夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2016年 3月29日(火)「イデオロギーアレルギー」

2016年03月29日 22時13分49秒 | 「思うこと」
以下、今夜のツイートから。。。

イデオロギーアレルギー。。。。自分がなくなっちゃうよ。考えることを忘れてはだめで、その考えたことを話し合えないならそれはもっとダメ。
知識はどこまで行っても知識。その知識は自分の言葉になって考え方に結び付けないと。。。。
昔から自分の考え方を真面目に話すると、クライ~と。マジメ~と。協調性がないと。。。。。
昔から特定のイデオロギーを持たないという人が多かった。しかし考え方の物差しを持たない人間などいないはず。しかしその物差しは教科書的だったり作られた社会の常識だったりするのが多いのではないかな。
教科書的だったり、作られた社会常識にどっぷりつかってしまう物差しで少し違う考え方を耳にすると、拒否反応が出てしまう。その拒否反応がイデオロギーアレルギーなわけです。ですから特定のイデオロギーというのが社会常識ではない考え方になってしまう。
あるいは社会常識から少し離れたイデオロギーに対して理想でしかないよと冷淡になったりする。自分は現実主義者だと。しかし理想あるいはこうあるべきだというものを捨ててしまうと、そこでも又自分というものをなくしてしまう。理想の裏にある社会の退化にも鈍感になってしまう。
一方ではイデオロギーと感情を一緒くたにしてしまうことがある。それは扇動的な言葉を発することや単なる「バカ」とかという誤った毒舌に走る。案外専門的な知識のある方が専門外の人に対してこの感情に訴えた扇動や誤った毒舌に走ることも多いのかとも思う。
この専門的知識のある方が政治家のように社会的な影響力のある方ですと、社会全体が観念的なものになってしまいますね。しかし実はその専門性においてイデオロギーが強いとすれば、反イデオロギー的国民は観念的社会の中におかれたままにそのイデオロギーを社会常識としてみてしまう。
これは右も左もないのです。眉に唾をつけながら自分の能力において考えあいましょう。

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