猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

論点ずれとる。

2006年07月14日 12時05分52秒 | ぶ~すか言ってやる!
はいはい。
お久しぶりです。
「ぶ~すか言ってやる」
のコーナー。

ちょっと出遅れた感もありますが、現在ニュースで毎日騒がれている、サッカーフランス代表・ジダンの問題について、ぶ~すか言いたいと思います。

とは言ってもですね。
私は別にジダンにぶ~すか言おうっていうんじゃない。
いや。
そりゃ、少しはぶ~すか言わせてもらいますがね。

それ以前に。
なんか今回。
世界中の論点がずれてはいませんか?

「ジダンは何を言われたか」
「本当に差別発言はあったのか」

それって、今一番に話し合い、追求するべき問題ですかね?
今、一番に問題にすべきなのは、フィールド上で、どんな理由があったにせよ。
あのような暴力行為に及んだことについてではないんでしょうかね?

そりゃあね。
言葉の暴力もいけませんよ。
差別発言なんて、もってのほかです。
しかし、あそこで暴力を使ったことが、何か問題の解決に繋がるんでしょうか?

「母や姉を侮辱する言葉だった」
とジダンは言いますが、少なくとも今回彼があそこでじっと我慢をしていれば、彼の母と姉は、自分があそこで侮辱されたということすら知らないで済んだ。
そりゃあ、内容はシャレになんないものではあったかもしれませんが、子供が言う
「お前の母ちゃんでべそ」
みたいな低俗な争いで、ジダンは、負けて泣く泣くワールドカップを去らねばならなかった選手達の汗と涙をも穢したわけです。
もちろん、子供たちの夢と、みずからのサッカー人生をも。

しかし、メディアの報道は一切そんなこと言わないわけです。
「何を言われたか」
「本当に母親と姉を侮辱したのか」

もう、ジダンの姉と母はいいさらし者です。
今回の件ではFIFAが乗り出したようですが、言葉の暴力と差別についてなんて、ず~っと前から乗り出し、問題にしていなきゃいけないんじゃないんですかね?
サッカーでは、見えないように暴力をふるうとか、差別発言をするとか、言葉の暴力を使うとか、今まで普通にあって、それを故意に見逃してきたわけでしょう?
その体制こそ、問題じゃないんですかと。

なんで誰も
「どんな発言が理由であったにせよ、暴力をふるったことは間違っている」
って言わないんですかね?
ジダンだから?
ワールドカップだから?

まるで論点がずれとる。

中村俊輔が黄色人種だからと、黄色いビブスを着けさせられたとき。
誰か問題にしましたか?
FIFAが調査に乗り出しましたか?
日頃差別発言にさらされている移民系選手やアフリカ系選手が暴力をふるっても、
「よほどのことを言われたのだろう」
と、まず理由を考えてくれますか?
絶対にそんなことはないでしょう。

それなら。
ジダンだとて同じ事。

サッカーのフィールドは酒場じゃない。
いや。
言いたい事を互いに言って、腹がたてば暴力をふるうなんて、だいたい酒場だって許されないわけだから。
何か許せない言動があったのなら、試合後に異議を申し立てればよかったんです。
いや。
彼の社会的立場があればこそ、そうして、今後の体制を変えていくべきだったかもしれない。

これじゃ、どこをどう見たって、スターがわがまま放題しているうちに自制心を失って、試合に勝てそうにもないし、疲れてるしで抑えが利かなくなったとしか映らないでしょう。
それでもジダンに味方しちゃう人もいるんでしょうが。

何を言われたか、なんて論争は、今は意味がない。
まず、あのような行動をとったことを問題にし、それ相応の処分をする。
しかる後にその原因をきちんと、問題にすべきではないでしょうか。
そして。
その原因となる差別発言、言葉の暴力については、一過性の問題にするのではなく、根本的になくす努力が必要だと、私は思うわけです。

とは言っても。
もう何千年も、この世から差別も言葉の暴力もなくなったことはないわけですが.....。
スポーツの世界くらい、それが出来てもいいんじゃないの?
いや。
スポーツの世界こそ汚いなんていいますが。

なら、そんなもの放送すんなって話ですよ。

FIFAよ。
今まで何をしてたんだ?
そしてジダンよ。
本当にお前は母と姉のことを思いやっているのか?

ぷっちぃ、に。の旅立ちと、ふたつの蕎麦ちょこ

2006年07月13日 10時00分08秒 | 日記
さてさて。
我が家の畑もようやく収穫が得られるようになってきて。
そこからまた、新たな展開を見せております。

ここに通って下さる方にはもうおなじみ。
ズッキーニにかけられたプッチーニ疑惑も無事に晴れ、我が家のズッキーニは着々と成長を遂げているのでありますが.....。
実は。
このズッキーニがプッチーニ疑惑をかけられたことにより、新たなご縁が結ばれていたんでございます。
コメント欄をご覧下さる方ならもうご存知でいらっしゃるかと思いますが、ここを訪れてくださる「ぷっちぃ」様が、この、間違われたプッチーニの名に激しく反応されまして(笑)、そこから我が家のズッキーニは、「ぷっちぃ、に。」と名付けられたという。
で。
私の方から、
『ぷっちぃ様にちなんで「ぷっちぃ、に。」と名付けさせていただいたのだから、最初の一個が収穫出来たら送ります~』
な~んて約束をさせていただきましたら、なんと!
プッチーニはズッキーニだったじゃあ~りませんか!?
あ、いや。
「ぷっちぃ、に。」がズッキーニだったのか?

そこで!
私は悩みましたね。
「ぷっちぃ、に。」という名のプッチーニを送ると約束したのに、果たして今さらズッキーニを送ってよいものか?
いや、それ以前にズッキーニに「ぷっちぃ、に。」などと名付けてしまって、ぷっちぃ様のプッチーニを愛するお心を踏みにじってしまっているのではないか、と(笑)

しかし、ぷっちぃ様は笑ってそれを許してくださり、「ぷっちぃ、に。」と名付けられたズッキーニは、プッチーニとの誤解も解け、無事にぷっちぃ様の元へ旅立っていったのであります。
(ああっ、ややこしい!)

で。
そうしましたらですよ!
なんと、写真のような素晴らしい蕎麦ちょこがぷっちぃ様から送られてきてですね。
もう有難いやら申し訳ないやら。

いや~。
もう和食器が大好物の私にはたまらないプレゼントでございます。
ぷっちぃ様、ありがとうございました~。
大切に大切に使わせていただきますね!

蕎麦ちょこって、大きさも手にすっぽりおさまって、柄のおさまりもよくって、可愛いですよね。
そういえば、以前にも紹介したことのある、横浜橋商店街の中にあるお蕎麦屋さんには、壁一面の蕎麦ちょこコレクションが飾られていて、それはもう、楽しかったりするのですが。
なんでも今は、蕎麦ちょこを集めるのがブームになっているとか。
蕎麦ちょこは庶民が使うものだからこそ、遊び心に満ちた柄も多く、用の美が、そこにあるのでしょう。

ああ、この蕎麦ちょこで何を食べようかしら。
日本酒を注いで酒器として使っても良さそうだし.....
夢が拡がるわぁ~♪

あ。
ちなみに、ぷっちぃ様の元へ無事に里帰りした「ぷっちぃ、に。」ちゃんは、とっても美味しいラタトゥイユに変身させてもらったようです~。
「ぷっちぃ、に。」よ。
よかったね~。
(食べられちゃったけど・笑)

素早い立ち直りと、新しいメンバー

2006年07月12日 08時00分32秒 | ハ~プニング!
さて。
昨日はまことに勝手ながら、散々愚痴をぶちまけさせていただき、なおかつ、心からの優しいコメントまでいただき、本当にありがとうございました。

皆様のおかげで、すっかりいつもの私に、あきれるほど素早く戻れましたことに、まずは心からお礼を申し上げます。
また、ここに書いたことで、皆様にご心配をおかけしたことを心よりお詫び申し上げます。
また、今日から楽しいことをお伝え出来ますように、日々精進して参りますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

さっ、では。
元気に日記を続けますよ~。

ええと。
先日の日曜日のこと。
私とゴンザは早朝から畑へ出かけ、いつものように農作業にいそしんでおりました。
土を耕したり、トマトやなすの脇芽を摘んだり、たくさんの鳥がさえずる中。
気持ちの良い空気に包まれて、おしゃべりに興じながら.....時に寡黙になりながら、土と戯れていたわけでございます。
で、実は。
我が家の畑には、毎日やってくるハクセキレイ(野鳥)がいるのですけれども、こいつがまた、とっても可愛い。
私やゴンザの後を、怖がることなくついて回り、掘り返した部分から出てきた虫をついばんではまた、後をついてくるといった次第なわけです。
で、ですね。
なぜかそいつは頭がほんのりハゲていて、普段私とゴンザは、「ハゲ!ハゲ!」と呼んで可愛がっているわけなんですが。
あるとき。
大変なことに気づきました。

「おっ、またハゲ来たね♪」
「あれ?ハゲ、どこ行った?」

なんて、ハゲハゲ言っているうち、ふと、何気に、隣の畑に目をやると.....

「.....ハッ!」

「.....げっ!」

そう。
我々は、オクラの種をくれ、なにくれとなく、素人の私たちに親切にしてくれる、隣の畑のお兄さんの頭が、綺麗さっぱりハゲていることに、気づいてしまったのでございます。
ヤバイ.....。

もしかすると、我々がハゲハゲ連呼するうちの数回は聞かれてしまったかもしれない。
しかし、何事にも手遅れということはないはず.....
(そう思いたい)

そこで。
私たちは考えました。
この鳥をハゲと呼ぶのはあまりにも危険だからやめよう。
こんなになつっこい鳥なのだから、なつこという名にしようと。

そして。
何事もなかったように農作業を続けた、というわけなんですね。

と。
ふと畑の柵向こうに目をやれば、おもむろにやってきたなつこの仲間がなぜか羽を膨らまし、バタバタしている。
鳥がそんな態勢をとるのは威嚇やプロポーズの時だけでしょうから、我々は俄然興味を惹かれたわけです。
で。
ゴンザの
「あそこに何かいるのか?」
という言葉を合図としたように、同時に作業をやめ、その方向へ向かったところ.....

「!!!!!」
「なんだこりゃ!?」

そこに。
身の置き所に困って、石の下に頭だけを突っ込んで隠れたつもりになっている、畑の新メンバーを見つけたのです。



さっ。
ご覧下さい。
あまりに見事な、あたま隠して尻隠さずな状態を。
で。
その姿が素晴らしく可愛いので、意地悪にもゴンザが石をどかしてみたところ.....。
                                    
                                                              

いや~ん。
ますます可愛い♪
とがったお鼻と、小さな手足。
ちょこんとついたしっぽがラブリィです。

そこで。
またもやゴンザがつんつんと、お尻をつついてみると。
もぐちゃんもう大慌て(笑)

すかさず、なんとかもぐりこむことが出来そうな土を見つけると、ものすごい勢いで掘り進もうとする。
が.....
残念なことにそこは柵の外。
思いのほか土が固かったらしく、こんな状態に(爆)

ぎゃはは~。
なんて、なんて可愛いの~♪



皆さん。
いまだかつて、もぐらのこんなに可愛い姿をご覧になったことがあるでしょうか?
見て下さい。
このまあるいお尻。
ぴょこんと立ったしっぽ♪

あまりの可愛さに、このお尻をゴンザに数度つんつんされたもぐちゃん。
この後、必死にトンネル堀りを強行。
無事におうちへと帰って行ったのでした。

あんまり畑を穴だらけにすんなよ~。

この日、初めて会ったもぐちゃんは。
私とゴンザにその、とても珍しい姿を見せてくれ、穴に潜り込むことに成功したのと同時に通りがかったオジサンとオバサンの団体にも、
「ナニナニ?何がいたの?もぐら?わあ、珍しいねぇ!」
と、大きな話題を提供して、去って行ったのでした。

もぐちゃん、またね~♪

( 「お前らなんか、もう二度と会いたくないわい!」 byもぐ )

親であること、子であること。

2006年07月11日 01時04分02秒 | ルーツ
ときおり。
無性に腹がたってやりきれなくなることがある。

人として許せない人間が自分の親であるということは、とても切ないことだ。

私は冷たい人間だから、普段、母親とは関わらないようにしているが、それでも彼女の理不尽な要求は始終止むことがない。

「友達なんて面倒くさいだけだから作らない」
と言ってはその役割を我々に求め、
「私は人の嫌がることはしたくない」
と、他人には自分の言いたいことを何も言えずいい顔をし、我々には人間として許せないようなことを平気で言う。
「家族なんだから何を言ってもいいじゃないか!」
と、人の心を踏みにじる。
一生関わってゆく家族だからこそ、気を遣う事も、思いやりあう事も大切なのだと言い聞かせても理解しない。
夜中でも朝方でも昼間でも、人が寝ている時間と知ってて、電話をかけてきて愚痴る。
仕事の邪魔をする。
理不尽な要求をする。

昨夜は、彼女にしてはまだまだ軽いほうだが、勝手に夜食を共にすると決めて電話をかけてきて、私とゴンザがゴンザ実家で食事中であることを知ると、こう言い放った。
「なんだよ!私だけ置いてけぼりかよ!」

彼女は。
いつも自分の都合だけでものを考える。
妹が結婚を前提にした彼氏と同居生活を始めることも、ゴンザの嫁として私が生きる事も、彼女にとって都合が悪い時は腹のたつ出来事らしい。

私たち兄弟はみな、彼女に親らしく生きてくれと頼んだことは一度もないのに、彼女は一人の人間としてもきちんと生きられない。
そんなこと、ずっと前から知ってはいたが。

彼女にとっては。
悪い事はすべて他人のせい。

ある日突然子供を置いて家を出たことも。
男に金を貢ぐ事になったのも。
ギャンブルにはまって借金があるのも。
周囲に友人と呼べる人が一人もいないのも。
体の具合が悪いのも。
今、自分の人生がつまらないのも。

驚く事に。
彼女は電球ひとつ、自分で替えようとはしない。
我々が、すべてやるべきだと当然のように考えている。
まだ50代なのに、高速道路のSAでトイレから、駐車スペース1列目、15メートルの距離に停めた車まで、一人で戻ってこれない。
自分で場所を覚えておこうという気もない。
ゴンザが仕事明けに5時間運転して連れて行ってくれた花見も、半年後には忘れ「連れて行ってもらっていない!」と言い張る。
「ありがとう」と「ごめんね」という言葉を知らず、100Mも歩こうとしない。
我々の気を惹きたいばかりに救急車を呼んだり、入院した時などは、1人に頼めば済むことを、兄弟3人に同時に別々に言いつけ、小間使いのごとく扱う。
かといって。
1番気の強い私がキレればそのたび被害は妹や弟に及び、結局は心優しい彼らがワリを食う。
何より、逆ギレと愚痴、悪口は母の専売特許だからだ。

人は
「お母さんは寂しいのよ」
などというが、誰が寂しい人生を選んだのか。
どれだけの犠牲を払ってその人生を選んだのかと、私は思う。
まだ幼かった妹や弟は寂しくなかったと思うのか。
だからといって、私も彼らも、そのことを責めたりはしなかったのに。

私たちは。
子供の頃から。
彼ら.....
もう死んでしまった父に対して、ということも含めて。
親に甘い顔をしすぎたのだろうか。
「親である前に一人の男であり、女なのだから」
「大人には事情があるのだから」
などと、理解した顔をしすぎてしまったのか。
でなきゃ、家出前、家出後にそれぞれの元で言われた、何か都合の悪い事があるたびの、
「お前はあの女(母親)にそっくりだ」
「お前はオヤジにそっくりだ」
なんてセリフも出てこなかったわけだし。
彼らにとっては、都合の悪い事=人のせいなのだろう。
そういや、継母もよく
「あんたは子供を置いて出てゆくような母親の子だから」
なんて言ってたな。
近所の人や、友達の親も、よくそう言っていたが(笑)

妹は言った。
「幸せになれそうになると、そんなはずない、こんなに幸せでいいはずがない、って思う」
と。
確かに私もいつも同じ恐怖に付きまとわれている。
私の人生、こんなに平和で済むわけがない、と。
今までのことを考えると、そう思わざるを得ないのだ。
(詳細はカテゴリ「ルーツ」を辿ってくだされば)
そして.....。
幸せを疑う心が幸せを逃してしまう原因となってしまうのも知っている。

だからこそ、いつもは何も疑わず、私は幸せになれて当然だ、と思うようにし、妹にもそう言い聞かせ、実際自身もゴンザと幸せに暮らしているわけだけど。

母はいつも自分の都合だけでそれをぶち壊す。

私はないものねだりをしない主義だし、他人をうらやむようなことも滅多にしないが。
たまに.....
本当にたま~に。
やりきれなくなっちゃうのよね。
愚痴ですみません。

*明日は楽しくて可愛い記事だよん♪

羽化の瞬間

2006年07月10日 09時00分41秒 | 育てちゃったよ....
昨日お伝えした、モンシロチョウもんたの羽化。
動画のサイズがあまりに大きかったがために、その後、blogにUP出来る状態に持ってくるまで、大変な苦労をし、やっとこさここまでたどりつきました。
とってもとっても小さくなってしまい、長さも半分ほどに切りつめた、画像も不鮮明なバージョンになりますが、ご覧いただけるかしら?
元の映像は大きくてクリアなんですけどね。

PCをきちんと使いこなせていたら、もっとちゃんと出来るのかなぁ。
勉強不足ですみません。

でも、何とか、羽化の様子はわかるはず。
ここから先は、私がつべこべ言うより、実際に見ていただくのが一番と思うので.....。

もんたの新たな旅立ちをどうぞご覧下さい。
なんとも美しく、おごそかな瞬間です。