ひとつの朽木にいろんなキノコ。
なんとなくうまくやっている。
そりゃ、ぶつかることもあるんだろうけど。
『ダイバーシティ』という言葉の意味を、
何度聞いても覚えられないのは、
それが、ピンとこないモノだからか。
『多様性』を叫ばれるごとに、
自由でなくなってゆくような気がするのは、
はたして私だけ、なのだろうか?
世の中はずっと昔から多様なもので、
いうほどそれを、
互いに活かしていなかったワケじゃない。
そう思うんだけど。
ひとつの朽木にいろんなキノコ。
なんとなくうまくやっている。
そりゃ、ぶつかることもあるんだろうけど。
『ダイバーシティ』という言葉の意味を、
何度聞いても覚えられないのは、
それが、ピンとこないモノだからか。
『多様性』を叫ばれるごとに、
自由でなくなってゆくような気がするのは、
はたして私だけ、なのだろうか?
世の中はずっと昔から多様なもので、
いうほどそれを、
互いに活かしていなかったワケじゃない。
そう思うんだけど。
ジェンダー、国籍、肌の色、年齢関係なく、
人は誰しも自己確立のために闘います。
不当な差別は、それらのどこにも、
必ずあると思うのです。
もちろん、それがいいとは思いませんが、
誰かに、押し付けがましく、
型に押し込められることの方が、
苦しく辛いことだと思うのです。
マスコミや目立ちたがり屋による、
聞こえのいい言葉への押し込めが、
自由や個性や互いの正直な交流を奪ってゆく。
私は仕事上、色々な人とお話ししますが、
どのようなジェンダーでも、年齢でも、
肌の色でも国籍でも、皆、等しく苦しんでいる。
そして自分であることの誇りを持っている。
それこそが、等しく人間であるということだと思うのですが...