この世は美しく、人生は素晴らしい。
「おそらく肺癌であろう」との診断を受けたのは、今年の三月のことだった。
昨年末から、繰り返す血痰に、数軒の病院を回るものの、
「マイコプラズマでしょう」「アレルギーかも」
と、そのたび診断は変わり、
処方されるのは、せいぜい抗生剤や去痰剤などで埒が明かず、
もう一軒、行ってダメなら大学病院へ行こうと思った矢先に、近所の女医さんが、
「肺炎で見えないレントゲンのこの部分がどうも気になるからCTを撮りなさい」
と、大きな病院を紹介してくれたのだ。
結果、撮られた画像には、
『左肺下葉に新生物疑い。リンパ節に転移疑い』
そうして、女医さんのもとに戻されたその画像は彼女を慌てさせ、
「○○大学の呼吸器科を紹介するから今からすぐ行け!」と、
ようやく今の病院に辿り着いたという次第なのである。
「若いんだから早くしないと!」...と。
行った先では、トントン拍子に検査が進み、
PET・CT、MRIと、あらゆる方法がとられた。
血液による腫瘍マーカー、
喀痰による検査も数えきれないほど。
果たして、PET画像では癌を疑われる部位が綺麗に光り、
私の肺癌疑いはさらに濃厚になったのである。
...そのときの気持ちを何と言えばいいのか、
これはもう、ひとことやふたことでは言い表せないだろう。
ただ、自分の死期について、あれほどリアリティをもって考えたことはなかったと。
例えば手術が出来たとしても、予後が悪いといわれる肺癌で、
これから自分はどうなるのだろう?
店は?
遺されたゴンザは?
妹や弟は?
日々の仕事や暮らしの中で、考えることは山ほどあったし、
逆にいえば何も考えられなかった。
覚悟はもって遺言は書いたが、
けれど...
「いつか行こうね!」と言っていた場所への旅行も、
「いつか出来たらいいね」と夢見ていたことも、
もしかすれば実現する時間がもうないのかもしれないと現実を突きつけられて、
ようやく目が覚めた。
人生が短いことはわかってはいたが、
実際は思っていたより、さらに短いのだ。
そうするあいだも私の検査は続き、
ついに入院しての気管支鏡検査にまで至った。
「苦しい検査は嫌だ」とは言っていたものの、
いざその時になれば、生きたい気持ちが上回り、
すんなり検査を受けることも納得出来た。
苦しいと言われる気管支鏡も、思ったよりは苦しくなく、
結果のほうがずっと待ち遠しかった。
けれど、ここにきてまでも確かなことはわからず...
肺癌の疑いは晴れぬまま。
が、腫瘍マーカーはやはりあがらず、
PET画像では黄色く光り、
(赤く光ると癌だと言われるが、緑や黄は偽陽性と言われるらしい)
喀痰検査からは癌細胞が見つからず、
気管支鏡でも、癌細胞は見あたらず...
どの検査の結果をもってしても、『偽陽性』であることは変わらなく、
癌の確定診断にもまた、至らなかった。
かといって、結核の検査は一軒目の病院から含め何度もやったし、
似たような症状をきたす肺の真菌症も否定された。
頭を悩ませた担当医は、ついに、
「気管支鏡で見受けられた、気管支に夥しくついた痰をまず徹底的に出そう」
と、薬を処方した。
「それから抗生剤をしばらく飲んで、造影CTを撮ろう」と。
「その結果によっては手術」
(生検)
果たして、長い長い一ヶ月が過ぎ、
造影CTの日がやってきた。
私とゴンザはといえば、今日こそ癌の確定を言い渡されるのかと、
手と手を握り、カチコチに固まったまま、結果を待った。
名前を呼ばれ、診察室へ進む際の息詰まる思いは、
経験した者でなければわからないかもしれないが、
足を一歩進めたいような、進めたくないような、
それは恐ろしい心持ちだった。
が、担当医はあっさりと、
「なんかよくわからないけど、綺麗になってるね~。ここにあった塊。
なくなってるよ、ほら!」
なんと、あれほど大きく気管支や肺を塞いでいた結節は、ほぼ消えてしまい、
肺炎の影もなくなっていたのである。
(実は薬を処方されて数日後から、血痰も大量の痰も止まっていた)
「僕たちもね。最初は八割か九割がたは肺癌だと思ったけど。
肺癌は抗生剤じゃ良くならないから、これは癌じゃないと思う」
(この際の『僕たち』とは、呼吸器内科、検査のチーム含めてということらしい)
「ま、経過はちょいちょい見た方がいいけど、このままよくなるといいね」
なんでも、何かの炎症が起きてもPETは光ることがあって、
その消えてしまった腫瘤の正体は正確にはわからないが、
このままいけば問題ない。
あまりにあっさり、目の前を塞いでいた雲が晴れて、
言葉もなく、脱力する二人。
「大逆転だよ。よかったね♪」
気さくな担当医に
「じゃあ、六月に予定していたイタリアには行けますね?」
浮かれて確認すれば、
おそらく問題ないが、
その前に一応確認のレントゲンを撮ろうかねとの提案。
「はーい♪」
予想外の明るい兆しに、軽いノリで返事をした私。
...が。
実は話はここで終わらず、
肺癌騒動の次には、新たな騒動がまた、待ち受けていたのである。