゆる商品に言えることでしょう。値上げをしたくてもできない企業がつぶれていく。悪性の物価高ですから消費者の懐も寒いです。去年あたりは物価が上がることはよいことだなどという政治家もいましたが、悪性の物価高ですから必ずデフレ作用が働く。1000円のラーメンは食えないというのもデフレ作用の一つです。そういえば、先日の旅行の宿は、値段は今までと違いはないのですが、夕食の天婦羅が海老などの天婦羅は出ないで質素な揚げ物になっていました。値上げはできないので食事などの中身を落とす。。。。。
≪過去の記事≫
【2003年】
あるサイトで吉本ばななさんの日記が出版されたと知り買ってみました。たぶん吉本バナナ公式サイトにある日記ページを本としたものだと思います。時々読んでいたのですが、最途サイト上ではゆっくりとすべて読むというわけにはいかないので本が出版されたことはうれしいです。
日記そのものももちろん読んでみたいのですが、日記の中には夏生さんのことも書いているところがありますのでそれも楽しみです。
夏生さんが日記「つれづれノート」を出版し、本格的に毎年出すようになったのは2巻からで、ちょうど結婚をしてから出産する前の頃からです。
吉本ばななさんの日記も、子供ができた頃に始まるようです。
同じような状況下でのお二人に日記、読み比べるのも楽しいのではないでしょうか。それぞれ個性的な方ですからね。。。。。。
今日、群ようこさんの「挑む女」を読み終わりましたので早速読んでみたいと思います。同時進行で、夏生さんの詩集「あのそらは夏の中」を読み、ホームページのほうへまとめていきたいと思います。
夏生さんの詩集も、まとめるまでには3回ほど読み返します。少し時間がかかるのですが楽しく作業をしています。
しかし。。。。。すべての作品をまとめるには何年かかることやら・・・・・ハハハ
【2004年】
「大根は殿様に剥かせろ」という言葉を聞いたことがある。
大根の皮は厚く剥いたほうが美味いので、いつも贅沢な暮らしをしている殿様は惜しげもなく大根の皮を剥くからでしょう。
こういうある種の作業に付随する格言というのはおもしろいです。ユーモラスですよね。さまざまな職種の職人さんにはこういう昔からの格言が残っているのかもしれない。集めたらおもしろいと思います。
しかしよく聞く「秋茄子は嫁に食わすな」という格言がありますが、秋はあまりにも茄子おいしいのでもったいないから嫁には食わせないというような姑の意地悪というイメージがあったりします。一方では茄子は体が冷えるからだったか、妊娠中の嫁には食わすなという格言だったという説もあります。こうなると姑の意地悪ではない。。。。
人の言葉も取り様によっては、いろいろととりようがあるものです。
【2005年】
木曜日に解禁となったボジョレーヌーボーって何ぞや?
買い物に行ったら、ボジョレーヌーボーと言ってワインを売っていた。「いくらぐらいするんだろ?」と思い見に行ったら、2000円以下のものもあった。ちょうど焼酎がなくなっていたので、久しぶりにワインにしようと思い手に取った。しかしラベルを見たら「酸化防止剤」
輸入元会社は日本?フランスのワインをビンで輸入したとすると、フランスの有名なワインも酸化防止剤が入っているのかとどんよりしてしまった。さっそく「ボジョレーヌーボー 酸化防止剤」で検索をしたら、酸化防止剤の入っていないヌーボーもあるらしい。
ボジョレーヌーボーにもいろいろある?
たしかに高いワインから安いのまでたくさんあるのだろうが。。。。?
もしかしてフランスのボジョレー地方のジュースを使って発酵させればボジョレーヌーボー?
なんだかわけがわからなくなった。
一応買わないで帰った。
ワイン1本でもいろいろと勉強しなくてはわからないもんです。
欠陥マンションすごいですなぁ。。。
究極の経費削減。
1級建築士と言ったか、そんな一人の人間の行為でこんなマンションが売ることができるというのもすごい。銀行に派遣されている派遣社員の女性が10億円だったかを騙し取った事件もたった一人の女性の行為からだった。
いろいろと社会は複雑だが、社会のシステムが狂っているのか?
今夜は暖かいモツ鍋でした。
【2006年】
(記事なし)
【2007年】
「女性の品格」 坂東 眞理子 著
以下ブログの「今読んでいる本」のコメントに書いた読書中の感想と少し付け足して感想に代えたいと思います。
なんか、これ以上書きようがないです。
「品格ある国家は品格ある個人が前提」
でも個人は弱い存在でそうは強くない。
だから教育や学習、指導や矯正、信仰が必要。
。。。。。う~ん?
たしかに国家は人が作り出したものだから、品格ある個人が品格ある国家をつくるという事でしょうが、同時に、一度国家というものが出来てそのシステムで動き始めると、その国家が必要とするような人間を作り出し、そのような人間が品格ある個人ともなる。
上の人とか人間という言葉を「女性」に置き換えても同じである。以下も同じ。
ところが、個人は弱いので悪い事もすればある特定の個人の利益を優先した国家システムをつくろうとする。ここに完全なる品格ある国家はない。完全な品格ある国家でない国家がそのシステムを維持しようとして作り出す人間もまた品格ある人間とはいえない。
女性の品格というのは、普遍性の中にもあると同時に、その社会が必要とする女性でもあるのである。
ですから、このような著書を読む場合に気をつけなければならないものは、人間性一般としての女性の品格と、今の社会が求める女性の品格を区別して読まなければならないということです。人間性一般が今の社会でまともに受け止められるのではないのです。
では、著者はあえて女性の品格をどのような視点で見るかといえば、
1、現代女性の行き方、役割が大きく変わり
2、女性も男性の轍を踏んで同じように権力志向・拝金主義になってはならない
3、自分の家族の幸せだけを考えていればよい時代ではない
と、いうことです。
2の品格ある女性は、男女平等論を「奪還論」と名づけた先に読んだ内田さんの「疲れすぎて眠れぬ夜のために」と同じ発想ですね。
1は、人手不足のために女性も職場に進出せよという時代から今は違ってきていますよという事でしょうか?
3は、考えようによっては正しく、考えようによっては惑わされます。
あんがい、今の社会が求める女性の品格ではないでしょうか?
女性と男性とは、肉体的な構造はもちろん違いますし、特に子を生めるのは女性だけです。脳の働き方からして違うという説もあるそうです。
ですから男女平等は難しく考えられます。
もう一つは、社会といったものの中でつくられる女性という性です。これは自然界においての男女間の差異ではなくて人工的な差異として現れます。これがまた男女平等をなおさら難しくしてしまいます。
男女平等を平等と言うなら男と同じように働けと、生理休暇が取りにくいとか母性を無視したものになります。子を産む前後の就労に対するもの、そのための男との格差。逆にまだ男が家庭の中のことがしにくい状況もあり、保育園に子を迎えに行き、個のうれしそうな笑顔を見るという親としてのうれしい権利を男も持たせてもらいにくい。
社会によっての男女間格差を男女間の闘争とするような「奪還論」てき男女平等のねじれた考え方を整理しなければなりませんね。
ですから今の社会の中での女性の品格ではなくて、未来の社会をつくるという中に女性の品格があるわけです。
僕もまだ「まえがき」しか読んでいないのですが、こういった視点で読めば面白いというものです。。。
どちらの家庭にも分厚い「家庭の医学」といったような本の横に、「家庭の便利帳」のようなやはり分厚い本(冠婚葬祭のマナーとか、日常生活に必要な事が簡単に書かれた本)があると思うのですが、「女性の品格」の中身もこんなようなものかな?
ですから「家庭の便利帳」のような本をマスターしないという事かもしれない。それが女性の品格?
もしかしたら、品格とは「型」「形」かも知れない。もちろんこれは必要なんだけど。。。仰々しく品格とまでいわなくても?
品格ある女性作りは難しいですよ!
自分をあまり前に出さないような内面の気品ですかねぇ。。。。
しかし、この社会に生きているうちの品格は、清貧や大和撫子でしょうか?
僕としてはこういう結論やその結論をにおわす事だけというのがどうも。。。
社会的に未来を見つめなければなりませんなぁ。。。
以上、先にも書いたように本を読みながら書いた感想ですので箇条書きのようになりましたが、この本の言おうとしているものは、著者ご自身が「あとがき」にも
「ハウツーものと、生き方や行動規範にかかわるものの両方を盛り込みました。」
とありますし、感想としては以上のものでいいと思います。
上に
「このような著書を読む場合に気をつけなければならないものは、人間性一般としての女性の品格と、今の社会が求める女性の品格を区別して読まなければならないということです。人間性一般が今の社会でまともに受け止められるのではないのです。」
と書きましたが、著者がお書きの「ハウツーもの」が「人間性一般の品格」であり、「生き方や行動規範」が「今の社会が求める女性の品格」という事であります。
ハウツーものには、なるほどという提起がたくさんありました。人と人との社会生活上での関係において大切なものですし、その中にあっての自分という立場をどのように置くかは面白いものがありました。人はいろいろな感情に支配されて生きてしまいますが、常に社会性をもって冷静に対処していかなければなりません。
ただし「ハウツーもの」として、品格ある女性像が描かれるわけですが、それは自然に出なくてはいけないこと(この著書でもこのようなことが強調されていますが)で、本を読んで「これが女の品格」と意識してしまうなら、その時点で品格はなくなるでしょう。
日常生活のうえでのハウツーにおいての品格というのは必要ですが、それは必然的に「生き方や行動規範」すなわち「今の社会が求める女性の品格」といった具合に今ある社会とこの女性との関係が大きくかかわりあいながら生き方や行動規範が出てきます。
今の社会はこうなったのだからそれに従って生きなさいという
1、現代女性の行き方、役割が大きく変わり
2、女性も男性の轍を踏んで同じように権力志向・拝金主義になってはならない
3、自分の家族の幸せだけを考えていればよい時代ではない
この三点に行き着きます。
女性と社会の変化とは特殊な関係があります。
バブル期のようなときは女性も社会へ進出しなさい。管理職にもなれるかも?とおだてられます。その代わり男と同じように働きなさいと。その中で女性の行き方も「結婚をしない女」などというものも出てしまいました。今ではどうでしょう。結婚できたのが勝ち組と変な言葉さえ出ています。今の時代は専業主婦の傾向が強くなり、働くにしても女性の居場所は狭くなっているのではないでしょうか?それは、低賃金のパートや派遣などに回されます。
この著書のような女性への啓蒙書というのは、この社会の変化によって求められる女性の立場をそうは言っても・しかし・・・・・と、その中の心の持ち方という啓蒙にしかならないのです。
本当の女性の品格とは何でしょ?
たしかに今の社会はこうなってしまったのだからそれに適応しながら生きなければなりません。しかし心のもち方として「だけ」満足を(もちろんこれ自体は否定をしませんし、楽しく生きるうえでは大切でもありますが、そればかりで済ま)してしまうような心を売る事が女性の品格ではありません。
社会のシステムに適応するとともに、何故今の自分(女性として)がこういう立場におかれているのかをその社会のシステム自体の変化の中に見つめる事は、自然に社会をどうにかしないとたいへんだという事が出てきます。たしかに考えても急によくなる事はありませんが、しっかりと社会システムがどうなっているのかという視線を常に持つというのが、未来を見つめるというのが本来の女性の品格の一部ではないでしょうか。今はこういう時代だからと流されるばかりの人生。これは女性ばかりにいえることではなくて、男も同じでしょう。
社会の中では、個人の努力や心の持ち方により、より楽しく生きなければなりません。しかしこの個人の力だけではどうする事も出来ない影響を社会から(品格ある社会とはいえない今の社会から)受けざるを得ません。それは、必ず社会的なシステムに矛盾があります。社会は必ず少しづつよくなっていきます。しかしこの未来に逆行する人間も必ずいます。それは個人の品格とかいうのでは片付けられないものです。
今の時代をどう生きるべきかという単なる啓蒙ではなく、社会科学的な視点が必要ではないかと思います。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
柳田法務大臣と仙石官房長官の発言が問題になっている。正直に書けば、たしか死刑執行の判子を押すのは法務大臣ですよね?なんだか判子に重さがなくなったような気がする。このような不注意な発言は自民党政権の中でもあり、当時野党だった民主党も追及したはず。それが入れ替わっただけでスキャンダル国会が繰り返される。
二大政党のぶつかり!これは国民生活に直結する政治闘争なはずですが、スキャンダル国会での二大政党間のぶつかり!!では国民は力が抜けるのではないでしょうか?まぁ、報道されればそれなりに見たり読んだりしますが、すぐに厳しい生活の中に入るのであって国会というのもすぐに頭から離れてしまうでしょう。
もちろんさまざまな政治経済をはじめとした法案が衆議院を通過をして参議院に回ったのですが、なんとなく財界や官僚が描いた政策を二大政党がスキャンダルを話し合っているうちに決めてしまうという政治主導の薄っぺらさが見えるような気がします。
これで解散したりまた選挙では。。。。それは民主主義の形骸化でしょう。日本は政党の自由があり政権交代ができる国という民主主義も形ばかりのもので、どちらが政権をとっても同じで、どちらを選ぶかは国民生活は何も改善されない中でのスキャンダルでは。
【2011年】ツイッターつぶやき
米中首脳会談が行われたらしい。
アジアにおいてその経済力の発展から発言力をつけてきた中国そして経済や政治(軍事)の軸足をアジアに移そうとするアメリカ。経済では互いの力を認めつつ協力すべきはするという形で行われていると思うが、軍事面ではその対立を深めているのか。その軍事には当然アジアをまとめるための経済協力やASEANへの対応などの経済面の強化力(影響力)を互いに高めなければならないということでしょう。
アメリカと中国はこの対立と協力の二つの側面を互いに見ながら大人の関係として首脳会談を行う関係を保っている。アメリカや中国の批判というのはそれぞれにあるだろうが、互いに首脳級の話し合いをすぐに持つ率直性はやはり経済でも政治でも独自の主張を持つからだろう。
日本は対米関係にわずかな亀裂が生じたがすぐに昔のようなアメリカ依存ともいえるもの(TPPもそうだが)に逆戻りをした。アメリカへの依存が見えればアメリカも日本を大切にすることはなくなる(この大切なこととはアジアの軍事的拠点であるというものはあるが)。中国とは一時首脳級の階段を持てずに会うことすらままならぬ状況が続いていた。中国からも日本の金や投資以外はそうは大切なものを求めてはいない。両国が日本に求めているのは経済的な大国としての経済の軸足ぐらいだろう。
米中の首脳会談。。。。このような階段をすぐに持てる関係が日本にはアメリカにも中国にもあるのか?ASEANにも。。。
もう中国はもちろんだがASEANにも手土産としての援助金を持って行けば歓迎されるという時代は終わったのではないか?政治的には。
この中で軍事的な対中国への対抗ばかりが先行し始める。政治的には。
もちろん日本企業としては政治抜きのビジネスですから中国やASEANは歓迎をするのはもちろんです。
日本も政治的な発言力を高めないとだめですなぁ。。。。そういうとすぐに軍事的なものを考えて先のような演習をする。そういうことではないと思うのです。日本がアメリカから離れた独自の論理を中国やASEANは待っているのではないでしょうか?日本は政治経済の面でアメリカとぶつかるならぶつかり、中国ともぶつかってもよいと思うのです。しかし上に書いたような首脳級の階段をすぐに持てる互いの関係が必要なわけです。独自の論理のないところに首脳級会談はありえないでしょう(儀礼的なものは別として)。上にも書きましたがこの独自性を軍事面や領土問題だけに絞ってはいけないことはもちろんです。
民主党税制調査会が自動車取得税と同重量税の廃止を提案したようです。
復興のための所得税の増税や社会保障のための消費増税が言われている中、減税ともいえるこの2税の廃止はある意味歓迎すべきものがあると思うのですが、どうもその減税の理由が自動車などの業界支援という位置づけのようです。
減税をするという面とこの減税理由、そして復興や社会保険のための増税。。。。どこかちぐはぐさを感じます。被災地の方への復興支援や社会保障の再構築は増税で行い、企業の支援のためには減税を行う。この構図にちぐはぐさを感じるのでしょう。
1兆円近い減税の財源はと言えばはっきりしませんが、地方税収の減については国の補助金で行うという。結局は国の支出を増やしながらの減税ですから国の財源に大きな打撃があるわけです。これをどう埋めるのか?間接的には復興財源や社会保障のための増税にもかかわってきます。1兆円の減税をするなら社会保障の増税幅をあるいは復興財源の増税幅を1兆円減らせるわけです。ましてや一時は煙草税の理不尽な増税まで言われていたわけです。
たしかに車検の時に重量税がなくなればうれしい面がありますが、そういう問題ではないでしょう。消費増税を考えれば。
【2012年】ツイッターつぶやき
民主、自民・公明の二大政党制に対する第三極としての位置づけが太陽の党と維新の会が合同した新たな維新の会を置くことが多くのマスコミによって当たり前のように報道されている。たしかに維新の会が今回の総選挙で議席数を伸ばす可能性はありますが、現在の議席数としてはそうは大きな政党ではありません。
どのような位置づけで第三極としているのでしょうか?
自民党化した民主党での二大政党制はその存在意義もなくなって民自公という枠組みになってきている。そこにまた保守色の強い維新の会が出てきてこれが第三極と呼ばれるのですが、結局は保守の枠組みの再編といったところでしょうか。
しかしこの第三極というのはどのように定義をしながら選挙の争点を明らかにするのでしょうか?
脱原発というものを見た場合、民主党は一応「脱原発依存」を言いますがこれはこの間の野田政権の行ったことを見ると脱原発の方向性とは感じられません。取りようによっては原発依存を少なくするといったような方向性とも見えます。自民党はすでに原発の再稼働を言い、維新の会も脱原発から後退した。
こう見ると脱原発という面では民自(公)プラス維新の会という保守層はそうは変わりがない。一方では脱原発を言う政党は多く存在をする。維新の会が今後どのような形で国会名で動くかはわかりませんが、仮に脱原発でも民主党対自民・公明・維新という二大勢力になればここに第三極は存在をしない。第三局は今脱原発を言っている政党という事になります。これはほかTPPや消費増税などなど保守的な政策も同じようになるでしょう。
すると、政策面から見た真の第三局は維新の会ではないという事になり、脱原発も国民を二分するものでしたが脱原発として見た場合も国民の声は二大政党と維新では語れないでしょう。現在の脱原発を言う政党が第三極なのです。
このような国民の声から見た政策の違いからの第三極を見なければならないでしょう。
【2013年】ツイッターつぶやき
北海道に行ってきました。
目的の一つは日帰り温泉の豊平峡温泉です。
札幌の近くによい温泉はないかと検索していたら出てきたのがこの温泉でした。
札幌駅からバスで1時間は程、定山渓温泉の少し先にあります。1日1往復送迎バスが走っています。札幌発は9時ぐらいで帰りは3時少し過ぎだったかな。路線バスも1時間に1本走っています。820円。。。。
そうは深い山ではありませんが山の中の一軒家の温泉です。バスが着くと川のようなところから湯気が見えてその横に古びた木造の建物がありました。見た目は良いとは言えませんが中に入ると木造の落ち着いた雰囲気で和みます。休憩をするところもいくつか部屋がありゆっくりとできます。入浴と昼食セットで1500円。
さて、温泉ですが、内湯と露天風呂があります。もちろん源泉かけ流し。
内湯も湯船が3つあり42度の熱い湯とぬるい湯とに分かれていますから好みで入浴できます。湯船は石を組んだもので、3つの湯船からお湯が常にあふれています。湯船の感じとして昔は露店だったものに上屋をかけたのではないかと思うような作りでした。洗い場の石の床はお湯が常に流れていて温泉の成分でその床石が棚田のように見える(上記リンクページの画面下の写真)ように溶けてごつごつしていました。歴史を感じます。洗い場などはそうはきれいではないのですがそれがまた風情を感じます。
露天風呂も2つありやはり熱い湯とぬるめの湯があります。内湯では気付かなかったのですが、お湯は赤みを帯びた少し白く濁ったような湯でした。錆のような匂いかな。、かすかに硫黄の香りがします。泉質がいいですね。。。。。
寒かったですがよく温まるお湯ですから出て腰かけたりまた入ったりと1時間ぐらい楽しめました。
周りにはほかに家がないので露天風呂も野趣満点。お昼はネットの噂にもあるカレーを食べました。
食堂ではインドの方と思うのですが3人ほどでカレーを作っていました。入浴とセットのカレーは野菜(この日は茄子)カレーとチキンのカレーの2種類が出てきました。もちろんナン付です。たしかにおいしいカレーです。温泉の食堂と言えば蕎麦とかうどんですが本格カレーというのもいいですなぁ。。。一緒に山ブドウのようなブルーベリーのような色をしたジュースを飲みました。こちらの温泉でご自分の畑で育てたものだそうです。これもおすすめ。
路線バスの発車まで少し時間がありましたのでまた露天風呂に入ってバスに乗り込みました。バスは揺れながら山を下りる。。。。僕はその揺れに添われて寝てしまった。
【2014年】ツイッターつぶやき
昨日も書きましたが、今回行われようとしている解散総選挙はどう見てもおかしな選挙です。
初めは消費増税10%が争点かと思わされました。しかし中身を見ると予定通り行うか1年半先延ばしにするかという与党内のごたごた自体から先延ばしになりこの先延ばしが争点となっている。しかしまたよく中身を見れば1年半先延ばしも消費増税の景気条項を廃棄して必ず行うということが出てきた。争点は増税先延ばしを国民が理解してくれるかを問う選挙と表面上はなっていますが、実は先延ばしの後には必ず増税をしますといったものが隠されている。ネット上でもすでに先延ばしを賛成か反対かという設問でのアンケートもある。誰でもが賛成と国民は思うでしょう。すると自民党案が容認されたことになり、それが得票にもつながる可能性がある。
以前にもこのブログでラーメン1000円時代になったと書きましたが、ラーメン屋さんにとってはこの1000円が壁になっているそうです。僕が時々行くラーメン屋さんはチェーン店ですから少しは安いですが、トッピングを贅沢すれば1000円以上です。行列ができるラーメン屋さんも強気で1000円のようですが、普通の街中のラーメン屋さんには1000円が壁になっている。食材が値上がりしていますから値上げして1000円にしたいところですが、客からすれば1000円は高い。ラーメン屋さんにとっても客にとっても1000円は壁です。気楽な食べ物というラーメンの存在がなくなっていきますから客も離れていく。ラーメン店も店じまいの時代に。この現象はラーメンに限ったことではなく、あらゆる商品に言えることでしょう。値上げをしたくてもできない企業がつぶれていく。悪性の物価高ですから消費者の懐も寒いです。去年あたりは物価が上がることはよいことだなどという政治家もいましたが、悪性の物価高ですから必ずデフレ作用が働く。1000円のラーメンは食えないというのもデフレ作用の一つです。そういえば、先日の旅行の宿は、値段は今までと違いはないのですが、夕食の天婦羅が海老などの天婦羅は出ないで質素な揚げ物になっていました。値上げはできないので食事などの中身を落とす。。。。。
≪過去の記事≫
【2003年】
あるサイトで吉本ばななさんの日記が出版されたと知り買ってみました。たぶん吉本バナナ公式サイトにある日記ページを本としたものだと思います。時々読んでいたのですが、
日記そのものももちろん読んでみたいのですが、日記の中には夏生さんのことも書いているところがありますのでそれも楽しみです。
夏生さんが日記「つれづれノート」を出版し、本格的に毎年出すようになったのは2巻からで、ちょうど結婚をしてから出産する前の頃からです。
吉本ばななさんの日記も、子供ができた頃に始まるようです。
同じような状況下でのお二人に日記、読み比べるのも楽しいのではないでしょうか。それぞれ個性的な方ですからね。。。。。。
今日、群ようこさんの「挑む女」を読み終わりましたので早速読んでみたいと思います。同時進行で、夏生さんの詩集「あのそらは夏の中」を読み、ホームページのほうへまとめていきたいと思います。
夏生さんの詩集も、まとめるまでには3回ほど読み返します。少し時間がかかるのですが楽しく作業をしています。
しかし。。。。。すべての作品をまとめるには何年かかることやら・・・・・ハハハ
【2004年】
「大根は殿様に剥かせろ」という言葉を聞いたことがある。
大根の皮は厚く剥いたほうが美味いので、いつも贅沢な暮らしをしている殿様は惜しげもなく大根の皮を剥くからでしょう。
こういうある種の作業に付随する格言というのはおもしろいです。ユーモラスですよね。さまざまな職種の職人さんにはこういう昔からの格言が残っているのかもしれない。集めたらおもしろいと思います。
しかしよく聞く「秋茄子は嫁に食わすな」という格言がありますが、秋はあまりにも茄子おいしいのでもったいないから嫁には食わせないというような姑の意地悪というイメージがあったりします。一方では茄子は体が冷えるからだったか、妊娠中の嫁には食わすなという格言だったという説もあります。こうなると姑の意地悪ではない。。。。
人の言葉も取り様によっては、いろいろととりようがあるものです。
【2005年】
木曜日に解禁となったボジョレーヌーボーって何ぞや?
買い物に行ったら、ボジョレーヌーボーと言ってワインを売っていた。「いくらぐらいするんだろ?」と思い見に行ったら、2000円以下のものもあった。ちょうど焼酎がなくなっていたので、久しぶりにワインにしようと思い手に取った。しかしラベルを見たら「酸化防止剤」
輸入元会社は日本?フランスのワインをビンで輸入したとすると、フランスの有名なワインも酸化防止剤が入っているのかとどんよりしてしまった。さっそく「ボジョレーヌーボー 酸化防止剤」で検索をしたら、酸化防止剤の入っていないヌーボーもあるらしい。
ボジョレーヌーボーにもいろいろある?
たしかに高いワインから安いのまでたくさんあるのだろうが。。。。?
もしかしてフランスのボジョレー地方のジュースを使って発酵させればボジョレーヌーボー?
なんだかわけがわからなくなった。
一応買わないで帰った。
ワイン1本でもいろいろと勉強しなくてはわからないもんです。
欠陥マンションすごいですなぁ。。。
究極の経費削減。
1級建築士と言ったか、そんな一人の人間の行為でこんなマンションが売ることができるというのもすごい。銀行に派遣されている派遣社員の女性が10億円だったかを騙し取った事件もたった一人の女性の行為からだった。
いろいろと社会は複雑だが、社会のシステムが狂っているのか?
今夜は暖かいモツ鍋でした。
【2006年】
(記事なし)
【2007年】
「女性の品格」 坂東 眞理子 著
以下ブログの「今読んでいる本」のコメントに書いた読書中の感想と少し付け足して感想に代えたいと思います。
なんか、これ以上書きようがないです。
「品格ある国家は品格ある個人が前提」
でも個人は弱い存在でそうは強くない。
だから教育や学習、指導や矯正、信仰が必要。
。。。。。う~ん?
たしかに国家は人が作り出したものだから、品格ある個人が品格ある国家をつくるという事でしょうが、同時に、一度国家というものが出来てそのシステムで動き始めると、その国家が必要とするような人間を作り出し、そのような人間が品格ある個人ともなる。
上の人とか人間という言葉を「女性」に置き換えても同じである。以下も同じ。
ところが、個人は弱いので悪い事もすればある特定の個人の利益を優先した国家システムをつくろうとする。ここに完全なる品格ある国家はない。完全な品格ある国家でない国家がそのシステムを維持しようとして作り出す人間もまた品格ある人間とはいえない。
女性の品格というのは、普遍性の中にもあると同時に、その社会が必要とする女性でもあるのである。
ですから、このような著書を読む場合に気をつけなければならないものは、人間性一般としての女性の品格と、今の社会が求める女性の品格を区別して読まなければならないということです。人間性一般が今の社会でまともに受け止められるのではないのです。
では、著者はあえて女性の品格をどのような視点で見るかといえば、
1、現代女性の行き方、役割が大きく変わり
2、女性も男性の轍を踏んで同じように権力志向・拝金主義になってはならない
3、自分の家族の幸せだけを考えていればよい時代ではない
と、いうことです。
2の品格ある女性は、男女平等論を「奪還論」と名づけた先に読んだ内田さんの「疲れすぎて眠れぬ夜のために」と同じ発想ですね。
1は、人手不足のために女性も職場に進出せよという時代から今は違ってきていますよという事でしょうか?
3は、考えようによっては正しく、考えようによっては惑わされます。
あんがい、今の社会が求める女性の品格ではないでしょうか?
女性と男性とは、肉体的な構造はもちろん違いますし、特に子を生めるのは女性だけです。脳の働き方からして違うという説もあるそうです。
ですから男女平等は難しく考えられます。
もう一つは、社会といったものの中でつくられる女性という性です。これは自然界においての男女間の差異ではなくて人工的な差異として現れます。これがまた男女平等をなおさら難しくしてしまいます。
男女平等を平等と言うなら男と同じように働けと、生理休暇が取りにくいとか母性を無視したものになります。子を産む前後の就労に対するもの、そのための男との格差。逆にまだ男が家庭の中のことがしにくい状況もあり、保育園に子を迎えに行き、個のうれしそうな笑顔を見るという親としてのうれしい権利を男も持たせてもらいにくい。
社会によっての男女間格差を男女間の闘争とするような「奪還論」てき男女平等のねじれた考え方を整理しなければなりませんね。
ですから今の社会の中での女性の品格ではなくて、未来の社会をつくるという中に女性の品格があるわけです。
僕もまだ「まえがき」しか読んでいないのですが、こういった視点で読めば面白いというものです。。。
どちらの家庭にも分厚い「家庭の医学」といったような本の横に、「家庭の便利帳」のようなやはり分厚い本(冠婚葬祭のマナーとか、日常生活に必要な事が簡単に書かれた本)があると思うのですが、「女性の品格」の中身もこんなようなものかな?
ですから「家庭の便利帳」のような本をマスターしないという事かもしれない。それが女性の品格?
もしかしたら、品格とは「型」「形」かも知れない。もちろんこれは必要なんだけど。。。仰々しく品格とまでいわなくても?
品格ある女性作りは難しいですよ!
自分をあまり前に出さないような内面の気品ですかねぇ。。。。
しかし、この社会に生きているうちの品格は、清貧や大和撫子でしょうか?
僕としてはこういう結論やその結論をにおわす事だけというのがどうも。。。
社会的に未来を見つめなければなりませんなぁ。。。
以上、先にも書いたように本を読みながら書いた感想ですので箇条書きのようになりましたが、この本の言おうとしているものは、著者ご自身が「あとがき」にも
「ハウツーものと、生き方や行動規範にかかわるものの両方を盛り込みました。」
とありますし、感想としては以上のものでいいと思います。
上に
「このような著書を読む場合に気をつけなければならないものは、人間性一般としての女性の品格と、今の社会が求める女性の品格を区別して読まなければならないということです。人間性一般が今の社会でまともに受け止められるのではないのです。」
と書きましたが、著者がお書きの「ハウツーもの」が「人間性一般の品格」であり、「生き方や行動規範」が「今の社会が求める女性の品格」という事であります。
ハウツーものには、なるほどという提起がたくさんありました。人と人との社会生活上での関係において大切なものですし、その中にあっての自分という立場をどのように置くかは面白いものがありました。人はいろいろな感情に支配されて生きてしまいますが、常に社会性をもって冷静に対処していかなければなりません。
ただし「ハウツーもの」として、品格ある女性像が描かれるわけですが、それは自然に出なくてはいけないこと(この著書でもこのようなことが強調されていますが)で、本を読んで「これが女の品格」と意識してしまうなら、その時点で品格はなくなるでしょう。
日常生活のうえでのハウツーにおいての品格というのは必要ですが、それは必然的に「生き方や行動規範」すなわち「今の社会が求める女性の品格」といった具合に今ある社会とこの女性との関係が大きくかかわりあいながら生き方や行動規範が出てきます。
今の社会はこうなったのだからそれに従って生きなさいという
1、現代女性の行き方、役割が大きく変わり
2、女性も男性の轍を踏んで同じように権力志向・拝金主義になってはならない
3、自分の家族の幸せだけを考えていればよい時代ではない
この三点に行き着きます。
女性と社会の変化とは特殊な関係があります。
バブル期のようなときは女性も社会へ進出しなさい。管理職にもなれるかも?とおだてられます。その代わり男と同じように働きなさいと。その中で女性の行き方も「結婚をしない女」などというものも出てしまいました。今ではどうでしょう。結婚できたのが勝ち組と変な言葉さえ出ています。今の時代は専業主婦の傾向が強くなり、働くにしても女性の居場所は狭くなっているのではないでしょうか?それは、低賃金のパートや派遣などに回されます。
この著書のような女性への啓蒙書というのは、この社会の変化によって求められる女性の立場をそうは言っても・しかし・・・・・と、その中の心の持ち方という啓蒙にしかならないのです。
本当の女性の品格とは何でしょ?
たしかに今の社会はこうなってしまったのだからそれに適応しながら生きなければなりません。しかし心のもち方として「だけ」満足を(もちろんこれ自体は否定をしませんし、楽しく生きるうえでは大切でもありますが、そればかりで済ま)してしまうような心を売る事が女性の品格ではありません。
社会のシステムに適応するとともに、何故今の自分(女性として)がこういう立場におかれているのかをその社会のシステム自体の変化の中に見つめる事は、自然に社会をどうにかしないとたいへんだという事が出てきます。たしかに考えても急によくなる事はありませんが、しっかりと社会システムがどうなっているのかという視線を常に持つというのが、未来を見つめるというのが本来の女性の品格の一部ではないでしょうか。今はこういう時代だからと流されるばかりの人生。これは女性ばかりにいえることではなくて、男も同じでしょう。
社会の中では、個人の努力や心の持ち方により、より楽しく生きなければなりません。しかしこの個人の力だけではどうする事も出来ない影響を社会から(品格ある社会とはいえない今の社会から)受けざるを得ません。それは、必ず社会的なシステムに矛盾があります。社会は必ず少しづつよくなっていきます。しかしこの未来に逆行する人間も必ずいます。それは個人の品格とかいうのでは片付けられないものです。
今の時代をどう生きるべきかという単なる啓蒙ではなく、社会科学的な視点が必要ではないかと思います。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
柳田法務大臣と仙石官房長官の発言が問題になっている。正直に書けば、たしか死刑執行の判子を押すのは法務大臣ですよね?なんだか判子に重さがなくなったような気がする。このような不注意な発言は自民党政権の中でもあり、当時野党だった民主党も追及したはず。それが入れ替わっただけでスキャンダル国会が繰り返される。
二大政党のぶつかり!これは国民生活に直結する政治闘争なはずですが、スキャンダル国会での二大政党間のぶつかり!!では国民は力が抜けるのではないでしょうか?まぁ、報道されればそれなりに見たり読んだりしますが、すぐに厳しい生活の中に入るのであって国会というのもすぐに頭から離れてしまうでしょう。
もちろんさまざまな政治経済をはじめとした法案が衆議院を通過をして参議院に回ったのですが、なんとなく財界や官僚が描いた政策を二大政党がスキャンダルを話し合っているうちに決めてしまうという政治主導の薄っぺらさが見えるような気がします。
これで解散したりまた選挙では。。。。それは民主主義の形骸化でしょう。日本は政党の自由があり政権交代ができる国という民主主義も形ばかりのもので、どちらが政権をとっても同じで、どちらを選ぶかは国民生活は何も改善されない中でのスキャンダルでは。
【2011年】ツイッターつぶやき
米中首脳会談が行われたらしい。
アジアにおいてその経済力の発展から発言力をつけてきた中国そして経済や政治(軍事)の軸足をアジアに移そうとするアメリカ。経済では互いの力を認めつつ協力すべきはするという形で行われていると思うが、軍事面ではその対立を深めているのか。その軍事には当然アジアをまとめるための経済協力やASEANへの対応などの経済面の強化力(影響力)を互いに高めなければならないということでしょう。
アメリカと中国はこの対立と協力の二つの側面を互いに見ながら大人の関係として首脳会談を行う関係を保っている。アメリカや中国の批判というのはそれぞれにあるだろうが、互いに首脳級の話し合いをすぐに持つ率直性はやはり経済でも政治でも独自の主張を持つからだろう。
日本は対米関係にわずかな亀裂が生じたがすぐに昔のようなアメリカ依存ともいえるもの(TPPもそうだが)に逆戻りをした。アメリカへの依存が見えればアメリカも日本を大切にすることはなくなる(この大切なこととはアジアの軍事的拠点であるというものはあるが)。中国とは一時首脳級の階段を持てずに会うことすらままならぬ状況が続いていた。中国からも日本の金や投資以外はそうは大切なものを求めてはいない。両国が日本に求めているのは経済的な大国としての経済の軸足ぐらいだろう。
米中の首脳会談。。。。このような階段をすぐに持てる関係が日本にはアメリカにも中国にもあるのか?ASEANにも。。。
もう中国はもちろんだがASEANにも手土産としての援助金を持って行けば歓迎されるという時代は終わったのではないか?政治的には。
この中で軍事的な対中国への対抗ばかりが先行し始める。政治的には。
もちろん日本企業としては政治抜きのビジネスですから中国やASEANは歓迎をするのはもちろんです。
日本も政治的な発言力を高めないとだめですなぁ。。。。そういうとすぐに軍事的なものを考えて先のような演習をする。そういうことではないと思うのです。日本がアメリカから離れた独自の論理を中国やASEANは待っているのではないでしょうか?日本は政治経済の面でアメリカとぶつかるならぶつかり、中国ともぶつかってもよいと思うのです。しかし上に書いたような首脳級の階段をすぐに持てる互いの関係が必要なわけです。独自の論理のないところに首脳級会談はありえないでしょう(儀礼的なものは別として)。上にも書きましたがこの独自性を軍事面や領土問題だけに絞ってはいけないことはもちろんです。
民主党税制調査会が自動車取得税と同重量税の廃止を提案したようです。
復興のための所得税の増税や社会保障のための消費増税が言われている中、減税ともいえるこの2税の廃止はある意味歓迎すべきものがあると思うのですが、どうもその減税の理由が自動車などの業界支援という位置づけのようです。
減税をするという面とこの減税理由、そして復興や社会保険のための増税。。。。どこかちぐはぐさを感じます。被災地の方への復興支援や社会保障の再構築は増税で行い、企業の支援のためには減税を行う。この構図にちぐはぐさを感じるのでしょう。
1兆円近い減税の財源はと言えばはっきりしませんが、地方税収の減については国の補助金で行うという。結局は国の支出を増やしながらの減税ですから国の財源に大きな打撃があるわけです。これをどう埋めるのか?間接的には復興財源や社会保障のための増税にもかかわってきます。1兆円の減税をするなら社会保障の増税幅をあるいは復興財源の増税幅を1兆円減らせるわけです。ましてや一時は煙草税の理不尽な増税まで言われていたわけです。
たしかに車検の時に重量税がなくなればうれしい面がありますが、そういう問題ではないでしょう。消費増税を考えれば。
【2012年】ツイッターつぶやき
民主、自民・公明の二大政党制に対する第三極としての位置づけが太陽の党と維新の会が合同した新たな維新の会を置くことが多くのマスコミによって当たり前のように報道されている。たしかに維新の会が今回の総選挙で議席数を伸ばす可能性はありますが、現在の議席数としてはそうは大きな政党ではありません。
どのような位置づけで第三極としているのでしょうか?
自民党化した民主党での二大政党制はその存在意義もなくなって民自公という枠組みになってきている。そこにまた保守色の強い維新の会が出てきてこれが第三極と呼ばれるのですが、結局は保守の枠組みの再編といったところでしょうか。
しかしこの第三極というのはどのように定義をしながら選挙の争点を明らかにするのでしょうか?
脱原発というものを見た場合、民主党は一応「脱原発依存」を言いますがこれはこの間の野田政権の行ったことを見ると脱原発の方向性とは感じられません。取りようによっては原発依存を少なくするといったような方向性とも見えます。自民党はすでに原発の再稼働を言い、維新の会も脱原発から後退した。
こう見ると脱原発という面では民自(公)プラス維新の会という保守層はそうは変わりがない。一方では脱原発を言う政党は多く存在をする。維新の会が今後どのような形で国会名で動くかはわかりませんが、仮に脱原発でも民主党対自民・公明・維新という二大勢力になればここに第三極は存在をしない。第三局は今脱原発を言っている政党という事になります。これはほかTPPや消費増税などなど保守的な政策も同じようになるでしょう。
すると、政策面から見た真の第三局は維新の会ではないという事になり、脱原発も国民を二分するものでしたが脱原発として見た場合も国民の声は二大政党と維新では語れないでしょう。現在の脱原発を言う政党が第三極なのです。
このような国民の声から見た政策の違いからの第三極を見なければならないでしょう。
【2013年】ツイッターつぶやき
北海道に行ってきました。
目的の一つは日帰り温泉の豊平峡温泉です。
札幌の近くによい温泉はないかと検索していたら出てきたのがこの温泉でした。
札幌駅からバスで1時間は程、定山渓温泉の少し先にあります。1日1往復送迎バスが走っています。札幌発は9時ぐらいで帰りは3時少し過ぎだったかな。路線バスも1時間に1本走っています。820円。。。。
そうは深い山ではありませんが山の中の一軒家の温泉です。バスが着くと川のようなところから湯気が見えてその横に古びた木造の建物がありました。見た目は良いとは言えませんが中に入ると木造の落ち着いた雰囲気で和みます。休憩をするところもいくつか部屋がありゆっくりとできます。入浴と昼食セットで1500円。
さて、温泉ですが、内湯と露天風呂があります。もちろん源泉かけ流し。
内湯も湯船が3つあり42度の熱い湯とぬるい湯とに分かれていますから好みで入浴できます。湯船は石を組んだもので、3つの湯船からお湯が常にあふれています。湯船の感じとして昔は露店だったものに上屋をかけたのではないかと思うような作りでした。洗い場の石の床はお湯が常に流れていて温泉の成分でその床石が棚田のように見える(上記リンクページの画面下の写真)ように溶けてごつごつしていました。歴史を感じます。洗い場などはそうはきれいではないのですがそれがまた風情を感じます。
露天風呂も2つありやはり熱い湯とぬるめの湯があります。内湯では気付かなかったのですが、お湯は赤みを帯びた少し白く濁ったような湯でした。錆のような匂いかな。、かすかに硫黄の香りがします。泉質がいいですね。。。。。
寒かったですがよく温まるお湯ですから出て腰かけたりまた入ったりと1時間ぐらい楽しめました。
周りにはほかに家がないので露天風呂も野趣満点。お昼はネットの噂にもあるカレーを食べました。
食堂ではインドの方と思うのですが3人ほどでカレーを作っていました。入浴とセットのカレーは野菜(この日は茄子)カレーとチキンのカレーの2種類が出てきました。もちろんナン付です。たしかにおいしいカレーです。温泉の食堂と言えば蕎麦とかうどんですが本格カレーというのもいいですなぁ。。。一緒に山ブドウのようなブルーベリーのような色をしたジュースを飲みました。こちらの温泉でご自分の畑で育てたものだそうです。これもおすすめ。
路線バスの発車まで少し時間がありましたのでまた露天風呂に入ってバスに乗り込みました。バスは揺れながら山を下りる。。。。僕はその揺れに添われて寝てしまった。
【2014年】ツイッターつぶやき
昨日も書きましたが、今回行われようとしている解散総選挙はどう見てもおかしな選挙です。
初めは消費増税10%が争点かと思わされました。しかし中身を見ると予定通り行うか1年半先延ばしにするかという与党内のごたごた自体から先延ばしになりこの先延ばしが争点となっている。しかしまたよく中身を見れば1年半先延ばしも消費増税の景気条項を廃棄して必ず行うということが出てきた。争点は増税先延ばしを国民が理解してくれるかを問う選挙と表面上はなっていますが、実は先延ばしの後には必ず増税をしますといったものが隠されている。ネット上でもすでに先延ばしを賛成か反対かという設問でのアンケートもある。誰でもが賛成と国民は思うでしょう。すると自民党案が容認されたことになり、それが得票にもつながる可能性がある。
単純に考えれば1年半先延ばしした時点で必ず増税をすることに賛成か反対かなのでして、要するに消費増税10%が賛成か反対かなのです。
これは先延ばしの議論ならば今の国会内においても先延ばし自体全会一致で可決されるでしょう。しかし景気条項を廃棄するといったところでは与野党対立となるはずです。
政府はこれまでのアベノミクスが成功しつつあるとは言っていますが、消費増税で支持率を下げたくない。ある意味経済の混迷に苦し紛れに消費増税を注視するとは口が裂けても言えない。そこで先延ばし論が出て、一方では財界や投資家向けには景気受講の削除をアピールする。
消費増税の争点化はまやかしのものとなっている。
次に争点化したのがアベノミクス自体の評価を国民に問うというものですが、総理は過半数わけをすれば信任をされないという見解です。そのようなことは今の国会情勢からは考えられないことを約束する。そこで過半数を得ればアベノミクスは支持されていると判断する。
秘密保護法や集団的自衛権は争点化する問題ではないとする。
一つひとつの政策の中身ではその支持は過半数を取れないが選挙で過半数を取れば、この政策上過半数の支持を得られないものが支持されたとなる。こんなおかしな選挙なのです。
【2015年】
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2018年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記」が更新されました。
今回はムム・・・・・となるのは「エビのしっぽエビのひげ」ぐらいでした。
のんびりとお友達とリスボンの夜を楽しんでいらしたようです。
でも、楽しんでいたといっても、キッチン付きのアパートスタイルの部屋でお弁当のサンドイッチを作ったり、スタバに入ったり・・・・リスボンで日常を送っていたのかもしれませんね。
もちろんお仕事?もあったのでしょうし観光地や博物館めぐりもしたと憶測するのですが、東京日記には日常が。。。。
そこが川上さんらしいのかな。
【2019年】ツイッターつぶやき
桜を見る会問題での国会審議については、安倍総理は国会が求めれば応じるるとしているが自民党独裁状態ですから自民党が応じなければ予算委員会は開かれない。自民党は自浄能力を失い力の政治で突き進む。公明党はほっかぶりか?
与党は政権運営を行う資格がなくなっている。
しかし安倍政権は明日で最長だという。
自民党が独裁的になり、その自民党内でも阿部独裁になっているわけでそこに自浄能力がなければ政権は長く続く。
昔の自民党ならば、すでに相当早い時期に総裁が変わっていたでしょう。たとえそれが権力争いにしても隙を見せれば政権は維持できなかった。
このような自民党が生まれてしまったきっかけは、小泉政権から始まる抵抗勢力の排除にあるでしょう。その中で自民党内の主だった議員たちがあるときには自民党を離れざるを得なくなった。
ここから決められる政治が民主主義によるものではなくて独裁的な力となった。
日本の腐敗が深化していきました。
【2020年】ツイッターつぶやき
東京などの大都市圏や北海道などで新規感染者数が増加をしている。
東京は感染状況を最高の4にあげたが中身は都民に「6つの小」を呼び掛けるだけ。政府もマスクをしましょう、食事中にもマスクを!!と。
政府はコロナ対策を感染拡大防止と経済対策を同時に行うといってきました。しかし現実はGo Toをはじめ経済対策が独り歩きをして現在の感染拡大に対する具体的な政策は何も取らない。
政府はブレーキを取り外した車のように暴走するだけになっている。
アクセルとブレーキの使い分けとも言われますが、アクセルを踏みっぱなしです。
ではブレーキは誰が?国民が個人的に自粛することに。自粛しない国民はブレーキ無しの車に乗って自己責任においてハンドルを切り裁くしかない。もちろん事故が起きれば自己責任ですし、最近では病院のベッド数も足りなくなるぞといわれはじめている。
【2021年】ツイッターつぶやき
ドイツで感染拡大が急激に進んでいるようです。
アメリカ、イギリス、フランス、イタリアも微妙に拡大傾向でしょうか。
そしてお隣の韓国でも。
世界的にワクチン接種が進んでいますが、この感染拡大傾向はなぜなんでしょ?
ワクチンを接種していない人々の感染なのか、2回の接種では効き目が薄れているからでしょうか。
まだ新たなコロナウイルスの変異のニュースはありませんが、今後出てくるのでしょうか。
この中で中国は今年2月の感染拡大依頼感染者はほぼありません。数人感染者が出ただけで一つの都市全員を検査するというような徹底さがありましたが、やはり検査と隔離しかないのでしょう。
日本も今後どうなるかわかりません。
水際作戦を緩めたりGO Toで人の移動を促すのはまだ早いでしょう。
【2022年】ツイッターつぶやき
年金額は賃上げの状況と物価変動により支給額が変化するようですが、これまで賃金も上がらず日銀の2%目標もずっと「道半ば」とされて支給額は実質的に減少していた。
日銀も2%目標を超えたとする。
物価が上昇したため支給額も増加するらしい。しかい上昇するといっても微々たる額でしょう。
今の悪性の物価高は、スーパーなどで買い物をすれば2%どころの話ではない。食品は10%15%の上昇ですし電気料金も上がり75歳以上の医療費自己負担も2割となるなど負担は増加しています。
するとわずかな年金支給額増があっても今の悪性の物価高には追い付きませんね。
これは年金に限ったことではないことはもちろんで、労働者の賃上げもままならない状態ですから、国民生活全体が落ち込んでいきます。
企業は利益が拡大している。
これを国民に分散しなければならないです。
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