【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
≪過去の記事≫
【2003年】
雨も上がり少し晴れ間も出ました。
雨が上がり、さっと太陽の光が雲の中から出てくるさわやかさが好きです。
飲んできました。。。。
台湾料理で酒も中国の酒。ライチだとかいろいろな果物の酒を飲んだのですが、何しろ口当たりがいいのでぐいぐいと(笑)
飲みすぎました。反省反省。。。。。。
【2004年】
医者の待合室で、何気なく手に取った雑誌に上手そうな秋刀魚の蒲焼が載っていました。うまそうなのでさっそく78円の秋刀魚を買ってきました。
今、おろしたのですが、だいぶ骨に実が付いてしまった。。。。ハハハ
味醂を大目にして少し甘めのタレで焼いてみようと思います。
そういえば、今、妻が炊飯器で作れるケーキを作っています。
できたといったのでのぞいてみたら。。。。ぜんぜん(笑)
どんなものができるやら?
「TUGUMI」
ーつぐみー よしもとばなな 著
「その時、つぐみが恭一をまっすぐ見て言った。
『おまえを好きになった』 」
(117ページより引用)
鶫、秋に日本に来て冬を越すスズメほどの小さな小鳥だそうです。冬はほとんど鳴かずに口を『つぐむ』。静かに冬を越す鳥だそうです。
(水上温泉組合婦人部さんのHPを参照させていただきました)
小さい頃から病弱で、体も細いつぐみ。でも美しい少女(17才ころか)が「おまえを好きになった」とさえずるところは印象的です。
しかしこのつぐみの恋は、可憐な病弱な少女をイメージするような恋ではない。つぐみは、年中熱を出して死と隣り合わせである。つぐみは死と向き合う中に本音で生きることを身につけたような少女であり、わがままのような行動と口の悪さがあるものの心の中はまっすぐな少女である。
両親はそんなつぐみを甘やかして育てたためにわがままな子になったと見る。また、周りの人々も手を焼く。つぐみの性格を理解をする人は少ない。
語り手のつぐみの従姉妹まりあは、そんなつぐみに手を焼きながらもその性格を理解する。なかなか本音を言わないつぐみが本音を話する中に理解する。つぐみの恋人恭一もそんなつぐみの理解者である。
そしてこの作品を読む読者もつぐみの理解者となっていく。性格の悪いようなところも、その裏側にあるつぐみのかわいらしさが見えてくる。その本音の生き方が見えてくる。
例えは適切かわからないが、江戸の人情噺にでも出てくる、口は悪いが粋な江戸っ子を思い起こしてしまいます。
このようなつぐみの姿がこの作品のよさなのだと思います。
登場人物は、まりあ、つぐみ、つぐみの姉陽子、つぐみの恋人恭一は、大学生や高校生です。若いながらもしっかりと自分を見つめられる人々です。このようなしっかりと自分を見つめられる若者は、先に読んだ「哀しい予感」にも共通をし、ばななさんが何を若者に求めるかが見えるような気がします。
しかし、「TUGUMI」にも「哀しい予感」にも現れる共通したものに「『確信』というものがある。
この確信は、生きていく上での自分を現す言葉でもあるが、同時にばななさんのその後の作品に見られるような霊的な不可思議なものに基づく確信のような物であるのではないかと思う。
なんとなく「TUGUMI」のように初期の作品のほうが僕にとっては受け入れやすい(けして後の作品が嫌いというわけではない)のかと思う。
つぐみなど、登場人物の心のつながりもこの作品の特徴かと思う。暖かさを幹事利つながりであり、ここもばななさんの作品の特徴でもあるのではないかと思う
。しかし、この心のつながりが「yosimotobanana.com」という日記を読むにあたっては、身内主義というのか、心のつながりを大切にするあまり、他に一線を置くようにも受け止められかねないという印象を僕は受けてしまうのである。ばななさんのよさを感じると共に僕にはばななさんの世界には入りきれないのではという心配が浮かぶのである。
これは、あまりにもばななさんが強いということから来ているのではないかと思う。
しかしばななさんの孤独、寂しさも感じる。
あとがきに次のような言葉がある。
「そして、つぐみは私です。この性格の悪さ、そうとしか思えません。」
まぁ、性格の悪さというのは謙遜でしょうが、つぐみの持つどことなく孤独で寂しさのある、そして芯の強さはばななさんでしょう。
つぐみは、死を覚悟することによって生まれ変わったといいます。「人は喜劇を演じる。死だけが悲劇である」(漱石)ばななさんの作品には死がひとつの主題と感じるところがあります。つぐみ(ばななさん)の強さはこの辺にあるのかもしれない。
【2005年】
(記事なし)
【2006年】
阿房列車
ちくま文庫 内田百閒集成 Ⅰ
内田 百閒 著
まずは感想としてブログでの「今読んでいる本」として書き留めたものをこちらにも貼り付けておきます。数日に渡って読みながら書きとめたものですからまとまりはありません。
「用事もないのに大阪までの列車の旅。でも、金がない百閒先生。借金をします。
百閒の借金話は有名ですが、初期のほうの借金話は、読むほうも胃がキリキリと痛むようなお話ですが、こちらの作品はのんびりとした雰囲気の借金話ではじまります。
まぁ、どちらにしても楽天的ですがぁ。。。
国鉄職員ヒマラヤ山系君が同伴。
百閒先生のツッコミに、「はぁ」と答えるヒマラヤ山系君のボケ。『「特別阿房列車』『ハト』での大阪行きも無事に帰郷します。
どうも旅費は足が出たようで、ヒマラヤ山系君からも少し用立てしてもらう。しかし。。。ボケのヒマラヤ山系君の最後の言葉には含みがありますなァ。。。切符を買いに行ったのは、国鉄職員ですから(笑)
話の中に、国鉄の切符を早めに買う話しがありましたが、僕の子供の頃の記憶では、指定席の切符ではなくても、夏のお盆休みや年末の頃の帰省の切符を買うには、前もって行列を作って買っていたようです。親父が毎年買いに行っていました。今のように機械で切符が買えるわけではなく、窓口に並んで買う。親父が手に入れた昔の硬い厚紙の切符を大事に財布の中から出した光景をはっきり覚えています。
編輯者「椰子君」
川上さんの作品に「椰子・椰子」がありますが思い出しました。
川上さんの本は、お子さんが「ヤシ、ヤシ」というので本の題名にしたと記憶しているのですが。。。。
でも、「椰子君」という名前にどこか惹かれます。。。。
区間阿房列車
今度は各駅停車のたびで御殿場線へ。丹那トンネルが出来る前は東海道線だったようです。知識として走っていましたが、僕が生まれるずっと昔のお話。
人は無駄をすることに喜びを感じるものである。金の無駄、時間の無駄。。。。
百閒先生は、また借金をしてヒマラヤ山系君をまた連れて出かけます。東海道線から御殿場線に乗り換えるのが遅れて2時間待ち。帰りの東海道線も急行に乗るのに2時間半待ち。節約はしたけど、手荷物預かりに無駄な金。
無駄はしても百閒先生の心は温かい。
駅に止まっている汽車のトイレは使ってはいけないこと。。。。
僕の子供の頃もトイレは垂れ流し状態でした。だから駅に止まっているときに用をたすと、、、ハハハ
時々線路脇に落とし紙が落ちていることがありました。線路脇で遊んでいるとしぶきもかかりました(笑)
瀬戸物の土瓶のお茶。。。
覚えがかすかにあります。高崎の達磨弁当も瀬戸物だったっけ。。。今も?
お茶は、その後ビニールの容器になりましたが、列車の中でのお茶は懐かしいです。今はあまり見ませんね。。。。みんな缶のお茶になってしまったのか?窓をあけて弁当売りのおじさんを呼ぶ声もなつかしい。。。。あっちこっちから「弁当屋さ~ん!!」
百閒先生とヒマラヤ山系君の76ページあたりからの会話は落語ですなァ。。。ハハハ
今度は鹿児島本線阿房列車。。。
さて出発というときに夢袋さんからウイスキーの差し入れが。。。。
旅行中にはウイスキーは飲まないぞと、ヒマラヤ山系君と話しながらも旅行中に飲んでしまう。
持参した魔法瓶に入れた熱燗は早くもなくなり、横浜で追加オーダー(笑)
酒の話しから始まります。
阿房列車は用事のないたび。。。。
でも、さすがに生まれ故郷の岡山に着くとそうはいかない。途中下車をしてなつかしい海を眺めます。
百閒は、末無し川の百間川から来るらしい。。。百閒の作品ファンのヒマラヤ山系君ⅱ百間川にさしかかるときに教えるが、のんきにもヒマラヤ山系君は「ハァ。。。」と(笑)相変わらずの野次喜多道中です。
鹿児島本線阿房列車
はるばる着いた鹿児島駅には迎えの人がいるはず。その人の会社の旗が見えるはず。。。
駅前に出ると、馬糞紙に達筆な字で大書きされた百閒先生の名前が!(笑)恐縮して赤面する百閒先生を想像してしまいます。鹿児島本線阿房列車は特に紀行文の傑作です!!百閒ファン、あるいは随筆に興味がなくても、列車の旅など紀行文がお好きな方には是非お薦めの本ですよ♪
ところで、この馬糞紙。。。
もしかして藁版紙(この字でよかったと思うのですが。。。)のことかな?僕の子供の頃は、真っ白な紙といえば習字のときの半紙ぐらいで、学校からの通信やテストの紙など、すべて茶色くところどころにワラの破片が見える藁版紙でした。馬糞には消化しきれないワラがたくさん混ざっていますから、そのワラが混ざった様子からか馬糞紙ともいい、藁版紙ともいったのかもしれません。
今は売っているのかな?風情があって見たことのない今の若い人にはおもしろいと思います。
東北本線阿房列車
仙台に行くはずが早起きが出来ないので、福島に1泊。。。
旅館の仲居さん(この言葉は今も使っていいのかな?もっと違った呼び名が?解らないので使わせていただきます)の訛りに話しが通じない百閒先生。
昔は、駅長さんに宿の手配を頼んだり、時間があれば助役さんが旅館まで案内してくれる。これももちろん文士として有名な百閒先生であることからか?
夏目漱石が地方に公演に行くと、町をあげての出迎えで、宿には町の名士が紋付袴で集まってくる。漱石は、のんびりと浴衣姿でかしこまる。。。。(笑)百閒先生は、というよりも昭和28年ぐらいになるとこういうものもなくなってくるのか?でも、まだ小説家は「先生」ですからなァ。。。
上の書き込み。。。仙台ではなくて盛岡でした・・・どもども
朝早くて上野から乗れなかった列車に百閒先生はお昼過ぎにのんびりと福島から乗車。
もう日が暮れる頃に盛岡に到着します。
教え子の懸念仏くんご夫妻らがお迎え。夜は相変らずの酒の席。
盛岡で2泊しますが、のんびりと起きた百閒先生は、観光もせずに駅前をぶらぶらと。。。帰りは宿の帰るのに迷子。
これから青森に行くようですが、今ならトンネルと通って北海道にもいけますから、今に百閒先生がいたなら、必ず函館ぐらいまで入ったのではないかと思います。それともヒマラヤ山系君と「北斗星」のツイン個室で札幌まで。。。。食堂車で酒も飲めるし。帰りは新幹線に乗るかな?
こんなことを書いていると、阿保列車夕螺号を発車させたくなってきた。。。
東北本線は、青森までは下り列車。百閒先生は下るだけ下り奥羽本線に乗車。青森から追う本線は上りとなる。百閒先生は帰路に着く。
山形に向う車窓は紅葉。。。そして秋の時雨。
百閒先生の紀行文もどこか詩的になります。車窓から見える遠くの紅葉の山道に番傘をさして歩く人。なぜはそこだけが白く光る。。。
秋の時雨の中を所在なげな二人を乗せて走る汽車。
ところどころの文章に川上弘美さんてきな雰囲気があります。いや、作品の順番からして川上さんの文章が百閒的なのでしょうが、心が今の世界に溶け込むようで、読者も秋の時雨に溶け込みます。
雪中新潟阿房列車
上越線の電気機関車に乗り雪の新潟に行きます。
当時、日本でいちばん長いトンネルであった清水トンネルを楽しみにし、ループ上の線路を見ようと必死。窓が雲って見えないと困るというので、曇り止めのためのアルコールを沁みさせた布も持参。ところが。。。ハハハ見ることはできなかったよう。
上越線は、僕にとってもなつかしい線です。母親の実家が新潟県ですから、毎年のように夏休みには出かけていきました。僕たち子供たちよりおやじのほうが楽しみだったようで、上の方のコメントに書いたように、上野駅で並んで前売りの切符を手に入れ、各駅停車で出かけていきました。
今も覚えているのですが、一度だけイベント列車だったのだと思うのですが、蒸気機関車で上野から出かけました。なつかしい気の枠でできた向かい合いの座席。。。。清水トンネルに入ると、おやじがでかい声で『窓を閉めろ!!』そう、煙が入ってくるから。こういう蒸気機関車の煙の経験は同乗している若い人にはわからない。おやじは得意そうでした。そんななつかしい思い出がよみがえってきました。
今もループ線はあり、水上の川のそばからはこのループに走る列車を見ることができ、列車に乗っていても窓をあけてのぞけば、眼下に走ってきた線路も見える。しかし、今は窓をあけるという行為もできないかな?
特別急行『かもめ』が山陽本線を走るというので、いちばん電車に乗りにいきます。
ところが、国鉄からご招待されてしまい、のんびりした列車の旅が出来なくなるのではないかと心配する百閒先生。なぜご招待?昭和26年から、2年間に渡って『阿房列車』が発表され、百閒先生の阿房列車も有名になってしまったようです。
行く先々で新聞記者やラジオ局からコメントを求められます。
第一阿房列車、第二阿房列車と続きましたが、こうも有名になり落ち着いた旅が出来なくなってしまったためか?『春光山陽特別阿房列車』で終わります。(この文庫では、ここで終わりますが、『阿房列車』は第三阿房列車まで出版されているようで、新潮文庫にもあります。いつか新潮文庫も読んでみたいと思います。)
ところで、百閒の没年は、1971年ですが、すでに1964年には東海道新幹線が開通しています。
もうそうとうのお年ですから新幹線には乗れなかったのかな?興味があります。『超特急東海道新幹線阿房列車』(笑)」
(ヒマラヤ山系くん、お見送りに必ず来る夢袋くんは、実在する百閒のお弟子さんのようです。平山三郎とその上司である中村武志のようです。詳しい研究はこちらのサイト百鬼園の図書館だよりにありました。<リンクのお許しは得ていませんので、不都合がありましたら削除いたします>ちくま文庫では、この平山三郎の「解説」があります。)
さて、あらためて感想なのですが。。。
何で読み進めながら書いたブログの文章を長々と再録したのかというと、この「阿房列車」が発表された時代は、僕の子供の頃の記憶に残る国鉄の様子とそうはかけ離れた時代ではなく、まだ貨物列車やイベント列車として蒸気機関車を都内でも見ることができた時代です。そんな意味で、この作品は僕の記憶を呼び覚ましてくれ、思い出しながら百閒先生と列車に乗っているような気持ちにさせられた作品でした。そんな僕の記憶も感想として書きとめても良いのではないかと思いました。
列車での旅を愛する方はもちろんですが、紀行文そのものを好きな方にはたまらない作品だと思います。
用事もないのに列車に乗って出かけていく。旅先では観光もせずに酒を飲む。車内では、「はぁ。。。」と答えるヒマラヤ山系くんを相手にとりとめのない話し。夜行列車には風呂敷に包んだ2本の魔法瓶に入った熱燗とおつまみ持参。ほどよく酔った頃に二段式寝台に寝ますが、上段ベッドに登るむさくるしいヒマラヤ山系くんを評して天井裏のドブ鼠と。。。目的もなく観光もしない阿房列車ですが、旅の楽しさが伝わってきます。
紀行文というものは、旅先での風景や料理、ものめずらしいものの紹介とかいろいろな書き方があると思いますし、自身の心の中を表に出した紀行文もあると思います。ところが「阿房列車」は、とりとめがない。。。肩を張ったような気どったものは全然なく、日常そのままを引きずっていくようなそんな紀行文ではないかと思います。銀色夏生さんの紀行文「へなちょこ探検隊」がありますが、一応は取材ですからいろいろな体験をするわけですが、どことなくそのような体験にどんよりと。やはり紀行文自体は日常を引きずったものになります。この日常を引きずったような取り止めのない紀行文というのも楽しいものですし好きです。列車の待ち合わせ時間や乗り遅れて次の列車を待つまでの無駄な時間。その無駄な時間を描くこととその無駄な時間の中にある心。そもそも目的もなく列車に乗り込むこと自体が無駄である。旅費を借金までして。。。金の無駄でしょう。これらの無駄の中に一つの雰囲気が醸し出される。これも紀行文の魅力の一つです。
この魅力を読者も味わうことができる。
だからとりとめのない僕のような者の思いでも僕自身にとっては楽しい物になるのです。
「阿房列車」は、多くの作家にも影響を与えたそうですが、その意味でも傑作なのでしょう。
【2007年】
葛根湯と栄養ドリンクで風邪をしのいできましたが、我慢しきれず医者に行ってきました。
今夜は早く寝よう。。。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
劇団カムカムミニキーナの20周年記念公演「水際パン屋」を観てきました。
まだは後援は始まったばかりですし、東京公演のあとも関西公演が残っていますし、ネタバレ的な感想という形では書かないほうがいいと思います。
カムカムミニキーナの公演は年に一度ぐらい6回ほど観ていますが、そこに表現されているものは暴力のむなしさや暴力では何も変わらないというものではないかと感じています。今回の「水際パン屋」も同じものを表現をしているものでしょう。
刑務所に入れられたのは犯罪者ではない。暴力というすでに死んだ人間(性)なのかもしれない。その蘇りを許してはいけないということでしょう。
馬浜=バハマ。。。カリブ海に浮かぶ島々にはキューバがあり、それを喉に刺さった棘棘とも感じる巨大なアメリカがある。馬浜刑務所はこのカリブ海をイメージしますし、そこにある刑務所と言えばアメリカ軍によるキューバ内の刑務所があり、今はイスラム関係のテロリストが収容されているといわれる。刑務所といえばキューバ革命にも関連するか?これらは広い実では冷戦があり、テロと戦争というものもある。この中での暴力のむなしさと暴力の無力性があるのではないか?八嶋さんが演じる魔女に操り人形のように踊りは印象的でした。そしてそれは本当に操られているのか。。。。
今回の「水際パン屋」はこれに加えて世代というものが表現されている。なんていったか松村さんが演じるパン屋、その娘「わり子」と孫「へる子」世代で守らなければならないのはみんなが喜ぶおいしいパンであったはず。暴力の世代間連鎖ではない。その中身これからの未来は若い今の人に託されるということでしょうか?おいしいパンを焼くために。
この世代というのは、劇団の20年と今後とも関連する。若い団員が増えました。。。。刑務所内には演劇部がある。新たな演劇活動が面白い舞台(おいしいパン)を若い人がつくっていかねばならない。そんなものは、公演後の対談に出てくる少し世代が低い人々との話しにも?
これからの世代は、「(か)わり子」でもなく「(か)へる子」でもない過去にすでに死んでいる世代に「換わる」「帰る」でもない?
若い人たちは世代を超えたもっとおいしいパンを作らなければならないよということを感じました。
よくできた舞台だと思います。同時に考えねばならないものはたくさんあることがはっきりするものだったのかもしれません。
【2011年】ツイッターつぶやき
テレビのニュースなどで見たのですが、自転車は車道を走るようになったそうです。
たしかこれまでは自動車と自転車との事故が増えて自転車は歩道を走るようになっていたと思うのですが、最近は速度が出る自転車も増えて自転車と歩行者との事故が増えてきて今度は自転車は車道を走ると。
警視庁の自転車に関するページ
自転車ははっきりと車両という位置で車道を走るのが原則と書かれています。
車両ですから自動車波ともいえる交通法規を守ることが義務付けられますし、もちろん罰金や事故時の損害賠償も。
これからはいっそう自転車も賠償責任保険等が必要になってきそうですね。特にピスト自転車や啓太やヘッドホンなどをやりながらの事故は厳しくなるのではないかと思います。
しかし、自転車すべてを同じ「自転車」として扱ってよいのかという疑問があります。
ギヤ付きのスポーツ自転車などと子供の自転車や速度の出ない自転車を同じ自転車としてもよいのでしょうか?たとえば自転車も第1種自転車、第二種自転車といった制度が必要かと思います。スピードの出る自転車は原付と同じものとして新たに自賠責を義務付け車道を走らせる。第二種は子どもの自転車やお年寄りが乗ったり子供を乗せて走るものに限定をする。これは歩道を走らせる。もちろんピスト式は公道の走行は禁止。
しかしこれからは自動車と自転車の事故が増えるでしょうね。
車と自転車の事故はどうしても車の方が不利のような気がします。同じ車両同士の事故として処理をしてもらわないと困ります。車で走っていると、歩道から車道に急に飛び出してきたり国道を右側通行してくる。横断歩道をものすごい勢いで突っ込んでくる。ヘッドホーンをしながら後ろも見ずに道路を横断する。
国道や幹線道路などには車道に自転車走行ゾーンをつけるべきですね。しかし車にも悪いところがあるのも確かです。
狭い道路。。。。。どのようにしても自転車の事故は減らないのかもしれない。
【2012年】ツイッターつぶやき
朝日新聞7面に「デフレ日本次の一手は?(3)」という東大の伊藤さんという方へのインタビュー記事があった。
「企業はこの先もデフレが続いて売り上げが減ると思うから、賃金をカットする。賃金が下がるから消費意欲がなえてますますデフレが進む」
として、「物価下落の悪循環が止まらないデフレスパイラルに陥っているのではないか」とする。
この内需から見たデフレの原因分析は正しいと思う。
しかし、企業は「デフレが続く」と思って賃下げなどをしたのではなくて利益確保を賃下げや安い賃金を求めて中国に行くなどに求めたのでしょう。その結果が国内消費を不安定にしてデフレが進行をしたとみるべきでしょう。
企業は設備投資を海外で行い国内は産業の空洞化が進んだ。これがまたゼロ金利にしろ日銀が金をばらまいても国内設備投資には向かずに「貯金」すなわち株や国債や金融商品に使われる。
この中でデフレ脱却をどうすればいいか。。。。
伊藤さんは日銀はリスクは大きいけど株式投資信託や外国の債券を買えと。
どうもここで、賃下げの実態をどう改善するかには結びつかない。女性労働や高齢者労働を促進しろと。しかしこのような労働力は低賃金化をさらに深めるでしょう。
小泉政権を高く評価していますが、小泉・竹中の財政システムを使えと?
しかし小泉改革が今の低賃金化をはじめたのではないでしょうか。企業の利益が上がり成長率を上げたとはいえ、それは派遣やパート・外国人労働者といった低賃金化の中でのリストラによる企業収益であったのではないか。
国民生活の切り下げによる企業の生き残り策のツケが今廻ってきているのです。
ここの解決がないままに、日銀はリスクのあるものでも引き受けろとか、政府は女性や高齢者の雇用を低賃金として促進しろとか、結局は小泉改革的なものを今もう一度やれといっているようなものでしょう。
【2013年】ツイッターつぶやき
昨日の続きのようなものです。
安倍総理は韓国との間に「全面的な言論戦に突入」の動きを示し始めたようです。
これも積極的平和主義の一環でしょう。
軍事(安保の活用)も含めた対立の激化と表面化は、昨日も書いたような懐の深さを失っていくことでしょう。
韓国との竹島問題、中国との尖閣諸島問題、ロシアとの北方四島問題そして北朝鮮との拉致問題。これを積極的平和主義という路線で行っていく。もちろんその力には経済もあるわけですが。
しかしこのような外交から極東アジアの国々が日本との「間」を置くようにならないでしょうか?
それは外交的な物であったり国民的な内部において。中国の反日運動は少なくなりました。でも日本批判は続いているでしょう。同時に日本とは経済でtながればいいと。これが「間」ではないでしょうか?韓国やロシアそして北朝鮮がその「間」を置くようになったなら領土問題も一括処理の方向に向かうでしょう。もちろん拉致問題にも影響します。
日本という島を隔てた大陸との溝が「間」になってしまう。日本がアメリカとの協調関係を重視してそれに依拠すればいいとしているのかもしれませんが、アメリカ自体が領土問題には中立的ですし、民主主義という軸の中にそして経済での国益を優先します。軍事的な緊張がなければ。
日本は懐を深くしなければならない。それは平和主義・民主主義であり国民の自由や積極性(委縮させてはならない)そして生活を保障する国内矛盾の解決です。この中でしか主導権は持てないでしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
すき焼き自体が「すき焼き鍋」で鍋料理の一つなのでしょうが、今夜はこのすき焼き鍋をもっと鍋風にしてみました。
土鍋に豚肉(もちろん牛肉のほうがうまいでしょうが経費削減です)敷き詰めてだし汁を火にかけた時に肉が焦げないぐらいに入れます。その上に白滝・厚揚げの薄く切ったのもの、えのきだけそして大量の長葱を順番に重ねて入れます。長ネギは関東風ではなくて青い部分が多いネギがよいと思います。この葉っぱの部分の青いところがうまいです。
あとは火にかけて沸騰してきたら、酒、砂糖、みりん、醤油を適量かけて煮込むだけです。煮込むといってもねぎに日が通るか通らないかぐらいです。味付けの調整をしてください。
火を止めて生卵を落として蓋をしたら出来上がり。
卵はとろりとしたころが食べ時です。卵を混ぜながらお召し上がりください。
「商品価値の低下(2)」で見たように企業間の競争は生産性の向上によりより安くより多くの商品を生産して特別剰余価値を得ることにある。より安くより多くの商品生産を行うということは、同じ労働力量(従業員数とみてもよい)でより多くの商品を生産するわけだから賃金部分に投下する資本(可変資本)は同じで、より多くの商品を生産するための生産設備や原材料を必要としてこの生産に必要な設備などへの投下資本(不変資本)は多くなる。そうすると可変資本に対する不変資本が増加をするのですからこの可変資本に対する不変資本の比率(資本の有機的組成)が高まる。資本の有機的組成は高度化する。より多くの商品は無政府的に市場に出される。それは売れるかどうかは市場に出してみないとわからない。その商品の生産を行う企業が集まる産業内で生産性が高まると商品の過剰傾向を示す。
この商品の過剰生産傾向が起こったとき、もちろん生産性の向上は停止するだろう。その産業の成長は停止をする。同時に高度化された資本の有機的組成にどのような変化が起きるだろうか?
商品の過剰は生産設備の過剰として現れる。不変資本の過剰である。生産性の向上を行うために投下した資本の過剰である。その生産設備を拡大するために銀行からの借り入れで行っていたならば負債だけが残ることとなる。一部の向上工場は閉鎖をされるでしょう。不変資本は整理をされて資本の有機的組成の不変資本部分が減っていく。資本の有機的組成に変化が起きてその組成は低下をする。可変資本が多くなっていくのである。この時生産性の向上により不変資本を商品に価値移転する労働力量はそのままなのだから必然的に可変資本の過剰となるでしょう。
可変資本の過剰は何を現すか?
失業である。失業が不可避となる。
このような状態が国内の多くの産業で起きたならばその国の経済はデフレとなるでしょう。生産性の向上により商品価値は下がったままなのですから。
上に書いたように国全体の不変資本の過剰が銀行からの負債を残したままならば銀行にとっては不良債権となる。
しかしこれまで書いてきた中身において労働力も一つの商品ですからその価値である賃金額に変化はないと仮定されましたが、賃金を労働力の再生産費として見ればあらゆる商品の価値低下が行われればその労働力の再生産費も低下をして賃下げ傾向を示します。同時にこのような経済法則による賃下げだけではなくて労働市場での需給関係から買いたたかれる事態も発生をする。
労働力の再生産費はただ生きていられるというまでに切り下げられる。
商品の供給量も減り同時に消費量はさらに減るでしょう。
失業者はさらに消費量を減らすことは当然です。
この中で絶対的にも相対的にも商品の過剰は広がる。
豊富な商品量はあるのに消費できない労働者が増える。一方における過剰と一方における貧困が生じる。
これが今の日本あるいは先進国の状態ではないだろうか?
この中で貨幣量だけが増えても企業の資本投下には結びつかず、そして貧困化する労働者の消費にも回らない。ただでさえ過剰な貨幣量に新たに貨幣を注ぎ込むのはだぶついた貨幣があるにもかかわらず火に油を注ぐようなものなのである。
【2015年】
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「家でよく作る鍋は何?」
鍋と言えば、水炊きですね。
肉が好きな我が家は鶏肉と豚肉両方を入れます。
豚肉は薄切りのバラ肉をくるくるとまいて。
水炊きの楽しみは食い終わった後の雑炊です。
みそ仕立てにして長ネギのみじん切りをたくさん入れ、最後に卵を流したら出来上がり。
そういえば最近水炊きに飽きたときはみそ仕立てのスープにキムチをたくさん入れた鍋がうまかったです。
この鍋の時は雑炊ではなくてリゾット風に。
トマトを薄く切って乗せて仕上げにとろけるチーズを乗せたら出来上がり。
〆にうどんかラーメンが食べたいときは、レタスしゃぶしゃぶですね・・・・・もちろん肉なども食べますが、レタスをさっと湯に通してまだシャキシャキとしたうちにポン酢かごまだれで。
〆は、お椀に味覇というスープの素と長ネギのみじん切りそして粗びきコショウを入れてしゃぶしゃぶの残りのスープを入れてそのスープで麺を食べます。
うん。。。。。鍋の楽しみは〆にもある!
トランプ大統領が来日した。その前にイバンカ大統領補佐官も。
毎日の報道を見たり聞いたりしていると、何しに来たの?という疑問というのか判然としないものがないでしょうか?
なんとなく日米の関係がうまくいっているんだなぁ。。。。と。
でも、この親密さはどこか狎れ合いのようになっているのではないか?
ロイターに「日米首脳、北朝鮮に圧力で一致、日本に米製武器の購入を迫る」という記事がある。
北朝鮮への圧力はすでに新たな提案ではもちろんないしすでに日米が世界から孤立するような情勢に変わりはない。
日本の武器購入についても、以前からFTAに変わる武器の輸入が見えていた。
今後の副総理、副大統領との協議で終わり、北朝鮮に対する北朝鮮のテロ国家規定についてもあいまいな状態のようです。
ですから今回のトランプ訪日は日米ともに内政に対するパフォーマンスの域を出ないと思う。
日米の内政は案外もろいものが存在をしています。安倍自民党は圧勝したとはいえ国民の支持となると消去法内閣ですし、内閣の支持率もそうは上がっていない。トランプさんは外遊どころではない状況が出ています。
この中で北朝鮮危機を煽るという馴れ合いが大切になっている。互いに北朝鮮危機説を大きくすることにより、日米安保からアメリカは日本に武器を売る。それを日本は喜んで購入する。これでは抜本的な日米の経済協力の在り方からは離れているのです。
トランプさんの今回のアジア歴訪の意味は、韓国であったりもちろん中国なのでしょう。
【2018年】ツイッターつぶやき
イランで拉致され拘束されていた安田さんの記者会見で注目されたのが謝罪であり自己責任だった。本来ならば拉致されていた間の状態や安田さんがどのような事柄を取材して何を伝えたかったかが大切なはずだが、自己責任と謝罪だけに注目されたことは残念です。
朝日新聞の記事で「安田さんの「謝罪」ジャーナリストはどう見たか」という記事がある。
「フランスでは、謝罪は間違ったことをした時にする。彼は記者の仕事をして事件に巻き込まれた。フランス人記者なら、心配してくれた方々に感謝するだろうが、謝罪はしない」(引用)と。
そしてフランス人記者が同じように拉致されて帰国したときは、大統領自身が出迎えて
「報道の自由に尽くす、優秀な同胞がいることを誇りに思う」(引用)と述べたそうである。
自己責任からの謝罪を求める日本の風土と誇りだとされて迎えるフランスの風土の違いがはっきりします。この風土というのは自由や民主主義への考え方にあるのでしょう。
大きなマスコミは自己規制をして危険な地域には入らないでしょう。取材はできないので外国の報道に依拠しなければならないし、そこに受け取る側の考え方が入り正しく紛争地などの実態がわかっらずじまいになっていないか?
フリーのジャーナリストの取材であることから初めて僕たちは真実を知ることになるのかもしれません。
小泉内閣時にも同じような拘束されたジャーナリストがありその時から自己責任が広く言われるようになったのではないか。この自己責任はその後社会の隅々で言われるようになった。
安田さんの場合も自己責任であることに間違いはない。
しかしその安田さんの自己責任においての行動が社会から非難されるようなものだったか、尊敬されるべきものだったか、ここの見方によって自己責任の意味合いが違ってくるでしょう。国や国民に迷惑をかけたという非難から自己責任論を出す。すると非難されるべきことを行ったのだから謝罪しろつなるでしょう。
一方ではその自己責任においての行動がたたえられるものと受け取られるならば、その自己責任は謝罪すべきものではなくて救出してもらったことに感謝をすればそれで済むことになる。
自己責任でやったのだから謝罪しろ。。。。。
日本は最近すぐに謝罪しろと詰め寄ることが多くなっていないか?大きな問題でなくても、例えば店員と客の関係において少しの間違いであっても謝罪しろと。。。。。
自らすぐに謝罪を求めることは醜いことです。店員と客戸でトラブルが発生したとき、一応店側は説明をして納得してもらったにしろ、その客は店員の態度が悪いといった話になり謝罪しろと。
力関係においての謝罪。。。。
結局は社会的力や金の力で謝罪をさせることになる。
安田さんの「謝罪」はマスコミや一部国民の社会的圧力による謝罪であったのか?その面があったことは否めないがしかしどこかに自分をしっかり見つめているような姿に見えた。
【2019年】ツイッターつぶやき
ワシントン・コンセンサスというのは、アメリカ政府、IMF、世銀が意見の一致として経済政策を進めることのようですが、
しかしBloombergによると、
「だがIMFが最近公表した新たな報告書には、米政府との見解の一致はほとんど見られない。この報告書でIMFは、先進国は富裕層の税負担を増やすことにより、成長を犠牲にせずにより公平な富の再分配が可能になると主張」(引用)
という状態のようである。
格差や貧困を生み出してきたワシントン・コンセンサスが「経済成長の低下をもたらす」とまで分析を始めた。
2015年に「政治と経済」という記事をこのブログに書きましたが、2015年当時IMFは、
「過去半年でG20構成国が成長促進策を講じる必要性はより高まっているとし、先進国における緩和的金融政策が「不可欠」とした。国家の生産量と生産性を上げるための構造改革の必要性も訴えた。」(ロイター)
と主張をしており、これに対して僕のブログでは、
「先進国は自国での内需の拡大を目指すべきでそこでの協調が必要でしょう。内需の拡大は国民生活の安定という事であり、そこでは経済法則に反した通貨安競争も必要ではなくなる。物価の上昇を人為的につくる必要もなくなる。物価は本来の意味においての生産性の向上(賃下げに頼らずに技術の発展によりより安くより大量に生産する)により商品価値を下げていくことである。価値低下を起こした商品は価格も安くなる。それにより賃上げではなくて商品が安くなるという意味での相対的な賃上げが行われる。
格差の是正は消費を拡大するでしょう。政治はこの格差の是正に集中しながら消費を拡大していくべきです。」
と、主張しました。
あれから4年が経ちましたが、やっとIMFも格差や貧困が世界経済に悪影響をもたらしていると主張せざるを得ない状態になりました。
国内的に、アベノミクスの否定でなければなりません。そして消費増税による富裕層や企業の救済を止めねばなりません。
IMFもトランプさんが主張しはじめた税制改革に批判の軸足があるようですが、税制度も含めて国民の生活の安定がどのように崩れているのか、それが世界経済にどのような悪影響を及ぼしているのかをさらに分析を深めねばならいでしょう。
【2020年】ツイッターつぶやき
日米関係では日本の従属が長い間続いていましたし現在もその形に変わりないでしょう。
しかしアメリカの力が衰退していく場合、中国の台頭はもちろんありますが日本もアメリカ語アメリカ後を考えているでしょう。アメリカ国債は中国と日本とでほとんど持っている。今の米中の経済的関係を見ると中国の発言力は強まります。同時にそれは日本の発言力の強化にもなります。
しかし中国の経済成長に日本は追いつかない。追いつかないどころか日本はマイナスよくて0%でしょう。
その中で日本は経済での生産性向上に向かっています。
中国では5か年計画でコロナの経済の落ち込みを内需を中心としたものに力を入れます。それには貧困をなくすために一人当たりのGDPを引き上げていくでしょう。
一方日本は生産性を高めるために労働者の状態を悪化させることにより企業利益と株価を今後も維持しようとする。これはアベノミクスと日銀緩和で失敗したはずですが、さらに勤労国民から搾り取り同時に高齢者を切り捨てることを続けることしかできなくなっているのかもしれない。日本の生産性向上は海外の安い労働力と資本輸出、そして国内では勤労国文の生活を下げながら企業のパイを維持することに慣れ切ってしまっています。
この中国と日本の違いは今後のアメリカ語の世界経済において大きな違いが出るでしょう。日本はアメリカの後追いでしょうか?アメリカへの従属意識がアメリカ後の日本をアメリカを追い越すアメリカ型の国に。。。。
憲法を変えてアメリカと同じことができる国。。。。。
アメリカの後追いでは結果は決まっている。そして内政では非常に息苦しい謝意となってしまう。
【2021年】ツイッターつぶやき
diamond Onlineによると、コロナ感染防止とインフルエンザワクチンの併用である形のインフルエンザが絶滅したかもしれないそうです。
去年はインフルエンザの流行がありませんでしたね。
こう見るとこの何十年間インフルエンザと付き合ってきて多くの人々がなくなったりもしました。
もちろん手洗いうがいなどの感染予防も言われてきましたが、コロナのようなロックダウンあるいは緊急事態宣言などがされませんでした。徹底した感染予防でインフルエンザのある方には勝ったのかもしれません。
これはコロナにも勝つためのヒントになるでしょう。インフルエンザよりもしぶといコロナですが、ある期間に徹底した感染予防を行えば勝てるのかもしれません。それには検査と隔離がどうしても必要でしょう。新規感染者数が減少した今、経済対策も必要ですが、もう少し我慢をして検査と隔離を徹底すべきなのでしょう。
【2022年】ツイッターつぶやき
僕は喫煙率の高い時代は同時に大気汚染という公害が問題になっていたとして、この影響が30年のタイムログにも当てはまると言っています。
しかしあなたから示される専門家の研究は大気汚染との比較研究がない一つの仮説です。
肺癌は大気汚染などの影響もあるがタバコが主原因だという仮説が訂正に。
一つの仮説が権威性を帯びると、狭い範囲において定説となり、この定説が独り歩きすると定説を改めて研究しなおすことができなくなる。
この中に禁煙運動や嫌煙というものが巻き込まれ、自己申告による診断までがエビデンスのピラミッドに加えられる。
喫煙(受動喫煙)していたからとバイパスができる。
(以上ツイッターから)
ある人が肺がんになると、タバコを吸っていたかが言われる。喫煙者だとわかるとタバコを吸っていたからなぁで済まさせる。これだけ肺癌イコール煙草という定説が権威として人々の中に浸透している。実はほかの原因かもしれないのに。医者というのは原因よりも治療が仕事ですから黙々と治療を行うが、研究材料としては統計の数字として喫煙者とされる。ここに危険性があるのです。他の原因は全く考慮されない。非喫煙者ならば他の原因も考えられるが、その原因は喫煙者の肺がんの原因でもありえるのに。
こういった喫煙と肺がんに関する実態が社会の中で同じ手法で片付けられているかもしれない。
政治でも経済でも。。。。。
思考回路が逆立ちをしていく。。。。
【2023年】ツイッターつぶやき
日銀が2%目標に向けて来年度春闘の賃上げに自信を持った。これの前提として経団連が去年以上の4%賃上げを目指すとした。
しかし、岸田総理は扶養控除をある賃金高は控除を少なくすると。
今年も賃上げは一定あったがその分社会保障負担などで消えて行っている。
2%目標は無理でしたね。
来年も同じ形で国民生活の改善はないでしょう。
(記事なし)
≪過去の記事≫
【2003年】
雨も上がり少し晴れ間も出ました。
雨が上がり、さっと太陽の光が雲の中から出てくるさわやかさが好きです。
飲んできました。。。。
台湾料理で酒も中国の酒。ライチだとかいろいろな果物の酒を飲んだのですが、何しろ口当たりがいいのでぐいぐいと(笑)
飲みすぎました。反省反省。。。。。。
【2004年】
医者の待合室で、何気なく手に取った雑誌に上手そうな秋刀魚の蒲焼が載っていました。うまそうなのでさっそく78円の秋刀魚を買ってきました。
今、おろしたのですが、だいぶ骨に実が付いてしまった。。。。ハハハ
味醂を大目にして少し甘めのタレで焼いてみようと思います。
そういえば、今、妻が炊飯器で作れるケーキを作っています。
できたといったのでのぞいてみたら。。。。ぜんぜん(笑)
どんなものができるやら?
「TUGUMI」
ーつぐみー よしもとばなな 著
「その時、つぐみが恭一をまっすぐ見て言った。
『おまえを好きになった』 」
(117ページより引用)
鶫、秋に日本に来て冬を越すスズメほどの小さな小鳥だそうです。冬はほとんど鳴かずに口を『つぐむ』。静かに冬を越す鳥だそうです。
(水上温泉組合婦人部さんのHPを参照させていただきました)
小さい頃から病弱で、体も細いつぐみ。でも美しい少女(17才ころか)が「おまえを好きになった」とさえずるところは印象的です。
しかしこのつぐみの恋は、可憐な病弱な少女をイメージするような恋ではない。つぐみは、年中熱を出して死と隣り合わせである。つぐみは死と向き合う中に本音で生きることを身につけたような少女であり、わがままのような行動と口の悪さがあるものの心の中はまっすぐな少女である。
両親はそんなつぐみを甘やかして育てたためにわがままな子になったと見る。また、周りの人々も手を焼く。つぐみの性格を理解をする人は少ない。
語り手のつぐみの従姉妹まりあは、そんなつぐみに手を焼きながらもその性格を理解する。なかなか本音を言わないつぐみが本音を話する中に理解する。つぐみの恋人恭一もそんなつぐみの理解者である。
そしてこの作品を読む読者もつぐみの理解者となっていく。性格の悪いようなところも、その裏側にあるつぐみのかわいらしさが見えてくる。その本音の生き方が見えてくる。
例えは適切かわからないが、江戸の人情噺にでも出てくる、口は悪いが粋な江戸っ子を思い起こしてしまいます。
このようなつぐみの姿がこの作品のよさなのだと思います。
登場人物は、まりあ、つぐみ、つぐみの姉陽子、つぐみの恋人恭一は、大学生や高校生です。若いながらもしっかりと自分を見つめられる人々です。このようなしっかりと自分を見つめられる若者は、先に読んだ「哀しい予感」にも共通をし、ばななさんが何を若者に求めるかが見えるような気がします。
しかし、「TUGUMI」にも「哀しい予感」にも現れる共通したものに「『確信』というものがある。
この確信は、生きていく上での自分を現す言葉でもあるが、同時にばななさんのその後の作品に見られるような霊的な不可思議なものに基づく確信のような物であるのではないかと思う。
なんとなく「TUGUMI」のように初期の作品のほうが僕にとっては受け入れやすい(けして後の作品が嫌いというわけではない)のかと思う。
つぐみなど、登場人物の心のつながりもこの作品の特徴かと思う。暖かさを幹事利つながりであり、ここもばななさんの作品の特徴でもあるのではないかと思う
。しかし、この心のつながりが「yosimotobanana.com」という日記を読むにあたっては、身内主義というのか、心のつながりを大切にするあまり、他に一線を置くようにも受け止められかねないという印象を僕は受けてしまうのである。ばななさんのよさを感じると共に僕にはばななさんの世界には入りきれないのではという心配が浮かぶのである。
これは、あまりにもばななさんが強いということから来ているのではないかと思う。
しかしばななさんの孤独、寂しさも感じる。
あとがきに次のような言葉がある。
「そして、つぐみは私です。この性格の悪さ、そうとしか思えません。」
まぁ、性格の悪さというのは謙遜でしょうが、つぐみの持つどことなく孤独で寂しさのある、そして芯の強さはばななさんでしょう。
つぐみは、死を覚悟することによって生まれ変わったといいます。「人は喜劇を演じる。死だけが悲劇である」(漱石)ばななさんの作品には死がひとつの主題と感じるところがあります。つぐみ(ばななさん)の強さはこの辺にあるのかもしれない。
【2005年】
(記事なし)
【2006年】
阿房列車
ちくま文庫 内田百閒集成 Ⅰ
内田 百閒 著
まずは感想としてブログでの「今読んでいる本」として書き留めたものをこちらにも貼り付けておきます。数日に渡って読みながら書きとめたものですからまとまりはありません。
「用事もないのに大阪までの列車の旅。でも、金がない百閒先生。借金をします。
百閒の借金話は有名ですが、初期のほうの借金話は、読むほうも胃がキリキリと痛むようなお話ですが、こちらの作品はのんびりとした雰囲気の借金話ではじまります。
まぁ、どちらにしても楽天的ですがぁ。。。
国鉄職員ヒマラヤ山系君が同伴。
百閒先生のツッコミに、「はぁ」と答えるヒマラヤ山系君のボケ。『「特別阿房列車』『ハト』での大阪行きも無事に帰郷します。
どうも旅費は足が出たようで、ヒマラヤ山系君からも少し用立てしてもらう。しかし。。。ボケのヒマラヤ山系君の最後の言葉には含みがありますなァ。。。切符を買いに行ったのは、国鉄職員ですから(笑)
話の中に、国鉄の切符を早めに買う話しがありましたが、僕の子供の頃の記憶では、指定席の切符ではなくても、夏のお盆休みや年末の頃の帰省の切符を買うには、前もって行列を作って買っていたようです。親父が毎年買いに行っていました。今のように機械で切符が買えるわけではなく、窓口に並んで買う。親父が手に入れた昔の硬い厚紙の切符を大事に財布の中から出した光景をはっきり覚えています。
編輯者「椰子君」
川上さんの作品に「椰子・椰子」がありますが思い出しました。
川上さんの本は、お子さんが「ヤシ、ヤシ」というので本の題名にしたと記憶しているのですが。。。。
でも、「椰子君」という名前にどこか惹かれます。。。。
区間阿房列車
今度は各駅停車のたびで御殿場線へ。丹那トンネルが出来る前は東海道線だったようです。知識として走っていましたが、僕が生まれるずっと昔のお話。
人は無駄をすることに喜びを感じるものである。金の無駄、時間の無駄。。。。
百閒先生は、また借金をしてヒマラヤ山系君をまた連れて出かけます。東海道線から御殿場線に乗り換えるのが遅れて2時間待ち。帰りの東海道線も急行に乗るのに2時間半待ち。節約はしたけど、手荷物預かりに無駄な金。
無駄はしても百閒先生の心は温かい。
駅に止まっている汽車のトイレは使ってはいけないこと。。。。
僕の子供の頃もトイレは垂れ流し状態でした。だから駅に止まっているときに用をたすと、、、ハハハ
時々線路脇に落とし紙が落ちていることがありました。線路脇で遊んでいるとしぶきもかかりました(笑)
瀬戸物の土瓶のお茶。。。
覚えがかすかにあります。高崎の達磨弁当も瀬戸物だったっけ。。。今も?
お茶は、その後ビニールの容器になりましたが、列車の中でのお茶は懐かしいです。今はあまり見ませんね。。。。みんな缶のお茶になってしまったのか?窓をあけて弁当売りのおじさんを呼ぶ声もなつかしい。。。。あっちこっちから「弁当屋さ~ん!!」
百閒先生とヒマラヤ山系君の76ページあたりからの会話は落語ですなァ。。。ハハハ
今度は鹿児島本線阿房列車。。。
さて出発というときに夢袋さんからウイスキーの差し入れが。。。。
旅行中にはウイスキーは飲まないぞと、ヒマラヤ山系君と話しながらも旅行中に飲んでしまう。
持参した魔法瓶に入れた熱燗は早くもなくなり、横浜で追加オーダー(笑)
酒の話しから始まります。
阿房列車は用事のないたび。。。。
でも、さすがに生まれ故郷の岡山に着くとそうはいかない。途中下車をしてなつかしい海を眺めます。
百閒は、末無し川の百間川から来るらしい。。。百閒の作品ファンのヒマラヤ山系君ⅱ百間川にさしかかるときに教えるが、のんきにもヒマラヤ山系君は「ハァ。。。」と(笑)相変わらずの野次喜多道中です。
鹿児島本線阿房列車
はるばる着いた鹿児島駅には迎えの人がいるはず。その人の会社の旗が見えるはず。。。
駅前に出ると、馬糞紙に達筆な字で大書きされた百閒先生の名前が!(笑)恐縮して赤面する百閒先生を想像してしまいます。鹿児島本線阿房列車は特に紀行文の傑作です!!百閒ファン、あるいは随筆に興味がなくても、列車の旅など紀行文がお好きな方には是非お薦めの本ですよ♪
ところで、この馬糞紙。。。
もしかして藁版紙(この字でよかったと思うのですが。。。)のことかな?僕の子供の頃は、真っ白な紙といえば習字のときの半紙ぐらいで、学校からの通信やテストの紙など、すべて茶色くところどころにワラの破片が見える藁版紙でした。馬糞には消化しきれないワラがたくさん混ざっていますから、そのワラが混ざった様子からか馬糞紙ともいい、藁版紙ともいったのかもしれません。
今は売っているのかな?風情があって見たことのない今の若い人にはおもしろいと思います。
東北本線阿房列車
仙台に行くはずが早起きが出来ないので、福島に1泊。。。
旅館の仲居さん(この言葉は今も使っていいのかな?もっと違った呼び名が?解らないので使わせていただきます)の訛りに話しが通じない百閒先生。
昔は、駅長さんに宿の手配を頼んだり、時間があれば助役さんが旅館まで案内してくれる。これももちろん文士として有名な百閒先生であることからか?
夏目漱石が地方に公演に行くと、町をあげての出迎えで、宿には町の名士が紋付袴で集まってくる。漱石は、のんびりと浴衣姿でかしこまる。。。。(笑)百閒先生は、というよりも昭和28年ぐらいになるとこういうものもなくなってくるのか?でも、まだ小説家は「先生」ですからなァ。。。
上の書き込み。。。仙台ではなくて盛岡でした・・・どもども
朝早くて上野から乗れなかった列車に百閒先生はお昼過ぎにのんびりと福島から乗車。
もう日が暮れる頃に盛岡に到着します。
教え子の懸念仏くんご夫妻らがお迎え。夜は相変らずの酒の席。
盛岡で2泊しますが、のんびりと起きた百閒先生は、観光もせずに駅前をぶらぶらと。。。帰りは宿の帰るのに迷子。
これから青森に行くようですが、今ならトンネルと通って北海道にもいけますから、今に百閒先生がいたなら、必ず函館ぐらいまで入ったのではないかと思います。それともヒマラヤ山系君と「北斗星」のツイン個室で札幌まで。。。。食堂車で酒も飲めるし。帰りは新幹線に乗るかな?
こんなことを書いていると、阿保列車夕螺号を発車させたくなってきた。。。
東北本線は、青森までは下り列車。百閒先生は下るだけ下り奥羽本線に乗車。青森から追う本線は上りとなる。百閒先生は帰路に着く。
山形に向う車窓は紅葉。。。そして秋の時雨。
百閒先生の紀行文もどこか詩的になります。車窓から見える遠くの紅葉の山道に番傘をさして歩く人。なぜはそこだけが白く光る。。。
秋の時雨の中を所在なげな二人を乗せて走る汽車。
ところどころの文章に川上弘美さんてきな雰囲気があります。いや、作品の順番からして川上さんの文章が百閒的なのでしょうが、心が今の世界に溶け込むようで、読者も秋の時雨に溶け込みます。
雪中新潟阿房列車
上越線の電気機関車に乗り雪の新潟に行きます。
当時、日本でいちばん長いトンネルであった清水トンネルを楽しみにし、ループ上の線路を見ようと必死。窓が雲って見えないと困るというので、曇り止めのためのアルコールを沁みさせた布も持参。ところが。。。ハハハ見ることはできなかったよう。
上越線は、僕にとってもなつかしい線です。母親の実家が新潟県ですから、毎年のように夏休みには出かけていきました。僕たち子供たちよりおやじのほうが楽しみだったようで、上の方のコメントに書いたように、上野駅で並んで前売りの切符を手に入れ、各駅停車で出かけていきました。
今も覚えているのですが、一度だけイベント列車だったのだと思うのですが、蒸気機関車で上野から出かけました。なつかしい気の枠でできた向かい合いの座席。。。。清水トンネルに入ると、おやじがでかい声で『窓を閉めろ!!』そう、煙が入ってくるから。こういう蒸気機関車の煙の経験は同乗している若い人にはわからない。おやじは得意そうでした。そんななつかしい思い出がよみがえってきました。
今もループ線はあり、水上の川のそばからはこのループに走る列車を見ることができ、列車に乗っていても窓をあけてのぞけば、眼下に走ってきた線路も見える。しかし、今は窓をあけるという行為もできないかな?
特別急行『かもめ』が山陽本線を走るというので、いちばん電車に乗りにいきます。
ところが、国鉄からご招待されてしまい、のんびりした列車の旅が出来なくなるのではないかと心配する百閒先生。なぜご招待?昭和26年から、2年間に渡って『阿房列車』が発表され、百閒先生の阿房列車も有名になってしまったようです。
行く先々で新聞記者やラジオ局からコメントを求められます。
第一阿房列車、第二阿房列車と続きましたが、こうも有名になり落ち着いた旅が出来なくなってしまったためか?『春光山陽特別阿房列車』で終わります。(この文庫では、ここで終わりますが、『阿房列車』は第三阿房列車まで出版されているようで、新潮文庫にもあります。いつか新潮文庫も読んでみたいと思います。)
ところで、百閒の没年は、1971年ですが、すでに1964年には東海道新幹線が開通しています。
もうそうとうのお年ですから新幹線には乗れなかったのかな?興味があります。『超特急東海道新幹線阿房列車』(笑)」
(ヒマラヤ山系くん、お見送りに必ず来る夢袋くんは、実在する百閒のお弟子さんのようです。平山三郎とその上司である中村武志のようです。詳しい研究はこちらのサイト百鬼園の図書館だよりにありました。<リンクのお許しは得ていませんので、不都合がありましたら削除いたします>ちくま文庫では、この平山三郎の「解説」があります。)
さて、あらためて感想なのですが。。。
何で読み進めながら書いたブログの文章を長々と再録したのかというと、この「阿房列車」が発表された時代は、僕の子供の頃の記憶に残る国鉄の様子とそうはかけ離れた時代ではなく、まだ貨物列車やイベント列車として蒸気機関車を都内でも見ることができた時代です。そんな意味で、この作品は僕の記憶を呼び覚ましてくれ、思い出しながら百閒先生と列車に乗っているような気持ちにさせられた作品でした。そんな僕の記憶も感想として書きとめても良いのではないかと思いました。
列車での旅を愛する方はもちろんですが、紀行文そのものを好きな方にはたまらない作品だと思います。
用事もないのに列車に乗って出かけていく。旅先では観光もせずに酒を飲む。車内では、「はぁ。。。」と答えるヒマラヤ山系くんを相手にとりとめのない話し。夜行列車には風呂敷に包んだ2本の魔法瓶に入った熱燗とおつまみ持参。ほどよく酔った頃に二段式寝台に寝ますが、上段ベッドに登るむさくるしいヒマラヤ山系くんを評して天井裏のドブ鼠と。。。目的もなく観光もしない阿房列車ですが、旅の楽しさが伝わってきます。
紀行文というものは、旅先での風景や料理、ものめずらしいものの紹介とかいろいろな書き方があると思いますし、自身の心の中を表に出した紀行文もあると思います。ところが「阿房列車」は、とりとめがない。。。肩を張ったような気どったものは全然なく、日常そのままを引きずっていくようなそんな紀行文ではないかと思います。銀色夏生さんの紀行文「へなちょこ探検隊」がありますが、一応は取材ですからいろいろな体験をするわけですが、どことなくそのような体験にどんよりと。やはり紀行文自体は日常を引きずったものになります。この日常を引きずったような取り止めのない紀行文というのも楽しいものですし好きです。列車の待ち合わせ時間や乗り遅れて次の列車を待つまでの無駄な時間。その無駄な時間を描くこととその無駄な時間の中にある心。そもそも目的もなく列車に乗り込むこと自体が無駄である。旅費を借金までして。。。金の無駄でしょう。これらの無駄の中に一つの雰囲気が醸し出される。これも紀行文の魅力の一つです。
この魅力を読者も味わうことができる。
だからとりとめのない僕のような者の思いでも僕自身にとっては楽しい物になるのです。
「阿房列車」は、多くの作家にも影響を与えたそうですが、その意味でも傑作なのでしょう。
【2007年】
葛根湯と栄養ドリンクで風邪をしのいできましたが、我慢しきれず医者に行ってきました。
今夜は早く寝よう。。。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
劇団カムカムミニキーナの20周年記念公演「水際パン屋」を観てきました。
まだは後援は始まったばかりですし、東京公演のあとも関西公演が残っていますし、ネタバレ的な感想という形では書かないほうがいいと思います。
カムカムミニキーナの公演は年に一度ぐらい6回ほど観ていますが、そこに表現されているものは暴力のむなしさや暴力では何も変わらないというものではないかと感じています。今回の「水際パン屋」も同じものを表現をしているものでしょう。
刑務所に入れられたのは犯罪者ではない。暴力というすでに死んだ人間(性)なのかもしれない。その蘇りを許してはいけないということでしょう。
馬浜=バハマ。。。カリブ海に浮かぶ島々にはキューバがあり、それを喉に刺さった棘棘とも感じる巨大なアメリカがある。馬浜刑務所はこのカリブ海をイメージしますし、そこにある刑務所と言えばアメリカ軍によるキューバ内の刑務所があり、今はイスラム関係のテロリストが収容されているといわれる。刑務所といえばキューバ革命にも関連するか?これらは広い実では冷戦があり、テロと戦争というものもある。この中での暴力のむなしさと暴力の無力性があるのではないか?八嶋さんが演じる魔女に操り人形のように踊りは印象的でした。そしてそれは本当に操られているのか。。。。
今回の「水際パン屋」はこれに加えて世代というものが表現されている。なんていったか松村さんが演じるパン屋、その娘「わり子」と孫「へる子」世代で守らなければならないのはみんなが喜ぶおいしいパンであったはず。暴力の世代間連鎖ではない。その中身これからの未来は若い今の人に託されるということでしょうか?おいしいパンを焼くために。
この世代というのは、劇団の20年と今後とも関連する。若い団員が増えました。。。。刑務所内には演劇部がある。新たな演劇活動が面白い舞台(おいしいパン)を若い人がつくっていかねばならない。そんなものは、公演後の対談に出てくる少し世代が低い人々との話しにも?
これからの世代は、「(か)わり子」でもなく「(か)へる子」でもない過去にすでに死んでいる世代に「換わる」「帰る」でもない?
若い人たちは世代を超えたもっとおいしいパンを作らなければならないよということを感じました。
よくできた舞台だと思います。同時に考えねばならないものはたくさんあることがはっきりするものだったのかもしれません。
【2011年】ツイッターつぶやき
テレビのニュースなどで見たのですが、自転車は車道を走るようになったそうです。
たしかこれまでは自動車と自転車との事故が増えて自転車は歩道を走るようになっていたと思うのですが、最近は速度が出る自転車も増えて自転車と歩行者との事故が増えてきて今度は自転車は車道を走ると。
警視庁の自転車に関するページ
自転車ははっきりと車両という位置で車道を走るのが原則と書かれています。
車両ですから自動車波ともいえる交通法規を守ることが義務付けられますし、もちろん罰金や事故時の損害賠償も。
これからはいっそう自転車も賠償責任保険等が必要になってきそうですね。特にピスト自転車や啓太やヘッドホンなどをやりながらの事故は厳しくなるのではないかと思います。
しかし、自転車すべてを同じ「自転車」として扱ってよいのかという疑問があります。
ギヤ付きのスポーツ自転車などと子供の自転車や速度の出ない自転車を同じ自転車としてもよいのでしょうか?たとえば自転車も第1種自転車、第二種自転車といった制度が必要かと思います。スピードの出る自転車は原付と同じものとして新たに自賠責を義務付け車道を走らせる。第二種は子どもの自転車やお年寄りが乗ったり子供を乗せて走るものに限定をする。これは歩道を走らせる。もちろんピスト式は公道の走行は禁止。
しかしこれからは自動車と自転車の事故が増えるでしょうね。
車と自転車の事故はどうしても車の方が不利のような気がします。同じ車両同士の事故として処理をしてもらわないと困ります。車で走っていると、歩道から車道に急に飛び出してきたり国道を右側通行してくる。横断歩道をものすごい勢いで突っ込んでくる。ヘッドホーンをしながら後ろも見ずに道路を横断する。
国道や幹線道路などには車道に自転車走行ゾーンをつけるべきですね。しかし車にも悪いところがあるのも確かです。
狭い道路。。。。。どのようにしても自転車の事故は減らないのかもしれない。
【2012年】ツイッターつぶやき
朝日新聞7面に「デフレ日本次の一手は?(3)」という東大の伊藤さんという方へのインタビュー記事があった。
「企業はこの先もデフレが続いて売り上げが減ると思うから、賃金をカットする。賃金が下がるから消費意欲がなえてますますデフレが進む」
として、「物価下落の悪循環が止まらないデフレスパイラルに陥っているのではないか」とする。
この内需から見たデフレの原因分析は正しいと思う。
しかし、企業は「デフレが続く」と思って賃下げなどをしたのではなくて利益確保を賃下げや安い賃金を求めて中国に行くなどに求めたのでしょう。その結果が国内消費を不安定にしてデフレが進行をしたとみるべきでしょう。
企業は設備投資を海外で行い国内は産業の空洞化が進んだ。これがまたゼロ金利にしろ日銀が金をばらまいても国内設備投資には向かずに「貯金」すなわち株や国債や金融商品に使われる。
この中でデフレ脱却をどうすればいいか。。。。
伊藤さんは日銀はリスクは大きいけど株式投資信託や外国の債券を買えと。
どうもここで、賃下げの実態をどう改善するかには結びつかない。女性労働や高齢者労働を促進しろと。しかしこのような労働力は低賃金化をさらに深めるでしょう。
小泉政権を高く評価していますが、小泉・竹中の財政システムを使えと?
しかし小泉改革が今の低賃金化をはじめたのではないでしょうか。企業の利益が上がり成長率を上げたとはいえ、それは派遣やパート・外国人労働者といった低賃金化の中でのリストラによる企業収益であったのではないか。
国民生活の切り下げによる企業の生き残り策のツケが今廻ってきているのです。
ここの解決がないままに、日銀はリスクのあるものでも引き受けろとか、政府は女性や高齢者の雇用を低賃金として促進しろとか、結局は小泉改革的なものを今もう一度やれといっているようなものでしょう。
【2013年】ツイッターつぶやき
昨日の続きのようなものです。
安倍総理は韓国との間に「全面的な言論戦に突入」の動きを示し始めたようです。
これも積極的平和主義の一環でしょう。
軍事(安保の活用)も含めた対立の激化と表面化は、昨日も書いたような懐の深さを失っていくことでしょう。
韓国との竹島問題、中国との尖閣諸島問題、ロシアとの北方四島問題そして北朝鮮との拉致問題。これを積極的平和主義という路線で行っていく。もちろんその力には経済もあるわけですが。
しかしこのような外交から極東アジアの国々が日本との「間」を置くようにならないでしょうか?
それは外交的な物であったり国民的な内部において。中国の反日運動は少なくなりました。でも日本批判は続いているでしょう。同時に日本とは経済でtながればいいと。これが「間」ではないでしょうか?韓国やロシアそして北朝鮮がその「間」を置くようになったなら領土問題も一括処理の方向に向かうでしょう。もちろん拉致問題にも影響します。
日本という島を隔てた大陸との溝が「間」になってしまう。日本がアメリカとの協調関係を重視してそれに依拠すればいいとしているのかもしれませんが、アメリカ自体が領土問題には中立的ですし、民主主義という軸の中にそして経済での国益を優先します。軍事的な緊張がなければ。
日本は懐を深くしなければならない。それは平和主義・民主主義であり国民の自由や積極性(委縮させてはならない)そして生活を保障する国内矛盾の解決です。この中でしか主導権は持てないでしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
すき焼き自体が「すき焼き鍋」で鍋料理の一つなのでしょうが、今夜はこのすき焼き鍋をもっと鍋風にしてみました。
土鍋に豚肉(もちろん牛肉のほうがうまいでしょうが経費削減です)敷き詰めてだし汁を火にかけた時に肉が焦げないぐらいに入れます。その上に白滝・厚揚げの薄く切ったのもの、えのきだけそして大量の長葱を順番に重ねて入れます。長ネギは関東風ではなくて青い部分が多いネギがよいと思います。この葉っぱの部分の青いところがうまいです。
あとは火にかけて沸騰してきたら、酒、砂糖、みりん、醤油を適量かけて煮込むだけです。煮込むといってもねぎに日が通るか通らないかぐらいです。味付けの調整をしてください。
火を止めて生卵を落として蓋をしたら出来上がり。
卵はとろりとしたころが食べ時です。卵を混ぜながらお召し上がりください。
「商品価値の低下(2)」で見たように企業間の競争は生産性の向上によりより安くより多くの商品を生産して特別剰余価値を得ることにある。より安くより多くの商品生産を行うということは、同じ労働力量(従業員数とみてもよい)でより多くの商品を生産するわけだから賃金部分に投下する資本(可変資本)は同じで、より多くの商品を生産するための生産設備や原材料を必要としてこの生産に必要な設備などへの投下資本(不変資本)は多くなる。そうすると可変資本に対する不変資本が増加をするのですからこの可変資本に対する不変資本の比率(資本の有機的組成)が高まる。資本の有機的組成は高度化する。より多くの商品は無政府的に市場に出される。それは売れるかどうかは市場に出してみないとわからない。その商品の生産を行う企業が集まる産業内で生産性が高まると商品の過剰傾向を示す。
この商品の過剰生産傾向が起こったとき、もちろん生産性の向上は停止するだろう。その産業の成長は停止をする。同時に高度化された資本の有機的組成にどのような変化が起きるだろうか?
商品の過剰は生産設備の過剰として現れる。不変資本の過剰である。生産性の向上を行うために投下した資本の過剰である。その生産設備を拡大するために銀行からの借り入れで行っていたならば負債だけが残ることとなる。一部の向上工場は閉鎖をされるでしょう。不変資本は整理をされて資本の有機的組成の不変資本部分が減っていく。資本の有機的組成に変化が起きてその組成は低下をする。可変資本が多くなっていくのである。この時生産性の向上により不変資本を商品に価値移転する労働力量はそのままなのだから必然的に可変資本の過剰となるでしょう。
可変資本の過剰は何を現すか?
失業である。失業が不可避となる。
このような状態が国内の多くの産業で起きたならばその国の経済はデフレとなるでしょう。生産性の向上により商品価値は下がったままなのですから。
上に書いたように国全体の不変資本の過剰が銀行からの負債を残したままならば銀行にとっては不良債権となる。
しかしこれまで書いてきた中身において労働力も一つの商品ですからその価値である賃金額に変化はないと仮定されましたが、賃金を労働力の再生産費として見ればあらゆる商品の価値低下が行われればその労働力の再生産費も低下をして賃下げ傾向を示します。同時にこのような経済法則による賃下げだけではなくて労働市場での需給関係から買いたたかれる事態も発生をする。
労働力の再生産費はただ生きていられるというまでに切り下げられる。
商品の供給量も減り同時に消費量はさらに減るでしょう。
失業者はさらに消費量を減らすことは当然です。
この中で絶対的にも相対的にも商品の過剰は広がる。
豊富な商品量はあるのに消費できない労働者が増える。一方における過剰と一方における貧困が生じる。
これが今の日本あるいは先進国の状態ではないだろうか?
この中で貨幣量だけが増えても企業の資本投下には結びつかず、そして貧困化する労働者の消費にも回らない。ただでさえ過剰な貨幣量に新たに貨幣を注ぎ込むのはだぶついた貨幣があるにもかかわらず火に油を注ぐようなものなのである。
【2015年】
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「家でよく作る鍋は何?」
鍋と言えば、水炊きですね。
肉が好きな我が家は鶏肉と豚肉両方を入れます。
豚肉は薄切りのバラ肉をくるくるとまいて。
水炊きの楽しみは食い終わった後の雑炊です。
みそ仕立てにして長ネギのみじん切りをたくさん入れ、最後に卵を流したら出来上がり。
そういえば最近水炊きに飽きたときはみそ仕立てのスープにキムチをたくさん入れた鍋がうまかったです。
この鍋の時は雑炊ではなくてリゾット風に。
トマトを薄く切って乗せて仕上げにとろけるチーズを乗せたら出来上がり。
〆にうどんかラーメンが食べたいときは、レタスしゃぶしゃぶですね・・・・・もちろん肉なども食べますが、レタスをさっと湯に通してまだシャキシャキとしたうちにポン酢かごまだれで。
〆は、お椀に味覇というスープの素と長ネギのみじん切りそして粗びきコショウを入れてしゃぶしゃぶの残りのスープを入れてそのスープで麺を食べます。
うん。。。。。鍋の楽しみは〆にもある!
トランプ大統領が来日した。その前にイバンカ大統領補佐官も。
毎日の報道を見たり聞いたりしていると、何しに来たの?という疑問というのか判然としないものがないでしょうか?
なんとなく日米の関係がうまくいっているんだなぁ。。。。と。
でも、この親密さはどこか狎れ合いのようになっているのではないか?
ロイターに「日米首脳、北朝鮮に圧力で一致、日本に米製武器の購入を迫る」という記事がある。
北朝鮮への圧力はすでに新たな提案ではもちろんないしすでに日米が世界から孤立するような情勢に変わりはない。
日本の武器購入についても、以前からFTAに変わる武器の輸入が見えていた。
今後の副総理、副大統領との協議で終わり、北朝鮮に対する北朝鮮のテロ国家規定についてもあいまいな状態のようです。
ですから今回のトランプ訪日は日米ともに内政に対するパフォーマンスの域を出ないと思う。
日米の内政は案外もろいものが存在をしています。安倍自民党は圧勝したとはいえ国民の支持となると消去法内閣ですし、内閣の支持率もそうは上がっていない。トランプさんは外遊どころではない状況が出ています。
この中で北朝鮮危機を煽るという馴れ合いが大切になっている。互いに北朝鮮危機説を大きくすることにより、日米安保からアメリカは日本に武器を売る。それを日本は喜んで購入する。これでは抜本的な日米の経済協力の在り方からは離れているのです。
トランプさんの今回のアジア歴訪の意味は、韓国であったりもちろん中国なのでしょう。
【2018年】ツイッターつぶやき
イランで拉致され拘束されていた安田さんの記者会見で注目されたのが謝罪であり自己責任だった。本来ならば拉致されていた間の状態や安田さんがどのような事柄を取材して何を伝えたかったかが大切なはずだが、自己責任と謝罪だけに注目されたことは残念です。
朝日新聞の記事で「安田さんの「謝罪」ジャーナリストはどう見たか」という記事がある。
「フランスでは、謝罪は間違ったことをした時にする。彼は記者の仕事をして事件に巻き込まれた。フランス人記者なら、心配してくれた方々に感謝するだろうが、謝罪はしない」(引用)と。
そしてフランス人記者が同じように拉致されて帰国したときは、大統領自身が出迎えて
「報道の自由に尽くす、優秀な同胞がいることを誇りに思う」(引用)と述べたそうである。
自己責任からの謝罪を求める日本の風土と誇りだとされて迎えるフランスの風土の違いがはっきりします。この風土というのは自由や民主主義への考え方にあるのでしょう。
大きなマスコミは自己規制をして危険な地域には入らないでしょう。取材はできないので外国の報道に依拠しなければならないし、そこに受け取る側の考え方が入り正しく紛争地などの実態がわかっらずじまいになっていないか?
フリーのジャーナリストの取材であることから初めて僕たちは真実を知ることになるのかもしれません。
小泉内閣時にも同じような拘束されたジャーナリストがありその時から自己責任が広く言われるようになったのではないか。この自己責任はその後社会の隅々で言われるようになった。
安田さんの場合も自己責任であることに間違いはない。
しかしその安田さんの自己責任においての行動が社会から非難されるようなものだったか、尊敬されるべきものだったか、ここの見方によって自己責任の意味合いが違ってくるでしょう。国や国民に迷惑をかけたという非難から自己責任論を出す。すると非難されるべきことを行ったのだから謝罪しろつなるでしょう。
一方ではその自己責任においての行動がたたえられるものと受け取られるならば、その自己責任は謝罪すべきものではなくて救出してもらったことに感謝をすればそれで済むことになる。
自己責任でやったのだから謝罪しろ。。。。。
日本は最近すぐに謝罪しろと詰め寄ることが多くなっていないか?大きな問題でなくても、例えば店員と客の関係において少しの間違いであっても謝罪しろと。。。。。
自らすぐに謝罪を求めることは醜いことです。店員と客戸でトラブルが発生したとき、一応店側は説明をして納得してもらったにしろ、その客は店員の態度が悪いといった話になり謝罪しろと。
力関係においての謝罪。。。。
結局は社会的力や金の力で謝罪をさせることになる。
安田さんの「謝罪」はマスコミや一部国民の社会的圧力による謝罪であったのか?その面があったことは否めないがしかしどこかに自分をしっかり見つめているような姿に見えた。
【2019年】ツイッターつぶやき
ワシントン・コンセンサスというのは、アメリカ政府、IMF、世銀が意見の一致として経済政策を進めることのようですが、
しかしBloombergによると、
「だがIMFが最近公表した新たな報告書には、米政府との見解の一致はほとんど見られない。この報告書でIMFは、先進国は富裕層の税負担を増やすことにより、成長を犠牲にせずにより公平な富の再分配が可能になると主張」(引用)
という状態のようである。
格差や貧困を生み出してきたワシントン・コンセンサスが「経済成長の低下をもたらす」とまで分析を始めた。
2015年に「政治と経済」という記事をこのブログに書きましたが、2015年当時IMFは、
「過去半年でG20構成国が成長促進策を講じる必要性はより高まっているとし、先進国における緩和的金融政策が「不可欠」とした。国家の生産量と生産性を上げるための構造改革の必要性も訴えた。」(ロイター)
と主張をしており、これに対して僕のブログでは、
「先進国は自国での内需の拡大を目指すべきでそこでの協調が必要でしょう。内需の拡大は国民生活の安定という事であり、そこでは経済法則に反した通貨安競争も必要ではなくなる。物価の上昇を人為的につくる必要もなくなる。物価は本来の意味においての生産性の向上(賃下げに頼らずに技術の発展によりより安くより大量に生産する)により商品価値を下げていくことである。価値低下を起こした商品は価格も安くなる。それにより賃上げではなくて商品が安くなるという意味での相対的な賃上げが行われる。
格差の是正は消費を拡大するでしょう。政治はこの格差の是正に集中しながら消費を拡大していくべきです。」
と、主張しました。
あれから4年が経ちましたが、やっとIMFも格差や貧困が世界経済に悪影響をもたらしていると主張せざるを得ない状態になりました。
国内的に、アベノミクスの否定でなければなりません。そして消費増税による富裕層や企業の救済を止めねばなりません。
IMFもトランプさんが主張しはじめた税制改革に批判の軸足があるようですが、税制度も含めて国民の生活の安定がどのように崩れているのか、それが世界経済にどのような悪影響を及ぼしているのかをさらに分析を深めねばならいでしょう。
【2020年】ツイッターつぶやき
日米関係では日本の従属が長い間続いていましたし現在もその形に変わりないでしょう。
しかしアメリカの力が衰退していく場合、中国の台頭はもちろんありますが日本も
しかし中国の経済成長に日本は追いつかない。追いつかないどころか日本はマイナスよくて0%でしょう。
その中で日本は経済での生産性向上に向かっています。
中国では5か年計画でコロナの経済の落ち込みを内需を中心としたものに力を入れます。それには貧困をなくすために一人当たりのGDPを引き上げていくでしょう。
一方日本は生産性を高めるために労働者の状態を悪化させることにより企業利益と株価を今後も維持しようとする。これはアベノミクスと日銀緩和で失敗したはずですが、さらに勤労国民から搾り取り同時に高齢者を切り捨てることを続けることしかできなくなっているのかもしれない。日本の生産性向上は海外の安い労働力と資本輸出、そして国内では勤労国文の生活を下げながら企業のパイを維持することに慣れ切ってしまっています。
この中国と日本の違いは今後のアメリカ語の世界経済において大きな違いが出るでしょう。日本はアメリカの後追いでしょうか?アメリカへの従属意識がアメリカ後の日本をアメリカを追い越すアメリカ型の国に。。。。
憲法を変えてアメリカと同じことができる国。。。。。
アメリカの後追いでは結果は決まっている。そして内政では非常に息苦しい謝意となってしまう。
【2021年】ツイッターつぶやき
diamond Onlineによると、コロナ感染防止とインフルエンザワクチンの併用である形のインフルエンザが絶滅したかもしれないそうです。
去年はインフルエンザの流行がありませんでしたね。
こう見るとこの何十年間インフルエンザと付き合ってきて多くの人々がなくなったりもしました。
もちろん手洗いうがいなどの感染予防も言われてきましたが、コロナのようなロックダウンあるいは緊急事態宣言などがされませんでした。徹底した感染予防でインフルエンザのある方には勝ったのかもしれません。
これはコロナにも勝つためのヒントになるでしょう。インフルエンザよりもしぶといコロナですが、ある期間に徹底した感染予防を行えば勝てるのかもしれません。それには検査と隔離がどうしても必要でしょう。新規感染者数が減少した今、経済対策も必要ですが、もう少し我慢をして検査と隔離を徹底すべきなのでしょう。
【2022年】ツイッターつぶやき
僕は喫煙率の高い時代は同時に大気汚染という公害が問題になっていたとして、この影響が30年のタイムログにも当てはまると言っています。
しかしあなたから示される専門家の研究は大気汚染との比較研究がない一つの仮説です。
肺癌は大気汚染などの影響もあるがタバコが主原因だという仮説が訂正に。
一つの仮説が権威性を帯びると、狭い範囲において定説となり、この定説が独り歩きすると定説を改めて研究しなおすことができなくなる。
この中に禁煙運動や嫌煙というものが巻き込まれ、自己申告による診断までがエビデンスのピラミッドに加えられる。
喫煙(受動喫煙)していたからとバイパスができる。
(以上ツイッターから)
ある人が肺がんになると、タバコを吸っていたかが言われる。喫煙者だとわかるとタバコを吸っていたからなぁで済まさせる。これだけ肺癌イコール煙草という定説が権威として人々の中に浸透している。実はほかの原因かもしれないのに。医者というのは原因よりも治療が仕事ですから黙々と治療を行うが、研究材料としては統計の数字として喫煙者とされる。ここに危険性があるのです。他の原因は全く考慮されない。非喫煙者ならば他の原因も考えられるが、その原因は喫煙者の肺がんの原因でもありえるのに。
こういった喫煙と肺がんに関する実態が社会の中で同じ手法で片付けられているかもしれない。
政治でも経済でも。。。。。
思考回路が逆立ちをしていく。。。。
【2023年】ツイッターつぶやき
日銀が2%目標に向けて来年度春闘の賃上げに自信を持った。これの前提として経団連が去年以上の4%賃上げを目指すとした。
しかし、岸田総理は扶養控除をある賃金高は控除を少なくすると。
今年も賃上げは一定あったがその分社会保障負担などで消えて行っている。
2%目標は無理でしたね。
来年も同じ形で国民生活の改善はないでしょう。