いよいよ最後の街に到着!
ソレントを発って、アマルフィに寄り、
着いた先は、最後の宿泊地サレルノだった。
Tの旅の目的地。
海辺の地方都市。
少しはずれれば、廃工場や廃屋が建ち並び、
かつては賑わったのだろうと、
まるで日本の昭和を思わせる街だったが...
華やかな保養地を経てやってくるには、少々地味で、
けれどだからこそ、『暮らし』が見える場所でもあった。
ちなみにサレルノ県の公式HPには、日本語のページもあります。
「サレルノに着いたら、ショッピングモールへ行こう!」
イタリアへ着いてから、お土産をどこで買おうか悩む我々に、
Tがくれた助言は
「お土産屋は高いし、同じようなものをスーパーで安く買うのがいい」
だったので、共に、
郊外型の真新しいショッピングモールへ行くことにする。
日本でいえば、ららぽーとのようなそこへ車を走らせれば、
やがて窓から見える、何やら白い影。
「羊!」「羊だ!」
ハンドルを握るゴンザは、みんなの叫びにキョロキョロするも、
運転はあるし、羊の姿は確認出来ないしで、
もどかしげに「どれ?どこ?」。
「だーかーらー、あの白いの一面だってば!」
まさかショッピングモールの真横にあんな大群がいるとは思わないから、
彼は一頭二頭の姿を探して目を泳がせていたのだというが、
たしかに全員がその光景には驚愕し、笑ったものだ。
買い物のあとは、恒例街歩き。
続くモール内のスーパーでの買い物は大収穫で、
その後に待っていた、夕食も、夜の街歩きも素晴らしかった。
ここでも融合する文化。
イタリアへ行く前に色んな人から言われていた危険を、
私たちはついに滞在中、感じることがなかったし、
それはもちろん行った場所によるのだとは思いもするが、
サレルノの街中には、燃えて黒焦げになった車が放置されていたり、
窓が壊れたままの建物に人が住んではいても、
どこかのんきな空気が漂っていたように思う。
何より、街中や公園は深夜まで立ち話をする人の群れで溢れかえっていて(笑)
こんなに人がいるならば、
誰かしら、何かあれば助けてくれるだろうと、
そんな気にもなってきたものだ。
ポモドーロのパスタは各店各様。
こちらのお店は現代的な盛り付け。
老いも若きも男も女も、ついでにワンコも、夜風に吹かれて立ち話、
それが、私たちの見たサレルノの街。
田舎で、でも大きくて、労働者がいて、彼らの住むエリアがあって、
古い綺麗な史跡がある。
何より、海に面した風通しの良い公園が、
横浜を思わせて懐かしい、
そんな街でもあった。
ぎらぎらじゃない、綺麗。
私たちの想像より、イタリア人は真面目で、
(イメージほど)底抜けに陽気とは思えなかったけれど、親切だった。
立ち話をしないと死んじゃう病で(笑)
でもたぶんその立ち話も、手を縛られたら出来ないんだけど、
(彼らは話すとき大きく手を動かす)
二階の窓と下の路地越しでも喋りたくて、
何より子供が大好き。
横浜の人間には懐かしい感じ。
街の、若い子が集まるカフェで、私とゴンザが見たのは、
若い女性店員が、店を訪れた小さな子供の頬を愛しそうに撫でたあと、
その、自分の手にそっと口づけする様子。
まるで彼らが神に祈って十字をきった手に、そうするように。
子供が大切にされる国はいい国だと思う。
厳しい顔で働くホテルのフロントマンが、
小さな子供を見て相好を崩し、
口をチュッチュと鳴らしてあやすのを見て、
そう実感した我々だった。
Tによれば、
「小さな子供を見たら、絶対に放っておけず、
寄ってたかって可愛がるのがイタリア人」
なのだそうだ。
たしかにイタリアでは、
泣いている子供を見たのは船内での一度だけで、
乱暴にその子を叱っていた母親は、
飛んできた二人のセキュリティに、
その行動をたしなめられ、
ついには自分が泣き出してしまっていた。
羊のくだりには、私もゴンザさんと同じ目線で、
羊が一匹二匹って探しました。
スーパーの隣にいっぱいじゃなく一面の羊なんて想像できない。
子供が大切にされる国 ほっとしますね。
子供を見ると自然と微笑んでしまう。
子供の天使の力は凄いです。
サングラスのベビーカーの赤ちゃん
微笑みを超えて笑いました。
一方で、物乞いに抱えられた赤ちゃん
何処の国も難しい問題を抱えているんですね。
『いろんな発見』の中には良いことも悪いこともあり、
複雑な思いでもあります。
私たちが忘れがちな、差別や社会の暗部の存在。
「ああ!」と少し、幼い頃の暮らしを思い出したりしました。
昔は日本にも、『物乞い』と呼ばれる人の存在があり、
貧しい地域、隔離された地域がありましたね。
けれど子供の未来が、それで決まってしまうのでは
あまりに悲しいから、なんとか這い上がる手段が、
ある社会であって欲しいと。
サングラスの赤ちゃん。
まるで自分で「わたち、クールでしょ?」と言ってるみたいですよね(笑)