我が家の隣にお豆腐屋さんがある。いや、最近になって、本当の隣にキムチ屋さんが出来たので、お豆腐屋さんは、隣の隣だが、とにかくそこは、朝早くからご夫婦で営業をなさっている、昔ながらのお豆腐屋さんである。
そこへ先日、厚揚げ1枚を買いに行こうとした私だが、立ち上がって財布を手にしてから、ふとあることを思いついた。というより、前々からそうしようと思っていたことを実行に移すことにした。
台所から、ステンレスのボールを持ってエレベーターに乗る。そして、お豆腐屋さんに行き、店番をしている奥さんに声をかけ、「これに入れてください」と、ボールを差し出す...。
...すると、途端に奥さんは笑った。
私はなぜだか照れて、「だって、パックとビニールが勿体無いし、昔はみんなこうやって買いにきましたよね」と言った。奥さんは「そうよ!でも今はねぇ。でもそうよね。考えたらパックはゴミになっちゃうんだもんね」と、相変わらず笑っている...。
今、巷では「クール・ビズ」や「レジ袋有料化」が論議を呼んでいる。
と言っても、ノーネクタイが仕事に相応しいか相応しくないかの論議ではなく、クール・ビズにはネクタイ製造業者が、レジ袋有料化にはビニール加工業者が反発しているという問題だ。
確かに。いままで生活の糧を得ていた仕事が減るとなれば、彼らには大問題だろう。家族も養わなければならないだろうし、従業員の給料だって払わねばなるまい。
しかし、このまま環境が破壊され続けていれば、孫子の代まで地球は持つのだろうか?
それらの産業に携わる人々は「この業界だけ規制をするのはナンセンス」だという。
街頭インタビューでは、年配の男性が「それを問題にするのはお門違い」だと言った。
...では。
どこから手をつければいいのか。ただ手をこまねいていればいいのか。今ある自分と自分の家族のために。現在生きている地球上の、しかもその中の何分の1かの「先進国」と呼ばれる国の人間の幸せのためだけに...?
便利さを、現代化の恩恵を受けているのは私も同じで、偉そうなことなど言えた立場ではない。
しかし、これからのことを思うにつけ、後の世の人々のことも気になる。
石油は本当になくならないのか。地球は本当に焼け焦げないか。
人間が石油を使うようになって何年だろう...。それは人類史の何分の1だろう...。
それなのに、我々はもう、それを使い果たそうとしているのではないのか。
そして、次の世代に残してゆくのは、そのツケなのだろうか。
お豆腐を、器持参で買いに行く。
その素敵な習慣ですら、残せてないのに?
そこへ先日、厚揚げ1枚を買いに行こうとした私だが、立ち上がって財布を手にしてから、ふとあることを思いついた。というより、前々からそうしようと思っていたことを実行に移すことにした。
台所から、ステンレスのボールを持ってエレベーターに乗る。そして、お豆腐屋さんに行き、店番をしている奥さんに声をかけ、「これに入れてください」と、ボールを差し出す...。
...すると、途端に奥さんは笑った。
私はなぜだか照れて、「だって、パックとビニールが勿体無いし、昔はみんなこうやって買いにきましたよね」と言った。奥さんは「そうよ!でも今はねぇ。でもそうよね。考えたらパックはゴミになっちゃうんだもんね」と、相変わらず笑っている...。
今、巷では「クール・ビズ」や「レジ袋有料化」が論議を呼んでいる。
と言っても、ノーネクタイが仕事に相応しいか相応しくないかの論議ではなく、クール・ビズにはネクタイ製造業者が、レジ袋有料化にはビニール加工業者が反発しているという問題だ。
確かに。いままで生活の糧を得ていた仕事が減るとなれば、彼らには大問題だろう。家族も養わなければならないだろうし、従業員の給料だって払わねばなるまい。
しかし、このまま環境が破壊され続けていれば、孫子の代まで地球は持つのだろうか?
それらの産業に携わる人々は「この業界だけ規制をするのはナンセンス」だという。
街頭インタビューでは、年配の男性が「それを問題にするのはお門違い」だと言った。
...では。
どこから手をつければいいのか。ただ手をこまねいていればいいのか。今ある自分と自分の家族のために。現在生きている地球上の、しかもその中の何分の1かの「先進国」と呼ばれる国の人間の幸せのためだけに...?
便利さを、現代化の恩恵を受けているのは私も同じで、偉そうなことなど言えた立場ではない。
しかし、これからのことを思うにつけ、後の世の人々のことも気になる。
石油は本当になくならないのか。地球は本当に焼け焦げないか。
人間が石油を使うようになって何年だろう...。それは人類史の何分の1だろう...。
それなのに、我々はもう、それを使い果たそうとしているのではないのか。
そして、次の世代に残してゆくのは、そのツケなのだろうか。
お豆腐を、器持参で買いに行く。
その素敵な習慣ですら、残せてないのに?
早速遊びに来てしまいました。。。
お豆腐屋さんが隣の隣。。。いいですねぇ。。。
手作りのお豆腐をボールを持って買いにいく。。。
昔はそんな感じでしたよね。。。
自転車でラッパを吹きながら来る豆腐売りが大好きでした。。。
その音が聞こえると母に「お豆腐買って」と言ってお手伝いさながらボールを持って自ら買いに行ったりしたものでした。。。
こう言う習慣。。。私が住んでいる田舎町でも消えつつあるようです。。。
淋しいですよね。。。
焼き芋はこれまた新聞紙できちんと作った
袋にいれてもらって持ち帰るんです。
世のお母さん方はかご持参でお買い物をしていました。
私が子どもの頃の風景です。
世の中、とかく無駄が多すぎる。
一つ規制をすると、一つ産業が圧迫を受ける。
死活問題になる。
だから規制が進まない……
なので現状維持でこのまま……
経済活動を中心に物事を考えるから
堂々巡りになっちゃうのではないかしら、と、
あっさり考えてしまうんですが、
たとえば、昔はなかったレジ袋、
今もホントは不要なのではないでしょうかねえ。
簡便さを求めるからしわ寄せが使う側に
来ないんですよね…
最近、昭和30年代頃の風俗を懐かしむ傾向がありますが、
ノスタルジックな思い出に浸るだけではなく、
当時の生活様式と今を比べてみて、
若干の不便も豊かさの内、という考えには
いかないものかしら、と思いますね。
早速お越しくださいまして
ありがとうございます!
ラッパのお豆腐屋さん...懐かしいですね。
当時お手伝いをすることは、ボールを持って
お豆腐を買いに行くことは、
なんだか気恥ずかしいような、誇らしいような、
子供にとっての大切な仕事でしたよね。
そしてそこから私たちは、色々なことを学んだのだと
思います。
ミント様が買いに行ったお豆腐も、素敵な思い出と
なったのですね。
せっかくの良い習慣なら、残してゆきたい。
本当は大人のみんなが、そう思っているはずなのに、
世の中の流れはそれと逆を行く。
でも、私たちがそれを大切に思っている限り、
どこかで、それは続いていくのかもしれません。
また、遊びに来てくださいね!
t-cat様のコメントを見て、関係ないようですが
「映画クレヨンしんちゃん・嵐を呼ぶモーレツ
/大人帝国の逆襲」
を思い出してしまいました。
もうご覧になりましたか?
これは私の中で、ここ数年の邦画№1で(と言っても
私はあまり邦画を見ないのですが)、
ゴンザと2人、大号泣したのも記憶に新しいところ
です。
そこでは、昭和30年代の風俗が生き生きと描かれて
いて、なんでも巷でも、子供たちより大人の胸を
熱くしたとか。
何でも簡便にするから会話がなくなる。
便利が時間に余裕を持たせるのではなく、
どんどんと時間を奪ってゆく。
そもそも日本人は「豊かさ」の解釈を間違えて
きてしまったのではないでしょうか。
戦後の焼け野原から立ち直るには、経済中心の
「豊かさ」を求めることこそが起動力となったの
でしょうし、だからこそ今、経済的に豊かな暮らしを
享受している我々があるのですが.....。
みんな、そろそろ原点に返るときが来たのかも
しれません。
t-cat様が新聞の袋に入れてもらった焼き芋は
甘かったですか?
ちょっぴり香るインクの匂い...
懐かしいですね。