夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「11月 9日という日」

2024年11月09日 08時23分11秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
衆議院選挙の投票に行ってきました。
はがきを渡したとき、名簿をのぞいたらあんまり投票に来ている人がいませんでした。
低投票率かな?・・・・・わが町では・・・・ハハハ
今夜は牡蠣フライでした。
鍋もいいし、卵とじにしてもおいしいですね。でもやはり牡蠣フライが一番です。そういえば今年の初夏の頃、茨城県の那珂湊にある市場に行った時岩ガキが売られていました。その場で剥いて食べさせてくれるのですが、実が大きく味が濃くておいしかったです。でも、泥だらけの貝殻で少し気持ちが悪かったですが。。。。

【2004年】
平年だと木枯らし1号の季節だそうですが、暖かいです。
日中は、Tシャツ1枚の人も見かけました。
とは言え今夜はトン汁。僕の好物です。
こういう季節は、いきなり冷え込みがきつくなるとも聞いたことがあります。風邪等には気をつけたいと思います。
ハムスターのスズの小屋に真綿を入れてやりました。この暖かいにもぐりこんで寝ています。ハムスター用の玉になった真綿なのですが、10個ほど入れてやると、上手にほぐして洞窟のような巣を作ります。本来は土に穴を掘って巣にするようですが、真綿の洞窟も上手く作り出入りしています。
本格的に寒くなったら冬眠しないように気をつけなくてはならないのですが、真綿を入れてやれば大丈夫でしょう。

【2005年】
本田美奈子さんの葬儀のニュースが流れていた。
38歳ですかぁ。。。。
たしかぁ。。。臍出しのアイドル時代があったと記憶しているのですが。
アイドルを卒業して、「ミス・サイゴン」などのミュージカルに出て、歌を練習してくらっシックの歌までたどり着き、やっと自分の道が見えたときだったのでしょうね。
無念だったと思います。ご冥福をお祈りします。
テレビのワイドショウーでもたくさんの訃報が流れますが、こんなに涙涙の報道も少ないのではと思うほどに悲しく報じられていました。本物の歌手を目指していたのでしょう。最近はあまりテレビに出ていなかった女性歌手のインタビューもありました。僕は芸能界に疎いので本田美奈子さんの良さはわからなかったのですが、なんとなく報道を見ていて大切な貴重な歌手がなくなったのかなと思いました。
もしかしたら、来年から僕は病人に指定されるらしい。
その名も「ニコチン依存症」という立派な病名をつけられるかもしれない。
「依存症」と言われると、アルコール中毒のような私生活においても社会生活においても支障をきたすような病名にとらえられるのかも。。。。
冗談じゃない!!
今は嫌煙運動も活発になり、禁煙の場所が多くなっているし、会社の中でも会議中は禁煙が当たり前になり、マナーも厳しくなっている。その中で僕自身もいろいろ考えることがあり、レストランなど様々な場所で我慢をして禁煙と言われれば守っているし、最近は携帯灰皿まで持っている。たしかにニコチン欲しさにタバコを吸っていることもあるが、「依存症」とは言われたくない。増してや病気などとはチャンチャラ可笑しい!
タバコは立派な嗜好品なのである。
私生活にも社会生活にも支障がないにもかかわらず「依存症」という病気にされるなら、酒を飲まずには本音をいえなく、人間関係や仕事がスムーズに行かない酒飲みはみんなアルコール依存症になってしまう。高尚な趣味であるようなワインを毎日飲んでいるワイン愛好家もワイン依存症になってしまう。紅茶依存症、コーヒー依存症。。。人並み異常な嗜好品があるとみんな「依存症」という名の病人にされてしまう。
しこ品でもあるタバコがなぜにここまで差別されなくてはならないのか?病気にさせられてはそれは人権問題である。
それも「依存症」という病気に指定をするというのも医療費抑制だと言う。
そうならば何万人にも及ぶ交通事故での医療費はどうするんだ。
「肺がんをはじめ、心筋梗塞や脳卒中などの生活習慣病を引き起こすとされる喫煙を減らすことで、15年後の医療費は少なくとも約1846億円抑制できると見ている」(朝日新聞)
この記事にあるように喫煙の危険性は、「される」なのであり、肺がんや心筋梗塞、脳卒中の因果関係はタバコだけではないのでは?今の社会的ストレスや酔っ払い天国をどのようになくすのか、アスベスト問題をどのように解決するのか!
肺がんが多いというなら、肺がん死亡者の司法解剖を義務化して予算を立てるべきで、この方がよっぽど社会のためにはよいはずである。タバコなのか、大気汚染なのか、アスベストなのか、様々な要因の複合的なものなのか。そのような科学的なものからタバコ規制はされるべきなのに。
たしかにできるところから改善するという論理はあるが、以前にも書いたが、喫煙という個人的な問題を大きく取り扱うのは簡単であり、しかし、この個人的な問題だけに目を奪われると社会的問題が目に入らなくなってしまう。

【2006年】
天丼を肴に冷酒。。。
今夜は仕事が遅くなり外食かなと思っていたら、妻からメール。。。
仕事が遅くなり出前だったけど、息子の分として天丼をたのんでたけど、息子が食べないそうだからお父さん食べてと。。。ううう
冷たい天丼を肴に酒というのは初めてでした(笑)

【2007年】
風邪ひきのどんよりした頭で感想文を入れました。
内田さんの「疲れすぎて眠れぬ夜のために」の感想なのですが、こういう本は難しいです。さらっと読めば「ハハハ。。。なるほど。面白かった」で終わるのですが、どこか引っかかりはじめるとそれが何かが難しい。
「あんまり自分で立てた原理原則なんかに縛られないで、その場の気分に乗って、気楽に生きましょう。」
こういうのって僕も好きなのですが、1冊の啓蒙書としての本となるとちょっと引っかかる。
感想文には、夏生さんの「あとがき」との関連や夏生さんへの影響という面を書きませんでしたが、ある意味、これまでの夏生さんの生き方とシンクロする部分があるわけでして、、、
でも、なんと言うのか、夏生さんの場合は日常の中にそれがあるわけで、内田さんの場合は、それを社会論的な啓蒙にしたところに日常の例があるわけです。夏生さんのほうが素直さがある。
「銀色ナイフ」をもう一度読まなくてはならないかな?

「疲れすぎて眠れぬ夜のために」 内田 樹  著
2003年角川書店より単行本として発売になった本の文庫版です。
今の世の中でどのように生きるかというような啓蒙書という類は難しいです。今の世の中を肯定しているわけではないし、否定をしている事に間違いはない。しかし全体を通して読者に残るものは、今はこういう時代なのですからこういうふうに適応していかなくてはなりませんよというものに落ち着く。
これは、今の世の中を肯定はせずに否定はするが、こう生きていくしかないという現実主義的な肯定になるという変な弁証法的なものを見る事ができるのではないか?
社会科学書と啓蒙書は、どこか味噌も糞も一緒にした様に区別があいまいです。啓蒙書というのは同じように今の社会の現状を否定しながら書きますが、必ずと言ってよいほど心のもち方に結論が導かれていくものと思います。また、今の社会はこうだけどと否定をするが、まぁ、そうは言ってもその中に暮らすしかないし、心の持ち方一つで違ってきますよという形で今ある社会を消極的に肯定をしてしまうからあまりよくないのです。
社会科学書というのは、今の社会を分析しながら社会のシステムの上から否定をし、そのシステムをどのように切り替えていくかというようなものであると思います。ここでももちろん今の社会で生きざるを得ないものがあり、それを日常の中の例としてみますが、それをどう改善するか改善しなくてはいけないかを問いかけます。これが本来の啓蒙ともいえます。
さて、「疲れすぎて眠れぬ夜のために」ですが、この本のメッセージはどこにあるのかをご自身が次のように書いています。
「あんまり自分で立てた原理原則なんかに縛られないで、その場の気分に乗って、気楽に生きましょう。」
             (262ページ「文庫版あとがき」)
このわかりやすく簡単な文に、僕もやはりこの著書の言いたい事があるのではないかと思います。
たしかに自分の立てた原理原則にがんじがらめになってしまいますと疲れますよねぇ。ノイローゼになり眠れなくなってしまうかもしれません。自分のためと頑張っているのはいいですが、結果としてはぜんぜん自分のためになっていない。眠れぬほど疲れきってしまえば心身のためによくないし、それで病気にでもなったら将来がなくなる。
そこで「ほんらいの利己主義」になりなさいと内田さんは書きます。
自分のためという利己主義で頑張っているのですが、これは目先ばかりを見た利己主義で、体を壊してしまったら何にもなりません。これを今の競争社会という面で見れば、個々ばらばらに人が利己主義を主張して行動すれば、際限のない競争になり、その利己主義はかえってその個々の人間を不幸にする。自分が幸福になりたいからと競争という利己主義に走っているが、それがかえって不幸にするという結果を生むということでしょうか。
そこで内田さんは、ホッブスの名を上げて「ほんらいの利己主義」を書きます。
「ホッブスやロックが近代市民社会論を書いたときに近代の市民に対して『利己的にふるまう』ことを勧めたのは、人々が自分の幸福を利己的に追求すれば、結果的には必ず自分を含む共同体の福利を配慮しなければならなくなる。と考えたからです。利己的な人間は必ず家族や友人の幸福を配慮し、共同体の規範を重んじ、世界の平和を望むはずだ、と考えたのです。だから、個人が利己的に行動して己の利益を最大化するべく努力する事を共同体の基礎にしたのです。」
                   (20ページから21ページ)
これは、人は社会的な動物なのだからほんらいの幸福は社会的なものからしか望めず、ほんらいの利己的であるということはこのような社会をつくる事にあり、その社会の規範の中において幸福にもなれるということであるということになる。
しかし、同時に、これは資本主義社会を産み出す論理でもあり、その社会の市民の役割を問うたという時代性においての論理であり、利己主義的な利潤追求が何をもたらしたかは、今のような疲れすぎて眠れない夜をも作り出したのでのです。
一つの観念的な理想の国家(共同体)を前提にすれば、ここの人間の幸福はその国家の規範のもとに成り立ち、それは本来の意味での利己主義の完成であり、同時にそれは利己主義という観念そのものがなくなります。しかし、利己主義は自由主義でもあり、ホッブスの頃は封建制から資本主義への政治的過渡期であると思いますが、封建制を否定し個人の自由(利己主義)を確立し、そしてそれは、国家の強力な規範にまで高められる中に(資本主義社会の論理の規範の中に)個人の自由(利己主義)は、高次化されなければならないということかもしれません。これはその時代性において進歩的でしたが、この理想は理想でしかなかった。新たな低次元の自由(利己主義)が優先され、「自由国家の理念」だけが言葉としてスローガンとして国家の規範となり、金の(経済の)支配を規範として一般国民に押し付けるものになってしまった。
だから「利己的な人間は必ず家族や友人の幸福を配慮し、共同体の規範を重んじ、世界の平和を望むはずだ」というのは、理想でしかなくなってしまいます。それ以上に「共同体の規範を重んじ」という個人を抜きにした国家主義が台頭する。個人と国家との逆転が生じてきた。もちろん資本主義は「福祉国家」や「国民経済」とかその理想の姿を常に追い求める勢力もあるが、獰猛な「新自由主義」をも生んでおり、それは原始的といってもよい資本主義に戻るものにもなっており、今の社会のさまざまな矛盾を生み出している。
「利己的な人間は必ず家族や友人の幸福を配慮し、共同体の規範を重んじ、世界の平和を望む」ことは、再び個人の利己主義に突きつけられる状態になってきたのです。
この今の状況から内田さんの著書ははじまるのかもしれません。
封建制から資本主義への啓蒙としてのホッブスの哲学が、資本主義から次の時代への移行するためのホッブスの再評価かもしれません。
「あんまり自分で立てた原理原則なんかに縛られないで、その場の気分に乗って、気楽に生きましょう。」
とはいえ、内田さんの中には社会科学性はあるのであり、原理原則はおありでしょう。ですから以上のことからうかがえるのは、「原理原則なんかに縛られないで、その場の気分に乗って、気楽に生きましょう」というのは、今の社会の中においての社会的規範(緩やかな意味での社会常識といってよいかもしれません)に片意地張って生きるのはやめましょうということでしょう。もっと利己的になりましょうということでしょう。
これを「個人に対して」お話しをしているのですが、この意味において社会科学ではなくて個人への啓蒙書という性格を持ちます。
「ワンランクしたの自分に」の
「簡単に『幸せ』になれる人間というのは、なんだか薄っぺらで、バカにされそうですけれで、ぼくは『すぐに幸せになれる』というのは一種の能力だと思います。」
        (11ページ)
「人はどうしてオヤジになるか」の
「『不快に耐えている』という事を自分の人間的な器量の大きさを示す指標であるとか、人間的成熟のあかしであるとか、そういうふうに合理化してしまったのです」
「でも、彼は自分が『不愉快な人間関係』の原因であることを知りません。なぜ宿命的に自分の周囲には不愉快な人間しかいないのであろうか、ときどきやけ酒を呷るぐらいです」
              (25から26ページ)
というのは面白いですね。まさに
「その場の気分に乗って、気楽に生きましょう」という生き方の真髄であり、個人への心の持ち方の啓蒙思想であります。
でも、あハハハ。。。と、こんなオヤジを前にして笑ってもいられませんよ。
「ビジネスとレイバーの違い」では、同じ「仕事」と訳されるがその中身には違いがある。「暮らしていける最低限のレイバーだけして、お金を稼いで後は好きな事して暮らしたい。それなら、働くのは時間の空費であり、苦役でしょう」と。
女性が働く事についてはどうでしょう?
「(専業主婦志向のーー夕螺)彼女たちは、母親たちの世代が、住宅ローンなど身の丈にあわない借金を背負い込んで、低賃金のパートなどをして必死にローンを払う姿を見てきているわけです。」
ここでは、個人より上に立つ国家の規範があったはずなのです。
労働時間の短縮・休日増は、だれでもが望みました。しかし変形労働時間制でごまかされ、バブル崩壊は、「好きな事して暮らしたい」という要求を社会的に与えてくれました。団塊世代へのリストラは30歳代まで拡大され、就職浪人は巷に溢れました。
母親は自分を否定する専業主婦志向の娘に涙ながらに言うでしょう。
「そんなに私の生き方を否定するなら、何で身の丈も知らないで高校や大学に行くなんて言ったのよ。そもそも義務教育は中学までなんだから。私だってあんたが可愛いから我慢したのに。パートだって好き好んでいったわけではないのよ。私だって我慢して疲れながら生きてきたのよ。」と。
これは、上に書いたオヤジと同じく、オバサンがそこにいるのです。今の若い世代の方もオヤジ化オバサン化は今のままでは社会的に必然なのです。
「不愉快な人間関係」からも逃げられません。
もちろん心の持ち方によるささやかな幸せは否定をしないばかりか大切な子事と思います。そしてそのささやかな幸せの中にどうにか僕も社会の中で生息できます。しかし、資本主義の老衰の中でこのささやかな幸せさえ段々と先細りになってきています。この著書が発売になった2003年からの4年間を見てもわかります。
この社会に個人がどのように向かい合うか。それはもちろん本来の利己主義を発揮しなければなりません。しかしそれは、今の社会の規範や常識という範囲の中で 「その場の気分に乗って、気楽に生きましょう」からだけでは生まれません。
社会の規範は今のこの時点の通りです。個人はこの規範にのみ幸せになります。人間は社会的動物なのですからというこの狭苦しい個人への啓蒙。「その場の気分に乗って、気楽に生きましょう」という心の持ち方としての啓蒙。
日常いろいろいやな事がありますが、それは個人間の問題と見えます。しかしそれには必ず理由があってずっと手繰ると社会が見えてきます。その意味では、今の老衰した資本主義を内田さんは「賞味期限切れ」の資本主義として現しているのかもしれません。ここに内田さんの社会批判はあるのです。しかし、この今の社会を批判すると同時に、「その場の気分に乗って、気楽に生きましょう」という個人への啓蒙とがどこに結びつくのか?
それは次の言葉にあります。
「国民国家、人種概念、階級制度、一夫一婦制な、この先あまり長くは持たないと思いますが、まだこの後50年ぐらいは賞味期限が残っている。残っている間はまだ『賞味』できるわけですから、『次のもの』がくるまでは、何とかこれを使い回ししてしのぐしかありません。」
「そのうちもっと合理的な制度に代わるべきものであるなら、そこにどうやってソフトランディングするかということをみんなで考えましょう」
                 (207ページから210ページ)
そのうちに今の社会は賞味期限切れになるのですから、それまでは「その場の気分に乗って、気楽に生きましょう」という事でしょうか。
それは、「利己的な人間は必ず家族や友人の幸福を配慮し、共同体の規範を重んじ、世界の平和を望むはずだ」という楽天性にあるのかもしれませんね。
しかし楽天性もいいが、何とかこれを使い回ししてしのぐしかありませんし、どうやってソフトランディングするかは問われます。
最終章は、「資本主義VS人類学」としてまとめられています。
「ぼくたちの社会にとっての利益が最大化されるようなオプションをみんなで話し合って考えてゆきましょう。」
結局は社会と個人というものに集約されているのでしょうか?
社会というのは不思議なものです。
人間が寄り集まって社会というものを作っているという面では社会は人の自由な創造物です。しかし、この社会は逆に人の意識を変えていきます。時には人を縛り付けるようになります。人は社会のシステムにがんじがらめとなり自由をなくします。それではいかんと、人はまた新たな社会をつくろうとします。
この繰り返しですね。
利己主義は社会をつくる原動力です。それは自由でもあります。このさまざまな利己主義と自由の中に衝突も起こる。この衝突が社会のシステム上に現れます。今の資本主義のように富がある特定の利己的な自由により集中します。日本は富める国です。ですから貧乏を言う事は出来ないともいえますが、この富は世界の貧しい国々の本当の貧乏と対になっています。国内にも相対的な貧乏があります。豊富な物があるが手に入らないという貧乏です。このように富が集中することによる矛盾は、物を大量生産をして売らなければならないという資本主義に矛盾をきたします。今の日本がデフレから脱却できないというのも、貧しい国に借金をさせたり援助したりしてその商品を売りつけようというのも破綻しました。こう見るならば、個人の利己主義や自由は制限されなければならないという結論にもなりますが、そうではないのです。オプションがあるとすれば、社会のシステムをどうやって抑えるかという人の本来の利己主義と自由を駆使しなければならないのです。今の社会で甘い汁を吸っている人たちの利益を抑えるのは利己的な自由を抑える事ではありません。このままでは破綻をするということからの開放です。
もう人類の生存すら危ぶまれるような環境問題や地球の汚染。残り少なくなってきた化石エネルギー。省エネルギーを提唱するが国益によって否定をされる事。競争に勝つためには商品をより安く生産をするには国民を貧乏にするしかないという矛盾。もう国という共同体という狭い範囲においては解決できないものです。競争に勝つためにという無意識にしろ国を越えた共同体というのが考えられはじめました。社会システムはこのようなもっと優れた国を超えたものを求めているのだと思います。ですからオプションは、そのために「本来の利己主義」を発揮をし、自由に社会システムを変える自由を求めているのです。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
風もなく音もたてずに散る落ち葉
はらはらと螺旋を舞て暗き朝
時止まり冬の紅葉は紅に
見上げれば空は白みて筋の雲
朝ぼらけ東の雲は静まれり

鳥一羽鳴きもせずして過ぎ行くに
朝の気は目覚め動きて波となり
揺らめきし風清くして空に舞う
足元の落ち葉密かにささやきて
揺れる枝また一枚の葉を落とす
冬の精まだ穏やかに笑みこぼし
青ざめし心の中を撫でをりし

鳥渡り明るき空に影の雲
うっすらと紅の光りは雲照らし
日は昇り地平のビルのシルエット
熟し柿暖かき色そのままに
登りつつ眩しくなるや恋の色



拝啓 川上弘美様

日記を拝読させていただきました。
「精神的DVD」という今回の表題を読み、まず何かおかしみのあるものでしょうが川上さが精神的に落ち込むようなことをされたのかなと真剣に読みはじめました。
首振りテレビのお話しは、そんな首を振るテレビというのがあるのかと半信半疑のまま読みました。
次がお友達とのお話しでしたね。知り合いの女性が夫から。うん?でも普通の話ではと。次の保健保険のお話しを読もうと思ったら意味がわかりました。「DVD。。。。ハハハ・・・・」パソコンの前でクスクス笑いながら「違うようなぁ、AVだよなぁ」と心の中で。そのあとすぐに「うん?違う違う・・・・・AVは違う」と今度はくぐもって笑ってしまいました。涙が出ました。もう精神的DVDが頭から離れません。
保健保険を切り替えたオヤジさん。。。。恐ろしいでしょうなぁ。
今年新車を買いましたが保健保険の切り替えで「〇時から切り替えができます。ご安心ください」と言われたのですが、「もしや、もしや」といろいろ悪いことが頭をよぎり本気で心配をしてしまいました。保険屋も1時間ぐらいおまけしてくれてもいいのに。ある意味精神的DVDですなぁ。
朝晩はだいぶ寒くなりました。お風邪などにはお気をつけください。

           敬具

そういえば我が家も今年は薄いテレビを買いました。純日本製のテレビでして、友人たちに「世界の亀岡モデル」買ったぞとしばらく自慢をしていました。


【2011年】ツイッターつぶやき
昨夜は劇団カムカムミニキーナの「かざかみパンチ」という作品を見てきました。
今年5月の上演された「1989風屋の三姉妹」の続編といえる作品でした。
「1989」の初めは曼珠沙華が咲き乱れる世界からはじまりました。曼珠沙華鉢の色でしょう。それは死の世界を表す。最後はヒマワリが咲き乱れました。それは劇中にも触れられた原発事故(放射能)の浄化であり社会の浄化でもあったと思います。同時に「演劇とは何か」を問う小劇団の在り方を問うものでした。向日葵を握りしめたある意味闘いへの合図で終わりました。
「かざかみパンチ」では、その向日葵を握りしめた戦いがかざかみパンチのパンチとして表現されていたのでしょうか。必殺技のかざかみパンチを得てすべての敵と戦い生き残ったのは一人だけだったという未来は荒野のような世界だった。
古代のかざかみの国から吹く風に人は吹かれながらその人生を送り風のままに生きていく。かざかみパンチというパンチの威力もその風の流れに必殺技として存在するだけだった。小劇団が演じる「演劇とは何か」もこの風に吹かれながらそれを表現するものだった。
かざかみの国からの風はやんだ。風上の国はもう存在をしない。人は風を感じない中に翻弄される。自分を見失い自分の存在すら懐疑的になる。そこに未来を見つめる基軸がなくなる。必殺技かざかみパンチは一人生き残る一人の人間だけのものであり誰にこぶしを向ければよいのか。振り返ればそこには人の死だけがあった。小劇団は何に「演劇とは」を問えばよいのか。
結局は風に乗って吹きさらされるだけではそこに真実と嘘は見つけられない。
人は護身的に嘘を見破ろうとはするが真実を見つけることで嘘を見つけられることを忘れている。
かざかみの国から吹く風の中の真実とはなんだったのか、あるいは真実だと思っていたものが真に真実だったのか。ここに人は風上の国に向かって、風に向かって戻るしかない。それは「演劇とは何か」を問うためにも。
未来が実体のないものなら未来からかざかみに戻る者も実体はない。そこに現実に戻る。
今という瞬間に現実として存在する自分が未来を作る。そこにあるのはやはり死という現実だが、浄化はまた違ったものとして存在を続ける。かざかみパンチという必殺技が虚構ならば。。。。
人は死を受け入れねばならない。曼珠沙華はまた咲き乱れる。しかしその中に見つけられるものは生の営みとしての人が人に恋することであるが、その恋も虚構・消失となることがある。残るのはもっと広い愛ではないか。愛は形にしなければならない。闘うことだけのかざかみパンチだけではない。それは愛に昇華されたパンチでなければならない。
小劇団がどこに向かうのか、その答えは出ていなかった。ただいえることは風に乗ることだけではなく、そこに嘘を見破るのではない真実を見つける中の「演劇とは何か」を見つける未来であることは確かだろう。

【2012年】ツイッターつぶやき
民主党はここにきてまた「中道」「中庸」の政治を掲げ始めた。
『「今、政治家一人一人が、そして政党が、その立ち位置を問われている」と語った仙谷議員は、民主党が1998年4月27日の結党時に定めた「私たちの基本理念」という綱領的文書で「民主中道」の道を創造すると高らかにうたっている点にふれ、「総理が所信で表明した方針は、民主党が今後も推進しようとする改革志向の『民主中道』路線をまさに具現化したものと考える」と述べ、「総理には、ど真ん中の中道をどこまでも突き進み、日本の改革にまい進していただきたい」とエールを送り、総理に立ち位置と進むべき道について質問した。』(上記引用ページより引用)
民主中道とは、民主党が掲げる概念。
『私たちは、これまで既得権益の構造から排除されてきた人々、まじめに働き税金を納めている人々、困難な状況にありながら自立をめざす人々の立場に立ちます。すなわち、「生活者」「納税者」「消費者」の立場を代表します。「市場万能主義」と「福祉至上主義」の対立概念を乗り越え、自立した個人が共生する社会をめざし、政府の役割をそのためのシステムづくりに限定する、「民主中道」の新しい道を創造します。』(民主党「私たちの基本概念」より引用)
民主党が誕生したときにブログでその政策を作り上げるには結局は社会民主主義的な政党とならざるを得ないだろうというようなことを書いたが、ある意味「中道」は資本主義対社会主義という構図の中においては社会民主主義なのである。しかし民主党が誕生した当時は、市場万能主義ともいえる理念とまだ残っていた福祉国家という理念とのその間を行く「中道」という理念となっていた。では新自由主義新自由主義と福祉国家の間とはどのような経済システム・政治システム化というとというはっきりしたものが見えずに鳩山内閣的なぼやっとした言葉の政治しか見えなかった。しかし政策的にはいくつかの進歩的な政策があり、その実現の先には財界とのぶつかりも予想され、国民生活第一の社会は社会民主主義的な方向に向かわざるを得なかっただろう。
しかし実際の具体的な政策のほとんどは実現されずに今では民主党の自民党化だけが見えてしまった。
ここにきてまた綱領的文書「私たちの基本概念」で掲げられた「中道」をを持ち出すという意味はどこにあるのだろうか?
それはもちろん選挙向けである。しかし選挙向けであるとばかりに聞き流すのは間違いでしょう。「基本概念」に帰ることは難しくとも自民党化批判を打ち破るにはやはり「中道」に戻らざるを得ないという事です。この間の野田内閣を見ればそれも期待できないのですが、民主党内でも危機感が出ていることは確かでしょう。もちろんまだ国民生活からの政治の方向性を見ている議員もいると思います。少なくともそうしないと選挙には勝てないと。
この一定程度の変化を小さなものとしてでも受け入れるべきでしょう。もちろん具体的な政策をすべて受け入れることではなくて「中道」に帰るという方向性を受け入れるという事です。その中からの政策批判と修正を求める声が必要という事です。
選挙向けの発言ではありますが、自民党と第三局の維新の会や石原新党という構図から見た民主党の「中道」を言う一つの立つ位置を示すことはそれなりに意義はあります。自民党と第三局の間に立つ「中道」ではなくて、保守と超保守とに対抗する「中道」的な概念という意味は成り立つはずです。「民主中道」は公明と民社社党が言った自社対立当時の「中道政治」ではないでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
和食が世界文化遺産(でしたっけ?)になりましたが、一方では食品偽装が相次いで表面化しています。日本の食文化の二面性ですね。もちろんその二面性は格差です。格差はもちろん経済矛盾にありますが、低賃金化が進めばきちんとした食材を使ったものでは売れなくなる。低賃金化のうわべの文化が。。。 (11月7日 ツイッターより)

僕も和食の美しさとおいしさそしてその特徴は世界に誇れると思います。とは言ってもそうは高いものを食ったことがないのです。
もちろん同じように世界の食文化はその地域性や歴史において素晴らしいものがあると思うのですが。
文化遺産になった「和食」は多分高級料亭で出すようなものなのでしょう。
食文化というのはこういった高級料亭で出されるもの以外に家庭料理の中にありますね。とは言っても洋食など世界中の料理が工夫されて日本人に合うような形で家庭料理に入っているのですからっそれも含めて和食なのでしょうか?あるいは昔からおばあちゃんが作っていたような食でしょうか。
世界遺産になったような和食もそして家庭料理も日本の食文化としてある。
しかしその食文化の危うさが今回の食材偽装として現れたと思います。もちろん危険な添加物や残留農薬などの問題も含めて食文化の危うさがあるのですが、これらも含めてですが食材偽装からの食文化の危うさは、世界文化遺産の裏側として陰に隠れた矛盾の現れです。
一見豪華そうに見える食事。。。。この「一見豪華そうに見える」というところに食材偽装があったのでしょう。もちろん日常口にしているものにもあるのかもしれませんが、今回はこの「一見豪華そうに見える」という表面的なところでのうわべの食文化の危うさが出たのでしょう。
その背景にあるものはやはり経済ですね。日本は経済大国だという自負があるが、裏を返せば食材偽装によるうわべの豊かさがあったということです。経済大国の裏には格差の拡大と貧困化そして中間層の減少が広がっている。この象徴が食材偽装として現れた。格差の拡大と貧困化そして中間層の減少からそうは豪華な食事はできない。そこで一見豪華さに飛びつく。販売する法もこの庶民の一見豪華さの意識に飛びつくわけです。もちろんそこには利益の最大化がありますから食材の質も含めてコスト削減を行う。いや、行わざるをえないでしょうきちんとした食材なら高くて売れなくなるから。そこで偽装が出る。食品については輸入大国ですから「豊かな日本」を築くための成長路線の裏側にある円安がさらに食材のコストを下げる働きをして一見豪華なものが増えていく。
経済という土台において日本は矛盾に陥っているんです。

【2014年】ツイッターつぶやき
これまでの「商品価値の低下」に書いてきたように生産性の向上により商品価値の低下と過剰生産が現れ、同時に生産性の向上は可変資本と不変資本の比率としての資本の有機的組成の高度化による不変資本の爆発的な増加の結果としての資本(貨幣)の過剰。これが特別剰余価値の減少による平均利潤率の形成そしてそれは利潤率の低下となる。このような一つの産業は成長産業からスクラップ産業に変化する。労働者の切り捨て(失業)と低賃金化による可変資本の整理そして膨らみすぎた工場や原材料などの不変資本の売却と在庫の整理。このような余剰資本が整理されていく。その中では産業内のいくつかの体力のない企業が倒産するだろう。
銀行や株式を通じた融資や投資は減り続けてそこでも資本の整理が行われるだろう。
それではこの余剰となった労働力と資本はどこに向かうか?
まずは銀行や株式の融資や投資は最も生産性の悪い産業に向かうのである。もちろんそこには条件が合って単に生産性が悪い産業というだけでは資本は流れこまない。企業もその資本力を生かして今までと違う商品に投資をしていくでしょう。
それは成長が見込まれる産業ということになる。
そしてこの成長が見込まれる産業で同じことが繰り返されてその産業もまた成長産業からスクラップ産業となる。
先進国ではこの繰り返しが国内では行えない状態となっていく。そこで海外投資や資本輸出が行われる。グローバル化である。もちろんここでも銀行の融資や株式の投資がその海外の国に向かう。
しかしこの途上国においてもその成長の中でスクラップ化される。今や最後の投資先はアフリカだと。。。。。
もちろん今後も科学技術の発達は生産性の向上を可能にしていくでしょう。そしてそこにも新たな資本の有機的組成の高度化が行われるでしょう。それは精密機械とこんぴゅうたーコンピューターの結合によるロボット化としても。新たな産業としても。
しかしその結果として商品の価値低下と過剰生産そして製造業での失業の増加という経済法則には何も変化はないだろう。
この法則性から今現在の産業あるいは国内(今や全世界)停滞は必然となる。
この必然はデフレ不況という重しが常に社会に現れるだろう。
結局は今の資本主義ではどうにもならない結果が出るということである。資本主義の根底からの発展を経済法則は人間に求めているのである。
それは社会民主主義である。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
近くの香コンビニに買い物をしてのんびりと我が家の隣の公園横に立ち止まりたばこを一服。。
桜の葉など、紅葉も終わった葉っぱがちらちらと落ちる形式景色に見とれていた。
すでに桜の木は半分ほど葉を落としていた。毎年花の時期時は桜の精がやってくる桜の木である。
たばこも吸い終わりさて帰ろうかと思ったとき、木枯らし1号と思われる強い北風が吹いた。
先ほどの桜の木に残った葉が一斉に落ちてきた。
その瞬間、そのたくさんの葉がまるで小川のように流れはじめて僕の足元を濡らすかのように流れ去っていく。
その小川は歩道を通って我が家の玄関口に流れ込んでいる。一瞬その光景の風流さに気を取られていたが、しかし我が家の玄関口がどうなっているのかと慌てて小走りでに帰った。
さっきまで曇って日が差さなかったのに、その瞬間強い日差しが出て流れ込んだまだ少し赤や黄色の色のついた桜の落ち葉の山を照らしていた。
また木枯らしが吹いてほかの木々の落ち葉が上流から流れ込んだ。
まぁ、これも、桜の精のごあいさつ代わりの贈り物かと公園のほうを振り返った。

1か月以上前か?3個100円の花を買ってきて植えたのですが、クフェアの元気がいまいち。
寒くなったせいかとも思うのですが、急激に葉が茶色になってきました。
植えなおしてあげようかと掘ってみたら、根っこが粘土の中に埋まっていました。
クフェアは粘土質の土が好き?とも思ったのですが、どうも根っこが全然育っていない。これでは水をいくらやっても駄目かと思いました。
できるだけ粘土を取り除いて枯れた枝を切り取り植えなおしました。
さて元気になってくれるか。。。。。
まぁ、こういったことも植物を育てているときの発見であったり面白さかもしれません。

【2017年】ツイッターつぶやき
朝日新聞朝刊13面に「高値圏の株価 過熱状態ではない」という記事があった。
その中で次のような日銀審議委員の言葉がある。
「日銀が買って株価を上げたという事は、事実としてない」(朝日新聞本誌より引用)
たしかに株価高値の時は日銀も買わないでしょう。
しかし株価が下落傾向の時に株の買い支えとしては株価の候とに大きく寄与しているでしょう。同時に日銀が買えば株価が騰がると考えて投資家は買い控えることもあり得ます。ですから株価の高いときは日銀は絶対買うことはしない。株価が下がり始めたときに日銀が買うという情報により投資家も買うでしょう。
ですから日銀のETF買い入れの銘柄数が増えることにより株価は相対的に値上がりをするでしょう。
こう見ると日銀の買いが増えれば増えるほど株価は実体経済から離れていき事実上の過熱を必ず生むでしょう。
株価が上がって利益を得る人々がいるでしょうが、その利益が消費にも回るかもしれませんが、それはある意味一部において日銀のヘリコプターマネーのようなもので、実体経済の好転ではありませんし、実体経済を根本から改善する役割は行えないでしょう。じみちに働く人々の資産を吸い上げながら。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
外国人労働者の実習制度は、実態を知らなければ日本の優れた技術を途上国に広げるという国際貢献のように考えてしまうでしょう。もちろん一部の優れた技術を学ぶ外国人労働者もいれば、農業やサービス業など学んだものを自国に持ち帰る外国人労働者もいるでしょう。しかし同時にただの単純労働力として使われる外国人労働者が多数いるようです。
朝日新聞3面に「深夜まで働いて、時給300円」という記事があった。
ある縫製工場では午前8時から深夜0時まで働いて時間給が300円だったそうです。
共同通信によれば、茨城県の農場では
「夕方5時以降の残業時間帯に大葉を10枚ずつゴムで束ねる作業が1束につき2円しか支払われず、時給換算で300円程度の労働を強いられたと主張」
という実態も。
耐えきれずに自殺をする人もいれば、受け入れ先から失踪した外国人労働者が今年上半期でも4279人に上っているとも。
本来日本人労働者と同等の条件があるにもかかわらず上のような実態で、今後さらに受け入れ要件を緩和した外国人労働者の受け入れが行われようとしているが、どこまで日本人等同程度の条件が確保されるかはわからない。
日本で10年20年働いてもいつ帰国させられるかわからない在留資格。
現在は労働力不足だから外国人を受け入れるが人手不足が解消に向かえば解雇そして帰国となるでしょう。
このような外国人労働者の増加と劣悪な労働条件を見て日本の労働者は何思うか。。。。。
まだ日本人である自分のほうがいいかぁ。。。。と、ブラック化する労働条件を我慢しながら働くのか。日本人はアメリカやヨーロッパの人には頭を下げるが、途上国の人々については差別感や優越感が強い。日本の労働者は外国人労働者の労働条件には無関心になる場合が多いのではないか?
しかし外国人労働者は労働力不足が解消されれば自国に返される。その時に誰がその劣悪な条件の労働を行うか?日本人である。今後AI化などの生産性向上が行われる。マルクスは失業問題を人口論から解釈することを批判している。生産性の向上が失業を生むと。外国人労働者が劣悪な条件であっても労働をしている裏で日本人労働者が失業していく。その中で日本人は外国人労働者を追い出そうともする。
多くの単純労働がロボット化される。その時に日本人は劣悪な労働条件にさらされるでしょう。
このような未来を見た時、劣悪な労働条件を改善しなければならない。ということは外国人労働者の実態をニヤニヤしながら眺めてはいられないでしょう。少なくとも日本人と同じ労働条件を確保し社会保障面においても様々な条件においても平等さを作らねばならないでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
温故知新と無駄。。。。。
子供も含めて若い人は古いものを集めているのでしょう。ですから知識欲もあって次から次へと走っていく。アンニュイな四歳児も先に進みたいのかも。
年齢を重ねていくと古いものが蓄積していく。蓄積したものに拘泥していては先には進みませんなぁ。。。。。
しかし、若い人も年齢を重ねた人もその多くは無駄を重ねているのかもしれません。
無駄は時には気休めのものかもしれません。すぐに崩れる化粧。。。。あっハハハ・・・・
時は流れる。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき

≪十月桜 七五三桜とも≫
実家に行く途中、千葉県野田市の櫻木神社に寄りました。
昨日のテレビニュースでやっていたのを見て行ってみました。
今年は残念ながら少し早かったようで3分咲きぐらいでした。


≪十月桜と桜絵馬≫
境内にはお子さんの七五三のお参りをする家族がちらほらと。。。。


≪ケンケンパー厄払い≫
正面の岩に「厄」と書かれています。ケンケンパーの敷石の手前に卵のような白い素焼きがあります。これをもって厄の岩まで
ケンケンパー
ケンパー
ケンパー
ケンケンパー
をしていって素焼きの卵をぶつけます。
やってみたのですが。。。。。
ケンケンパーもふらつきながらやっとの思いでたどり着きました。子供の頃は得意だったんですけどねぇ。。。。。

【2021年】ツイッターつぶやき
東京との新規感染者数は下がっていますが、そろそろワクチンの効き目が薄くなってきたという。そこで3回目の接種が行われようとしている。
ワクチン接種を行わないとまた感染者数が増加しかねない。
しかしこれではいつまでたってもワクチン漬けから抜け出せないでしょうし、子供たちにも危ないワクチンを接種しなければならない。
中国でもワクチン接種がされているのでしょうが、同時に徹底的に検査を行い隔離をしている。
検査を徹底することがない中でのワクチン接種は一時的な効果でしかないでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
値上げをすれば購買力のない国民は買わない。
購買力のない国民の賃金をあてにして国内生産へ?
これが日本企業の典型とすれば、賃上げはしばらくないだろう。
賃上げをしなければデフレ傾向から不況となり失われた40年へ。
日本企業は安い労働力をもとめて中国やベトナムなどに進出した。どうじに輸出企業は円安が有利だとしてそれを歓迎した。しかしここにきて円安となったが、この円安があだとなりほど良い円安の夢は砕けた。
海外生産をした製品を日本に持ってくるには輸入となるでしょう。輸出企業の部品や原材料も輸入です。すると円安が高リスクとなった。
最近対中国との経済対立が激化することもあるが、日本の賃金が安くなったことがあり生産を日本へ移すようになった。すると企業は日本の賃金を高くすることはできないでしょう。
企業のジレンマが日本経済を追い込んでいき不況がやってくる。かといって日銀も出口には向かえない。

【2023年】ツイッターつぶやき
アメリカの金利上昇も頭打ち状態になり、日銀は長期金利1%容認と発言したにもかかわらず円は151円になりそうです。
アメリカの長期金利がこれから上がらず、日本が出口に近づくのではないかという状態ですが円安が進む不思議さ。
経済面でアメリカの引き締めへの不安が少なく、日本経済の落ち込みが懸念されれば円安は進みますね。健全な経済法則からです。しかし今は金融資本主義ですから円を売ってドルを買うという為替の利益から、円を借りてドルを買いドル建ての貯金をして利ザヤを稼ぐことが多くなっているようです。日本はほぼゼロ金利ですからね。
コメント
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